夏休み
後編

 必ず出て来い、とお達しのあった夏期講習だったが、実際に学校に出て来た人数は全体の半分程度だった。
 夏休み全部を使って海外旅行に行く人もいるんだから、休みのど真ん中に『夏期講習するから全員出席しろ』って言っても無理だよね。
 そんなことを叶絵と喋りながら昇降口を出て、弥子は首を傾げた。
 普段なら先を争うように学校から出て行く生徒達の歩くペースが不自然に遅い。中には立ち止まっている者もいる。

「あれ?夏期講習終わったのに、何で皆さっさと帰らないんだろ?」
「ひょっとして校門前で何かのロケでもしてるとか?」
「まさか…」

 生徒達の視線を追った弥子は、注目を集めている人物を見てぎょっとなった。
 …ネウロと笹塚だ。
 まずネウロは目立つ。長身で二枚目で、さらに金髪とスカイブルーのスーツというド派手な格好のせいで、ぼーっと突っ立っているだけでも問答無用で人目を 引く。更に隣には笹塚がいる。相変わらずの地味な格好だが、何せ元の素材が良いので、無精髭もくたびれたスーツも『渋い大人の男』の魅力の一部になってい る。全く正反対の方向にレベルの高いネウロと笹塚が一緒にいるせいで、互いが互いを引き立て合う相乗効果でいつにも増して目立っていた。

「うわ、芸能人じゃないけどどっちも超イイ男じゃん!」
「そ…そうだね…」

 目を輝かせる叶絵とは反対に、弥子は顔を引きつらせた。
 ネウロが地上であまり目立ちたくない、というのは弥子も十分承知している。ただでさえ彼が注目を浴びているこの状況で、『学校一の有名人』の弥子が声をかければますます目立つのは間違いない。下手に悪目立ちしたら後で何をされるか分かったもんじゃない。
 しかし、だ。わざわざネウロが学校まで来たということは、差し迫った『謎』の気配があるのかもしれない。だとしたら、彼を無視して立ち去ろうものならそれもまた後が怖い。
 真夏の炎天下で冷や汗をかいている弥子には全く気付かず、叶絵は嬉しそうにはしゃいでいる。

「うーん、魅力のベクトルは正反対だけどどっちも相当レベル高いわね。夏期講習なんてめんどーいって思ってたけど、思いがけず目の保養できちゃったぁ〜。それにしてもあの人達、うちの学校になんか用があるのかな…って弥子?」
「え、何?」
「何でそんな引きつった顔してるの?ひょっとしてあの人達、名探偵桂木弥子の敵か何か?」

 叶絵が心配そうな顔で尋ねて来て、弥子は慌てて笑顔を作ってみせた。

「あーいやいや、全然そんなんじゃないよ」
「じゃあ知り合いなの?」
「知り合いって言うか…事務所の助手と、事件のたびにお世話になってる刑事さん、なんだけど。なんで二人一緒にこんなとこにいるんだろうってびっくりして…」
「あれが助手と刑事!?じゃあ名探偵桂木弥子の出番ってやつ!?」

 はしゃぐ叶絵とは逆に、弥子はますます引きつった笑顔を浮かべた。
 …どうしよう。
 そっと横目で二人の様子を伺った時、ネウロがふと弥子を見た。目が合った次の瞬間、ネウロはにこやかに片手を上げた。

「先生!」

 ワンテンポ遅れて弥子に気付いた笹塚も、けだるげに手を上げた。
 その場にいた生徒達が一斉に弥子を見た。桂木弥子だよ、という声も聞こえる。
 思いっきり皆の注目を浴びてしまったが、ネウロから声をかけて来たということは別に構わないと言うことなのだろう。弥子は引きつった笑顔のまま手を振り返した。
 生徒達の注目を一身に集めた弥子が校門を出ると、ネウロがよそ行きの笑顔で近付いて来た。

「先生、お待ちしてました!あ、鞄、僕がお持ちしますよ」
「あ…ありがと。こんにちわ、お久しぶりです笹塚さん」
「こんちわ、弥子ちゃん。そちらは…友達?」
「あ…はい。私の親友の、叶絵です。叶絵、こっちが私の『助手』のネウロ。で、そっちがお世話になってる刑事の笹塚さん」

 ネウロと笹塚に同時に視線を向けられて、顔を赤くしながら叶絵はぺこんと頭を下げた。

「弥子の友人の、籠原叶絵っていいます。年令身長体重星座血液型ブラのカップスリーサイズ男性のタイプ、何でも聞いて下さいっ!」
「ちょちょちょちょっと叶絵!そんな自己紹介しなくていいって、合コンじゃないんだから!」
「あなたが叶絵さんですか。先生からお話は良く伺っていたので、お会いできて光栄です!綺麗な方だと聞いてましたけど、想像以上に美人なのでびっくりしました」
「いえいえそんな、美人なんて…」

