| よほど深刻な顔をしていたのだろうか。『捜査本部』のあるフロアへのエレベーターに乗った時、リュークが話し掛けてきた。 「ライト、Lの弱点を握れるかも知れないのにあんまり嬉しそうじゃないのな?」 「そうか?」 「眉間にしわが寄ってるぞ」 こーんな感じ、とリュークは顔を真似てみせた。必死に眉のあたりにしわを作ろうとする死神の姿は滑稽で、月は僅かに苦笑した。 「何か妙だな、と思ってね」 「?」 「竜崎だよ。最初は僕を『彼女』に会わせるのをあんなに渋ってたのに、しばらくしたらあっさり『紹介します』ときたからさ。何を企んでるんだ、と考えてた」 「誤解されたままでいるのが単純に嫌なんじゃねーの?」 「かもしれないけど。あいつのことだ、僕を『彼女』に会わせることが自分にとって何かメリットがあると判断したのかも知れない。…まぁ、名前さえ聞き出せばどうでもいいけどね」 はは、と笑って月は目的の部屋のドアをノックした。 「いらっしゃい!!」 「うわ!」 「うお!」 勢い良くドアが開いて、溢れんばかりの笑顔の松田…いや、松井が出て来たので、さすがの月も心臓が止まるほど驚いた。ついでにリュークも後ろで硬直している。 死神とキラを驚かせた当の本人は、月の顔を見ると明らかに落胆した顔になった。 「なんだ…月君か」 「『なんだ』って…」 むっとした月には気付かず、松井は深々とため息をついた。わざとらしくがっくりと肩を落としてぶつぶつ呟く。 「アキノさんが来たにしては早いなぁとは思ったけどさぁ…」 「秋野さん?」 「そう、秋乃さん」 松井はまた満面の笑みを浮かべて月を振り返った。 「いやもう彼女はこの世の奇跡だね。あんな素晴らしい女性には、僕は生まれてこのかた出会ったことがないよ。清楚、純情、可憐、美人でスタイルも抜群、頭も良くてお菓子の腕前は天才的なのに少しもそれを自慢しない」 「うっわー…思いっきりマイワールド突入してるな」 「あの…松井さん」 「ああ秋乃さん、僕の天使…」 「松井さん!その秋乃さんなんですけど!!」 放っておいたらどこまでもマイワールドを疾走して行きそうだったので、月はうっとりと語り続ける松井の言葉を遮った。 「うん、何?」 「その人が竜崎お抱えのパティシエの方?」 「ああ、そうだよ。彼女のケーキは本当にほっぺた落ちるほどおいしいから、期待してね。多分もうすぐ来ると思うから…あ、みんなはこっちで待ってるよ」 松井は『月君きましたよー』と言いながら応接間に行ってしまった。その秋野さんのフルネーム…できればどういう漢字を書くのかを聞き出したかったのだが、これでは無理だ。 まぁいいさ。名前を聞き出すチャンスなんていくらでもある…。 優等生風の微笑みを浮かべて応接間に入った月は、竜崎と刑事達がトランプで遊んでいるのを見てまた顔をこわばらせた。 「あ、月君いらっしゃい。早かったですね」 「何…やってんの…?」 「ババ抜きです」 「いやそうじゃなくてさ」 月は適当な椅子をテーブルの横まで引っ張ってくると、真剣な顔でカードを選んでいる竜崎の隣に腰を降ろした。 「ここはキラ事件の捜査本部だろう?トランプなんかで遊んでていいのか?」 「いつもいつも目を三角にして捜査をしていてもキラは捕まりません。たまには息抜きも大切です」 さんざん悩んで引いたカードはジョーカーだったが、竜崎は全く顔色を変えずに松井にカードを差し出した。松井も眉間にしわを寄せて悩みに悩んだ挙げ句、ジョーカーを引いてがっくりしている。 「秋乃さんが来る時は、軽く息抜きすることにしてるんです」 「その秋野さんなんだけど」 「はい?」 「清楚、純情、可憐、美人でスタイルも抜群、頭も良くてお菓子の腕前は天才的なのに少しもそれを自慢しない、天使のような奇跡の女性なのか?」 