| 玄関に向かって早足で歩きながら、彼女はタバコの箱を掴んだ。焦れったいほどゆっくりと開く自動ドアの前で1本くわえ、外に出ると同時にタバコに火を付けた。入り口に立っていた警官があからさまに嫌な顔をしたが、今は嫌煙家の言い分に耳を貸す気にはなれなかった。 せめてもの情けで警官にはかからないように煙を吐き出し、ウエディは口を開いた。 「禁煙なのは警察署内だけでしょ?」 「だからといって一歩出たところで吸わなくてもいいだろう」 「うっさいわね」 肺一杯の煙を今度は思いっきり吹き掛けた。ゴホゴホむせる警官は無視して毒の味を堪能する。 「ずっと我慢してたんだからいいじゃない。だいたい、私がいくら保釈金を積んだと思ってるのよ?1回分の仕事の稼ぎがパァよ」 「ああ?何だお前、窃盗罪で捕まったって聞いたが…売春婦だったのか?」 「…………」 サングラス越しにきつい視線を投げて彼女は大股に警察署を後にした。 彼女の名はウエディ。裏の世界では少しばかり名の通った泥棒である。その手腕は超一級で『仕事』は常に完璧、警察は犯人が彼女だと分かっていても証拠不十分で逮捕できないのがいつものことだった。 なのに。 数日前に些細な好奇心でとあるマンションの一室に入り込んだだけで、彼女は警察に捕まってしまった。いつも通り証拠は何も残していなかったし、大したも のを盗んだわけでもないのに。数日間拘留され、『盗んだものをおとなしく返せ。そうすれば見逃してやる』『不法侵入すらしてないわよ』の押し問答の末、か なりの額の保釈金を積んでやっと解放された。 (一体何がどうなってこんなことになっちゃったのかしら) ウエディは浅くため息をついてアパートのドアを開けた。 数日間締め切りだったせいで空気はかなり淀んでいた。窓という窓を開け放してコーヒーを入れ、パソコンの電源を入れる。パソコンが立ち上がるのを待ちながらウエディはデスクに置かれた写真立てを手にとった。 これが、今回の仕事で唯一の『戦利品』だった。 この町ではあまり見かけない、東洋人らしき女性を見かけたのは数日前のこと。なかなかの美人だったがそれ以上に生き生きと輝く雰囲気を感じて、何となく 彼女に興味を持ったウエディは軽い気持ちでその女性を尾行してみた。女性がセキュリティが厳重なマンションに入って行ったのを見て、ウエディはますます彼 女に興味を持った。あのマンションは留学生が滞在できるような安い物件ではないはずだ。日本あたりの金持ちの御令嬢かもしれない。だったらさぞ高価なアク セサリーや多額のお金を持っているだろう。 そう思って忍び込んでみたものの、めぼしいものは何も見つからなかった。部屋中に漂う甘い香りとずいぶんと設備の整ったキッチンを見て、パティシエかなにかの修行でこの国に来たのだろうと言うことは分かったけれど。 せっかく忍び込んだのに何もとらずに帰るのも面白くない。しばらく悩んだ後、ウエディは一枚の写真を頂いて行くことにした。こんなものを盗んだところで金になるわけではないけれど、妙に気になって持って来てしまったのだ。 誰も知らないはずのウエディのアジトに警察が…たかが不法侵入の容疑で踏み込んで来たのはその夜のことだった。 (確かに写真を1枚盗んだけど、それだけで警察が私を犯人だと特定して逮捕するはずがない。後ろでもっと大物が動いていたはず…。一体誰が?) インターネットで手がかりがつかめないかとマウスに手を伸ばした時、携帯が鳴り出した。伸ばした手で携帯を掴んで画面を見ると『非通知』の文字。非通知で電話をかけてくる人物に心当たりはないが…。ウエディは首を捻って通話ボタンを押した。 「もしもし?」 『ミス・ウエディ?』 「いいえ、お間違いですよ」 声には全く聞き覚えがない。尋ねると言うより確認するような声に彼女は嘘を言ったが、相手はそれを無視してさらりと告げた。 『私はLです』 「!?」 ぎょっとした。 L。 裏社会で生きる人間でその名を知らない者はいない。世界一の頭脳を持つと言われる名探偵で、その言葉一つでインターポールすら動くと言う。未だかつて彼の手を逃れた犯罪者は一人としていないと聞いている。 どうして、そのLが私を? ウエディは動揺を押さえるためにタバコに火を付けてせわしなくふかした。 「…あなたがLだという証拠は?」 『あなたが警察に捕まったことと、こうしてお電話したことで信じていただけるのではないかと思いますが』 「何がお望み?」 『二つ、条件を呑んでいただければ過去の犯罪は見逃しましょう』 「どんな?」 