| 軍神マルスを名乗る敵を退けて三日、教皇宮。 聖域は漸く落ち着きを取り戻しつつあったが、戦後処理の報告を受ける教皇シオンの表情は暗かった。戦には勝利したものの聖域の被害は決して小さくない。殉職者、行方不明者の名を記すたびに翳る顔を見て童虎が複雑な顔でそっと口を開いた。 「…黄金聖闘士が報告に集まったようじゃの」 「そうか。では、アテナにも同席して頂かなくてはな」 アテナの先に立って沈痛な顔で教皇の間に入ったシオンは思わず足を止めた。 …黄金聖闘士が、ひとり足りない。 双子座と獅子座の間にいるべきはずの蟹座がいない。 ハービンジャーとパラドクスが今にも泣き出しそうな顔をしていて、普段の明るさや楽観的な態度が全くない。 シラーが、いない…。 目を見開くシオンにハービンジャーが不安に染まった顔で言った。 「教皇様。シラーがいないんです。どこを探しても、誰に聞いても、姿を見た奴もいなければ小宇宙も感じられないんです。巨蟹宮を隅から隅まで探したけど、どこにも」 「…………」 「そんなことをわざわざ教皇に報告して何になる、ハービンジャー。姿が見えずに小宇宙も感じられない、マルスとの戦いが終わって三日経っても姿を見せな い。なら奴は戦死したと考えるのが妥当。報告すべきは奴が戦死した可能性が高いにもかかわらず蟹座の黄金聖衣が行方不明だということだろう」 「シラーが戦死したなんて縁起でもないこと言わないで、玄武!」 「死体が見つからなくて聖衣が帰ってきてねーなら奴は生きてるはずだろ!シラーは仲間じゃねーか、何で軽々しく『死んだ』なんて言えるんだお前はよ!!」 涙目で抗議するパラドクスとハービンジャーを一瞥して、玄武はフンと鼻を鳴らした。 天秤座は口を噤んだが自身の発言を撤回も謝罪もしない。そして牡牛座と双子座以外の面子はただ口を閉じたままだ。 …懸念していたことが起きてしまった。 フドウと童虎の視線を感じながらシオンは一度唇を噛んで声を絞り出した。 「…黄金聖闘士が聖衣ごと行方不明など由々しき事態だ。ましてやシラーは冥界に通じる力を持つ蟹座の黄金聖闘士。『戦死したのだろう』で片付けるわけにはいかん。何でもいい、シラーの行方の手掛かりになる情報を知っている者はいないか?」 「…………。私は自宮から巨蟹宮の動向を見ていたのですが、獅子宮に敵がやって来たのは巨蟹宮に巨大な闇の柱が出現したしばらく後でした」 「闇の柱…積尸気冥界波か」 「蟹座のシラーが敵を倒すために積尸気冥界波を使うのはなんら不思議ではない。じゃが仮に、敵が軍神マルスの力によって黄泉比良坂から戻ってきたならば、先代のデスマスクがそうしたようにシラーもまた敵を追って黄泉比良坂に向かった可能性は高いのではないか?」 「……!」 童虎が厳しい顔で吐き出した言葉にシオンの顔色が変わり、アテナがハッと顔を上げた。 老師だけでなく教皇とアテナまで『黄泉比良坂』という単語に不自然なほど過敏に反応するのを見て、黄金聖闘士達が怪訝そうな顔をそっと見合わせた。 黄泉比良坂は冥界の入り口でありながらアテナの管轄下にあるので平時は冥界の住人が黄泉比良坂に入ることは出来ない。アテナがマルスとの戦いに注力して いたせいで黄泉比良坂に及ぶ女神の力が弱まっていたとしても、冥王軍は二十年前の聖戦で壊滅しているのだから冥界の住人が出てきたところで精々幽鬼か亡者 しかいないだろうし、蟹座の黄金聖闘士が黄泉比良坂に出向いたところで何か問題があるとは思えなかった。シラーだけでなく蟹座の黄金聖衣まで帰ってこないと言 うのは確かに引っ掛かるが…。 シラーが黄泉比良坂に向かったことの何がそこまで問題なのか。疑問は感じるが女神達の雰囲気は声を掛けるのも憚られるほど緊張している。尋ねようかどうしようかハービンジャーとパラドクスが迷っていると、アテナがシオンに声を掛けた。 