双子神1504・生誕


 …6月。
 初夏が名残惜しげに世界に留まり、夏の足音が確かに聞こえ始める季節。
 季節の移ろいとは縁の薄い冥界の冥闘士達も、6月が訪れると途端にそわそわと浮き立ち始める。仕事をしていても心ここにあらずで地に足がつい ておらず、ミスをする冥闘士も少なからずいる。それが普段なら叱責だけでは済まないような粗相であっても、この時期だけは『タナトス様 ヒュプノス様のお誕生日パーティーで披露する演目について考えておりました』という魔法の言葉を唱えれば笑って赦されるのだ。
 6月13日は冥王ハーデスの忠実な片腕達、タナトスとヒュプノスの誕生日だ。
 臣下をこよなく愛するハーデスは毎年必ず双子神の誕生パーティーを開催する。そしていつの頃からか、『双子神の誕生日パーティーでタナトス様の覚えがめ でたくなるような演目を披露すると冥王軍内で良い地位を用意してもらえる』という噂がまことしやかに流れ始めた。そしてその噂を裏付けるような『昇格人 事』が何度かあったため、冥闘士達の関心が双子神の誕生日パーティーに向くのは無理からぬことだった。
 冥王軍の諸々にはほとんど関わらない冥界の女神ヘカーテもこの時ばかりは双子神の誕生日を祝うためにハーデス城を訪れ、美貌の女神のお出ましに冥闘士達の足取りもますます軽くなり、お祝いムードが最高潮に近づいた6月12日の夕方、予想外の出来事が起きた。
 ハーデスと双子神、ヘカーテ、夢の四神がそれぞれの仕事をこなしている時、三巨頭の一角である天貴星から緊急の報告が上がってきたのだ。





 わざわざ冥王の耳に入れねばならぬ報告とは何事か、とジュデッカに揃った神々の前に天貴星は恭しく傅いて口を開いた。

「ハーデス様に申し上げます。先ほど私の部下の天英星より『地上で疫病が大流行し、本来死すべき運命にはない人間が死を迎えている』と報告がございました」
「寿命を迎えていない人間が疫病で死んでいる…だと?」

 ハーデスは眉根を寄せた。
 人間が流行病で死ぬことは特殊な事ではない。運命の女神モイライがその人間に『疫病で命を落とす』という運命を与えただけのことだ。
 だが、モイライが与えた寿命を全うしていない人間が死を迎えるなどと言う非常事態は神が介入しなければ有り得ない。
 …神が介入しなければ。
 冥界の神々は呆れたように溜息をついた。

「アポロンの奴、地上の女に手を出してまた振られたのか?何度失恋したら懲りるんだ、あの恋愛成就の疫病神は」
「前々から疑問だったのですが、彼は一体どこが理性の神なのです?」
「見事な反面教師だよね…」
「アポロンの失恋が原因とは限りません。人間の男がアルテミス神に邪な感情を抱いたのやもしれませぬ」
「どちらにしても疫病を撒き散らし本来の運命を捻じ曲げて人間に死を与えたのはアポロンかアルテミスで間違いないであろう。…全く、あと数日早いか遅いかすればいいものを、何故よりによってタナトスとヒュプノスの誕生日の前日なのだ…」

 ハーデスは眉間に拳を当てて呻いた。
 アポロンやアルテミスが人間の運命を捻じ曲げて与えた『予定外の死』であっても、死者の魂を冥府に導くことはタナトスにしか出来ない。疫病が大流行し たと言う事は相当数の人間が死んだと言う事で、タナトスが全ての魂を冥府に導き終わるまでかなりの時間がかかる事は間違いない。双子神の誕生日パーティーが開催されるのは明日の夕方だが、それまでにタナトスが仕事を終えて冥府に戻ってくることが出来るかどうか…。
 ヘカーテがダメ元を承知でハーデスに尋ねた。

