| 冥王の片腕達が開いた神の道が急速に閉じていく。 一歩を踏み出し、アテナは此度の聖戦でたった二人生き残った兄弟を振り返った。あの死と眠りの神と同じ、最も近い姿と最も異なる魂を持つ双子の兄弟を。 「セージ、ハクレイ。生きるのですよ。良いですね」 アテナとして最後の命令を与えると戦女神は神の道に飛び込んだ。敵の本拠地に続く、その道に。 飛び込んだ直後に道は閉じた。 …もう、戻れない。 …目を開けた。 ずっしりと重い体を感じつつ、唯一自由に動く目だけを動かして周囲を見回した。 どうやら自分は寝台の上に寝かされているらしい。背中には柔らかなクッションが当てられ、体には薄絹がかけられている。なかなか丁重な扱いと言えよう。…両腕に嵌められた重い枷がなければ。 無駄を承知で外そうとしてみたが、戦女神の小宇宙も封じられているらしくびくともしなかった。恐らくこれは、鍛治の神へパイストスが冥王ハーデスのために造った特別な手錠なのだろう。 捕虜になってしまったか…とため息をついた時、部屋を仕切る薄衣の向こうでニンフ達が微かにざわめく気配があった。 …ニンフ達がアテナの目覚めを報告したのだろう、断りもなく薄衣を開けて冥王臣下の双子神が姿を見せて、アテナは体を起こした。 数瞬の沈黙と視線の応酬の後、死の神タナトスがゆっくりと近づいてきて、薄く笑みを浮かべて口を開いた。 「戦女神アテナともあろう者が我らに容易く捕まるとはな。血も小宇宙も使い果たした状態でエリシオンに単独乗り込んでくるとは…慰み者にでもなりたいのか?」 からかうようなその口調に、アテナはまっすぐに銀色の瞳を見つめ返した。 「私の体を汚すことがあなたの名も誇りも傷つけぬのなら、どうぞお好きに」 「舐めるなよ小娘…!」 途端に怒りを露わにした死の神はアテナを寝台に押し倒した。 指が食い込むほどギリギリと華奢な肩を掴み、麗しく気丈なその顔を睨みつける。 「その枷を填められた今のお前は人間の女も同然。冥闘士達にくれてやってもよいのだぞ」 「先ほど申し上げたでしょう。『私の体を汚すことがあなたの名も誇りも傷つけぬのなら、どうぞお好きに』と」 「………。何が目的だ」 低く囁くようにタナトスは問う。 「聖戦はお前達が勝利してハーデス様は再び眠りにつかれた。何故お前は、危険を冒してまで我らを追ってきた?」 「…敵であるあなたにお答えする必要はありません」 「この…!」 「タナトス」 それまで兄神の後ろで黙って様子を見ていた金の神が穏やかに銀の神を制した。 弟の制止に死の神は忌々しく舌打ちすると、懐を探って小さな人形のようなものをアテナに投げつけた。…アテナの聖衣だった。 タナトスの行動の意味が理解できず、アテナは訝しげに眉根を寄せた。 「…何のつもりです」 「敵であるお前に答える必要などないわ。それを持ってさっさと地上に帰れ、楽園が穢れる!」 言葉を吐き捨て、タナトスは乱暴に踵を返した。 嫌味なほど慇懃に一礼したヒュプノスが静かに兄に続いて部屋を出て。 …アテナだけがぽつりと残された。 爽やかな風が吹き抜け、色とりどりの花がサワサワと揺れる。 ここが冥界であることを忘れてしまうほど美しい景色の中で、アテナは花畑に腰を下ろしてぼんやりとその光景を眺めていた。 西風にしなやかな髪を舞わせて花畑にふわりと座る処女神の姿もまた楽園に相応しいものであっただろう。…その手を拘束する冷たい枷がなければ。 「まだいたのか」 背後から苛立ちを隠しもしない声がしてアテナは振り返った。 淡く輝く銀色の髪と瞳、裾の長い漆黒のローブ…死を司る神タナトスだ。 睨むでもなく顔を背けるでもなく、ただ沈黙を持って答える戦女神に死神はますます苛立った様子で言葉を続けた。 「手枷を外す鍵は聖域スターヒルに置いてあると言ったはずだが?」 「ええ、覚えています」 「ならばさっさと帰るが良い。女の身でその手枷を引きずって歩くのは辛かろう」 「…何故あなた方は私を見逃すのです?この肉体を滅して魂を冥界に封じてしまえば次の聖戦でハーデスは容易く地上を手に入れられるでしょうに」 「………。ひとにモノを尋ねるならまず自分から話すのが礼儀であろう」 「……?」 