 助手の仮面をつけたネウロが言えば、お約束の社交辞令も嫌味に聞こえない。ますます頬を染めた叶絵は顔の前で大袈裟に両手を振った。
 …奇妙な二人組の正体がなんとなく分かったためか、立ち止まって様子を見ていた生徒達はその場を立ち去り始めた。ネウロと叶絵、そして笹塚も無難な会話を交わしている。ネウロが気を悪くした雰囲気もなかったので、ようやく安心した弥子がほっと息をついた時。

「ちょっとぉ弥子!話が全然違うじゃなーい!」

 叶絵に肘で小突かれて、弥子はぎょっとして顔を上げた。目の前では叶絵がニンマリと笑っている。

「話が違うって…何がよ?」
「だって弥子、助手さんのこと『三度の飯より謎解きが好きで人前に出るのが嫌い』って言ってたじゃん」
「そうだけど、それのどこがどう話が違うのよ」
「どんなブサイクな推理オタクかと思ってたら…メチャクチャいい男じゃない!この助手さんと一緒に探偵事務所やって事件のたびにあの刑事さんと一緒に捜査できるなんてすっごい幸せなことよ?それなのにいっつも『探偵は大変』なんて愚痴言っちゃって、この贅沢者ぉ!!」
「あ…あのねぇ叶絵!」

 うりうり、と小突いて来る手を掴んで押し戻し、弥子は叶絵に向き直った。

「叶絵は何も知らないからそんなこと言えるのよ!私がどれだけ苦労してるか!確かにネウロの外見は人並み以上だけど、こいつはそもそもにん……ゴホッゲホッ」

 人間じゃないんだから…と言いかけた言葉を弥子は直前で飲み込み、咽せたふりをしてごまかした。
 視界の端に映るネウロは人なつこい笑みを浮かべたまま『喋れば殺す』オーラを出している。
 そんなことは気付きもしない叶絵は笑いながら弥子の背中を叩いた。

「ちゃんと聞いてあげるからそんなに焦りなさんな。で、助手さんが何なの?」
「に…日本人じゃないんだから。価値観やら常識やら違い過ぎて毎日振り回されっぱなしで大変なんだからね」
「ふぅ〜〜〜ん。そんなに大変なのに、毎日学校が終わると私との食べ歩きもパスして事務所に行くんだぁ〜。名探偵も楽じゃないわねぇ〜」
「叶絵ぇぇ〜〜〜〜……」
「ところで弥子、いつまでも漫才やってていいの?助手さんと刑事さんが来てるってことは、何か事件があったんじゃない?」

 急に真顔になった叶絵に言われて弥子はハッとした。
 笹塚はともかく、ネウロがわざわざ学校まで来たと言うことは謎の気配が近いのかもしれない。
 二人を交互にみながら弥子は恐る恐る尋ねた。

「えと…何か事件…とか?」
「むしろ逆ですよ、先生。お客さん1人電話1本メール1通来ないので、暇だから先生とどこか行こうかと思いまして」
「俺はパトロール中。君達青少年が夏休みで浮かれてハメを外さないように見張ってるんだよ。それと、熱さで脳が溶けたおかしな奴もウロウロしてるみたいだから夜遊びや合コンもほどほどにな。念のため言っておくけど、飲酒は二十歳から、だぞ」
「はぁい」

 弥子と叶絵がどこか後ろめたそうな顔を見合わせて頷いた。その反応に笹塚が何か言おうと口を開いた時、彼のポケットの中で携帯が鳴り出した。ちょっと失礼、と断って電話を取った笹塚は、なんとも言えない顔で会話を終えた。

「…部下に、弥子ちゃんにデザートの一つでも買って来いって言ったんだけどね…近くのコンビニでは売り切れで、隣町まで行ったけどそこでも売り切れで、もう歩けないって泣きついて来た。ちょっと迎えに行ってやるよ」
「笹塚刑事も大変ですねぇ」
「機転の利かない部下を持つと苦労するよ。…じゃ」

 …笹塚の車を見送って、弥子はそっとネウロを見上げた。
 暇だから出て来たと言ってるけど、本当は謎の気配があるから弥子を迎えに来たのかもしれない。だとしたら、何か理由をつけて叶絵と別れなくてはいけないけど…。
 そんな弥子の考えを先取るようにネウロが口を開いた。

「僕、先生お勧めのカフェに行こうかと思ってたんですけど、良ければ叶絵さんも一緒にどうですか?」
「いえいえ、私は遠慮します。二人の邪魔しちゃ悪いもの」
「そんな気を使ってくれなくても…ねぇ先生?」
「そうだね。むしろ誤解を解くために一緒に来て欲しいくらいだけど…。ひょっとして叶絵、先約有り?」