「先代蟹座の黄金聖闘士、デスマスクを呼んで下さい」 …教皇の間に呼び出されたシラーの師は、弟子が聖衣ごと行方不明と聞いて盛大に溜息をついた。 「はぁ〜…いつかはやるんじゃないかと思ってましたけど、よりによってこのタイミングでやらかしてくれましたかあの馬鹿弟子は」 「デスマスク。シラーの身に何があったのか、あなたの師としての見解を聞かせてください」 「師としての見解って言われましてもねぇ。敵を追っかけたのか敵にハメられたのか分からないですけど、黄泉比良坂行って何かあったんじゃないですかとしか言 えませんよ。ただ、聖衣すら帰ってきてないって事は気になりますね。あの馬鹿弟子がまだ黄泉比良坂で戦ってるのか、黄泉比良坂で誰かに捕まったのか、殺されて聖衣を誰かに回収されたのか…」 「敵が予想外に強くて、罠にはめられた挙句に不覚を取った可能性は?」 「有り得ますねぇ。シラーは予想外の出来事が起きると動揺して普段はやらないようなポカしたり、変な所で抜けてる奴でしたからね。パニくって黄泉比良坂で迷子になってる程度ならいいんだが、下手に冥界で捕まってたりしたら死んでるより面倒なことになるな」 「おい、デスマスク様よ!シラーはアンタの弟子だろ?その言い草はいくらなんでも冷たいんじゃねーのか!?」 弟子が行方不明だというのに飄々と他人事のように語るデスマスクの姿に、たまらずハービンジャーが食ってかかったが。 天秤座の玄武が憎たらしいほど落ち着いた顔で口を開いた。 「何を怒ることがある、ハービンジャー?デスマスク様の発言内容は状況の冷静な分析だろう。普段シラーがやっている事と何も変わらないぞ」 「玄武の言う通りだ。『仲間に対してそんな冷たい言い方は』と非難される度に彼は言っていた。『僕は私情を挟まずに状況を分析しているだけだよ。死亡した可能性が高い者の状況を死亡したという前提で考えることの何が悪いのさ?』と」 「待て、ちょっと待てよソニア!シラーが死んだとはまだ決まってねーだろ!」 「そうよ!デスマスク様だって、シラーはまだ黄泉比良坂で戦ってるかもしれないって言ってるじゃない!」 「ならば我々が為すべき事は彼か聖衣の帰還を待ちつつ聖域を一刻も早く立て直すことですね」 冷たい光を孕むオッドアイを開いてフドウが淡々と言った。 顔を強張らせるハービンジャーとパラドクスに目をやって、そうでしょう?と彼は続けた。 「他に私達がシラーに関して為すべき事がありますか?」 「ありますかって…マルスは倒したんだからシラーを助けに行くべきだろ!」 「何故です」 「何故って…」 「シラーは常から主張していたではありませんか。強き者が生き残り、弱き者は生きる価値など無いのだと。自分の身すら守れない弱き者を危険を冒して助けに行こうとして巻き込まれるのは愚の骨頂だと。私達がここで彼を助けに行くのは彼の矜持に傷を付ける行為に他ならない」 「俺も同感だ。『生きて帰ることも出来ない弱い聖闘士なんか助ける価値は無いよ』と言い続けてその信念を実践してきた奴を…駆け出しの青銅ならともかく皆の手本にならねばならない黄金を、我々が助けに行く必要があるとは思えんな」 「時貞、お前まで…!」 こめかみに青筋を立てたハービンジャーが拳を握り、パラドクスの髪が漆黒に染まりかけた時、何とも呑気な表情で魚座のアモールが皆の会話に割り込んだ。 「んん〜。皆さんの言うことは確かに正論ではあるんですけどねぇ。玄武、ソニア、フドウ、それに時貞。ハービンジャーやパラドクスほど感情的ではないですが、あなた方も、シラー自身や彼のスタンスへの嫌悪の感情で重要なことを見落としていませんか?」 「重要なこと?」 「…と、言うと?」 「蟹座の聖衣が帰還していないことです。先程デスマスク様はさらっと言いましたが、『シラーがま だ黄泉比良坂で戦ってるのか、黄泉比良坂で誰かに捕まったのか、殺されて聖衣を誰かに回収されたのか』って発言、かなーり重要だと私は思うんですよね。