| 襟首を掴まれて
異空間に引きずり込まれた…と思った次の瞬間、放り出された。 引きずり込まれてから放り出されるまでの間にワンクッションあるとばかり思い込んでいたマニゴルドは、咄嗟の事で受け身も取れずしたたかに腰を打って呻 く羽目になった。 「っつー…」 「一時間後に迎えに来るわ。分かってると思うけど、遅刻厳禁よ」 「ちょ」 頭上に開いた空間の隙間から一方的に言うだけ言って、八雲紫はマニゴルドが何か言おうとしたのを無視して姿を消した。 忌々しく舌打ちして、とりあえず状況を確認しようと彼は腰をさすりながら周りを見回した。 どうやら身障者用トイレの中に放り出されたらしい。確かに異空間から人が落ちて来ても騒がれない場所ではあるが…。 マニゴルドはトイレの鏡を見て帽子やサングラスがずれていないか確認してからそっと扉を開けて、通路に誰もいないことを確認して身障者用トイレを出た。 通路の左はすぐ突き当たって喫煙室があり、右からは賑やかな音楽が聞こえてくる。 (…で、ここは一体どこなんだ。結構デケー店みてーだけど。…ん) 売り場に足を向けると、通路の壁に貼ってある広告が目に入った。広告のまん中には、人さし指を立てた手が左右を向いた見覚えのあるロゴが印刷されてい る。 ふーん、ここは東急ハンズか。 それ以上の手がかりが無いかと広告を眺めていたマニゴルドの視線があるキャッチコピーで止まった。 『2012年、今年のオススメ』 2012年、今年の。 マニゴルドはまじまじとその短い文字を見つめた。 (ええと…つまり、俺がいるこの世界は今、西暦2012年って事だな。と言う事はだ、俺は十年ちょっと未来の世界に来たってことか?) (未来世界…) (は…はは…。ビビるこたぁねぇ、俺は二百数十年のブランクを挟んで蘇った浦島太郎だぜ。十年くらい誤差の範囲内じゃねーか。うん、誤差だ誤差) (…いや、ちょっと待てよ?あの女は『神様達はパラレルワールドにいる』とか言ってたけど…じゃあこれは一体どういうことだってばよ??) マニゴルドがハンズの広告とにらめっこしながら必死に今の状況を理解しようとしていると、男性用トイレから出て来た親子連れが何やら話しながら彼の後ろ を通り過ぎた。 「何もトイレの中まで一緒に来なくとも、外で待っていればいいだろう。心配性だな、タナトスは」 「万が一があったらどうする。油断した隙にお前が八雲紫に攫われたら、ヒュプノス達にどんな厭味を言われるか…」 「?!?!?!」 聞き覚えのある声、聞き覚えのある名前。 マニゴルドは思わずその『親子連れ』を凝視した。 白い鞄を肩から提げて黒と黄色のツートンカラーの服を着た長い銀髪の男の子と、男の子の手を引いた背の高い銀髪の男が売り場に向かう後ろ姿が見えた。 …肌と魂がはっきりと覚えている、暗く清廉な死の小宇宙。彼の知る小さな死神は失ってしまった匂いをその長身の男は纏っていた。隠しても隠し切れない甘 く濃密な死の香り…。 (え?………) 銀髪の男の子は彼の知るタナトス神で間違いない。では、長身の男は…。 …と。 マニゴルドの視線を感じたのか、小さなタナトスの手を引いた男が振り返り。 目が、合った。 銀色の睫毛に縁取られた銀色の眼。 不可思議な光と底知れぬ闇を孕んだ、どこまでも透明な銀色の眼差し…。 「……!」 マニゴルドは慌てて眼を逸らし、逸らした視線の先にあった喫煙室に急ぎ足に逃げ込んだ。 扉を急いで閉めて、通路からは見えない位置に隠れるようにして壁に背を預けた。 心臓が口から飛び出そうなほど跳ねまわっている。 数回深呼吸して、彼は引き戸の窓からそっと通路の様子を伺った。 …さっきの『親子連れ』の姿は見えない。どうやら怪しまれずに済んだ様だ。 ほーっと安堵の息をつき、マニゴルドは喫煙室の中にあった自動販売機でアイスコーヒーを買って一口飲み、グリグリとこめかみを押した。 (落ち付け、俺。まずはさっき見た光景を分析するんだ。冷静にな) (さっきの親子連れ…子供の方は俺の知ってるタナトス様だ。それは間違いない。じゃあ、タナトス様が『タナトス』と呼んでいた大人の方は誰だ?) (………。あっちもタナトス様…だよな) マニゴルドは先ほどよりは落ち着いた頭でコーヒーを啜った。 (小宇宙、気配、姿形、名前…何を取ってもタナトス神そのものだった…) (あの女の言葉とさっきの広告を信じるなら、ここは俺がいた世界より十年ちょい時間が進んだパラレルワールドってことになる) (俺がいた世界とは違う世界だから、この世界にはこの世界のタナトス神が存在する。