ずっと愛してる


 ずっと愛してるって言ったのに。
 全てを暴かれた犯人は、そう叫んで崩れ落ちた。

 

 

 事件が終わった帰り道。
 満月が照らし出す道は明るく、街灯の明かりすら霞んで見える。

「ずっと愛してるって言ったのに、か…」

 弥子がポツリと呟くと、数歩先を歩いていたネウロが不思議そうな顔で振り返った。

「ずっと黙り込んでいるからよほど腹が減っているのかと思っていたが…さっきの犯人のことを考えていたのか」
「うん、ちょっと最後の言葉が耳に残っちゃって」
「その言葉は我が輩も印象に残ったぞ。凄まじいインパクトがあったからな」

 ネウロは珍しく神妙な顔で頷いた。
 犯人の被害者への愛情は深く深く、その想いが歪みねじ曲がり正反対のベクトルに向かった結果起きた今回の事件。自殺に見せかけたトリックは犯人の情念の深さを映し出すように複雑に入り組んで、ネウロにとっては久々の『喰いごたえのある』謎だったらしい。
 そのためかネウロは上機嫌で、普段なら適当に受け流す弥子の話に付き合う素振りを見せた。
 誰でもいいから気持ちを話す相手が欲しかった弥子は白い息と一緒に言葉を吐き出した。

「ネウロ。この事件の本当の被害者はどっちだったんだろう」
「結果だけ見れば、恋人…いや、『元恋人』か?に殺された男の方だろうが、そこまで女を追い込んだのは男の方だった訳だからな。最後の最後で加害者と被害者の立場が逆転したとも言える」
「…私達は直接事件に関わったから犯人の苦しくて辛い気持ちも知ってるけど、世間的には『別れ話のもつれ』で説明されちゃうんのかな。それともあること無いこと言われて騒がれるのかな」
「大金持ちの御曹子と身内らしい身内もいない派遣社員の女が結婚を前提に極秘で交際、しかし男が浮気をした挙げ句に女を捨てようとしたために、可愛さ余って憎さ百倍、女は男を自殺に見せかけて殺した…。確かにワイドショーが喜びそうなネタではあるが」
「………」
「先日のXの事件のほとぼりがまだ冷めていないから、ニュースで『別れ話のもつれ』と説明されて終りだろう。男の方の遺族もあまり事が公になるのを望んでいなかったしな」
「そっか………」

 弥子は少しだけほっとした顔になった。
 ネウロは急かすこともなくペースを合わせて弥子の隣を歩いていたが、いつまでたっても弥子が口を開かないのに痺れを切らして事件の事を話し始めた。

「我が輩は人間の恋愛事情は良く分からんが、どちらも馬鹿だと言う気がしてならんな」
「そう?」
「人の心は容易く変化するものなのに、『ずっと愛してる』などと言って結婚まで約束した男は馬鹿だ。どこかのバンドが歌っていたではないか、『一生愛してるって言ったけど誰にでもできるような芸じゃない』」

 ネウロは一昔前に流行った歌をメロディに乗せて口ずさんだ。
 意外なその姿に弥子は少しだけ口元を綻ばせた。

「懐かしい歌を知ってるんだ」
「そして女の方も馬鹿だ。自分と相手の社会的な立場の違いは分かっていただろうに、男を繋ぎ止めるための手段を何も講じないとは…遊ばれているのを自ら認 めているようなものだ。友人達の話を聞く限り男は押しに弱い性格のようだったからな、二人の関係を言いふらして子供を妊娠したとでも嘘をついてさっさと婚 姻届を出せば良かったのだ。…まぁ逆切れされて殺される可能性も出て来るが」
「そうだね…。………」
「………」

 歯切れの悪い答えと物言いたげな沈黙にネウロは足を止めた。その横を通り過ぎようとする弥子の頭を無造作に掴む。
 ふぇっ、と間抜けな声と同時にゴキッと首の骨が軋む不吉な音がした。
 マフラー越しに首をさすりながら弥子が涙目で振り返った。

「何よネウロ?言いたいことがあるなら声をかけてよ、言葉が分からない訳じゃないんだから」
「言ってみろ」
「は?」
「貴様なりにこの事件の背景に思うところがあるのだろう?」