そ れってつまり、三日以上も黄金聖闘士を相手に戦えるか、黄金聖闘 士を捕まえられるか、聖衣の意思を押さえつけて手元に置いておけるだけの力を持つ何者かが黄泉比良坂にいる、或いはいた可能性が高いってことでしょう?」 「っあー!回りくどいな!さっさと結論を言えや、アモール!」 「…これはあくまで私の推測ですがね。シラーの身柄か蟹座の聖衣は冥王軍に確保されたのではないでしょうか?」 アモールの言葉に場が一瞬しんと静まり返った。 突拍子も無い魚座の推測に皆は驚きで目を見開き絶句して、アテナとシオンと童虎が表情を変えて視線を交わすのに気付いたのはデスマスクだけだった。 …沈黙を最初に破ったのはイオニアだった。 「二十数年前の聖戦においてアテナは冥王ハーデスを破ったはずだが?」 「そうですね、先の聖戦で聖域軍は冥王軍に完勝した。ですが、神々の死を確認した者はおろか冥界の消滅を確認した者もいません。デスマスク様やシラーですら、黄泉比良坂より先には行けなかったのですから無理の無い話ですがね。ですがギリシアの神々は不 死の存在です。ましてや冥界の神々が完全に消滅するなど有り得るでしょうか?それにアテナはこうおっしゃっていましたよね。『冥界深部にいる偉大な女神の力 で、聖戦で命を落とした聖闘士達も甦ることができた』と。冥界の敵だった聖闘士を甦らせる力と器量を持った女神が、冥王軍の連中を死んだままにして おくと思いますか?むしろ、アテナに倒されて消滅しかけた冥王やその臣下を助けるついでに聖闘士達も助けたと考える方が自然ではないでしょうか」 「…つまり叔父上は、冥界も冥王軍も冥王ハーデスも健在で、シラーは彼らに拘束されたと考えているのですか」 「有り得ないとは言い切れない、程度にはね。軍神マルスを名乗る存在が地上に侵攻したことを知れば、先の聖戦の雪辱を晴らす好機だ二百年も待ってられるかと考えた冥王軍が疲弊した聖域 を攻めてくる可能性は否定できない。そう考えると、『皆、五体満足で生きて完全勝利しろ』という教皇の命令も、マルス撃退後に冥王軍が侵攻してくる可能性を見越したものだと説明が出来ますし…ね」 「なるほど。冥王軍が聖域の戦況を窺いに黄泉比良坂に出たところ蟹座の黄金聖闘士を発見したので、情報を吐かせるため、聖域の戦力を僅かでも削ぐために蟹 座の聖衣もろともシラーの身柄を確保している…。確かに色々な辻褄は合います。合いますが、憶測の域を出ないので『我々が為すべき事はシラーか聖衣の帰還 を待ちつつ聖域を一刻も早く立て直すこと』という結論は変わらないかと思いますが。何か我々にお話になりたいことはありますか、アテナ?」 フドウが意を問うと、アテナは傍らのシオンと童虎をちらりと見て重たい口を開いた。 「…現時点で私から話せることはありません。確実な情報が入り次第知らせますので、皆は自分の仕事に戻ってください。ハービンジャー、パラドクス。あなた方もです。シラーを心配する気持ちは分かりますが、今は彼のことは私達に任せてください。いいですね」 「…………。分かりました」 「…はい」 ハービンジャーとパラドクスは不承不承頷いた。 何かを隠しているらしいアテナの歯切れの悪さや教皇の曖昧な態度は不服だったが、だからと言って積尸気を使えない自分達がシラーに絡んで出来ることは何も無い。 そんな二人を見てデスマスクが二カッと笑った。 「二人とも、そう不貞腐れるな。俺が今からちょいと黄泉比良坂行ってあの馬鹿弟子探して来るからよ」 「!」 「え?」 「何を言うのだデスマスク!?」 「弟子が馬鹿やったならフォローするのが師匠の役目っスよ。今ならアテナの力は黄泉比良坂に及んでますし、コソコソッと人探しする程度なら大丈夫でしょう。それとも何か?俺が黄泉比良坂に行くのは都合が悪いんですか?」 