| 夜神は疲れた目を見開いてモニターに見入っていた。隠しカメラにより隅々まで監視された我が家。子供達は学校に行っている時間なので、家の中で動く者は妻の幸子しかいない。 『そろそろ買い物に行かなくちゃ…今夜のおかずは何にしようかしら』 呟いた幸子が夕食の買い物に出かけてしまうと、夜神家は完全に無人になった。カメラに映る居間の時計は2時半を指している。 「誰もいない場所を見張っている必要もありませんし、他のみなさんも呼んで休憩にしましょうか」 「そうですね」 竜崎の言葉に夜神はホッと息を付いた。肩の力を抜いて初めて、ずいぶんと緊張していた自分に気付く。 …無理もない。家族がキラかもしれないと疑われているのだから、緊張しない方がおかしい。 眼鏡を外して目をもみほぐし、ついでにガチガチにこっている肩も拳で叩いた。 応接間と休憩スペースを兼ねている部屋に北村家を監視していた刑事達が戻って来た。その疲れ切った様子に竜崎は僅かに顔を曇らせた。やはり慣れない作業 は思った以上に刑事達に負担を強いていたようだ。毎日毎日限られた人間とだけ顔を合わせ、話をし、狭い部屋でモニターを睨んでいるのはきついのだろう。 刑事達が身を投げ出すように椅子に腰を降ろすと、竜崎はおもむろに口を開いた。 「みなさん、かなり疲れているようですしケーキでも食べませんか」 「ああ、たまにはいいかもしれないですね」 「疲れてる時は甘いものがおいしいですし」 「どんなケーキがあるんですか?ルームサービスだと種類は少なそうですけど」 松田がテーブルの上にあったルームサービスのメニューに手を伸ばしたが、竜崎はひょいとそれを取り上げた。怪訝な顔をする松田にはお構い無しにメニューをワタリに渡した。 「このホテルのケーキは一通り試しましたが、どれもいまいちでした。なので、私のお勧めの店にここまでケーキを届けてもらおうと思います。みなさん何がいいですか?たいていのものは大丈夫ですよ」 「へぇー今はケーキの宅配なんてやってるんですかぁ」 「ピザや弁当だけじゃないんだな」 「ケーキ店も生き残りの為に色々サービスを考えているんだろう」 「いえ、届けてくれるのは私にだけです。私の店ですから」 え?と刑事達が目を丸くしたが、竜崎は『詳しい話は後で』とはぐらかした。 ワタリが皆の希望を一通り聞いて注文の為に出ていくと、竜崎はぐるりと皆を見回した。 「ではみなさん。若くてきれいな女性が来るんですから、無精髭を剃って、できればお風呂も入ってきて下さい」 「ケーキの宅配だけなのに?」 「その女性って誰なんですか?」 「いいですから早く」 後のお楽しみということか。 刑事達は疑問と期待で半々な気持ちでバスルームに向かった。 30分後。 竜崎に言われた通り髭を剃って入浴も済ませた刑事達が応接間用の部屋に集まってきた。髪を洗ってきちんとセットまでして現れた松田に、夜神は思わず苦笑する。 「いくら『若くてきれいな女性が来る』と言っても、ケーキの宅配だぞ」 「そうはおっしゃいましても局長、出会いなんてどこに転がってるか分かりませんから」 「ドアの前でワタリさんがケーキを受け取ってお金を払って終わりだろ。出会いのチャンスなんてないだろうが」 「いえ、せっかくですから彼女にもお茶くらい飲んでいってもらおうと思ってますから、チャンスがあるかも知れません」 「竜崎…ここがキラ事件の捜査本部になっていることは極秘でしょう?部外者を入れて大丈夫なのですか?」 「皆さんもここが捜査本部になっていることは黙っていてくれれば大丈夫です」 「その女性は竜崎さんの知り合いなんですか?」 「そうです」 「私達のことを聞かれたらどう答えるんです?」 「彼女は自分の知る必要の無いことを聞くような人ではありません」 竜崎はちょっとムッとした様子で答えた。微妙に不自然な反応に刑事達が顔を見合わせた時、部屋の呼び鈴が鳴った。心得たワタリが応対に出る。 