| ただ、なんとなく。 何故そんな事をしたのかと尋ねられたら、そうとしか答えられない。 ただ、なんとなくだったのだ、と。 それはキース・エヴァンスという人物とは遠くかけ離れた理由で、キース自身でさえ自分自身の行動に戸惑っていた。 今日が7月25日で、 一つの予定が終わって次の予定まで中途半端な時間が空いていて、 執務机の上に携帯電話が乗っていたから、 ただ、なんとなく バーンに電話をかけてみるなんて。 キースは机の片隅に控え目に置かれた時計に目をやった。 会議の時間にはまだ早いが、何かをするには短すぎる、中途半端な時間だった。 資料の再確認でもしておこうかと机に眼をやると、『あれば何かと便利ですから』という言葉とともにウォンから渡された携帯電話が目に入った。 気を利かせたつもりなのか別に思惑があるのか、3年前キースが使っていた携帯とデザインも番号も同じ物を用意させたのだと言う。 キースは携帯を手に取り、二つ折りになったそれを開いた。 小さな画面にはシンプルなデジタル時計が浮かんでいる。 アドレス帳を開いても『彼』の連絡先は登録されていなかったが、キースの記憶にはしっかりと記録されていた。3年の時を過ぎても、尚。 …通話ボタンを押す。 そして、記憶の中にある数字を一つずつ順番に押して、懐かしい数字の羅列を確認して発信ボタンを押した。 呼び出し音がする。 驚くほど静かな気持ちで、キースはその呼び出し音を聞いていた。 今更彼に電話をして何になるというのだろう。 3年前は互いを親友と呼び合った間柄とはいえ、挨拶の一つもなくキースは彼の前から姿を消したのだ。彼が良い感情を持っているとは思えない。いや、既に記憶にすら残っていないかもしれないのに。 そもそもこの番号をまだ彼が使っているという確証すらない。 いや。 むしろその方がいいのかも知れない。このまま電話が繋がらないか、繋がっても『キース?誰だっけ?』と言われればいっそ、未練なく思い出を切り捨てられる…。 …呼び出し音が10回を超えても相手は出ない。 「居留守番電話のバーン」 親友と呼んだ彼の不名誉なあだ名をふと思い出し、キースはかすかに唇に笑みを浮かべた。 バーン・グリフィス。 物静かでおとなしいキースとは正反対に、行動的で感情的で情熱的だった彼。 鞄のポケットを有効活用して整然と道具を入れていたキースとは反対に、無駄に大きなビニールバッグにアメフトのユニフォームもランチも教科書も携帯も雑多に突っ込んでいた。 そのビニールバッグの中で携帯が大音量で鳴りだすと、中をひっかきまわして探して、留守番電話のメッセージが流れだしても見つけられなくて、電話をかけ てきた相手が留守電にメッセージを入れ始める頃にようやく携帯を見つけて電話に出る、そんなことを繰り返すうちについたあだ名だった。 12回目のコールで呼び出し音が途切れた。 『ハロー、こちらバーンだ!』 懐かしい親友の声が飛び出してきて、キースはビクリとした。 明るく、元気で、無駄に大声で、一点の曇りもない、記憶の中にあるよりも成長した、しかし確かに覚えのあるその声。 『せっかく電話してくれたのに出られなくてマジごめんな!悪いけど留守電にメッセージと名前入れといてくれ!こっちから折り返すからよ!んじゃーメッセージをどうぞっ!』 ああ、バーン。 君は変わっていないな。相変わらず無駄に明るくて、無駄に元気で、充実した日々を過ごしているんだな。 それを知ることができただけで僕は十分だ。それだけで、十分…。 キースは穏やかな気持ちで口を開いた。 「誕生日おめでとう、バーン。変わりないようで安心したよ。じゃあ…」 『キースっ!!』 「!」 留守番電話ではない声が不意に飛び出してきて、キースは息を飲んだ。 『お前、キースだろ!?キースだよな!?』 「………」 『返事してくれ、答えてくれよ、キース!キースなんだろ!?』 「ああ…」 『こっの、大馬鹿野郎!!』 突然の大声にキースはビクリとした。 体が震える。 ああ、バーン、バーン。 君は本当に変わっていないな。そうだ、君はそんな風に、炎みたいに熱い奴だった。言葉よりも感情が先に走りだして、僕はいつも、そんな君が眩しかった…。 『何も言わずに急にいなくなりやがって、俺がどれだけ心配したと思ってんだよ!何か悪いことしたかなってさんざん悩んで、警察行って、学校サボってこの3 年間、必死にお前を探してたのに、それでも見つからなかったくせに、今頃になって何だよ、何なんだよ、誕生日おめでとうなんて、そんな、そんな電話、して きやがって、この、馬鹿野郎………』 電話の向こうの相手が声を詰まらせた、その事実がキースの胸を詰まらせた。 