「む…」 何もかもを察している風のデスマスクがひょいと片眉を持ち上げて尋ねると、シオンは複雑な顔で沈黙した。 問題が無いわけではないが皆の前で言うのは憚られる…という顔だ。 その反応にニヤリと笑って、デスマスクはパンパンと手を叩いた。 「よーし、じゃあ解散!耳寄り情報をゲットしたら教えてやるから、牛もお嬢ちゃんも自宮の守護に戻りな!」 後ろ髪を引かれるようにしながらハービンジャーとパラドクスも皆と一緒に教皇宮を出て行くと、デスマスクは常と変わらぬ飄々とした笑みを浮かべてアテナと教皇、老師を見遣った。 「さーて、お偉方の皆様。俺の可愛い馬鹿弟子の身がかかってるんでね、隠し事無しで行きましょうか」 「隠し事?」 「少し前に冥王ハーデスが冥闘士達と一緒に復活したでしょう?」 「何故それを…」 「元蟹座の黄金聖闘士デスマスク様を舐めてもらっちゃ困りますねぇ。冥界に通じる力を持っている上に一時期は冥王の配下でしたからね、俺には分かるんです よ。あの冷たくて精錬で強大な小宇宙が黄泉比良坂の深部から放たれたのをね。アモールの推測は結構いい線行ってたんじゃないですか?…ところが、ですよ」 「…………」 「不思議なことに、『地上が何者かの侵攻を受け続けていた時期に冥王が復活した』と言う重大な事実は黄金聖闘士にすら知らされていなかった。真っ先に冥王 軍を疑うのが自然な状況だったにも関わらず、です。一体何故、こんな大事なことを隠していたんです?『冥王復活に気付いてなかった』なんてのは無しです よ。冥王と戦う為に転生してきた戦女神や魔星を監視していた老師が冥王復活に気付かなかった!なんてありえないっスからね。…答えて頂けないのなら俺は今すぐシラーを探しに黄泉比良坂に行きますよ。馬鹿でも粗忽でも俺の可愛い弟子なんでね」 冗談めかした口調だがデスマスクの眼には真剣な光が宿っている。三人は無言のままで顔を見合わせ、アテナが浅く顎を引いて口を開きかけた、その時。 牡羊座の貴鬼のテレパシーが聖域中に響いた。 『冥界の神タナトスが蟹座のシラーを担いだお供を連れて白羊宮に現れました!!』 …アテナ達が白羊宮に駆けつけた時には、既に聖闘士や雑兵達が大勢詰め掛けていた。 宮の入り口には漆黒のローブを纏った銀の死神が無表情で佇んでいて、その傍らにはシラーを横抱きにした銀髪の優男が控えている。ふたりの放つ小宇宙に圧倒されて、黄金聖闘士達も集まった聖闘士達の最前列で遠巻きに彼らを見つめることしか出来ずにいた。 「おいおい、冥王ハーデスの右腕であらせられる死の神タナトス様が冥界三巨頭の一角ミーノス様をご同伴でお出ましかよ」 薄く笑みながら呟いたデスマスクの声は決して大きくなかったが、その発言内容はさざ波のように集まった全員に伝播して行く。タナトスは聖闘士たちの様子を視線を動かすだけで眺めると長い銀色の睫毛を瞬いた。 ざわめく聖闘士達の間を急ぎ足に抜けて、教皇と老師を従えたアテナは死神の前に立った。 「タナトス殿」 「――アテナよ」 まるで聴衆を前に演説するように、タナトスは良く通る声でアテナに話しかけた。 「我が冥界にあなたの聖闘士が多数訪れて、その理由を聞いて大変驚いた。和平が成立した今、我々にあなた方に対する害意や敵意が無いことを証明するため我 が冥界から援軍を送るべきかと思っていたのだが、無事解決したようで何よりだ。援軍を送れなかった代わりと言う訳ではないが、黄泉比良坂で冥界の住人にな りかけていた蟹座の黄金聖闘士を返しに来た。命を繋ぐために俺の死の小宇宙を注ぎ込んだ故しばらくは仮死状態が続くが、怪我も病気も全て治してある故、俺 の小宇宙が抜けきれば問題なく目を覚ますはずだ」 途端、大きなざわめきが起きた。 和平が成立したって冥界とか? 冥界から援軍が来るかも知れなかったって? 蟹座の黄金聖闘士を返しに来た? 