| 冥界の復興作業に当たる冥闘士達は、その日は皆そわそわと落ち着きがなかった。 誰よりも勤勉で仕事熱心なラダマンティスでさえ心ここに在らずと言った様子で、瓦礫捨て場に無造作に大岩を捨てた拍子に部下の足に瓦礫を落とすというポカをしていた。 無理もないよなーと、地獣星ケット・シーのチェシャは思った。 冥界が聖域と和解交渉をするらしいと言う噂がまことしやかに囁かれ、冥王側近の双子神が地上に出向き、彼らが戻って数日もしないうちに冥王ハーデスから冥闘士達に向けてメッセージが発せられるのだから、気にせず仕事に専念しろと言う方が無理だ。 チェシャは壁の時計を見上げた。 ハーデスのメッセージ開始時間まであと5分。とてもじゃないが作業をする気にはなれない。見れば第一獄の復旧に行っていたはずのミーノス一派も、主君の声を聞くのに専念すべく嘆きの壁に戻ってきている。 誰ともなく作業の手を止め、複雑な面持ちで三々五々集まり始めた頃。 『我が忠実なしもべ冥闘士達よ』 ハーデスの声が冥界に響いた。 三巨頭も冥闘士達も、反射的に背筋を伸ばし顔を上げてその声に聞き入った。 『長らく戦女神と争ってきたが、この度、正式に彼らとの和解が成立した。聖戦はもう起こる事は無いであろう。長らくご苦労であった。余に付き従い戦ってくれた事、心より感謝する』 響くハーデスの声に、嘆きの壁では微かなざわめきが起きた。 聖戦は起こらないって…じゃあ俺らって何だったんだ? 要するに冥闘士は用済みってことか? じゃあ今後はどうしたらいいんだ? ひそひそと囁く声が聞こえる。 『余は来る者は拒まぬ。去る者は追わぬ。冥闘士として残りたい者は残ってくれ、冥界に相応の地位を用意しよう。地上に帰りたい者は帰ってくれ、相応の餞別 は渡そう。…余はアテナに負わされた傷のせいでまだ満足に動く事も出来ぬ故、諸々の対応はタナトスとヒュプノスに任せた。すまぬが彼らからの通達を待って 欲しい』 ハーデスの声は優しく穏やかだったが、同時に力なく弱々しかった。 エリシオンから嘆きの壁まで声を届かせる程度の小宇宙の消費が負担になるほど、ハーデスの傷は重いと言う事だ。 『最後にもう一度礼を言わせてほしい。…皆、ありがとう。達者で暮らしてくれ。いずれまた冥界で会おうぞ』 冥王の声が消えた後も、冥闘士達はじっと立ちつくしていた。 思いもよらぬ温かい言葉に感動し、一瞬とはいえ自分達を切り捨てるのかと疑ったことを恥じ、これからも冥王に尽くそうと決意を新たにしていると。 『冥闘士達よ』 死の神タナトスの声が響いて、余韻に浸っていた冥闘士達はぎょっとして背筋を伸ばした。 『今後の事に関する通達がある。全員ジュデッカに集合せよ』 言うだけ言って声は消えた。 冥王様のお言葉に浸る暇もなく、冥闘士達は大急ぎでジュデッカに向かった。 ハーデスの玉座の隣には、双子神を始め夢の四神とヘカーテ、そしてエリスが待っていた。タナトスは組んだ腕を苛々と指で叩いて冥闘士達に文句を言った。 「遅い!全員集合まで三分もかかるとは何事だ!敵が黄金聖闘士であれば180億発のパンチを食らっているぞ!」 いやアンタ、そんなこと言っても…。 ぜぇぜぇと息を切らす冥闘士達の無言の突っ込みなど傲岸不遜な死神様に届くはずもなく、銀の神はフンと鼻を鳴らして集まった冥闘士達を見まわした。 「とりあえず全員いるようだな。では先ほどのハーデス様のお話の補足と追加の連絡を通達する。…まずは一つ朗報がある。冥王ハーデス様の妃、冥妃ベルセ フォネー様が遠からず冥界に帰って来られる!故に我々は冥妃様をお迎えするに相応しいよう、冥界を再建せねばならぬ。残る者は当分の間は復興作業に専念し てもらう事になろう。それでも良いと思う者だけ残ってくれ。そしてハーデス様がおっしゃった『相応の餞別』だが…」 タナトスの言葉に冥闘士達は耳をそばだてた。 冥王に尽くすことはやぶさかではないが、去るにしろ残るにしろ貰えるものが何なのかは気になる。 一度言葉を切ったタナトスははぁっと溜息をついた。 「ハーデス様は具体的な案を何も考えておられなかった」 「………」 「そこで、我々からハーデス様に提案して了承を頂いた案だが」 一気に脱力しかけた冥闘士が期待半分不安半分の眼差しをタナトスに向けた。 何しろ相手は冥闘士など奴隷と言い切った死神様だ。何を餞別として出してくるか分からない。 タナトスは後ろに控えた神々を見遣り、ゆっくりと口を開いた。 「お前達ひとりに付きひとつ、冥界の神から褒美を与える。残って復興作業に当たるものには更にもうひとつ与えよう。我々の権限内で出来る事に限られるが、何を望むか十分考えるが良い」 予想外の、予想以上の褒美が提示されて冥闘士達に今度は喜びのざわめきが広がった。 タナトス様太っ腹!という野次まで飛んで、神々が複雑な苦笑を浮かべている間、チェシャは腕を組んで考えていたが。 どうしても分からないので前に出てそぉーっと手を上げた。 