「………………なんですかその長い肩書きは」 「松井さんがそう言ってた」 ピン、ポーン。 竜崎が何か言おうとした時、部屋のチャイムが鳴った。松井は『秋乃さんだ!』と叫ぶなり持っていたカードを投げ出して行ってしまったので、みんなも一緒に出迎えに行くことにした。 …松井がドアを勢い良くあけると、どこか懐かしいようなお菓子の香りが月の鼻をくすぐった。 「秋乃さん、いらっしゃい!!」 「こんにちわ。ちょっと準備に手間取っちゃって、遅くなってごめんなさい」 「いいんですよ、ぜーんぜん!」 松井は嬉しそうにしながら女を部屋に入れた。 天使なんて大袈裟な、と思っていた月は、彼女の姿を見てわずかに息を飲んだ。美人と言うよりかわいいタイプ、柔らかな雰囲気や優しい笑顔は確かに天使という例えも納得できる。 彼女が持っていたクーラーバッグと紙袋を松井が受け取ると、竜崎が口を開いた。 「秋乃さん、こちらが以前お話した月君です」 「あ、竜崎さんの大学のお友達ですね」 「初めまして、朝日月です。『朝日が昇る』の朝日に、『月』という字を書いてライトと読みます」 「朝日ライトさん…素敵な名前ですね。私は竜崎さんのお店で働いています、秋乃と言います。どうぞよろしく」 そう言って彼女は軽く頭を下げた。名字だけを名乗って自己紹介は終わりらしい。 どんな漢字を書くのかどころかフルネームも名乗らないのか、この女は。 一瞬顔に出かけた不満を押し隠して、月もぺこりと頭を下げた。竜崎の目があるところでは、キラかと疑われるような行動は謹まなければ。彼女の名前を探るチャンスなんていくらでもあるんだから。 彼女はさっき松井に渡したクーラーバッグを開けて、生のパイらしきものを取り出した。竜崎が早速横から覗き込む。 「それはアップルパイですか?」 「はい。リクエストを頂いたから腕によりをかけて作ってきました。せっかく竜崎さんのお友達がいらしてくれたんですから、焼き立ての熱々のパイにアイスク リームを乗せて召し上がって頂こうと思って…。お口に合えばお土産に持っていってもらおうと思って、たくさん用意してきました」 言いながら彼女はオーブンを開けて庫内にさっと手を差し入れた。そうやって温度の確認をしているらしい。温度を調節すると、彼女はパイを3個オーブンに入れた。これでよし、と立ち上がると、待ってましたとばかりに松井が声をかけた。 「パイが焼けるまで、秋乃さんも一緒にトランプしましょうよ。もうさっきからずっと竜崎の一人勝ちでつまんないったら」 「松井さんが表情に出し過ぎるんですよ。もうバレバレです」 「竜崎の言う通り」 「次こそ勝ちますよ!ですから秋乃さんも一緒に遊びましょうよ」 「でも…お茶の準備をしないと」 「あ、お茶くらい僕が用意しますよ」 みんなと離れて一人になれるチャンスだと思い、月はすかさず申し出た。その言葉に彼女は目を丸くして、申し訳なさそうな顔になった。 「お客さまにお茶を用意させるなんて、そんな…」 「お土産を頂いたんですから、これくらいさせてください。僕、お茶をいれるのは結構うまいんですよ。ね、父さん?」 「そうだな。…秋乃さん、そのくらいは息子に任せて下さい。あなたばかり働いていられると何だか居心地が悪くなってしまう」 「…じゃあ、お言葉に甘えて。月さん、よろしくお願いします。パイがいい色に焼けてきたら呼んで下さいね」 「分かりました」 彼女を取り巻くように刑事達と竜崎が応接間に戻ると、月は父の袖を引っ張ってニヤリと笑った。 「あんなきれいな人が来てくれるなら、ここでの捜査も楽しみだね、父さん?」 「何を言ってるんだ」 私には母さんと粧裕がいるじゃないか、と父は苦笑した。 「でも嬉しそうだったよ?」 