死の小宇宙を注がれた? 一体どういうことだよ! ざわめきが広がり混乱になりかねないのを見てシオンと童虎が声を張り上げた。 「静かに!うろたえるな!神々の御前であるぞ!!」 「詳しい事はこれから話す!皆、静まれい!!」 二人の声に落ち着かないながらも沈黙が落ちる中、アテナはタナトスに歩み寄って丁寧に会釈した。 「お心遣い、痛み入ります。戦は終結しましたが蟹座の黄金聖闘士の姿が見えなくて皆が心配していましたの。ちょうど今、冥界に使者を送って彼の消息をご存 じないかお伺いを立てようかと話していたのです。私の聖闘士を救って頂いたことに感謝いたします。お礼の言葉もございませんわ」 「礼には及ばぬ。戦の様子を窺おうかと黄泉比良坂を訪れた際に偶然その男の小宇宙に気付いた故、結果的に助ける形になっただけのこと」 「本当にありがとうございます。…タナトス殿。お話したいこともお伺いしたいこともありますし、少しばかりお引止めしてもよろしいかしら?戦後処理の途中でバタバタしておりますが精一杯のおもてなしをさせて頂きますわ」 「…ならばお言葉に甘えるとしよう」 タナトスが浅く首肯するとアテナは目線でデスマスクを促した。 シラーの師はハービンジャーとパラドクスに顎をしゃくって『一緒に来い』と促して、途端に苦い顔になるタナトスの前に歩み出ると慇懃に一礼した。 「長らくご無沙汰しておりますタナトス様。ご機嫌麗しゅう」 「…俺の機嫌が麗しく見えるか」 「俺の顔を覚えていてくださったとは実に光栄。まぁなんだ、この度は不肖の弟子を助けて下さってありがとうございます。老骨に鞭打って黄泉比良坂まで捜索活動しに行く手間が省けました」 「…………」 「そんな怖い顔をなさらないで下さいよ、マジで感謝してるんですから。…で、『冥界の住人になりかけてた』って仰せでしたが、その馬鹿弟子に何があったのかタナトス様はご存知でいらっしゃいますか?差し支えなければ教えていただきたいんですがね」 「俺が見つけた時は黄泉比良坂の血の池に沈んでいた。詳しいことはミーノスに聞くが良い」 辛うじてつっけんどんではない口調でタナトスが答えた。 聖域との和解は成立したとは言え、冥界の一角で蟹座の黄金聖闘士が死に掛けていたことも、助けた彼を返す為に聖域を訪れたことも、自分を欺いた先代の蟹座が出迎えたことも、何もかもがお気に召さないのだろう…とデスマスクは思った。 タナトスが目線で発言を促すと、ミーノスは淡く笑んだまま口を開いた。 「蟹座の彼を治療している間、我々は双子神の命により黄泉比良坂の捜索を行いました。ハーデス様とは違う神の支配下にある何者かが黄泉比良坂で命を落とし たのなら、その魂を回収し然るべき神の元へ返さねばなりませんので。調査の結果、蟹座が沈んでいた血の池から数名の魂が発見されました。蟹座の『敵』数名 が黄金聖闘士を道連れに血の池に飛び込んだようですね。『敵』は灼熱の血の池に落ちて即死したらしく遺体も見つかりませんでしたが、蟹 座は黄金聖衣と小宇宙のおかげで即死を免れ、ギリギリのところでタナトス様に救われたようです」 「俺と因縁のある蟹座だったおかげで命拾いしたな。他の聖闘士だったら血の池の底で溶けていても気付かなかったであろう。この死の神タナトス が命を助けてやったのだ、向こう三百年は冥界に来るなと言っておけ」 「仰せの通りに、タナトス様。…ほれハービンジャーにパラドクス、いい加減シラーと聖衣を受け取って差し上げろ」 「お、おう」 「あ…はい」 神の小宇宙に圧倒されながらハービンジャーとパラドクスはおずおずと前に進み出た。 聖衣の入ったパンドラボックスをパラドクスに、目を閉じたままピクリとも動かないシラーをハービンジャーに引き渡すと、ミーノスはタナトスの半歩後ろに下がって控えた。 「ではタナトス殿、こちらへどうぞ。