双子神2012・ 融合
EPISODE 12


 一行が最初に向かったのはタナトスの神殿だった。
 いつものように神殿の掃除をしていたオルフェウスは、一行の先頭をオオイバリで歩いてくる着ぐるみのヘカーテに怪訝そうな顔になり、小さな双子神の姿にますます怪訝そうな顔になった。

「お帰りなさいませ、タナトス様、皆様。何やら大変なことになっているとヘカーテ様から伺いましたが…」
「まぁ、な…」

 タナトスは小さな双子神の事情をざっと説明し、ヘカーテの着ぐるみについては『いつものアレだ、気にするな』とだけ言った。ヘカーテのコスプレにはもはや慣れっこのオルフェウスはその短い説明ですんなりと納得して、神殿の中庭にあるイルカの水槽に皆を案内した。
 一行の気配を感じたらしいイルカ達がバシャバシャと集まってくると、双子神(子)はたちまち目を輝かせて水槽の縁に駆け寄った。
 キュイ、キューィ。
 好奇心いっぱいの様子で水面から顔を出すイルカに双子神(子)は手を伸ばして、手のひらをつつかれては歓声を上げてはしゃいでいる。
 オルフェウスが飼育小屋から持って来たそこそこきちんとした椅子に腰を降ろしたハーデスは、楽しげにしている双子神(子)を優しく見ながら尋ねた。

「オルフェウス。イルカのショーが見たいのだが、出来そうか?」
「そうですね…火の輪くぐりとか大掛かりな物は無理ですが、フープをくぐるとかキャッチボールとか、そのくらいなら出来ますよ」
「なら頼むとするか。余も久々にショーを見たいぞ」
「かしこまりました」

 …飼育小屋に戻ったオルフェウスがフープやボールや餌の入ったバケツや笛を用意して戻ってくると、双子神(子)はますます目を輝かせた。
 すっかりイルカの飼育係が板に付いたオルフェウスは、笛を鳴らしてイルカを呼び集めると、水槽プールの淵にへばりついていた双子神(子)に声をかけた。

「では、タナトス様、ヒュプノス様。イルカの芸の補佐をお願いしてもよろしいでしょうか」
「勿論だ!何をすればいい?」
「えっと…ではまず、鞄を置いて来て頂けますか?その中にオヤツがあるのかとイルカが気にしてしまうので…。タナトス様のキャンディーも置いてきて下さい」
「む、そうか」

 双子神(子)は素直に頷くと仮ごしらえの観客席に肩掛け鞄を置き、タナトスはガイドの旗のごとく大事に握っていたペロキャンを鞄に入れた。
 ウキウキとふたりが戻ってくると、オルフェウスはフープをひとつずつ渡して、間隔を開けてプールサイドに立つように指示を出した。
 ピーッ!
 オルフェウスが笛を吹くと、イルカがいわゆる立ち泳ぎをしながらきちんと水槽に整列した。
 ピピーッ!
 もう一度笛を吹いてオルフェウスが片手をあげると、イルカ達が助走をつけるように水槽を泳いで水面にジャンプし、双子神(子)が水槽の上に差し出したフープを順番にくぐった。
 ばっしゃーーーん!!
 盛大に水しぶきが上がって双子神(子)にかかったが、ふたりは怒るどころかますます歓声を上げてはしゃいでいる。
 フープをくぐる芸が終わると、オルフェウスは餌の魚が入ったバケツを双子神(子)に渡した。
 たちまちご褒美をねだりに集まって来たイルカ達の口に、双子神(子)は目をキラキラさせながら魚を一匹ずつ入れてやった。

「順番だ、順番!」
「いたっ!お前、俺の手まで食べようとしたなっ!」

 そんな事を言いながら楽しそうに魚をやっている双子神(子)を見ていたトナカイ(ヘカーテ入り)が、やおらすっくと立ち上がった。何をやり出す気だと双 子神(大)とハーデスが怪訝そうに見つめる中、彼女は水槽の淵…プールなら飛び込み台がある位置…に立ってふんぞり返った。
 イルカに魚をやり終えた小さな双子神もヘカーテに気付くと、トナカイはくるりとターンして水槽の中に足を踏み出した。
 え?と驚く異世界の双子神の目の前で、パチャパチャと音を立てながら(着ぐるみの背中の羽もパタパタ動いている)彼女は水面をてててててててと疾走した。
 反対側のプールサイドまで一気に走って皆の注目を集めた彼女は、ジョジョ立ちをしようとして失敗したようなヘンテコなポーズをとった。

