| 露天風呂の湯に
映った青白い満月が揺れ、形を崩し、水面を踊る。 ちゃぷん、と水面を波立てた漆黒のタナトスは面白そうに月を崩しては子供のような顔で微笑んだ。 「うどんやそばに卵を乗せるのを『月見』とは良く言ったものだな。こうして水面に映った月は、確かに卵に似ている」 「食い意地の張った奴だな、お前は」 露天風呂の浴槽に寄りかかって銀髪のタナトスは微かに笑った。 ふたり揃って服を着たままイルカの水槽に落ちたので、ぐしょ濡れのままハーデス神殿に戻る事も出来ず、オルフェウスに言付けて一足先に風呂に入る事にし たのだ。 両手で湯を掬えばそこにも月が映り、掬った湯を飲めば月も一緒に飲めそうな気すらする。 今宵の満月はひときわ美しい。 せっかくだから酒でも持ち込めば良かったか。このチビも大人の身体になったから一緒に飲めるかもしれぬ、オルフェウスを呼んで酒を用意させようか…。 そんな事を考えていると、露天風呂の扉を開けて赤い徴のヒュプノスが入ってきた。 景色を眺めていた黒髪のタナトスが弟に気付いて、ざぶざぶと湯を波立てながら洗い場側の浴槽の淵にやって来た。 「ヒュプノス、ひとりでここまでこれたのか?」 「いや、オルフェウスに案内してもらった」 「お前だけか?俺の弟のヒュプノスとハーデス様は一緒ではないのか」 「あのふたりは着替えを準備してから後から合流するそうだ」 銀髪のタナトスの問いに答えつつ、赤い徴のヒュプノスは浴槽に手を入れて温度を確認して、少し熱いな…と呟きながらかけ湯を始めた。 …彼の足に痣が出来ていることに気付いて、銀髪のタナトスは多少気まずそうな顔でボソリと言った。 「…ヒュプノス」 「ん?」 「その…さっきは、すまなかったな」 「?」 「………。ヘカーテ様に絡まれるままになっていたお前を蹴飛ばしたことだ」 「…………」 タナトスの謝罪にヒュプノスは目を瞬いて、無言のまま浴槽に身体を沈めるとふうっと息を吐き出し、じろりと銀の神を見遣って口を開いた。 「あぁ…。確かに、理不尽に蹴られた不満もある上に、温めたせいで痛みが酷いな。それに心も痛い」 「…………」 グサ。 平坦な言葉が心に突き刺さって銀髪のタナトスがぎこちなく俯いて視線を逸らすと、ヒュプノスは漆黒の兄神に視線を向けてわざとらしく平坦な声で続けた。 「その上、どこかの誰かさんが私を生贄にしてくれたおかげで明日は筋肉痛で動けぬやも知れぬ」 「…………」 グサグサ。 今度は黒髪のタナトスが気まずそうに視線を逸らした。 微妙な沈黙が流れて、銀髪のタナトスがこそりと黒髪のタナトスに尋ねた。 「チビ助、『生贄にした』とは何だ?」 「え…その…、お前を追いかけようとした時にヘカーテ様に掴まってくすぐられたから、ヒュプノスの弱点が腰だと教えて、ヘカーテ様がヒュプノスをくすぐっ ている隙に逃げて来たのだ」 「お前な…」 「…しかし、」 顔を突き合わせてコソコソしている兄神コンビをじろりと見て、ヒュプノスはため息交じりに話を続けた。 「いらぬ事を考えていたせいで反応が遅れ、対処しきれなかったのは私の落ち度だ。その結果、タナトスにも不愉快な思いをさせてしまった…。故に今回の事は 謝らなくても良い」 「…そうか。…………」 銀髪のタナトスは睫毛を瞬き、腕を組んで夜空を見上げ、眉間に皺を寄せて何か考え込み、うーむと唸って黒髪のタナトスを見た。 「おい、チビ助」 「チビ助と言うな、と言ったであろう」 「じゃあクロ助」 「何故いちいち『助』をつけるのだ」 「ならばクロ」 「俺は犬か!」 「それでは、ブラックタナトスを略してブタ」 「……………」 「まぁ、呼び名はどうでも良い」 物凄くムスッとしている黒髪のタナトスの抗議の視線はまるっとスルーして、銀髪のタナトスは至って真剣な顔で尋ねた。 