「竜崎、お見えになりました」 「入ってもらって」 「失礼します」 ワタリの後に付いて応接間に入ってきた女性を見て、『いくら美人と言っても竜崎の視点…』と思っていた刑事達は、一様にへぇっという顔になった。 まだどこか幼さを残してはいるが、その顔は愛くるしく美しい。髪型や服装もセンスがよく、全身から馥郁と漂う甘い香りがなければ、流行のブティックの店員かモデルの卵だと思っただろう。 竜崎は刑事達の反応を十分に楽しみつつ女性を紹介した。 「紹介しましょう。私が一番お勧めする洋菓子店のパティシエ、秋乃さんです」 「初めまして。パティシエの秋乃と申します」 彼女が柔らかく微笑むと、松田が頬を染めながら勢い良く立ち上がった。 「初めまして!僕、竜崎の…えーと…」 「仕事仲間です」 「そう、仕事仲間の松田といいます!よろしく!!」 「よろしくお願いします」 自分達のことを竜崎はどう紹介するのだろうと夜神は思っていたが、紹介は一方通行で終わってしまった。それでも彼女も特に気にしていないようだった。竜崎の性格を良く知っているのかもしれない。 彼女はケーキを取り分けながら竜崎と他愛のない会話を交わしている。その姿はごく自然で、竜崎が世界最高峰の探偵『L』だとは知らないふうに見えた。 一体、この女性と竜崎の関係は何なのか。 刑事達の好奇心が最高潮に達した頃、松田が我慢できずに口を開いた。 「あのう…秋野さんて、竜崎とはどういう…?」 「………」 竜崎と女性は顔を見合わせ、少し考える仕種をし、竜崎が無言で促すと秋乃は考え考え口を開いた。 「今は、洋菓子店の雇われ店長と、オーナーの関係です」 「『今は』?」 「秋乃さん、せっかくいらしてくれたんですから、私と出会った経緯をお話ししてあげて下さい。変に誤解されるのも困りますから」 「…竜崎さんがそうおっしゃるなら」 秋乃は長い睫毛を一度伏せ、話し始めた。 …子供の頃から菓子職人になることが夢だった秋乃は、高校卒業と同時に上京し、製菓の専門学校に入った。卒業後は都内でもかなり大手の洋菓子店に就職することができた。 そして数年。都内の支店で修行してきた秋乃が『デパ地下』へ異動したのが半年ほど前。会社が最も力を入れている支店への異動は、実力が認められた証拠 だ…そう思い、希望で胸を膨らませて秋乃は新しい職場に向かった。が、幸せな気持ちは長くは続かなかった。デパ地下支店の責任者である上司と秋乃はどうし てもソリが合わなかったのだ。上司は仕事も有能でなかなかの二枚目だったが自信過剰なのが欠点だった。それだけなら特に問題はないのだが、毎日のように声 をかけたり食事に誘ってくるのは鬱陶しくてたまらなかった。遠回しに迷惑だと伝えても自分に絶対の自信を持っている彼には気付いて貰えず、秋乃は転職を考 えるほどまで悩んでいたのだが。一週間前、売り場裏の厨房でケーキを作っている秋乃に、上司はいつものように必要以上に身体を近付けて話し掛けてきた。 「秋乃君、何だか元気がないようだが…風邪でもひいたかな?」 「いえ、大丈夫です」 「悩みがあるなら相談してほしいな、僕は君の直属の上司なんだから」 「大丈夫です」 秋乃は忙しいのをいいことに目を合わせないようにしてそっけなく答えた。上司はしばらく黙って何かを考えていたが、真面目な顔になって口を開いた。 「秋乃君。来週の休み明けから、表の方の仕事をしてみないか?」 「え?」 「裏でケーキを作っているだけじゃ今までと何も変わらない。せっかくデパ地下で働いているんだ、表に出てライバル店の品やお客さまの求めるレベルがどんな ものなのか見てみるのもいい勉強になるだろう。いきなり販売の仕事は無理だろうから、ショーケースの横でケーキを作る仕事から始めてみるといい」 「あ…ありがとうございます!」 接客の多い売り場には、上司はほとんど顔を出さない。これでやっと上司から解放されると思うと、今までの悩みが一瞬で消えていくような気がした。 