言葉の意味を取りかねたアテナが不思議そうに首を傾げる。 女神の力を封じられ人間程度の力しかない状態で、敵の神を目の前にどうしてそんなに警戒感がないのか…と、タナトスは眉間に皺を寄せて口元を苛々と歪ませた。 「聖戦に勝利し、血も小宇宙も使い果たしたお前が我々を追ってきた、そしてここに居座る理由だ」 「理由…」 アテナは投げつけられた言葉を呟き、そっと目を伏せ、独り言のように言った。 「…分かりません」 「ふざけるな」 「本当に分からないのです」 顔を上げたアテナの表情にタナトスは怯んだ。 嘘を言っているとは思えない真剣な眼差しに戸惑い顔をしかめると、アテナは悲壮感すら漂う目で銀の神を見つめた。 「あなた達がハーデスの魂を迎えに来て、神の道が閉じようとした時…私はあなた方を追わねばと思った。理屈ではありませんでした。心が、魂が叫んだので す。双子神を追わなければ、追って、彼らに会わなければ。地上の神である私が、聖戦の時すら姿を見せない冥界の神であるあなた方に会う機会など、これを逃 したら次はいつになるかわからない、と」 「………」 「私は、あなた達に会いたかった。会って、話をしたかった。それは分かる、でも、何を話したかったのか分からない、思い出せないのです。…死の神よ」 まるで叶わぬ恋に心を焦がす乙女のような眼差しで見つめられ、タナトスは動揺を隠し切れずに短く答えた。 「な…何だ?」 「あなたなら答えを知っているのではありませんか?私が危険を承知で敵の本拠地に乗り込んでまであなた方を追い、話したかったことが何なのか」 「………」 「アテナよ。それ以上タナトスの心を惑わすのは遠慮してもらえぬか」 いつからそこにいたのか、銀の神の背後に金の神が佇んでいた。 弟神の言葉に兄神は何か抗議の言葉を出しかけ、適切な言葉が見つからなかったのか何も言わずに口を閉じた。 アテナはヒュプノスに目を向けた。 「眠りの神よ、話は聞いていたでしょう?あなたは答えを知っているのではありませんか?」 「…我々が貴女に言える言葉はひとつだけだ。『敵に答える必要はない』」 「………」 「何を話したかったのか思い出せぬのなら、今は我々と貴女が話し合いをすべき時ではないのだろう。貴女の居場所はここではないはず。あるべき場所へ帰られよ」 「ならば」 話は終わりだとばかりに踵を返した双子神の背に、アテナは最後の言葉を投げた。 「私が話したいことを思い出したその時は、話し合いに応じて頂けますね?」 …銀と金の兄弟神は振り返らなかった。 ひときわ強く西風が吹き抜けてアテナの髪がなびいて花びらが舞い、彼女は思わず目を閉じた。 「その時が、訪れたならば」 耳に届いた言葉はどちらの声だったのか、それともアテナの空耳だったのか。 目を開けた時には冥王の側近の姿は無かった。 恋い焦がれ追い縋って必死に手を伸ばして、一度は届いたその手から、想い続けた相手はするりと逃げてしまった…そんな痛みと疼きを胸に宿してアテナは立ち上がった。 戦女神のいるべき場所はここではないから。 この楽園を隅々まで探しても、この身が朽ちるまでここにいても、きっともう、夜闇の眷属である彼らに会うことは叶わないから。 …その時が、訪れたならば。 死と眠りの神々が残した言葉、それは戦女神との再会の約束、あるいは契約。 ――――『その時』が訪れるのは約五百年の後。 |
| 星矢部屋 | 総合目次 | SS・2012時代 | SS・神話時代 | SS・蟹座達 |
