おかえり。


 いつもの帰り道、いつもの交差点。この交差点を右に行けば叶絵の家、まっすぐ行けば弥子の家だ。
 二人一緒に右に行くこともあれば二人一緒にまっすぐ行くこともあるけれど、今日は別々。叶絵は右、弥子はまっすぐ、自分の家に帰るのだ。

「じゃあ弥子、また明日ね。何かあったら家の方に電話するよ」
「うん。新しい携帯が届いたら真っ先に叶絵に番号教えるからね」

 バイバイ、と叶絵に手を振って、弥子は家に向かった。
 …玄関には鍵がかかっていたので、弥子はいつものようにインターフォンを押した。ピンポーン、と室内に音が響く。
 少し待ったが誰もドアを開けてくれる気配がない。
 弥子は首を傾げてもう一度インターフォンに手を伸ばした。

(おかしいなぁ…この時間なら、お父さんはもう起きて仕事してるはずなんだけど)

 ボタンを押し掛けた手が止まり、ゆるゆると降りた。

(そうだ、お父さんは、もう…)

 娘が帰宅すると小走りに玄関に来てドアを開けてくれた父は、『おかえり』と言ってこのドアを開けてくれる人は、もうどこにもいないのだ。
 残酷な現実を思い出して叶絵とおしゃべりしていた時の弾んだ気持ちが急速にしぼんで行った。沈んだ顔で弥子が鍵を探そうと制服のポケットに手を突っ込んだ、その時。
 家の中で足音がした。
 この時間、母はまだ会社に行っている。家事手伝いの美和子も夕方から来ることになっているので、桂木家は無人のはずだった。
 弥子が戸惑っている間に足音は玄関に近付いて来て、カチャリと鍵の開く音がした。
 まさか。でも、まさか。
 心臓がごとごとと動いている。
 玄関前で立ち尽くす弥子の目の前でドアが開いて、金色の髪と翠の眼の男が顔を出した。

「おおヤコ、やっと帰ったか。待ちくたびれたぞ」
「ネ…ネウロ!?アンタ、なんで私の家にいるのよ!?」
「決まっている。携帯での呼び出しが出来ないし、貴様を探しに行くのも面倒でな。すれ違いになったら無駄足になるから、ここで貴様を待っていたのだ」
「………………」

 鍵のかかった家にどうやって入ったのか、などともう突っ込む気にもなれない。
 緊張が解けてため息をつく弥子など眼中にない、と言った様子で、ネウロは手を顎にあてて何かを考えていた。

「はて、何と言ったか…」
「何がよ?」
「家に帰った人間に対する地上の挨拶だ。…そうだ、思い出したぞ」

 ポンと手を打ってネウロは嬉しそうに笑った。

「おかえり、ヤコ」
「…………」

 弥子は驚いて目を見開いた。
 おかえり。
 勝手に家に入り込んだ化け物からこんな言葉を聞くなんて。
 言葉を失った弥子を眺めてネウロは不思議そうに首を傾げた。

「む?ヤコ、この場合『おかえり』という挨拶は間違っているのか?」
「あ…ううん、全然間違ってないよ。それで合ってるよ」
「よし、ならば貴様は我が輩に言うことがあるだろう」
「へ?」

 がしっと頭を掴まれて、弥子は(今度は恐怖で)目を見開いた。
 何かこの化け物に言うことがあったっけ?
 呆然としている弥子の頭を掴んで、ネウロは焦れったそうに揺さぶった。

「『おかえり』と挨拶されたらそれに対する挨拶があるだろう」
「え?…あ…た、ただいま……」
「よろしい」

 頭を揺さぶられてくらくらしながら弥子が言うと、ネウロは満足そうに笑って鷹揚に頷いた。が、まだ手は離してくれない。

「あのう…ネウロ?手を離してくれないと、私、家に入れないんだけど」
「む?何故家に入る必要があるのだ。さぁ、謎を探しにいくぞ」
「へっ?今あんた、私に『おかえり』って言ったじゃない!」
「だから何だ。我が輩はずっとパズルも解かずに貴様を待ってやっていたのだぞ、これ以上待てと言う資格が貴様にあるのか?」
「………ありません…」

 ぎし、と頭蓋骨を締め付ける指をはっきりと感じて弥子はぼそりと答えた。
 5分だけ待ってなどと言おうものなら、この家の何を分解されるか分かったものではない。
 ああ、冷蔵庫にプリンが残っているから、楽しみにしてたのに。
 思いっきり後ろ髪を引かれつつ、髪を化け物に掴まれつつ、弥子はネウロの食事の為に帰って来たばかりの我が家を後にしたのだった。


END



ネウロ部屋
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