| 心のスイッチを
無理矢理オフにしたタナトスが黙々とDVDのブックレットにサインをしていると、卓の上に置いてあった携帯が鳴りだした。 着信画面を見ると『龍神秋乃』の文字。 八雲紫が何かコンタクトを取って来たか、と思いながらタナトスは通話ボタンを押した。 「タナトスです」 『秋乃です。夜分遅くごめんなさい』 「いえ、お気になさらず。何かありましたか?」 『閉店作業が終わって店長室に戻ってきたら八雲紫から手紙が届いていたんですけど…開けちゃっていいですか?』 「ええ、お願いします」 タナトスの言葉で電話の相手とその要件を薄々察した神々が彼の周りに集まってきたので、タナトスは秋乃の声が聞こえるように携帯を少し耳から離した。 …封筒を開けたらしいガサガサ音の後、電話を取る音がした。 『お待たせしました、読み上げますね。…小さな神様達を早く帰したいとの要望、承りましたわ。あちらの世界の皆様の都合を伺ったところ、明日の昼頃までに は…と言われました。時差とエルミタージュ洋菓子店の開店時間も考慮すると、待ち合わせ時間は明日の10時頃が適当かと思いますわ。エルミタージュ洋菓子 店でお待ちしておりますわね。 八雲紫。 …だ、そうです』 「分かりました、明日の午前10時ですね」 『お待ちしてますね。小さなタナトスさんとヒュプノスさんにもおやすみなさいって伝えて下さい』 「あ、ちょっとお待ちを」 秋乃の声に微かな名残惜しさを感じたタナトスが、傍らで聞き耳を立てていた小さな双子神に携帯を差し出した。 ふたりは一瞬キョトンとして、にこりと笑って携帯を受け取った。 「もしもし!」 『あらっ。タナトスさんも一緒にいたんですか?もう夜も遅いから寝ちゃったのかと思ってました。じゃあヒュプノスさんもいるのかしら?』 「皆への土産の準備をしていたのだ。そろそろ目処がついたので寝ようと思っていたのだが」 「そうだ秋乃!俺達の世界の皆に秋乃のケーキを食べさせてやりたいのだ!頼めるか?」 「おいチビ助、こんな時間になって何を…」 『うふふ、エルミタージュ洋菓子店はそう言う無茶振りには慣れてますからお安いご用ですよ。ご注文をどうぞ、お客様』 「え、えーと…」 『特に指定が無いなら、店長のお勧めをご用意致しますが?』 「あ!じゃあそれで!お勧めで頼む!」 『畏まりました。では明日、お店でお待ちしていますね。タナトスさんもヒュプノスさんも、夜更かしはダメですよ?』 「うむ!明日の準備が終わったら寝るぞ!」 『じゃあ…おやすみなさい。明日、お店で待ってますね』 「おやすみ!」 「おやすみなさい、秋乃」 携帯を返されたタナトスは秋乃に挨拶して電話を切ると、土産の最終確認を始めた小さな双子神を見遣った。 …この二日間、俺の後を『お兄ちゃんお兄ちゃん』と言いながらちょこまかとついて来たあのチビは、明日には自分の世界に帰ってしまうのだな。そうなれば もう会う事はないのかもしれない…。 そんな想いが胸をかすめた時には、考えるより先に言葉が出ていた。 「…チビ助」 「ん?何だ、タナトス?」 「この世界に残る気はないか?お前が望むならいつまででもここにいて良いと俺は思っているのだが」 「え?」「…………!」 ガタン! タナトス少年がきょとんとするのと、顔を引き攣らせたヒュプノス少年が片付け途中だった本を半ば投げ出すようにして部屋を出て行くのはほとんど同時だっ た。 ヒュプノス少年の行動の意味が分からずに怪訝そうな顔をするタナトスに、異世界のタナトスがにこりと笑って静かに言った。 「そう言ってくれるのは凄く嬉しいが、俺はヒュプノスと一緒に自分の世界に帰ろうと思う。タナトスの事は凄く大好きだけど、でも、やっぱり俺に取ってヒュ プノスは特別だから」 「…そうか」 小さな自分自身の言葉に、銀の死神は淡く笑んで目を伏せた。 …俺はお前だけでなくあのチビ助も引き留めたつもりだったのだが。 そんな本心は胸の奥に沈め、タナトスは違う言葉を口にした。 「そうだな。