『一つ。盗んだ写真を返すこと。二つ。必要に応じて私に協力すること』 「写真?」 ウエディは写真立てに目をやった。おしゃれな店をバックに二人の人間が写っている。一人はあの部屋に住んでいるはずの女性。もう一人は独特の雰囲気を醸し出している猫背の男。 彼女のその行動を見透かしたように声は続く。 『そこに女性が写っているでしょう』 「可愛い人ね」 『その人が、1枚しかない写真を盗まれたことをとても悲しんでいる。返して頂きたい』 「その人はあなたの…」 何なの、と問いかけて言葉を切った。尋ねたところで答えが返ってくるはずもないし、下手をしたら問答無用で刑務所行きだ。 「特別な人なのね。これは彼女の部屋に直接返しに行けばいいのかしら」 『私の部下をそちらにやりますので、彼に渡して頂きたい。もうそろそろつく頃です』 その言葉と同時にドアがノックされた。携帯を持ったまま立ち上がり、ドアスコープを覗くと全身黒尽くめの男が見えた。 「おいでになったようね。上から下まで真っ黒けっけの人でいいのね?」 『では一度切ります』 ウエディの返事を待たずに電話は切れた。彼女は舌打ちして携帯をベッドに放り投げ、ドアを開けた。 軽く会釈をして部屋に入って来た黒尽くめの男は、無言のままテーブルの上に白いノートパソコンを置いてカメラとマイクをセットした。くるり…とウエディ に向けられたモニタには、独特のフォントで描かれた『L』の文字。裏世界で生きている者の間にまことしやかに流れているその文字を正確に知る者は、ほとん どが塀の中に拘束されている。 ウエディはまだ半分以上残っているタバコを灰皿に押し付けて消した。白いパソコンに浮かぶ文字一つにひどく重圧感を感じて、彼女は半ば崩れるように椅子に座り込んだ。 パソコンにセットされたマイクから電話よりも鮮明な声が聞こえた。 『大丈夫ですか?顔色が良くないようですが』 「…この状況で顔色も変わらない方がおかしいと思うけど」 『確かにそうですね。早速ですが、盗んだ写真を見せて下さい』 「これでしょ?」 机の上に置いてあった写真立てを掴んで、カメラに写るように掲げてみせた。 『…そうです。ではそれを私の部下に渡して下さい』 「OK」 ウエディはカメラに映るようにして写真を黒尽くめの男に手渡した。サングラス越しの視線をパソコンの文字に戻す。 「それで、もう一つの条件の方は?」 『私はあなたのセキュリティを破る腕を高く評価しています』 「それはどうも」 『私の仕事の過程でセキュリティを破る必要があった場合、あなたに力を貸して頂きたい。もちろんそれ相応の報酬は支払いましょう』 「あなた、警察の側の人間でしょう。私みたいな泥棒と手を組んでいいわけ?」 『警察の側の人間ではありますが警察ではありませんから』 その返答にウエディの唇が妖艶に微笑んだ。 Lという人間、ガチガチの真面目な奴かと思ったがなかなかおもしろい。この男の下で動くのも楽しめそうだ。 「わかったわ。私の力が必要な時はいつでも呼んでちょうだい。仕事の途中でも駆け付けるわ」 『ありがとうございます』 「お礼を言われるのも妙なものね、私はあなたの特別な人から物を盗んだのに。…あのお嬢さんによろしく」 『ええ、機会があれば彼女のケーキを御馳走しますよ』 「楽しみにしてるわ」 …プツッ、と通信の切れる音がした。 黒尽くめの男がパソコンと写真を大切に片付けて部屋を出ていく。ウエディはひらひらと手を振って男を見送った。ドアが閉まるとタバコの箱に手を伸ばして早速1本に火をつける。 今度のタバコはひときわ美味だった。 …それから1年ほどの間、ウエディは数回Lの元で働いた。彼女単独のこともあれば、他の犯罪者仲間と組むこともあった。どの仕事も彼女の好奇心と冒険心 を存分に満たしてくれた。実体の見えないLと言う男との絆が固くなって来たと感じて来たある日、ワタリを通してLから連絡が入った。 日本を中心に起きている犯罪者の大量殺人事件…通称『キラ事件』を解決するため、共に闘って欲しいと言う。 背筋がゾクリとするような興奮と高揚感が彼女を襲った。 (キラか…相手にとって不足はないわね) ウエディは迷うことなく日本に向けて旅立った。必要最低限の荷物とLの本拠地があると言う大雑把な住所を書いたメモだけを持って。 …久々に見る日本だったが、特に以前と違う雰囲気は見られなかった。キラ事件の渦中にあるのだからもっと変わっているのかと思っていたが。