 弥子の流し目に叶絵は意味深な笑みを返した。

「ちょっと合コンに誘われてるのよね。刑事さんか助手さんかどっちか脈有りだったら迷わずキャンセルするんだけど、どっちも無理そうだから。ちょっと品定めに行ってこようかなーって」
「…確かにね…笹塚さんやネウロを狙うより、普通に合コン行った方がいいだろうね」

 笹塚さんはともかく、ネウロはお勧めできないから。いやもうマジで。
 弥子の複雑な微笑みを叶絵は別の意味に解釈したらしい。

「私は合コン楽しんで来るから、弥子はデート楽しんできて。あとで結果を教えあおうね!」
「…もう否定するのも疲れたよ…」
「じゃあ弥子、ネウロさん、またねー」
「はーい、また〜」

 笑顔で手を振り去って行く叶絵に、ネウロと疲れた笑顔の弥子は手を振り返した。
 叶絵の姿が見えなくなると、ネウロは普段の眼に戻って弥子を見下ろした。

「それじゃデートに行きましょうか、先生」

 弥子の返事も待たずにネウロは踵を返した。
 全くもう…と呟いて、弥子は果てなく高い空と同じ色のスーツを追って歩き出した。




 何だかネウロ、機嫌がいいみたい。
 隣を歩く魔人を横目で見て弥子は思った。
 普段なら弥子のペースなどお構い無しでどんどん行ってしまう彼が今日は弥子の歩調に合わせてくれているし、叶絵と別れたらすぐに投げ返すだろうと思っていた鞄も持ってくれている。
 笹塚から何か彼好みの情報でも入手したのだろうか。
 どこに行くのか分からないまま弥子はネウロの隣を歩いていた。
 …街の中心に向かうスクランブル交差点で赤信号に捕まり、二人は足を止めた。
 金髪長身のネウロは相変わらず人目を引く。周囲の人間は彼の文句無しに整った顔に一瞬見愡れ、手に持っているピンクのバッグに意外そうな顔をし、更に隣にいる弥子に気付いて不思議そうな顔になる。恋人同士にしては不釣り合いに見えることくらい、弥子は百も承知だった。
 大きな交差点のせいで赤信号の待ち時間も長い。微妙な視線を向けられる居心地悪さに、弥子はネウロの袖をそっと引っ張った。

「…ネウロ」
「何だ」
「その鞄、私、自分で持つよ。ネウロが持ってるとただでさえ目立つアンタが更に目立っちゃうし」
「………」

 ネウロはちらりと周囲を見遣り、不意ににっこりと笑った。

「何をおっしゃるんです、先生。女性の先生に荷物を持たせて男の僕が手ぶらなんて、それはダメでしょう」
「へ?」
「助手として荷物持ちくらいさせて下さい♪…あ、ほら先生、青になりましたよ」

 二人で話すには少し大きい声で言って、ネウロは開いた方の手で弥子の手を掴んだ。早足で道を渡る二人の後ろで、『今の、女子高生探偵の桂木弥子じゃなかった?』という声が聞こえた。

 


 …若者が集まる街の中心まで来ると、ネウロのド派手な姿もさほど目立たない。ピンクの鞄は相変わらず全く彼には似合わなかったが、それでも周囲の視線を集めずにすむので弥子は気が楽だった。
 けだるげな顔で通り過ぎる人間達に好奇心混じりの視線を向けながらネウロが口を開いた。

「貴様の友人…カナエと言ったか」
「うん、叶絵」
「なかなか面白い奴だ。機会が有ればまた話してみたいものだな」

 眩しい太陽の光で蜂蜜色に輝く髪の下で、翠の瞳は仄かに明るい色を宿している。纏う空気もどこか楽しそうだ。
 やっぱり今日は機嫌がいいみたい。
 そんなことを考えていると不意に頭を掴まれた。そのまま振り回されるか投げられるかと弥子は体を固くしたが、ネウロは弥子の髪に触れたまま面白そうに言葉を続けた。

「熱いな」
「え?…ああ…今日は今年一番の暑さとかってニュースで言ってたしね。熱くもなるよ」
「アカネや笹塚も言っていたが、人間は気温が高くなると脳味噌まで熱くなるのか?」
「んー…脳そのものが熱くなるかどうかは分からないけど、あんまり熱が加わり続けると脳味噌は変質…だったかな、するらしいよ」
「ほう」

 弥子の口からそんな話が出て来るとは思っていなかったのだろう、ネウロは面白そうに眼を見開いた。
 彼が弥子の言葉にこんな反応を見せるのは久しぶりだったから、彼女は以前の授業で言われたことを必死に思い出した。

