逢魔の時
後編

 数週間後、東南アジア某国。『海外留学中』のシラーは養母を迎える為に国際空港を訪れていた。
 家にいた頃は一度も着たことが無いような派手な柄のアロハシャツを着て安っぽいサングラスをかけて大きな旅行バッグを提げた養母は、シラーの姿を見るとほっとしたように急ぎ足に近づいて来た。
 …町を走るタクシーの中で、彼女は町並みを眺めて複雑な溜息をついた。

「あなたにこの服装を指定された時はびっくりしたけど、この町ではすんなり馴染むようね」
「そうだよ。母さんがいつも着てるような服でここに来たら、『私はお金を持ってますから強盗して下さい』ってアピールするようなものだからね」
「でも、治安はあんまり良くなさそうだけど…その辺は大丈夫なの?」

 銃やナイフを当たり前のように持っている市民や、昼間から肌を出した服装で客引きをしている売春婦の姿を見て、シラーが腰につけている銃とナイフを見て、養母は心配そうに尋ねた。
 シラーは屈託のない笑みを見せて答えた。

「確かに母さんが住んでいた町に比べたら物騒だけど、僕が母さんに引き取られる前に暮らしていたところよりずっと安全だよ。それに、父さんはこの町の偉い 人と仲が良くて、僕のことも警察の人に頼んでくれてるんだ。僕に何かしたら警察が即座にすっ飛んで来ることはこの町の皆が知ってるから何も心配いらない よ。この銃とナイフは万が一の時の護身用のお守りさ」
「そうなの。それを聞いて安心したわ」
「ところで母さん。僕の下宿先は空港から結構遠くてね、今から行こうとすると着くのが夜になってしまうんだ。この町に不案内な母さんと二人で夜に移動するのは流石に危ないから、今日は町のホテルで一泊するよ」
「そう」

 右も左も分からない養母はシラーの言葉を何も疑わず頷いた。
 …ホテルの部屋に入ったシラーはミネラルウォーターのペットボトルと粉薬を持ってきて、ベッドに腰を降ろした養母の前に置いた。

「この町では厄介な感染症が広がっていてね。この予防薬を飲んでおいて」
「色々大変なのね…。ねえシラー、やっぱりもっときちんとした治安の良い国に留学した方が良いんじゃないかしら」

 養子の言葉を何も疑わず粉薬を飲む養母をじっと見詰めながら、シラーはあくまでも穏やかな笑みを唇に浮かべたまま普段と変わらぬ雰囲気で口を開いた。

「慣れればどうってことないし、ここも結構楽しいよ。面白い友達もできたし…」
「この町で、お友達…?」
「ああ、そんな顔しないでよ母さん。決しておかしな奴じゃないから」
「そう、なの」

 …シラーの他愛もないおしゃべりに耳を傾けていた養母が水を飲もうとペットボトルを持ちあげた途端、手からペットボトルが滑り落ちて床にぶつかり中身が飛び散った。

「いけない、手が滑っちゃったわ。何だか体もだるいし旅の疲れでも出たのかしら…」
「少し横になった方がいいよ、母さん」

 シラーは唇に穏やかな笑みを浮かべて養母に近づき、彼女の肩を軽く押した。途端にバランスを崩して呆気なくベッドに仰向けに倒れ込んだ養母は、起き上がる事も出来ないどころ か碌に身体に力が入らないことに驚き、冷ややかな眼で見降ろしているシラーを見遣り、ベッドに倒れ込んだ自分にシーツを被せた彼が腰のナイフを抜くのを見て恐怖に目を見開いた。

「シラー?何?何をするつもりなの?」

 ひたひたと迫る不吉な予感に声を震わせた養母は、シラーがツイストダガーを振りかぶるのを見て唯一自由に動く口を必死に動かした。

「な…何をするの!?やめなさい、やめて…」

 ドスッ!!
 躊躇いなく渾身の力で振りおろされた刃は彼女の腹に突き刺さった。
 顔色を無くして唇を震わせる養母の顔を覗きこみ、シラーは無邪気にすら見える笑顔を浮かべた。

