ともだち。
後編

 …夜神月。
 Lとして生きてきた竜崎の初めての友達であり、そして同時に…恐らく生涯最大の敵だった人間。
 夜神月は、キラは、殺人の証拠を何も残さなかった。だから竜崎は数々の状況証拠と己の直感を信じて彼を追った。彼を追ってのばした手は最後まで届かなかったが、皮肉な事に月が死んだことが大きな証拠になった。
 彼の死後1ヶ月もしないうちに犯罪者が心臓麻痺で亡くなる現象がピタリとやみ、同時に彼が死んだ翌日以降に報道された犯罪者が誰一人として『キラの裁き』を受けなかった事が竜崎の推理を裏付ける結果になったのだ。
 竜崎は『夜神月=キラ』と断定し、一連の事件は終わったと判断した。
 キラの死によって事件は終わったと、竜崎は世界中の警察を通して発表した。ただ、物的証拠が全くない事、被疑者が未成年だった事、あくまで被疑者であり容疑者ではない事を理由に夜神月の名前は伏せたまま。
 世間の反応は様々だった。素直に喜ぶ者もいれば、秘密裏にキラを抹殺した警察の嘘ではないかと疑う者もいた。そして、何故被害を広める前に、犯人が死ぬ前に逮捕できなかったのかと警察やLを糾弾する者もいた。が、大多数の一般市民は警察をねぎらい、Lの功労を称えた。
 キラの脅威は去り、竜崎はまた影の存在『L』に戻ったが、キラ事件の時に強い絆で結ばれた刑事達との交流は今も続いていた。…捜査本部長だった夜神を除いて。
 事件が終結した後、夜神は警察庁に辞表を出した。自慢の息子をなくしたことがよほどショックだったのだろうと、彼の辞職を疑う者は誰もいなかったことが 竜崎にとっての僅かな救いだった。たった一度だけ『今は事件とは無縁の職について静かに暮らしている』と連絡を貰ったきり、彼とは音信不通になっている。
 夜神月が全ての謎を抱いてこの世を去って明日で1年。

(あなたは最後まで私に何も教えてくれなかった。何一つ…。明日、あなたの墓前に立てば、あなたは私に何かを教えてくれるでしょうか)

 そこまで考えて竜崎は苦笑した。
 幽霊を信じていると言うのか、この自分が。彼の墓前に立って、かつての仲間と会い、彼の思い出話でもすればこの心も少しは軽くなると期待しているのか。
 …そういうのもたまにはいいかも知れないな。
 窓とカーテンを閉め、届けられた資料ともう一度向き合おうと部屋に戻った竜崎はふと目を凝らした。
 テーブルの上に無造作に積まれた資料の束。その上に、さっきまではなかったはずの黒いノートが乗っていた。

「……?」

 竜崎は恐る恐るノートを手に取った。真っ黒な表紙に白い文字で『DEATH NOTE』と書かれている。
 デスノート。死のノート?
 彼は怪訝に思いながら表紙をめくった。表紙の裏には『How to use』という文字とノートの使い方が書かれていた。

『このノートに名前を書かれた人間は死ぬ』
『殺したい人間の顔が頭に入っていないと効果はない』
『死因を書かなければ死因は全て心臓麻痺となる。死因を書いた後40秒以内に時間を書けば死の時間を操れる』

 (これは…!)

 竜崎の表情がこわばった。
 顔と名前だけで殺人を犯したキラ。
 心臓麻痺で死んだ犯罪者達。
 死の直前の行動を操れたキラ…。
 彼は呼吸すら忘れたように文字を追った。

『所有者は元持ち主の死神の姿や声を認知できる』
『所有者は残り寿命の半分と引き換えに、人間の顔を見るとその人間の名前と残り寿命が見える死神の眼球を貰う事ができる』

 キラと第2のキラが出した死神という言葉。
 顔だけで殺人を犯した第2のキラ。
 全てがこのノートに書いてあることと符号する。
 竜崎はこまごましたルールを読むのももどかしくページをめくった。使用方法が書かれたページが終わると、ぎっしりと人間の名前が書き込まれていた。最初に書かれている名前は『音原田九郎』…。
 飛びつくようにパソコンのマウスを握り、キラ事件のファイルを開いた。キラの最初の被害者、新宿の通り魔殺人事件の犯人の名前は、彼の記憶にある通り『音原田九郎』だった。
 竜崎の背中を冷たいものが走り抜けた。
 音原田の名前の下には『シブイマル タクオ』という人物の名前がいくつか書き連ねてあり、その下からはぎっしりと世界中の人間の名前が書かれていた。一つ一つ調べてはいられないが、キラに殺された凶悪事件の犯人の名前と思って間違いないだろう。
 数ページノートをめくったところで、竜崎の手が止まった。紙の一面一杯に『LIND.L.TAILOR』という名前が書き殴られている。
 かつて彼がTVを使ってキラに宣戦布告した時、身替わりに椅子に座らせておいた死刑囚だ。
 竜崎は眉間にしわを寄せて更にページをめくった。ノートの紙が何枚か切り取られたページを開いた彼は、苦渋の表情で唇を噛み締めた。見覚えのある夜神の文字。

