| ざく切りのキャベツと一口サイズに切り分けたウインナーをスープ鍋に入れて火をつけ、朝食用のパンを選ぶ。ロールパンか、ブリオッシュか、それともクロワッサンか。頂き物のジャムがあったから、クリームチーズと一緒にフランスパンにしようかな。 そんなことを考えながらフランスパンを手に取ったシラーは、ドタドタやかましい足音が近づいてくるのに気付いて厚切りの食パンの袋を取り出した。パンを2枚トースターに入れてタイマーをセットすると台所のドアがバーンと開いた。 「ぐっもーにん、シラー!…お?いい匂いだな。これはあれか、キャベツとピリ辛ソーセージのスープか?」 「ノックをしろとは言わないけど、もう少し静かに入って来てくれないかな?ハービンジャー」 「俺、スープとパンだけじゃ腹が膨れないからハムエッグつけてくれよ!卵は二つ、黄身は半熟で黒胡椒たっぷりで頼むな!あ、向こう一週間の予定表はここに貼っておくぜ」 「…………」 言うだけ言ってリビングに戻っていくハービンジャーの背中を見送ってシラーは溜息をついた。 日課の早朝ジョギングの帰り道に牡牛座が巨蟹宮に寄って朝食をご馳走になっていくのは、文字通り日常茶飯事になりつつある。当初こそ『僕の宮はモーニン グサービスを出す喫茶店じゃないんだけど』と抗議したが、そんな嫌味が脳筋のハービンジャーに通じるはずがない。無駄な努力はしない主義のシラーが、ハー ビンジャーの説得は早々に諦めて二人分の朝食を準備する方向にシフトするまで大した時間はかからなかった。 一人分作るのも二人分作るのもかかる手間は大差ないし、ハービンジャーと一緒に朝食を取る時間は決して悪くないものだったからだ。 …二人分のパンとスープ、そしてリクエスト通りのハムエッグをトレイに乗せてリビングに入ると、ハービンジャーがコーヒーの用意をしていた。ハービン ジャーが淹れたコーヒーは決してプロの味ではないが、妙な味わい深さがあるので、舌の肥えたシラーも彼のコーヒーはありがたく頂くことにしている。 ほらよ、とハービンジャーが笑顔でコーヒーカップを差し出して、わざとらしい仏頂面のシラーがパンとスープとハムエッグをテーブルに並べて、いつもと同 じ朝食の光景が始まる。バターをたっぷり塗ったパンにハムエッグを乗せて豪快に齧りながらハービンジャーがどうでもいい話を喋り、上品にパンをちぎって ジャムやクリームチーズを塗りながら言葉少なにシラーが相槌を打つ。すっかり見慣れた朝食の光景だったが、今日はいつもと少しだけ違っていた。 二枚目のパンにバターと大量のジャムを塗りながらハービンジャーは嬉しそうに話を続けた。 「でな、今日はビッグニュースがあるんだよ」 「ハービンジャー、バタートーストにジャムを塗ったスプーンを瓶に戻さないでくれないかな。不衛生だっていつも言ってるだろう」 「聞いて驚け!ジャジャーン!!」 シラーの抗議など右から左に受け流し、ハービンジャーはジャムを掬ったスプーンとジャムトーストを持った両手を頭上に掲げて見せた。 ああ〜ジャムが落ちる、パン屑が飛び散る…というシラーの心配はハービンジャーの次の言葉で消し飛んだ。 「俺に彼女が出来た!!」 「……………」 スープスプーンを持ったシラーの手が止まった。 口を半開きにして眼を見開き、スープを掬いかけたスプーンを持ったままぽかんとしている蟹座の姿を見て、ハービンジャーはもう一度ゆっくりと同じ台詞を言った。 「俺に、彼女が、出来た、んだよ!」 「…彼女?彼女って、その、つまり、それ、恋人って事?ハービンジャーに恋仲の女性が出来たわけ?」 「そーだよ!つか何だよシラーちゃん、その反応はよー。一緒になって喜べとは言わないが、んーな『お前に彼女が出来たなんて嘘だろ』みたいな反応しなくたっていいじゃねーか」 「え?あ、いや、ごめん、そうじゃない、『嘘だろ』なんて思ってないよ、ただ」 シラーは思い出したようにスープを混ぜながら思案顔になり、ハービンジャーから視線を逸らしたまま妙に複雑な表情で口を開いた。 