「薬は十分に利いてるから痛くないよね、母さん?」
「どうして?どうして、なの…」
「そうだねぇ…時間はまだあるし、冥土の土産に教えてあげようか。僕が母さんの口を封じる理由」

 シラーは養母の耳に唇を寄せて囁いた。

「母さんは何の役にも立たない無力な人間でありながら、力有る父さんを破滅させかねない情報を握っているからさ。母さんも感づいていたけど、父さんは母さんの口を封じるつもりだったよ。僕を海外留学と言う名目で母さんから遠ざけたのも、母 さんが不審な死に方をした時に万が一にも僕に疑いがかからないようにするためだろうね」
「じゃあ、何故、あなたが、私を…」
「僕は母さんが大好きだからだよ」
「…………?」
「あなたは僕をあの地獄から連れ出して愛してくれたから。だからこれは僕のせめてもの恩返し、最後の親孝行だよ。苦しくないように僕がこの手で殺してあげる。母さんの命は僕の生きる糧にしてあげる。母さ んだって、顔も知らない誰かに訳も分からず殺されるくらいなら、僕に最期を看取られた方が嬉しいよね?」
「…………」

 もう口を動かす事も出来ないのか、唇を震わせて焦点の定まらない目を向けて来る養母の頬をシラーは優しく撫でた。

「…ねぇ、母さん。お別れの前に僕の話を聞いてくれるかな。僕が子供の頃に死んでしまった、僕と血の繋がった父さんの話」
「…………」
「僕の父と祖父はね、あなたの夫よりも『力』を持っていたよ。一つの会社ではなく一つの国を動かしていたんだから人並み外れた力だよね。でも、それだけの 権力や財力を持っていたのに、父や祖父は暴力に対しては無力だった。…本当に、無力だった。護身用の銃も、防弾チョッキも、屈強なボディーガードも爆弾の 前では何の役にも立たなかったよ。…ねぇ母さん、人間は富や権力を手に入れても、屈強な人間に身辺を警護させても、最後に自分の命を守るのは自身の肉体の 強さだと思わない?僕は時々本気で思うんだ、銃火器にも負けない強い肉体があればきっと、僕の父や祖父は死なずに済んだのにって。それは夢みたいな話、馬鹿げた考えだと思 う?…ねぇ母さん?聞こえてる?」
「…………」

 返事は無い。
 光の消えかけた目を天井に向け、薄く開いた唇で弱々しく苦しげな呼吸を繰り返す養母の姿に、シラーは心配そうな顔になった。

「母さん…辛いの?苦しいの?」
「…………」
「そうか…ごめんね、苦しくないように殺してあげるって言ったのに、苦しませて。すぐ楽にしてあげるよ」

 僕が、この手で。
 シラーは両手を伸ばして養母の首に手をかけた。両手に力を入れて細い首をそっと締めると、養母の頬に赤みが差して唇が濃い紅に染まっていった。
 ああ、やっぱり母さんは綺麗だな。
 そんな事を思いながら無造作に両手に力を込めた時。
 薬が効いているせいで動かなかったはずの養母の手がふと動いて、シラーの両手に触れた。自分の命を断ち切ろうとしているその手を、あたたかな手が優しく包み込んだのだ。

「…………!」

 養母の首を絞めるシラーの手がビクリと震えた。

(…ねぇ、シラー)

 脳裏に甦るいつかの記憶。
 シラーを見つめる養母の優しい眼差し。

(…やめろ)
(思い出すな)
(どうして今、あの時の事を)

 あの日、養母はシラーの両手を優しく包み込んで言った。

(私は、あなたのお母さんになりたいの)
(やめろ)
(あなたにこんな関係を求めた私が言うのもなんだけど、私はあなたのお母さんになりたいと思っているの。一緒にご飯を食べて、成績のことでお小言を言っ て、時々けんかもして、あなたが彼女を連れてきたらその子にちょっと焼きもちを焼くような、そんな普通のお母さんになりたいと、本気で思っているのよ)
(やめろ、やめろ、やめろ…!!)