「秋乃さんが来ると、子供時代を思い出すんだ。母親の隣でホットケーキが焼けるのを待っていたような小さな頃のことをな。キラ事件キラ事件でピリピリして いる時に彼女が来ると空気が和むんだ。あの甘いお菓子の香りをかぎながらおいしいケーキを食べるとほっとするんだよ。だから彼女にはとても感謝している」 「へぇ…」 「ただし、彼女のことは母さんや粧裕にも秘密だぞ」 父は妙に真面目な顔で念を押した。まるで、捜査本部の秘密をこっそり教えたような態度だ。 たかかパティシエのことで何故? 不思議に思いながら月はお茶の道具を探し始めた。 ティーカップと紅茶を探しながら、月は軽く舌打ちした。やっと月と会話ができるようになったリュークが早速話し掛けてきた。 「なぁなぁライト、あの女フルネーム名乗らなかったな。Lから何か吹き込まれてたのか?」 「さぁね。…しかし、予想外の伏兵の出現だな」 「伏兵ってあの女のことか?」 「ああ。いくらお抱えパティシエとは言え、極秘捜査本部への出入りが許されている女だ、竜崎のお気に入りには間違いない。顔と名前を押さえておけば万が一の時の切り札になると思ったんだが…ある意味元FBIのあの女より厄介かもしれない」 「そっかー、竜崎の目があるところで名前を聞き出すのは危ないもんなー」 「違うよ」 やっとカップとソーサーを見つけてテーブルに乗せた月は静かに言った。不思議そうに目をぐるぐるさせるリュークに、自分の考えをまとめながら話す。 「キラ事件とも捜査本部とも関係ない一般人という言葉の意味、もっと深く考えるべきだった。竜崎が急に僕にあの女を会わせると言い出したのは、それが…僕がキラだとしたら、だが…抑止力になると判断したからだ」 「あの女を紹介すると、ライトがLとか捜査員達を殺しにくくなるってことか??」 「いいか、リューク」 月はティーセットを揃え終わるとリュークに向き直った。 「もし僕がここの捜査員達を皆殺しにしたらどうなると思う?」 「うーん…事件になるだろうな」 「そう、事件になってありとあらゆるマスコミで報道されるだろう。『キラ事件極秘捜査本部の刑事達全員がキラによって殺害される!』って、顔写真付きでな。それを見たあの女はどう思う?」 「『あ、私が出入りしてたホテルにいつもいた人達だ!』と思う。そして、普通の人間は知らないはずの捜査本部の人間が殺されたことで、本部の存在を知りつつ生き残った人間を…つまりライトを、疑う」 「そうだ。あの女は一般人だ。直接僕を問いつめるようなことはせず、警察に駆け込むだろう。いや、『キラは警察幹部の息子』という事実を握りつぶされることを恐れてマスコミにタレ込むかも知れない。そっちのほうが更に面倒だ」 「あ、でもさ。捜査員を殺す時に一緒にあの女も殺せばいいじゃないか。名前が聞きだせれば、だけど」 「分かってないな、リューク」 大袈裟にため息をついてリュークを見上げる。明らかにムッとしたリュークに噛んで含めるように月は説明を始めた。 「いいか、あの女は一般人だ。ここがキラ事件の極秘捜査本部になってるなんて知らないんだぞ」 「だから?」 「だから、家族や友達に話をしているかもしれない。ここでどんな人に会って、どんな話をしたか。最低でもヘッドハンティングされて『竜崎』という人間の店 で働くことになったことくらいは話してあるだろう。一応竜崎から口止めされているかも知れないが、日記くらいはつけているかも知れない」 「ははーん…本部の人間とあの女を一網打尽にしたところで、家族や友達がライトを疑うかも知れない。家族や友達もまとめて殺したところで、色々と調べられたらやはり最終的に警察がライトを疑う可能性がある…」 「そういうこと。だが、ものは考えようだ。