「脳も蛋白質で出来てるから、平常の体温より高い熱が長時間加わり続けると、生卵がゆで卵になるように、変質して元に戻らなくなるんだって。前、生物の先生が言ってた。だから、子供の時に40度とかの高い熱が出たりすると、脳に障害が残ったりするんだってさ」
「なるほど…気温が高くなり過ぎると人間達が活動を鈍らせるのもそれなりの理由があった訳か。客の一人、謎の一つ来ないのも無理はないな」
「私も暑さでどうにかなりそうなんだけど」

 弥子の抗議をそよ風のように無視して、ネウロはまた歩き出した。せめて日陰を歩いてくれても、とぶつぶつ言いながら弥子は仕方なく後を追う。
 照りつける灼熱の太陽の下。
 魔人のネウロは長袖スーツと手袋という姿でも涼しげな顔をしていたが、人間の弥子はそろそろ脳味噌まで熱くなってきていた。
 だから、『かき氷』の暖簾が揺れている店の前で彼女が思わず足を止めてしまったのも無理のないことだった。ほんの少し先を歩いていたネウロが怪訝そうな顔で振り向いた。

「ヤコ、何してる?目的地はもうすぐだろう」
「ごめんネウロ、ちょっと待ってて!」

 返事も待たずに『かき氷』の暖簾に走り出した弥子は、しばらくしてカップを二つ持って戻って来た。たった5分たらずで待ちくたびれたネウロが口を開くのと同時に、彼の目の前にブルーハワイのかき氷を差し出した。
 その行動に面喰らって文句を言うタイミングを逃したネウロは、きょとんとした顔で尋ねた。

「何だ?」
「かき氷。はいこれ、ネウロの分」
「…ヤコ。我が輩は謎しか喰えないと再三言っているはずだが?」
「それは知ってるけど。かき氷は水を固めて砕いただけの物だし…水もだめ?」

 かき氷のカップを差し出したまま、弥子は困った顔で尋ねた。ネウロが受け取ってくれないと両手が塞がったままなので、自分のかき氷を食べることが出来ない。
 それに。

「味は分からなくても、冷たいものを口に入れればアンタも気持ちいいかなと思ったんだけど…」
「別に我が輩はこの程度暑くも何ともないのだがな…まぁいい」

 フ、と短く息を吐いてネウロはかき氷を受け取った。
 …ネウロとピンクの鞄とブルーハワイのかき氷。なんだかチグハグな取り合わせだったが、ネウロが妙に真剣な顔でかき氷を口に運ぶ姿は何だか微笑ましかった。弥子はイチゴのかき氷をスプーン形のストローで吸いながら気になっていたことを聞いてみることにした。

「ところでネウロ、笹塚さんとは何を話してたの?」
「地上と魔界における価値観及び常識の相違について、だ。謎に繋がる話は聞けなかったが、討論自体はなかなか有意義だったぞ」
「うわ、難しそうなテーマ」
「平たく言えば地上の常識が魔界の非常識、地上の非常識が魔界の常識ということがしばしばある、ということだ。これなら貴様にも理解できるだろう」
「あー…分かり過ぎるほど分かるよ」

 カップの底に残ったピンクの液体を、弥子がため息混じりに飲み干した途端。スカイブルーの液体入りのカップが空になったカップにすとんと入って来た。
 食べ残しを押し付けられて、ジト目で抗議する弥子に爽やかとも言える笑顔を見せてネウロは周囲を見回した。

「…で、ヤコ。昨日、貴様が雑誌で見て行きたいと言っていたカフェはどこにあるのだ。確かこの辺だったと思うが」
「確かにこの近くだけど。でもネウロなら謎の気配がする場所の距離と方角は分かるんでしょ?どうしてそんなこと私に聞くの?」
「暑さで頭蓋骨の中身の豆腐が干涸びたか、ヤコ。今日は謎ひとつないと言っただろう」
「……へ?」

 弥子は暑さでぼんやりする頭でネウロの言葉を反芻した。少しでも脳味噌を冷やそうと、ネウロの食べかけと言う事実は無理矢理忘れてブルーハワイのかき氷の残骸を口に入れる。

「じゃあネウロ、謎の気配がある場所に私を連れて行こうとしてたんじゃなくて、そのカフェを探してたってこと?」
「事務所を出た時は貴様を連れて謎を探しに行こうと思っていたのだがな。謎の生まれる気配すら感じないし、笹塚と有意義な話もできたし…貴様の脳が暑さで変質しても後々面倒だしな。たまには奴隷を労ってやるのも悪くなかろう」
「ホントに?やったぁ!話題のカフェはこっちよ、さぁネウロ早く早く!」

 暑さでどうにかなりそうなのではなかったのか。
 攻撃的とも言える灼熱の輝きを見せる太陽を見上げて。
 はしゃぎながら走り出した弥子の後を、ネウロは苦笑を浮かべてついて行った。


END



ネウロ部屋
総合目次