双子神・神話時代…生誕

 昼の女神へーメラーが戻り、冥界に形ばかりの朝が訪れた。眠りの神ヒュプノスがゆるゆると寝台から身を起こして床に足をつけた途端、兄である死の神タナトスが図っていたようなタイミングで寝室に入ってきた。

「ヒュ プノスよ。今日は大事な用事で出かける故、朝食は手早く済ませるのだぞ!本当は夜中に出かけたかったのだが、子供だけで夜の外出は許さぬと母上が言うので な。この冥界では昼も夜もないだろうが、母上がそう言うのでは仕方がない、朝まで我慢したのだ。良いなヒュプノス、今日の朝食は手早く済ませるのだぞ。い つものようにチンタラ食べていてはダメだからな!」
「…………」
「先に行っているぞ!」

 何故、と問う暇も与えず兄は走っていった。
 淡く尾を引く銀色の光を見送って幼い眠りの神は浅く嘆息した。
 全く…どこに何をしに行くのかくらい言ったらどうだ、兄上よ。
 


 普段の三割増ほどの速さで朝食を平らげた兄神は、普段どおりゆっくり食事を取る弟神に…実に意外なことに…文句を言うこともなく、『中庭で待っている』と言い残して部屋を飛び出して行った。
 抗議のひとつもされなかったことで逆に興味を引かれたヒュプノスは、残っていた料理をパンに乗せて頬張り、無作法を承知で口を動かしながら椅子を降りた。
 …急ぎ足に中庭に向かったヒュプノスは、中庭にボールや魔物の骨を運び込んでいるタナトスの姿をみつけて金色の睫毛を瞬いた。

「…何をしているのだ、タナトスよ」
「む?思ったより早かったではないか。まぁよい、では行くぞ」
「そのボールや魔物の骨は何だ。秘密基地にでもするつもりか」
「行けばわかる!」

 タナトスは得意気な顔でふんぞり返った。
 この状態の兄に何を尋ねても無駄であることをヒュプノスは経験上良く知っていた。そして、必ず面白い何かが仕掛けられていることも。
 そうか…と溜息混じりにヒュプノスが頷くと、タナトスはにんまりと笑って弟の手を握り、意気揚々と歩き始めた。




 ヒュプノスを連れて奈落タルタロスを出たタナトスは、地上のアルカディアに向かっていた。行けば分かると言われたが、一体この地に何の用があるのかさっぱり見当がつかない。痺れを切らしたヒュプノスは一歩先を行く兄に声を掛けた。

「タナトスよ、そろそろ用件を教えてくれても良いのではないか?」
「行けば分かると言ったであろう」
「では、どこに行くのか教えてくれ」
「エキドナの屋敷だ」
「…………。何故?」
「時にヒュプノスよ、今日は何の日だ?」

 振り返ったタナトスのきらきら光る銀色の眼を見て、ヒュプノスはゆるく首を傾げた。

「6月13日。私達の誕生日だ」
「分かっているではないか!」
「え?あ、うむ。…………」
「…………」
「…タナトスよ、私は、私達の誕生日とエキドナに会うことに何の関係があるのか?と尋ねているのだが」
「何度も言っているではないか、行けばわかると」
「…………」

 これ以上は尋ねても無駄だと悟ったヒュプノスは仕方なく口を噤んで考えを巡らせた。
 今日は私達の誕生日だ。考えられる理由は、エキドナが祝賀会を開いてくれるか、贈り物をくれるかだろう。仮に祝賀会だとしたら、招待されるのが私とタナ トスだけというのは考えにくい。私達とエキドナは個人的に招かれるほどの親交は無い。ならば贈り物だろうか。しかし贈り物なら自ら届けに来るのが普通であ ろう。エキドナはもうすぐ 子供が生まれるといっていたから、赤子の世話で屋敷を離れられないのかもしれないが、だからと言って誕生日の贈り物を渡すために祝う相手を呼びつけるとい うのもおかしな話だ。
 …などとヒュプノスが考えているうちにエキドナの屋敷が見えてきた。
 タナトスが屋敷の扉を叩いて来訪を告げると、下半身が蛇の姿をした美しい娘が顔を見せた。
 大地母神ガイアと奈落タルタロスの娘、エキドナである。