「ん?何だ?」 「あのぉ…質問、いいですか?」 「言ってみろ」 「ご褒美って、具体的に、何を貰えるんですか?」 「何と言われてもな…モノが欲しいなら調達できる範囲で与えるし、神の力の一端が欲しいならそれを与える」 「例えば、不眠症で悩んでいたら、ヒュプノス様がぐっすり眠れるようにしてくれるってことですか?」 「まぁ、そうだが…ショボイ頼みだな…」 「じゃあ、冥界の神様の力で貰える凄いものって何ですか?」 「む…」 そう言えば何だろう? チェシャに改めて尋ねられたタナトスが言葉に詰まると、ヒュプノスが代わりに口を開いた。 「…我々は己が司るものを与える事も出来るが、同時に奪うことも出来る。例えば、死を司る神タナトスが死を奪い、老いを司る神ゲラスが老いを奪えば、事実上不老不死になる。この場合ふたりの神に頼みをするから冥界に残ることが前提になるがな」 「おおっ!」 「同じように争いの女神エリスが争いを奪えばお前は誰とも争わずに済む。何としても振り向かせたい誰かがいるのなら愛欲の女神ピロテスの力で相思相愛にな れるだろう。次に転生した時で構わぬと言うのなら、大金持ちだろうがハリウッドスターだろうが、運命の女神モイライが望み通りの人生を与えてくれようぞ」 「おおおおおーーーっ!!冥界の神様すごい!アテナより全然すごいぃぃ!!」 チェシャが頬を染めて拳を握って叫ぶと、釣られたように歓声が上がった。 神様達が意外にフレンドリーな事に安心したのか、別の冥闘士…フログのゼーロスが手を上げた。 タナトスに目で指されて前に出た彼は、甘く妖艶な小宇宙を漂わせる美貌の女神にうっとりした顔を向けて尋ねた。 「例えば、ですが…ヘカーテ様とデートしたい!って頼みは、OKしてもらえるんでしょーか?」 「………」 ゼーロスの質問にヘカーテは長い睫毛を瞬き、神々も冥闘士達もじっと彼女に注目して答えを待った。 …しばしの沈黙の後、ヘカーテは艶っぽい唇に極上の甘い笑みを浮かべて、実に色っぽい仕草で淡い藤色の髪をかきあげた。 「タナトス以上に私を満足させられる自信があるのなら、受けてやらぬ事もないぞ」 「……………」 ヘカーテの返答にゼーロスは口をあんぐり開け、ギギギギギ…と音がしそうな動きでタナトスを見て、がっくりとうなだれてしおしおと神の御前を辞した。 …一連の動きを思考停止状態で見ていたタナトスは、ヘカーテに集まっていた皆の注目が自分に移動している事に気付いて、ヘカーテの問題発言を脳内で反芻し、今更ながらぎょっとして美貌の女神に噛みついた。 「ちょ…ヘカーテ様!妙な誤解を招くような物言いは控えて頂きたい!」 「ん?何か誤解を招くような発言があったか?」 「大有りです!」 「具体的にどの辺が?」 「俺の名前を出した事です!」 「そんなこと言われてもな…ヒュプノスを引き合いに出すのはまずいだろう?あいつはお前より…その、下手だし…」 「ヘカーテ様!『女性をエスコートするのが』という単語を意図的に省略するのは如何なものかと思いますが!!」 うっすらと染めた頬にそっと手を添えて上目づかいで恥じらうポーズのヘカーテに、顔を赤くしたヒュプノスが本気で突っ込んだ。 上司の女神に振り回されている兄達の姿に、エリスはアンニュイな溜息をついた。 「兄貴達とヘカーテさんの夫婦漫才はまだ健在だったか…。ちょっとオネイロス、そろそろまとめに入ったら?」 「そうですね」 このまま続けさせては兄神達の威厳に関わると判断したオネイロスは、夢と幻覚の帳で兄神達とヘカーテの姿を隠して一歩前に出た。 「我々には出来る事も多いが出来ない事も多い。あれは出来るかこれは可能かといちいち尋ねられては時間がいくらあっても足りぬ。後ほど書類を配る故、第三希望あたりまで書いて提出するが良い。審査の上、可能か否か折り返し連絡しよう。よいな?では解散!」 オネイロスが話を切り上げたタイミングが絶妙だったため、双子神とヘカーテの夫婦漫才に対する冥闘士達の認識は『神様って案外冗談が通じるんだなー』程度で済んだ。 が。 タナトスとヘカーテは恋仲らしいと言う誤解は冥闘士達の中に半ば事実として定着してしまった。噂を下手に否定したら逆効果になるし、ヘカーテも嫌な顔をするし、どうやって平和的に誤解を解くべきかタナトスが頭を悩ませる羽目になったのはまた別の話である。 |
| 星矢部屋 |
総合目次 | SS・2012時代 |
SS・神話時代 |
SS・蟹座達 |
| 聖域と冥界で和解が成立したら冥闘士達はどうなるんだろうなぁ、と思って、こんなオチを付けてみました。 それにしてもヘカーテは動かしやすくて使いやすいキャラです。双子神いじりがめちゃくちゃ楽しくてそれなんて俺得。ヘカーテはタナトスがお気に入りで、タ ナトスもヘカーテには好意を持ってます。それが恋愛感情的な好意なのか、いわゆる元カレ元カノな関係なのかは色々考えつつ今は曖昧なままで行こうと思って ます。 |