『Raye=Penber 心臓麻痺  2003.12.23pm3時 パソコンを持って新宿地下街内の喫茶店「CAFEEL」の前を通った後、山手線に乗車し、その車両から降りた3秒後に死亡』

 やはりキラは…夜神月は、このノートを利用して殺人を行ってきたのだ。犯罪者も、FBIも。
 竜崎は震える手でノートを閉じ、表紙に額をつけるようにして椅子の上で身体を丸めた。
 その肩は細かく震えていた。
 目の前に突き付けられた現実。
 にわかには信じがたい事だが、死神は実在し、そしてなんらかの形で死神と接触した夜神月はこのノートを使って世界を変えようとした…。
 どれほどの時間そうしていただろうか。
 竜崎は顔を上げ、手にしたノートをまじまじと見つめた。1年間彼を苦しませ続けた謎は解けた。しかし何故、こんなものがここに…。
 何気なくパソコンの画面に目を向けた彼は、息が止まるほど驚いた。
 しばらく操作をしなかったせいで真っ黒になったモニター画面。そこに映っているのは、目を見開いた竜崎と、そして。
 竜崎は弾かれたように振り向いた。
 異形の生き物が笑う。
 …死神!!
 竜崎は瞬時に理解した。心臓は破裂しそうなほど激しく脈打っていたし、ノートを握りしめた手はじっとりと冷たい汗をかいていたが、頭脳は冷静に動いていた。
 『死神のノート』で殺人が行われたという現実を突き付けられた今、死神が目の前に現れたところで別に驚く事はない。それよりも考えるべきは、ノートを使ってもいない自分の前に何故死神が現れたか、だ。
 竜崎と死神は無言で見つめあった。
 言葉を失ったまま硬直している彼に、死神はふふ、と笑った。

「初めまして、かな?L」
「…………」

 竜崎は死神を凝視した。人とは懸け離れたその姿、しかし確かに面影はある。
 震える喉を叱咤して低く声を押し出す。

「夜神、君?」

 竜崎の言葉に死神はあからさまにがっかりした顔になった。

「なんだ、いきなりばれちゃったか。もう少し驚くかと思ったんだけど」
「十分驚いています」
「そうか?あんまりそうは見えないけど。…まぁいいや、せっかく友達が会いに来てくれたんだ、お茶でも出してよ」
「…リンゴも出しましょうか」
「頼むよ」

 皮肉はあっさりと流された。当たり前のような顔をして椅子に座り、捜査の資料を眺める『元』夜神月を横目で睨みながら竜崎は紅茶とケーキ、そしてリンゴを用意した。
 事件の資料をざっと見た『元』夜神は出されたお茶にお礼も言わなかった。

「これが松田さんの抱えてる事件?随分大変な事件を任されたもんだね、あの人も」
「…どうしてそれが松田さんの担当してる事件だと知ってるんです」
「友達に対してつれないなぁ、竜崎。リンゴも皮ぐらいむいてくれたっていいじゃないか」
「そもそも何をしにきたんですか、あなたは」
「そんなにいっぺんに聞くなよ。順番に説明するからさ」

 死神月はリンゴを一口齧ってふうっと息を吐いた。

「あれから1年か。早いもんだな」
「そうですね。結局あなたは私に何も教えてくれないまま逝ってしまった」
「だからこうして戻ってきたじゃないか」
「…やはりあなたがキラだったのですね」
「ああ。ちゃんと最初から話すよ」

 夜神は半分ほど齧ったリンゴを皿に戻した。
 …同じ事の繰り返しの毎日に飽きていた退屈な日々。デスノート、そして死神リュークとの出会い。彼の口から聞かされた死神の存在、死神界の意義、デス ノートの秘密。この世から犯罪者を一掃して平和な世界を作りたいと思った事。『L』との出会い。第2のキラ、弥海沙の出現。そして…あの日。
 竜崎は静かに尋ねた。

「あれは事故だったのですか。誰かに突き落とされたのですか。それとも自分で…?」
「どれでもないし、どれでもある」
「………」
「僕は道を見失っていた」

 死神ライトは紅茶に映った自分を見つめて呟いた。竜崎は静かに彼の次の言葉を待っている。

「どんなに犯罪者を裁いても犯罪はなくならない。Lは僕をどんどん追い詰めてくる。僕がやろうとした事は正義ではなかったのか。迷いが出始めたある日、僕のノートが消えた。『元』持ち主のリュークが持っていったんだ」
「…何故?」
「退屈を紛らわすために人間界に来たけど、面白くなくなってきたから死神界に帰ると。死神界の掟に反するからノートは返してもらうと…。僕はリュークを追いかけた。必死に追いかけて、やっと追い付いた場所があのビルの屋上だった」
「………」
「リュークは手すりを乗り越えて僕を手招きした。『ノートをもっと使いたいのならこっちに来いよ。きっと楽しいぜ』って。僕は手すりを乗り越えて、手を伸 ばしてリュークを捕まえようとした。どうしてだろうな…あの時は、自分が空も飛べそうな気がしたんだ。僕はただの人間なのにね…そして『人間の夜神月』は 死んで、『死神のライト』として生まれ変わった」
「『このノートを使った人間は天国にも地獄にも行けない』…ですか」

