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それは遥かな神話の時代。 仕事のミーティングを兼ねた茶会は最早日課であり、双子神が些細な諍いを起こしたりタナトスとヘカーテが夫婦漫才したりハーデスがとんでもなくとぼけた発言をするのは見慣れた光景だった。 が、その日は少々珍しい光景が繰り広げられていた。 冥妃ベルセフォネーと氷の女神ヘカーテが些細なことから口喧嘩を始め、どちらも一歩も引かずに双方ヒートアップして、大声で言い合いを始めたのだ。比較 的女性への接し方が上手いタナトスが喧嘩の序盤で双方を諌めようとしたが、女性ふたりに『男は黙ってろ!!!』と怒鳴られて呆気なく沈黙し、男神達は紅茶 を啜り茶菓子を齧りつつひたすら頭を低くして頭上を飛び交う女性達の暴言が早く収まってくれるよう祈り始めたが、生憎とその願いが聞き届けられる気配はな かった。 とは言え、タナトスが抑えられなかった女性同士の喧嘩など他の誰が仲裁出来ようかと皆が思っていると、ヘカーテがひときわ大声で言い放った。 「黙れこの、何も挟めんペタンコがー!!!」 ああ、伝家の宝刀が来たな…と男神達は思った。 ベルセフォネーとヘカーテの喧嘩がヒートアップしてくると、必ずヘカーテが持ちだしてくるのが胸の大きさネタだ。ベルセフォネーの名誉の為に言うならば 彼女は決して貧乳ではない。ヘカーテが巨乳なだけである。ヘカーテと比べれば大半の女性はペタンコになる。なるのだが、ベルセフォネー自身は胸のサイズに コンプレックスを持っているらしく、胸ネタで攻撃されると何も言えずべそをかいてハーデスやタナトスに慰められ喧嘩は終了となるのがいつものパターンだっ た。逆を言えばヘカーテが胸ネタを持ち出して来たという事は彼女が追い詰められていると言う事でもある。 そろそろ喧嘩が終わるな、ぼちぼちベルセフォネー様を慰める文句を考えておかないと…と男神達が思ったが、今日はパターン通りにはいかなかった。ベルセフォネーが反撃に出たのである。 「ふーんだ。私はペタンコかもしれないけど、このペタンコ胸でハーデスの心はしっかり挟んだもんね!ヘカーテは確かに胸はご立派だけど、そのご自慢の胸で未だにタナトスの心を挟めてないじゃない!!」 ガチャン。 タナトスはティーカップを落とし、ヒュプノスは茶菓子を喉に詰まらせ、お代りの紅茶をカップに注いでいたハーデスはそのまま紅茶を溢れさせ、夢の四神は飲みかけの紅茶を吹いたり吐いたり咽せたりした。 男神達の愉快な行動にも無反応でヘカーテはしばらく呆然としていたが、やおら涙目になって拳で卓を叩いて叫んだ。 「う…うるさいうるさいうるさーーーい!!タナトスは海や大地の神と勝手が違って手強すぎるんだ!私だって、私だってあの手この手で頑張ってるんだぞ!そんなこと、そんな事、言わなくたって…」 「いい加減にして下さい!!!!!!」 バン!!! ティーカップが飛び上るほどの勢いで卓を叩いて、顔を真っ赤にしたタナトスがブチ切れて椅子を蹴立てて立ち上がった。 「さっきから聞いていれば一体何ですかベルセフォネー様もヘカーテ様も!それが冥王の妃と側近が男神の同席している場所で交わす会話ですか!いくらなんで も品がなさすぎます!お行儀が悪いにも限度と言うものがあるでしょう!そんな話を聞かされるこっちの身にもなって頂きたい!もう一度言います、いい加減に して下さい!!!!」 タナトスのブチキレぶりに虚勢を削がれたらしい女神達は、顔を見合わせ、何とも居心地悪そうな微妙な眼をぎこちなく逸らしている男神達を見て、バツが悪そうな顔でお行儀よく座り直した。 タナトスはふたりをもう一度ずつじろりと睨んでから大きく息を吐いて腰を降ろした。 …微妙な沈黙が流れた後、ベルセフォネーがもじもじと口を開いた。 「あの…ヘカーテ、ごめんね。ちょっと、熱くなりすぎちゃって、変なこと言っちゃったわ」 「いや、私の方こそごめん。言いすぎたな。…………」 お兄ちゃんの本気の怒りにぺしゃんこになった女神達は互いの暴言を詫びてもそもそと茶菓子を口に入れていたが、ヘカーテはクッキーを半分ほど齧って皿に戻した。 「あー…頭に血が上りすぎたみたいだ、クラクラする。すまない、ちょっと外の空気を吸いに行ってくる」 よろよろと立ち上がった美貌の女神はフラフラと扉の方に歩いて行って、何もないところで躓き、扉に一度額をゴンとぶつけて何だか危なっかしい足取りで部屋を出て行った。 二個目のマドレーヌを齧っていたベルセフォネーが心配そうに眉根を寄せた。 「…私、ひょっとして、ものすごーーーーくまずい事、言っちゃった?」 「ものすごいショックの受け方だな」 「結構気にしてたんですね、未だにタナトス様を口説き落とせてない事」 「アテナ様やアルテミス様が遊びに来るたびに進捗状況を尋ねられているようだったしなぁ…」 「豪気なように見えてヘカーテ様は変なところで繊細だからな…」 「………。あのぉ、タナトス…」 「………」 次の言葉が容易に推測出来て、タナトスは抗議の意思の表現として無言のままジト目を冥妃に向けた。 