砂漠に落ちる雫、それはサソリーナを失った砂漠の使徒の涙でした…

 ドアをノックしかけた白い手が曖昧に宙に浮いた。コブラージャは僅かに躊躇い、ノックの位置に持っていった手をドアノブにかけた。
 …そっとドアを空けて部屋の中に入る。
 散らかっているわけでもなく整然としているわけでもなく、ありふれたものがありふれた位置に置かれた、呆れるくらい『普通』の部屋だ。ドレッサーの上には化粧品の小瓶がいくつか並んでいて、付箋が貼られた雑誌が無造作に置いてあった。
 コブラージャはドレッサーに歩み寄って雑誌を開いた。付箋が貼られていたのは新作マニキュアのページだ。そういえば彼女、綺麗な色のマニキュアが発売されたから使ってみたいとか言っていた気がする。

 ――マニキュアを塗る前にまず自分の爪を綺麗にしたまえよ。
 ――うっさいわね、大きなお世話よぉん!

 ほんの数日前に交わした何気ない会話が、まるで遠い日のことのように思えた。

 ――ちょっとちょっとコブラージャ!部屋に入る時はノックをしてっていつも言ってるでしょぉん!それから私のものに勝手に触らないで!ほんっとぉ〜に男ってデリカシーがないんだからぁん!用事がないならさっさと出て行って!ほら、さっさと!!

 脳裏に響く懐かしい声。
 こうして無作法に振舞っていたら、いつものようにけたたましく喚き散らしながら彼女が出て来るのではないかと…そんな気がして、コブラージャは微動だにせず雑誌に視線を落としていた。
 …キィ……
 扉が開く音にコブラージャの指がビクリと震えた。

「ちょっとちょっとコブラージャ!なぁに無断で私の部屋に入ってるのよぉん!」
「…………」
「…と、あいつなら言ったんじゃろうな」
「あのねぇクモジャキー。部屋に入る時はノック二回って口が酸っぱくなるほど言ってるでしょぉん?いい加減に覚えなさいよぉん!…だろ」
「フッ…」

 部屋に足を踏み入れたクモジャキーはコブラージャの後ろを通り過ぎて窓際に立った。窓枠に切り取られた空に浮かぶのは青白い満月。

「お前、何をしにここに来たんじゃ」
「それはこっちの台詞だよ」
「…多分、お前と同じ理由ぜよ」
「…………」

 沈黙が落ちた。
 …クモジャキーとコブラージャがいつまで待っても、眉間に皺を刻んだサソリーナが喚き散らしながら二人の無作法を咎めに来ることはない。
 それは分かっていた。分かっていたはずなのに、僅かな可能性を期待せずにはいられなかった。
 いつものようにサソリーナの部屋に入れば、いつものように彼女が姿を見せるのではないかと。そんな、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうような奇跡を、心を失くした砂漠の使徒の幹部が願わずにいられなかったのだ。
 コブラージャは唇を噛んでポツリと言った。

「…ねぇクモジャキー。君、どうしてあの時、僕を止めたのさ」
「それはこっちの台詞ぜよ」

 コブラージャは視線だけをクモジャキーに向けた。
 クモジャキーはコブラージャに背を向けていて、鏡のような窓に映った彼の表情は見えない。

「お前はどうして、お前を止めた俺を止めなかったんじゃ?」
「…多分、君と同じ理由だよ」
「…………」

 出撃命令を要求するサソリーナにサバーク博士は言った。
 これが最後だ、と。
 その言葉が意味することは三人とも分かっていた。自ら望んだ最後の任務で失敗するような部下を飼い殺しにしていては上にも下にも示しがつかない。この出撃での敗退は即ち、粛清を意味するのだ、と。
 忠誠を誓った相手に抹殺されるくらいならいっそ、戦場で殉職した方がいい…
 それは、サソリーナに『還る場所』があると二人が知っていたから選べた道なのかもしれないが。
 自分の選択は間違っていなかった。選び得る最良の道だった。
 そう、どんなに自分に言い聞かせても、胸を突く悔恨の痛みは消えなかった。
 …短くない沈黙の後、何かを宣言するかのような声色でクモジャキーが言った。

「コブラージャ。俺とお前は戦友じゃき、死ぬ時は一緒ぜよ」

 まるで、どこかの戦国武将の誓いのような言葉。
 コブラージャは彼の言葉を自分の中で反芻し、意味を正しく理解し、喉の奥から込み上げてくる熱い塊を難儀しながら飲み下して、長い睫毛を瞬き、努めておどけた声を出した。

「…君と一緒に死ぬなんて嬉しくないな」

 ポツリ。
 雑誌の上で握り締めた拳に雫が一粒落ちた。
 声が震えないように細心の注意を払いながら言葉を続ける。

「まぁ、君だけ先に死んで僕だけ残されるよりは多少マシだけどね」
「フッ…俺も同感ぜよ」

 鏡と窓越しに互いの姿を視界の端に捕らえながら、互いに決して相手を見ることは無く。
 クモジャキーは前を見据えたまま、コブラージャは雑誌に目を落としたまま。
 これが最初で最後だと心に決めて。
 笑顔と涙を浮かべて光になって消えたサソリーナのために。
 声を殺して、二人は、泣いた…。


END

ハトプリ部屋 総合目次

 本編40話のサソリーナ殉職直後のクモジャキーとコブラージャの話です。私にしては珍しく切ない系シリアスにまとまったかなと思っています。
 サソリーナ殉職を男性二人(特にコブラージャ)は割とドライに受け止めていた感があったのですが、あーだこーだ言いながらも仲良くしていたサソリーナがいなくなったことは悲しかったんじゃないかなぁ、悲しんでで欲しいなぁ、と思ってこの話が出来ました。
 この話を書きながら意識していたのは、表面上は正反対なのに中身はそっくりのクモ&コブラの男性コンビです。「同じ言葉を立場を入れ替えて交互に言う」 「顔が映るものの前に立つが自分の顔は見ない」「終始ふたりは直接顔は合わせずに間接的に互いを見る」を意識して書きました。
 最期のクモジャキーの台詞「死ぬ時は一緒」の元ネタは三国志です。主人公の三人が「生まれた時や場所は違っても、死ぬ時と死ぬ場所は同じことを願う」と 言っていたのをぼんやりと覚えていたので、クモジャキーはああいう熱い台詞が好きなんじゃないかな、と。その発言の真意は「仲間がいなくなって残されるの は寂しいから死ぬ時は一緒だ」ということです。彼らの場合、プリキュアに倒される=浄化なので正確には「死」ではないのですけど、記憶や人格が失われるの で「砂漠の使徒としての事実上の死」という意味で使いました。