噂の業務用スーパーに一歩足を踏み入れるなり、ヒュプノスは驚きで目を瞬いた。
 …通路の向こう側が見えない。見える限り延々と陳列棚が並び、箱に入ったままの商品が無造作かつ整然と積み上げられている。興味深々と言う顔で店内を見回す眠りの神に秋乃がにこりと笑って見せた。

「ね、凄いスケールでしょう?」
「驚きました、予想以上です。まさか反対側の壁が見えないほど広いとは」
「まるで倉庫みたいですよね。じゃ、早速買い物と行きましょうか」
「ああ、カゴは私が持ちますよ。たくさん買うかもしれませんし、カートもあった方がいいだろうか…ええと、カートは…」
「あそこにありますよ」

 秋乃が指す方を見たヒュプノスは再度目を瞬いた。

「秋乃…あれはカートではなく業務用の台車では…」
「パッと見、そう思うでしょ?あれがこのお店のカートなんです。子供の姿だったら寝そべれそうな大きさですよね」
「確かに。私だけでなくタナトスも一緒に横になれそうです」

 秋乃の冗談に真顔で言葉を返しつつ、ヒュプノスはカートにカゴを二つ乗せた。
 まずは果物の缶詰が見たいという秋乃の後をついて缶詰コーナーに来たヒュプノスは三度目を丸くした。遠目からは普通サイズに見えた缶詰が、いざ棚の前ま で来て見るととんでもなく大きい。味も素っ気もないデザインのパイナップル缶を一つ持ち上げて裏を見ると、「内容量:2kg」と記載されている。

「これはもう、缶詰ではなくバケツ詰めだな。一体どんな大きなパイナップルが入っているのだ??」
「バケツ詰め…バケツ詰めって…ぷっ…あは、あはは…そ、それに、中身は普通の大きさですよ。たくさん入ってるってだけです…あはは…」
「そ、そんなに笑うことはないでしょう!」
「ごめんなさい、ツボに入っちゃって。お詫びに、このパイナップルのバケツ詰めを買いますね。あとはこっちのフルーツポンチバケツ詰めも」
「…………。では、次に行きましょうか」

 ヒュプノスは顔を赤くしつつ缶詰をカゴに入れて、さっさと歩き出した。
 秋乃に格好のいじりネタを与えてしまった。もうこれ以上失敗するわけには行かない。固く決意したヒュプノスに気付く風もなく、小麦粉の棚で足を止め た秋乃が品物を選び始めた。聞いたこともないような名前の粉がずらり並んでいるが、うっかり感想を言うと墓穴を掘る可能性がある…と思いながら反対側の棚を見 たヒュプノスは首を傾げた。
 小麦粉コーナーのはずなのに米袋が並んでいる。しかも農家が使うような、ゆうに30kgは入りそうな大容量の紙袋に入って、だ。
 玄米を自家精米するこだわりの店御用達なのだろうか。
 などと考えながら『米袋』を眺めていると、小麦粉を選び終わった秋乃が声を掛けてきた。

「何か気になるものがありました?」
「あ、いえ。小麦粉のコーナーなのに米が置いてあるのかと思っていただけです」
「米?」
「あれです」

 指差す先を見たとたんに笑い出した秋乃の姿にしまったと思ったが時既に遅かった。
 笑いすぎて涙目になっている彼女を置いてつかつかと『米袋』に歩み寄り、きちんと眼鏡を掛けなおしてパッケージを見てヒュプノスは違う意味で我が目を疑った。
 …『天ぷら粉・30kg入り』と書いてある。
 驚いて隣の商品を見ると、『から揚げ粉(中華にんにく味)・30kg』、その隣には『パン粉(オレンジ)・10kg』と書いてあった。

「お弁当屋さん用の、業務用の天ぷら粉やから揚げ粉なんですよ。粉に味がついてるから魚や肉に下味を付ける手間がないんです。こちらのパン粉は、揚げ た時に綺麗なオレンジ色になるように色が付いてるの。これを袋ごとポリバケツに入れておいて、必要な分だけシャベルで掬って使うんですよ」
「…詳しいのですね」
「学生時代にコンビニのお弁当を作る工場でバイトしてたんです。ヒュプノスさんも学生になったらバイトしてみたらどうですか?けっこう面白いですよ」
「私がバイト…考えたこともなかったな。でも、楽しそうですね」
「そうそう。何事も経験です」

 小麦粉の袋をいくつかカゴに入れて、ふたりは調味料コーナーに向かった。
 業務用ビッグサイズの商品がずらり並ぶ中、ヒュプノスは見慣れたカレールーを見つけた。シンプルを通り越して味も素っ気もないパッケージが並んでいるので、家庭用と同じデザインと言うだけでここでは目を引くのだ。

「あれが、秋乃の言う『まな板みたいな大きさのカレールー』ですか」
「ですです」
「家庭用のカレールーを拡大コピーした感じですね。話のネタになりそうだし、星華姉ちゃんへのお土産にひとつ買うとするか」
「私も買おうかな。カレールーのストックがそろそろなくなるから」
「え?秋乃はそんなに毎日カレーを食べるのか?」

 …腹を抱えて痙攣している彼女を見てヒュプノスは真っ赤になって唇を噛んだ。
 そうだ、普通に考えれば店のスタッフの食事用ではないか。今日の私はダメだ、秋乃のペースに巻き込まれて思考回路が麻痺している。相手が冥妃でなければ、まな板カレールーで照れ隠しの突っ込みを入れてやるのに。
 ヒュプノスは甘口のカレールーをカゴに入れてぶすっと言った。