 重なり合った手に雫が落ちた。
 養母の首にかけた手はガクガクと震えて力が入らない。
 …もう、無理だ。
 シラーは涙を零しながら手を離した。養母の首にはくっきりと絞められた痣が残っている。涙をぬぐいもせずに彼女に口付けて、シラーは小刻みに震える手でテーブルに置いてあった銃を取った。
 もう後戻りはできない、殺さなければ。
 今ここで養母を殺さなければ、彼女を殺そうとした自分が殺される。
 羽根枕を養母の顔に乗せて、シラーは枕に銃を押しあてた。
 震える指を引き金にかける。
 …きつく目を閉じて、震える指を叱咤して、ほんの僅かだけ、指を動かした。
 自分が生きる為に。



 
 シラーが手提げ鞄を持ってフロントに向かうと、面倒くさそうな顔で仕事をしていたスタッフが愛想笑いを浮かべて立ち上がった。町の実力者が後ろ盾になる ほど良いところのお坊ちゃまでありながら無法地帯のルールも心得ていて、清々しいほど金払いの良いシラーはこの町ではちょっとした有名人になっていたの だ。
 シラーはスタッフに札を握らせながらにこやかに言った。

「支配人を呼んでくれる?」
「はいはい、ちょっとお待ちを」

 スタッフは渡された札をポケットに捻じ込むといそいそと奥の部屋に引っ込み、入れ換わりに満面の笑みを浮かべた支配人がフロントに出て来た。

「お待たせしましたお坊ちゃま。何の御用でしょう?」
「ちょっと面倒な事が起きちゃったんだよね。ベッドも汚しちゃって…クリーニング代、これで足りるかなぁ?」

 シラーがにこやかに笑いながら札束をひとつフロントに置くと、支配人はそれを懐に入れて笑みを浮かべたまま答えた。

「汚れの内容にもよりますが…どのようなクリーニングが必要なんです?」
「町の警察は僕の味方だし、ここのスタッフがひとり刑務所に入ってくれればOKだと思うんだけど」
「勘弁して下さいよお坊ちゃま。ウチのホテルはこの無法地帯に似合わずマトモだっていうのが売りなんですから。この無法地帯でマトモなレベルの従業員を確保するのも結構大変なんですよ」

 支配人はわざとらしく困った顔を作って見せたが、その眼は抜け目ない光を放っている。
 絵に描いたような無法地帯であるこの町では、『町で一番高級で安全なホテル』で殺人が起きても誰も驚かない。宿泊客の足は多少遠のくかもしれないが、ホ テルの損失を十分に補填する金を渡せば支配人は喜んで口を噤むし嘘の証言もする。つまり、シラーが起こした面倒事は札束ひとつと従業員ひとりの『生贄』で 補填できるのか、と支配人は言外に尋ねているわけだ。
 シラーはにっこりと笑って手提げ鞄をフロントに置いた。

「そうか…マトモな従業員は、このくらいの年収を約束すれば見つかるかなぁ?」
「…………!!」

 鞄にぎっしりと詰められた札束を見て支配人の表情が変わった。従業員一人の年収どころか、支配人の家族が当分遊んで暮らせるほどの金だ。
 途端に顔から笑みを消した支配人が低い声で尋ねた。