「お前の弟が『お互い様だから謝罪しなくて良い』と言ったと言う事は、俺は謝り損ではないか?」 「ん?………ん??」 「となると、さっきの謝罪を無駄にしない為にも、俺はお前の弟に悪戯を…言葉の謝罪で埋め合わせできる程度の軽いものに限られるが…を、すべきではないか と思うのだが」 銀のタナトスの提案にヒュプノスはあからさまに顔をしかめたが、漆黒のタナトスは真顔で首を傾げた。 「例えば?」 「そうだな…。イルカの水槽に放り込むとか、浴槽に沈めるとか、腰をくすぐるとか」 「ちょっと待てタナトス。どれも『軽い悪戯』の範疇を超えているぞ」 「う…ん…。俺が許容できるのは腰をくすぐる事だけかな…」 「ちょ、タナトス」 「そうか。腰をくすぐるのは構わんのだな」 「なっ…。え、え?」 ニヤリと笑って間合いを詰めてくるタナトスの姿に身の危険を感じたヒュプノスが逃げようとした途端、そうはさせるかとタナトスがヒュプノスの腕を捕まえ た。勢い余って湯の中に付き倒す形になり、派手にしぶきが飛んだ。 「…ゲホッ」 「ああすまぬ、湯船に沈めるのはダメだったな。今のはわざとではないぞ、過失だ過失」 嬉しそうに言い訳をしながら、銀髪のタナトスは赤い徴のヒュプノスを捕まえて腰をくすぐろうとした。一方のヒュプノスもこれ以上失態を 晒してなるものかと必死にタナトスの手を振り払おうとしたが、体格はともかく小宇宙と腕力がはっきりと劣るのでどうにも分が悪い。 良い大人がばっちゃばっちゃと水しぶきを上げて温泉の中で格闘していると、ガラッ!!と勢いよく露天風呂の引き戸が開いた。 この世界のヒュプノスとハーデスが来たのかと扉を見遣った三人は、バスタオル一枚を身体に巻いた格好のヘカーテに目を丸くして絶句して固まった。 一方のヘカーテも、温泉の中で何やら揉み合っていたらしい銀髪のタナトスと赤い徴のヒュプノスを見て眉を吊り上げた。 「何をしているのだお前達!いくら風呂の中とは言え、全裸の男同士で!そっちの黒いタナトスとヒュプノスは『そう言う仲』らしいがお前は違うだろう、タナ トス!」 「え?あ、いえ、これはですね、話すと長いのですが無駄に謝罪した分の貸し借りをチャラにするために…」 「言い訳など聞かん!」 ヘカーテは手を腰に当ててふんぞり返ると、ずびしぃっと彼らを指差して大声で言った。 「実にけしからん、お前達男連中だけでそんな面白そうな事をするなんて!私も混ぜろ!!」 「…え?」 「は?」 「……………」 ちょっと待て。ちょっと待て。 いきなり突っ込みを入れられて驚いたが、冷静になって考えてみれば、野郎共が入浴中の風呂場に女性が入ってくるのは男同士が温泉で揉み合うより問題では ないのか。しかもその、バスタオル一枚だけと言う際ど過ぎる格好は何だ。一緒に風呂に入る気満々だったのか。 そして『私も混ぜろ』とは何だ。 銀髪のタナトスが物凄いジト目でヘカーテを見た。 「つかぬ事をお伺いしますがヘカーテ様、そのタオルの下に水着を装着とかは」 「してたらガッカリだろう?ご期待に応えて何もつけてないぞ!」 「何の期待ですか。そもそもヘカーテ様は何故ここに来られたのです?」 「愚問だな。お前達と一緒に風呂に入って、裸の付き合いをして親睦を深め…」 「そのような方法でなくとも親睦を深めることは十分可能です!冥王側近の女神としての品位を疑われるような行動は慎んで頂きたい!!」 浴槽の縁を拳で叩いてタナトスが怒鳴ると、ヘカーテは不服そうに唇を尖らせた。 「いいじゃないか、ちょっとくらい。せっかく異世界のお前達などと言う賓客が来ているのだぞ?ここはひとつ、私自らが背中を流してサービスサービスぅ☆」 「葛城ミサトが『サービスサービスぅ☆』と予告した回は逆にサービスシーンが無いというのが通説になっております。