「秋乃、笑いすぎです」
「ヒュプノスさん、笑わせすぎです」
「…………」
「ああもう、ヒュプノスさんのせいでカレーを食べたくなってきちゃったじゃないですか。今夜のまかないはカレーにしようかな」
「店は早仕舞いしたのでは?」
「あ、そうでしたそうでした。…でも、カレーってたくさん作ってみんなで食べた方が美味しいんですよね。星矢さんやシラーさんに『お友達連れてカレーを食べに来ない?』って声を掛けようかな…でも、ご飯のためだけに呼び出すのも迷惑かなぁ」
「じゃあいっそ、冥界からも聖域からもメンバーを集めてカレーパーティーはどうです?みんなで色々なカレーを作って、トッピングも用意して、バイキングみたいに食べ放題にして」
「いいですね、それ!じゃあ早速みんなに声を掛けないと。聖域メンバーには私が連絡を入れますから、冥界メンバーにはヒュプノスさんが連絡お願いします」
「分かりました」

 頼まれるままに携帯を取り出してヒュプノスはハッとした。冥界メンバーに連絡を入れると言うことはつまり、この世界のヒュプノスにも連絡を入れるということだ。タナトスに伝言を頼んでもいいが、それはそれで『何故直接連絡を入れないのか』と不審がられるだろう。
 まさかここまで秋乃の計算なのか…いや、この世界の聖域メンバーに私が連絡を入れるのは不自然だから妥当な役割分担だ、どうせこの世界のヒュプノスは何も気付いていないのだろうし、何事もなかったように電話をかけて話をしたらそれで終了だ。うん、それだけだ。
 無理矢理自分に言い聞かせて、ヒュプノスはえいやっと発信ボタンを押した。
 …長いコール音の後、電話は留守電に繋がった。
 肩透かしを食らったような腹立たしいようなホッとしたような複雑な気持ちにモヤモヤしつつ、仕方なくタナトスに電話をかけるとこちらはすぐに繋がった。

『タナトスだ』
「私だ。ヒュプノスだ。早速だが、秋乃がカレーバイキングパーティーを提案しているのだが…」
『ちょっと待て、早速過ぎるぞ。そもそもお前は今どこにいるのだ、チビ助?秋乃様の名前が出たということは地上か?』
「ああ、そうだが。……?」
『目を放した隙にお前の姿が見えなくなった、探しても見つからぬが何か聞いていないか…と言って、ヒュプノスが俺の神殿まで来ているぞ。何故、お前ひとりで地上にいるのだ?』
「…………」

 言われてヒュプノスはハッとした。
 こちらの世界のヒュプノスがパシテアへのメール返信に夢中になっていたから、腹が立ったその勢いで何も言わずに神殿を出てその足で地上まで来てしまったのだ。何となく、タナトス達には何も言わずとも伝わるような気がしていたのだが…。

『ちょっと待て、ヒュプノスと代わるぞ』
「え」
『…ヒュプノスだ。異世界の私よ、一体どうしたのだ?』

 予想できたはずだが予想できていなかった事態に心の準備をする暇もなく、この世界のヒュプノスが電話口に出てしまった。

『手洗いに行って迷ったにしても地上は「あーあー、もしもし?もしもーし?ぁ…あ…で、電波がっ!!」

 ぷちっ。
 …………。
 …しまった。
 電源ボタンを押さえつけている親指を見てヒュプノスは内心で冷や汗をかいた。いくら返答に詰まったとは言え『電波がっ!!』はないだろう。これではヒュプノスに怪しまれてしまうではないか…などと考えていると、握り締めた携帯が鳴り出した。
 電話がかかるのだから『電波の調子が悪い』という言い訳は使えない。仕方ない、来るなら来い。何か文句を言われたらこちらも言いたいことを言わせて貰うからな。ああ、言ってやるぞ。ビシッとズバッと言わせてもらおうではないか!
 目を渦巻きにしながらヒュプノスは通話ボタンを押した。

「…はい」
『ああ、繋がったな。電波は良くなったか?』
「…………。おかげさまで」

 電波の調子が悪い、という言い訳をヒュプノスは何も疑わずに信じたらしい。肩透かしを食らってドッと疲れたヒュプノスのささやかな嫌味には気付く風もなく常と変わらぬ声が聞こえた。

『で、一体どうしたのだ?手洗いに行って迷ったにしても地上は行きすぎだと思うが』
「そ…それは、だな…」

 ヒュプノスは大慌てで言い訳を考え、咄嗟に浮かんだ理由を口にした。

「お前とパシテアの時間を邪魔しては悪いと思ってな」
『え?』
「パシテアからメールが来たと喜んでいたではないか。私がいては、妻への返信をゆっくり考えることも出来ないであろう?」
『は??』

 電話の向こうで、頭上にクエスチョンマークを浮かべているヒュプノスが容易に想像できた。この言い訳が苦しすぎることくらい自分でも分かる。ここからどう誤魔化そうかと必死に考えていると、どうやら会話を聞いていたらしいタナトスの声が聞こえた。

『そう言えばこのチビも、俺がいてはタナトスはヘカーテ様とゆっくりすることも出来ぬ、とか要らぬ気を利かせてマニゴルドの家に転がり込んだことがあったな』
『ああ、なるほど…そういうことか。異世界の私よ、お前と過ごす時間を犠牲にしてまで返信内容を考えていたら私がパシテアに怒られてしまう。彼女への返信内容は後ほどゆっくり考える故、そのような気遣いは無用だ。いくら何でも気を使いすぎだろう』
「ん…」

 問題はそこではないのだが…。
 ヒュプノスは口をムズムズさせて言いよどんだ。秋乃は『この世界のヒュプノスは鈍いから、言いたいことはド直球で言え』と言っていたが、ド直球で言いた いことを言うタイミングは逃してしまった気がする。せっかく皆で楽しく集まろうという時にヤヤコシイ話を持ち出すのはよろしくないのではないか。
 そんなことを考えていると、ヒュプノスの複雑な沈黙の意味を全く理解していないヒュプノスが先程よりは明るい声で言った。

