それが大事

 夜神月・弥海沙の二人の拘束を終了する許可を出した竜崎の背中は、普段よりも元気がないように見えた。しきりに爪を噛みながら部屋の中を落ち着きなく歩き回っている。
 自分の推理が外れた事がことがよほどショックだったのだろうか。どちらにせよ、月が白だと言う結論に竜崎が納得していないのは間違いなかった。
 松田は竜崎のことが心配でたまらなかった。どう言葉をかけるべきかを決めあぐねて彼を目で追う事しか出来ずに突っ立っていると。

「…松田さん、どうかしましたか?」

 竜崎が視線を松田に向けた。
 不意に声をかけられてうろたえながら、松田は適当な言葉を探した。

「あ、いえ、その…竜崎、推理が外れて…あのぅ…残念だったけど、月君がキラではなくてよかった、ですね」
「…………」
「月君は、竜崎の友達ですもんね」
「ええ、そうですね」

 短く答えて竜崎はどさりと椅子に身体を投げた。
 テーブルの上に用意されていたチョコレートを無造作に口に入れて、ポットの紅茶をカップに注ぐ。

「月君を拘束する時までは彼は限り無く黒に近かった。状況証拠もありましたが…それよりも、私は彼に『何か』を感じていました、とても強く。…ですが、今の彼からは何も感じない…」
「何か…ですか」
「私に依頼される事件と言うのは警察が手に負えない難事件のことが多い。容疑者は何人かいるものの、決定的な物的証拠に乏しく犯人を絞り込めない、という ような事件です。私はそう言う事件の解決を依頼された時は、データを元に容疑者を絞り込み、絞り込んだ人物が犯人だと言う前提で捜査を進めて来ました」
「…………」

 竜崎は珍しく饒舌だ。何か意見を求めているのかも知れないが、竜崎が求めるようなレベルの高い意見を述べる自信がなかったから、彼は黙って話を聞く事にした。

「はっきり言えば勘です。私の直感です。直感で犯人を特定してから証拠を探す、その方法で今まで全ての犯罪に勝利して来たのです。だから、今回も私は自分の勘を信じていた」

 たっぷり角砂糖を溶かした紅茶を混ぜる手が止まった。竜崎の目は琥珀色の液体に注がれたままだ。

「私の直感は黒だと言っているのに、それ以外の全てが白だと言っている。こんな事は初めてです…」
「…………」

 苛立ち。戸惑い。落胆。動揺。
 全ての犯罪に勝利して来た警察の切り札の誇りが揺らいでいる。
 なんとかして竜崎を力付けたい。しかし、月の白が証明された今、彼の潔白を訴えて来た自分がどうやって?
 松田の気持ちが空回りしているのを知ってか知らずか、竜崎は不意にカップをソーサーに戻して立ち上がった。

「松田さん」
「は、はい?」
「ちょっと出かけて来ます」
「え?どちらに?」
「分かりません」
「分かりませんって…ええっ!?」
「気持ちの整理がついたら戻ります」

 そう言われては引き止める事は出来ない。松田は黙って見送るしかなかった。

 


 ホテルの部屋を出た竜崎はイライラした足取りでエレベーターに向かった。
 月は白だ、認めざるを得ない。自分の推理は外れたのだ。
 しかし、どうしても納得できない。少なくとも拘束を始める前の月はキラだった。それが拘束している間にキラではなくなってしまった、というのが一番しっくり来る。

(そんな馬鹿な)

 頭をよぎった考えを竜崎は即座に否定した。
 いくら自由を奪われて厳重な監視下に置かれたとは言え、それが原因で罪の意識と記憶をきれいに無くすなんてことがあってたまるか。
 分からない事ばかりだ…。
 エレベーターに乗り込んでロビーのあるフロアのボタンを押した。ゆるゆるとおりるエレベーターの壁はガラス張りになっていて、はるかな町並みが見渡せた。

(…私は何をしたいんだろう)

 竜崎は爪を噛みながら考えた。
 誰かの意見を聞きたい。私をLだと言う事を知らない、信用のおける誰かに、忌憚のない意見を。
 その条件にあてはまる人物は一人しか思い付かなかった。
 エレベーターを降りると竜崎は携帯を取り出して秋乃に電話をかけた。3回のコールの後に聞き慣れた声が答えた。

『はい、秋乃です』
「秋乃さん、申し訳ありませんがホテルTまで来てくれませんか」
『分かりました。どのケーキをお持ちしましょうか?』
「いえ、ケーキではなくて…私を迎えに来てほしいんです」
『……わかりました、10分ほどで着くようにしますね』

 秋乃の声は多少不思議そうな響きがあったが、何も聞かずに承知してくれた。その彼女の心遣いに感謝しながら竜崎はホテルのフロントに向かった。
 …そして15分後、竜崎は秋乃の車の助手席に乗っていた。
 そう言えば、女性と二人きりで車に乗るのは初めてだな。
 竜崎が少しだけ緊張していると、ハンドルを握る秋乃が口を開いた。