「おいおいお坊ちゃま…ベッドを汚しちまったのは一体どなたなんです?ひょっとして、お坊ちゃまが同伴されてたあの綺麗なご婦人ですかい?」
「正解」
「お坊ちゃま。ひょっとしなくてもあのご婦人、お坊ちゃまのお父上の…」
「ああ、言い忘れていたけどね、これは前金。無事に『クリーニング』が終わったらこれと同じ額を渡すよ」
「…………。警察はともかくお父上はどうなんです?」
「世間知らずの妻が治安の悪い街に旅行に行って大丈夫か、と心配はしていたねぇ」
「心配なさるならボディーガードのおひとりくらい付けて頂けませんかね。こんなことお坊ちゃまに言っても仕方のないことですが」

 支配人はわざとらしく溜息をついて手提げ鞄を手元に引き寄せた。
 …交渉成立だ。
 シラーはスティールブルーの目を細めて淡く笑んだ。

「じゃあ僕、ちょっと頼まれたものを買いに行って来るよ。なるべく急いで戻るけど、僕の同伴者がいる部屋に誰かが訪ねて来ても通さないでね」
「はいはい、畏まりました。いってらっしゃいまし」

 支配人は笑顔でシラーを見送り、無法地帯で逞しく生き抜く者の眼になってバックヤードに向かった。
 …それから間もなく、『留学中の息子を訪ねてホテルに宿泊していた女性が殺害されている』とホテルの支配人から地元の警察に通報が入った。





 ……………
 教会の鐘が鳴っている。
 夏だと言うのにこの日は酷く肌寒く、葬儀の場の雰囲気を一層寒々しいものにしていた。
 喪主と挨拶を交わす男性達から少し離れたところで、喪服に身を包んだ女性達が小声で囁き合っている。

(まだお若いのに、お気の毒にねぇ…)
(海外留学中の息子さんを訪ねた先のホテルで強盗に遭ったんですって。しかも犯人はそのホテルの従業員だったとか)
(まぁ怖い。一体どうしてそんな物騒な町で宿をとったりしたのかしら)
(ところで、あのご夫婦に息子さんなんていたのね)
(ああ、それは…)

 長い赤毛の美少年が脇を通り過ぎたので女性達はピタリとお喋りをやめ、少年が男性達の輪に近づくのを見てまたコソコソと話し始めた。
 
(あの子は?)
(彼がその、『海外留学していた息子さん』よ)
(あらっ、あんな大きな息子さんがいたのね。でも、その…あまりご両親に似ていないようだけど)
(養子さんなんですって。ご夫婦にお子さんが授からなかったから、戦災孤児を引き取ったとか聞きましたわ)
(ああ、通りで)
(とてもお利口そうだし、綺麗なお顔の坊やね。奥様も綺麗でお若い方だったし…)
(ご主人とは一回り以上も歳が離れていたそうだし、やっぱり…)
(やっぱり…ねぇ?)

 全部聞こえてるよ、ご夫人方。まぁ概ね事実だけど、もう少し声を抑えたらどうなのかな。
 蔑むような視線を女性達に向けながら養父に近づくと、シラーの視線の意味を敏感に察した男性達が妻の噂話を止めにさりげなく場を離れた。
 …養父と並んで養母の墓前に立つと、養父が淡々と口を開いた。

「母さんが殺されたあのホテルだがな。事件の捜査途中で爆発事故が起きて支配人が亡くなって、やむなく廃業に追い込まれたそうだ。それに伴って母さんの事件の捜査も強制終了だ。犯人が自首しているから解決していると言えばしているがな」
「爆発事故?台所のガスでも爆発したの?」
「それが、『爆心地』がフロントらしくてな。支配人に恨みを持つ者が時限爆弾でも送り届けたんじゃないかと警察は言っていたが、何もかも吹っ飛んでしまったから捜査のしようが無いんだそうだ」
「そうなんだ…あの人、家族と一緒に旅行に行くとか嬉しそうに話してたのに、お気の毒だったね」