『…で、秋乃様が何やら提案されたらしいが』
「あ、ああ。詳しい経緯は端折るが、カレーバイキングパーティーをしないか?という話が出て、聖域と冥界の皆に参加を呼びかけているのだ。基本的な材料は私と秋乃で用意するから、後は各々が腕を奮って様々なカレーを作って皆で食べようと、まぁそういう企画だ」

 電話をしながら秋乃を見ると、彼女は指でOKサインを作って見せた。聖域メンバーの参加は大丈夫そうだ。

「聖域メンバーの参加は決まったようだが、お前達はどうだ?」
『そのような楽しそうな企画、タナトス達やヘカーテ様が欠席すると思うか?ハーデス様の地上用の肉体も用意する故、会場や開始時間や詳しいことが決まったら知らせてくれ』
「分かった。また連絡する」

 ホッと息を吐いて通話を切ると、同じく通話を終えた秋乃がにこりと笑った。

「沙織さんに連絡を入れたら、黄金聖闘士の皆さんと星矢さん達に招集をかけるって言ってくれました。会場も、大晦日に使った城戸邸を提供してくれるそうです。調理器具もまだ置いてあるから食材だけ準備すればすぐカレーパーティーが出来ますよ、ですって」
「冥界の皆も参加するそうです。場所と時間が決まったら教えてくれと言われました」
「城戸邸の掃除と調理器具の準備が終わったらメールするって言われたので、それまでは買い物していましょうか。…カレーって言っても色々ありますよね。ちょっと変わった材料も用意しておくと面白いものが出てくるかも」
「トッピングもたくさんあった方が楽しいでしょうね。本格的なスパイスも用意した方がいいだろうか?」
「カレーの基本スパイスって何だったかしら…」

 携帯でレシピサイトを見ながら、秋乃とヒュプノスはあれやこれやをカゴに入れていった。



 ヒュプノスと秋乃は惣菜コーナーの前で足を止めていた。ちょうど昼食時なので、次から次へと惣菜 やおかずが補充されていて、その魅力的な香りに誘われてしまったのだ。『スタッフお勧め!』の札が付いたコロッケを補充したスタッフが試食用のコロッケを二人に差し出した。

「そこの素敵なお姉さん達!スタッフ自信作のコロッケですよ、味見をどうぞ!」
「わぁ、ありがとう。頂きます」
「お姉さん『達』?…ん、これはおいしいな」
「本当、すごくおいしい」
「味がしっかりついてますから、冷めても温めなおしてもおいしいんですよ。お弁当やサンドイッチにもお勧め!よかったらどうぞ!」
「温めなおしてもおいしいんだ。じゃあ、カレーのトッピング用に買って行きましょうか」
「そうですね。作るのに手間が掛かるものは惣菜で済ませてもいいかもしれません」
「ちょうどお昼時だし、お腹も空いたし、トッピングとかメニューの参考にするのも兼ねて色々食べてみましょうか」

 似たようなことをやりがたる客は他にもいるらしく、店内で買った惣菜や弁当は隣接したフードコートにそのまま持ち込めるスタイルになっている。秋乃とヒュプノスはフードコート持込用のトレイに気になった惣菜を取り始めた。

「茸入りポテトサラダ?どんな味かしら」
「本場風肉団子か。この、ケチャップまみれの肉団子のどの辺が本場なのであろうな」
「カレーには関係ないけどアメリカンドッグ買っちゃおう!抗いがたい魅力があるんですよね、これ」
「この、塩味の鶏つくね串(軟骨入り)はおいしそうだな」
「ねぇヒュプノスさん、磯辺揚げ半分こしません?」
「イソベアゲ?ああ、チクワの天ぷらですか。確かこちらの世界のヒュプノスがチクワ好きだったから、お土産に…」

 買って行きましょうか、と無意識に言いかけてヒュプノスはハッとした。そういえば自分は、この世界のヒュプノスに猛烈に腹を立てて冥界を飛び出してきたのだった。 土産など買ってやる義理はないではないか。そう思ってムスッと口を噤んだが、秋乃は気付いた風もなくチクワ天を選び始めた。

「チクワの天ぷらなら手軽に作れるから材料を買って行けばいいんじゃないかしら。で、今食べるのはどの味にします?定番、ウィンナー入り、カレー味、チーズ味とありますけど」
「カレーやチーズ味の天ぷらですか…しかもチクワの…」
「結構おいしいですよ。私がバイトしていたお弁当工場でもカレー味のチクワ天作ってましたし」
「…本当ですか」
「違いますよ、ヒュプノスさん」
「?」
「そこは『マジかよ』ですよ」
「え?それはタナトスの台詞では?」
「『マジかよ』ですよ」
「…………。…マジかよ」
「はい、そうです」
「…………」

 秋乃の無言の圧力に負けたヒュプノスが複雑な気持ちで惣菜を選んでいると、近くで弁当を買っていた女性達が話す声が聞こえてきた。

「綺麗な人だね、外国のモデルさんかなー?」
「背も高いしきっとそうだよ。女性同士でデートなんて憧れるなぁ」
「こういう庶民的なスーパーで買い物って言うのが一週回っておしゃれだよねー」
「あ、そろそろ行かないと昼休み終わっちゃう〜」

 …日本語が分からない振りをして女性達を無視していたヒュプノスが顔を赤くして呻いた。

「私のどこが女性に見えるというのだ。子供の時ならまだしも!」
「いいじゃないですか。それだけヒュプノスさんが上品で綺麗だってことですよ」
「こんな長身の女性がいますか?!」
「スポーツ界やモデル界にはいるんじゃないかしら。で、どのチクワ天にします?」
「…………」

