眠れぬ夜に

 松田は整理が終わった資料を種類別にクリップで留めて封筒に入れた。…これで今日終わらせなくてはいけない仕事はとりあえず終わりだ。
 情報漏洩を防止するため全ての捜査資料は紙媒体になっている。それはとても有効な方法なのだが、ホテルを移動するたびに紛失がないか確認して整理するの はかなり大変な作業だった。だから、年も若く階級も一番低い、ついでに頭の回転もやや遅い松田が担当者にされたのはごく当然の結果だったと言える。最初は いつまでたっても片付かない紙の山に泣きたくなったものだが、最近は数時間で作業が終わるようになっていた。

「んっ、んんーーーーっ」

 松田はソファから立ち上がって思いっきり背伸びをした。ふと時計を見るとそろそろ日付けが変わる時間になっていた。
 竜崎はと見ると、彼は松田が作業を始めた時と同じ格好で監視カメラの画像に見入っていた。膝を抱えたいつものポーズで豪華な椅子に身体を預けて。

「竜崎、こちらは一段落したのでお茶でもいれましょうか」

 …返事はなかったが、松田は構わずお茶の準備を始めた。竜崎が何かに没頭している時は、話し掛けても返事をしないのはいつものことだ。いちいち気にしていたら彼の下では働いていられない。
 それにしても熱心だなぁ。
 松田がちらりと竜崎の後ろ姿に目を向けた瞬間、彼の頭が突然ガクンと前のめりに傾いだ!!

「!!!???」

 松田は声も出ないほど驚いた。
 竜崎が…死んでる!?
 そんな考えが頭をよぎった。推理ドラマでよくあるじゃないか、死体を椅子に乗せておくという展開が。誰が竜崎を殺したんだろう?やはりキラか?それとも、最近の無理がたたって過労死でもしたんだろうか。だからたまには休んでくれと言ったのに!
 ティーカップとポットを持ったまま松田はオロオロとテーブルの回りを歩き回った。
 どうしてこんな時に限ってワタリも局長も相沢もいないんだろう。

(どうしよう、どうしよう)

 まずは誰かに連絡を取って指示を仰ぐべきだろうか。いや、まだ死んだと決まったわけじゃないから救急車を呼ぶのが先だろうか。それともホテルの従業員を 呼ぶべきだろうか。待て待て、竜崎の正体が一般人にばれるのはまずい。ここは自分が竜崎の生死を確認してから局長かワタリに連絡を取って指示を仰ぐのが妥 当だろう。
 混乱した頭でそこまで考えた松田は、おそるおそる竜崎の顔を覗き込んだ。

「…竜崎…?」

 目を閉じている。唇は薄く開いたままだ。顔色は…いつも通り青白い。
 松田はそっと竜崎の口元に手をかざした。呼吸はしている。そっと細い手首をとって脈を見ると、ちゃんと打っている。
 ということは、つまり。
 …寝てる?
 安心すると同時に緊張が一気にとけて、松田はへなへなとその場に座り込んでしまった。
 考えてみれば、竜崎も人間なのだから眠って当たり前だ。余りにも色々な面で常人離れしているから、寝ているところを全く見ないのもあまり不思議に感じなかったけれど。
 床にへたり込んだまま、松田は竜崎の寝顔を見上げた。まだうっすらと幼さが残る顔には濃い疲労が見えた。

(僕達が思っている以上に竜崎には負担がかかっていたんだなぁ…)
(ひょっとしたら僕より若いかも知れないのに、キラ事件の総責任者なんて立場にいて、捜査の指揮を取って)
(世界警察はキラを恐れてろくに協力してくれない。それどころか、偽キラの一件の時は竜崎を生け贄にしようとした。この人無しでキラが捕まるはずがないのに)
(世間だってそうだ。Lは無能だとか馬鹿だとか好き勝手な事を言って、FBIや刑事達が死んだのはLのせいだなんてバッシングして…この人がどんな思いでいるか知りもしないで)
(相手が相手だ、捜査だって難航する)
(でも竜崎は文句も言わず、泣き言も吐かず、八つ当たりも釈明も説明も抗議もしないでこうやって捜査を続けてる…)
(偉い人だなぁ…)

 せめて今夜だけでもゆっくり眠らせてあげよう。
 竜崎を起こさないように静かにその場を立ち去ろうとして、やっと彼は根本的な問題に思い当たった。

(いくら春だといっても、ソファの上なんかで寝てたら風邪をひくよなぁ)

 なにせ普段はお菓子しか口にしない人だ。丈夫で健康な身体をしているとはとても思えない。
 ベッドで寝てもらうのが一番いいのだろうけど、『風邪をひくからベッドで休んで下さい』と言ったところで素直に聞いてくれるとは思えない。この人のこと だ、『目を閉じて考え事をしていただけです』と言って意地でも起きていそうだ。起こさないようにそっと運んでもいいのだが、途中で起きてしまったらもっと 面倒な事になりそうだ。かといってこのまま放っておくわけにも行かないし…毛布だけでもかけておこうか。でも椅子から転がり落ちでもされたら後味が悪い。
 さんざん迷ってから、松田はワタリに連絡を取る事にした。彼ならうまい対応方法を教えてくれるだろう。

