ニッポンの夏

 それはひときわ暑い夏のある日。
 エアコンのおかげで快適な温度に保たれた捜査本部には、今は竜崎・松田・相沢の3人しか人がいない。夜神親子が自ら言い出して別の場所に拘束され、ワタリは彼らの管理、模木は警察庁に詰めっぱなしだからだ。
 監視役は私一人で十分ですし、お二人は気分転換に外出でもして来たらどうですか。
 そんな竜崎の申し出に正直松田はほっとした。3人の監視が大切なのは分かっていたが、同時に退屈でたまらなかったのだ。
 二人は竜崎の好意に素直に甘えることにして、しばらく息抜きに出ることにした。 

 捜査本部に戻って来た松田は、急ぎ足でキッチンに入り買い物袋の中身を冷凍庫に詰め込んだ。50円や100円で売っているソーダバーやカップ入りのかき氷。高級嗜好の竜崎には眉を潜められそうな品揃えだったが、このチープさが松田は好きだった。
 溶けてしまうものを片付けて、さて…と松田はもう一つの紙袋に目をやった。ふらりと立ち寄ったデパートで懐かしいものを見つけてしまい、つい買い求めてしまったのだ。
 …朝顔柄の団扇、豚の形の蚊取り線香入れ、そして甚平、である。
 ニッポンの夏を象徴するようなその服を松田は2着買い求めてしまった。…もしここで甚平を着て団扇をパタパタしながらソーダバーを齧っていたら…相沢さんは怒るだろうな。竜崎にいたっては冷たい目で一瞥してそのまま無視しそうだ。
 松田は買い物袋をとりあえず部屋の隅に置いて竜崎の姿を探した。

(あれ…?)

 いない。竜崎がいない。
 月とミサを監視したモニタの前の椅子はからっぽだ。キッチンはさっき見た。隣の部屋にもいない。念のためベッドルームも一つ一つみたがどこにもいない。
 あの竜崎が監視をほったらかして出かけるはずがない。うっかりベランダにでも出て落ちたんだろうか。それとも急に誰かに呼び出されたんだろうか。
 松田は部屋から部屋を回りながら叫んだ。

「竜崎!竜崎、どこですか!聞こえたら返事して下さい!竜崎!!」
「…どうしたんです」

 声は意外な場所から聞こえた。
 振り返ると、竜崎がバスルームに通じる脱衣所の入り口に立って松田を見ていた。真っ黒な髪はぐしょぐしょに濡れて雫がポタポタ落ちている。
 裸で出て来た竜崎に松田は一瞬焦り、腰にタオルをまいているのを見てほっとして、男同士なのに何を焦ってるんだと恥ずかしくなった。
 松田が表情を変えるだけで何も言わないので、竜崎は首を傾げてみせた。

「あ…すいません。買い物から帰ったら竜崎の姿が見えなくて、何かあったのかと思って」
「手が滑ってコーヒーを零してしまいまして。服をクリーニングに出すついでにお風呂に入ってました。身体がさっぱりすれば頭もすっきりします」
「ああ、なるほど」

 ならいいんです。
 松田がモニタルームに戻ろうとすると、竜崎がペタペタと近付いて来た。やおら松田のスーツを掴んでくんくんと匂いをかぎ出す。

「な…何です?」
「松田さん、今すぐお風呂に入って下さい。その間に服をクリーニングさせます」
「う…僕、汗臭いですか」
「多少」
「えと…今すぐってことは…竜崎と一緒に?」
「松田さんが気になるなら私はもう出ますが」
「いや、気にしませんよ。男同士ですしね」

 松田の返事に竜崎は軽く頷くと水滴をたらしながらバスルームに戻っていった。
 この床…やっぱり僕が拭くのかな…。
 そうは思ったが『今すぐ』と言われたので松田は床の水滴は考えないことにしてバスルームに入った。

 

 捜査本部になっているホテルの部屋についている風呂は松田のアパートとは比べ物にならないほど広い。多分ちょっとした温泉くらいのスペースはあるだろう。
 両手両足を一杯に伸ばすとたまらなく気持ちがいい。隣につかっている竜崎は相変わらず膝を抱えるいつものポーズだったが。
 …松田は何の気なしに両手を組み、指の間からびゅっと水を飛ばした。子供の頃はお風呂に入るたびによくやったけど、教えてくれたおじいちゃんが亡くなってからはあんまりしなくなったな。
 そんなことを思いながら水を飛ばしていると、竜崎がじーっと松田の水鉄砲を見ていることに気が付いた。

「どうしました?」
「それ、どうやって水を飛ばすんですか?」
「え…竜崎、やったことないんですか?」
「ええ、ありません」
「日本の男の子はたいていお父さんとかおじいさんから教わるんですけどね」

 言いながら松田は手の組み方と水の飛ばし方を竜崎に教えた。竜崎に何かを教えられる経験は有るが、逆に教えるのはこれが初めてだ。松田はちょっと嬉しくなっていた。
 竜崎はすぐコツを掴んでしまい、あっという間にレクチャーが終わったのは少し残念だったけど。

「修学旅行とかでは、友達の顔に水を飛ばしたりして遊ぶんですよ」
「こう、ですか」

 びゅっ!
 竜崎の水鉄砲が松田の顔を直撃した。

「はい、そうです…うひゃ!僕にかけないでください、僕に!」
「松田さんにかけずに誰にかけるんですか」

 困る松田の様子が面白いのか、竜崎は容赦なく水を飛ばして来る。仮にも相手は上司、と松田は水をかけられるまま我慢していたが、さすがに鼻の穴に水が入った時は反撃に出た。
 髪を洗ったわけでもないのに二人とも髪がぐしょぐしょになった頃、いい加減水鉄砲に飽きた松田は別の遊びを教えることにした。
 濡れたタオルにせっけんを薄く塗り、それをせっけんのケースに被せて端っこからふっと息を吹き入れる。すると、タオルの上にシャボン玉がたくさんできるのだ。
 竜崎はこれも初めてらしく、飽きもせずにシャボン玉を作っていた。その子供っぽい姿に思わず笑みを浮かべながら松田はぼんやりと思った。

(今はこうやって遊んでるけど、お風呂から出たらまた二人の監視に戻るんだろうな。夕べもろくに寝ていないはずなのに…)

 キラ事件の捜査は大事だけど、息抜きだって大事だよな。
 一瞬でそう結論付けて松田は竜崎に声をかけた。

「竜崎。お風呂から上がったら、僕と一緒にニッポンの夏を堪能してみませんか」
「日本の夏?」
「ええ、そうです。この部屋で味わえるニッポンの、庶民の夏です」
「…面白そうですね」

 タオルにせっけんを塗る手を止めて、竜崎はこくりと頷いた。

 

 それから1時間ほどして帰って来た相沢は信じられないものを見た。
 開けっ放しの窓。そよそよ動く扇風機。ゆらゆらと煙を吐き出す蚊取り線香の豚。テーブルに散らばったアイスバーの『あたり』の棒やかき氷のカップ、安っぽい木のスプーン。床に置かれた朝顔柄の団扇。
 そして。
 床に布団をしいて甚平姿で昼寝をしている松田と竜崎の姿。
 …今年の日本の夏はひときわ暑い。


END


 
デスノ部屋
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