死 刑執行人の沈鬱


 艶めく黒髪が風にふわりと舞い、くっきりと黒い睫毛に縁取られた黒曜 石の目が柔らかな光を孕む。
 色々な諸々の事情があって女神の姿で地上のマニゴルド宅を訪ねた異世界のタナトスは(今日はちゃんと事前にアポを取ってある)、玄関の 『MANIGOLD』の表札を確認して呼び鈴を押した。
 ピンポーン。
 …と。
 わん、わんわんわんわん!!
 犬の鳴き声が聞こえてタナトスは目を丸くした。
 マニゴルドの奴、犬を飼い始めたのか?と怪訝に思っていると、慌てたような足音が聞こえてガチャリと鍵が外されドアが開いた。

「わんわんわんわんわんわん!!」
「っあー騒ぐな吠えるな落ち着けイギー!ほらタナトス様、さっさと中に入ってくれ、コイツが脱走したら大変だ!!」
「あ、ああ」
「わん!わんわん、わううぅぅう!くんくんくん!!」

 タナトスが玄関に入るなり、ブサカワ顔で白黒ツートン模様の犬が短い尻尾を千切れんばかりに振りながら足に纏わり付いてきた。
 たちまちタナトスは相好を崩して犬に手を差し出して、じゃれる犬を撫でたり手を舐めさせたり始めた。そんな死神と犬の姿にマニゴルドは感心半分呆れ半分 の溜息をついた。

「何だよコイツ。俺に会った時はワンワンワンワン吠えながら飛び掛ってきたくせにタナトス様にはメロメロに甘えやがって。やっぱシラーの飼い犬ってことな のかね」
「シラー?この犬はシラーの犬なのか?」
「ああ。奴が任務に行ってる間に犬を安心して預けられる奴がいないらしくてよ、仕方なく俺が預かることにしたんだ。とりあえず部屋に入れよ、詳しいこと話 すから」

 犬を抱いて居間に入った女神タナトスは、毛布が敷かれた犬用ベッドや犬用の玩具やトイレシートや水の容器が置いてあるのを見て目を細めた。『仕方なく』 と言いながらマニゴルドはきちんと後輩の犬の面倒を見ているらしい。
 冷蔵庫から飲み物を出してきたマニゴルドは、シラーから預かったブサカワわんこ『イギー』について話し始めた。
 そもそもの発端はこの世界のタナトスだ。妙に日本のオタク文化を気に入っている死神が『これは人気があるだけあってなかなか面白い漫画だぞ』とシラーに 勧めた作品にイギーと言う名前の犬が登場していたらしい。勧められた漫画を読んで『犬(ボストンテリア)のイギー』をいたく気に入ったシラーは、あちこち のペットショップを回り友人知人のつてを頼って、漫画に登場したのとそっくりのボストンテリアを見つけて飼い始めたのだそうだ。
 マニゴルドはコーヒーを啜りながらぶつくさと続けた。

「そのクソ犬、俺に初めて会った時に何したと思う?顔面にしがみついて俺の髪を毟り抜きながら屁ぇかましやがったんだぜ!てめぇの犬が先輩に無礼を働いて るっつーのににシラーの奴、『漫画のイギーも同じ事するんだよ』って笑ってるだけでよー。飼い犬の躾くらいちゃんとしやがれってんだ、畜生!!」
「俺にはそんな無礼はしなかったぞ。なぁ、イギー?」

 わうっ!
 タナトスがニコニコ笑いながら頭を撫でると、イギーは尻尾を千切れんばかりにピルピルと振ってタナトスの頬をペロペロと舐め始めた。

「ちゃーんと相手を選んでるのがまたムカつくんだよな。そのワン公、俺や牛には無礼なくせにタナトス様や玄武には普通に尻尾振ってじゃれに行くんだぞ?」
「イギー」
「『甘えてじゃれる相手と遊ぶ相手を区別して何が悪い』と言っているぞ」
「それっぽい通訳すんな!へこむじゃねーか!」
「いいではないか。イギーがいれば、マニゴルドも俺と二人きりで間が持たずに困ると言うこともあるまい?」
「ん、まぁ、な…」
「さぁイギー、俺と朝まで遊ぼうではないか!」
「イギッ!」
「はぁ…マジで泊まってくのな、タナトス様…」