「タナトスが死者を迎えに行くのは誕生日パーティーが終わってからではダメか?あるいはパーティーの時だけ戻ってくるとか」
「余も出来るならそうしたいが、タナトスが死者を迎えに行かねば地上で混乱が起こる。アテナとの聖戦開始も目前と言う今、要らぬ騒ぎは起こすべきではなかろう」
「やっぱりそうか…」
「誕生日パーティーの日を改めると言うのは…?」
「それでは記念日の意味がなかろう。急に予定が変わっては冥闘士達も戸惑うだろうし、俺の事は気にせず予定通りやれば良い」
「予定通りにと言ってもタナトス、主役の片割れが不在では盛り上がりに欠けようぞ。そなたらを楽しませようと余興のアイデアを練っている冥闘士も大勢いるのに」
「む……」

 ハーデスの言葉にタナトスは至って真面目な思案顔になり、しばらく何か考えてからにこりと笑った。

「分かりました。では俺は、皆が面白いと思った演目を披露した冥闘士の余興だけを仕事を終えてから見るとしましょう。無論、誕生日パーティーの開催中に戻れるよう努めますが」
「…………。そうだな、それが妥当な落とし所であろうな」
「うむ。では天貴星よ、他の冥闘士達にもそのように伝えてくれ」
「畏まりました」

 丁寧に一礼して天貴星が下がると、タナトスはどこか複雑な顔をしている弟神の方を些か乱暴に叩いた。

「何を辛気臭い顔をしているのだ、ヒュプノスよ」
「…辛気臭くもなるだろう。来年は皆と一緒に誕生日パーティーは出来ぬかもしれぬ。今生のハーデス様と一緒に我々の誕生日を祝う最後の機会をお前が欠席するかも知れぬのだぞ」
「何だその言いぐさは。それでは此度の聖戦も我々が敗北すると言っているように聞こえるぞ」
「!…………」

 金の神が気まずく口籠ると、銀の神は悪戯っぽくにやりと笑った。

「ヒュプノスよ、俺とお前は一心同体であろう。お前が誕生日パーティーに出席していれば、それは我々ふたりが出席しているのと同じ事。くれぐれも、めでたい祝いの席で仏頂面をしていることのないようにな?」
「…そのくらい、お前に言われずとも分かっている」
「なら良い」

 死神は冥王に一礼すると、己の職務を果たすために地上に向かった。




 …翌日、6月13日。
 予定通りの時刻に双子神の誕生日パーティーが始まったが、主賓席にタナトスの姿はなかった。
 タナトス不在の理由を聞いていた冥闘士達は、変に祝賀ムードを控えては死の神の本意に反するだろうといつも通りパーティーを盛り上げ余興を披露した。
 これが今生最後の双子神誕生祝賀会になるかもしれないと薄々気付いているのか、出席中の神々に評価されないとタナトスに演目を披露する機会が与えられないからなのか、冥闘士達の演目はいつにもまして熱が入っていて神々を大いに楽しませた。
 ヒュプノスは穏やかな笑みを浮かべて惜しみない拍手を送りながら、隣に置かれた空っぽの椅子にちらりと眼をやった。
 タナトスはまだ、戻らない。
 主役の片割れが不在のまま冥闘士の余興は半分が終わり、メインのバースデーケーキが運ばれて来た。
 パンドラや侍女達が丁寧にゆっくりとケーキを取り分け、冥闘士達がハッピーバースデーの歌を合唱し、歌が終わると大きな拍手と祝いの言葉がかけられた。
 ふたり分の祝辞をヒュプノスが笑顔で受けると、冥闘士の余興の後半が始まった。
 神々も冥闘士もケーキを食べながら余興を観ていたが、ヒュプノスが一口もケーキに手を付けずにいるのに気付いたヘカーテがケーキのお代わりを取りがてら彼に声をかけた。