「夜分遅くすいません。ちょっと困った事態になってまして…」
『構いませんよ。どうされました?』
「あの…実は竜崎がソファの上で座ったまま寝てしまって…」

 かくかくしかじか、と事情を説明すると、ワタリの穏やかな声が返ってきた。

『それでは…椅子の上で寝ていた事には触れないで、適当な理由をつけてベッドルームまで竜崎を連れていって下さい。捜査資料を持ってきますのでここで待っていて下さい、とでも言えばよろしいでしょう。多分そこで寝ると思います』
「分かりました、やってみます」

 松田は携帯を切って竜崎に近付いた。その肩をそっと揺すって声をかける。

「竜崎。準備ができましたよ」
「…………。ああ、松田さん…準備、ですか…?」

 竜崎がぼんやりとした目で松田を見た。まだ半分寝ている状態で、自分がビデオを見ながら寝てしまった事にも気付いていないようだ。竜崎が完全に目を覚まさないように気をつけながら、松田は彼をソファから降ろした。

「そうです。こちらに用意してあります」
「…そうですか、ありがとうございます…」

 何の準備だと聞かれたらどうしようと思っていたのだが、眠たくてそこまで頭が回らないようだった。竜崎は危なっかしい足取りで立ち上がった。
 松田は今にも倒れそうな竜崎を支えてベッドルームに向かった。豪華なベッドに竜崎を座らせると、彼は身体をぐらぐら揺らしながら松田を見上げた。

「…松田…さん……準備って、なんです…か…」
「あー…すいません、資料を忘れてきちゃったので取ってきます。ちょっと待っててもらえますか」
「わかり…ま…した…」

 松田は部屋を出て、5分ほど暇を潰してからポットとティーセットを持って部屋に戻った。
 まだ起きたまま待っていたらどうしよう、と思いながら恐る恐るドアをあけると、竜崎は羽根枕を抱えるようにして眠っていた。
 …よかった。このまま朝まで眠ってくれればかなり疲れはとれるだろう。
 松田は毛布をそっと竜崎にかけた。ポットとティーカップはサイドテーブルに置いて、音を立てないように部屋を出た。
 竜崎が見ていたビデオは最初まで巻き戻して、まだ見ていないビデオの山の一番上に置いた。何だかとてもいい事をしたような気がして妙に嬉しかった。
 松田は鼻歌を歌いながら宿泊用の部屋に向かった。普段は上司の竜崎に気兼ねしてなかなか熟睡できないのだが、今夜はゆっくり眠れそうだった。



 翌朝。
 気分爽快で目覚めた松田が身支度を整えて部屋を出ると、すでに竜崎がいつもの椅子に座っていた。テーブルの上にはスコーンにトースト、スクランブルエッグ、ソーセージ、サラダという朝食が手付かずで並んでいる。
 どうやら松田が起きてくるのを待っていてくれたらしい。竜崎より先に起きて待っているつもりだったのに、いきなり恐縮するハメになってしまった。

「お…おはようございます!」
「おはようございます、松田さん。夕べは良く眠れましたか」
「はい、おかげさまで…。竜崎、もう起きてたんですか」
「…はい」

 少し間を置いて竜崎は答えた。
 おずおずと松田が椅子に座ると、竜崎はティーカップにポットのお湯を注いで紅茶をいれた。そんな事僕がするのに…と腰を浮かした松田の前に、世界警察のトップ自らがいれてくれた紅茶が出された。
 せっかくいれてもらったのだから断るのも悪いだろう。ありがたく紅茶を飲みながら松田はそっと竜崎を観察した。心無しか昨日よりは顔色がいいようだ。一晩ぐっすりと眠ったおかげだろうか。
 竜崎は相変わらず口数少なめのまま、スコーンにたっぷりとジャムを塗っている。
 そんなに塗ったらジャムの味しかしないんじゃないかな。
 松田がそんな事を考えながらトーストとバターを皿に取っていると、不意に竜崎が松田を見た。

「ところで松田さん、一つお伺いしたいのですが」
「はい?」
「昨日、松田さんが寝ようとした時に私はどうしていましたか?」
「えっ…、昨日、ですか」

 どうして今日に限ってそんなこと聞くんだ、この人は!
 椅子の上で寝ていたからベッドに連れて行きました、などと言ったら竜崎の機嫌を損ねそうだ。松田は内心かなり焦っていたが、できるだけ自然な表情で無難な答えを返すことにした。

「青山のビデオをチェックしていましたよ」
「…私は、松田さんの就寝の挨拶を聞いてないような気がするのですが」
「声は、かけましたよ。でも返事はなかったみたいですけど」
「…………」