俺にとってもヒュプノスは特別だ」 「!………」 「お前にもう会えなくなるかと思うと名残惜しくてな…変なことを言った、気にしないでくれ。あのチビを迎えに行って来る」 「ん」 タナトス少年はにこりと笑ってタナトスを見送り、傍らのヒュプノスを見上げた。 「タナトスに取ってお前は特別だそうだぞ。良かったなヒュプノス!」 「え?あ、いや、私は、別に…」 ヒュプノスは何か言おうとしたが言葉が見つからず、曖昧に口を噤んでヒュプノス少年が放り出した本を複雑な顔で片づけ始めた。 ハーデス神殿を飛び出したヒュプノス少年は、エリシオンの花園を目的も無く乱暴な足取りで歩いていた。 兄神がこの世界のタナトスと仲良くなったのは分かっていた。自分も、別れるのが寂しい、出来るならさよならしたくないと思う程度には、この世界のヒュプ ノスと仲良くなったと思う。 彼らだって自分達と別れるのは寂しいだろう。 でも、だからって。 タナトスだけをこの世界に引き留めるなんてあんまりではないか。この世界のヒュプノスもヒュプノスだ、タナトスを窘めるとか、私のことも引き留めると か、してくれても良いだろうに! ヒュプノスが何か言う前に部屋を飛び出しただろうと言われたら、それは、その、確かにそうなのだが、でも、それ以上に兄神の返事を聞くのが怖かったと言 うか…。 もし、もしも、私のタナトスがこの世界のタナトスの提案を受け入れたらと思うと…兄が弟と離れてこの世界に留まるなんて、そんなこと言わないと思うが、 でも。 でも、もしかして、ひょっとしたら、とか…… ふと冷静になったヒュプノスが周囲を見回すと、誰の神殿も見えなかった。怒りに身を任せて歩くうちに随分と遠くに来てしまったらしい。 「…ここはどこだ」 困惑して思わず呟くと、背後から呆れた声が飛んで来た。 「不貞腐れた勢いでこんなところまで来ていたのか?最早呆れを通り越して感心するな」 「!………」 「お前の兄はこの世界に留まる事を拒否したぞ。『ヒュプノスは特別だから一緒に自分達の世界に帰る』だそうだ」 「え」 「さぁ、神殿に戻るぞチビ助」 「あ、………」 文句を言うタイミングを逃してしまった…と気付いた時にはタナトスに手を引かれていて、繋いだ手を振り払うタイミングも逃してしまった。 せめてもの抵抗で俯いてダンマリを決め込んでいると、タナトスはそんな反応は予想済みという様子で口を開いた。 「最後まで言う前にお前が部屋を出て言ったから言いそびれたが、俺はお前も引き留めるつもりでいたぞ」 「え?」 「『え?』とは何だ、『え?』とは。俺が兄だけを引き留めて、弟のお前はどうでもいいからさっさと帰れ、などと言うと思っていたのか?」 「え…あ…う…」 「俺は…いや、『俺も』だな…弟は特別な存在だし、誰よりも大事で可愛いと思っている。そしてお前はこの俺の半身であるヒュプノスではないが、世界は違っ ても俺自身の大事な弟であることに何も変わりはないと思っているぞ」 「ふ…ふん。私はお前を兄だと思った事は一度も無いぞ!」 「そうか…」 返って来た声は予想外にガッカリしていて、そっと見上げるとタナトスは結構真面目に凹んだ顔をしていて、ヒュプノスは慌てて繋いだ手にギュッと力を入れ て付け足した。 「だ…だが、私を探して迎えに来てくれたことには感謝してるぞ」 「…そうか」 今度の言葉は明るくて、ちらりと見上げるとタナトスは嬉しそうに笑っていて、仕方ないから神殿に戻るまでは手を繋いでいてやろう…とヒュプノスは思っ た。 タナトスとヒュプノス少年がハーデス神殿に戻ると、タナトス少年が満面の笑みでふたりを出迎えた。 「ヒュプノス!急に飛び出していったからビックリしたぞ!俺がお前と離れ離れになってこの世界に留まるなんてそんな事、あるわけないではないか!」 「う、うん…」 「さあチビ共。明日は10時までにエルミタージュ洋菓子店に到着せねばならぬのだぞ。土産のドーナツを買いたいのならそれだけ早く出発する必要があるのだ し、もうそろそろ寝る準備をするぞ」 「あ…そう、だな。