「食べないのか、ヒュプノス?」
「あ…その、先ほどの料理でかなり満腹になってしまって…」
「…そうか。ならば傷まないように私の小宇宙で包んでおくとしよう」

 隙あらば苺やチョコのプレートを横取りしようとする兄神であっても、バースデーケーキは一緒に食べたいのだろう。普段はあれやこれやと文句を言っているが、それは裏を返せば、兄を慕い、頼り、一緒にいたい感情の裏返しなのだ。
 ヒュプノスの本音を察したヘカーテは小宇宙を冷気に変えて双子神の為に切り分けたバースデーケーキを包んだ。





 …最後の冥闘士の余興が終わった頃にはすっかり夜は更けて、そろそろ日付が変わる時間になっていた。
 タナトスはまだ戻って来ない。
 主役の片方が欠席したまま、この時代で最後かもしれない双子神の誕生日パーティーが終わってしまうのか…と会場に微妙な空気が流れた時。
 バァン!!
 勢いよく会場の扉が開いて、銀色の死神が姿を見せた。

「タナトス!………」

 ヒュプノスが思わず椅子から立ち上がると、タナトスは口元に誇らしげな笑みを浮かべたまま大股に弟に歩み寄った。主君ハーデスにすら視線を向けず、己の半身だけを見つめて。
 主賓席の階段を一気に上った兄神は、卓を挟んだ反対側に立っている弟神の眼を見つめて嬉しそうに言った。

「誕生日おめでとう、ヒュプノス!日付はもうすぐ変わるが、誕生日には違いあるまい?」
「あ…ああ…。お前も、誕生日おめでとう。タナトス」

 淡く頬を染めて眼を伏せて言葉を返した眠りの神は、神々も冥闘士も自分達を見つめて微笑んでいることに気付き、こほんと一つ咳払いして殊更に厳しい顔で口を開いた。

「…タナトス。戻ったのならまずハーデス様に帰還報告をするべきだろう。私への祝辞はその後であろう?優先順位が間違っているぞ」
「間違ってなどおらぬわ。今この状況で優先すべきは帰還報告ではなくお前への祝辞だ。ハーデス様に帰還報告をしている間に日付が変わってしまったらそれこそ本末転倒ではないか」
「……………」

 そう言いきったタナトスは、自分の発言に露ほどの疑問も持っていない。
 呆れとは違う理由で眼を見開き言葉を失うヒュプノスにニヤリと笑みを見せて、タナトスはそこでようやく主君ハーデス…臣下の無礼を咎めるどころか嬉しそうにニコニコしている…に歩み寄って礼に適った会釈をした。

「ハーデス様。死を司る神タナトス、只今御前に帰還いたしました」
「御苦労であった。さ、席につくが良い。…では、お前達」

 タナトスが席につくと、冥王はにっこりと微笑んで冥闘士達を見回した。

「日付は変わってしまったが、タナトスとヒュプノスの誕生日パーティー二次会開始と行こうではないか!」

 ハーデスの言葉に会場からわぁっと歓声が上がった。




 ワインで軽く乾杯した双子神は供された料理を食べつつ、アンコールを受けた冥闘士の余興を見つつ、冥界の神々とお喋りをしていた。

「ところでタナトス、死者の魂は全て導き終わったのか?」
「いえ、まだ半分くらいかと」
「え?ではお前は誕生日パーティーの為に仕事を放り出して来たのか?」
「馬鹿を言え」

 ヒュプノスの言葉にタナトスは大仰に眉を寄せてからフフッと笑った。

「天界からヘルメスが訪れてな、後は任せろと申し出てくれたのだ」
「ヘルメスが?」
「確かに奴も死者の魂を冥府に導く能力と権限はあるが、此度の死者は管轄外のはずでは…」
「俺もそう思って事情を尋ねたら、奴は苦笑してこう言ったのです。『アポロンに頼まれたもので』と」