3年間一度も会っていなかった自分の声を一言聞いただけで自分と気づいてくれた。何も言わずに消えた自分を覚えていただけでなく、探し続けていてくれた。 3年…3年も、だ! 心が、喉が、目頭が、ひどく熱い。 「すまない、バーン。色々なことがあったんだ。一言では言えないほど色々なことが」 『キースお前、一体どんなヤバいことに関わっちまったんだ?』 急に声を潜めたバーンの言葉に、熱くなった心と頭がすっと寒くなった。 何も言わずに失踪したことを犯罪に巻き込まれたと解釈してもおかしくはないが、周囲を気にして声を潜めたようなバーンの行動がそれ以上の不吉な何かを感じさせた。 動揺を押し隠し、努めて冷静に尋ねた。 「…何故、僕がヤバいことに関わったと思うんだ?」 『最初からおかしいとは思ってたんだよ』 バーンはますます声を潜め、キースの中で不吉な予感が凄まじい勢いで膨れ上がっていた。 今こうしてバーンと電話で話していることすら危険だと感じながら、繋がった親友との会話を切ることができなかった。 『お前が何も言わずにいなくなったから、俺はすぐ警察行ったんだよ。誘拐でもされたんじゃないかと思ってさ。なのに、『何かよほどの事情があったんだろ う』とか言われて、全然まともに取り合ってもらえなかった。学校に訴えても似たような返事が返ってきて…それって変だろ?留学生が行方不明になったんだ、 『何か事件に巻き込まれたんじゃないか』って調査くらいするのが普通だろ?なのにさ…なんつうか、関わりたくないって言うか、とにかくそんなような雰囲気 をビシビシ感じたんだ。鈍い俺でも、これはどう考えてもおかしい、胡散臭いって思ったぜ』 「…それで?」 『俺は一人でもお前を探そうと思って3年間必死で探した、だけど何も分からなかった。なのにさ、最近になって警察が俺を訪ねて来たんだよ。連中、何て言っ たと思う?『失踪したキース・エヴァンス君を捜索しているのだが、最近キース君から連絡をもらったことはないか?』だってよ。3年前、俺が捜索願を出した 時は門前払いしたくせに、何を今頃になって捜索してんだ?しかも行方不明者を探してる雰囲気じゃない、指名手配犯の手掛かりを探してるような口ぶりなん だ。…なぁキース』 不意に不安げに響いたバーンの声でキースは我に返った。 携帯をきつく掴んだ手が汗でじっとりと濡れていた。 『3年前に何があったんだ?この3年間、お前はどこでどうしてた?今のお前は一体何をしてるんだ?警察に目をつけられるようなヤバいことやってるのか?なぁ、キース!』 「…君と過ごした時間はとても有意義で楽しかったよ、バーン」 『キース?』 「誕生日おめでとう、バーン。君との日々は大切な思い出として僕の心に永遠にしまっておくよ。だから君も、僕の事は思い出のひとつにしてくれ」 『キース?何を言ってるんだ、お前』 「君の知っているキース・エヴァンスは、3年前不幸な事故で死んだんだ。今の僕は君の親友だったキースじゃない。同じ名前の別人だよ」 熱くなり、冷たくなり、揺れ動き、驚き、跳ねまわった心は有るべきところに静かにおさまっていた。 そう、善良な一般市民バーン・グリフィスの親友だったキースは死んだ。今ここにいるキースは『愚かな人類を滅ぼしサイキッカーの理想郷を創造する方舟・ノア』の総帥なのだ。 人類はノアの敵、抹殺すべき存在。それはかつて親友と呼んだバーンすら例外ではない。 絶句するバーンにキースは静かに最後の言葉を告げた。 「さよなら、バーン。どうか、元気で」 返事を待たずに通話を切った。バーンの言葉を聞いてしまったら、決意が根本から揺らいでしまいそうだった。 お別れだ、バーン。 握りしめた携帯電話が凍りつき、ひび割れ、砕け散った。 氷点下の寒さに包まれた真夏の部屋の中で、キースの頬を熱い涙が伝い落ちた。 |
| サイキ部屋 |
総合目次 |
| 実は10年くらい前から漠然とイメージがあった2010年の話です。2010サイキの長編小説を書こうと思っていて、その序盤で使おうと思っていたエピソードです。 この通話の記録からノアの色々が国家にばれたり、ウォンがキースにバーンを会わせて二人を利用する為に色々画策したり、諸々あって2010サイキの話に繋がるイメージがありました。せっかくの2010年ですので、原点に戻ってバーンとキースに絞った話を作ってみました。 |