あの女をうまく利用できれば、一気に僕が有利になる」 オーブンからパイが焼けるいい香りが流れてきた。月は急に落ち着くがなくなったリュークと一緒にオーブンの前に屈みこんだ。 「あの女が竜崎にヘッドハンティングされたのは1年前。父や捜査員達よりも付き合いは長いわけだから、彼らが知らない竜崎の秘密を知っているかも知れな い。ひょっとしたら本名も…。それに、竜崎のお気に入りみたいだから、あの女を利用して竜崎の個人情報を探ることもできる。そのためにはまず、あの女と親 しくならなくては」 「…親しく、ね」 「名前を聞き出すのは不自然だが、店の名前と場所を聞くのは全然不自然じゃない」 異性にもてると言うことを十分に意識したセリフへの皮肉はあっさりと無視されたが、いつものことなのでリュークは大して気にしなかった。月は薄い笑みを浮かべて続ける。 「口コミだけで大繁盛してるケーキ屋なら、店の名前で検索をかければネット上で簡単に情報が手に入る。店長の写真とプロフィールくらいのっているだろう。あとは足繁く通ってあの女の警戒心を解き、僕を信用させればいい…」 「そううまくいくか?あの女は極秘捜査本部への出入りを許されたLのお抱えパティシエだぞ?」 「そうかもしれないが…」 月はみんながキッチンに入ってくるのに気がついて慌てて口を噤んだ。オーブンの前にしゃがみ込んでいた彼に不思議そうな顔をした女に、そつの無い笑顔を見せて立ち上がる。 「あんまりいい匂いがするから思わず覗き込んでました。…もう焼けたんですか?」 「ええ、そろそろだと思います」 彼女はオーブンを覗き込むと真剣な顔になった。どこか幼い愛くるしさを残した綺麗な横顔が職人のそれになる。 バッチリです、と呟いて彼女はオーブンの蓋を開けた。ふわっとパイと林檎の香りが流れ出して鼻をくすぐる。おいしそう…という声がみんなから思わず漏れた。 ミトンをはめてパイを取り出した彼女は、慣れた手付きでパイ皿から取り出して皿に移した。 「月さん、お茶をお願いします。松井さん、冷凍庫のアイスクリームをだして下さいます?相原さん、冷蔵庫のケーキも出して下さいな」 三人は言われた通りに準備して応接室に戻った。夜神が取り皿とフォークを配り、竜崎は早速いつもの椅子に座って待っている。 みんなが席につくと、彼女は焼き立てのパイにナイフを入れた。 秋乃は4等分に切った一切れを竜崎の取り皿に乗せてから、残りを更に2つずつに切り分けてみんなの皿に乗せた。それぞれのパイの上にバニラアイスをすくって乗せると、とろりと溶けて林檎にアイスが絡まった。 「さぁ、熱いうちにどうぞ」 「頂きます!」 後ろで指をくわえているリュークに少し悪いと思いつつ、月は口一杯にパイを頬張った。冷たいアイスと熱々の林檎、パイの食感がたまらない。 「…おいしい!」 「もう最高!」 「いやはや、いつもながらさすがだな」 みんな口々に感想を言いながらパイを口に運んだ。月もしばらく情報を探ることは忘れて最高のお菓子を堪能することにした。キラ事件のことは話題にのぼらないので、お茶の時間は和やかなムードで流れていった。 あっという間にパイはなくなり、みんなケーキに手を伸ばし始めた。月も遠慮なくチーズケーキを取り皿に貰った。 シンプルなチーズケーキを口に含んで、あれっと思った。この味には覚えがある。多忙な父が珍しく帰宅した時、お土産に持ってきてくれたケーキがこれではなかったか。 「父さん、この間お土産に持ってきてくれたケーキって、ひょっとして秋野さんの?」 「ああ、そうだ。たまにしか帰らないのに手ぶらでは…と思ってな。いくつか分けてもらったんだ」 「粧裕が大喜びしてたなぁ」 …この話の流れなら不自然じゃない。 そう判断して、月はさりげなく彼女に尋ねた。 