「秘儀、水遁の術!!」

 大人の面々は『水遁の術ってそんなんだっけ?』と思ったが、双子神(子)は素直に感心したらしくぱちぱちと拍手した。
 その拍手に気を良くしたらしいヘカーテは、今度はゆっくりと水面に足を降ろして水槽のまん中まで歩いていくと、再度ヘンテコな立ちポーズをとって見せた。
 …実際は水面を歩いているわけではなく、細い氷柱を水槽の中に作ってその上を歩いているのだが、氷の柱は歩くそばから溶けて行くし、光の加減や角度のせいで小さな双子神のいる水槽の淵からは氷の柱は見えない。なので、まるで水面を歩いているように見えるのだ。
 双子神(子)の拍手喝采に気を良くしたらしいヘカーテは、オルフェウスに向かって手を振った。

「オルフェウス、ボールをくれ!」
「はい、只今」

 オルフェウスがカラフルなビーチボールを投げると、ヘカーテはミトンの手で器用にキャッチして足場にしている氷の柱をこんこんとつま先で蹴った。
 すると、魚を貰っていたイルカ達が因幡の白ウサギに出て来たサメのごとくきちんと並んだ。
 一番近くにいるイルカにヘカーテがぽんとボールを投げると、イルカは口でボールをポンポンと弾ませて隣にいるイルカに渡した。…イルカ達はバケツリレー の要領でボールを運んで、水槽の淵にいる双子神(子)にぽんと投げた。ボールを受け取った双子神(子)ぱぁぁ…と顔を輝かせ、イルカにボールを投げ返し た。投げ返されたボールはまたイルカ経由でヘカーテの手元に戻った。
 …ビーチボールのバケツリレーをひとしきり楽しんで、ヘカーテがインチキくさい『水遁の術』で水槽から出て観客席に戻り、オルフェウスがイルカの曲芸を幾つか見せて、突発イルカショーは終了となった。
 双子神(子)はプールサイドに膝をついて、バケツに残っていた魚をやりながらイルカを撫でたり、水面からひょいと顔を出したイルカにキスをしたり、名残惜しそうにしながらヒュプノス(子)が立ちあがった時。
 水の中に戻りかけたイルカを撫でようと身を乗り出していたタナトス(子)がバランスを崩して水槽に落ちそうになった。

「うわっ?!」
「…タナトス!」

 ヒュプノス(子)は咄嗟に兄の服を掴んで支えようとしたが、変な体勢で掴んだせいで踏ん張りが利かず、結局。
 どっぼーん!!
 オルフェウスや他の神々が助けに行くのも間に合わず、ふたり揃ってイルカの水槽に転落した。

「うわわわわわ、タナトス様、ヒュプノス様!」
「大丈夫か?」

 オルフェウスとタナトスが水槽に駆け寄ると、イルカに支えられて双子神(子)が水面から顔を出した。ケホコホと咽ながら水槽の淵に掴まり、イルカに身体を押し上げられ、タナトス(大)とオルフェウスに引っ張られてふたりはプールサイドにぺたんと座った。
 ヒュプノス(子)は多少情けない顔をしていたが、タナトス(子)は楽しそうにニコニコしている。そんなふたりに、タナトス(大)は呆れた顔で声をかけた。

「何をやっているのだ、お前達は」
「あはははは、まさかヒュプノスまで一緒に落ちるとは思わなかったぞ。鞄を持っていなくて良かったな」
「………」
「全く…。お前達、着替えは持って来ているのか?」
「そんなもの持っていないぞ!こんなことになるとは思っていなかったからな」
「威張って言う事か?子供用の服などここには無いぞ」
「とりあえず髪と身体だけでも拭いた方が良かろう。そのままでは風邪をひく」
「…そうですね」

 ハーデスの言葉に、タナトス(大)は溜息をつきながらずぶずぶに濡れたふたりを立たせた。
 幸い、タナトス神殿は水槽のある中庭から離宮にある露天風呂に直接行ける構造になっている。ハーデスとヘカーテには離宮のリビングで待ってくれるように 頼み、タナトス(大)とヒュプノス(大)は小さな自分達を風呂に連れて行き、塩水で濡れた服の洗濯をオルフェウスに任せ、ふたりの髪と身体をざっと洗って 着替えを持って来た。とは言え、子供用サイズの服など有るはずもなく、双子神が普段着ているローブの袖や裾をまくって、腰帯をたすきのようにかけて何とか ごまかすのが精一杯だったが。
 着替えを終えて戻ってきた双子神(子)を見て、ハーデスは首を傾げた。

「着替えについては何とかなったようだな。…しかしお前達のその格好、どこかで見たことがあるような…」
「ハーデス様もそう思われますか。俺達も着替えを手伝いながら同じことを思ったのですが…」
「む、俺もそう思うぞ」

 皆が首を傾げたがデジャヴの理由は分からず、まぁいいかと双子神(子)はタナトスの私室を見学し始めた。妙にデジタル機器が多く比較的こじんまりした部屋をぐるりと一周し、何気なく戸棚を見遣り、ふたりはびっしりと並んだシルバーアクセに目を丸くした。
 タナトス(子)は大きな目をぱちぱちさせてタナトス(大)を振り返った。

