| 窓際のデスクでネウロがパソコンや本で調べものをし、壁際であかねが事務処理をし、応接スペースで弥子がおやつをつまみながら勉強をする、来客のない魔界探偵事務所の日常風景。 ペンをクルクルと回しながら何かを考えていた弥子が顔をネウロに向けた。 「ねぇネウロ、事件の捜査中に私が殺されたら、あんたはどうする?」 「…………………何?」 「ちょっとは悲しんでくれる?次の奴隷人形を探すのは面倒だな、とか思う?それとも『道具が壊れた』くらいで何にも感じないのかな」 「何を突然…。宿題をしていたのではないのか」 ネウロは怪訝そうに眉を潜めた。 文字どおり『人並み外れた』頭脳を持ち、たいていの質問には即座に明解な答えを返す彼にしては珍しく、弥子の問いに対する答えは返ってこなかった。 弥子はペンを持ったまま小首を傾げた。 「先に質問したの、私なんだけど」 「貴様の質問の意図が分からないと我が輩も答えようがなかろう」 「意図なんてそんな大したもの無いよ。ただ何となく今までの事を考えててちょっと思ったんだ。ネウロが一緒にいるから無傷で済んでるけど、あんたと違って 私はただの人間でしょ?この間みたいにロケットランチャー出されることは滅多にないだろうけど、銃で撃たれたことは何度かあるし…流れ弾に当たってもナイ フで刺されても首を絞められても鈍器で殴られても、私は簡単に怪我もするし命も落とすんだよなーって改めて気付いて。で、もしそうやって事件の捜査中に私 が死んだらあんたはどうするかなって思ったの」 「……想像できんな」 読みかけの新聞をばさりと投げ出してそっけなくネウロは答えた。 頬杖をついて長い足を組み、翠緑の瞳を弥子に向けるその口元はわずかに微笑んでいる。 「我が輩が隣にいる限りは貴様が人間ごときに殺されることはない。我が輩が貴様を護るからな。よって貴様が死んだ時の事など想像できん」 「…それ、取りように寄っては素敵なセリフなのにロマンもトキメキも感じないのは何でだろ…」 「では反対のケースはどうだ」 弥子の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、彼女の呟きは無視してネウロが逆に尋ねて来た。 …今度は弥子がネウロの質問の意味を取りかねてきょとんとする番だった。 「反対、って?」 「事件の捜査中に我が輩が死んだら貴様はどうする?悲しみの涙を流すのか?それともやっと煩わしい奴から解放されたと清々するのか?」 「…それこそ想像できないよ」 即座に返って来た弥子の言葉にネウロは不思議そうな顔になった。 口に入れたポテトチップチョコレートを飲み込んで、だってさ…と弥子は口を開いた。 「弾丸を瞬きでキャッチしたり指1本で跳ね返したりマシンガンで撃たれてもケロッとしてるあんたを、人間が造り出した地上の武器で殺せる訳?」 「…………」 ネウロは顎に手を当てて俯いて考え、天井を見上げて考え、口を開いた。 「核ミサイルなら殺せるかもしれんぞ」 「そんなもの撃たれたらあんたが死ぬ前に日本国民が全滅するって」 「それもそうか…」 「万が一、あんたが殺されることがあったとしても、だよ。その時は隣にいる私も間違いなく死ぬよ。二人とも死んであの世であんたに会ったら、『何よ、ネウ ロも死んだの!?』とかってびっくりするんじゃないかな。だからあんたが死んだらどうするかなんて言われても全然想像できないよ」 「確かにそうだ」 は、と浅く息をついてネウロは読みかけの新聞に手を伸ばしたが、弥子は勉強に戻るふうもなく何かを考えていた。 「ネウロが、事件の捜査中に死ぬなんてことは考えられないけど…」 「?」 「究極の謎を喰って魔界に帰るとなったら…私の前からあんたがいなくなる、という意味では同じだよね。お腹が永遠にいっぱいのままならもう地上で謎解きする必要もないからきっと二度と会えないだろうし」 「だろうな。…では、我が輩が究極の謎を喰って魔界に帰るとなったら貴様はどうする?やっとお役御免だと喜ぶか」 そりゃもちろん。あたりまえじゃん。 そんな答えが即座に返って来るかと思ったが、ネウロの予想に反して弥子は考え込んでいた。 「ヤコ?」 「うーん…ネウロと出会ったばっかりの頃は多分そんなふうに喜んだと思うけど、今はどうかなって思ってさ。