 その短い言葉で、冥界の神々は事情を察することが出来た。
 此度の『予定外の大量死』を引き起こした犯人アポロンは、冷静になった途端に翌日の6月13日が冥王臣下の誕生日である事を思い出したのだろう。大勢の 人間の魂を死神タナトスひとりで冥府に導いていては、双子神の誕生日は予定外に降ってわいた仕事で終わってしまう。流石のアポロンも彼らの大事なイベント を潰しては申し訳ないと思ったのか、あるいはイベントを潰したことで伯父の不興を買いたくないと思ったのか、とにかく何かフォローしなければと考えて後始 末をヘルメスに要請した…概ねそんなところだろう。
 

「アポロンのしでかした事は問題だが、それなりのフォローはした事だし赦してやっても良かろう。アテナとの聖戦はもう間もなく始まる、甥の不始末一つに目くじら立てている場合ではない故な」
「ええ、そうですね」
「…………」

 双子神はひとつ頷いて、108の魔星全てが揃った会場を見渡した。
 魔星全ての覚醒が意味するのは、この時代の聖戦の幕が間もなく上がると言う事だった。





 …誕生日パーティーの二次会を終えて私室に戻った双子神は、パーティー開催中に食べ損ねていたバースデーケーキを食べながら他愛もない会話を交わしてい た。皆と一緒に賑やかに祝う誕生日も悪くないが、兄弟だけでささやかに祝う誕生日もまた好ましい。やれあの冥闘士の出し物がその冥闘士の余興がと、身振り 手振りを交えてタナトスが話すのを、ヒュプノスが微かな笑みを浮かべて聞いていると。

「…それはさておき、だ」

 グサッ。
 ヒュプノスのケーキに乗っていた苺に、タナトスは当たり前のような顔をしてフォークを刺した。
 …ケーキの苺ひとつを横取りされたくらいで文句を言うつもりはない。
 ないのだが、毎回毎回飽きもせず苺を横取る兄神と、毎回毎回懲りずに苺を横取られる自分には多少なりとも腹が立った。
 今日は誕生日だぞ、誕生日くらいその子供じみた行動を自粛しようとは思わぬのか…と言いかけて、日付が変わってしまったから厳密にはもう誕生日ではない事を思い出し、日付はともかくバースデーケーキなのだから文句の一つくらい言ってもいいのではないか…。
 ヒュプノスが一瞬でそんな事を考えた直後、タナトスが『横取りした』苺をヒュプノスに差し出した。

「タナトス?」
「誕生日おめでとう、ヒュプノス」
「…………」
「うむ、やはりこのセリフはケーキを食べている時に言わねばな」
「…………」
「ヒュプノス、口を開けろ。さもないとっこの苺は俺が食べてしまうぞ?ほら、あーん」
「…………」

 タナトスは照れも気負いもなく無邪気な笑顔でずいずいと苺を差し出して来た。
 この、馬鹿兄貴。
 ヒュプノスは込み上げる感情をかみ殺すあまり仏頂面になった。
 誕生日パーティーに遅刻して、主君に帰還報告をする前に弟に祝いを言いに来て、挙句に取る行動がこれか。
 …馬鹿兄貴が。
 文句を言ってやるために開いた口に苺を押し込まれ、ヒュプノスは苺の咀嚼と嚥下に時間を取られて文句を言うタイミングを逃してしまった。それを、弟が自分の言葉を素直に受け取ったと『勘違い』した兄は楽しげに話を再開しながら自分のケーキを平らげ始めた。
 そんな行動に妙な腹立たしさを感じたヒュプノスは、ふと手を伸ばしてタナトスの胸元を掴んで引き寄せ、口付けるようにして兄神の唇から頬に唇と舌を這わせた。
 タナトスは驚いたり怒ったりする素振りは微塵も見せず、怪訝そうに首を傾げた。