 秋乃にとってはヒュプノスが女性に間違えられたことよりチクワ天が大事らしい。
 彼女が冥妃でなければまな板カレールーで突っ込みをいれてやるのに。やり場のないモヤモヤをトングをカチカチ言わせることで発散しつつ、ヒュプノスはカレー味のチクワ天を取った。



 フードコートのテーブルに先程買ってきた惣菜を広げて秋乃とヒュプノスは昼食をとり始めた。一体どんなイロモノかと思ったカレー味のチクワ天は中々美味 だ。ケチャップまみれの肉団子はどこが本場風なのかよく分からない。ケチャップをたっぷり絞ったアメリカンドッグを差し出されるままに一口齧り、お返しに と塩味のつくね(軟骨入り)を差し出して、テーブルの上でくねる花の玩具(音に反応して花が踊るアレだ)を突いたりしていると。

「なぁなぁ、おねーさーん」

 品性の欠片も無い声に視線を動かすと、絵に描いたような不良グループが二人の座ったテーブルを囲むように立っていた。ポケットに突っ込んだ手でわざとらしくナイフをちらつかせながらリーダーらしい少年がずいと身を乗り出した。

「俺らいい店知ってるんだよ。こんなフードコートで飯食ってないで俺らとこねぇ?」
「…ここは私が」

 全盛期の三割程度の小宇宙しかないが、人間の不良を数人叩きのめすには十分だ。女性に間違われた鬱憤、冥妃の護衛と言う名目で晴らさせてもらおう。
 そう思ったヒュプノスが腰を浮かしかけた時、秋乃が笑顔のまま首を振った。彼女はロールパンにポテトサラダを挟みながら不良グループに微笑みかけた。

「その制服…あなた達は椚ヶ丘高校の生徒かしら?」
「そーだよ。良くご存知で」
「秋乃、こいつらは『学校に連絡する』程度で引き下がる連中では…」
「じゃあ、リュウキ君って知ってるかしら?」

 秋乃の、あくまでも柔らかく微笑みながらの言葉に不良グループが明らかにギョッとなった。中には既に逃げ腰になっている者もいる。

「え?あ、あんた、ひょっとして、リュウキを半殺しにした…」
「…秋乃。またやったんですか?しつこいナンパ相手を蹴り飛ばして病院送り」
「人聞きの悪い事言わないで下さい。リュウキ君にいきなり腕を掴まれて私がビックリして大声出したら、私の声にもっとビックリしたシラーさんがリュウキ君 を突き飛ばしちゃって、私を連れて逃げ出そうとした時に運悪く足元に倒れていた彼を二人で踏んじゃっただけです。不幸な事故だったんですぅ。悪いと思った から警察も呼んだし、怪我の治療費を出す為にちゃんと証拠写真も撮ったんですから」

 わざとらしく唇を尖らせて秋乃はスマホを取り出して画像を見せた。…『ウッカリ二人に踏まれて』ボロボロになった不良が、学生証がはっきり見える形で映っている。
 





















































































 夕食を終えた一同は、タナトスの提案でバランスゲームで遊ぶことにした。『異世界のタナトス殿ヒュプノス殿が喜んでくれるのではないかしら』と言って、本物そっくりに作られた玩具のドーナツを重ねていくバランスゲームを沙織がプレゼントしてくれたのだという。
 タナトスが持ってきた玩具の箱を見た途端、タナトス少年は卓に身を乗り出して目を輝かせた。隣のヒュプノス少年も興味深々と言う顔で兄と一緒に箱を開けて玩具のドーナツを取り出した。

「おおっ、凄いな!まるで本物のドーナツのようだぞっ」
「フレンチクルーラー、ポン・デ・リング、チョコリングにオールドファッションもあるのか。本当に良く出来ているな」
「して、これはどのようにして遊ぶのだ?マグカップや皿も付いているが」
「基本的な遊び方は、ドーナツをトングで掴んで順番に重ねて行くだけのようですね。難易度を上げたい時は皿の上にマグカップを置いてその上にドーナツを乗せていくようです」
「ルールなどどうでも良い。遊んで面白ければそれでよかろう?さぁ、ゲームを始めるぞ。まずは俺からだ!」

 ヒュプノスの手から説明書を取りあげたタナトスは玩具の皿を卓の真ん中に置いた。玩具のトングを掴んでフレンチクルーラーを皿に乗せると、隣に座ってい るタナトス少年にトングを渡した。トングを受け取ったタナトス少年は、散々迷ってオールドファッションを掴んでフレンチクルーラーの上に乗せた。次のヒュ プノス少年は真剣この上ない顔でポン・デ・リングを乗せ、ヒュプノスは無表情で1ミリのズレもないようにシェルドーナツを乗せてハーデスにトングを渡し、 ハーデスは慎重にチョコリングを載せてヘカーテにトングを渡した。
 トングを渡されたヘカーテはトングを振り回した。

「何だ何だお前達。そんな丁寧に積み重ねては面白くもなんともないではないか!」
「ヘカーテ様、これは積み重ねるゲームですが」
「ただ積むだけではゲームとして面白くなかろうと言っているのだ。フフ…ここは私がひと波乱起こしてやろう」