 シラーは養母の墓を見つめたままポツリと言った。
 …そうか。あの人は、僕が『クリーニング代の残り』と言って送ったあの荷物を、何も疑わずに開封したんだ。呆気ないほど簡単に口を封じる事が出来たな。
 シラーは思う。
 やっぱり最後に物を言うのは金ではなく暴力だ。金を積んで口を封じるより、秘密を漏らしたら殺すぞと脅すより、口の利けない死人にする方が簡単で確実だ。都合の悪い人間を排除するなら殺してしまうのが手っ取り早い…。
 シラーは独り言のように云った。

「最後にね、母さんと話をしたんだ」
「ん?」
「僕の実の両親や祖父は国を動かすだけの『大きな力』を持っていたけど、その力も爆弾と言う暴力の前には無力だった。どんな財力や権力を手に入れても、最 強のボディーガードを雇っても、最新鋭の防弾チョッキを身につけても、それごと吹き飛ばす爆弾を投げ込まれたらどんな強大な力を持っていても無意味になっ てしまう。どんなに自分を鍛えても、格闘術を会得しても、生身の人間がどんなに自分を鍛えても、懐に潜り込まれて銃火器を持ち出されたらどうしようもない んだな、って」
「…………」
「銃火器にも負けない強い肉体があればきっと、僕の父や祖父は死なずに済んだのにって言ったら、流石にそれは夢物話ねって言われたよ。…そしてそのすぐ後、母さんはナイフと銃で殺されてしまった…」
「…………。銃火器にも負けない強い肉体、か」

 シラーの言葉を反芻した養父はちらりと周囲を見回し、近くに人がいないことを確認してシラーに目を向けた。

「強くなりたいか、シラー。銃火器を持った人間とも互角以上に渡り合えるほどに」
「…え?」

 シラーは驚いて顔をあげ、養父がその言葉を冗談で言った訳ではないと気付いて更に驚いた。
 …銃火器を持った人間とも互角以上に渡り合えるほどに強くなりたいか、だって?当たり前じゃないか、僕は自分が死ぬのが大嫌いなんだから!
 真剣な顔でシラーが頷くと、養父は静かに口を開いた。

「…この世には、『アテナの聖闘士』と呼ばれる闘士が存在する」
「アテナの…セイント?アテナってあの、ギリシア神話に出て来る知恵と戦の女神のこと?」
「そうだ。『アテナの聖闘士』とは、いずれの国家にも属さず、女神アテナのみに仕え、彼女の名の元に人々を守るために戦う人知を超えた力を持つ戦士だ。 彼らは『小宇宙』と呼ばれる体内の宇宙的エネルギーを燃焼させて繰り出す闘法を使用し、その闘法は、拳で空を引き裂き、蹴りで大地を割るほどの威力がある と言う。上級の闘士達ともなると星を砕くほどの力を持つとまで言われている」
「…………」
「『そんな馬鹿な話』と思うだろう?私も最初はそう思っていた」
「…父さんは、その『アテナの聖闘士』に会ったの?」
「ああ、会った。そしてその戦いも実際に見た。空を裂き大地を割ると言う言葉に嘘は無かった。彼らは何の武器も持たず、星座を模した鎧を身に纏い、まるで魔法のように様々な技を繰り出し、己の肉体のみで闘うのだ。銃火器を持った人間とも互角以上に渡り合ってな」
「…………」

 シラーは眉根を寄せて拳を握った。
 養父が嘘を言っているとは思えなかった。己の肉体のみで銃火器を持った人間とも互角以上に渡り合える夢物語のような闘士、『アテナの聖闘士』とは現実に存在するのだ。
 …と、言う事は。