「クリームでもついていたか?」
「…お前は、本当に、正真正銘の、馬鹿だな」
「何だそれは」

 甘い口付けにも似た弟の行為ではなく、兄への想いを裏返した言葉に眉根を寄せたタナトスに今度こそヒュプノスが文句を言ってやろうと思った時。
 酷く遠慮がちに私室の扉が叩かれた。
 夜半も過ぎてから双子神の私室を訪ねる者など限られている。

「開いているぞ。入るが良い」

 タナトスが声をかけると、扉が開いて銀色の髪と透明な紫の眼の夢神が何とも複雑な顔を覗かせた。
 …真紅の薔薇の鉢植えを携えて。
 怪訝そうな眼で薔薇の鉢植えを見ている双子神に歩み寄って、オネイロスは鉢植えをふたりが座っている卓の上に置いた。美しく咲き誇る薔薇には『Happy Birthday』と書かれたカードが一枚添えてある。

「タナトス様とヒュプノス様の誕生日パーティーが終わって冥闘士達が持ち場に戻ったところ、第一獄の天英星の執務机の上にこれが置いてあったのだそうです」
「…皆がパーティー会場に集まっている隙に何者かがこれを届けに来たと言う事か?」
「……………」

 タナトスが鉢植えを受け取ると、私はこれで…と一礼してオネイロスは部屋を辞した。
 首を傾げながら死の神が花に添えられていたカードを開くと、上品な筆運びで文字がしたためられていた。

『親愛なる死と眠りの神よ、お二方の誕生日を心よりお祝い致します。願わくば次の時代もあなた方の誕生日をお祝いできますように』

 …カードを開いた瞬間に込められていた小宇宙が解放されて、死と眠りと夢の神は薔薇の花の贈り主が誰なのか容易に察することが出来た。
 タナトスは声を殺して笑い、ヒュプノスは苦虫を噛み潰した様な顔になった。
 死の神はカードを卓に落として薔薇の花を一輪摘むと、美しい深紅を愛でながら面白そうに銀色の眼を細めた。

「フッ…我々の誕生日に花を贈って来るとは。今生の小娘はなかなか粋な計らいをするではないか。なぁヒュプノス?」
「笑っている場合ではないだろう、タナトス」
「そうか?」

 弟神の苦い言葉に兄神は心底不思議そうに首を傾げて、カードや鉢植えをしげしげと眺めた。

「別段おかしな仕掛けは無いようだが。この薔薇も魚座の黄金聖闘士が使う毒薔薇ではなく至って普通のものだぞ」
「そんな事は私も分かっている。問題はこのメッセージだ。『願わくば次の時代もあなた方の誕生日をお祝いできますように』とは、つまり」
「『此度の聖戦もアテナ軍が勝利しますのでよろしく』という宣言だ、と言いたいのだろう?」
「…………。それだけではない。タナトス、お前は薔薇の花言葉を知らぬのか」
「純愛、純潔から不貞、神の祝福まで様々だな」
「赤い薔薇の花と蕾の花言葉は、『情熱的な愛』と『愛の告白』だぞ」
「ほう…では、あの小娘は『あなたを熱烈に愛しています』と告白していると言う事か。どうするヒュプノス?ピュラモスとティスベのように秘密の逢瀬を重ねて駆け落ちでもするのか?お前がその気なら手を貸してやらんでもないが」
「タナトス、………」

 薔薇の贈り先は妻のいる私ではなく自分だという発想は無いのか…と喉元まで出かかった言葉を飲み込み、ヒュプノスは金色の眼差しをきつくした。

「ふざけるのも程々にしろ」
「その文句は心外だな。俺はお前の冗談に付き合ってやっただけだというのに」
「……………」
「何にせよ、贈り物を貰ったからには礼をせねばな。この時代の聖戦を目前にした今、『愛』という花言葉を持つ赤い薔薇を贈るなどと愉快な真似をしてくれたのだ。ありきたりの返礼では面白くなかろう?なぁ、ヒュプノスよ」