「どこへ行きますか?」
「お店は…今日は普通に営業しているんでしたっけ」
「はい」
「うーん…」

 キラ事件に関係のない人間の意見を聞きたくて発作的に彼女を呼び出してしまったけれど、どこに行くかまでは全く考えていなかった。

「ちょっと悩んでいる事がありまして…秋乃さんの意見を聞きたいのと…スカッと気分転換したいと言うか…」
「それじゃお店に来ますか?」
「できれば人の目や耳がないところがいいんですが」

 曖昧かつ正直な今の気持ちを告げると、秋乃の口から意外な言葉が出て来た。

「じゃあ、私の部屋に遊びに来ませんか?」
「は?」

 彼女の言葉にさすがの竜崎も目を丸くした。
 若い一人暮らしの女性が(まだ昼間だとは言え)恋人や家族でもない男と部屋で二人きりと言うのは少々問題ではないか、という程度の考えは竜崎も持っていた。
 そんな竜崎の戸惑いを知ってか知らずか、秋乃は楽しそうに続けた。

「実は最近、面白いゲーム買ったんですよ。でもあれ、一人でCPUを相手に闘うより誰か他の人と対戦した方が楽しいんですよね」
「はぁ」
「友達とはなかなか都合が合わなくて不完全燃焼気味だったんです。せっかくだから竜崎さんにお相手してもらおうかな」
「はぁ…」
「…気が進みませんか?」

 生返事しか返さない竜崎に、秋乃はちょっと残念そうな顔を向けた。
 そういうわけでは…とはっきりしない返事をして、竜崎はちらりと秋乃の横顔を見た。

「いえ、一人暮らしの女性の部屋に私がお邪魔していいのかな、と…」
「何か問題がありますか?」

 きょとんとした顔で尋ねられては『あります』とは言いにくい。いや、もちろん竜崎だって『問題』になるような行動をする気は全くないのだが…彼女の部屋 に遊びに行ったと言うだけで捜査本部の人間にまたあらぬ誤解を抱かれそうだ。かといって彼女の部屋以外にちょうどいい場所も思い付かないし…。

「…では、お言葉に甘えて秋乃さんのお宅に遊びに行きますか」
「了解です!うふふ、久しぶりに対戦ができるから楽しみですよぉ〜」

 秋乃は嬉しそうにハンドルを切った。
 …ひょっとしたら彼女の作戦にはまってしまったのかな。
 住宅街の小道に入った車の中で、竜崎はちょっとだけ後悔していた。




 よかったらどうぞ、と出されたスリッパに竜崎はぎこちなく裸足の足を入れた。

「…おじゃまします」
「はい、どうぞ。今お茶を用意しますからちょっと待ってて下さいね」

 リビングに通された竜崎は多少緊張しながらソファに腰を降ろした。失礼にならない程度に部屋を見回す。
 良く言えばシンプルにまとまった、悪く言えば少々殺風景な部屋だった。家具はほとんどが白と茶でまとめられ、余計なものは何もない。ソファの上に置かれた黄色いクマのぬいぐるみとTVの上の小さなサボテンだけが、ここが女性の部屋だと言う事を控えめにアピールしていた。

「お待たせしました」

 アイスティーとお手製のパフェを乗せたトレイを持って秋乃が戻って来た。

「何だか悪いですね、気を使わせてしまって」
「いいえ、全然そんなことないですよ」
「このパフェは…試作品ですか」
「はい、竜崎さんに好評でしたらお店で出してみようと思って」
「なるほど」

 竜崎はパフェを口に含んだ。ふわりとしたクリームが淡く溶けたあとに濃厚なバニラアイスが広がった。舌に感じるその甘さと冷たさが頭をすっきりさせてくれる。
 頭に血が登っていたんだな、と自覚せざるを得なかった。
 竜崎はにこりと微笑んで秋乃を見た。

「とてもおいしいです」
「ほんとうですか?良かった、嬉しい」

 当たり障りのない会話。竜崎が悩みを聞いてほしいことは知っているはずだが、秋乃は自分から話を切り出す様子はなかった。
 相手が話さない事は自分から尋ねる事は決してしない。話してくれた事はしっかり受け止める…彼女はそう言う人だ。
 だから、私は。
 紅茶のお変わりを入れてもらいながら、竜崎はそっと口を開いた。

「秋乃さんには以前お話しましたよね。私の職業のこと」
「はい。『正義の味方だ』っておっしゃってましたね」
「実は私は、警察からも協力要請を受けることがある私立探偵です」

 秋乃は目を見開いたが、何も尋ねずにうなずいて先を促した。

「それで、ですね…いくつもの事件に関わって何人もの犯罪者と接していると、第六感のようなものが鍛えられていくんです。容疑者達のデータや行動を見ていると何となく分かる。『この人物は怪しい』と感じるようになるんです」
「はい」
「私は今まで、決定的な証拠や証言のない事件の解決を依頼された時は自分の直感を信じて行動して来ました。直感で『怪しい』と感じた人物こそ犯人だという前提で捜査をするんです。そのやり方で今まで全ての事件を解決して来ました。…ですが」