 タナトスの耳には入らないことは承知でマニゴルドはボソッと呟いた。
 女神状態でこの世界を訪れた異世界のタナトスが、この世界のタナトスに要らない気を使ってマニゴルドのアパートに泊まりに来るのはこれで二度目だ。元と は言えマニゴルドも聖闘士なので、『一度見た技は二度と通じない』…ではないが、一度体験すれば二度目からはきちんと対応できる。今回は事前のアポがあっ たので準備も万全だ。布団も借りたし、出前を取る為のチラシもあるし、最低限の食事を作れる材料は買ってきたし、風呂やトイレも掃除を済ませたし、暇つぶ し用のゲームや本やDVDも用意した。シラーがイギーを預けに来たのも間を持たせられるという意味では有難かった。懐かれてみればそれなりに可愛いし、大 好物であるコーヒー味のガムを出せばイギーはマニゴルドの言うことを聞くし、イギーを酔わせておとなしくさせる最終兵器マタタビも預かっている。猫ならと もかく犬が何故マタタビで酔うのか謎ではあるが、コーヒー味のガムが大好きな時点で突っ込むだけ無駄だ。タナトスがしばしば巨蟹宮に寄ってはイギーに芸を 仕込んでいたので、神様パワーの影響でも受けたのだろう…とマニゴルドは推測している。
 …マニゴルドは頬杖を付いて、イギーと遊んでいる女神タナトスを見遣った。
 明日の午前中にはこの世界のタナトスが異世界のタナトスを、任務を終えたシラーがイギーを迎えに来る。つまり、一日足らずの時間を乗り切れば平和な日常 が戻ってくるということだ。

(前に女神タナトス様が来た時はパニくってシラーを呼んだせいで合宿になっちまったけど、今回は誰かが突撃訪問して来る予定もねーし…。ま、明日の朝、ガ キに戻ったタナトス様の腹ダイブで起こされる覚悟だけしとけば十分だろ。いくらタナトス様が女神状態とは言え、『ナニか』なんて起きるはずねーしな)

 …もしこの場にシラーがいてマニゴルドの台詞を聞いていたら、彼はきっとこう言っただろう。
『それってフラグ発言だよ、先輩』





 …翌日。




 異世界タナトスを迎えに来たこの世界のタナトスと、愛犬イギーを迎えに来たシラーは、部屋の片隅で膝を抱えているマニゴルドの姿に微妙な顔になった。マ ニゴルドの周囲にはどよーんとした空気が流れ、頭上には暗雲が立ち込め、頭にはキノコが生えているように見える。何があったのか尋ねることすら憚られる雰 囲気に死神と蟹座は困惑顔を見合わせた。異世界のタナトス(ちなみにまだ女神の姿である)も、イギーを抱いて何とも困った顔をしている。
 銀髪タナトスは黒髪タナトスとシラーを隣の部屋に連れて行くと、マニゴルドには聞こえないようにそっと囁いた。

「おいチビ助、マニゴルドに何があったのだ?」
「ひょっとして先輩の彼女が急に訪ねてきて、タナトス様を見て何か勘違いしたとか…」
「そんな分かりやすい理由はないぞ。何故マニゴルドが落ち込んでいるのか、俺にもさっぱり分からぬのだ。昨夜、寝る前までは至って普通だったのだが…」
「では起きた後に何かあったのか?」
「うーん」

 女神タナトスは可愛らしい眉を寄せて首を傾げると、トロンと眠たそうな顔をしているイギーの前足を摘まんで撫でながら口を開いた。

「それも覚えていないのだ」
「覚えていない?」
「『心当たりがない』ではなく…ですか?」
「うむ。今朝はイギーにじゃれ付かれて目が覚めてな。しばらく静かに遊んでいたのだが、イギーが部屋を走り回って遊び始めたから、うるさくしてマニゴルド を起こすのは悪いと思ってマタタビを出したのだ。そこまでは覚えているのだが、マタタビの匂いを嗅いだ途端に酒に酔った時のように頭がぼんやりして…気が 付いたらマニゴルドが膝を抱えてへこんでいて、何を聞いても『俺の女運は何でゼロなんだ…俺に彼女さえいれば…』とウワゴトのように呟くだけなのだ」

 女神タナトスが困惑顔で言った言葉に、銀の死神と赤い蟹も釣られたように困惑顔になった。
 マニゴルドの呟きからして、彼がへこんでいる理由は自身の女運ゼロ運命に関わることらしいとは察しがつく。が、異世界のタナトスが酔っ払って理性のタガ が外れたとは言え、マニゴルドをあそこまでへこませることを言うとは考えにくい。仮にタナトスが惚気話を延々したところで、マニゴルドは嫉妬や呆れはして もへこみはしないだろう。
 前代未聞の事態にシラーも心配そうな顔になってイギーに声をかけた。

「ねぇイギー。君は何か見てないかい?」
「アギ」

 イギーは女神タナトスの手からするりと降りると、胡坐をかいていたシラーの足の間に顔を突っ込んで鼻をクンクン言わせ始めた。
 その姿にシラーは苦笑して愛犬を抱き上げた。

「…やっぱり犬の君に聞いてもダメか」
「クゥーン」
「仕方があるまい。ここに長居しても問題が解決するとは思えぬし、我々は引き上げた方が良かろう。ヒュプノスも待っているし、冥界に帰るぞ、チビ助」
「そうだな。…ではシラー、後のことは頼む。マニゴルドがへこんでいる原因が分かったら教えてくれ。何か協力できるならしたいのでな」
「畏まりました」