そして未来の世界だからタナトス神は大人になっている。経緯は分から ねぇが、俺の世界の小さなタナトス様はこの世界の大人のタナトス様に保護されたっつー事だな。よーしオッケー。理解した、理解したぞ。理解したからな!) 実のところ全く実感がなかったが、実感が湧くのを待っていたら約束の時間がきてしまう。 マニゴルドはコーヒーを飲み干すと空き缶をゴミ箱に放り込み、『ふたりのタナトス』を追って喫煙室を出た。 店の売り物を眺める振りをしながら、不自然にならない程度の急ぎ足でマニゴルドはタナトスの小宇宙を追った。 彼のいた世界のタナトスはほとんど神の小宇宙を無くしてしまっているが、大人のタナトスは抑えても抑えきれない小宇宙を纏っている。どこに行ったか分か らずに困るという心配はなかった。 …子供に合わせてゆっくり歩いていたのだろう、ほとんど探すこともなくタナトス達の姿を見つけてマニゴルドは歩くペースを落とした。 小さなタナトスが売り場の『抱き枕』と書かれた看板を指差して大人のタナトスの手を引いている。 マニゴルドは彼らに近づきすぎないよう、見つからないよう注意しながらふたりの後をついていった。 (俺、スゲー不自然な動きしてねーかなぁ…) 不意に心配になったマニゴルドがそっと周囲を見回すと、他の客も彼と同じように商品を眺める振りをしながらタナトス達を見ていた。 銀髪長身超絶イケメンで只者じゃねぇオーラをバリバリ出してる『ガイジンサン』がいたら、そりゃー注目するよな。 妙に納得したマニゴルドは、死神達の視界に入らない場所から彼らを眺めた。 …黄色と黒の服を着たタナトスは、彼自身と大差ない大きさの犬のぬいぐるみを抱えて触りながら隣にいる大人のタナトスと何やら話している。 (タナトス様達、何を話してるんだ?) 下手に近づくと彼を知っているタナトスに気付かれるかもしれない…とは思ったが、どうしても気になって気になってたまらなくなり、マニゴルドはさりげな い風を装って抱き枕コーナーで何やら話しているタナトス達に近づいた。 小さなタナトスはぬいぐるみを抱きかかえたまま微動だにしない。 買おうかどうしようか迷ってんのかね? そんな事を考えながら彼らの横を通り過ぎた時、大人のタナトスが不意に彼に目を向けた。 (やべっ!!) マニゴルドは商品を眺める振りをしながら、タナトスの視線から逃れるように陳列棚の裏に移動した。 背筋を冷たい汗が流れ、心臓がバクバク動いている。 …マニゴルドは陳列棚の隙間からそっとこの世界のタナトスの様子を伺った。彼は小さなタナトスと何か話していて、マニゴルドを追って来る様子はない。 マニゴルドはホッと安堵の息をついた。 (この世界のタナトス様は俺のことなんざ覚えてねーだろと思って油断してたけど、よくよく考えてみりゃこの世界にも『俺』がいて、あのタナトス様と顔見知 りっつー可能性もあるんだよな…) (あぶねーあぶねー、迂闊に近づくのは危なすぎるわ。ちょっと見失っても小宇宙を追えばすぐ見つけられるんだし、もうちっと慎重にいかねーとな) (…お?移動開始か) タナトス達が手を繋いで抱き枕売り場を離れるのを見て、マニゴルドは先ほどよりも距離を取って慎重にふたりの後をついていった。 ぬいぐるみ売り場に移動したタナトス達は…正確に言うなら小さなタナトスは、ずらりと並んだぬいぐるみを手にとっては戻し手にとっては戻しして熱心に選 んでいる。 さっきのでかいぬいぐるみは高くて手が出なかったからお手頃価格の方を買おうと思ったのかね? 状況を概ね正確に推測しながら、マニゴルドはタナトスの年相応に幼い姿に知らず口元を綻ばせた。 (ああ、やっぱ可愛いよな、タナトス様…あんな可愛い子が冷酷非情な死神なんてぜってー嘘だよな。あの紹介文書いた奴は本人を知らねーか目が節穴だったか のどっちかだぜ) (………って…) (本人に会うまでその『嘘の紹介文』を信じてた俺が言えるこっちゃねーか…) (…………) (確かに最初はその嘘を信じてたさ、でも、今は) (今は…) 床に視線を落として一人反省会をしていたマニゴルドはふと顔を上げて、タナトス達に人間の女性達が話しかけているのを見て我が目を疑った。 ――人間など浮かんでは消える泥濘の泡、塵芥よ。 