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「バレンタインはいるか」 不意に尊大な声を掛けられて振り向いたラダマンティスは、声の主が誰か把握するのにコンマ数秒かかった。 プリントTシャツにフード付きのパーカー、ブルージーンズに足元はショートブーツ、そして野球帽のようなキャップを被ってついでに後ろ髪を無造作に括ったその男は、泣く子も黙る双子神の片割れタナトス様である。 ああそうか、また地上にお出かけだったのだな。それにしても小宇宙を押さえていてこの格好ではぱっと見誰か分からんな、うっかり無礼な事を言ってしまいそうで危険な気がするな、冥界に戻ったら攻めて小宇宙だけでも解放してくれるように頼んでおこうか…。 一瞬でそんな事を考えつつ、ラダマンティスは作業の手を止めて膝を折り傅いた。 「バレンタインは本日お休みを頂いておりますが」 「連れて来い。今すぐだ」 神様にとっては人間の休日など知ったこっちゃないという事か。 せっかくの休日を、よりによって死神様に呼び出されて潰される部下を気の毒に思った時。 「ヘカーテ様直々に、バレンタインをお呼びだ」 「え?…は、ハッ。直ちに呼んで参ります」 何故ヘカーテがバレンタインを名指しで呼び出すのか怪訝に思いつつ、ラダマンティスは急いで部下を呼び出した。 …バレンタインは何故呼び出されたのか分かっていない様子で、緊張で青ざめつつラダマンティスに連れられて来た。 タナトスは何も説明しないまま、着いて来い、と一言命じてさっさと歩きだした。 「あ、あのう、タナトス様」 「何だ」 「ヘカーテ様はいったいどのようなご用件で私をお呼びなのでしょうか」 「俺が知るか」 バッサリ。 一言で切り捨てられてバレンタインはますます青ざめた。タナトスが不機嫌でなさそうな事だけが唯一の救いである。 (俺、あの女神に目を付けられるような事、何かしたっけ?マウスパッドも普通に受け取ったし、特に失礼な事をした覚えは無いんだけど…) 明らかにビクビクしている冥闘士に死の神は同情交じりの目を向けた。 「まぁ、そんなに案ずるな。ヘカーテ様に呼び出されたとて、神殿にはエリスもいる故な、悪くしても押し倒される程度ですむであろう。いきなり取って食われる事は無いと思うぞ。…多分な」 「はぁっ!?押し倒されるって…ええっ??それと多分って何ですか!?俺、一体あの方に何をしたって言うんですか!!??」 「あの方の考える事は俺にも分からぬ。…さ、神の道を通るぞ。これを付けろ」 「………」 あわあわしながらバレンタインは差し出された通行証を受け取って腕に巻いた。 …頭が混乱したままタナトスに連れられて神の道を通ってエリシオンに到着したバレンタインは、初めて目にする神の御所に感動する暇もなく、目の前に現れた三つ頭の犬にぎょっとした。 タナトスは三つ頭の犬をぽんぽんと叩いて地面に伏せさせた。 「乗れ」 「はっ?」 「ケルベロスに乗れと言ったのだ。後はこいつがヘカーテ様の神殿までお前を運んでくれる」 「ええっ?私ひとりでですか?タナトス様もご一緒では…」 「お前一人を寄越せとヘカーテ様のご命令だ。仕方有るまい」 「えええ…」 ちょ、マジで怖いんですけど。 縋るような目を向けてみたものの、死神様はビクとも表情を動かさない。 どうにもこうにもならないと察したバレンタインは半分魂が抜けたまま巨大な犬の背によじ登った。 「では頼んだぞケルベロス。こいつを運んだ褒美はエリスかヘカーテ様から貰うが良い」 三つ頭の犬は死神に鼻面を擦りつけて身軽に飛び立った。 ヘカーテ神殿に到着したバレンタインが近くにいたニンフに用件を告げると、中に入るように促された。 …恐る恐る神殿に足を踏み入れてニンフに案内されるまま廊下を進むと、甘い匂いが鼻をくすぐった。 (この匂いは…チョコレートか?) そんな事を考えていると、ひときわチョコの匂いを漂わせる部屋の前でニンフが立ち止まった。 どうやらここがヘカーテとエリスの待つ部屋らしい。 バレンタインは意を決して扉を叩いた。 「ワイバーンのラダマンティス配下、ハーピーのバレンタインにございます」 「はいはーい、いらっしゃーい」 妙な抑揚をつけた声と共に扉が開いてエリスが顔をのぞかせると同時に、チョコの甘い香りがふわっと広がった。 …彼女の服装に、バレンタインは自分が何故ここに来たのかを忘れかけた。 胸元に大きなリボンがついて、ミニスカートの裾に控えめなフリルが付いた可愛らしいデザインのメイド服。白いニーソックスに絶対領域、ついでに頭にはカチューシャが付いている。 何だ、一体なんだ。何がどうして女神がメイドのコスプレなんてしてるんだ。 混乱する頭で部屋に入ったバレンタインはヘカーテの姿に二度目の絶句をする羽目になった。 ボタンのたくさんついたブラウスに裾の長いスカート、糊のきいた白いエプロンというメイドコスはむしろ、普段の目の毒だか保養だか分からない格好よりある意味マシだ。しかし何故、頭にくっついてるのがカチューシャではなく猫耳なのだ。いや、可愛いし似合ってるけど。 混乱して挨拶も忘れて棒立ちのバレンタインに、ヘカーテはにっこりと笑って見せた。 「ようやく来たか。お前がバレンタインだな?」 「は…はい」 「私達がお前を呼んだのは他でもない、重要な任務を与えるためだ」 「ハッ」 …メイドコスした女神がチョコを作りながら与える重要な任務って…まさか。 嫌な予感をビシビシ感じる彼に、女神達は悪戯心たっぷりの微笑みを見せた。 「バレンタインのチョコ配布イベントを手伝って貰うぞ、バレンタイン!」 「………」 やっぱりか! つーかそんな一発ギャグの為にわざわざ休日の俺を呼び出したんか!! と、内心で思ったものの。 相手は冥王ハーデスに次ぐ神格と実力を持つ女神様だ、逆らうなど天地がひっくりかえっても有り得ない。 部屋の一角に山と積まれた手作りらしいチョコを横目で見て、かしこまりました、と頷くしかなかった。 …つか、こんなことならあの双子神やら夢の四神の手を借りればいいだろうに。大体、冥闘士の皆だって俺が包んだチョコなんて貰っても有難くないだろうよ。一応、中身のチョコは女神様のお手製らしいけど…。 そんな事を思いながら黙々とチョコをラッピングしていると、目の前にコーヒーが差し出された。女神様おてづからの一杯である。 「あ…ありがとうございます」 「お前はブラック派か?それとも砂糖やミルクを入れるのか?」 「えーと…」 「ちょいちょい、違うよヘカーテさん。そこは『砂糖やミルクをお入れしますかご主人様?』って言わなくちゃ」 「ああ、そうか」 「いいいいいえいえいえいえ!!とんでもございまままません!!!」 ヘカーテ様にコーヒーを淹れてもらっただけでも恐れ多いのに、そんなセリフまで言わせたとタナトス様にばれたらタダでは済まない。 そう思ったバレンタインは慌ててカップを受け取って自分でミルクと砂糖を入れた。 メイドの役目を逃したヘカーテは少しがっかりした風だったが、気を取り直したようにチョコの箱を二つ持ってきてバレンタインの前に置いた。 ひとつはプロが造ったと分かる品物で、もうひとつはいかにも素人お手製という出来だ。 「?」 「両方食べてみろ。ああ、毒や薬は入っていないから安心するが良い」 「は…では失礼して」 勧められるままバレンタインは箱からチョコを一粒ずつ摘まんで口に入れた。 プロ作らしいと思ったチョコは感動するほど美味だ。素人っぽい方は、流石にプロには劣るがそれでもなかなかの出来である。 「どっちが美味であった?」 「私は、こちらかと」 正直にプロ作らしいチョコを指すと、ヘカーテはうーんと唸った。 何かまずい事を言っただろうかと心配していると、彼女は複雑な顔のまま質問を重ねた。 「では…こちらがプロの造った市販品、こちらが彼女の手製品だったら、お前はどちらのチョコが欲しい?」 「………」 バレンタインは目をぱちくりして、ああそうか…と納得した。 双子神も夢の四神も呼ばず、わざわざ冥闘士の自分を呼び出したのはそういう訳だったのか。 バレンタインはにこりと笑った。 「それは勿論、彼女お手製のチョコですよ」 明けて翌日、2月14日。 エリスとヘカーテはバレンタインに山のようなチョコを持たせてメイドコスで冥闘士達にチョコを配って歩いていた。 …ちなみに双子神と夢の四神も嘆きの壁まで呼び出されていたのだが。 袋の底に残っていた(バレンタインがラッピングした)チョコをタナトスにドヤ顔で渡すヘカーテを、バレンタインは凄まじく微妙な顔で見ていたらしい。 |
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