ですからお引き取り下さい!!」 「え?そうなのか?」 「さすがタナトス、切れ味鋭い突っ込みだな」 「うむ、私達ではこのような鮮やかな切り返しは出来ぬ」 ヘカーテ乱入に呆気に取られていた異世界の双子神は、無茶苦茶な主張に対して斜め上を行く突っ込みをガッシガッシと返すタナトスを感心したように見てい た。 しかしタナトスの突っ込みなど慣れっこのヘカーテが大人しく引き下がるはずもなく、『引き取れ』と言う言葉を無視して風呂場に入ってきた。 「まぁ、細かい事は良いではないか。お前達が皆で楽しそうに風呂に入っている時に私は寂しくひとり風呂なんて嫌だぞ」 「…分かりました、ならば仕方ありません」 眉間に皺を寄せた銀髪タナトスの言葉に異世界の双子神がぎょっとすると、タナトスは手近にあったタオルを腰に巻いて浴槽から上がり、つかつかとヘカーテ に歩み寄ると、やおら彼女を羽交い締めにした。 「女性相手で気が進みませんが、実力行使に出るとします」 「え?え?」 「…と言う訳でチビ助、俺はヘカーテ様をタナトス神殿の内風呂にお連れする。ハーデス様とヒュプノスが来たらそのように伝えておいてくれ。風呂から出た ら、先ほど皆がいたハーデス神殿の部屋まで来るが良い。一緒に酒でも呑もうではないか。では、また後でな」 「あ、ちょ、タナトス、私の意向は…」 「却下です」 「え、でも」 「却下です」 ヘカーテの言い分など聞く耳を持たず、銀髪のタナトスは美貌の女神を羽交い締めにして力づくて引きずって行った。 あ〜〜〜〜〜〜〜…… 未練がましいヘカーテの声が遠ざかるのを異世界の双子神は思考回路停止状態で聞いていた。 「……………」 「……………」 ふたりがボーゼンとした顔を見合わせていると、入浴グッズを抱えたハーデスと、青い徴のヒュプノスが開けっ放しになっている露天風呂の扉からひょいと顔 を覗かせた。 「おや?そなたらだけか?」 「オルフェウスは、私の兄のタナトスも露天風呂に入っていると言っていたが…」 「え?あ…」 「タナトスもさっきまではここにいたのですが…その…」 「?」 ふたりの微妙な表情と歯切れの悪さで、青い徴のヒュプノスはすぐに事情を察したらしい。軽く眉根を寄せてふたりに尋ねた。 「ひょっとしてヘカーテ様が何かやらかしたのか?」 「ヘカーテ様が俺達と一緒に風呂に入ろうとして、タナトスが断ろうとしたのですが聞き入れてくれなくて」 「結局タナトスが力づくでヘカーテ様を引きずって出て行きました。ああ、それからふたりが来たら『内風呂に行く』と伝えておいてくれと」 「そうか…ヘカーテ様にも困ったものだな」 「今日は色々と面白い事や楽しい事があったせいで、いつにもましてはしゃいでしまったのであろう」 「そうでしょうね」 話を聞いてもさほど驚いていないハーデスとヒュプノスの姿に異世界の双子神がまた驚いていると、ハーデスはにこにこと笑いながら声をかけた。 「そなたらはヘカーテのキャラに慣れていない故驚いたかもしれぬが、風呂場への乱入未遂程度ならいつもの夫婦漫才だ。気にしないで良いぞ」 「はぁ…いつもの、ですか…」 「男神のいる風呂場に入ってくるのが『いつもの夫婦漫才』ですか…」 まだどこか釈然としない顔でハーデスの言葉をオウム返しに呟くふたりに、ヒュプノスが無表情のまま淡々と言った。 「お前達、ヘカーテ様の行動を真面目に考えても無駄だぞ。考えたら負けだと思え」 「…………」 「…………」 「では、ゆっくり疲れを癒してくれ」 言うだけ言ってヒュプノスは露天風呂の扉を閉めた。 パタン…。 残された黒髪のタナトスと赤い徴のヒュプノスは複雑な顔を見合わせた。 「…………」 「…………」 「………。