「じゃあ女神アテナは実在するって事?アテナが実在するなら、大神ゼウスや、海王ポセイドンや、冥王ハーデスや、死神タナトスも?」
「分からん。是非アテナにお目にかかりたいと頼んだがあっさりと拒否された。アテナに仕える聖闘士と言えども、女神本人に謁見できるのは幹部である上級戦 士だけなのだそうだ。ただ、私が会った聖闘士…彼は準幹部クラスの『白銀聖闘士』を名乗っていたが…は、女神アテナは実在すると心から信じているように見 えた。過去幾度となく人間を襲った脅威をアテナは人知れず悉く撃退して来たのだと」
「その、女神の聖闘士にはどうやったらなれるの?」
「一昔前は半ば誘拐のような形で身寄りのない孤児達を修行場に送り込んでいたそうだが、今は全寮制の学校で聖闘士の育成をしているそうだ。学校で良い成績 を出せば、各々の特性に相応しい師匠に弟子入りして更に過酷な修行を重ねていくのだと言う。その修業は厳しく、『聖衣』と呼ばれる鎧を与えられ聖闘士にな れる者はほんの一握り。修行途中で脱落する者や命を落とす者、資格を与えられず雑兵に甘んじる者も少なくないそうだ。…シラー。この話を聞いてもまだ、お 前は聖闘士になりたいと思うか?」
「はい」

 迷い無くシラーが頷くと、養父は細く長く息を吐き出した。

「…この話はすべきではなかったかもしれんな」
「…………」
「シラー。血の繋がりは無いとはいえ、お前は私の大事な跡取りでかけがえのない一人息子だ。危険だと分かりきっているところに送り出したくはない。だが、 お前も私も遅かれ早かれ銃火器で命を狙われる立場の人間になろう。己の体一つで銃火器を持った敵とも互角に渡り合える力は確かに魅力的だ。お前に初めて会った時、私は 『この子は只者ではない』と直感した。私はその直感とお前を信じよう」
「………!」
「聖闘士養成学校…『パライストラ学園』と言うらしいが、そのスポンサーであるグラード財団に私は多少顔が利く。お前の入学を認めてくれるよう頼んでやってもいい。ただし、私も長くは待てん。…三年だ、シラー」
「三年以内に結果を出せ、と言う事だね?」
「私が求める結果は厳しいぞ」

 養父はスッと指を三本立てた。

「聖闘士には三つのランクがあるそうだ。幹部の黄金聖闘士、準幹部の白銀聖闘士、一般兵の青銅聖闘士。私の息子たるもの、一般兵に甘んじてもらっては困 る。最低でも白銀だ。88人しか枠のない聖闘士の上から36人以内に入ること、それが出来なければ聖闘士の道は諦めて私の後継者になることに専念する。そ れが条件だ」
「…必ず期待に応えて見せるよ、父さん」

 シラーはスティールブルーの眼に強い決意を宿してはっきりと父に宣言した。
 聖闘士になれば『女神アテナ』が実在するか否かが分かる。アテナが存在するのなら、間違いなく他の神々も存在するはずだ。
 …幼い頃に強く憧れ、同時に酷く恐れた死の神タナトスも。
 うまくすればアテナを通して死の神タナトスに目通りすることも出来るかもしれない。
 もしも死の神に謁見出来たらその時は、自分を守ってくれたことに対する感謝を伝えよう。そして叶うならば、あなたを敬愛する心に免じて自分に死を与えるのは赦して下さいと乞おう。
 そのために、神に目通りするために強くなろう。
 生きる為に強くなろう。
 シラーは強く心に誓った。







 …パライストラに入学し、『金持ちのお坊ちゃまが道楽で聖闘士を目指すのか』という周囲からの冷ややかな視線や心ない言葉を全て実力で捩じ伏せて順調に聖闘士への道を進んでいたシラーはある日、耳を疑うような噂を聞いた。
 数年前の聖戦に於いて冥王ハーデスとその臣下である死の神タナトスと眠りの神ヒュプノスはアテナによって倒され、冥界は崩壊したと。
 死の神が倒された?そんな馬鹿な!
 俄かには信じがたいその話にシラーは周囲の聖闘士を片っ端から捕まえて真偽のほどを問い質したが、誰に聞いても返ってくるのは噂の枠を出ないあやふやな 情報ばかり。業を煮やした彼はとうとう、パライストラ学園の長であり山羊座の黄金聖闘士であるイオニアに直接話を聞きに行った。
 冥王とその臣下の神が倒され、冥界が崩壊したと言うのは事実なのか。
 詰め寄るシラーを制してイオニアは静かに答えた。

