| 「こんなところで何をしているのですか」 ノアの施設内にある巨大な倉庫の片隅。 もはや顔の判別すらつかなくなった複数の死体を目の前にして、呆れた顔でウォンが口にした第一声がそれであった。 銀色の髪と白いシャツ、白いジーンズに赤黒い染みを飛び散らせた血の色の眼を持つ男はあからさまに不快そうに唇をねじ曲げた。 「見れば分かるだろうが。そっちこそ何しに来たんだァ?」 「用事があって探していたんですよ、あなたをね」 「はァ?」 「姿が見えないからひょっとして思ったら案の定でした。…私はここの後処理をしておきますから、あなたは着替えと入浴を済ませたら私の部屋に来て下さい。大事な話がありますので。いいですね」 返事を待たずに話を進めるウォンにブラドは噛み付いた。 「おい…勝手に決めんじゃねェよ」 「『これ』が第一人格のブラド君にバレてもよろしいのですか?」 「………」 第二人格のブラドはぐっと詰まり、忌々しく舌打ちをして踵を返した。 ウォンは芳しい香りを漂わせる紅茶とショートブレッドを供したが、『客人』はそれに手を付ける気はないようだった。 腕を組んで強い敵意のこもった眼でウォンを睨み付けている。 ノアの総帥キースが呼び出しても応じないだろうセカンドパーソナルのブラドがウォンの誘いに応じた理由はひとつ。ファーストパーソナルのブラドとウォンは一定以上の信頼関係を築いていて、今やウォンはブラドの一番の理解者であるからだ。 彼は苛々と口を開いた。 「大事な話ってェのは何だ?勿体ぶらずに早く言いやがれ」 「話すと長いので、何処から話せばいいのか…」 「社長さんよォ、アンタは頭が良いんだろう?サクッとまとめてくれよ」 「そうですね…まず、ファースト人格のブラド君が本気で自殺してしまうのではないかと心配で仕方がないのですよ」 「………!」 セカンドのブラドが明らかにギクリとした。 その反応にはわざと気づかない振りをしてウォンは真剣な顔で続けた。 「彼はノアに来る直前にも自殺を考えて実行しかけた時期があったそうですね」 「…俺が全部止めてやったがなァ」 「自殺を考えた原因は、『もう一人の自分』が殺人鬼である事に気付いて、良心の呵責に耐え切れなくなったから…でしたか」 「…………」 「ノアに来た後はキース様の力で一時的にブラド君は救われた。ですがノアは、彼の強大なサイキックパワーを『サイキッカーを救う』という名目で殺人に利用 しているし、キース様のスキを突いてあなたが出て来て暴れればノアの同志まで手にかけてしまう…彼の精神状態は昔に逆戻りしています。…心配でなりませ ん」 「何が言いたい、てめェ?」 ブラドの表情に余裕はない。 ウォンはゆっくりと紅茶を口に含んだ。たっぷりと焦らしてから云う。 「先ほど言ったでしょう。ファースト人格のブラド君が本気で自殺してしまうのではないかと心配で仕方がないのです」 「そんなん、俺が…」 「本当に止められますか?」 「はァ?」 「答えて下さい。ファーストのブラド君が本気の全力で自殺を試みた時、今のあなたは絶対に確実に彼を止める事は出来ますか?」 膝を掴んだブラドの手は小刻みに震え、深紅の眼は激しい怒りと動揺に色を染めてウォンを睨んでいる。 答えが無い事を返答と解釈したウォンは傍らの封筒から書類を取り出して差し出した。ブラドはじろじろとウォンと書類を交互に見て渋々それを受け取った。 「何だァ、これは?」 「私の施設医療施設でカウンセリングした時のファーストブラド君のカルテに、私の個人的見解を補足したものです」 「………」 ブラドは長い爪で器用に書類をめくった。 初めて『記憶が抜け落ちた時間の存在』に気付いたのは、両親が強盗に殺されているのを見つけた6才の時。しかしその時はショックで気絶していたと信じ込 み、数日間の記憶の空白に特に疑問を持つ事は無かった。その部分にウォンの文字で『超能力研究所に拘束され、セカンドパーソナルが覚醒し施設を脱走したと 考えられる』と注釈が付いている。 (…正解だなァ) ブラドは続きを追った。 両親の死でショックを受けて祖父母の家で目覚めたブラドは、自分に不思議な力がある事に気付いた。祖父にその事実を打ち明けたところ、絶対に人前でその 力を使わないように、そして記憶が抜け落ちる事があってもそれは不思議な力の副作用だから気にする事は無い、ただし記憶の抜け落ちに気付いたら必ず教えて 欲しいと言い付けられた…と続いている。 