 銀色の死神は真紅の薔薇を弟神の金紗の髪に挿して楽しげに目を細めた。





 …ギリシア、聖域。
 教皇の間に設えられた玉座に腰を下ろすと、アテナは目前で傅くふたりの聖闘士に労いの言葉をかけた。

「御苦労でしたね。蟹座のセージ、祭壇座のハクレイ」
「は」
「その様子だと特に問題はなかったように見受けられますが」
「仰せの通りにございます」

 金色の鎧を纏った長髪の聖闘士が顔を上げて頷いた。

「黄泉比良坂だけでなく冥府の第一獄にも魔星を持つ冥闘士の姿は無く、いるのは死者と雑兵だけでした」
「その雑兵も我らが聖闘士だと気付く様子もなく、どこか心ここにあらずの浮ついた様子で歩いているばかり。一戦は避けられぬと覚悟しておりましたが、拍子抜けするほど簡単に第一獄の裁きの館まで侵入することが出来ました」

 黄金の鎧をまとった聖闘士と瓜二つの顔立ちの、銀色の鎧を纏った聖闘士が片割れの発言に言葉を続けた。
 二人の報告を聞いたアテナは美しい唇を微かに綻ばせた。

「何にせよ、二人とも無事で帰還して安心しました。今日はゆっくりおやすみなさい」
「…は」

 冥府の第一獄まで赤い薔薇の鉢植えを届けに行くなどと奇妙な任務を与えたからには、無事に帰還すればそれなりの説明があるはず…と思っていたセージとハクレイは、多少の肩すかし感を味わいながら大人しく謁見の間を辞した。
 双子の聖闘士が出て行くと、アテナは立ちあがって神殿の外に出た。6月とはいえ夜の空気はまだ冷たく、そして透明に澄みわたっている。
 彼女は眼を閉じて薔薇を贈った相手を想った。
 夜から生まれ、冷たく透明に澄み渡った小宇宙を纏った銀と金の双子神。
 彼らは戦女神からの誕生日プレゼントに何を思ったのだろうか。カードにしたためたメッセージの意味には気付いただろうが、花言葉の方はどうだろう。気付いたとしたら、どんな感想を持ったのだろうか。
 痛烈な皮肉と受け取るのか、それとも。
 …それとも。
 ざわめく心には気付かない振りをして、アテナは神殿に戻って行った。




 …翌日。
 教皇の間がにわかに騒がしくなった事に気付いたアテナが事情を聞こうと人を呼ぼうとした時、蟹座のセージが顔色を変えて部屋に飛び込んできて略式の礼をした。

「然るべき手続きもなくお目にかかる無礼をお許しください、アテナ様」
「何かあったのですか?」
「冥界の神を名乗る男が空間を移動する奇妙な技を使って教皇の間に現れたのです」
「…冥界の神?」
「はい。『自分は戦いに来たのではない、アテナに用事がある。アテナを出せ』の一点張りで…奴を追い返そうとする聖闘士達の攻撃も奇妙な技で防がれてしまうのです」
「分かりました、私が出ましょう」

 途端に激しく波立つ胸を押さえてアテナは教皇の間に向かった。
 …教皇の間の真ん中で『冥界の神を名乗る男』は所在無げに突っ立っていたが、アテナが姿を見せると唇の端を吊り上げてニヤリと笑った。
 髪の色と彼の顔立ち、そして纏った小宇宙は、昨夜アテナが薔薇を贈った神と確かに似通っている。
 アテナはきゅっと唇を噛んで男を見つめた。

「幻夢イケロスですね」
「覚えてくれていたとは光栄…と言うべきか」
「私に用事があるそうですが」

 イケロスはひとつ頷いて、空間の隙間から花束を取り出すと無造作にアテナに差し出した。
 余りにも予想外の展開に驚いてアテナだけでなく聖闘士達も眼を見開き呆然としていると、イケロスはアテナにつかつかと歩み寄って花束を押し付けた。

