真実のかけらを集めて

 笹塚は本日二つ目になる煙草の箱を開けた。隣の石垣が時計を見ながら何か言いたげにしているのをわざと無視してゆっくりと煙草に火をつける。
 1本吸い終わり、2本目をくわえたところで石垣が口を開いた。

「先輩、もう時間過ぎてますよ」
「分かってる」

 仕事は仕事だ。気が進まない、不愉快なことでもやらなくてはならない。それはよく分かっている。分かっているのだが…。
 溜め息を煙草の煙でごまかして、笹塚はけだるく立ち上がった。

 

 取調室の前まで来ると中で人が動く気配がした。一応ノックしてから扉を開ける。
 簡素な机が一つ、椅子が二つ。部屋の奥に置かれた椅子は空っぽだ。

「竹田さん。いるんだろ?」

 声をかけると机の下でガタガタ音がして、白髪の男が這い出して来た。寒くもないのに体はガタガタ震え、目は落ち着きなく動き回っている。
 横に控えた石垣があからさまに顔をしかめた。

「先輩、これじゃ今日も無理なんじゃないですか?」
「まだなんとも言えねーだろ。…さぁ竹田さん、座ってくれ。話が聞きたい」

 かつては上司として行動を共にしていた男は、怯え切った目で笹塚を見上げて懇願した。

「喰わないでくれ、もう二度としないから…」
「喰わねーよ、話が聞きたいだけだ」
「早く、早く死刑にしてくれ…怖いんだ……」
「分かった分かった。じゃあ話を聞かせてくれ」

 笹塚は床に座り込んでいる竹田を抱えて椅子に座らせた。
 手持ち無沙汰で突っ立っている石垣は『大量殺人犯にそこまで優しくしてやる必要なんてないのに』と言いたげな顔をしていたが、おとなしく口を噤んでい た。竹田が笹塚の元上司だということは知っているし、うかつに口出しすると大事な食玩(シークレット含む)やプラモが無惨な姿でゴミ箱行きになると分かっ ているからだろう。
 …竹田は両手で体を抱えたまま、怖い、怖いと呟いている。
 胸の中に言い様のない感情が広がるのに気付き、笹塚は苦々しさを感じた。

(この男は大量殺人犯だ。長年世話になった元上司だが、弥子ちゃんの父親を殺した、他にも大勢の人間を殺した、犯罪者だ。取り調べの時くらい割り切らねーと…)

 自分に言い聞かせて、笹塚は石垣が抱えていた封筒を受け取った。
 …桂木誠一殺害事件が娘の弥子の手で解決したあの日、『人情の竹田』と親しまれた竹田敬太郎の裏の顔が暴かれたあの時。もはや逃れられないと悟り開き 直ったのか、竹田が狂ったように持論を展開している最中に口走った「同じ方法で何人もの表情を『加工』してきた」という言葉。
 それはつまり、未解決の殺人事件の犯人が…特に竹田が捜査に携わった事件の犯人が、彼である可能性が高いことを示唆していた。身内の不祥事は警察にとっ て不愉快極まりない物だったが、表沙汰になった以上握りつぶすことも出来ず、一件でも多く事件を解決して信頼失墜を最小限にとどめようと必死になってい た。
 その結果。竹田と長年コンビを組んでいて、竹田の化けの皮がはがれた現場にいて、その能力に一定以上の評価がある笹塚に竹田の取り調べという面倒な役目が回って来たのはある意味当然だったと言える。
 笹塚は比較的新しい事件の資料を机に並べた。

「この事件に覚えはあるか?」
「私だ…私がやった…認める、だから早く死刑に……」
「何故この家族を狙った?凶器は何を使った?」
「怖い、怖い……」
「あーあ、まただよ」

 笹塚の隣で石垣が盛大にため息をついた。
 まともな話がほとんどできない取り調べにいい加減ゲンナリしているのだ。

「ねぇ先輩、この人に一体何があったんですか?ビクビク震えて訳わかんないこと言ったかと思えば変にハイテンションになって自分が起こした事件のことベラ ベラ喋ったり、そうかと思えば俺らに得々と説教始めたり…。イカレたふりして精神鑑定に持ち込みたい訳でもなさそうだし」
「それが分かれば苦労しねーよ」

 笹塚は煙草を取り出して火をつけた。苦い煙が肺に流れ、狭い部屋にゆるゆると満ちて行く。
 目の前に座る竹田は両手で頭を抱えるように机に突っ伏している。
 …あの日。
 桂木弥子に全てを暴かれたあの日、竹田は『壊れた』。
 何かにとりつかれたように得意げに饒舌に犯行の理由をまくしたて弥子に迫ろうとしたところを彼女の助手に止められて、そして。
 言葉の届かない世界に逃げ込んでしまった。何もかもを放り出して、笹塚の前に幾つもの未解決事件を置き去りにしたままで。
 …ふと、竹田が顔を上げた。
 目の前の笹塚を見て相好を崩す。まるで、離れて住んでいる息子に久々に会った父のような目をして。ヒトがヒトであるべき何かを失った目をして。

「笹塚じゃないか。どうした、事件か?ん?」
「…そんなとこだ。これがその捜査資料」
「どれ」

 部下であるはずの笹塚と取調室で向き合っているという奇妙な状況に疑問を呈することもなく、竹田は資料に目を通して痛々しげに眉を寄せた。

「ひどい真似をするな…。小さな子供も含めて家族全員殺したのか」
「………」
「部屋が荒らされているところを見ると物取りが目当てだろう。金目の物を物色しているところに外出していた家族が帰宅…焦った犯人は咄嗟に両親を殺し…小 さな子供までも殺した…。子供を含めて3人を殺していると言うことは犯人は複数の線が濃い。単独犯では誰か一人を殺そうとしている間に他の誰かに逃げられ る可能性が高いからな」