「意外だな、って思っただけさ」 「結局、俺の話を疑ってるってことだろ」 「違う、違うって」 「どこがだよ」 「何となく君は、『彼氏彼女って関係に縛られるのは煩わしい』って感じるタイプかと思ってたからさ。親しくお付き合いしている女性がいても、その人を『彼 女』と定義するとは思わなかったんだ。君に恋人が出来たという話は疑っていないよ。全然、これっぽっちも。…そうか、恋人が出来たのか。おめでとうと言わ せてもらうよ」 顔を上げたシラーが自然な笑みを浮かべて言うと、ハービンジャーは照れ臭そうに二カッと笑った。 「おう、ありがとよ!正直言ってな、俺には勿体無いくらいのいい女なんだよー」 「へぇ」 「俺とあいつの馴れ初めなんだけどな…」 正確な微笑みの表情を浮かべてハービンジャーの惚気を聞きながら、シラーは冷静に考えを巡らせてひとつの結論を出していた。 …ああ、そうか。ハービンジャーには僕よりも大切な人が出来たんだな。 ハービンジャーに恋人ができたと言う話を疑っていない、という言葉は本心だ。 彼はつまらない見栄を張って嘘を言うようなタイプではないし、裏表が無く素直で豪放磊落なキャラに惹かれ彼を慕う者は大勢いる。ただ、ハービンジャーが、自身に好意を持ち自身が好意を持った特定の女性を『彼女』とカテゴライズして交際することが少々意外だったのだ。 そう、意外だった。ただそれだけだ。だから、今、自分の心を満たすこの感情の名は『驚き』だ。 寂しさなどでは決して無い、決して。 ハービンジャーの『彼女出来た宣言』から数週間。 任務が無ければ最愛の彼女のところに入り浸るかと思ったハービンジャーは、意外にも(と言っては失礼かもしれないが)週の大半は自宮にきちんと帰ってき ていた。故に、日課の早朝ジョギングも続いているしジョギング帰りに巨蟹宮に寄って朝食の同伴に与る日常にも特別大きな変化は無い。 ただ、シラーとハービンジャーが一緒に朝食をとる回数が以前の半分ほどに減っただけだ。 シラーは冷凍庫を開けて作り置きのスープを取り出した。 ハービンジャーが毎日のように朝食時に押しかけてきた頃はいつも二人分の食事を用意していたが、最近は彼が来るか来ないかは当日の朝にならないと分から ない。仕方がないので、二人分の食事を用意しておいて、ハービンジャーが来なかったら残った分を冷凍し、数日分たまったらそれを消費する…という方法をと ることにしたのだ。 なんだか一人暮らしの学生みたいだな。 唇に苦い笑みを浮かべて冷凍スープを鍋に入れた時、ノックもなしにいきなり台所のドアが開いた。驚きのあまり眼を見開いて硬直するシラーに、片目の大男が爽やかな笑顔で声をかけた。 「ぐっもーにーん、シラー!」 「…………。あ、ああ。おはよう、ハービンジャー」 「何だよその反応。何でそんなにビックリしてるんだよ?お前がカーチャンみたいに口うるさく『静かに来い』って言うから今日は静かに来てやったのによー」 「普段は盛大に足音立てて入ってきて乱暴にドアを開ける奴が静かに入ってノックもしないでドアを開けらビックリするだろ」 「ハァ?俺の訪問が分かるように入ってきたら静かにしろって言うし、お望み通り静かに入ってきたらビックリして固まるし…ちょっと我侭が過ぎませんかぁ、シラーちゃんよー」 「だから、静かに入ってきてドアを開ける前にノックを…ああ、そんな常識的な行動を君に求めても無駄だったね」 「うっせーなぁ。彼女と一緒の時は精一杯自分を『常識の枠』に入れて窮屈な思いしてるんだからよ、ダチのお前が相手の時くらいノビノビしてもいいじゃねーか」 「…ふぅん。彼女と一緒の時は常識に則った行動を取ってるんだね、君は」 「んー?」 シラーの皮肉めいた言葉が普段と違う響きを持っている気がしてハービンジャーは首を傾げた。何だかんだでシラーとの付き合いはそれなりに深いので、彼の 様子がおかしい時はその『異変』を察知できる自信がある。が、その異変の原因も対策も自分では全く分からないという妙な自信も同時にある。