「いらっしゃい、死と眠りの神よ。お待ちしていたわ」
「待たせてすまなかった。早速だが、ケルベロスに会わせてくれるか」
「あらあら、本当に早速ね。いらっしゃい、こちらよ」

 柔らかく目元を和ませたエキドナは双子神を屋敷の一室に案内した。部屋の一角にはふかふかの絨毯が敷かれて、その真ん中で、三つ頭の小さな犬が毛布に包まって穏やかな寝息を立てていた。
 タナトスとヒュプノスが足音を立てないようにそっと近づくと、三つの頭の一つがピクリと耳を震わせて目を開けた。

「すまぬ、起こしてしまったか。久しぶりだなケルベロス。俺を覚えているか?」

 タナトスが優しく犬の頭を撫でると、魔犬はクゥンと鼻を鳴らして蛇の尾をパタパタと振った。
 すっかりタナトスに慣れているらしい犬と、ニコニコしながら犬を撫でているタナトスを交互に見て、ヒュプノスはおずおずと尋ねた。

「タナトス。この子は…?」
「エキドナの息子のケルベロスだ。今日から俺達の子分になるがな!」
「え?」
「エキドナの子供は姿が美しいだろう?新しく子供が生まれると聞いて、一体どんな奴か気になって見に来て、俺は一目でこいつを気に入ってしまってな。ヒュ プノスと一緒に大事に可愛がるからこいつを俺にくれと頼み込んだのだ。ああ安心しろ、母上の許可は貰っている!どうだ、可愛いだろう?」
「…………」

 タナトスは輝くような笑顔で自慢げに言った。自分がこいつに一目惚れしたのだから弟も同じに違いない。きっと弟は大喜びするに違いないと、兄神は何の疑問もなく信じ込んでいる。
 ヒュプノスはわざと仏頂面を作って無言でケルベロスに手を差し出した。くんくんと鼻を押し付けられ、ぺろりと手を舐められて、ついでにふかふかの毛皮 を押し付けられて、無理矢理作った仏頂面が脆くも崩れ去った。思わず笑み崩れて犬の頭をよしよしと撫でると、傍らの兄が実に満足そうに微笑んだ。
 何故お前がそんな得意気なのだ、タナトス。ケルベロスを生んだのはエキドナだし、ケルベロスが可愛いのはお前の手柄ではないし、お前がしたことといえば、エキドナの説得だけではないか。
 …その、エキドナの説得が一番の手柄だと言われたら黙るしかないけれど。
 ケルベロスを抱き上げて頭を撫でている弟の姿に、タナトスはますます得意気に鼻の穴を膨らませた。

「どうだヒュプノス。最高の誕生日プレゼントであろう?」
「…………」

 あぁそうだ、お前の言うとおりだ。確かにその通りで異論は無い。無いのだが。
 素直に肯定するのは何だかとても癪な気がする。しかし嬉しい気持ちは本当だから、そこを偽るべきではないとも思えた。
 …だから。
 ケルベロスの毛皮に半ば顔を埋めて、ヒュプノスは渋々口を開いた。タナトスの質問を無視できて、かつ、この場面に相応しい、ひとつの言葉を口にする。

「誕生日おめでとう、タナトス」


END


星矢部屋
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 2015年版、双子神おたおめSSです。作中の時間軸は今まで書いたSSのどの時代よりも古いです。双子神がワイバーンを狩りに行く話(記憶)よりも古い時代です。
 今年は本当にギリギリまでネタが出なくて、6月10日あたりから「ヒュプノスへの誕生日プレゼントと称してケルベロスを飼い始めるタナトス」という漠然 としたネタが浮かんで、書きながら形にしていきました。原点であるギリシア神話と色々と矛盾していると思いますが(主に時系列とか…)華麗にスルーでお願 いします(笑)。ちなみにケルベロスの兄弟にはキマイラやオルトロスがいるそうです。