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――聖闘士養成学校、パライストラ学園。 普段なら学生の声でうるさいほどのこの場所は、この日は不気味なほどにしんと静まり返っていた。アテナの敵を名乗る神の眷属が襲撃して来たと言うのもあるが、それ以上に、学園とそこに避難していた難民達の保護に当った黄金聖闘士が殉職したと言うのが大きな理由だった。 薄暗い部屋の中、仮拵えの棺の中に玄武は寝かされていた。守るべきものを守りきった満足感の為か、その顔は眠っているかのように安らかだった。 シラーは玄武の頬をそっと撫でた。 …冷たい。 彼は冷たく、固く、息すらしていなかった。 機械的に玄武の頬を撫でながらシラーはポツリと言った。 「玄武の嘘つき」 返事はない。 「『俺はお前を残して死んだりしない』って言ったじゃないか。『俺は嘘はつかん』って言ったじゃないか。だから僕は、君を信じたのに」 律儀にパライストラの正門から攻め込んできた敵を見て玄武は言った。 ――あいつは陽動かも知れん。俺とお前があいつの相手をしている間に別のところから攻め込まれたら厄介だ。あいつは俺に任せてお前は別の場所を警戒してくれ。 陽動だと思わせて聖域側の戦力を分散させる作戦かもしれない、とシラーが異を唱えると、玄武はいつもと同じ太陽のような笑顔で言った。 ――大丈夫だ。俺を信じてくれ。 「君がそう言うから、僕は君を信じて任せたのに」 恐ろしく巨大で禍々しい小宇宙を感じて正門前に駆けつけたシラーが見たものは。 時間を止められ動けなくなった青銅聖闘士達と、禍々しい小宇宙を放つ大剣を振り下ろす敵と、その剣を自らの体で受けて皆を守る玄武の姿だった。 …どうやって敵を倒したのかは全く記憶に残っていない。シラーが覚えているのは、抱き起こした腕の中で玄武が儚げに笑っていたことだけだ。 『約束、破っちまってすまない』 それが、玄武の最後の言葉だった。 …涙は出なかった。 ………… ひどく遠慮がちに扉がノックされて扉が開き、元聖闘士の教師が顔を出した。 「…あの、シラー様」 「何」 「先程の敵よりも強大な小宇宙を纏った者が軍勢を引き連れて正門前に来ております」 「それで」 「玄武様とシラー様を差し出せば他の者には手出しせずに帰ってやる、と言っております。とても信用なりませんが…。それから、拒否すれば難民を皆殺しにするぞ、とも」 「発想が貧相な上にオリジナリティの欠片もないねぇ」 棺桶の傍らに頬杖を付いて玄武の頬を撫でていたシラーは抑揚のない声で言った。 …教師は、蟹座の黄金聖闘士シラーがどういう人物か良く知っている。『今ここで僕が殺されに出て行くわけには行かないから難民は諦めよう』と平気で言う男だ。『難民を見捨てろ』という指示が出される可能性は十分に考慮しているから、その時に取る自分の行動も決めている。 教師は冷静に口を開いた。 「シラー様、ご指示を」 「全員地下に避難して。難民だけでなく教師達や聖闘士達もね。そして僕が良いと言うまで出てこないこと。中途半端な奴が加勢に来ると逆に迷惑だからね。これは指示ではなく命令だ、背いた時は死をもって償ってもらうよ」 「…………。間違いなく伝えます」 「未熟な青銅達がしゃしゃり出てこなければ玄武は死なずに済んだかも知れないってことも伝えておいて」 頬杖を付いたままシラーは漸く教師に目を向けた。 感情の色も、理性の光も見えない冷たい蒼い眼が赤毛の間からのぞいている。背筋にぞくりと冷たいものが走って教師は思わず姿勢を正した。 「承知しました。では、直ちに避難を開始します」 「避難完了次第連絡を。敵には僕と玄武が出るから待ってろって言っといて」 「ハ!」 敬礼した教師が急ぎ足に去っていく足音を聞きながらシラーは玄武に視線を戻した。 …今となっては予知夢としか思えない悪夢を見たあの日、玄武と交わした言葉が脳裏に甦る。 ――いい機会だから話しておこうと思うんだ。お前より先に俺が死んだ時の約束。 「ねぇ玄武。あの日の約束…ああいや、契約だっけ…を覚えてる?君、言ってたよね。『俺はお前と一緒に戦いたい。生きている間も、死んだ後も』って。君は約束を守ってくれなかったけど、僕は君との約束を守るよ。僕は絶対、君との約束を破ったりしない」 シラーはひどく穏やかな表情と声で玄武に話しかけた。 指先に積尸気を集めて玄武の頬をなぞる。青白い光が黄金聖衣を包み、袈裟懸けにされた傷跡を封じていく。閉じられていた目蓋が開いて光のない目がのぞいた。 玄武が、ゆっくりと棺桶から体を起こして床に降り立った。 「さぁ、一緒に戦おう…玄武」 シラーが手を差し伸べると、玄武は操り人形のように手を差し出してきた。 握り締めた手は冷たい。 その冷たい手を頬に当ててシラーは目を閉じて、冥府に旅立った玄武の魂のために静かに祈り、闇と狂気に染まった蒼い目を開けた。 自身を『正常な場所』に繋ぎ留めていた玄武と言う頚木を失ったシラーは、甘く整った顔に見る者を凍りつかせるような冷たい笑みを浮かべて部屋を出て行った。 常識の箍が外れた常軌を逸した小宇宙を纏って。 |
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SS『契約』ハビさん編と多少リンクしている感じになった、玄武君編です。こんなSS書いてますが、私は玄武君もシラーさんも、Ω本編で退場した黄金は全員生きてると未だに思っていますけど! いつものように最後部分に苦しんだ一本だったのですが、ツイッターでちょっと呟いていた『正常な場所』と言う言葉を入れてしめることにしました。この言葉 は、サイキで同人活動してた頃の手代木女史が主人公に言わせた台詞だったりします。LCで言うと、テンマがアローンに対して『正常な場所へ帰ろう』と言っ た感じでしょうか。 当サイトのシラーさんはいわゆる『異常な世界』で生きてきて、黄金聖闘士になった後も『異常な世界』と『正常と異常の境界線上』を行ったり来たりしてた キャラです。でも、ハビパラさんや玄武君と出会ったことで、『正常な世界』に行けるようにもなってました。ただ、あくまでも『行ける』であって『自力で永 遠に留まれる』訳では決して無い。正常な世界に住んでいる誰かが手を掴んでくれてる間だけそこに留まれるけど、手を離されるとまた異常な世界に戻ってしま う。 このSSでは、シラーさんの手を掴んで正常な世界に連れてきてくれていた玄武君が唐突にいなくなってしまったので、その反動でシラーさんはずっと深い『異 常な世界』に戻ってしまった…と言うイメージで話を作っていました。最後の『頚木(くびき)』とは、その名の通り自由を束縛する道具です。シラーさんの異 常性を束縛していたものが無くなったことで今まで抑えられていた常軌を逸した狂気と小宇宙が開放されてしまったみたいな感じです。 |