凍えるような冷たい目でそう言い放ったあの死の神が、背中にへばりついた子供のタナトスの頭をなでながら、人間を相手に笑みを浮かべて話をしている。 マジか。 マニゴルドは目をごしごしこすり、もう一度タナトス達に目を向けた。 ふたりのタナトスと人間達は連れだって売り場を出て通路に行き、女性達がハンズの袋から色紙とペンを取り出して大人のタナトスに渡すと、タナトスは慣れ た様子でその色紙に何か書いている。 おいおい、本当にマジか。 タナトスは色紙を女性達に返すと、あくまでもにこやかに握手をして人間達と別れた。 自分の見た光景が信じられずに突っ立ってフリーズしているマニゴルドの横を、先ほどの女性達がきゃぁきゃぁ大声で喋りながら通り過ぎた。 「ねー、ビックリしちゃったね!こんな偶然ってあるんだ!」 「ネットの『城戸ブランドのタナトスさんに会ってサイン貰った』とかいう記事、写真があっても絶対ヤラセだと思ってたのに!」 「本当に頼めばサインも握手もしてくれるんだね〜」 「忘れないうちに写真つけてツイートしとこっ!」 「それにしてもタナトスさんそっくりの小さな子、誰だったのかなー?」 城戸ブランドのタナトスさん?何だそりゃ?あの神がかり的にイカしたご尊顔を生かしてモデルでもやってんのか、この世界のタナトス様は?? …はは、まさかなぁ。 (おっと、そういやその『タナトスさん』達はどこ行った?) 頭をよぎった考えを一笑に付して、マニゴルドは死の匂いを辿って売り場を移動した。 …タナトス達はふざけた顔のぬいぐるみが山積みになっている売り場にいた。バランスボールほどの大きさのぬいぐるみを抱えた大人のタナトスの周りを小さ なタナトスがぐるりと回り、値札を見つけたような仕草を見せて真剣な顔で大人のタナトスに話しかけている。 離れている上に店のBGMもうるさくて会話の内容は全く聞き取れないが、真剣この上ない顔をした子供のタナトスは抱き枕コーナーを指差して何やら訴えて いるようだ。 (『これも欲しいがあっちも欲しい!』とかって玩具のおねだりの交渉中…ってとこかね。…あれっ、ぬいぐるみを棚に戻したな。買わねーのか?) タナトス達は手を繋いで、先ほど品定めをしていた抱き枕コーナーに移動した。 ふたりと入れ替わるように特設コーナーに足を向けたマニゴルドは、エンドレスで流れるアニメを眺めて微妙な顔になった。 やけに耳に残るテーマソング、突っ込みどころ満載のキャラ設定、突っ込む気力も失せるような脱力感溢れるぬいぐるみのとぼけた顔。 マニゴルドは手のひらに載るほどの大きさのマスコットをひとつ摘まみ上げてしげしげと眺めた。 (やわらか戦車って…戦車がやわくてどーすんだよ、やる気あんのか?つーかそもそもこいつが所属する軍隊の上層部は何を考えてやがるんだ。マジで小一時間 ほど問い詰めたいぞコラ) マニゴルドがネタキャラに大真面目に突っ込んでいると。 「うわぁぁぁぁあぁぁん!!」 「?!?!」 突然の子供の大声にぎょっとしたマニゴルドが顔を上げて声のした方を見ると、抱き枕売り場の前でタナトス少年が叫んでいた。 「パパの嘘つき!『良い子にしてたらぬいぐるみ買ってやる』ってパパが言ったから、ボクはちゃんと良い子にしてたのにぃぃぃ!!」 パパ? パパぁ?!?! 待て待て待て待て何だそれは!前にタナトス様に話を聞いた時は『俺に父はおらぬ。母様がひとりで俺とヒュプノスを産んだのだ』って言ってたじゃねーか! どーゆー事だよオイ!!! 余りの予想外の発言にマニゴルドがパ二くっていると、大声を出したタナトス少年が(どうやら大人のタナトスに何か言われたようだ)ぎょっとするのが見え た。 必死に耳を澄ますと、タナトスが叫んでいる声がどうにか聞き取れた。 「えっ…。で、では何点が合格ラインだったのだ?!……………。ええっ!!あと十点か??」 比較的彼らの近くにいた客や店員が笑っているところを見ると、『ぬいぐるみを買って欲しければ面白い事を言え』とでも言われたのだろう…と察しがついて マニゴルドはホッと胸をなでおろした。 弟のヒュプノスすら懐柔出来ずに苦戦しているのに、その上『パパ』なんて出て来た日には無理ゲーも良いところだもんな。 …そんな事を考えてマニゴルドはふと根本的な疑問を感じた。 (そーいやヒュプノス様はどこだ?さっきタナトス様が『ヒュプノス達』とか言ってたから、この世界のヒュプノス様も俺の世界のヒュプノス様もこの世界にい るんだろうけど、姿が見えねーな。