…では三人とも、シラーを頼みましたよ」 丁寧に会釈する聖闘士達に笑顔を見せて、教皇と老師を同伴したアテナはタナトスとミーノスを連れて教皇宮に向かった。 …興奮冷めやらぬ様子の聖闘士達が三々五々自分の持ち場に戻っていき、白羊宮が静かになって漸く、ハービンジャーは今にも膝から崩れ落ちそうな姿勢で盛大に溜息をついた。 「はぁぁ〜〜一気に気が抜けたぜぇ〜〜〜〜」 「ったくこの馬鹿弟子、心配させやがって。目ェ覚ましたら小一時間ほど説教してやらないとな」 「予想外のことが怒りすぎて何だか夢を見ているみたいな気分だわ。でも、シラーが無事に帰ってきてくれたのは夢じゃないのよね。…無事、なのよね?」 パラドクスは安心半分不安半分の顔で、ハービンジャーが抱きかかえているシラーの顔を覗き込んだ。 冥界で治療を受けたからなのか怪我や火傷らしきものは見当たらない。死の神は『仮死状態』と言っていたが脈も呼吸も落ち着いている。ただ、声をかけても頬を叩いても無反応で目を覚ます気配は全くなかった。 「そういやパラドクス。予想外の展開が立て続けに起きたせいですっかり忘れてたけどよ、お前の予知能力はこれを予測してなかったのか?」 「今回に限っては漠然とした雰囲気しか分からなかったの。特にシラーは…何て言うのかしら、とてつもない危険と絶対の安全が混ざり合ってるような、今までに感じたことのない不 思議な感覚で…。だから私もあの時、彼に『死んじゃダメよ』って言ったのよ。それにね、今もシラーの未来が全く見えないの。神様がシラーの運命に介入したせいかしら」 「じゃあこいつが一体いつ目を覚ますのかも分からねーのか」 「タナトス神が『俺の小宇宙が抜ければ目を覚ます』って言ってんだからいつかは起きるだろ。ま、シラーが一年経っても目ェ覚まさなかったら、俺がタナトス様に目覚ましコールをお願いしに行ってやるよ。その時も冥界との和平が続いていたら、だけどな」 「よろしく頼むぜデスマスク様。…じゃ、眠り姫ならぬ眠り王子様をご自宅までお送りするとしますかね」 「…………。ひょっとしてハービンジャーがチューしたら、シラーの奴ビビッて飛び起きるんじゃないか?」 「そんなことしたら彼、驚くよりものすごーく怒るか心に深い傷を負って引きこもるんじゃないかしら」 「いやぁ、俺達まだそこまでの深い仲じゃないんでぇー」 軽口を叩きながらハービンジャーはしっかりとシラーを抱きかかえ直した。 シラーが生きて戻ってきた安堵と嬉しさから冗談を交わしながら、皆は白羊宮を出て巨蟹宮に足を向けた。 |
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「びゃっくしょぉーーい!!」 教皇宮を一歩出た途端に寒風が吹き抜けて、ハービンジャーは盛大にクシャミをした。 ほんの少し前までは突っ立てるだけでも暑くて暑くて、水瓶座の時貞に『どうしてお前は凍気を操れないんだ』と文句を言っていたのが嘘のような寒さだった。 ――暦は既に十二月。 軍神マルスとの戦いが終わって半年が経つ。夏が過ぎ秋が終わり季節は冬になったというのにシラーは未だ昏睡状態にあった。当初こそ 『そのうち目を覚ますだろう』と呑気に構えていたパラドクスやハービンジャーだが、シラーが本当に目を覚ますのかそろそろ心配になってきていた。『一年経ってもシ ラーが目覚めなければタナトス神に直談判に行く』と冗談半分に言っていたデスマスクも、予定を前倒ししてタナトス神にお伺いを立てに行くことを本気で考えてい るらしい。 ハービンジャーは白い息を吐いて思案顔になった。 (そーいや教皇、『聖域主催のクリスマスイベントの為にタナトス様が近いうちに地上にお出ましになる』とか言ってたよな。クリスマスイベントの後はアテナ主催のパーティーがあるらしいから、その時にアテナか教皇からシラーのことを聞いてもらうわけにいかねーかなぁ?) そんなことを考えながら階段を下りていたハービンジャーの足が止まった。 