孫のサイキックパワーだけで無くセカンドパーソナルの存在とその行動も把握していた祖父は、ファースト人格のブラドに何も悟らせないために様々な手を尽くしていたのだろう。 そしてブラドは20年近くも祖父の言い付けを素直に守り、『もう一人の自分』の存在には気付かないまま生きて来た。 その生活が激変したのは2010年の初春。 ふと気付くと服に自分のものではない血が飛び散っていたり、爪の間に血がこびりついていたり、尋常ではない事が起き始めた。それも決まって、記憶が抜け落ちた直後に。…そしてとうとう彼は、セカンドのブラドが人を殺したその現場を目の当たりにし、真実を知った。 祖父も、そして恐らく叔父も、ずっと以前から『二人目のブラド』の存在に気付いていた。『彼』が何をしているかも知っていた。その上でブラドを守るた め、全てをもみ消し闇に葬って来たのだと…ファーストのブラドは察した。だから言えなかった。祖父や叔父が大好きで言葉に出来ない感謝の気持ちがあったか らこそ、『もう一人の自分がいて何をしているのか知ってしまった』とは言えなかった。 誰にも言えない悩みを抱えて苦しんだブラドは自殺を試みたともあった、しかしその度にセカンドのブラドが阻止して来たのだが…。 今までは自分が完全に握っていた『人格交代の主導権』を、ファースト人格のブラドに奪われつつあることをセカンド人格のブラドは気付いていた。去年の自 分なら、殺人の痕跡を残したままファースト人格と入れ代わるなど…ましてや殺人現場でファーストを表面化させるなど、そんなヘマは絶対にしなかった。 『ファーストのブラド君が本気の全力で自殺を試みた時、今のあなたは絶対に確実に彼を止める事は出来ますか?』 出来る、と断言する自信はもうなかった。 ファーストが本気の全力でセカンドの彼を押さえ付けて命を絶とうとしたら…考えたくもない。 次の書類に眼をやったブラドはピクリと眉を動かした。 わざわざ赤いペンで記入された注釈。 (ファースト人格ブラドがセカンド人格に気付いた時期は、キースがテレパシー発信を始めた時期と一致する、だと…?) ブラドは続きを眼で追った。 キースのテレパシーが刺激になってファースト人格ブラドの潜在的なサイキック能力が目覚め、『ブラド・キルステン』という体を支配する第一人格と第二人 格の力関係に変化が起きたのではないか。それまで人格交代の主導権を握っていた第二人格の意図しないタイミングで第一人格が表に出てしまうのはその辺りに 理由があるのではないかと、ウォンは推測しているらしい。 更に彼は、第二人格を抑えているのはキースではなく第一人格のブラドではないか…と文を結んでいた。 セカンドブラドはギロリとウォンを睨んで、書類の最後の一文を指差した。 「…おい社長さんよ、これはどういう意味だァ?」 「言葉通りの意味ですよ」 「それを説明しろって言ってンだよ!」 「やれやれ、それが人にものを頼む態度ですか」 ウォンはわざとらしくため息をついて、まぁいいでしょうと指を組んだ。 「『もう一人の自分』に気付いたブラド君の精神状態は非常に不安定でした。ですが、助けを求めてノアに来て、『私のサイキックパワーでもう一人の君を抑制 するからもう大丈夫だ、何も心配いらない』とキースに言われたことでブラド君は安心し、精神は落ち着き安定した。あなたを抑えたのは、『キース様がもう一 人の自分を抑えてくれている』と心の底から信じたファーストのブラド君自身だったのではないでしょうか?」 「それが、ノアの理想の為とか御大層な事言われて人殺しを強要されるようになって、また精神状態が不安定になって俺を抑えられなくなったと、そういう訳かァ?」 「恐らくは。…強大な力を持ちながら人間を殺す事に消極的なブラド君を責めるようなノアの同志達の態度も精神状態をアンバランスにする一因になっているでしょうね」 「じゃあキースの力は何の役にも立ってないってことか?」 「全くとは言いませんが、ファーストブラド君の力を補助する以上の効果はないでしょうね」 「…………」 ブラドは苛々と爪を噛んだ。 正直、ウォンのことは気に入らない。しかし信頼できると言う意味ではキースよりウォンの方がマシだ。 頭を下げるのは癪だが背に腹は変えられない。 「で?俺にどうしろってんだァ?」 「話が早くて助かりますよ」 すっと眼鏡を押し上げて、ウォンは口元に笑みを刻んだ。 …解決策があるらしい。 身を乗り出したブラドを軽く片手で制して、ウォンは切れ長の眼に鋭い光を宿した。 「念のためにお聞きしますが、この会話はファーストのブラド君には聞かれていませんね?」 