 夜神はうなずき、とても不愉快そうな…悲しそうな顔になった。

「死神界には人間界を見られる場所があって、僕はずっとそこにいて人間界を見てた。そして思った…僕が必死になってやってきた事はなんだったんだろうって」
「………」
「犯罪者の中には確かに同情の余地もない奴もいる。でも、本当にどうしようもない奴は巧妙でずる賢くて警察になんか尻尾を掴ませない。それに、世の中には 法の目をかいくぐって犯罪者よりずっと卑劣なことをやってる人間もいる。皮肉な事にそんな人間は国を動かす立場にいたりして、殺せば国が混乱して更に罪の ない人が死ぬ。どうしようもないジレンマだった…むなしかったよ」
「…できれば、あなたが人間であるうちに気付いてほしかった」

 そうすれば、私達は本当の友達になれたかも知れないのに。
 竜崎はそっと目を伏せた。
 月はそんな彼をじっとみながら静かに言葉を続けた。

「人間に絶望した次は、僕は死神界にも絶望した。死神界も人間界と大差なかった。死神達の上に死神大王っていうじいさんがいて、そのじいさんの下でみんな ダラダラ昼寝か博打をして過ごしてる。死神は基本的に死なないから、ある意味人間界以上に退屈な世界だった。…だから、僕は決めた。死神界を変えてやるっ て。僕にノートをくれたリュークと手を組んで、死神大王に対してクーデターを起こしたのさ」
「…それで、どうなったんです?」
「僕がここにこうしているのが答えだよ。生温い退屈な日常に飽き飽きしていたのはリュークだけじゃなかったんだ。ほとんどの死神が僕達に味方して、あっけ なくクーデターは成功、そして死神大王は交代してリュークが新しい死神大王になった。あまりにも簡単すぎて、また僕は退屈になってしまった…そしてゆっく りと今までを振り返って考えた。僕は何をしたいんだろう、って」

 言葉を切って月は微笑んだ。恐らく竜崎が初めて見る、穏やかで素直な微笑みだった。

「そして気付いた。竜崎と闘っていた日々は楽しかった…『初めての友達だ』って言われた時はすごく戸惑って、何を企んでるんだって疑ったけど…今思い出してみると、あの言葉は嬉しかったな、って」
「夜神君…」
「だから僕は、竜崎と一緒に正義のために闘いたい。死神になってやっと見つけた、僕の答えだ」
「………」
「死神とコンビを組んだ世界的名探偵ってカッコイイじゃないか。な、いいだろ竜崎?僕を相棒にしてくれよ。…友達だろ?」

 ともだち。
 そう、友達だ。
 初めての友達。
 人間であった時の月も竜崎を友達だと言っていたが、それは心からの言葉とは思えなかった。しかし死神となった彼の言葉は確かな重みを持って心に響く。
 竜崎の喉の奥がきゅっと熱くなった。思わず込み上げた熱い塊を飲み込み、何度も目を瞬いた。思わず浮かんでしまいそうになる涙を押し込めるために。

「夜神君」
「そんな他人行儀な呼び方やめてくれよ。僕はもう人間じゃないんだし…『ライト』って呼び捨てにしてくれよ」
「では、ライト。あなたのしていることは死神界のルールに違反しないのですか?」
「大丈夫、今の死神大王はリュークだからね。あいつはそんなにうるさい事は言わないよ」
「あなたが私の相棒になるのでしたら、ワタリにもあなたを紹介しておかなければならないのですが」
「ああ、全然構わないよ」
「…では、よろしくお願いします」
「こちらこそ」

 差し出した手はしっかりと握り返された。第三者が見れば、竜崎は虚空に手を伸ばしているように見えただろうが、そこには確かに『友達』がいた。
 竜崎は思う。
 明日は『人間』夜神月の命日だ。松田、相沢、茂木と一緒に彼の墓に参る事になるだろう。ひょっとしたら夜神氏も来るかも知れない。その時に…できれば、だが…相棒となったライトを紹介しよう。
 彼らはさぞ驚くに違いない。そして、きっと喜んでくれる。私の友達が戻って来たのだから。
 ライトを紹介したその後は、松田が抱えている難事件の検討会だ。きっと捜査は進展するだろう。
 だって友達が一緒なのだから。
 かけがえのないともだちが…これからは、ずっと。


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