もう寝ないとな」 「うん…」 タナトスの言葉に、小さな双子神は幼い顔から笑みを消して頷いた。 眠ったら明日が来て、明日が来たら自分達は本来の世界に帰る。それは嬉しいが、この世界の皆とさよならするのは寂しかったのだ。 …昨日と同じ部屋に寝床を整えると、小さな双子神はけろーにょの着ぐるみ風パジャマに着換え始めた(身体に合うサイズの寝間着が無いと何かと不都合なの で、 ハンズに遊びに行った時に買って来たのだ)。微笑ましさと寂しさがないまぜになった複雑な顔で彼らを見つめていたヘカーテがふと何かを思いついた顔 になり、パッと顔を輝かせて男性陣を見回した。 「紳士諸君、私は画期的な計画を思いついたのだが!!」 「…………」 ヘカーテの不吉な言葉に男神達は微妙な顔を見合わせた。 昨夜の彼女が思いついた『画期的な計画』の内容が内容だっただけに、聞くのが怖いと言うか正直言って聞きたくない。ないのだが、聞かずに済ますのも多分 無理だろう。 微妙な沈黙が流れた後、皆の視線が大人のタナトスに集まり、彼は渋々口を開いた。 「…正直言って聞きたくないのですが…どんな内容なのです?」 「お前達、チビ共が元の世界に帰ったら二度と会えないと思ってるみたいだが、八雲紫の力を借りればまた会うことは可能じゃないか?」 「あ!」 「あっ…」 男神達はハッと虚を突かれた顔を見合わせた。 言われてみれば確かにその通り、こんな簡単なことに何故気付かなかったのかと内心舌打ちしながらタナトスは考えを巡らせた。 「そうなると…チビ達を元の世界に返すために八雲紫に会った時、奴を懐柔できるかどうかが問題と言う事になるな」 「そうだな。エルミタージュ洋菓子店に入った途端、この子達を連れ去ると同時に姿を消されては話も出来ずに終わってしまう」 「む!なら俺とヒュプノスはお前達が八雲紫と話をつけてから店に入るか?」 「そんな事をして店の外にいる我々だけを連れ去られたら結局同じ事ではないか」 「あ、そうか…」 「秋乃様に預けた手紙に『エルミタージュ洋菓子店で待っている』と書いてあったらしいからな、奴は我々より先に店に来るつもりなのだろう。秋乃様に頼ん で、我々が話をしたがっている事を八雲紫に伝えて頂くとしよう」 タナトス少年の頭にポンと手を置いて、タナトスは携帯に手を伸ばした。 「早く帰りたいと思っていたのに、いざ帰れるとなると名残惜しいものだな。タナトスが八雲紫をうまく丸めこんでくれればまた会えるだろうが、いつでもと言 う訳にはいかぬだろうし、しばらくは会えぬだろうと思うとやはり寂しく感じるぞ」 「そうだな」 「私達がこの世界に来てまだ二日しか経っていないのに、まるで半年以上滞在しているような気がするぞ」 「私も同感だ。驚くような出来事が立て続けに起きたからそう感じるのかもしれぬな」 「俺達が別世界の俺達に小宇宙を貰えば大人に戻れると知ったら、ハーデス様は喜んでくれるだろうか?」 「喜んでくれるかもしれぬが、一日で元に戻るのでは役に立たぬと苦笑されるやもしれぬ」 「むむ、では一日で出来る仕事を命じてもらわないと困るな!」 「…あのな、チビ助共」 寝床に横になって小さな双子神の話相手をしていたタナトスは、身体を半分起こしてわざとらしく眉間に皺を寄せた。 何だ?ときょとんとする小さなふたりの額を軽くつついて殊更に厳かに口を開いた。 「今、何時だと思っているのだ。お喋りは程々にしていい加減に寝ろ!寝坊して遅刻して、待ちくたびれた八雲紫が帰ってしまったらどうするのだ!」 「俺達が寝坊してもタナトス達が起こしてくれるだろう?」 「眠って起きたら別れの時間だからな…少しでも長く一緒にいた実感が欲しいのだ」 「あのな、………」 ヒュプノス少年の言葉にタナトスはぐっと詰まり、複雑な顔になり、うー…と唸ってしばらく悩み、ごそごそと懐を探って符のようなものを取り出した。 良く見るとそれは、鴨居に額をぶつけたタナトス少年の為に龍神秋乃が出してきて、結果的に星矢が額に貼ったキョンシーのお札風絆創膏だった。 