翌日、秋乃は久々にすがすがしい気分で目覚めた。いつもよりしっかり朝食を取り、足取りも軽く部屋を出て職場に向かった。 「おはよう秋乃くん!今日からウルサイ上司君から解放だね、おめでと!」 職場につくなり、先輩の第一声に秋乃は思わず苦笑してしまった。彼女は厳しい先輩で秋乃は嫌味を言われることもよくあったが、『上司嫌い』では共通していた。 「遠回しかつストレートにバシッ!!と言えればいいんだけど、あなたには無理そうだしね。さ、時間もないしここでの仕事について説明するね」 …一通り仕事の内容とレジの打ち方、接客について説明すると、先輩は『研修中』という文字の入った名札をくれた。裏方の仕事は長いが表の仕事では『新 人』だから、ということらしい。嬉しそうな顔をして名札を付けている秋乃を見ながら先輩はしばらく何かを考えていたが、大したことじゃないんだけど…と前 置きして口を開いた。 「午後になると変なお客さんが来るけど、あんまり気にしないでね」 「え?」 「別に大声出すとかショーケース叩くとか、そういうんじゃないのよ。ただちょっとヘンってだけで。あ、でも目は合わせない方がいいかも」 「はぁ…」 分かったような分からないような説明のまま、仕事が始まった。都心のど真ん中にあるデパートだけあって、他のケーキ店の品物も訪れる客のファッションも レベルが段違いに高い。周囲を観察しながら、逆に観察されながらの午前中はあっという間に終わり、昼休みを終えて帰ってきてしばらくたった頃。 先輩がさり気なく秋乃の隣に来て、来たわよ、と囁いた。彼女が目で合図する方に秋乃はそっと目を向けた。 ほっそりとした若い男だ。適当に伸ばした髪と白いシャツにジーンズという出で立ちは、おしゃれな客の多い場所では逆に目立つ。両手をポケットに突っ込んだまま、背中を丸めるようにして洋菓子店のショーケースを覗き込んでいる。 (確かに変な人だけど、わざわざ言うほどでもないんじゃ…) そんなことを考えながら仕事を続けていると、噂の男が秋乃の前に来た。反射的に顔をあげた途端、男と目が合った。好き放題に跳ねた髪の間から、どこを見 ているのか分からないパカッと開いた目が覗いている。秋乃は一瞬固まったが、慌てて『いらっしゃいませ』と営業用スマイルを浮かべてケーキのデコレーショ ンに戻った。 …確かに、変だ。この人は変だ。 息を詰めるようにしてクリームを絞りながら秋乃は思った。 おしゃれなデパートにくたびれたシャツとジーンズで来るのは特に変じゃない。ケーキを作っている所を若い男が見に来るのも別に変じゃない。でも。 1時間も2時間もケーキを作っているのをじーっと見てるのは絶対に変だ。先輩がわざわざ事前に教えてくれるはずだ。そっと横目で先輩を見ると、意味ありげな目配せが返ってきた。この客がショーウインドウの前で長時間居座るのはいつものことらしい。 秋乃は気付かれないようにため息をつき、完成したチョコレートケーキをショーケースに入れるために売り場に出た途端、男が口を開いた。 「そのチョコレートケーキ、下さい」 「あ…はい」 先輩に助けを求めようと思ったが、あいにく先輩は他の客の相手をしている。助けに来られない風でもなかったが、先輩は軽く片手をあげた。 「秋乃さん、レジお願い」 「はい」 大丈夫、レジの打ち方は朝教わったし。これも勉強だ、と秋乃はこわごわレジに向かった。 彼女が不馴れな手付きでレジを打っていると、男は彼女の胸元の『研修中』の名札にちらりと目をやった。 「新人さん…ですか?」 「あ…はい、お客さま係と言う意味では」 「そうですか」 男は財布を取り出すと、一万円札と千円札の区別もついていないような手付きで代金を払った。きれいに包装されたケーキを受け取ると、ありがとう、と言って男はその場を立ち去った。 男の姿が人込みに紛れて見えなくなると、秋乃はほーっと長い息を吐いた。