木枯らしに長い赤毛を靡かせながら、見覚えのある若い男が十二宮の階段をゆっくりと上ってくる。 「…………!!」 込み上げる歓びに知らず口元が綻ぶ。 駆け寄って抱きしめたい気持ちより安堵が勝って足は止まっている。 赤毛の男が顔を上げた。懐かしい蒼と眼が合う。 ――ハービンジャーは二カッと笑って片手を上げた。あくまでも自然に、気負わずに、何もなかったように、いつものように…以前と同じように声をかける。 「よぉ、王子様!漸くお目覚めか?身体はもういいのか?」 |
| 星矢部屋 | 総合目次 | SS・2012時代 | SS・神話時代 | SS・蟹座達 |
| 予定より2話ほど伸びましたがSS「邂逅」はこれにて完結です。キャラ設定のおまけにするつもりがいつものパターンで延び延びになった時から、最後の
シーンは「目を覚ましたシラーさんが今日高級に向かう途中でハビさんに会う』にしようと決めていました。思えば、SS「拝謁」を書いたのもちょうど一年ほ
ど前になるのですね。あの時はまさか自分がハビシラにハマるとは思ってなくて、ましてや玄シラにハマるなんて夢にも思ってなくて、当時の思いつきで書いた
文章に今になって縛られた感がありました。思いつきで書いた一文や思い付きで作ったその時限りの設定が後から便利に使えたりして、思いつきもなかなか捨て
たもんじゃないと思ってはいるのですが(笑)。 当サイト設定ではデスマスクがシラーさんの師匠なのですが、こんなに出番が増える予定はなくて、彼の口調にかなり悩みました。デスマスクと言えばあじゃ ぱーとのりピー語のインパクトが強くて、対等あるいはちょい格下の相手に普通に話す時の口調が分からず…。マニさんとアヴィドの中間当りをイメージしなが ら書きました。あと、デスマスクは煙草吸いそうなイメージあります。それから彼は、一時とは言え冥闘士になってたので、タナトスやミーノスとの面識もある かなと。 シオンがシラーさんを妙に気遣ってる理由は今まで色んなSSで書いてきましたが、「シラーさんとマニさんを重ねて見ていて、同時にマニさんを立派に導い たセージと自分を比べているため、シラーさん絡みの事には私情が多分に入る」ためです。童虎はシオンのそんな内心の葛藤に気付いていて、フドウはシオンの 葛藤の理由は知りませんが「教皇がシラーを妙に気にかけているのは、彼に関して引け目に近い思うところがあるかららしい」と気付いています。特にフドウは シオンの内心の葛藤を知りつつ、それでもシラーに対して何も言わない、何もしないのは教皇としてどうなんだ?と思っていました。なので、シラーさんの「戦 死」を聞いた時、シオンに対して「あなたがいつまでもウダウダしてるからこんなことになったじゃないか」的な気持ちを持っていた…という裏設定がありま す。 ちなみにハビパラアモ以外の黄金聖闘士は、シオンがシラーさんに甘い理由は「シラーの父がグラード財団と繋がりがあり、蟹座の適性を持つ者が他にいないからシラーを失いたくないんだろう」と考えています。 そしてこの時点での黄金聖闘士達とシラーさんの仲と言うか距離感など。 シラーさんのスタンスや価値観を理解し認めてもいて仲が良い→ハビさんパラさんデスマスク。シラーさんの内面の弱さや、心の奥底に沈めている優しさに気付いている シラーさんのスタンスや価値観を理解し認めてもいるし比較的好意的だが仲が良い程ではない→アモさん シラーさんのスタンスや価値観を理解し認めてもいるがビジネスライクな付き合い→フドウ貴鬼ミケさんイオニア シラーさんのスタンスや価値観が理解できないわけではないが本人含めて受け入れられない→時貞ソニア スタンス価値観本人のキャラ全てを受け入れ拒否→玄武君(好きと嫌いは表裏一体なのだ) |