怪訝そうな顔をする小さな双子神の額に、タナトスは一枚ずつキョンシーの札を貼った。 ペタ、ペタリ。 「??」 「何だこれは?」 「キョンシーの札だ」 「それは分かるが、何の意味があるのだ?」 「札を貼ったのだから動きを止めて寝ろ!」 「ん?キョンシーは札を貼ると動かなくなるのだったか?」 「札を剥がすと止まったような気がするが…どっちが正解だったろう?」 「貼ろうが剥がそうがどっちでも良いわ!今は黙って寝るのが正解だ!!」 短気なタナトスは大人気なく大声を出して、異世界の双子神の頭を枕に押し付けた。 「何をするっ!乱暴だな、タナトスは!」 「お前が黙って寝ないからだ!」 「人に何かを要求するならまず自分からやりなさいと星華姉ちゃんがいつも言っているぞ!俺に黙って寝ろと言うならまずタナトスが黙って寝ろ!」 「…良かろう。ならば俺が先に寝てやる。お前が話しかけても返事はせぬからな!」 子供相手に本気で言い返したタナトスは乱暴に身体を横たえて目を閉じた。 それを見て、『意地でも話しかけてなどやるものか』という顔で目を閉じた小さなタナトスは、一日遊んだ疲れが一気に出たのかしばらくすると穏やかな寝息 を立て始めた。 タナトス少年が寝入ったのを片目を開けて確認したタナトスは、ヒュプノス少年が目は開けているものの口は閉じているのを見て、ニヤリと笑って目を閉じ た。 大人のタナトスが何か絡んでくるかと思ったがそのまま寝てしまったのて、ヒュプノス少年の名残惜しさもそろそろ眠気に屈しようとしていた。 …小さなヒュプノスも眠ったのを見て、ヒュプノスは優しく彼の頭を撫でてそっと目を閉じた。 |
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| 蝶様双子神のタ
ンクトップとけろーにょパジャマにときめく30話です。 当サイトタナが蝶様タナに「元の世界に帰らずにここに残っても…」と引きとめるネタは結構早くからあった気がします。当サイトタナは、自分の後ろをちょ こちょことついてくる蝶様タナ様が可愛くて可愛くてたまらなくて、離れてしまう事が寂しいと言うか、寂しいとはちょっと違うかもですが、まぁそういう気持 ちになったのではないかと。そこから始まる一連の流れは蝶様との打ち合わせで出来ました。そういえば、当サイトヒュプ+蝶様タナのツーショットも初めてで すが、当サイトタナ+蝶様ヒュプのふたりだけで行動(そしてこのふたりが手を繋ぐ)のも初めてのような気がします。 そして、当初は蝶様双子神の寝間着はけろーにょではありませんでした。2日目の朝にぶかぶかの寝間着の裾を踏んでスッ転んだので、多分寝間着も買って来 たんだろうなと思って『寝間着』とだけ書いていたのですが、蝶様と打ち合わせした結果『猫+犬の着ぐるみ風パジャマにできませんか?→いいですよ〜→本当 はけろーにょ風パジャマが良いかなと思ったんですけど、そんなもの無いですもんね→無いですけどフィクションだからけろーにょパジャマでも良いと思いま す!』という流れでけろーにょパジャマになりました。蝶様双子神は、元の世界にもこのパジャマを持って行って着てくれてるそうです(萌)。 そして、星矢が『あとで貼ってやる』と言いながらそのままになっていたキョンシーのお札型絆創膏もようやくここで日の目を見ました。キョンシー…お札を 貼ると止まるんだったか剥がすと止まるんだったか…剥がすと止まるだった気がしますが、まぁ細かい事は気にしない方向で。 当初の打ち合わせでは、『タナタナコンビがお札の押し付け合いをしている間に蝶様ヒュプが寝てしまい、仕方なく蝶様タナも眠る』という流れでした。で、 当サイトタナが二人を見ながら『オネイロス達もこんな時期があったな。あいつらの方がずっと素直で大人しかったが』と楽しそうに話す、というネタを考えて いたのですが色々あってこう言う事に。 次の31話は、蝶様双子神が皆と別れて元の世界に帰るまでです。 |