「お前はそんなにオシャレに気を使っているのか?そう言えば地上に来た時もネックレスをしていたが」
「好きこのんでやっているわけではない、仕事だからだ」
「仕事?」
「そう言えば、城戸財閥のモデルをしているとか言っていたな」
「ああ。地上で行動するには地上の金がいるからな。アテナに資金を融通してもらう対価としてモデルの仕事をしているのだ。地上に来る時に城戸ブランドのア クセサリーをつけるのも仕事の一環だと言われてな。新作が出るたびにやれコレをつけろソレをつけろと渡されて、その状況という訳だ」
「そうなのか」

 タナトス(子)は指輪をひとつ取って指に填めてみたが、案の定どの指に填めてもサイズは合わなかった。

「やっぱりガバガバか」
「当たり前だろう」
「………」

 残念そうに指輪を戻した男の子の姿に、タナトス(大)は軽く首を傾げた。

「それが気に入ったのならやろうか?」
「え…でも、仕事道具なのだろう?それに俺の指には合わないし」
「ひとつやふたつお前にやったところで問題ない」

 タナトス(大)は別の引き出しを開けてネックレスのチェーンを取り出し、指輪をペンダントヘッドにしてタナトス(子)の首に付けた。
 たちまち嬉しそうに顔を綻ばせるタナトス(子)の頭を撫でて、銀の神は複雑な顔をしているヒュプノス(子)に目をやった。

「で、お前はどれが良いんだ?」
「え?」
「兄貴にだけ物をやって弟のお前にやならいのでは不公平だろう。まぁ、要らないなら無理にとは言わんが。お前はこの手の物に興味はなさそうだしな」
「………」

 ヒュプノス(子)は複雑な顔で沈黙した。
 タナトス(大)の言う通りアクセサリーに特に興味はない、でも兄が貰ったのなら自分も欲しい、けどコイツから何か貰うのは癪なような気がする…。
 そんな複雑な沈黙の理由を察したのか、ヒュプノス(大)がそっと助け船を出した。

「欲しいものを決めかねているなら、タナトスと同じ指輪を貰ったらどうだ?」
「おお、お揃いか!それは良いアイデアだな」
「…同じものがあるのか?」
「ああ、あるぞ。では、お前もこれでいいのだな」

 タナトス(大)はタナトス(子)にあげたのと同じデザインの指輪をチェーンに通して、ヒュプノス(子)の返事も待たずに彼の首にかけた。
 ヒュプノス(子)は複雑な顔をしていたが、お揃いのネックレスを貰って嬉しそうに微笑む兄神を見て、ネックレスをがばがばのローブの襟もとにもぞもぞと入れた。

「ありがとう、大事にするぞ!」
「…一応、私も礼を言っておく。ありがとう」
「一応は余計だ」
「あっ、思い出した!」

 そんなやりとりを眺めていたヘカーテがミトンの手をぽんと打った。
 何をです、と皆が目を向けると、彼女は嬉しそうに両手を振り回した(どういう仕組みか背中の羽もパタパタと動いた)。

「チビタナトスとチビヒュプノスの格好だ!どーも見覚えがあると思ったんだが、あれだ!水戸黄門の助さん格さんだ!」
「あっ…」
「ああ、それか!」
「喉に刺さっていた小骨が漸く取れたような気分だな」

 皆の反応を見回したヘカーテはこほんと一つ咳払いして、ミトンの手をずびしぃっと差し出した。

「助さん、格さん、やぁーっておしまい!」
「…ヘカーテ様、前半と後半でキャラが違います」
「ん?」
「「あらほらさっさ〜〜!!」」

 ヘカーテのお約束のボケに双子神(子)が楽しそうに敬礼して声をあげて笑った。
 そんなやりとりに和みつつ、タナトス神殿の見学を終えた一行はトナカイヘカーテを先頭にヒュプノスの神殿に向かった。





 お前達が見て面白いものがあるかどうか…と前置きして、ヒュプノス(大)は神殿内にある自身の趣味の部屋に皆を案内した。
 部屋に足を踏み入れた双子神(子)ははぁーっと溜息をついた。タナトス(子)はどこかガッカリしたように、ヒュプノス(子)は高まる気持ちが溢れるように。
 …書物や芸術をこよなく愛するヒュプノスの私室は、国家レベルの美術館と図書館が融合したような場所だ。空間を惜しみなく贅沢に使い、緻密な意匠がさりげなく施された書棚に整然と本が納められ、そこかしこに絵画や彫刻が飾られている。
 ヒュプノス(子)は目を輝かせて書物の棚や絵画や彫刻を見て回っているが、タナトス(子)は近くの本棚や絵画を少しばかり眺めたが、興味を引かれるものはこれと言ってなかったらしくタナトス(大)の隣に戻ってきて彼の手を握った。

