| これから伺いたいのですが御都合はよろしいですか。 そんな電話が秋乃からあったのは20分ほど前のこと。特にすることもなくホテルでぼけっとしていた竜崎は、話し相手ができると喜んで彼女を呼んだ。 秋乃と話すのはなかなか楽しい。店の運営が軌道に乗り、彼女は前にも増していきいきと輝いている。そんな人間を見ていて楽しいと思う心が自分にもあったことに多少意外な気がしないでもなかったが、決して不快ではなかった。 だから、彼女の訪問を知らせるベルが鳴った時、竜崎はワタリよりも先に出迎えに出たのだった。 「こんにちわ」 「こんにちわ、秋乃さん」 部屋に入った秋乃は、きれいにラッピングされた箱を竜崎に差し出した。受け取った竜崎に恥ずかしそうな笑顔を見せる。 「竜崎さんのために作って来ました」 「…ああ、そう言えば今日はバレンタインデーでしたっけ」 竜崎の言葉に秋乃は嬉しそうに頷いた。 バレンタインデー。欧米では恋人同士のプレゼント交換がメインだが、日本では女性から男性への好意や感謝の意を表すチョコを贈るイベントの日。噂では手作りチョコに勝負をかける女性もいるとか。竜崎のバレンタインへの認識はそんな感じだった。 竜崎は渡された包み…多分中身はチョコだろう…をしげしげと眺めた。 「これは、やはりバレンタインのチョコですか」 「はい、そうです」 「…秋乃さん、当日になってからバレンタイン用のチョコの試作品を持って来てもあまり意味がないように思いますが…それともこれは来年の試作品ですか?」 「………え?」 竜崎の言葉に秋乃は目を丸くしていたが。 その言葉が冗談ではないと分かると、明らかに怒っている顔になった。 「そのチョコは試作品なんかじゃありません!!」 「え?じゃあ何です?」 「もう結構です!失礼します!!」 バッターン!!! あっけに取られる竜崎の鼻先でドアが乱暴に閉められた。残された竜崎はただ呆然とするばかりだ。 何がなんだか分からない…。 チョコを受け取ったポーズのまま固まっていると、隣にいたワタリが浅くため息を付く気配があった。 「ワタリ…私は秋乃さんに何かまずいことを言ったか?」 「はい、恐らく」 「私は当日になって試作品を持ってくるのでは遅いのでは、と言っただけだが…。秋乃さんは試作品ではないと言ってはいたが、どういうことだ?」 「それはつまり、秋乃さんが一人の女性として、一人の男性としての竜崎に差し上げたバレンタインのチョコだったのでは、と思いますが。パティシエがオーナーに試食してもらうチョコではなく」 「……………」 竜崎はチョコの包みをまじまじと見つめ、無言で包み紙をはがした。ひらり、とメッセージカードが落ちる。 『竜崎さんへ。 いつもお世話になっています。日頃の感謝を込めて、愛する竜崎さんにオリジナルチョコを作りました。気に入っていただけたらとても嬉しいです。 秋乃』 愛する竜崎さんに。 甘い言葉が添えられて丁寧に詰め合わされたチョコは、確かに店で出すようなレベルの物ではなかった。 竜崎はメッセージカードとチョコを交互に見て、そーっとワタリを見た。 「ワタリ…ひょっとして私は、相当まずい対応をしたか?」 「秋乃さんはひどく御立腹でしたね」 「…やはり、謝った方がいいか?」 「御自分に非があると思われるのなら、素直に謝罪されるべきかと存じます」 「………そうか」 竜崎は携帯を取り出して秋乃に電話をかけたが、数回のコールの後留守番電話サービスに繋がってしまった。 車の運転中かな。 竜崎はいったん電話を切り、チョコを口に入れた。日本人向けにしては甘味が強い。竜崎の好みを知り尽くした彼女ならではの味だった。 …20分後、もう店にはついているだろうともう一度電話を入れたが、やはり留守番電話だった。 「繋がらないな。そんなに店が忙しいんだろうか」 「あるいは、電話にも出たくないほど御立腹なのかもしれませんね」 「…………」 竜崎はちらりとワタリを見て、滅多に出さないメールを出しておくことにした。 『秋乃さんへ。先ほどは失礼なことを言って申し訳ありませんでした。チョコ、とてもおいしかったです。また食べさせて下さい』 …今か今かと待っていたが、返事が来たのは夜遅くなってからだった。 『分かりました』 と、たった一言だけ。 相当怒っているらしい、ということは竜崎にも分かった。