 竜崎は言葉を切った。
 絡まった糸のような心を解きほぐすように言葉を続ける。

「ですが、今回依頼された事件では私の直感が外れました。数人いた容疑者の一人に私は強く何かを感じました。だからこの人物こそ犯人だと信じて行動して来た…しかし、その人は犯人ではなかった。私が、私自身がその人の潔白を証明したのです」
「…………」
「その人からは、二ヶ月ほど前までは確かに何かを感じました。ですがここ最近は何も感じなくなってしまった…まるで、その人の中から罪の記憶と意識がきれいになくなってしまったかのように…。そんなこと、ありえないのに」
「…………」
「私の直感に頼った推理は外れた。それが客観的な事実です。こんなことは初めてです。こんなことは…。私はこれからどうしたらいいのか、気持ちの持って行き方が分からなくなったんです」
「竜崎さんも、迷う事があるんですね」

 秋乃の穏やかな声がした。
 竜崎はそっと彼女の顔を見た。優しく包み込むような笑顔が見える。
 ポツリと呟くように言葉を返す。

「私だって人間ですから」
「そうですね」

 秋乃がアイスティーに差したストローをクルクル回すと、氷がグラスにぶつかって涼やかな音を立てた。

「竜崎さんは、その人が潔白だと言う結論に納得していないんですね」
「はい」
「それでいいんじゃないかしら」
「え?」

 意外な返事だった。
 てっきり、自分のミスを認めて新たな気持ちで再出発したらどうですかと言われると思っていたのに。
 彼女は微笑んでいる。

「竜崎さんが『この人は黒だ』と思うのなら、自分の直感を信じてその人が犯人だと言う証拠を探し続ければいいと思います」
「でも…その人の潔白を証明したのは私ですよ?」
「でも、納得していないんでしょう?」
「そうですが、その人の白は客観的に証明されたんです」
「だから?」

 秋乃は小首を傾げてみせた。
 だから?
 だから何なのだろう、私は。
 竜崎はパフェを食べる手を止めて秋乃の顔を見つめた。

「客観的に無実だと証明されたとしても、迷惑をかけない範囲で、なら…個人的にその人を疑って納得いくまで調べるのは竜崎さんの自由でしょう?」
「…………」
「納得できない『事実』を無理に受け入れるのは、いい結果には繋がらないと思います」

 秋乃の顔からは笑みが消えてとても真摯な色が見えた。
 黙り込んだ竜崎に、それに…と秋乃は続けた。

「竜崎さんが『この人が犯人だ』と思うのなら、きっとその人が犯人なんだと思います」
「…………」
「私は竜崎さんを信じています」

 何の衒いもなく言い切った秋乃は曇りのない笑みを浮かべていた。
 天使のようだと松田が讃えた彼女の笑顔が竜崎の心を包み込み癒してくれる。
 竜崎は少しだけ唇に笑みを乗せて尋ねた。

「秋乃さんが私を信じる根拠は?」
「勘です」
「いわゆる女の勘と言うやつですか?」
「そうですね。竜崎さんの直感ほどではないかもしれませんけど、結構当たりますよ」
「なるほど…。では、名探偵秋乃さんはどう推理しますか?私が怪しいと思った人物が、2ヶ月の間に変わってしまった理由を」
「そうですね…」

 竜崎の質問は冗談だったが、秋乃は真面目に考えている風だった。
 パフェを竜崎がきれいに食べ終える頃、秋乃は考え考え口を開いた。

「その人が、自分で自分に催眠術をかけたとか」
「催眠術?」
「はい。何かの言葉とか行動がきっかけで、自分の犯した罪に関する記憶だけが消えるように自己暗示をかけた…とか……」

 竜崎が真剣な目でじっと見つめるので、秋乃の言葉はだんだん小さくなっていった。彼女は少し顔を赤くしてぽそりと尋ねた。

「ちょっと…非現実的でしょうか」
「そんなことないですよ。なかなかいい着眼点だと思います」

 直接手を下さずに人を殺せるキラの能力に比べれば、自己催眠の方がはるかに信じられる。そしてまた何かのきっかけで記憶が戻る事があるなら、やはり監視を続ける意味がある。夜神がキラならば、彼はまだ目的を達していないのだから、失った記憶を取り戻そうとするはずだ。

「秋乃さん、ありがとうございます。おかげで気持ちがスッキリしました」
「それはよかった。お役に立てて嬉しいです」

 秋乃の優しい笑顔。
 自分を無条件に信じてくれる誰かがいる。その事実はこんなにも心を強くしてくれる…。
 彼女と話せて良かった。竜崎は心から秋乃に感謝した。
 自分を信じて捜査を続けよう。私を信じているのは、私だけではないのだから。
 竜崎の中で新たな決意が固まりつつあった。


蛇足


 
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