 ハニーディップを掴んだヘカーテは、わざとずらしてドーナツを乗せた。
 ヘカーテが得意気なドヤ顔で差し出したトングを、タナトスは思いっきり苦い顔で受け取った。真剣に悩んで苺ドーナツを掴み、ドーナツタワーが崩れないよ う慎重にハニーディップの上に乗せて、危ういバランスでどうにか維持されているドーナツタワーを睨んでからトングをタナトス少年に渡した。小さな死神は チョコフレンチを掴むとそーっとタワーの上に乗せた。一瞬ぐらりとタワーが傾きかけたが辛うじて踏み止まったのを見て、ホッと安堵の息を吐いて弟にトング を渡した。続くヒュプノス少年は息を詰めるようにしてチョコファッションをタワーの一番上に乗せた(ちなみにここまで全員無言である)。続くヒュプノス が、神がかり的ギリギリのバランスで辛うじて維持されているドーナツタワーの上にメロンドーナツを慎重に乗せた途端。
 ころんころんころん!
 流石にバランスを維持できずにタワーが崩れて、皆の緊張が一気に解けた。
 
「ああっ、崩れてしまったぞ」
「ヘカーテ様が盛大にずらしてドーナツを乗せたからな。その上に3個乗っただけでも上出来だろう」
「何だ、私が悪いと言いたいのか?」
「ヘカーテ様がもっときちんと乗せていればもっと積めたと思いますが…」
「このトングは滑りやすいゆえ、手で掴んで乗せればもっとやりやすいと思うが」
「………………」

 タワーを崩してしまったヒュプノスが無言無表情で卓に散らばったドーナツを元に戻し、もう一度取扱説明書を読み始めたのを見て、皆は無言で顔を見合わせた。
 どうやら、妙なところで負けず嫌いなヒュプノスのスイッチが入ってしまったらしい。
 じっくりと説明書を読み終わったヒュプノスは真顔で皆を見回した。

「では、第二回戦を始めましょうか」
「そ、そうだな」
「え、あ、うむ」
「あー。何だ、その、随分とやる気だなヒュプノス」
「私は遊びにも手を抜かない主義ですので」
「ふむ。ならば決めておかねばならない事があるな!」

 マジモード突入のヒュプノスに男神達が若干引く中、ヘカーテは楽しげに笑いながら人差し指を振った。
 彼女がこの顔をしている時はろくでもない事を考えている時と相場が決まっている。故に『それは何です』と尋ねてはならないと言うことを皆は知っているのだが、知っていてもつい尋ねてしまうのが人(神)の性である。
 二人のタナトスが顔を見合わせて同時に尋ねた。

「「ヘカーテ様、決めておかねばならない事とは?」」
「罰ゲームだ!」
「「…………」」

 二人のタナトスが「しまった」という顔をすると同時にヒュプノスが兄の足を踏みつけ、ヒュプノス少年は兄の足を蹴飛ばした。
 この話題にはこれ以上踏み込みたくないヒュプノス達が黙々とゲームの準備をする前で、ヘカーテは得意気に続けた。

「安心しろ、罰ゲームの内容も既に決めてある。最下位になった者は、猫耳メイドコスをして、明日の巨蟹宮の朝食の席で給仕の手伝いをするのだ!」
「…………」

 双子神達は無言で視線を交わした。
 ヘカーテには悪いが、徹頭徹尾スルーの一手で罰ゲームについては有耶無耶にしてしまおう、それが一番いい。…無言で意思疎通した彼らがバランスゲームのドーナツや皿を並べ直していると、良くも悪くも空気を読めないハーデスが首を傾げた。

「ヘカーテよ。そなたはメイドコスで問題なかろうが、タナトスやヒュプノスがメイドはまずいのではないか?」
「あ、それは俺も思っていました!」
「ハーデス様もチビ助も、メイド以前に猫耳に疑問を感じてください」
「疑問を感じるポイントはそこであろうか…」
「…………。ハーデス様もタナトス達も異世界の私も、何故、触ってはいけない話題に触るのです」
「なら、お前達は猫耳執事だ!クリスマスのイベントで執事コスをしたし、それに猫耳を足すだけだから特に問題はないだろう?」
「大問題です!」×4

 ケロリとした顔でとんでもないことを言い出すヘカーテに双子神達が同時に突っ込んだ。

「大体何故、冥界の神である我々が聖闘士どものために給仕の真似事などせねばならぬのですか!」
「ひょっとしてあれか、メイドと冥土をかけたギャグか?」
「ドヤ顔をされているところ大変申し訳ありませんがハーデス様、そのネタはもう百万回は言われています」
「なんと。二番煎じならぬ百万番煎じであったか!余ももう少し世事に詳しくならねばな」
「そうだ!ハーデス様も、仮初の肉体を使ってもっと地上に遊びに行ってはいかがですか?」
「ミスドのショップで食べる出来立てのドーナツはまた格別の味ですよ」
「む。実は余も、あのドーナツの店には一度行ってみたいと思っていたのだ」
「お前達、どこまで話を脱線させる気だ?ほら、ゲームを始めるぞ!参加者が6人だからゲームを6回やって、一番多くタワーを倒した者が敗者と言うルールでいいな?」
「あの、ヘカーテ様。タワーを倒した数が同じ者がふたり以上いたらどうするのです?」
「その時は、倒した数が多い者だけで敗者決定戦だ。では、私から行くぞ!」

