双子神1747・地獣

 それは、ハーデスの魂が器の少年に入れられた状態で発見されてしばらく経ったある日のこと。
  アテナ軍との小競り合いは多少あるものの本格的な聖戦勃発にはまだ早く、ハーデス城内も比較的穏やかな空気が流れていた。  冥王軍指揮官パンドラとお供のチェシャは長い廊下を歩いていた。

 「ねーねーパンドラ様。一体何でまた、ハーデス様の魂はイタリアなんかに行ってたんでしょうね?しかも器の少年に入れられて…」
 「私に聞くな。事情が分かっていたらこんな苦労はしていない」
 「ですよねー。でも、あの双子の神様はハーデス様が見つかっても特に驚いたり喜んだりしてなかったんですよね?ひょっとしてあの神様達はハーデス様の居場 所を知っててわざと黙ってたんじゃ?」
 「口を慎め、チェシャ。あの方々は神話の時代よりハーデス様にお仕えしてきた神であられるのだぞ。我々人間の考えなど及びもつかぬ存在なのだ」
 「んー」

  まだ何か言いたげなチェシャの態度に、パンドラは足を止めて僅かにきつくした眼差しを向けた。

 「いち冥闘士に過ぎぬお前が神のお考えに疑問を持っているなどとあの方々の耳に入ってみろ、聖戦を待たずに消されるかもしれんぞ。もう一度言うぞチェ シャ、口を慎め」
 「まっさかー。あの神様達は滅多に離宮から出てこないし、こんな下っ端の世間話なんかいちいち気にしませんて!パンドラ様ってば本当…」

  心配性なんだから、と言いかけたチェシャは不意に背後に出現した強大な小宇宙に震えあがった。
  驚いた弾みでチェシャは思わず自分の必殺技を発動していた。

 「パーキーパーティーーーーーー!!!」

  途端にわらわらと溢れ出す色とりどりの猫、猫、猫。
  にゃーニャーにゃーニャー!!
  湧き出した猫達は一斉にその強大な小宇宙の主に向かって行って、今更ながら猫が飛び掛かった人物を確認したパンドラとチェシャは背筋が凍りつくのを感じ た。

 「何だこの大量の猫は?」
 「しばらく見ぬ間にハーデス城に冥闘士以外の命あるものが住み着いたのか?」

  大量の猫の体当たりやひっかき攻撃など意にも介さず怪訝そうな顔をしているのは、今まさにチェシャが話題に出していた冥王の側近…死と眠りの双子神。
  出してしまった猫をこの状況で引っ込めるわけにもいかず、パンドラとチェシャは厳しい叱責を受ける恐怖で青ざめながら傅き頭を下げるしかできなかった。俯いていても神の目が自分達に向くのがはっきりとわかる。
  金色の眠り神の静かな声がした。

 「この大量の猫はお前達の仕業か?」
 「は…はっ…」
 「何の理由があってこんなことをしたのだ?」
 「えっと、おふたりの小宇宙にびっくりして、あの、その拍子に、必殺技用の猫が…そのぉ…飛び出して、しまったんです」
 「必殺技用の猫?」
「猫で必殺技?」
  流石は双子と言うべきか、銀と金の神は同時に似通った言葉を呟いた。
  気にせず流してくれというパンドラとチェシャの必死の願いもむなしく、神様達はさらに突っ込んできた。

 「何をどうやって必殺技になるのだ?見たところ色が変なだけで何の変哲もない猫のようだが」
 「ええと、あの、そのぉ…」
 「まさかとは思うが、大量の猫が襲い掛かるだけなのか?」
 「あのぅ、そのぅ、その、まさか、です………」
 「………」

  嫌な感じの沈黙にびくびくしながら神様達を見上げると、金色神様は心底呆れた果てた顔でため息をつき、銀色神様は猫をつまみ上げて口元を綻ばせていた。

 「タナトスよ。こいつを始めて見た時の『何だお前は』という言葉はやはり正しかったようだな。地獣星の魔星は何を基準にこんな使えぬ者を選んだのか…。聖 戦が本格化する前に新たな地獣星を選び直すべきだろうか」
 「えええええええっ!!僕、お役御免ってことですかァァ!?」
 「我が冥王軍に使えぬ冥闘士など必要ない」
 「まあ待てヒュプノスよ。そう四角四面にならずとも良いであろう」

  二つ返事でチェシャの罷免…というか粛清に賛同するかと思った死の神が意外な言葉を口にした。
  つまみ上げた猫の喉を撫でてゴロゴロ言わせながら、楽しげな笑みを浮かべた死の神は渋い顔をする眠りの神に目を向けた。

 「無能と鋏は使いようと言うではないか。敵にも『こいつは無能だ』と思わせて油断させれば、思わぬ戦果をあげるやもしれぬぞ」
 「猫を出すだけの必殺技で、か?」
 「モノは使いようだ。命の取り合いの真っ最中に突然猫が湧き出れば、アテナの聖闘士とて意表を突かれて0.1秒ほど動きを止めるかもしれぬ。聖闘士の首を 刎ねるには0.1秒あれば十分であろう?そもそもお前の造った地の魔星は、俺の造った天の魔星をサポートするのが存在意義ではないか」
 「…地獣星よ」
 「ははははぃぃぃぃ!!!???」