「…ヒュプノスはこういう芸術関係に目が無いが、俺はタナトス神殿の漫画やゲームがある部屋の方が好きだぞ」
「そうだな、俺もこんな辛気臭い部屋は好かぬ。やはり娯楽はシンプルに躍動感のあるものでなくてはな」

 タナトス同士が意気投合していると、ヒュプノス(子)が書棚から本を取った。
 彼が床にぺたりと腰をおろして本を開くのを見たタナトス(大)はなんとなーく嫌な予感がした。ああいう行動をとる手合いは、一度本に没頭すると梃子でも動かない傾向があるからだ。
 …嫌な予感は的中した。『辛気臭い部屋は好かない』タナトス達がかなり広い部屋を一周して来ても、ヒュプノス(子)はびくとも動かず本を読んでいた。

「おい、チビ助。本など後からでも読めるであろう。次に行くぞ」
「…………」
「声などかけても駄目だ。ヒュプノスが本に没頭したら、ハーデス様が呼んでも聞こえないのだ」
「…………」

 タナトス(大)はひとつ溜息をついてヒュプノス(子)が読んでいる本をサッと取り上げると、タイトルを見て顔をしかめた。

「『ハリー・ポッター』?こんなものを読み始めたら最後まで止まらぬぞ。後にしろ、後に!」
「なっ…何をする?!今、話が面白い展開になっていたのに!返せ!」
「後にしろと言ったであろう。皆と一緒に行動が出来ぬと言うのなら…」

 タナトス(大)は片眉をそびやかして、本を取り返そうと服を掴むヒュプノス(子)を見降ろした。

「今後の展開をダイジェストにネタバレするが、いいのだな」
「え」
「これから先、登場人物はどんどん死んでいくぞ。勿論、味方側の重要人物もな。ちなみに犠牲者第一号は…」
「まっ…待て待て待て!分かった、本を読むのは後にする!」

 ヒュプノス(子)が慌てて手を離すと、タナトス(大)はにやりと笑って本を返した。
 ヒュプノス(子)が渋々本を返しに行くと、ヒュプノス(大)が穏やかに声をかけた。

「その本は新書版もある故、そちらを貸してやろう。元の世界に戻った後ゆっくりと読むが良い」
「え…でも、私達が元の世界に帰ったら返すことも出来ないのでは…」
「返さなくとも構わぬ。今の地上で調達できる本ならばまた買えば良い故な。夕食が済んだらゆっくり読みたい本を探しに来るが良い」
「あ、ありがとう…」

 ヒュプノス(子)はまだ少し名残惜しそうにしていたが、ヘカーテを先頭に皆がヒュプノス神殿を出て行ったので大人しく後をついて行った。エリシオンの地理は彼のいた世界と同じのようだが、それでもひとりで行動しては迷子になりそうで心配だったのだ。





 次に向かったヘカーテ神殿に入った異世界の双子神は少々驚いた顔をした。
 意外にもと言うべきか、ヘカーテ神殿の部屋はカッコいい系というより可愛い系のインテリアで纏まっていた。椅子やテーブルの白いカバーにはレースがあし らわれているし、部屋のそこかしこにぬいぐるみやキルトや花が飾られている。部屋の一角に置かれたティーセットも実に乙女チックなデザインで、可愛らしい 刺繍が施されたナプキンがかぶせてあり、その隣にはお手製らしいスコーンやジャムが小瓶に詰められてちょこんと置いてある。
 興味津々と言う顔で目を輝かせる双子神(子)に気を良くしたのか、ヘカーテはぴょこたんぴょこたんと部屋の中を歩き回り、ふたりが興味を持ったものを得意気に解説した。

「ヘカーテ様、この、背中にチャックのついたクマは何ですか?」
「リラックマだ。ちなみに好物は団子、ホットケーキ、オムライス、プリンらしい。こっちの白いのはコリラックマ、この鳥はキイロイトリだ」
「あはは、そのまんまではないか」
「壁に飾ってある花輪は特別な物なのですか?」
「よくぞ聞いてくれたなヒュプノス!あれはな、私がタナトスと初めてデートした時に貰った花冠だ。大事な記念の品だからな…タナトスに花の死を奪ってもらって、枯れぬようにして飾っているのだ」
「へぇ〜。じゃあヘカーテ様、このジャムは?とてもいい匂いがしますけど」
「エリシオンの花や果物で作った私特製のジャムだ。ベルセフォネーがいたく気に入ってな、エルミタージュ洋菓子店で食べることもできるぞ」