 


 …タナトス達を見送ったシラーがイギー関連の物を片付けていると、マニゴルドが少しだけ顔を上げて声を出した。

「…なぁ、シラー」
「何、先輩」
「俺に彼女が出来たらさ、俺は欲求不満こじらせてインビな夢を見ることはなくなるよな?」
「え?あ…ああ、うん、多分、そうだろうね」

 彼女が出来たら逆に具体的なインビな夢を見るんじゃないの…と、普段のマニゴルド相手なら可愛くない発言のひとつもしただろう。しかし、尋常ではないへ こみ方をしている先輩に冷たい言葉を返すのは気の毒な気がして、シラーは曖昧に頷いた。
 シラーの同意を聞いたマニゴルドはまた少し顔を上げて声を押し出した。

「俺に彼女が出来たらさ、あのタナトス様も俺の家に泊まりに来るのは遠慮するよな?」
「…間違いなく遠慮なさるだろうね」

 マニゴルドの二つの質問で『今朝、彼の身に何があったのか』を薄々察したシラーは迷わずキッパリと答えた。
 恐らくマニゴルドは『インビな夢』とやらを見ていて、その夢の刺激に体が正直に反応しているところを女神タナトスに見られたのだろう。ひょっとしたら何 かコメントもされたのかもしれない。どちらにせよ、マニゴルドにして みれば人生最大級レベルの恥ずかしさだったことは想像に難くない。マタタビで酔っていたというタナトスが何も覚えていないのが不幸中の幸いというところ か。
 …シラーの推測は概ね合っていた。ただ、コトの一部始終を見ていたイギーがシラーの質問にきちんと答えていたことに気付かず、肝心要メインの部分まで推 測できなかっただけだ。推測できていたらそれはそれでオオゴトになった可能性が高いので、この場合は気付かなかったことが『正解』だったのだが。
 女運に恵まれている(と、マニゴルドは思っている)シラーが自分の言葉を肯定したことで、少しばかり気持ちが軽くなったマニゴルドは顔を上げてシラーを 見た。

「なぁシラー。女運ゼロ運命の俺が女にモテるようになるにはどうしたらいい?マジで教えてくれ」
「…………。女性相手のNG発言とかNG行為をしないように気をつけて、出会いのチャンスを増やせば何とかなるんじゃないの」
「俺、そんなにNG出してるか?」
「そうだね。って言うかほとんどNGしか出してない」

 後輩の言葉がグサッと心に突き刺さったが、マニゴルドは必死に踏みとどまった。
 良薬口に苦し、ためになる言葉は耳に痛いものと相場が決まっている。ズバッと本当のことを言ってくれる奴がいるならそのアドバイスには素直に耳を傾ける べきだ。と、お師匠も言ってた。
 一度大きく深呼吸してマニゴルドは真剣な目をシラーに向けた。

「そっか。じゃあその、俺が出してるNGを具体的に教えてくれるか」
「厳しい意見に真剣に耳を傾けようなんて…本気なんだね、先輩。OK、じゃあ僕も君の本気に敬意を表して遠慮なくストレートに行くよ」

 …シラーの情け容赦ない指摘と突っ込みとダメ出しのオンパレードに、頭からキノコを生やしたマニゴルドが体育座の聖闘士になるのはしばらく後のことにな る。


END


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達
地下室


  コラボでご一緒している蝶様と、ツイッターでお話しているうちに出て きた「マタタビで酔ってしまった蝶様タナ様が、夢見心地でアレしているマニさんにお 腹ダイブ+口でモニョ…」ネタSSです。蝶様が漫画を描いて下さると聞き、打ち合わせと言う名の萌えトークをしているうちにテンションがあがって一気に SSにしてしまいました。このSSには年齢制限描写はありませんが、蝶様の作品がR-18ですのでR-18扱いになっております。
 さて、シラーさんがイギーという名前のボストンテリアを飼い始めたというネタは漠然と考えていまして、このSSで大まかな経緯を解説しました。タナトス が勧めた漫画は勿論『ジョジョ』です。イギー可愛いよイギー。現実の犬にガムを与えるのは多分NGだと思いますが、これはフィクションですので例によって その辺はナァナァでお願いします。ちなみにイギーに関する記事は、ピクシブはこちら。ニコニコはこちら。ボス トンテリアはこ ちら
 好きな人に会った時のイギーの行動は実家のワンコを参考にしました。尻尾をぶんぶん振りながら足にじゃれついて、『抱っこして!撫でて!』と言いたそう にニコニコしながら前足でバリバリ引っかくのです。相手をしないわけにはいかないほど可愛いです。人が寝ていると顔の上に乗って来ます(実話)。元気な犬 が遊ぶ時の走り回りっぷりと言ったらそれはもう、弾丸のようです。