 皆の返事を聞かずにヘカーテがドーナツを積み始めたので、男性陣もあれよあれよと流されてゲームに参加する羽目になった。



 …………
 タナトス少年は幼い顔に真剣な色を浮かべてそっとドーナツを積んだ。高く積まれたドーナツタワーが傾きかけてビクッとして、危ういバランスで踏み止まっ たのを見てホッと安堵の息を吐いてトングをハーデスに渡した。トングを渡された冥王は慎重にドーナツを選び、皆が固唾を飲んで見守る前で、呼吸も忘れたよ うな真剣な顔でタワーの上にドーナツを乗せようとした。
 バランスゲームの『逆決勝戦』に残ったのはタナトス少年とハーデスで、ふたりは相手が子供であることや主君であることもこの時ばかりは忘れて真剣勝負に挑んでいるのだ。
 冥王は美しい顔を緊張させてドーナツをタワーの頂上に置きかけて手を止め、一度深呼吸し、再度ドーナツを乗せようとしてタワーが揺れたのを見て躊躇い、ハーッと息を吐き、意を決してそっとドーナツを乗せた。
 …タワーが崩れなかったのを見て冥王が安堵の息を吐いた途端。
 ころんころんころん!
 タワーが崩れて玩具のドーナツが卓に転がった。
 ゲームに参加していたタナトス少年も、勝負の行方を見守っていた皆も、一気に緊張の糸が切れて妙に爽やかな笑顔を見せて、そして同時に同じ疑問を感じた。
 これってひょっとして…冥王が猫耳執事コスして給仕の真似事をするってことか?
 皆の注目を一身に集めたハーデスはトングを持ったまま思案顔になった。

「確か、明日の朝食に参加するのはアテナと聖闘士達であったな。ベルセフォネーがおらぬなら余が地上に行っても問題は無いな。む…地上行きの仮初の肉体は保存してあるが、猫耳と執事の衣装はどこに片付けただろうか…」
「…………。えー…あの、ハーデス様」
「冥王たる御自身が猫耳執事のコスプレをして給仕の真似事をすることに関して、何か疑問をお持ちになったりとか、そういうことはないのですか」
「ノリノリですねハーデス様!」
「猫耳にも抵抗は無いのですか」

 双子神達が真顔で尋ねると、ハーデスはにっこりと笑った。

「ゲームに負けたら猫耳執事コスで給仕をするというルールだったではないか。冥王たる余はルールに反することはせぬぞ。…いや、本音を言おう。余は、久方 ぶりに地上に行って変わったことが出来ると思うと何やら心躍るのだ。タナトス、それにヒュプノスよ。朝食を終えた後は地上の見物をして、お前達が足繁く 通っているというドーナツの店にも行ってみたいぞ」
「…分かりました。ハーデス様がそう仰せなら我々もお供いたしましょう」
「と言うことは、お前達も猫耳執事コスを…」
「「しません」」

 大人の双子神に真顔かつ即座に否定されて、ヘカーテはぷうっと頬を膨らませた。
 膨れているヘカーテの頬をいつものようにアッチョンブリケで潰しているタナトスを見ながらハーデスは異世界の双子神に目を向けた。

「タナトス、ヒュプノス。お前達はどうする?猫耳はともかく執事の格好だけでもしてみぬか?」
「「え?」」
「余だけで給仕の手伝いをするのは正直言って少々不安なのだ。お前達も一緒だと心強いのだが」
「お任せください!パライストラ学園に体験入学した時に給食当番の練習もしましたから、朝食の給仕くらい朝飯前です!ハーデス様がお望みなら猫耳も付けます!」
「そういうことなら私もお手伝いさせていただきます」
「おお、そうか。ならば安心だな。ふたりとも、明日はよろしく頼むぞ」
「「はい!」」

 ハーデスはにこにこ笑いながら小さな双子神の頭を撫でた。
 その様子に目を輝かせ頬を染めて涎を垂らしているヘカーテを見て、この世界の双子神はそっと目を合わせた。
 …絶対にヘカーテ様は猫耳メイドコスで明日の朝食会に乱入するぞ。




 食事を終えた後はタナトス神殿で皆で入浴、というのがお約束である。
 この世界の双子神はハーデスの準備を手伝ってから合流するというので、入浴グッズを持った異世界の双子神は一足先にタナトス神殿の浴場に来ていた。脱衣籠を持ってきてバスタオルと着替えを準備していると不意に脱衣所の扉が開いた。
 双子神とハーデスがもう追いついたのか、と顔を上げた双子神は入ってきたのがヘカーテだと気付いて目をぱちぱちさせた。タンクトップとショートパンツと言う格好で風呂桶を抱えたヘカーテは、脱衣所に異世界の双子神しかいないのを見てニヤリと笑った。

「ん、お前達だけか」
「タナトス達はハーデス様の支度を手伝ってから合流するそうです」
「…………」
「うむうむ、計算通りだ。普段は私が一緒に風呂に入りたいと言っても阻止されるが、奴らが来る前に入ってしまえば出て行けとは言うまい。フフフ…ついに私 の野望が叶う時が来た!今日はお前達と一緒に風呂に入って、チビタナトスかチビヒュプノスの髪を洗うぞ!フハハハハハハハ!」

 ざっぱーん、と打ち寄せる波が背景に見えそうな迫力でヘカーテは高笑いして、ウキウキと異世界の双子神の前にやってきた。ちなみにヘカーテの暴走に未だ慣れないヒュプノスは顔を赤くしたまま固まっていて、すっかり慣れっこのタナトスはニコニコしている。

「おおっ!今日はヘカーテ様が髪を洗ってくださるのですか」
「うんうん。タナトスやヒュプノスや、ハーデスもお前達の髪を洗っていると聞いて、ずっと羨ましくて仕方なかったのだ。さ、連中が来る前にさっさと風呂に入ってしまおうではないか。…お前達、その複雑なつくりの服はひとりで脱げるのか?」
「大丈夫です!このベルトを外すと、簡単にするっと脱げるんです」
「何と!」

 タナトスが上着を脱いで見せると、ヘカーテは赤くなった頬を両手で挟んで目をキラキラさせてはっふーん☆と溜息を漏らした。口の端から垂れかけた涎を拭って、ほら!と得意気にしているタナトス(と、半脱ぎになっている服)をしげしげと眺めた。