「その答えを教える事は私にもできない。私も真実を知らないのだ」
「何故です!?学園長であり、聖闘士の頂点に立つ黄金聖闘士でもあるあなたが何故、この話の真実を知らないのです!!」
「真実を知る者が誰もいないからだ」
「真実を知る者がいない?そんな馬鹿な!だって、冥王を倒したアテナは健在だし、アテナに従って冥王を倒した聖闘士も存命なんでしょう?彼らに話を聞けば…」
「彼らも真実を知らないのだよ、シラー」
「!?」

 言葉を失ったシラーに、イオニアはゆっくりと言葉を続けた。

「アテナが冥王を倒した時、冥王は『自分が倒れれば冥界も消える』と言ったそうだ。しかしアテナと聖闘士達は冥界が崩壊する前に地上に帰還し、地上から冥 界に行く道も塞がれ消滅した。生身の人間は…例え黄金聖闘士であっても、神と戦った聖闘士達であっても、生きて冥界に行くことは出来ん。冥界が一体どう なったのか、真実を知る術は失われたのだ」
「…………」
「冥王とその臣下の神が消滅したのか一時的に力を失っただけなのか、冥界が崩壊したのかいまだ健在なのかは分からない。アテナは冥王を倒した、それは確かだ。しかし、人間達は聖戦の前と同じように死を迎えて死後の世界に旅立っている、それもまた事実だ」
「…………」
「アテナご本人なら真実を御存知かもしれないが、好奇心を満たす程度の気持ちで尋ねても答えては下さるまい」
「そんな…」

 握り締めた拳を震わせて唇を噛み締めるシラーを見て、イオニアは厳かな声で告げた。

「…シラー。お前がどうしても冥界の真実を知りたいのなら、デスマスクに師事して死と創造を司る蟹座の黄金聖闘士を目指すが良い。お前にはその素質がある」
「死と創造を司る…蟹座の黄金聖闘士?」
「積尸気を操る蟹座の黄金聖闘士ならば、冥界の入口である黄泉比良坂に生身のままで行くことが出来る。真実の一端を自分の目で確かめることが出来るはず だ。黄金聖闘士への道は狭く厳しく険しいが、黄金に任命された暁には、アテナもお前の心意気を認めて真実を教えて下さるかもしれないぞ」
「…分かりました。まずは黄金聖闘士になれ、話はそれからだと言う事ですね」

 スティールブルーの目に冷たい炎を揺らめかせたシラーが抑揚のない低い声で言うと、イオニアは片眉をそびやかしてニヤリと笑った。
 シラーは慇懃に一礼すると部屋を出て行った。
 イオニアの言葉が『黄金になれるものならなってみろ』という挑発だということくらい分かっている。
 大股に廊下を歩くシラーの唇に歪んだ笑みが浮かんだ。

(別に良いさ、もともと僕は聖闘士の頂点である黄金聖闘士になるつもりだったんだ。目指すべきポジションが確定した、ただそれだけの事)
(敬愛する死の神、僕の守護神タナトス様)
(僕は必ずあなたに会いに行きます。…必ず、どんな手を使ってでも)

 そう、どんな手を使ってでも。
 まず最初にやるべきは、蟹座の黄金聖衣を手にする為に邪魔になりそうなライバル達を排除すること。証拠を残さず綺麗に彼らを始末するにはどんな方法があるか、シラーは考えを巡らせ始めた。