 双子神(子)は感心の溜息をもらし、顔を合わせてしみじみと言った。

「本来、女性の部屋というのはこうあるべきなのだ。ぬいぐるみや花が飾ってあって、手作りの菓子が置いてある…」
「タナトスよ、根本的なところから間違ってはおらぬか?そもそも、ヘカーテ様は女性ではない」
「…………。それもそうだな」
「………………」

 ふたりの会話を聞いていたヘカーテは急に無口になり、ハーデスと双子神(大)は『我々はヘカーテ様を女性だと思っていますよ』とフォローすべきか何とも複雑微妙な顔で考えていた。
 冥界の神々の微妙な沈黙に気付いたのか、異世界の双子神は慌てて言った。

「あ、『女性ではない』と言ったのは我々の世界のヘカーテ様のことですよ?」
「そうそう。この世界のヘカーテ様の事は、俺もヒュプノスもちゃんと女性だと思っていますから!」
「あれこれと言葉で説明するよりも見せたほうが早かろう。ほら、これが我々の世界のヘカーテ様だ」

 ヒュプノス(子)が鞄から写真を二枚取り出して見せた。
 一枚目には子供の双子神とハーデス、パンドラ、そして女神らしき女性が三人写っている。二枚目はホームステイ先で撮ったもので、星矢・星華姉弟が一緒に写っていた。
 星矢と星華は今より若いな程度で特に興味を惹かれるものはなく、皆は冥界で撮ったらしい写真に注目した。

「…んん?お前達とハーデス様は分かるが、女性陣は初めて見る顔ぶれだな」
「この黒髪の女はパンドラのようだな」
「そうか、お前達の世界にはパンドラもいるのか」
「え?ではこの世界にパンドラはいないのか?」
「ああ、おらぬ。裏切り者が蘇ったところで居場所を与えてやるほど、俺は寛大ではない故な」
「………」
「パンドラが蘇ったところで、タナトスがこの調子では冥王軍に身を置くのは辛かろう。故にあいつはここにはおらぬのだ」
「…………」
「で、どれが誰なのだ?雰囲気的にこれが私でこっちがベルセフォネーのようだが」

 重くなりかけた空気を晴らすように、ヘカーテが写真を指した。
 これ、と言ってもミトンの手なのでどこを指しているか分からない。双子神(子)はクスリと笑って順番に女性達を紹介した。

「この麻呂眉の方がヘカーテ様だ」
「なるほど…確か、必要以上に肌を出す服がお好きらしいな」
「この黒いローブの方がペルセフォネー様」
「そちらの世界では妃がいるのだな…羨ましいぞ」
「そしてこれがパシテア」
「……………」

 その言葉を聞いた途端、ヒュプノス(大)の頬がピクリと動いた。
 表情に乏しいその顔が僅かに引き攣った事には気付かない振りをして、タナトス(大)は大袈裟に感心した振りをした。

「ほう…ちゃんとパシテアもエリシオンにいるのか」
「いるというか…聖戦が終わったから戻ってきた、と言った方がより正確だろうな」
「…あれ?そう言えば、この世界のパシテアをまだ見ていないが…。ひょっとしてパシテアも記憶をなくして地上にいたりするのか?」
「…………」

 子供故の無邪気で無遠慮な質問に、流石のヒュプノス(大)も明らかに不快そうな表情になった。
 その反応を見た双子神(子)は、『まずい事聞いちゃった?』と心配そうな顔になってタナトス(大)を見上げた。
 タナトス(大)はちらりと弟を見て、彼が口を噤んでいるのを見て口を開いた。

「パシテアは聖戦が始まる時期に天界に戻った。そして今もまだ、天界にいる。聖戦は終わり冥妃様の帰還も時間の問題となったのだから、お前も早く妻を呼び戻せと俺が何度も言っているのだが、こいつはああでもないこうでもないとウダウダ…」
「妻?」
「この世界のヒュプノスはパシテアと結婚しているのか?」
「ん?お前達の世界のパシテアはヒュプノスの妻ではないのか?」

 二つの世界の双子神は不思議そうな顔を見合わせた。
 タナトス(大)の質問に双子神(子)はこくんと頷いた。

「ああ。私とパシテアは一緒の神殿に住んではいるが、結婚はしていない」
「何と言うか、パシテアは押しかけ女房…あ、結婚はしていないから押しかけ恋人か?つまり、そういう立場なのだ」
「んん?という事は、パシテアがヒュプノスに惚れて冥府まで追いかけて来たということか?」
「うむ。ヘラ様の依頼を受けたヒュプノスがゼウスを眠らせるためにオリンポスに行った時、その姿を見て一目惚れしたのだと言っていた」
「…この世界のヒュプノスとパシテアの馴れ初めとは正反対だな」
「むしろ私の立場に近いな、そっちのパシテアは」
「まぁ、馴れ初めなどどうでもよい」