別行動中か?それとも冥界で留守番とかしてんのか?せっかく来たからにはヒュプノス様の無事も確認してーところだが…) きょろきょろと周りを見回したが、それらしい姿は見つからない。小宇宙を感じられないかと神経を澄ませてみたが、タナトスの小宇宙ばかりが感じられて ヒュプノスの小宇宙を探る事は出来なかった。 タナトスの無事は確認できたしヒュプノスを探してみるか…と思った時、馬鹿でかいぬいぐるみをふたつ買ったタナトス達が上りエスカレーターに向かうのが 見えた。 …近くにいるかどうか分からないヒュプノス達を探すより、目の前にいるタナトス達を追いかけたほうが良い。 一瞬で判断したマニゴルドは、彼らに気付かれないよう十分な距離を取ってエスカレーターに乗った。 7階で降りて売り場の奥に向かうタナトス達の後をそっと尾けていたマニゴルドは、喫茶店の前に見覚えのある金髪のふたり組が待っている姿を見て『俺ナイ ス!』と内心でガッツポーズした。恐らくハンズの中で別行動を取っていたのだろう、タナトス達とヒュプノス達は買い物袋の中身を見せあいながら何やら話を している。 彼らからは見えにくい位置で商品を眺める振りをしながら、さてどうしたものかとマニゴルドは悩んでいた。 恐らく彼らは喫茶店に入るつもりだろうが、流石にマニゴルドが喫茶店の中まで入って行けば気付かれてしまうだろう。しかし待ち合わせの時間まではまだ中 途半端な余裕があるし、出来る事なら小さな双子神が無事だと言う証拠の一つも持って帰りたいのだが、どうしたものか…。 悩みつつ視線を双子神達に向けたマニゴルドはギクリとした。 …大人のタナトスが携帯を耳に当てながらマニゴルドに向かって歩いてくる。 (俺が後を尾けてるのに気付かれたか?え、でも、人間が後を尾けてたくらいで一々事情を聞きにくるなんて…ねーよな?何か携帯で話してるみたいだし、俺の 方に歩いてくんのはただの偶然だよな。な?) マニゴルドの背を冷たい汗が伝った。 どうする、どうする。 この場を離れるか、それとも素知らぬ顔をしているか。 判断を迷ったせいで場を離れるタイミングを逃したマニゴルドが商品を眺める振りをしていると、彼の後ろを通り過ぎざまにタナトスがはっきりと聞こえる声 で言った。 「話がある。ついて来い、塵芥」 「…………!!!!!」 背筋が一気に寒くなり汗が滝のように流れ落ちた。情けないことに膝まで小刻みに震えている。 …尾けてた事だけじゃなく、俺が誰かって事までバレてやがる。 いつ?何故?どうやって気付いた?? (彼らに見つかったり、約束の時間までに待ち合わせ場所に戻らなかったら…あなたが無事にこの世界に帰れる保証は出来ないわよ) 八雲紫の言葉が頭の中をグルグル回っている。 彼ら。 彼女の言う『彼ら』とは、マニゴルドと同じ世界にいた小さな双子神の事なのか、それともこの世界の大人の双子神も含まれているのか。 もし、後者だったら…。 ……………。 畜生、知ったことか。見つかっちまったもんは仕方ねーだろ、どうにでもなりやがれ。 半ばヤケクソになりながら、マニゴルドはタナトスの後を大股について行った。 |
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マニさん視点から…の回です。できれば1話で纏めたかったのですが、どうにも長くなってしまったので分割しました。 身障者用トイレに放り出され、通路に貼ってあるハンズのチラシを見て「未来世界に来ちゃった?」と気付くマニさん、その後ろを通り過ぎるタナタナコン ビ…という流れはかなり早くからありました。22話でちょっと不自然に蝶様タナ様がトイレに行ったのはこのエピのためです。そしてマニさんが自動販売機で 飲み物を買うのも予定通り。この時マニさんはかなりパ二くってるので何も考えずコーヒーを買っていますが、「元の世界から持って来たお金が問題なく使え た」というエピは25話の為にも入れておきたかったので。 後は、蝶様から伺ったマニさんの設定をネタバレにならない程度に入れるのが楽しかったです。 今回は解説することが少ないですね(・ω・;)とりあえず蝶様に描いて頂いた不審者全開マニさんがとても素敵でした(笑)。次の25話は当サイトタナと 蝶様マニさんの会話と、マニさんが元の世界に帰るまでです。 |