「なるほど、こういう作りになっているのか…これもアテナに貰った服なのか?」
「そうです」
「ベルトを外すだけでこんなに簡単に脱げる服をタナトスヒュプノスにやるなど、アテナは何を考えているのだ…けしからん…はあぁ…」
「俺もヒュプノスも、着たり脱いだりに手間がかかる面倒な服は好かぬもので」
「ああ、もう…けしからん、全くもってけしからん…こんなに可愛くて簡単に脱げるなんて…。これはもう、お前達の世界のアテナに会って型紙を貰わねばならんな…そして私がお前達の服を仕立てて、お前達に着せるのだ…ムフフ…」

 目をキラキラさせて妄想を垂れ流すヘカーテの姿をタナトスが微笑ましく見つめ、ヒュプノスが赤くなってフリーズしていると、脱衣所の扉が開いてこの世界の双子神とハーデスが姿を見せた。
 上着を脱いでいるタナトス少年と、赤くなって固まっているヒュプノス少年と、タナトス少年の服を持って妄想に耽っていたヘカーテを順番に見て、タナトス は思いっきりジト目になった。わざとらしく大きな溜息をつくと、『しまった、見つかった!』と言いたげな顔で冷や汗をかいているヘカーテにつかつかと歩み 寄り、彼女を背後から羽交い絞めにした。

「え?え?」
「…と言う訳で皆、俺はヘカーテ様をタナトス神殿の内風呂にお連れする。風呂から出た ら、先ほど皆がいたハーデス神殿の部屋で一緒にフルーツ牛乳でも呑もうではないか。では、また後でな」
「あ、ちょ、タナトス」
「却下です」
「まだ何も言ってないぞ!」
「却下です」
「私の意向は…」
「却下です」
「え、でも」
「却下です」

 ヘカーテの言い分など聞く耳を持たず、タナトスは美貌の女神を羽交い締めにして力づくて引きずって行った。
 あ〜〜〜〜〜〜〜……
 その姿を見送った異世界の双子神は同時にボソッと呟いた。

「「あ、デジャヴ…」」
「全く、ヘカーテ様も懲りないと言うかへこたれないと言うか…」
「そう言ってやるな、ヒュプノス。ヘカーテはタナトスとヒュプノスに絡みたくて仕方がないのであろう」
「それは理解しておりますが、もう少し絡む状況を精査して頂きたいものです。…ハーデス様、ヘカーテ様がいない今のうちにあれを渡してしまいましょう」
「ヘカーテ様がいないうちに?」
「渡す?」

 小さな双子神が怪訝そうにヒュプノスの言葉を反芻すると、冥王はにこりと笑って懐を探ってふたりに手を差し出した。
 …ハーデスの掌に乗っていたのは五芒星と六芒星が刻印された銀色の指輪だった。

「「ハーデス様、これは?」」
「まずは填めてみるが良い。ああ、服は脱いでからの方が良いぞ」
「「??」」

 子供の双子神は怪訝そうな顔をしつつ、言われた通りに服を脱いでからそれぞれの徴に対応する刻印がある指輪を取った。指輪は子供の指に填めるには少々サイズが大きかったので、ふたりは親指にそれを填めてみた。
 …と。
 指輪に込められていた小宇宙が体に流れ込み、ふたりの肉体は大人のそれになっていた。

「おおっ?!大人に戻れたぞ!」
「ハーデス様、これは…」
「こちらの世界のタナトスとヒュプノスの小宇宙を込めた指輪だ。お前達も子供の肉体では不便を感じることもあるだろうし、必要に応じて大人に戻れる手段があった方が良かろうと思ったのだ」
「その指輪があれば、お前達は指輪を填めている間だけ大人に戻れる。指輪を填めっぱなしで何もしなければ約一日大人でいられるが、戦うなどして小宇宙を消 費すればその分効果時間は短くなる。込めた小宇宙が無くなってしまったらまた私達が小宇宙を込めるまで効果は発揮されぬ。その点を良く理解して上手く使っ てくれると嬉しい」
「なるほど、充電式の小宇宙電池のようなものか。ハーデス様もヒュプノスも、ありがとうございます!」
「あ…ありがとうございます」

 異世界のタナトスは嬉しそうに、ヒュプノスは照れ臭そうに礼を言って、親指に填まった指輪に大事そうに触れた。




 入浴を終えて部屋に戻ると、一足先に戻っていたらしいタナトスがフルーツ牛乳を用意していた。卓の上にファミリーサイズのアイスを幾つも並べていたヘカーテは、ディッシャーをカシャカシャ言わせてにっこりと笑った。

「おっ、戻ったかお前達!今日は特別にアイスを用意してやった故、ダブルでもトリプルでも遠慮なく言うが良いぞ!」
「おおっ!」
「ほら、フルーツ牛乳だ。飲む時の作法は覚えているか?」
「勿論だ。肩幅に足を開いて立って、左手を腰に当ててゴックゴックと飲むのであろう」
「うむうむ。では早速、皆で作法に則って風呂上りの一本を飲むとするか」
「そうですね」
「では皆、用意は良いか?では、いざ!」

 ごっくごっくごっく。
 ハーデスが音頭をとって皆でフルーツ牛乳を飲んだ後は、アイス係を買って出たヘカーテがアイスの蓋を片っ端から開け始めた。

「さぁ、リクエストをしろ!コーンは二種類あるし、カップも用意したぞ。アイスはこっちからバニラ、苺、チョコ、キャラメル、抹茶、チョコミント、チーズケーキ味、クッキークリーム、ラムレーズン…」
「俺はバニラとチョコをワッフルコーンのダブルで!」
「私は抹茶とチーズケーキ味をカップでお願いします」
「よしよし、畏まったぞ!」