 竜崎は松田の答えに釈然としていないようだった。ジャム山盛りのスコーンを齧りながら、しきりにフォークでウィンナーを転がしている。
 竜崎、ウィンナーは嫌いなんだろうか。だったらベーコンかハムにしてもらえばよかったのに。
 ウィンナー大好きな松田がそんなことを考えていると、ふっと竜崎が手を止めて松田を見た。パカッと開いた底なし沼のような目に、隠し事が人一倍下手な自分の顔が映っている。何か言えば墓穴を掘ると分かっていたが、松田は聞かずにいられなかった。

「あの…何かおかしなことでも?」
「松田さん、さっき言いましたよね。『竜崎、もう起きてたんですか』って」
「…?はい、言いましたけど」
「私より先に寝たはずの松田さんが、どうして私が寝た事を知ってるんですか?」
「…………」

 あっさりと嘘がばれてギクリとした松田は、トーストにバターを塗っていた手を不自然に止めてしまった。
 相当眠そうだったから覚えてないだろうと思ってたのに…。いや、椅子の上でビデオのチェックをしていたはずなのに、目が覚めたらベッドの上にいたらおか しいと思うのが当たり前か。そもそも竜崎に隠し事をしようと言うのが無茶なんだ。ここは素直に謝った方がいい。ひょっとしたら僕は余計な事をしてしまった のかもしれないし…。
 何と言うべきかと松田が口をモゴモゴさせていると、竜崎が自分の皿のウィンナーをフォークで転がして松田の皿に移し始めた。
 全く脈絡のない竜崎の行動に松田はただ唖然としていた。

「松田さん、ウィンナー好きでしょう」
「え?ええ、好きですけど…」
「では、どうぞ」
「???」

 さっきの質問とこのウィンナーはどこでどう繋がるんだろう。確かに僕はウィンナーが大好きだけど。
 その行動の意味が分からず固まっていると、竜崎がちらりと上目遣いに松田を見た。

「口止め料としては安すぎますか」
「口止め料??」
「はい」

 松田はあまり回転の早くない脳を必死で動かした。
 『口止め料』ということは、『ウィンナーをあげるから黙っていてくれ』ということだ。竜崎が僕に黙っていてほしい事と言うと、一つしか思い付かない。

「ひょっとして…竜崎が昨日椅子の上で寝てしまって、僕にベッドルームまで運んでもらったことを誰にも言わないでくれってことですか?」
「……………」

 竜崎がなんとも言えない恨めしそうな顔で松田を見た。どうやら当たりだったらしい。
 その子供じみた仕種がおかしくて、松田は思わず笑ってしまった。

「分かりました、昨日のことは誰にも言いません。これで買収されますよ」
「約束ですよ」
「はい!男同士の秘密ってやつですね!」

 それはちょっと違うような…と呟く竜崎の声はあっさりと松田の耳を素通りした。
 大満足でウィンナーを齧っていた松田は、スクランブルエッグを口に運ぶ竜崎を見てあれっと思った。捜査本部に泊まり込んで竜崎と一緒に朝食を取るのは良 くある事だが、食事らしい食事を口にする彼を見るのは珍しい。普段はホットケーキやフレンチトーストを少しつまめばいい方で、大量に砂糖をいれたコーヒー や紅茶で済ます日が大半だ。卵やウィンナーを口にしているのを見るのは初めてかもしれない。
 遅々として進まない捜査に責任を感じて、睡眠もろくに取らずに無理を続けていれば、食事も喉を通らなくて当たり前だ。刑事達は交代で休んでいるのだか ら、誰かが起きて仕事をしていても遠慮なくベッドで寝てくれればいいのだが…そんなことを意地っ張りのこの人が聞いてくれるとは思えない。
 …しばらく考えた後、松田はおもむろにデザートのプリンを竜崎に差し出した。柔らかい卵を口に運んでいた竜崎があからさまに不審そうな顔になった。

「何ですか?」
「竜崎、プリンは好きでしたよね」
「好きですけど……」
「じゃあ、どうぞ」
「…何が目的です?」

 胡散腐そうな目を向ける竜崎に、松田は満面の笑みを見せた。

「僕が泊まりの当番の時は、必ずベッドで休むって、約束して下さい」
「しかし、捜査が」
「約束してくれないと、昨日のことを皆にばらします」
「……私を脅迫する気ですか」
「いいえ」

 松田はしれっと答えた。

「プリンで買収する気です」
「…………………」

 竜崎は複雑な顔で松田を睨んでいたが、不承不承プリンを受け取った。
 良かった、少なくともこれで3日に1回は竜崎はきちんとベッドで休んでくれる。
 大満足の面持ちで食事を続ける松田を横目でみながらプリンを口にする竜崎はさほど不機嫌でもなさそうだった。
 窓から差し込む朝の光は明るく爽やかで。 
 …また、長い1日が始まる。


END


 
デスノ部屋
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