あの人を。

 ノブを握って回してみたけど、やっぱりドアは開かなかった。
 目の前に『CLOSED』の札が下がっているから開かなくて当たり前なんだけど、でも、開かないのを確認したかったと言うか。
 ガラス越しに見える店内はとてもきれいで、余計なものは何もなくて。ケーキが一つもない陳列ケースすら当たり前のように見えて、秋乃さんは、ここにはいない。

「どうしちゃったんだろう、秋野さん」

 店の中を見つめたまま振り返りもしない僕に、隣に立った月君がそっと呟いた。僕が黙っていると、遠慮がちに彼は続けた。

「ねぇ、松田さんは秋野さんがどこに住んでるか知ってますか?」
「知らないけど…どうして?」
「だって、携帯も繋がらないんでしょう?もし秋野さんがショックで寝込んでるようだったら様子を見にいかないと…」

 優しいね、月君。
 僕が秋乃さんに片思いしてたことを知っているから、『ショックで寝込んでるかも』なんて言ってくれる。
 でもね、月君。
 僕は本気で秋乃さんが好きだったから、君よりずっと好きだったから、分かる。
 僕は知ってる。

「もし秋乃さんがどこに住んでるか知ってたとしても、きっと僕は行かないと思うよ」
「…何故?」
「行っても秋乃さんがそこにはいないって、分かってるからかな」

 僕は月君を振り返った。月君は不思議そうな顔をしている。きっと、僕が笑っているからだろう。

「月君も知ってるだろう?秋乃さんが時々『私は竜崎さんの行くところならどこにでもついて行きます。たとえそれが、この世でない世界だったとしても』って言ってたこと」
「…はい」
「秋乃さんはね、その言葉を当たり前のことみたいに言うんだよ。『雨が降って来たら傘をさします』って言うみたいに、簡単に」

 目頭が熱くなって来た。
 月君が心配そうな顔になったから、僕は何度もまばたきして涙をごまかした。
 彼の前で泣くわけには行かない。

「分かる?秋乃さんにとって竜崎を追っていくことは、雨が降ってきたら傘をさすのと同じくらい簡単で、当たり前のことなんだ。追った先がこの世じゃなかったとしてもね」
「………」
「だからきっと、秋乃さんの部屋に行っても彼女はいないよ」
「……竜崎が、キラに殺されたから?」

 僕は答えなかった。
 竜崎は、Lは、僕達の前からいなくなってしまった。
 目を閉じて、何かを考えているような顔をして、遠いところに行ってしまった。
 捜査本部のみんなはこのことを秋乃さんに知らせるべきかどうか相談していたけど、僕はどっちでもいいと思ってた。
 だって、きっと、竜崎自身が知らせに行くと思ったから。
 一緒に来て下さい、と頼みにいくだろうって分かってたから。

「帰ろうか、月君」
「……松田さん」

 何かをじっと考えていた月君が、真剣な表情で口を開いた。僕はワンテンポ遅れて振り返った。

「何?」
「僕は、キラです」
「…知ってたよ。ずっと前から」

 僕の言葉に月君は目を丸くした。
 何だい?僕は、そんなに君を驚かすようなことを言ったかい?

「どう、いう…」
「だって、竜崎が言ってたから。『月君がキラです』って、あの人は最後まで、そう言ってたから」
「竜崎が僕をキラだって言ったから、松田さんは僕がキラだと思ってるって、そういうことですか?」
「うん。僕だって竜崎を信じていたから。きっと、秋乃さんが竜崎を信じてたのと同じくらいね」
「じゃあなんで、竜崎が僕をキラだと言っていた時に賛成しなかったんですか。『月君はキラじゃない』って竜崎によく抗議してたじゃないですか」
「だって、月君がキラじゃないといいなぁって思ってたから」
「………」
「竜崎が月君を友達だって言ったから。初めての友達がキラなんてあんまりだろう?だから、竜崎が『月君はキラじゃない』と言ってほしくて。月君にはずっと竜崎の友達でいてほしくて」

 月君は目を見開き、凍り付いたように立ちすくんで、すっと目を細めた。
 捜査本部で時々ちらりと見えた、あの目。
 月君は…キラは、死神のような目で低い声を出した。

「じゃあ、松田さんは、僕が怖くないんですか」
「ん?」
「僕がキラだと思うなら、殺されるかもしれないと思わないんですか」
「思わないなー」
「どうして」
「だって月君には僕を殺す理由なんてないだろう?『月君が、僕はキラです、って言ってました』って僕が言ったって誰も信じないし、証拠だってないんだから」
「それはそうだけど」
「理由なく僕を殺すなら、君はもう正義の味方じゃない。キラが裁いてきた犯罪者と同じだよ。それでも構わないなら殺せばいい。僕を殺したところでどうにもならないと思うけどね」

 そういって僕は笑ったけど、月君は唇を引き結んで僕を睨んでいた。秋乃さんのためにと用意して来た花束を掴んだまま。
 それからね、と僕は続けた。

「竜崎も秋乃さんもどこかに行ってしまったけど、僕は、必ずまた会えるって思ってる」
「…あの二人が生きていると思うんですか」
「分からない。分からないけど、諦めてしまうより信じて待ってる方がずっといい」
「………」
「さぁ、そろそろ帰ろう。あんまりここで立ち話してても変に思われるよ」

 僕の声が聞こえたのか聞こえてないのか、月君はうつむいたままそこに立ち尽くしていた。
 月君。キラ。
 君が二人の生死を確かめる方法はもうない。君はこれからずっと、いつ帰って来るか分からないLの影に怯えて生きていくことになる。
 それが君の犯した罪に対する最大の罰。
 月君がついてこないのは知っていたけど、僕は構わずに歩き始めた。
 竜崎に会いたいな、と…不意に僕は、思った。
 あのどんぐりまなこで僕を見て、無表情なのに不機嫌に見える顔で、『松田の馬鹿』とか言ってほしい。

「……!」

 僕は一瞬我が目を疑った。
 好き放題に伸ばした黒い髪、白い長袖シャツ、ダボダボのジーンズ、踵の踏みつぶされたスニーカー。
 一瞬見えた人影はあっという間に人込みに紛れ、見えなくなる。
 もういてもたってもいられなくなり、その姿を追いかけて僕は走り出していた。


END


 
デスノ部屋
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