最初と最後と真ん中と


 探偵事務所のドアを開けた弥子はいつになく物憂気な顔をしていた。
 例え頭蓋骨の中に豆腐が詰まった奴隷人形であっても、不調であれば気遣うのが優しい主人と言うものだ。
 普段より到着が遅かったのは目を瞑ってやることにして、ネウロは訳を尋ねた。

「この間ね、あんたと私が一緒にいるところを友達に見られたらしくて」
「探偵役の貴様と助手役の我が輩が一緒にいるのは何ら不自然ではないが」
「そう言ったんだけどね。だけど信じて貰えなくて…あ、助手って言うのは信じて貰えたけど、彼氏なんでしょ?付き合ってるんでしょ?って完璧に誤解されちゃってさぁ…。どうやったら誤解が解けるかなって悩んでたんだ」
「そんなことか。ならば、手っ取り早い解決法があるではないか」
「え、どんな?」

 ネウロは椅子から立ち上がり、ソファに腰を降ろしていた弥子を押し倒した。
 一連の流れがとても自然だったせいで、弥子は何が起こったのか把握できず固まったままネウロを見つめた。
 あっけにとられて呆然としている弥子に、ネウロはにっこりと笑ってみせた。

「事実にすればいいのだ」
「…は?」
「思えば我が輩と貴様が付き合い始めてそろそろ1年。いい加減次の段階に関係を進めてもいい頃だ。なぁヤコ?」
「ちょっと待ったァーーー!!次の段階以前に最初の段階すら踏んでないでしょうが!!」

 ようやく頭がまともに動き出した弥子は思いっきりネウロにツッコミを入れた。
 彼がこういう行動に出た理由は弥子への愛情でも性的欲求でもなく、人間の文化に対する興味だ。そしてその純粋な好奇心の前には人間の世界の常識やモラルなどほとんどストッパーとしての意味をなさない。
 が、こんな形でネウロ相手に初体験をするなんてまっぴらごめんなので、どうやって彼を止めるか弥子は必死に考えた。そんな彼女の様子が面白いのか、ネウロは無邪気で邪悪な(矛盾しているようで矛盾しないのだ、コイツに関しては)笑みを一層深くした。

「なんだ、嫌なのか?」
「嫌とか嫌じゃないとかじゃなくて!物事には順番ってものがあるでしょ!?これじゃ推理小説の最初と解決編だけ読むようなもんだよ!途中をすっとばして結 果だけ見ても物事の本質なんて何もわかんない、あんたはそれでいいの?分かった『つもり』で満足するような奴だったの!?」
「……ふむ」

 ネウロは翠の眼をくるりと回した。
 弥子の言葉に思うところがあったらしい。

「なかなか尤もなことを言うな、ミジンコごときが。確かに最初と最後だけでは何も理解できんな」

 うんうん、そうでしょそうでしょ。だから早く私の上から退いて。
 無言で訴える弥子から微妙に逸れたネウロの眼から、急速に色と光が牽いて行く。興味を失った時に見せるあの眼だ。

「…しかし途中の段階を律儀に踏んで行くのは面倒臭い」

 そう呟いて、ネウロはあっけないほどすんなりと体を離した。
 もうちょっと食い下がってくれてもいいのに。
 一瞬脳裏をよぎった考えを弥子は慌てて追い払い、きちんとソファに座り直して滅茶苦茶に跳ね回る心臓が落ち着くのを待った。
 …デスクに戻りかけたネウロがふと振り返った。

「そう言えばヤコ」
「何?」
「さっき『嫌とか嫌じゃないとかじゃなくて』と言ったな」
「うん、言ったけど。それが?」
「それはつまり、嫌ではなかったと言うことか?」
「うーん…」

 わずかに興味の色を戻したネウロの眼。
 返答を間違えれば状況は逆戻りしてしまう。弥子は慎重に言葉を選んで口を開いた。

「ネウロが人間界の基準に乗っ取って、ちゃんと段階を踏んで関係を進めて行くのなら、嫌じゃなくなる、かも」
「…面倒臭い」

 翠の眼から一瞬で興味を消して、ネウロは椅子に腰を降ろした。その眼はもう弥子を見ていない。
 …友達の誤解は、まだ当分とけそうになかった。


END



ネウロ部屋
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