今はあの頃ほど探偵役も嫌じゃないし、あんたの事も嫌いじゃなくなったし。もしネウロが魔界に帰ることになったらきっと寂しいって感じるだろうなぁ…」 「………」 「今でさえ寂しいって思うんだもん、1年後とか2年後になったら私は自分から進んで探偵役やってるかもしれないし、ネウロの事も『嫌いじゃない』から『結 構好き』になってるかもしれないし。そんな時に別れることになったら辛いだろうなー。『やだやだネウロ行かないで、私を一人にしないでー!』って泣いて 縋っちゃうかも。…こんなにひどい目にあわされてるのに、変だよね」 「……人間とは理解に苦しむ生き物だな」 内心の動揺を作り物の顔の下に巧みに隠してネウロは静かに言った。 そんな彼の戸惑いなど気付くはずもなく、弥子は何の衒いもなく笑ってみせた。 「同じ人間同士だってわかんない事が一杯あるんだもん、化け物のネウロに分からなくても仕方ないよ。だからこそ人間は魔界にはない複雑な謎を生み出すんでしょ?」 「恐らく、な」 「…ねぇネウロ」 「何だ?」 不意に弥子が真剣な目で顔を上げた。 まっすぐな、真摯な瞳。 「魔界に帰ることになったら、ちゃんと事前に言ってよね。私も心の準備とかあるし、一応お別れパーティーみたいなことはしたいし、黙っていなくなったりしないでよ」 「…よかろう。この世界の異端者として、去る時はきちんとけじめを付けなくてはな。我が輩が地上を去る時はきちんと奴隷解放宣言をしてやろう」 「…こんなリンカーン嫌だな……」 ボソリと呟いて弥子は宿題に戻った。 その呟きは聞こえなかったことにしてやるとして…と、ネウロは思いを巡らせた。 もし。 もしも、ネウロの食事の為に弥子が命を落とすようなことがあったなら、その時は。 …その時は。 「ヤコ」 「なーに?」 「さっきの話の答えだが」 「?」 「事件の捜査中貴様が死んだら我が輩はどうするか」 「ああ…どうするの?」 「貴様の為に泣いてやろう」 「……………………は?」 弥子は目玉が落ちそうな顔で固まった。 口を半開きにした間抜け面でまじまじとネウロを見つめている。 「今、何て?」 「貴様が死んだら貴様の為に泣いてやる、と言ったのだ。我が輩が地上を去る時に貴様が我が輩の為に泣くと言うのなら、我が輩の不手際で貴様がこの世を去っ たその時は、貴様の為に泣いてやろうではないか。貴様の亡骸を抱き締めて、『逝くなヤコ、貴様がいなくなっては寂しい』と言ってな」 「………。今ちょっと、じゃあ死ぬのも悪くないかなって思っちゃった自分が悔しい」 少し顔を赤くしてわしわしとチョコ付きポテチを頬張る弥子にネウロは尊大な笑みを見せた。 「安心しろ、そんな日は絶対に来ないからな」 「ネウロが私を護るから?」 「そうだ」 椅子にふんぞり返ったままのポーズでネウロは鷹揚に頷いた。 そんな彼に魔人に目をちらりと向けて、弥子はぼんやりと思いを巡らせた。 (…どのおとぎ話を探しても、こんな滅茶苦茶な王子様や騎士様なんていないよね) はぁ…とため息をついた弥子の表情は穏やかで、嬉しそうですらあった。 わがままだし自分勝手だし口は悪いしドSだし変なとこで妙に子供っぽい、どうしようもない奴だけど。 …でも。 彼が己の身を盾にして護るのは弥子だけだから。 弥子が事件の捜査中に命を落とすことなんてありえない。 どんな時でもネウロは弥子を護るから。 彼は大口を叩くけど、それは確かな力と自信に裏打ちされたものだから。 だからネウロが弥子を抱き締めて涙を流す日なんて来ない。 誇らしいような悔しいような得意なような残念なような嬉しいような…複雑に混じりあった感情を心の中にそっと仕舞って、弥子は馨しい香りの紅茶をぐっと口に含んだ。 ネウロは視界の端に弥子の姿を捕らえている。 …二人は同じことを考えていた。 もし、ずっと究極の謎が見つからずにネウロがいつまでも地上にいたとしても二人が別れる時は来る。ネウロも弥子も生物である以上、命の終りは必ず訪れる。その未来は例え神であっても覆すことは出来ない。 いつかは必ず訪れるのだ。二人が永遠に別れる、その日が。それが明日のなのか百年後なのかは分からないけれど。 その事実だけはどんなに胸の奥深くに沈めても忘れずにいようと。 |