「こんなにおいしいケーキならまた食べたいな。今度はちゃんとお金を払いますから、お店の場所と名前、教えてもらえませんか?」 「あ…ごめんなさい、お店の名前も場所も秘密なんです」 彼女はとても申し訳なさそうな顔で答えた。 あっけに取られた月の後ろで、リュークがクククッと笑った。 月は彼女の言葉を頭の中で反芻した。『お店の名前も場所も秘密なんです』? 何を言ってるんだ、この女は。口コミで繁盛してるケーキ屋の店長が、オーナーの友人に対して『お店の名前も場所も秘密なんです』だって? 予想外の返事に月が絶句していると、父が口を開いた。 「竜崎との約束と彼女のポリシーで、例え竜崎の知り合いでもお店の場所や名前は教えないんだそうだ。私も初めて彼女のケーキを食べた時に同じ質問をしたが、同じように断られたよ。家に持っていったケーキは、お土産用として秋乃さんにここまで届けてもらったものだ」 「約束と、ポリシー?」 月はちらりと竜崎を見た。 彼女がフルネームを名乗らないのも、店の名前や場所を秘密にするのも全て竜崎の指示なのか。 その視線の意味を察したのか、竜崎はケーキを食べる手を止めた。 「私は、『必要以上に客が来ると商品やサービスの質を落とさなくてはならないから、マスコミの取材には応じないでくれ』と頼んだだけなんですけどね。秋乃さんがここまで徹底するとは思っていませんでした」 「パティシエとして妥協のない仕事がしたいというのが、私の夢でしたから」 だから、どうしてそれが店の名前も場所も言えないということになるんだ。 月は内心の苛々を表情に出さないようにしながら、その理由を聞くのはキラっぽいだろうかと考えていると。 「あれ…どうして秋乃さんはお店の名前と場所を秘密にしてるんでしたっけ?」 彼女を熱い眼差しで見ていた松井が月の気持ちを代弁するような質問をした。 その言葉に、父や相原、そして竜崎までもが『そう言えばどうしてだっけ』という顔になった。 自然に皆の視線は説明を求めるように彼女に集まった。注目を一身に集めた彼女は少し頬を染めて背筋を伸ばした。 「お客さまには、私が納得できるお菓子を自信を持ってお勧めしたい。私のパティシエとしての誇りであり、ポリシーです。オーナーである竜崎さんから『パ ティシエとして腕を磨く努力を怠らないこと』『お店の質を落とさないために不必要な集客はしないこと』という条件を出されたので、とことん自分のポリシー を貫こうと思ったんです。お店のスタッフも数人しかいませんから、お客さまが増え過ぎるとどこかで妥協しないと対応できなくなる。それは絶対に嫌だったん です」 「それで、『口コミ』にも制限をかけたわけですか」 「そうです。お店に来てくれたお客さまには事情を書いたリーフレットを渡して御理解と御協力をお願いしているんです。お友達や御家族を誘って来店されるの は大歓迎ですが、お店の名前や場所だけを教えるのは御遠慮下さい、って。お客さまにお願いしている本人自らが約束を破るわけにはいきませんから、たとえ竜 崎さんのお友達でもお店の名前と場所を教えることは出来ないんです」 「そうですか…」 月は半ば呆れ、半ば感心してため息をついた。そこまで徹底するならあっぱれと言うべきだろう。 この女の店を探すのはかなり難しくなったが、時間と手間を惜しまなければ何とかなるはずだ。彼女のポリシーは『お願い』でしかないのだから、ネットで根気よく調べれば手がかりくらい見つかるはずだ。 月がそんなことを考えていると、また松井がその考えを見透かしたような質問をした。 「でも、お願いを聞いて貰えなくてお客さんが教えちゃったらどうするんです?あと、ホームページの日記とかに名前を出しちゃったら」 「あくまで『お願い』で強制力はありませんから、多少は仕方ないと思っています。