| 手代木星矢OVA第二章6巻オリジナルエピの、15世紀の聖戦アテナが大人で素敵で(特に胸)、テンションダダ上がりで書き上げたSSです。 タイトルは「約束」か「契約」か最後まで悩みました。 アテナのばいんばいんの巨乳にノックアウトされて作った話なのに色気の欠片も胸ネタもlないという、ある意味で後悔の残る作品でもありました(笑)。今 後のSSとかでもチラッと匂わせるかもしれないのですが、神話時代のアテナは、恋心とまでは行かない、憧れの延長みたいな感情をタナトスに対して持ってま す。15世紀アテナが感じていた複雑な感情はこの辺に由来しています。転生を繰り返すうちにその想いも薄れて行って、18世紀聖戦のアテナ(サーシャ)は テンマが好きで、今生のアテナ(沙織)は星矢の事が好きなんですが。 アテナ視点で話が進んでいたので本編で明かせなかった色々。 『アテナは何故双子神に捕まった?また、アテナの聖衣をタナトスが持っていたのは何故?』 血も小宇宙も使い果たしたアテナにとっては、神の道を通ってエリシオンに行くだけでもかなりの負担になっていた。なので到着したとたんに気絶して、その 時に聖衣も装着解除されたのではないかと。で、倒れているアテナを見つけたニンフが双子神に報告。個人的には、物凄い嫌そうな顔をしたタナトスがお姫様 抱っこで神殿に運んだんだと思いたいです(笑)。 『鍛治の神へパイストスが作った手錠って?』 あくまで当サイトにおける現時点での設定ですが。 ヘパイストスがハーデスのために造った特別製の手錠で、神や人間の小宇宙をほぼ完全に封じる(=神や英雄が実質無力な人間になる)力がある。普段は死の神タナトスが持っており、死を拒む人間が暴れた時におとなしくさせるために使う。 ちなみにタナトスは、死を拒む人間に騙されてこの手錠をかけられ監禁されたことがある。この、タナトスを騙した人間がシジフォス王(シシューポス王)。 このシジフォス王はタナトスだけでなく、冥王ハーデスや冥妃ベルセフォネーも騙した。神を欺いた罪(というかゼウスの逆切れのような気もするが…)で、タ ルタロスの山の上まで延々と大岩を運び続ける罰を与えられた。 『双子神は何故アテナを殺さなかった?』 敵の総大将の首を取るのは冥界の総大将ハーデスの役目。臣下が首を取ってしまっては意味がない。 ハーデスの目的は冥妃を探し出すことであり、アテナ抹殺ではない。 アテナを生かしておいて聖戦を繰り返すことが、冥妃へ向けたメッセージとして効果的と考えていた。アテナの聖衣を返したのも、双子神は聖戦勝利に固執していないため。 一番大きな理由は、双子神はアテナを嫌いでもないし憎んでもいないから。神話時代の記憶をきちんと持っている彼らの認識は「アテナ=冥妃の親友」なの で、殺すことにかなりの躊躇いがある。無茶苦茶な理由で先に喧嘩売ったのこっちだしなー、みたいな後ろめたさも多分ある。アテナ軍には手下の冥闘士を殺さ れまくっているが、双子神にとっては「冥闘士=いくらでも替えのあるゲームの駒」なので、「アテナ=仲間の敵」みたいな感情も全くない。一応、主君ハーデ スは聖戦のたびにアテナにやり込められているが、仮の肉体から魂が追い出されるだけなので特に気にしていない。言うなれば、ハーデス=ジャイアンにいじめ られて泣きながら帰って来るのび太、双子神=そんなのび太を生ぬるく見守るドラえもん。 『アテナが双子神と話したかったことは?また、話したい内容を忘れていたのは何故?』 双子神と話したかったことは『ハーデスが聖戦を起こした真の理由』。つまり「双子神2012・再会」で話していた内容。アテナは無意識に、『双子神と話 してハーデスが聖戦を起こした真の目的が冥妃探索だと判明すれば、話し合いで聖戦を終わらせることができる』と気付いていた。 話したい内容を忘れていたのは、何度も転生を繰り返すうちに神話の時代の記憶が薄れて行ったため。神話の時代は双子神と友人同士のような付き合いをして いたことだけでなく、ハーデスに妃がいたことも忘れている。OVAアテナは20歳程度まで生きていたので、僅かだが神話の時代の記憶を思い出しかけてい た。他の時代のアテナ(LC、無印)は、アテナとして覚醒して数年のうちに聖戦を終えた(=聖戦終了とほぼ同時に地上を去って転生した)ため、神話時代の 記憶を思い出す時間がなかった。 OVAアテナの『双子神と話をしたい』という想いは転生時にリセットされたため、サーシャは双子神と話し合いたいという意思(記憶)は持っていなかった。 なお、無印時代のアテナ(沙織)は、聖戦終了後も地上で『生きていた』こと、冥妃の転生体に偶然出会ったことの二つの要素により、神話の時代の記憶をほぼ完全に取り戻す事が出来た。 |