が、ここから何をどうすれば秋乃が怒りを静めてくれるのか全く分からず、竜崎は途方にくれてしまった。 翌日。 竜崎は秋乃の店にケーキの宅配を頼んだが、届けに来たのは秋乃ではなく店の従業員だった。ここで顔を見て謝ろうという竜崎のもくろみはあっさり崩れてしまった。 「秋乃さんは、手が離せないほど忙しいんですか」 「表向きの理由はそうですけど…オーナー、いきなり『試作品ですか』のセリフはまずいですよ」 「…彼女、何か言ってましたか」 「すっごい怒ってましたよー。『どうして男ってデリカシーがなくて鈍くて無神経なの!』って」 「耳が痛いですね」 店員は心底困った顔をしていたが、それ以上に竜崎も困っていた。 素直に悪かったと認めて謝ろうとしているのに、それすら受け付けて貰えない状況で一体どうしろと。 「…どうしたものですかね」 「もう少し時間が立てば店長の怒りもおさまるんじゃないですか?私からも、オーナーが謝ってたことは伝えておきますし」 「よろしくお願いします」 「オーナー、チャンスはホワイトデーですよ。がんばってください!」 そう力強く言い残して店員は部屋を出ていった。 部屋に戻った竜崎はケーキを食べながらパソコンの電源を入れた。 ホワイトデー。それは日本独自の文化であり、バレンタインにチョコを貰った男性がお返しをする日らしい。バレンタインに告白をした女性にとっては『結果発表』の日であるわけだ。 竜崎はこの手のイベントには全く興味がなかったが、今回ばかりは真面目に調べた。ホテルに宝石商まで呼びつけ、秋乃の店の店員も同席させて彼女が好きそうなアクセサリーを選んだ。(店員には手ごろなアクセサリーをあげて口止めした) そしてホワイトデーの前日。竜崎は秋乃にメールを出した。 『秋乃さん。 明日の夜、一緒に食事に行きませんか。チョコのお返しを用意して待っています。 竜崎』 …この一ヶ月、出したメールは無視されるか事務的な返事が翌日に届いていたのに、今回はほどなくして返事が来た。 『はい。喜んで伺います。 秋乃』 喜んで。 その一言が竜崎の心を一気に軽くしてくれた。 翌日。 さすがにいつもの服装でホテルのディナーはまずいだろうと、竜崎は黒のシャツと黒のジーンズで秋乃を待っていた。 「竜崎。秋乃さんがお見えです」 「ん」 竜崎は用意していたプレゼントを持って立ち上がった。 秋乃は普段よりちょっとおしゃれをした程度の服だったが、すっきりと髪を結っているせいで、普段とは印象が違って見えた。 竜崎の顔を見ると、秋乃は普段と同じ砂糖菓子が溶けるような笑顔を見せた。これ以上バレンタインの失態を怒るつもりはないらしい。 竜崎は素直にぺこりと頭を下げた。 「一ヶ月前はすいませんでした。無神経なことを言って」 「正直ショックでした」 「…すいません」 「でも、私も意地になってました。こちらこそごめんなさい」 「いいんです。…それで…これを、秋乃さんに」 竜崎がプレゼントを差し出すと、秋乃は顔を輝かせて受け取った。 「わぁ…ありがとうございます。開けてもいいですか?」 「どうぞ」 包みを開けた秋乃は目を丸くした。 秋乃の誕生石のサファイアが花の形になっているネックレスだった。決して大きな石ではなかったけれど、それは秋乃に負担をかけないようにという竜崎の心遣いだと分かった。 「気に入っていただけたら嬉しいのですが」 「嬉しくないわけないじゃないですか、竜崎さんのプレゼントなのに」 秋乃は貰ったばかりのネックレスを付けた。両手で包み込んで、本当に嬉しそうに微笑んでいる。 その姿に、プレゼントを贈った側の竜崎も嬉しくなった。 「…秋乃さん」 「はい?」 「今回は無神経なことを言って不快にさせてしまいましたが、来年もまたチョコを頂けますか?」 「はい。来年も竜崎さんのお側にいられたら喜んで」 「間違いなくいますよ。私はもう、秋乃さん…の作るお菓子無しでは生きられませんから」 「…嬉しい」 秋乃は花が綻ぶように微笑んだ。 次は必ず、彼女の目の前でチョコの包みを開けて、とてもおいしいですと言って食べよう。彼女が自分にそうしてくれたように。 そうしたら彼女はどんな笑顔を見せてくれるだろうか。 気が早いと思いながら、竜崎は来年のバレンタインが楽しみでたまらなくなっていた。 |
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