 竹田の発言内容は、『壊れる』前の彼が事件を捜査している時に言っていたこととほぼ同じだった。
 彼の推測通りに犯人が複数だったのなら竹田が犯人と言う線は消えるのだが…。
 一通り資料に目を通して考えを述べた竹田は心底残念そうな顔になった。

「しかし、皆殺しにする必要はなかったろうに…。誰か一人でも残っていれば実に素晴らしい表情が見れたのに、もったいないことをする」

 あくまで無表情の笹塚の後ろで、石垣があからさまに嫌悪の表情を浮かべた。
 毒の煙と一緒に流れ込む不快な感情が胸の中を満たして行く。笹塚は無造作に資料を封筒に戻して石垣に渡した。

「この事件の犯人は竹田敬太郎じゃない。上に報告しておいてくれ」
「了解」

 やっと不快な役目から解放されたとばかりに石垣が部屋を出て行った。
 こんな時だけ俊敏に動くんだからな…とボヤきながら新しい煙草に火をつけた時、穏やかな笑みを浮かべる竹田と目が合った。

「あんまり煙草を吸い過ぎると肺癌で早死にするぞ。いつも言ってるだろう、笹塚?家族の仇も取らずに病死なんて不本意じゃないのか?」
「…………」

 ごとり、と心臓が動いた。
 この男の本性を知らずに一緒に仕事をしている時に良く言われた言葉。あの頃と何も変わらない、まるで息子の身を案じる父親のような目をして、大量殺人犯は笹塚を諭している。
 言葉を失った笹塚に気付いた風もなく、竹田はふと真顔になって呟いた。

「相手がお前だから不謹慎を承知で話すんだが…家族全員を殺すのと、たった一人を残すのと、一体どっちが残酷なんだろうな」

 思いも寄らない言葉だった。
 吸いかけの煙草を挟んだ指先が冷たい。
 目を見開いたまま凍り付く笹塚を気にかける風もなく竹田は言葉を続ける。

「あの事件だが…両親は刃物でメッタ刺しにされてるが、子供は喉を切られて殺された後布団に寝かされていた。…犯人は、両親を目の前で殺された子供だけが 生き残ってもこの先不幸になるだけだと考えて、せめてもの優しさで苦しまないように殺したんじゃないか、そんな気がするんだ。容疑者が浮かんで来たら子供 をネタに揺さぶってみるといい。両親の呵責からすんなり自白するかもしれんぞ」
「分かった…助言、感謝する」

 押し出した声は掠れていた。
 あの日あの時、笹塚の頭に浮かんだ疑念は今も片隅にこびり着いて離れない。
 もう竹田とは論理的な会話はできないと諦めかけていたが、今なら答えが得られるかもしれない。

「…竹田さん。聞きたいことがあるんだが」
「何だ?深刻な顔をして」
「10年前、俺の家族を殺したのは…あんたか?」
「笹塚。いつも言っているだろう」

 竹田はあくまでも穏やかに微笑んだまま。

「真実とは自分で見つける物だ、誰かに教えてもらう物じゃない。自分が見付けた物こそが真実であり、他人に教わった物は真実の欠片でしかない」
「…………」
「そして真実は必ずしも一つじゃない。時に真実とは幾つも存在し、相反する二つの事象が同時に存在するものなんだ。頭のいいバカがいるようにな。全ての真実を受け入れてこそ大事な事が見えて来る。真実は一つしかないと思い込むと、肝心なことが見えなくなるぞ」
「そう…だな……」

 忘れていた、いつも聞かされていた言葉なのに。
 家族を殺したのはXなのか竹田なのか他の誰かなのか、それは笹塚自身が見つけなければならない真実。他の誰かが見付けても、それは笹塚にとっては真実のかけらであり真実そのものとはなり得ない。
 そして、真実は一つとは限らない。二つ以上真実があっても構わないのだ。
 笹塚の顔を覗き込んだ竹田が柔らかく笑んだ。

「何だか憑き物が落ちたような顔をしてるな、笹塚」
「おかげさまで肩の荷が降りた気がするよ」
「それは良かった。お前の後輩は手がかかりそうだからな、他に余計な荷物は背負い込まない方がいいぞ」
「好きで背負い込んでんじゃねーんだけどな」

 笹塚は苦笑して立ち上がった。
 取調室を出て廊下を歩きながらぼんやりと思う。
 竹田が大量殺人犯であること、それは真実。
 しかし、竹田が笹塚の良き上司であり人生の先輩であったこともまた変わらぬ真実。
 竹田と共に仕事をして来た過去は汚点などではなく、否定すべきものでもない。そして恥ずべきものでも決してないのだ。
 そう気付いた時、笹塚は心に重くのしかかっていた何かが消えていくのを感じた。

(サンキュー、竹田さん)

 あの男に感謝するのは変かもしれないけど。
 明日からはまた、健康によろしくないことは百も承知で煙草を吸うだろうけど。
 せめて今日くらいは。
 まだ半分以上中身の残った煙草の箱を握りつぶして、笹塚は躊躇わずゴミ箱に放り込んだ。


END



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