 タナトス(大)は話をぶった切ると、妻を呼び戻すことにまだ手をこまねいている弟神をじろりと見た。

「聖戦が終わったらきちんと妻なり恋人なりを呼び戻して一緒に暮らしていると言う事が重要なのだ。こんなチビ助に出来ることが良い大人のお前に出来ぬとは…情けないぞ、ヒュプノス」
「黙れ、タナトス。妻も娶っておらぬお前に言われたくはないわ」
「お前はまた、都合が悪くなるとそうやって話をすり替えて…」
「では言わせてもらうがな。先日タルタロスに帰還した際、母上や姉妹達は『タナトスはまだ妻を娶る気が無いのか』と私に尋ねて来たぞ。『ヘカーテ様との仲 に進展があるやもしれぬから今は素知らぬ顔で見守ってくれ』と説得してきたが、余計な世話であったか?ならば次に何か尋ねられた時には『直接タナトスに聞 いてくれ』と返事をするが、それでよいのだな?冥妃様の帰還は時間の問題となり、私も妻を呼び戻せば一族の女達の関心事はお前の結婚に絞られるが、それで 良いのだな!?」
「………………」

 痛いところを突いたヒュプノス(大)の反論にタナトス(大)は明らかに怯んで、ぶすっとした顔で視線を逸らした。
 この手の話題の兄弟喧嘩はいつものことなので、ハーデスもヘカーテも特に思う事はなくノーコメントだったが、異世界のタナトスはふたりの言い分を頭の中で反芻し、じっくりと考え、パッと顔を輝かせてポンと手を打った。

「なら、タナトスはヘカーテ様と結婚してヒュプノスは今すぐパシテアを呼び戻せばいいではないか。それで万事丸く解決するぞ!」

 …一瞬、場が静まり返って。
 タナトス(大)とヒュプノス(大)は見事なハモリで同時に突っ込んだ。

「「何故そうなる!!!」」
「えっ?えっ?全ての問題を一挙解決できるナイスアイデアではないか!」
「「どこがだ!!」」

 双子神(大)は子供相手に本気で突っ込み、ハーデスとヘカーテは腹を抱えて笑い出し、タナトス(子)は心底不思議そうな顔をしている。
 ヒュプノス(大)は早々に話し合う意思を放棄したらしくそっぽを向いたが、タナトス(大)は苛々しながらも彼に言葉をかけた。

「ヒュプノスは今すぐパシテアを呼び戻すべき、それは同意だ。ナイスアイデアだ。だが何故、俺とヘカーテ様が結婚せねばならんのだ?」
「母上や姉妹達はタナトスが結婚しないことを気にしているのだろう?ならば結婚すれば良い。簡単なことだ」
「そうではなく!俺が聞いているのは…何と言えば分かるのだ、………」

 タナトス(大)はしばらく眉間に皺を寄せて考えて、難しい顔で口を開いた。

「先ほど言ったであろう、俺とヘカーテ様は訳あって『恋仲の振り』をしているに過ぎぬ。結婚を前提に交際しているわけではない。故に結婚する理由はない。これで理解できたか?」
「それはさっき聞いたぞ」
「だったら」
「でも、ヘカーテ様はタナトスと結婚したいと思うほどお前の事が好きなのだろう?そしてタナトスも、ヘカーテ様に恋人の振りをしてもらって、指輪を贈るほどヘカーテ様を好きなのだろう?だったら結婚すれば良いではないか。皆喜ぶし、良いことづくめだぞ!」
「ん、ん?……………」

 単純で真っ直ぐな言葉にタナトス(大)が虚を突かれて思わず考え込むと、ヒュプノス(大)が無理に無表情にしたような顔でふたりの間に入ってきた。

「異世界のタナトスよ。話すと長いが、我々には色々と事情がある。私とパシテアの間にも、タナトスとヘカーテ様の間にも。白か黒か、イエスかノーか、シンプルに割り切れる話ではないのだ。…察してくれぬか」
「??………何だかよく分からぬが、部外者がああだこうだと口出しする話ではないと言う事だな」

 ヒュプノス(大)の曖昧な言葉の要点をきちんと理解したタナトス(子)が素直に頷いて口を噤むと、ハーデスがニコニコしながら皆を見回した。

「あちこち歩き回って大笑いしたら何だか腹が減ってしまったな。余の神殿に戻って夕食にするか」
「そうですね、そうしましょうか」
「食後のデザートにドーナツも買ってあるから、腹八分目に食べねばな!」
「お前…あれだけ食べてまだ食べる気か?」
「ドーナツは別腹だ!」
「このチビは大食いらしいから、食事はたっぷり用意させないとな」
「じゃあ皆、先に行っててくれ。私はそろそろ変身がとけそうだから後から合流するぞ」