ベルセフォネーは大袈裟に頼む仕草をして言った。 「ヘカーテのフォロー、お願い!頼めるのはあなたしかいないの!」 「あのですね冥妃様…」 「あ、『お願い』って言ったけど、これ命令だから。拒否は無しの方向でよろしくね!」 「……………」 お前な。 …とは思ったものの。 ヘカーテの尋常でないショックの受け方は確かに気がかりだったし、彼女に何かあったら冥王の業務に無視できない支障が出て、その皺寄せは双子神や夢の四神の無駄な仕事となって如実に表れる事は過去の歴史が証明している。 「分かりました。ヘカーテ様のご機嫌を取ってくれば良いのですね」 「うんうん。ついでにヘカーテと恋仲になってくれたらもっと良いんだけどなー」 「………」 冥妃の言葉はガン無視してタナトスは部屋を出た。 近くにいたニンフにヘカーテの行方を尋ねると、『壁に時々ぶつかったり何もないところで転んだりしながら神殿の外に出て行かれました』と言葉が返ってきた。 おいおい、本気で大丈夫か? …半ば真剣に心配しつつ神殿の裏手に回ると、抱えた膝に顔をうずめて体育座りしているヘカーテの姿が見えた。どよーん、と音が聞こえそうな落ち込みぶりだ。頭からキノコが生えているように見えたが、幻覚だろうか。 タナトスはわざと足音を立ててヘカーテに近づくと隣に腰を降ろした。 「…冥妃様の発言はショックでしたか」 「………。すっごいこたえたぁ…」 「…そのようですね」 「タナトスぅ」 「はい?」 「心が痛いよぉ」 ふえぇぇぇん、と子供のような声でヘカーテが泣き始めたので、タナトスは小さな子供にするようによしよしと女神の頭を撫でてやった。 「あとでお菓子をあげますから泣かないでください」 「子供扱いするな!彼女扱いしろ!」 「ご無体な」 「そんなに私が嫌いか、タナトス!」 「そんな事はありません。俺の中での女神好感度ランキング、栄えある第一位はヘカーテ様です」 「…それはどーも」 膝にうずめていた顔を漸く上げたヘカーテは、子供のように涙を流したまま頬をぷくっと膨らませて唇を尖らせた。 タナトスはわざとらしく不思議そうな顔で首を傾げた。 「何です、喜ばないのですか?」 「喜んで欲しかったら私が喜ぶような言葉を選べ!」 「例えばどのような」 「愛してますとか、好きですとか!」 「じゃあ、好きです」 「じゃあって何だ、じゃあって!」 「………。ヘカーテ様、面倒くさいです。ものすごくメンドクサイです」 「うるさい。お前が悪い!私がこんなに頑張っても落ちないお前が悪い!!」 「ご無体な」 もう一度さっきと同じ言葉を言って、タナトスはヘカーテの肩を抱いて引き寄せるとその頬に口付けた。 ヘカーテはむくれた顔でそっぽを向いてタナトスのローブの胸元を掴んだ。 「タナトス」 「はい」 「私は今からヤケ酒を呑むぞ。付き合え。とことん付き合え。明日まで付き合え」 「仰せのとおりに、お姫様」 「ならお前が王子になれ」 「ご無体な」 クスリと笑ってタナトスは立ち上がり、ヘカーテをエスコートして彼女の神殿に向かった。 …ヘカーテの半端ない酒癖の悪さを知り、明日までヤケ酒に付き合うと安易に約束した事をタナトスが本気で後悔したのはこの数時間後の事だった。 |
| 星矢部屋 |
総合目次 | SS・2012時代 |
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SS・蟹座達 |
| 前々からネタはあったものの、なんと製作時間一時間半と言うSSです。 「何も挟めんペタンコがー!」と叫ぶヘカーテ、「そのペタンコでハーデスの心は挟
んだもん!」と言い返すベルセフォネー、大真面目にブチ切れるタナトス…と、ネタ自体はかなり以前からあったコメディです。タナトスはハーデスやヒュプノ
スや夢の四神のお兄ちゃんですが、時と場合によってはベルセフォネーやヘカーテのお兄ちゃんにもなるのです。 後は、繊細そうに見えて実は図太いベルセフォネーと、図太そうに見えて意外なところで繊細なヘカーテの対比も拘ったポイントです。 「ヘカーテが酒癖が悪い」という裏設定はSS「知将」第4話目、タナトス+アレス+ヘパイストスのトリプル漫才をやってた頃に出来ました。最終UP版で はタナトスとヘカーテの仲に関する情報はエリス経由で漏れた事にしましたが、当初はアテナやアルテミス経由で漏れた事になっていました。で、冥府に戻って きたタナトスが曖昧な言葉でその辺の事情に探りを入れると、ベルセフォネーが「ヘカーテに飲ませすぎるととんでもないことになるって分かったから、彼女が 失言するレベルになるまでお酒を飲ませる事は今後一切ないから安心して」と言って、「ヘカーテ様はどんだけ酒癖が悪いんだ?」と皆が思う…という展開を考 えていました。結局、ヘカーテからアテナ・アルテミスに情報が漏れてもそのふたりからアレスに情報が漏れるのは変だよな、と思い直してエリスに変更になっ たことで「ヘカーテは酒癖が悪い」設定はお蔵入りとなっていました。彼女の酒癖の悪さは具体的にどんなものなのかは現時点では考えておりませんが、何かの はずみで出てくるかもしれないです(笑)。 |