「俺の用事はこれで済んだから失礼させてもらうぜ。じゃあな」

 アテナが何かを聞き返す間もなく、イケロスは悪戯っぽく笑うと空間を歪めてその中に姿を消した。
 敵の小宇宙が消えて教皇の間の緊張感が緩む中、アテナは渡された花束に目を落とした。
 純白の鈴蘭と百合の花束だ。花を包んだレースの布は銀と金のリボンで結ばれている。
 …花束の中にカードが刺さっていることに気付き、アテナは一瞬ためらってから震える指でそっとカードを開いた。

『此度は我等兄弟の誕生日を祝ってくれたこと、心より感謝する。我等は貴女の誕生日を知らぬ故、返礼をもって祝いとさせて頂こう』

 アテナは短いメッセージを丁寧に読み返した。
 戦女神が贈った想いも思惑も皮肉も願いも全て、あの双子神は受け止めるでもなく受け流すでもなく曖昧にはぐらかし、するりとかわしつつ意味深な返事を贈り返して来た。
 鈴蘭と百合の花言葉は『純潔』。
 愛と純潔、二つの花言葉を持つ薔薇を受け取った双子神が礼として贈って来たのは、純潔の花言葉だけを持つ鈴蘭と百合。
 カードにしたためられた流れるように美しい文字を指でなぞり、アテナは悲しみと喜びがないまぜになった表情で微笑んだ。
 …どんなに求めても、どんなに差し伸べても、決してこの手は彼らには届かないと思っていた。
 なのに。

(こんなことをされては、期待してしまうではありませんか…死と眠りの神よ)

 私が贈った『愛』をあなた達は受け取ってくれたのかと。
 必死に追いすがり手を伸ばせば、伸ばしたその手はもしかしたら届くのかもしれないと。
 波立ちざわめき甘く疼く心を押さえるように、アテナは純白の花束を抱きしめてその芳しい香りを胸一杯に吸い込んだ。