END


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達

 終盤のシラーさんとイオニアの会話を真っ先に書いてから冒頭を書き始めると言う、少々変わった順番で話を書いた、そして、本当はΩ34話(シラーさん退 場回)の前に上げたかったSS「逢魔」の後編です。この話を作っていたのは34話放送前で、本編と盛大な矛盾が出たら話そのものが没になってしまうから… と言うのが理由でした。32話時点では「シラーさんは死(タナトス)が大好き」と思って話を作っていたら34話で「僕は死が嫌いだ」と爆弾発言が出て来た のですが、意外にも(?)9割方当初の予定通りの話運びで進める事が出来ました。変更点は、「シラーさんが躊躇い無く笑いながら養母を殺す」が「躊躇って 泣きながら養母を殺す」の一点くらいでしょうか。
 シラーさんの留学先の町は、「ブラックラグーン」で主人公達が暮らしているロアナプラをイメージしました。
 そしてシラーさんが養母を殺すシーンですが。ツイツトダガーで 刺殺する時に毛布を被せているのは返り血を浴びないためです。その後、絞殺しようとして銃殺に切り替えていますが、これは「養母の命を奪う感触」を手に残 したくないと言うシラーさんの弱さの表現です(シラーさんのメンタルの脆さを知らなかった時は、ナイフで殺害する予定でした)。枕を被せたのは養母の顔を 見たくなかったのと、枕を消音装置の代わりにするためです。
 んで、養母を殺したのはシラーさんだろうと言うのは地元警察も養父も薄々察していますが、警察はシラーさんが賄賂で懐柔し、養父は薄々察しつつも真実を追求してもメリットが無いので目を瞑ってる感じです。
 それから、シラーさんがパライストラに入学した経緯はSS「拝謁」でちらりと触れましたが、養父のコネです。シラーさんの養父は『グラード財団の城戸沙 織』と面識はありますが、『城戸沙織=アテナ』と言う事はこの時点では知りません。シラーさんが黄金聖闘士になった後に『城戸沙織=アテナ』と知り、それ が養父の出世に間接的に繋がっている…という裏設定があります。
 34話を見る前のツイッターメモみたいのが残っていたのでコピペしてみます。
 シ ラーさん=サイキの刹那とリヴァのブルーを足して二で割った感じ、と解釈すると非常に話を組み立てやすい。刹那は若干非公式設定でしたが、政府高官の息子だったけど父が失 脚して全てを失うところを見たせいで「問答無用で他者を押さえつける暴力こそが絶対的な力、力が欲しい」と言う理由でサイキッカーになったし、ブルーも政府高 官の父を見返したくて、認めてもらいたくて、そんな気持ちが歪んだ方向に延びちゃった結果がアレだったわけだし、シラーさんも同じ系統じゃないかと考える と、育ちの良さそうな雰囲気とストリートチルドレンだった過去が両立する。
  戦災孤児で、大変な苦労をして生きて来た(自称)シラーさんだけど、どことなく育ちの良さというか上品さを感じるのですが。孤児になる前はいわゆる「良いと このお坊ちゃん」だったんじゃないかな、とか考えてみます。 治安とか政治が不安定な国の裕福な家で生まれて、礼儀作法も護身術もしっかり叩きこまれて、でもクーデターとかが起きて戦争がはじまって、富裕層は真っ先に 狙われて親を亡くして戦災孤児に、とか。アニメの回想シーンではカツアゲしかやってなかったけど、逆援助交際もやってそう。お金持ちのマダームの相手をし て、貢がせて、お金を絞りとって、貰うもの貰ったらさよーならー。しつこくされたら容赦なく殺す、みたいな。
 今回一番突っ込みたかった自分のツイートはこれ。「今回シリアス系の話書いたらシラーさんは変態ナルシー死臭フェチキャラでギャグ担当になってもらう気 満々なのですが(・ω・)」…あの34話見た後じゃもう無理です。このポジにはアモさんに来てもらおうと思います(笑)。