ひょっとして、タナトスはともかく、ハーデス様やヒュプノスもヘカーテ様と一緒に風呂に入る…のか?」 「…考えたら負けだ、と言われただろう。考えるな、タナトス。この世界の我々とハーデス様、ヘカーテ様の関係は私達の世界とは違うのだ」 「そうか。そうだな、俺達の世界とは違うのだな。………」 俺達の世界。 ひとりごとのように呟いて、黒髪のタナトスはふと目を瞬いて夜空を見上げた。 「…ハーデス様、心配しておられるだろうな。きっと星矢も、星華姉ちゃんも、沙織も、マニゴルドも…」 「うむ…我々が姿を消した理由など、皆は知りようもないからな。誰かに誘拐されたと思っているのではないだろうか」 「………。ハーデス様に会いたいな…」 「そうだな。私もハーデス様に会いたい。…私達の世界に、帰りたい」 赤い徴のヒュプノスも夜空を見上げた。浮かんだ涙を誤魔化すように。 黒髪のタナトスは弟の肩を抱き寄せて、努めて明るく言った。 「帰れるさ、ヒュプノス。ハーデス様もタナトスも言っていたではないか、『八雲紫は明日か明後日には姿を見せる』と。ほんの一日か二日の我慢だ」 「…ああ」 「そうだヒュプノス、明日は皆へのお土産を探しに行こう。心配をかけてしまったからな、奮発して豪華な土産を用意しようではないか」 「ああ、そうだな。皆に喜んでもらえるような物が良いな」 「土産と言っても物に限らずとも良かろう。この世界で見聞きした楽しい経験も立派な土産だ。秋乃のケーキも、この世界の俺がブランドモデルをしていること も、ヘカーテ様がトナカイになる事も、タナトスの神殿にイルカとラッコがいることも、きっと皆が面白がって聞いてくれるはずだ。何よりも我々が元の姿に戻 れたことが何よりの土産だ!ホームシックなどになっている場合ではないぞ、ヒュプノス!」 「そうだな。…そう、だな」 ヒュプノスは多少無理をしながらも口元に笑みを浮かべた。 タナトスは優しく微笑んで、弟を抱き寄せたままそっと口付けた。 …異世界の神々を照らす青白い満月が水面に映り込み、静かにたゆたっていた。 |
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| 最早多くは語る
まい…。とにかく双子神がお風呂でばっちゃばっちゃやってるのを書きたかっただけという、煩悩しかない18話です。 双子神達が入浴中にヘカーテ様乱入未遂、と言うネタもツイッター発でかなり早目からあったネタです。蝶様とタナタナBL話をしている時に、「タナタナ BL現場にヘカーテ様が出くわしたら、『私も混ぜろ!』って言いそうですよね(笑)」「言いますね、絶対に(笑)」と話をしていたので、ここで『私も混ぜ ろ』発言をして頂きました。ヘカーテの『私も混ぜろ』発言はどこまで本気か決めていませんが、多分彼女は、当サイトタナトスが本気で阻止しに来る前提で爆 弾発言をしてると思います。ただまぁ、ヘカーテ+当サイト双子神は「一緒にお風呂」くらいは気にしないかもなぁ…と思っています。芸術作品のモデルになっ てる神様は全裸の事も多いし、肌を見せるだけならそんなに抵抗はないのかも、みたいな。 そして挿絵…双子神の胸板と腰のラインと、ヘカーテ様の巨乳にニヤニヤが止まりませんぜ…グハッ(吐血)。そしてよーく見ると、ハーデス様の風呂桶にひ よこが!!(萌) 18話目の最後は、マニさんの名前を出した蝶様タナトスに蝶様ヒュプが機嫌を損ねて、軽く喧嘩(と言ってもお湯をかけ合って互いの弱点をくすぐるくらい ですが)を考えてみたのですが、うまく落ちなかったのでさらっと甘く終わらせました。 次19話は双子神達とヘカーテ+ハーデスがお酒を飲みながら軽くだべって寝る話になる予定です。 |