  どう目を凝らしても嬉しそうに猫をかいぐりかいぐりしているようにしか見えない死神様の意外なフォローにポカーンとしていたチェシャは、冷ややかな眠り 神様の声に飛び上がるほど驚いた。

 「確かにお前の戦果も待たずに結論を出すのは早急と言えよう。タナトスの慈悲で命拾いをしたこと決して忘れず、より一層冥王軍のために尽くすのだぞ」
 「はははは、はいぃぃ!!!」
 「…それからパンドラ」
 「は…はっ」
 「自分の供の管理も出来ぬようではハーデス様をお迎えするにも不安が残る。気を緩めることなく自己研鑽に努めるように」
 「仰せのままに」  

 深々と頭を下げたパンドラとチェシャの視界の前をヒュプノスの足が通り過ぎ、数歩進んだところで止まった。
  そぉっと視線を動かすと、猫にじゃれ付かれて立ち止まったままのタナトスの足が見えた。
  …ヒュプノスが苛立ち交じりの歩き方で数歩戻ってまた歩き出すのと同時に少しつんのめるような動作でタナトスが歩き出し、直後に猫が床に飛び降りてき た。
  猫を抱いたまま動かない銀の神と、それに気付いて渋い顔で数歩戻って兄神の手を掴んで引きずっていく金の神と、その拍子に銀の神の腕から飛 び降りた猫…という一連の流れが容易に想像できて、パンドラとチェシャはひたすら複雑な気持ちと面持ちで遠ざかっていく神々の足音を聞いていた。
  どんなに耳を澄ましても神の足音が聞こえなくなってから二人はようやく顔を上げて立ち上がった。
  チェシャは目を丸くしてパンドラを見遣った。

 「びっくりしましたねー、パンドラ様」
 「ああ、全くだ。双子神がいきなりお出ましになったのにも驚いたが、お前の無能と失態をタナトス様がフォローされるとは…」
 「ねーねー、タナトス様ってば実は猫好きなんじゃないですか?僕、何か親近感持っちゃうなー」
 「滅多なことを言うな、チェシャ!今回は運よくタナトス様のご機嫌が良かっただけなのだぞ!さあ、さっさとその猫を片付けろ!」
 「はぁい」

  唇を尖らせて『必殺技』用の猫を戻し始めたチェシャは怪訝そうに首を傾げた。
 「あれ?二匹足りない…」




 その頃。  離宮に戻った双子神は日課のチェスとティータイムの準備をしていた。
  テラスに設置した卓にヒュプノスがチェス台を準備すると、タナトスがコーヒーとチェッカークッキーを持ってきた。
  コーヒーにミルクをいれて優雅なしぐさで混ぜていたヒュプノスは、ブラック派のタナトスがミルクポットに手を伸ばすのを見て意外そうな顔をした。
  たまには砂糖とミルクの入ったコーヒーも飲みたくなるのだろうか…と思っていると、兄神は手に取ったミルクを小皿に注いだ。

 「??」

  その行動に何となく嫌な予感がした途端。
  にゃー。
  タナトスのローブの袖から猫が二匹出てきた。出所など追及するまでもなく分かりきっている。
  ミルクを舐める猫を目を細めて眺めている兄神の姿に、弟神は肺の中の空気を全部吐き出すほどのため息をついた。

 「タナトス、お前…地獣星の猫をちょろまかして来たのか」
 「あれだけたくさんいれば二匹くらい減っていても分かるまい」
 「いや、分かるだろう。お前が猫と一緒にいるのを見つかったらどうするつもりだ」
 「そこらで拾ったと言えばよい」
 「…返して来い」
 「何故」

  タナトスは明らかに不満そうに眉をしかめた。
  その反応にヒュプノスはこれ以上ないほど渋い顔をした。

 「今なら猫がくっついて来ていた事にできる。返しに行くのが嫌ならパンドラを呼べ」
 「………」
 「お前が呼ばぬのなら私が呼ぶぞ。お前が猫にミルクをやっている姿をパンドラに見られれば、冥王ハーデスの片腕たる死の神は猫萌えキャラだなどと噂が流れ よう。人間共はお前に対する畏敬の念をなくしお前を軽んじるだろうが、それで良いのだな?」
 「………」
 「その猫は飼い主に返せ、タナトス」

  死の神は唇をへの字にしてそっぽを向いてむくれていたが、ヒュプノスがパンドラを呼ぶ鈴に手を伸ばしたのを見て渋々口を開いた。

 「分かった分かった。返せば良いのだろう、返せば!」
 「………」

  ヒュプノスが無言で差し出したパンドラの呼び鈴を不承不承受け取ったタナトスはそれを卓に置いた。
  物言いたげに突き刺さる弟の無言の視線を鬱陶しげに払いのけ、死の神はボソリと言った。

 「猫がミルクを飲み終わるまでの時間くらい、待ってもよかろう」  

 …それからしばらくの後、双子神の離宮に呼び出されたパンドラが見たものは。
  物凄い不機嫌顔のタナトスとしれっと無表情のヒュプノス、僅かにミルクが残った小皿、口の周りにクッキーの食べかすをつけたまま寝息を立てる二匹の猫 だった。


END



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