「問題ねェよ」 「ではお話しましょう。私が考える解決策は大きく分けて二つ。ひとつ目は、あなたが誰かを殺す時は第一人格のブラド君に了解を得る事。二つ目はあなたと第一人格のブラド君が仲直りして共存する事」 「っはァ〜!?」 思わず素頓狂な声が出た。 人並みはずれて頭の良さそうなウォン様だから、さぞかし素晴らしい解決策を提示してくれるのだろうと期待したら…。 「バッカじゃねェのか!?」 下唇を突き出して吐き捨てたが、ウォンの唇に刻まれた笑みは消えなかった。どうやら彼は本気で言っているらしい。 「ところでブラド君。あなたが殺したい相手と言うのは、ファーストのブラド君に害を為す者と考えて間違いないでしょうか」 「……そーだよ。それがなんだってンだ?」 「ファーストのブラド君に何かあっては困る、というのは私もあなたも同じ。利害が一致する者同士、手を組みませんか?」 「だからアンタは回りくでェんだよ!」 「第一人格のブラド君に害を為す者を見つけたその時は、殺す前に私に教えてくれませんか」 「…何でだよ」 ウォンは唇の前に人さし指を立てた。秘密ですよ、と言うように。 「『始末』は私が請け負いますから」 「………はっ?」 「あなたが誰かを殺したのが第一人格ブラド君にばれたら面倒な事になる。ならばあなたが誰も殺さなければ済む話。でしょう?」 「それは…そうだが……」 「ノアにいる限り、サイキッカーを助けると言う大義名分で人間を殺すのは避けられない。ならばそちらの『仕事』はあなたが請け負えばいい。あなたは思う存分人間を殺せるし、ノアは強大な力を持つブラド君が協力的になって大助かり。まさに『一石二鳥』という訳です」 「てめェ…」 セカンドのブラドは呆れた顔になって目の前の胡散臭い東洋人を見つめた。 「何を企んでやがるんだァ?」 「特に何も。ただ、ブラド君とは公私問わず良い友人になれそうだから失いたくないだけですよ」 「………」 「私が彼に害を為すと判断したその時は、あなたが私を殺せば良いだけの話。違いますか?」 「アンタが黙って殺されるタマかよ」 吐き捨てて視線を逸らし、彼はボソリと続けた。 「ま、ファーストを傷つける真似をするような奴がいたら取りあえず次からはアンタにも教えてやるよ」 「よろしくお願いします。情報を頂いた後はこちらで調査の上、的確かつ迅速に処理し、あなたにも御報告しますよ」 「そーかい」 「では、わざわざお呼び立てして申し訳ありませんでした。何かありましたらまたお願いします」 話は終わった、と言いたげなウォンの言葉にブラドは眉根を寄せた。 「ちょっと待てよ」 「何です?」 「何です、じゃねーよ。もうひとつの話がまだだろーが」 「もうひとつ?」 「とぼけんじゃねェよ、ファーストと、その、仲直りしろって言ったのはてめぇだろォがよ!」 「そちらにも私の助言が必要ですか?」 わざとらしくとぼけるウォンに、手玉に取られていると自覚しているブラドは頬を染めて噛み付いた。 「ヒントくらいよこせや!」 「そうですねぇ…私が思うに、第一人格のブラド君はあなたに対して完全に心を閉ざしているようですから、まずその心を開いてもらった方がいいでしょうね」 「どうやって?」 「あなたは彼に対して敵意や悪意がある訳ではないと伝えては?」 「だから、どーやってだよッ!」 「古典的な手段ですが…」 ウォンが提案した手段にセカンドのブラドは絶句し、ギリギリ歯軋りして俯き、ぶちぶち言って、頭をガリガリ掻き、苛々と貧乏揺すりをして、ああもうコンチクショウと喚いて立ち上がると乱暴にドアを開けてウォンの部屋を出て行った。 …それから暫くして、半ばドアを蹴り開けるようにしてセカンドパーソナルのブラドが戻って来た。 仕事の電話中だったウォンは、通話口を押さえてため息をついた。 「ブラド君、ノックをしてくれとは言いませんがもう少しお静かに部屋に入って頂けませんか」 「うるっせェ!」 白磁の肌を薄赤く染めた彼は一冊のノートをウォンのデスクに叩き付けた。 「俺はあんたの言った通りにしたからな。これでうまく行かなかったら責任取りやがれよ、いいなッ!」 「そんな御無体な…」 「確かに預けたからな!!」 ブラドは長い爪でウォンを指差すと足音高く部屋を出て行った。 見送ったウォンはもう一度ため息をついて電話を再開した。 「ああすいません、失礼致しました。お孫さんがお見えになったもので…。そうです、ヤンチャな方のお孫さんです。先ほど腹を割って話し合ったところ、もう無断で人を殺さない、大人しい方のお孫さんと和解する努力をする、と約束してくれまして。