END


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 双子神誕生日SSです。当初は『皆が双子神の誕生日をお祝いしようと準備をしていたら地上を大災害か大事件が襲って、タナトスが仕事に行きっぱなしで パーティーを欠席、ヒュプは自分たちの分のバースデーケーキを食べずにタナトスを待っていて、日付が変わる直前に仕事を終わらせたタナトスが(ハーデスに 帰還報告をする前に)ヒュプに会いに来てお祝いの言葉を伝える』と言うネタを考えていました。双子神誕生祭企画が今年も立ちあがるならそれに投稿するため に、オリジナル・LCキャラは出さずにいつの時代とも取れる展開にしよう…と思っていたのですが、今年は企画が立ちあがらなかったようなのでLC設定とヘ カーテ様の投入となりました。
 去年書いた「1747・生誕」では「双子神は自分の誕生日に関心が薄い」と書いていたのに思い切り矛盾していますが、そこは突っ込まない方向でお願いします(笑)。
 今回の舞台は1504年、LCアニメのハクレイの回想シーンで出た時代です。魔星も勢ぞろいしてアテナとの聖戦もいよいよ目前…と言う時期を考えてみました。なのでハーデス様の外見は赤毛ショートのあの男の子です。
 で、双子神の誕生日パーティーでタナトスの受けを取れると出世できる噂の根拠ですが。タナトスの受けを取る→タナトスが面白い芸を披露した冥闘士に力を 与えたりする(ベロニカとかこのケースだったのかと)→神の力を貰った冥闘士が戦果を上げる→パンドラなりハーデスの眼に留まって出世、という流れかと。
 そしてタナトスが急な仕事に駆り出される原因は天災か事件か迷ったのですが、人間の運命を決めるのは双子神の妹モイライ三姉妹なので、彼女達が兄の誕生 日にぶつける形で人間が大勢死ぬような運命は与えないんじゃないかな、そもそも冥界の神はいつ人間が大勢死ぬか把握してるんじゃないかな…と思って、『予 想外の出来事』とするためにアポロンの仕業と言う事にしました。
 双子神にはもっと絡んで欲しかったのですがここが限界でしたガクリ。
 そして何を思ったのかOVAアテナの登場となりました。
 彼女が双子神に薔薇を贈った理由ですが。聖戦開始前の挨拶的な感じとか、神話時代の無意識の記憶に基づく双子神への想いとか、ふたりを戦場に引っ張り出 すための挑発とか、色んな含むところがあったと思います。この辺「1504・約束」の話や設定を意識しました。比較的長く地上にいた分、OVAアテナは うっすらと神話時代の記憶を思い出しかけていて、双子神(基本、聖戦には顔を出さない)と何とか話をしたいと思っているわけです。
 そしてタナトスが言っている『ピュラモスとティスベ』とは、『ロミオとジュリエット』のモデルになったギリシア神話の悲劇の恋人達だそうです。設定はほ ぼロミオとジュリエットです。なんでロミオとジュリエットと言わずピュラモスとティスベなのかと言いますと、『ロミオとジュリエット』が世に出たのは 1595年、このSSの時代にはまだ存在しないからです。
 アテナからのプレゼントが届いた途端にヒュプが不機嫌になった理由は言わずもがなで(笑)。ヒュプは神話時代の「アテナ→タナトスの淡い恋心」に 気付いているので、「兄弟水入らずの誕生日に茶々入れて来てあの小娘は。しかもタナトスは面白がってるし…」とむくれているわけです。
 アテナへの「返礼」については、ヒュプは最初は無視する気満々だったと思います。でも、タナトスがお返しする気満々なのを見て、妙な返礼をされるよりは 自分がしっかり監修した方がマシ、と思って色々深読みできる鈴蘭と百合を選んだんじゃないかな。花を二種類選んだ理由は、タナトスとヒュプノスふたりから のお返し、という意味合いかと。
 そして贈ったのを花束ではなく鉢植えにした理由ですが、花束は枯れたらおしまいだけど、鉢植えなら育てていくことが出来るだろうと思ったからです。 OVA二章の序盤で、パンドラを呼びだした双子神がいたテラスに赤い薔薇が咲いてましたので、このSSでアテナから贈られた薔薇がアレなんだよ、的なイ メージにしてみました。なのであの時タナトスが薔薇を愛でていたのは、「前聖戦の前にあの小娘はこの薔薇を贈って来たな」と思い出していたから、とかそん なこじつけで。
 そして「アテナが贈るのは薔薇」と決めてから改めて花言葉を調べてみました。薔薇も色や種類で花言葉が変わりますもんね。赤い薔薇の花言葉も色々ありま したが、話的に使いやすく有名どころで「愛、純潔、愛の告白」を選びました。そして双子神がお礼に贈る花を何にしようか考えたのですが、舞台が6月なのに 余りにも季節はずれな花を贈るのは変だろうなーと思って、5〜7月の花を調べたところ鈴蘭を発見。ルコがタナトスから渡されて使ってたし、花言葉も「純 潔」で薔薇とかぶっておもしろい!ということで、「純潔」の花言葉を持つ鈴蘭と百合が双子神からアテナへのお返しとなりました。花言葉といい、その行動と いい、アテナより双子神の方が思わせぶりで一枚上手、みたいな感じで。
 で、アテナの使者として冥界に届け物をするなら麻呂兄弟かなーと。そして双子神の使者は誰にするか悩んだのですが(聖戦前に命を落とした聖闘士を蘇らせるついでにお返しの花束を持たせる展開も考えました)、アニメで堂々と聖域に現れたイケロスが適任かなと。
 OVAアテナ→タナトスが好きなのですが誰か描いてくれませんか…。年齢制限アリの鬼畜ものでも一向に構いませんので…(笑)。