指定された住 所に向かって歩いていると、見覚えのある男が携帯を片手に立っていた。男はウエディの姿を認めると片手をあげて笑ってみせた。『待ち合わせた相手に電話を しようとしたらちょうどその相手が来た』というポーズをわざわざとってみせるのは、彼もまた『同類』だからだ。 キザを絵に描いたような男は嫌味すれすれの人なつこい笑みを浮かべて近付いて来た。 「久しぶり」 「久しぶりね」 「遅いから待ちくたびれたよ」 「時間通りだと思うけど?」 「うん、僕が早かった。おかげで場所は分かった」 「どれ?」 「多分、あの高層ビル」 男…詐欺師のアイバーは顎をしゃくってみせた。最近建設された新しいビルだと言うことは分かるが、それ以外は何の変哲もない高層ビルだ。 「どうしてあれだと思うの?」 「指定された住所の周辺をぐるっと回ってみたけど、あの建物が一番セキュリティが厳重そうだった。ちょっと僕じゃ入れないな」 「そう、じゃあ多分それね。行きましょう」 「あーあ、あいつも冷たいよなぁ。これが人を呼びつけた奴のすることかよ」 「これくらいの障害くらい簡単に抜けて来れないような人間なら必要無いってことよ」 「分かってたけどねぇ」 一般人の耳に入っても何の話をしているのか分からないようにしながら、二人はLの本拠地へと向かった。 「それにしても驚いたね、Lがあんな人だったなんて。君もだろ、ウエディ?」 椅子に腰を降ろすなりアイバーは口を開いた。よほどその話がしたかったのだろう、テーブルの上に積まれたキラ事件の資料は全く眼中にないらしい。 ウエディは一番上の資料に手を伸ばしてぱらぱらとめくった。 「私は別に驚かなかったけど。それよりこの資料は見ておいた方がいいんじゃない?『一応目を通しておいてくれ』ってLからも言われてるんだし」 「やれやれ…ウエディは真面目だな。それでLだけど。天才というのは少々普通とは違うものだとは思うけど…ある程度は予想してたから驚かなかったのか?」 アイバーは資料を手に取りはしたがおしゃべりは止まらない。 が、ウエディは特に気にしなかった。雑談の最中に一瞬見えた重要な情報を正確に記憶できなければ一流の詐欺師になどなれない。全く資料を見ていないようでも重要なポイントはきちんと把握しているはずだ。 幸か不幸かウエディは泥棒なので、資料を斜め読みしながらポイントを頭に入れ同時におしゃべりをするなどという芸当はできない。更に資料はあまりなじみのない日本語で書かれている。仕方なく資料を閉じて顔をあげた。 「見たことがあったから」 「え?Lをか!?」 「その当時は彼がLだなんて知らなかったけどね」 ウエディはLの元で働くきっかけになった事件のことをアイバーに話した。たかが写真1枚を盗んだだけで証拠もないのに警察に捕まり、釈放後にLからコンタクトを取られたこと。 「…じゃあ、その写真に美女と一緒に写っていたのが…」 「そう、Lだったってわけ。あの当時はその女性がLにとって特別な人なんだろうなくらいにしか思ってなかったけど、やっと納得できたわ。誰にも姿を見せたことのないLが、自分が写っている写真を犯罪者に盗まれたんだから…多少無理をしてでも取り戻そうとするはずよ」 「そうか、美女ね…しかしLにとっての特別な女性か…。興味深いな」 「パティシエらしいわよ」 「へぇ〜」 「…そういえば、『彼女のケーキは絶品だから機会があれば御馳走します』とか言ってたわね」 「へぇぇ?」 アイバーは更に興味深々と言う顔で身を乗り出したが、ウエディは丸めた資料でパカンと彼の頭を殴った。無造作にみえて実はきちんと髪をセットしていたアイバーはぶつくさ言いながら乱れた髪を直し始めた。 「変な色気は出さないことね。一生刑務所暮らしは嫌でしょう」 「出すわけないだろう。Lが個人的に親しくしている女性なら気になって当たり前じゃないか」 「そうね、私も気になるわ。だからさっさとこの資料に目を通して、やるべきことをやってから彼女を紹介してもらおうと思ってるの。泥棒に入って怖がらせちゃったことも謝りたいしね」 「はいはい、分かりましたよ。僕も真面目に資料と格闘しますよ」 アイバーは大袈裟に肩をすくめて資料の束を掴んだ。 やっと雑音が消えたので、ウエディは鷹揚に頷いてじっくりと資料を読み始めた。これがすんだら絶対にLの大切な彼女を紹介してもらおう。その時が今から楽しみだった。 |
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