ですが、ホームページに名前が出ているのが分かったら、その時点でお店を 閉めて、サイトの管理人さんにお店の名前や場所を消してくれるようにお願いします。そして、消してもらったことを確認してからお店を再開してます。竜崎さ んのおかげでネット検索でお店の名前がひっかかることはありませんから、それ以上情報が流れることはありませんのでこれで大丈夫です」 「すごい!そこまで一貫した姿勢を貫けるなんてすごいです。僕も秋乃さんを見習いたいです!」 彼女を絶賛する松井を見ながら、月は暗澹たる気分になってきていた。 竜崎の弱点を掴めるかと思っていたのに、これでは自分で自分の行動を制限したようなものではないか。いや、まだ偽キラがいる。死神の目を持つ偽キラが…。そいつをうまく利用すれば、この女に疑われること無く竜崎や捜査員達を…。 そんなことに考えを巡らせていると、女が心配そうな顔で月を覗き込んでいた。 「月さん、どうしました?ひょっとしてお腹でも痛くなりました?」 「あ…いえ、そんなんじゃないですよ。僕、大学生ですからあんまりここには来られないんです。父も忙しくてあまり家に帰れないし、こんなおいしいケーキがたまにしか食べられないのは残念だなぁと思って」 「ああ、そんなことですか」 彼女は心底ほっとしたように微笑んだ。 「それでしたら竜崎さんに頼んでおきます。竜崎さんのお迎えの方にケーキを預けておきますから、大学で受け取って下されば」 「え」 一体何個目か分からないケーキを食べていた竜崎が手を止めた。その竜崎に、彼女は穢れない笑みを向ける。 「月さんは竜崎さんのお友達ですしから大丈夫ですよね。大学もちゃんと通うって約束してくれましたし」 「え…ええ。そうですね」 竜崎はモゴモゴと呟いた。 そうか…こいつが今日大学に来ていたのは、彼女から何か言われたからだったのか。あの『天使のような微笑み』で言われたらさぞかし断りにくいだろう。 最初に思っていたのとは違うが、この女が竜崎の『弱点』であることは間違いない。それが分かっただけで今日は十分だ…。 なんとも言えない複雑な顔でケーキを食べている竜崎をみながら、月はゆったりと紅茶を飲んだ。 お茶会が終わってホテルを出る時、彼女はわざわざ母や妹の為に準備したケーキとアップルパイを持たせてくれた。 「月さん、どうぞまたいらして下さい。大学のお話とか聞かせて下さいね」 「ええ、竜崎と一緒に教授に怒られて授業を追い出された話でよければ、いくらでも」 「月君!」 「あはは。じゃあね、竜崎。また大学でね」 焦る竜崎ときょとんとした彼女を後に、月はエレベーターに向かった。このあと、あの二人がどんな会話をするのかが聞けないのが多少残念ではあるけれど。 ホテルの外に出ると、月はなるべく人気のない公園に足を向けた。アップルパイの箱を開けてそれを二つに割り、大きい方をリュークに差し出した。 「なんだよ、半分だけか?」 「母さんや粧裕と分けたら4分の1だぞ」 「なんだよ、自分はさっきも食べた癖に…」 文句を言いながらリュークはパイにかじりついた。かなり大きなパイの片割れはあっという間に死神の胃袋に収まった。指についたパイ屑まで綺麗に舐め取ってやっと、リュークは満足したようだ。 「うまいなぁー。なぁライト、こんなうまいパイを作る人間は生かしておいてくれよ」 「そうだな、考えておくよ」 月は残った半分をリュークに取られないようにしながら歩き始めた。 甘い香り。懐かしい記憶。柔らかな雰囲気。優しい笑顔。天使が今は竜崎の支配下にあるとしても…いずれはきっと神の下に。 |
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