 ネウロの言葉に弥子は今度は怪訝そうに首を傾げた。
 細く吐き出されたため息は白く濁って夜の闇に吸い込まれて行く。

「まぁ…あるけど、それは殺された人のブログとか友達の話から私が勝手に想像してるだけだし…それに事件はもう解決したんだし、ネウロは人間が殺人を犯す理由になんて興味は無いんじゃなかった?」
「殺人の動機などに興味は無い。が、貴様がこの事件をどう推理したのかは興味がある。事件の背景を正確に推理できるのなら、その能力は今後の我が輩の食事に大いに役に立つ」
「……本当に私の勝手な想像なんだけど」

 ネウロと並んでゆっくりと歩きながら弥子はポツポツと考えを話し始めた。

「殺された彼の『ずっと愛してる』って言葉も、『結婚しよう』って約束も、嘘じゃなかったと思うんだ。きっと、殺される瞬間まで」
「ほう」
「ブログにも書いてあったけど、彼は自分と彼女の社会的な肩書きの違いから『身分違い』って言われることは分かってて、だからこそ、家族とか友達に自分達 が本気でお互いを好きなことを理解してもらって、認めてもらって、皆に祝福してもらって、おめでとうって言われる形で結婚したくて、一生懸命だったんじゃ ないかな。変に二人の関係が噂になったら話がねじまがって広がるかもしれないし、子供が出来たら結婚は出来ても印象はあんまり良くないし、周囲の猛反対で 別れることになったら彼女は体も心も傷付いちゃうから…。それが、世間知らずのお坊っちゃんの甘い理想って言っちゃえばそれまでだけど」
「………」

 言いかけたセリフを先に弥子に言われて、ネウロは微妙な顔で口を噤んだ。
 弥子は視線を足元に落としたまま話を続けた。

「きっと彼女も彼のそんな気持ちを理解してたから、彼の言う通り二人の交際の事は誰にも秘密にして、子供もできないようにしてたんだと思うんだ」
「…それなら殺す必要は無いではないか」
「理解してる、と納得できる、は別問題だよ」

 顔を上げてネウロを見た弥子は、普段よりも大人びているように見えた。月の光を浴びた色素の薄い髪は青白く染まり、生気のない人形のようだった。
 弥子は青白い顔のままポツポツと言葉を続ける。

「いくら彼が真剣でも状況が全然進展しなかったら不安にもなるし苛々もするよ。でも直接的に結婚を催促して嫌われるのが怖かったから、遠回しに彼を突つい てたんじゃないかな。『この間友達に会った時、まだ彼氏が出来ないの?って聞かれちゃった』とか、『この間結婚した友達に子供が産まれたの。私も早く子供 が欲しいな』とか『学生時代の同級生の結婚式に招待されたから行って来るね』とか…」
「自分なりに努力している男の方からすれば鬱陶しいことこの上ないな。恋人からは突つかれ家族や友人からは彼女の一人も作ったらどうだと言われどうでもい い女は金目当てに寄ってくる…優柔不断な性格が災いして誰に対しても毅然とした態度が取れずに自己嫌悪に陥る…それでは浮気の一つや二つしたくなっても無 理はない」

 は、とネウロが吐いた息の塊が白く濁った。
 ネウロの吐く息も白いんだ、と弥子は思いながら言葉を続けた。

「…だからね」
「?」
「彼が持ち出した別れ話も、彼女のためを思っての事だったんじゃないかな。理想は所詮理想でしかなかった、自分では彼女を含めた皆を幸せには出来ない…こんな自分といつまでも一緒にいるよりも、彼女ならもっと素敵な相手と出会えるはずだって」
「馬鹿だな。ベストの選択が無理ならベターの選択で妥協すればいいものを」
「それができるような人なら殺されたりしないよ」
「確かにそうだ」
「きっとね。彼女も最後まで彼の気持ちを分かってたんだよ。分かってたけど、彼への愛は変わらなくて、他の誰かに彼を取られるのも我慢ならなくて。そして 彼も、最後の瞬間まで彼女の気持ちを分かってた。彼も同じ気持ちだった。彼女のに殺されることで彼女の心に永遠に残るのならそれでもいいと思った、だから 抵抗もしなかった…」
「彼女との付き合いに悩んでいたことはブログに記録されていたし、遺体に抵抗した後がなかったから警察も自殺と判断した訳か。…愛ゆえに殺し殺される…さしずめ現代の阿部サダ事件と言ったところだな」
「悲しい、ね」