なので、単刀直 入に『何かあったのか』と無遠慮に質問攻めにして原因を聞きだし、問題解決に最適のアドバイスをくれそうな仲間に相談しに行って解決すると言うのがいつも のパターンだった。 よっし、ダチが悩んでるなら俺は全力で力になるぜ!そのためにはまず腹ごしらえしねーとな! 鼻息荒く決意を固めたハービンジャーは、シラーに断りも無く棚からパンを取り出してトースターに入れた。 絶妙のトロトロ加減に焼かれたオムレツに無造作にケチャップをかけながらハービンジャーは早速本題に入ることにした。雑談をして探りを入れるなど彼の性に合わないし、シラーを相手にした時は単刀直入が一番手っ取り早い。 「あのさぁ、シラー。お前さ、何か気になってることでもあるのか?」 「…何、藪から棒に」 「さっきのイヤミに普段のキレが無かったからよ」 「…………」 シラーは無言でコーヒーを口に含んだ。 図星だな、とハービンジャーは確信した。ハービンジャーにはさりげない言い回しが全く通じないことはシラーもよく分かっているから、何も無ければストレートに『何も無い』、あるいは『気になってることはあるけど君には関係ない』という言葉が返ってくる。 ハービンジャーがケチャップまみれのオムレツを一切れ口に入れて咀嚼し嚥下する間、黙って何かを考えていたシラーは、ふと蒼い目を上げて柔らかな笑みを浮かべると口を開いた。 「ねぇ、ハービンジャー」 「んー?」 「君はさ、僕と彼女、どっちが大切?」 「は?………………」 ハービンジャーはトーストにバターを塗る手を止めてあんぐりと口を開けてまじまじとシラーを見つめた。目の前の優男は淡く笑んでいる。口元は笑っているが目が笑ってないとか、そんな事も無い、非の打ち所の無い完璧な微笑を浮かべている。 …やべぇ、コイツ、マジで言ってる。 シラーの完璧な笑顔は仮面だ。親しい相手にこの仮面を見せる時は、彼の心中が複雑に混乱している時と相場が決まっている。 さーて、なんと言ったもんかね。対処法を間違えると色々と後が面倒なんだよなぁ。 ハービンジャーはトーストにバターを塗る作業を再開しながらベストアンサーを考える時間を稼ぐことにした。わざとらしく眉根を寄せて唇を尖らせて困った顔を造って見せる。 「あらやだシラーちゃんたら。そういうこと聞いちゃうのー?」 「あれぇ、質問を質問で返すんだ?君のことだから即答するかと思ったけど」 「………………」 唇は弧を描いているがシラーの蒼い目は冷ややかで、ミス回答は赦されない雰囲気をバリバリ感じる。 背中を嫌な汗が流れるのを感じながら、ハービンジャーはオムレツを挟んだトーストをもぐもぐと咀嚼した。口の中に物が入っているから喋れないというポー ズを取りながら、彼は近年まれに見る真剣さで脳味噌を動かして記憶を探った。確か以前、シラーを相手にこの手の話をしたことがあった気がする。彼女に『私 と仕事どっちが大事なの?』と詰め寄られた時に何と答えるか。確かシラーはこう言っていた。 『両方、とか、そんなの比べられない、って正論で答えても問題は解決しない。大事なのは、彼女がそんな質問をした理由を考えることさ。答えは明白、彼氏が仕事にかまけて自分と会ってくれないのを寂しく感じてるからだよ。だから、この質問をされた時に取るべき行動は…』 …ハービンジャーはシラーの手を両手で包み込むようにして握り、至って真剣な顔でしみじみと言った。 「そんな質問、させてごめんな。これからは出来るだけ毎日ここに朝飯を食いに来るぜ」 「………………」 「………………」 「…ぷっ。…あはは、あは…」 しばしの沈黙の後、シラーが噴き出した。 ハービンジャーが目を開けてちらりと見ると、シラーはいつもと同じ自然な表情で笑っていた。 「あははははは…真面目な顔で何を言うかと思えば…結局ご飯を食べに来る宣言かい?」 「何だよー、そんな涙ぐむほど笑わなくてもいいだろ?俺は大真面目なんだぞ?」 「うん、分かってる。大丈夫、ちゃんと分かってるから」 「ホントにかぁ?」 