 リクエストを受けたヘカーテは嬉しそうにコーンにアイスを二つ盛り付けてスプーンを刺してタナトス少年に差し出し、カップに盛り付けたアイスにはウェハースとスプーンを沿えてヒュプノス少年に差し出した。
 …いつものようにこの世界のタナトスの膝に座り、口の周りにアイスをつけ、スプーンを持った手を振り回しながら、タナトス少年は『帰還間際に黄金聖闘士達がやっていたどつき漫才』の顛末を話していた。

「…で、シラーが思いっきり指輪を放り投げて、ハービンジャーが『あ゛ーーーーーーーーーーーー!?!?!?!?』って絶叫して。何でそんなことするんだ、俺達の愛の証が〜!ってハービンジャーが半べそで詰め寄っているのに、シラーは『うるさいよ』しか言わないんです」
「ぷぷっ。高級食材コンビは相変わらずネタに事欠かないな。で?その、蟹座が指輪をブン投げた漫才はどんなオチがついたのだ?」
「それが、『真面目にへこんでるかと思ったけど余裕があるみたい、だけどこの辺にしておこう』と玄武とアモールが言って終わりだったんです」
「何だそれは。奴ららしくもない中途半端なオチだな」
「タナトスは『渾身のシュール漫才がスベった』って言ってましたけど…。しかしタナトスよ、ハービンジャーのへこみ方は本物に見えたな」

 弟の言葉にタナトス少年はひとつ頷いて、少しばかり心配そうな顔でタナトスを見上げた。

「タナトス。結局、あの指輪はどうなったのであろうな?シラーは本気であれを投げたように見えたが…」
「心配は不要だ、チビ助。明日になれば、シラーは何も無かったような顔であの指輪を填めているさ。約束の証を無碍にするほどシラーは愚か者ではないし、どつき漫才に必要な小道具を真面目に捨てるような馬鹿ではないだろう」
「そうか。そうだな。うん、きっとそうだ。…………」

 頷いたタナトス少年は残っていたコーンの尻尾を口に入れ、もぐもぐと咀嚼してごくんと飲み込み、まだ何か迷っている様子で足をゆらゆら動かし、ムムムと唸って体の向きを入れ替えると再度タナトスを見上げた。

「なぁ、タナトス。やっぱり俺は、指輪のその後が気になって仕方がないのだが」
「全く…。オチがついた漫才のその後を詮索するのは反則だぞ、チビ助。今回だけは大目に見てやるが、今回だけだぞ?」

 どうのこうの言って『オチのその後』が気になっていたらしいタナトスは、わざとらしく念を押しながら懐から携帯を取り出してタナトス少年に渡した。
 アドレス帳から『シラー』の文字を見つけてタナトス少年は発信ボタンを押した。
 …二回目のコールの途中で電話が繋がった。

『はい、シラーです!』
「シラーか?俺だ、タナトスだ」
『タナトス様?どうなさったのです?』

 声の主が異世界のタナトスだったことに素で不思議がっているような声が返って来た。それはいつもと何も変わらないシラーの声で、タナトス少年はそれに少し安堵を覚えつつ用件を切り出した。

「どうしても気になる事があってな、タナトスの電話を借りたのだ!」
『気になる事とおっしゃいますと?』
「ハービンジャー達と漫才をした時のオチに、二人の約束の証である指輪を窓の外に投げただろう?あれがどうなったのかどうしても気になって仕方がないの だ。タナトスは『明日になれば、シラーは何も無かったような顔であの指輪を填めているさ。約束の証を無碍にするほどシラーは愚か者ではないし、どつき漫才 に必要な小道具を真面目に捨てるような馬鹿ではないだろう』と言うのだがな」

 数秒の沈黙の後に返ってきたのは、茶目っ気たっぷりのシラーの声だった。

『それは明日のお楽しみです、タナトス様。ただ、もし僕が指輪をしていなくてもご心配には及びません。綿密に練った計画の伏線ですから』
「おおっ、伏線か!それなら安心だな、明日を楽しみにしているぞ!」
『はい、お待ちしております』

 ではおやすみ、と挨拶して通話を終えたタナトスは、満面の笑みで携帯をタナトスに差し出した。

「それは明日のお楽しみです、と言われたぞ!もしシラーが指輪をしていなくても、それは計画だそうだ!」
「ほう…」
「それは気になるな。私も明日の朝食会が楽しみになってきたぞ」
「では異世界の私よ、寝坊しないように今夜は早めに寝なくてはな」
「よし。今夜は余もお前達と一緒に寝るぞ」
「じゃあ私も…」
「「ヘカーテ様は御自身の神殿にお帰りください」」

 大人の双子神に間髪入れず言い返されたヘカーテは、あからさまに不機嫌そうな顔で唇を尖らせて見せた。

「ちょ!何だ何だお前達!また私を仲間はずれにして!そんなことをしたらアイスのおかわりをやらんぞ!!」
「それは困ります。とりあえずチョコミント味をコーンで下さい」
「俺は苺味も食べたいです。今度はカップで、ウェハースダブルで!」
「ヘカーテ、余はラムレーズンとクッキーをダブルのコーンで所望するぞ」
「私はバニラにフルーツソースで」
「俺はバニラとチョコをミックスでソフトクリーム風でお願いします」
「待て待て、一度に言うな!ええと、まず、チビヒュプノスがチョコミント味のコーンで…」

 皆に一度にアイスをリクエストされたヘカーテの意識は一瞬でアイスに向かってしまい、皆で雑魚寝の話は有耶無耶になってしまった。そして同時に、『明日 の朝食会にはハーデスとヘカーテが同伴する』という重要な情報をシラーに伝え忘れたことを、アイスに気を取られた神々の誰も気付かないままだった。

 
 

 
 


 

 




 
 

 
 






















































花言葉は 「忠実」「戦い」「悲哀を慰める」
「照り映える容色」「見映えの良さ」「香り豊か」「美しい悲しみ」「幸せの誓い」