 トナカイヘカーテの言葉に、タナトス(子)が怪訝そうに首を傾げた。

「え?なら、ヘカーテ様の変身がとけてから一緒に戻れば良いではないですか」
「タナトス…見ての通り今の私は服を着ていないのだが、この状態で元に戻れと言うのか?お前達男連中の前で?」

 ヘカーテが至って真面目に尋ねると、タナトス(子)は顔を赤くして慌てて首を横に振った。

「えええええっ?!そ、そう言う意味で言ったんじゃないです!ええと、ほら、別の部屋で元に戻って、服を着てから、皆と一緒に戻れば…」
「それもそうか。じゃあタナトス、ちょっと付き添ってくれるか?部屋に戻る途中で転んだらひとりで起き上がれないからな」
「畏まりました」

 ぴょこぴょこと別の部屋に向かうトナカイと、自分の行動に特に疑問も感じていない様子でトナカイに付き添うタナトス(大)の姿を、皆は色々と思うところがありそうな顔で見ていた。





 ヘカーテの私室に入り、念のため扉の鍵をしっかりとかけてから、タナトスは着ぐるみのトナカイの頭部をスポッと外した。外した頭部を横に置いて背中のチャックを開けると、ヘカーテは着ぐるみを脱いでほっと息を吐いた。

「ふー。長時間これを着て動き回ると、流石に疲れるな」
「お疲れ様でした、ヘカーテ様」
「その言葉が相応しいかどうか分からぬが、チビ達が楽しんでくれたようで良かったぞ」

 タナトスが笑顔で労いの言葉をかけると、ヘカーテは嬉しそうに微笑んで専用のマネキンに着ぐるみをかけた。彼女の左手薬指には、タナトスがクリスマスに プレゼントした指輪が填まっている。随分と気に入ったらしく、本人いわく『風呂に入る時と寝る時以外はつけている』らしい。
 その指輪を見るともなく眺めながら、タナトスはさっき異世界の自分自身に言われた言葉をぼんやりと反芻した。

(ヘカーテ様はタナトスと結婚したいと思うほどお前の事が好きなのだろう?そしてタナトスも、ヘカーテ様に恋人の振りをしてもらって、指輪を贈るほどヘカーテ様を好きなのだろう?だったら結婚すれば良いではないか。皆喜ぶし、良いことづくめだぞ!)

 そんな事、考えたこともなかった…。
 遥かな神話の時代にヘカーテが双子神を追いかけて冥府に来て以来、タナトスと彼女を恋仲だと勝手に勘違いする者はいても、『互いに好意を持っているなら結婚すれば良い』などと言う者は誰ひとりとしていなかった。
 そう言えば少し前にヒュプノスが『ヘカーテ様を妻として娶る可能性はあるか』とか、そんな意味合いの事を尋ねて来たことがあったな…あの時は質問の意味を深く考えることもせず他人事のように返事をしたが…。

「タナトス?」

 ぼんやりと取り留めのない事を考えていると、ヘカーテが目の前で手を振った。
 ハッと我に返り、タナトスは数回目を瞬いた。

「ああ、申し訳ありません。ちょっと考え事を」
「チビタナトスが言っていた事か?」
「…ええ、まぁ」
「心配は無用だ、タナトス」

 ヘカーテが唇に笑みを乗せて言った言葉の意味を取りかねて首を傾げると、彼女は屈託なくにこりと微笑んだ。

「指輪を贈ったからには結婚しろ、などと短絡的な要求はしないから。今の私の立場はお前の彼女『役』だと言う事はきちんと理解してるつもりだぞ。勿論、現状で満足して終わるつもりもないけどな」
「それは、………」
「まぁ確かに、パシテアが戻ってきたらお前の母上や姉妹が何か言ってくるかもしれない、というのは気になるだろうが…その時は『きちんと将来の事を考えて ヘカーテ様とお付き合いしているから、今は静かに見守ってくれ』とでも言っておけば納得してくれるのではないか?多少の嘘は混ざっているが、この程度なら 許容範囲だろう」
「そう、ですね」
「では皆と合流しよう。私もだいぶ空腹になってきたしな」

 タナトスは無言で頷いた。
 …ヘカーテの言っている事に異議も異論もない。
 なんだかんだでヘカーテとはエリシオンでも恋人同士のような付き合いをしているが、彼女は『タナトスの彼女役』という自分の立場を十二分に分かってくれている。分かった上で現状に満足し、喜んで、楽しんで、そして『正式な恋人を目指す』と宣言をしている。
 ヒュプノスがパシテアを呼び戻した後に一族の女達の矛先がタナトスに向いた時には、適当に嘘を混ぜて矛先を逸らすことに協力もしてくれるだろう。『私と お前の仲はお前の母上や姉妹公認のものになったな!』と冗談を言いながら、今までと同じようにあっけらかんとタナトスへのアプローチを続けるだろう。
 何もおかしな事ではない。何も問題ない。
 なのに。
 なのに何故、あの小さなタナトスの言葉がこんなにも心に引っかかるのだろう?
 正体の分からない漠然とした疑問を感じたまま、タナトスは皆のいる部屋に戻る彼女の後をついて行った。

蝶様に描き下ろして頂いた素敵挿絵 はピクシブで閲覧できます!