…ええ」 デスクに叩き付けられたノートを手に取り、ウォンは満足げに微笑んだ。 「彼は聡明で優しい人ですから…きっと分かってくれるでしょう」 ノアの理想が実現する未来など訪れるはずがないという事を。 キースとウォン、彼の救い主となるのはどちらなのかを。 翌日。 花を新しいものと取り替えるためにブラドはウォンの部屋を訪れていた。 彼の仕事が終わるのを待ってウォンは声をかけた。 「ブラド、実はあなたに渡したいものがあるんです」 「僕に?」 「はい」 ウォンは、セカンドパーソナルのブラドに『預けられた』ノートを差し出した。 何の変哲もない大学ノート。 ブラドは首を傾げてそれを受け取った。 「何、これ?」 「そうですねぇ…いわゆる交換日記というものでしょうか」 「僕とウォンは毎日会って話も出来るのにわざわざ交換日記?」 「私とではありませんよ。あなたに渡してくれと頼まれただけですからね」 「え、誰に?……」 ノートをめくったブラドは言葉を切った。 そこに綴られた、お世辞にも丁寧とは言えないドイツ語で乱暴に書かれたメッセージ。 『俺はもう、お前に黙って人間を殺さない。努力をする』 ブラドは何度も何度もその短いメッセージを読み返した。 そのメッセージの送り主が誰なのか思い当たるまでしばらくかかった。いや、本当はすぐ分かったが、その事実を受け入れるまで多少ではないタイムラグがあった。 ブラドは驚愕に眼を見開いてウォンを見遣った。 「ウォン…これ、どういうこと?」 「私に聞かれても困りますねぇ。私は他人の日記を盗み読む趣味はありませんので…何か気になる事でも書いてあったのですか?」 「もう一人の僕と何か話したの?」 「それは秘密、です」 ウォンは意地悪く含み笑って、そして言った。 「そういう質問はそのノートに書いておいたらどうですか?『彼』が答えを返してくれるかもしれませんよ」 「…………」 ブラドはもう一度じっとそのメッセージを見つめて、デスクの上にあったペンをとった。 ペンの端を噛み、散々悩み、考え、何か書きかけてやめ…長い時間逡巡して、ようやくメッセージを書くと、ノートを閉じてウォンに渡した。 「ウォン、悪いんだけど『彼』に渡しておいてくれる?」 「どうしてあなた達は私を伝書鳩変わりに使うんですか…。御自身の部屋に置いておけばいいじゃないですか」 「ん…なんて言うのかな、今まで凄く近くにいたのに一言も話した事無かったから、間に誰か立って欲しいって言うか…そんな感じかな」 「…分かりました。今回だけですからね」 「ありがとう、ウォン」 ブラドはほっとしたように微笑んだ。 ……… …セカンドのブラドは複雑な顔で差し出されたノートを受け取った。 ページをめくりもせず、素っ気無いノートの表紙をじーっと見つめていた。ウォンが言うには、ファーストのブラドが『かなり長い間悩んで』何かしらの返事を書いたらしいが。 じろりとウォンを見ると、彼は『自分の役目は終わった』と言いたげに忙しく電話で話しながら仕事をしている。 何が書いてあるのか尋ねたところで、知らないと言われるのがオチだろう。 「………」 すーはー。 深呼吸して、小刻みに震える手で表紙をめくった。 …そこに書かれていた、とても短いフレーズ。 その、たった一言が。 セカンドの心を優しく掴み、凍り付いていた心を氷解させていった。 胸の奥底から熱い思いが込み上げて、彼は唇を噛んで涙を堪えた。 ファーストの想いを全て凝縮した言葉が視界の中でぼやけた。 「Vielen Dank!」 |
| サイキ部屋 |
総合目次 |
| 本編の「過去1」で、何となく「ファーストブラドとセカンドブラドの和解」を書いたような気分になっていたんですが、ぼんやりとネタが浮かんだので試しに書き始めたところ何とか形になりました!和解する話と言うより和解のきっかけになった話、ですね。 ちなみに中盤でウォンが電話している相手はブラドの祖父のジーク・キルステンです。この辺は「過去1」に書いてあるのでそっちを参照していただければ…。 セカンドのブラドの存在意義(?)は、ありがちなんですが「ファーストを守る」です。でも、守りたくて頑張ってるのに逆に精神的に追い詰めてると言うジレンマ。この辺はキースに通じるものがありますね。「守りたい、救いたいのに追い詰めてしまう」という。 最後のドイツ語は、「ありがとう」って意味です。ネットの和独辞書がうまく使えなかったので正確ではないかもですが…。 |