「…本当だよ、ハービンジャー」 眇められたスティールブルーの目は穏やかだ。握り締めた手も振りほどかれていない。 どうやら無事に問題は解決したようだ。内心でほっと安堵の息を吐いたハービンジャーは、もう一度シラーの手を硬く握りなおしてから食事を再開した。 朝食を終えたシラーが食器を片付けている間に食後のコーヒーをセットしたハービンジャーは、テーブルの端に置かれた銀色の指輪に目をやった。以前、ハービンジャーとシラーが約束を交わした時、その約束の証としてシラーが買ったものだ(と、後になって聞いた)。 ハービンジャーはナプキンで手を拭ってからその指輪を手に取ってしげしげと眺めた。 …あの日、スティールブルーの眼に深い痛みと悲しみと狂気を孕ませて、恐ろしいほど穏やかな顔でシラーは言った。 『自分を愛してくれる人が一人もいない世界なんて無くなってもいいと思わない?』 その時、シラーとハービンジャーはひとつの約束を交わした。 シラーが『誰も自分を愛してくれないから世界なんて消えちまえ』って思った時は迷わずハービンジャーのところに来る。その時ハービンジャーは、シラーの骨が折れるほど抱きしめながら『愛してる』って言ってやる、と。 シラーがハービンジャーのところに来た、その時は。 …………。 指輪を眺めてしばらく思案したハービンジャーは、新しいカップを持って席に戻ったシラーに声をかけた。 「なぁ。お前がこの指輪をつけるきっかけになった約束、覚えてるか?」 「勿論。僕が『誰も自分を愛してくれないから世界なんて消えちまえ』って思った時は迷わず君のところに行く。その時君は、僕の骨が折れるほど抱きしめながら『愛してる』って言ってくれる。だろ?」 「そっか、ちゃんと覚えてたか」 「当たり前じゃないか。いきなり何、そんなこと聞いて」 「おいシラー。ちょっと右手出せや」 「?」 脈絡の無いハービンジャーの言葉に怪訝そうな顔をしながらシラーが右手を出すと、ハービンジャーは彼の小指以外の指を手の平に折り込んで残った小指に自身の小指を絡めた。 あの日と同じ、約束の儀式。 「何?」 「あの約束にもう一個追加するぜ。俺の一方的な宣言だから、約束っつーより誓約みたいなもんだけどよ」 「だから何?」 「俺がお前に会った時に『コイツは今、誰も自分を愛してくれないから世界なんて消えちまえって思ってるな』って感じた時も、俺はお前の骨が折れるほど抱きしめながら『愛してる』って言ってやる!」 「…………、…………」 「あ、これは俺の一方的な宣言だからな。お前の意思意向は聞く耳持たねぇ!」 「…もう、勝手にしなよ」 今にも泣き出しそうで、それでいて、この上も無く嬉しそうに、シラーは笑った。 「へへっ、言われなくてもそうするぜ!」 ハービンジャーは絡めた指を散々上下に振ってから、恭しい仕草で彼の小指に銀の指輪をスッと填めた。 異世界の死神様に婚約指輪と勘違いされた約束の証を。 |
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| 以
前からぼんやりと考えていた、『ハビさんに彼女が出来たら、ハビさん自身は何も変わらないけどシラーさんは複雑な気持ちになりそうだな』というイメージを
SSにしました。時間軸的には、SS『約束の時』の少し後を想定しています。普段はハビ→→→←シラー、という雰囲気の話を書いていますが、今回はシラー
→ハビというちょっと変わった雰囲気の話を目指してみました。どうのこうの言って愛されることに飢えているシラーさんは、自分を『愛してくれる』人の好意
が自分以外の誰かに向いた時、必要以上に余計な心配をして身を引こうとしてしまうんじゃないかなと。ハビさんはそんなシラーさんの『不必要な遠慮』を感じ
取って、『お前が来なくても俺が抱きしめに行ってやる』宣言した…と漠然と考えています。この後、ハビさんはシラーさんを力一杯抱きしめていい雰囲気がぶ
ち壊しになったんじゃないかなと思っています(笑)。 |