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星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 当初の予定では ダイジェストですっ飛ばす予定だったのにしっかり一話使ってしまった『神々の神殿めぐり』です。ほとんど趣味で、12話ではなく11・5でもいいような気 がしなくもないですが…。
 タナトス神殿のイルカは11話でも解説しましたが、神話の時代にタナトスが貰って来たイルカの子孫です。ちなみに、同じ水槽に(SS『午睡』でヘカーテ に貰った)ラッコの子孫もいると思います。タナトスは動物を飼うのが上手いので、結構イルカやラッコが増えて、何頭かはアンフィトリテに返したんじゃない かなと思っております。
 んで、神話時代はイルカの餌をやるのが仕事だったオルフェウスも、流石に今は立派なイルカトレーナーではないかなと。それにしてもオルフェウスの立ち位 置は便利だな…オルフェウスがいなければこの立ち位置にはトクサが来ていたんじゃないかとか思ったりもするのですが。
 着ぐるみヘカーテ様のお遊びは趣味で入れました(笑)。蝶様双子神が水槽に落ちて、当サイト双子神の服を着る羽目になったのは13話目への前振りです。
 そしてパンドラさん。当サイトの世界でパンドラさんは出て来てなくて、その理由も決めかねていたし彼女の安否なども設定してなかったのですが、当サイト のタナトスが『最後の聖戦における冥王軍でたった一人の裏切り者』を許容するとは思えなかったので『パンドラは蘇った可能性はあるが冥界にはいない』と言 う事で確定させました。
 そしてヘカーテ神殿では今後書きたい話の小ネタを入れたり。ヘカーテが部屋に飾っている『私がタナトスと初めてデートした時に貰った花冠』とは、SS 『冥妃』の蛇足でヘカーテがタナトスに要求した『ケルベロスに乗ってふたりきりの地獄めぐり』の際に、タナトスが『女性と(形式だけとはいえ)デートする のに手ぶらはまずいな。しかし花束では手が塞がるし、花冠なら頭に被れるから邪魔にならないだろう』と思ってヘカーテの為に作ったものです。その『初デー ト』 の時にタナトスから貰った初めてのプレゼントを、ヘカーテは今も大事に取っておいているわけです。

 そして別室に向かう着ぐるみヘカーテ+当たり前のようについて行くタナトス+見ている皆、ですが。
 蝶様タナトスは『ヘカーテ様が元に戻った時は裸なのに、タナトスは一緒に行くの?正式な彼氏じゃなくて恋人の振りをしてるだけなのに、ヘカーテ様はタナ トスに裸を見られるのは気にしないの??』と不思議に思っていて、当サイトヒュプとハーデスは蝶様タナトスが感じている疑問に気付いてて『タナトスは詰め が甘いなぁ』と思ってて、蝶様ヒュプは『恋人の振り、とか言ってたけど一周回って本当は恋仲なんじゃ?』と疑ってて、当サイトタナトスだけが蝶様タナトス の疑問に気付いてない状況です。

 そして、蝶様双子神には『完全な第三者、かつ無邪気な子供』という立場をフルに活用して頂いて、イマイチ進展の無いタナトス&ヘカーテ、ヒュプノス&パ シテアの仲にズバズバ突っ込んで頂くことにしました。ヒュプ+パシテアの仲についてはこのSS内でこれ以上突っ込む事はないかなと思うのですが、タナトス +ヘカーテの 中には今後もガンガン突っ込んで頂こうと思っています。当サイトの世界の住人はタナトス+ヘカーテの仲に口を出しませんからね…(==;)。ヒュプはタ ナトスをヘカーテに取られるのが嫌だから絶対何も言わない、夢の四神はヒュプを気遣って、ハーデスは臣下のプライベートに口は出さない主義、ベルセフォ ネーは実体を掴みきれてな いので口出ししにくい、夜の一族は下手に口を出すとタナトスが臍を曲げるのを分かってるからあまり口出ししない、その他の神や人間はタナトス+ヘカーテは 恋人同士と認識している(タナトスがヘカーテとの仲を否定しても、謙遜か照れと解釈している)。
 なので長らく誰にも邪魔されず突っ込まれず曖昧に続いて来たふたりの仲に(主にタナトスの心に)一石を投じて頂こうと思っています。今回の一件が解決し た後もタナトスとヘカーテの表面上の関係は変わらないと思うんですけど、タナトスの心境に少し変化があればいいなと思っています。