 湿っぽい声でポツリと呟いて弥子は顔を上げた。

「本当のところはわかんないけどね。『殺したいほど』とか『死にたいほど』誰かを好きになった経験なんて私にはないから」
「ふむ…では貴様も命がけの恋をした相手に裏切られたら、謎に満ちた殺人事件を起こすのか?」

 からかい半分のネウロの言葉に、弥子は真剣な眼差しを返した。

「…だとしたら?」
「その謎は我が輩が美味しく喰ってやろう」
「私が命がけで愛した相手が、あんただったとしても?」
「…何?」

 ネウロは目を丸くして弥子を見て、彼女が冗談を言っている顔ではないのを見て更に驚いた顔になった。

「私が命がけであんたを愛して、そしてあんたを殺したとしても、その謎を喰える?」
「…下らん」
「どうして」
「貴様が我が輩を命がけで愛するなど…そんなことはあり得ん」

 バカバカしい。
 あからさまにそんな顔をしてネウロは鼻を鳴らしたが。

「どうしてよ?」
「種族が違う。貴様は人間で、我が輩は…体に変化をきたしてはいるが、魔人だ」
「だから何?」
「………」
「種族が違うから、何?それがどうして恋愛感情が芽生えない理由になるの?」
「………」
「私もネウロも体があって心があって感情がある生き物で。こうして言葉も通じるしコミュニケーションも取れる。可能性がゼロなんてどうして言い切れるの?ネウロだってこの間言ったじゃない、『地上に来てからの我が輩は貴様一筋だ』って」

 ネウロは今度こそ心底驚いた顔で目をぱちくりさせた。
 思いつめたような弥子の目を見て、彼は緩く唇の端を釣り上げて笑った。

「確かにそうだ。人間の脳や心は我が輩の理解を興味深くはみだすことがある。可能性がゼロだ、と断言することは出来んな。…面白い」
「………」
「ちっぽけで無力な人間に過ぎない貴様が、深すぎる愛情故に魔界生物である我が輩を殺す、か…。実に面白い」

 ネウロはクスクスと笑いながら漆黒の前髪を掻き揚げた。満月の光を翠の瞳が飲み込んで宝石のように揺らめく。
 弥子は無言でその瞳を見つめ返した。

「いいだろう、やってみろ。万が一だが…貴様が本気で我が輩を愛したのなら、知恵を振り絞り全力で我が輩を殺してみるがいい。もし本当にそれが出来たのなら、それこそ我が輩が求め続けた究極の謎かもしれん」
「殺されたあとにどうやって謎を喰うのよ」
「我が輩は殺されても生き返る」
「…冗談に聞こえないからやめてよ」
「逆もあり得るぞ、ヤコ」

 ネウロはわざとらしく真面目な顔で弥子の頭を掴み、顔を覗き込んだ。
 唇が触れあうほど間近から覗き込まれて弥子はぎょっとなった。

「え…逆って?」
「我が輩が貴様に本気で惚れたら、貴様の裏切りを許せずに殺すかもしれんな」
「………………」

 可能性はゼロではない、洒落にならない。
 弥子が引きつった笑いを浮かべると、ネウロはにぃっと笑って彼女の頭から手を離した。

「…まぁ万が一の話だ」
「だよね。何、真剣にもしもの話してるんだろ…私があんたに恋することも、その逆もあり得ないのに」
「ふむ…満月のせいだろう。あの妖しい色の光は心を乱し狂わせる」
「そうだよね、そういうことにしとこ。この話は忘れてよ、ネウロ。私も忘れるから」
「地上に来てからの我が輩は貴様一筋、という話も忘れるのか?」
「あーあ、お腹空いちゃった。ちょっとそこのファミレス寄って行こうよ!」

 残念そうに指を唇に当てて呟いたネウロの言葉は聞こえなかったふりをして、弥子は小走りにファミレスの看板に向かって行った。
 夜を明るく照らし出す満月に悪戯っぽく片目を瞑って、ネウロはゆったりと弥子の後を追った。


END



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