隣で先輩はニヤニヤ笑っている。 「噂通りでしたね」 「でしょ?」 「いつも…なんですか?」 「ほとんど毎日かな。1時間も2時間も、じーっとケーキを作る所を見てて。確かにちょっとアレなんだけど、何か迷惑になることするわけじゃないし、意外にいい人みたいだしね」 「…?」 「普段はカードで買うんだけど、今日は現金だったでしょ?新人のあなたにカードなんか出したら混乱させるだろうと思ったんじゃないかな」 「そうか…」 ちょっと変わってるけど、悪い人じゃない。 それが…秋乃の竜崎に対する第一印象だった。 ………… 目覚ましが鳴っている。秋乃は手を伸ばしてベルを止めると、のろのろと身体を起こした。 仕事に行きたくない。熱でもあれば休めるのに…。彼女は深いため息をついて嫌々身支度を始めた。 表に出る仕事を始めて一ヶ月もしないうちに、上司は秋乃に接客の仕事をするよう指示を出してきた。つまり、菓子職人でなくてもできる仕事だ。『これも勉強の一環』と言われればそれまでだが、指導と称して前以上に付きまとってくる上司は煩わしいだけだった。 帰りに求人雑誌でも買ってこようかな。 秋乃は本気で転職を考え始めていた。 …その日。 彼女の店を訪れた例の客は、売り子の制服を着ている彼女を見て意外そうな顔をした。 「今日は売り子さん、ですか?」 「今日はと言うより、今日から…」 「…………」 男はもっと何か聞きたそうだったが、秋乃の後ろで彼女に何か言いたそうにしている上司の姿を見ると口を噤んだ。ほぼ毎日店に来るせいで秋乃とは多少口をきく機会が多くなってはいたが、常連客以上の立場にあるわけではない。 ケーキを受け取ると、彼はさっき聞こうとしたのとは恐らく違う質問を口にした。 「お店の閉まる時間は7時でしたっけ」 「はい、そうです」 「ありがとう」 入れ代わるように次の客が来る。秋乃は不自然に見えないように作り笑いを浮かべて応対を始めた。客足は途絶えない方がいい。上司に呼ばれる回数がそれだけ減るから。 その日の帰り、いつものように上司の誘いを断って従業員通用口から外に出た秋乃は、意外な人影を見つけて足を止めた。すっかり顔なじみになって、最近では『あれはあれで味があっていいのかも』とまで思っている例の客だった。 沈む寸前の太陽に照らされた男の瞳はオレンジ色に染まっている。 「待ち伏せみたいな真似をして申し訳ありません。ちょっと、あなたにお渡ししたいものがあったもので」 「私に?」 「はい」 男はジーンズのポケットから封筒を取り出して秋乃に差し出した。その行動の意味が分からずに彼女が戸惑っていると、彼はクスリと笑った。 「ラブレターとか不幸の手紙とか、そういう類いのものではないから安心して下さい。興味がなかったら捨てて下さって構いません」 「……はぁ…」 秋乃が言われるまま封筒を受け取ると、彼は満足そうに笑った。 「…秋野さん」 「え?」 秋乃が驚いたのを見て男は戸惑った風に首を傾げた。 「確か、お店の方がいつもあなたをアキノさんと呼んでいたと思ったのですが…違いましたか?」 「あ、いえ。アキノで合っています」 合っているんですけど…と呟いた言葉は男の耳には届かなかったらしい。普通の声で会話ができるギリギリの距離から男は続ける。 「秋野さん。あなたは今のお店を辞めることを考えていませんか?お菓子を作る仕事が嫌いになったわけではないのに」 「それは…」 「あなたは類い稀な才能をお持ちです。どうか…あなた自身の意志に反する理由でパティシエをやめたりしないで下さい。お願いします」 「…………」 「一週間後にまた来ます。その時にまたお話しましょう」 男は秋乃の返事を待たずに踵を返した。その姿は、太陽が沈みきった闇に溶けるようにして見えなくなった。 結局秋乃は求人雑誌は買わずに部屋に戻った。部屋着に着替えるのも後回しにして男に渡された封筒を開くと、不動産屋の広告が入っていた。『店舗用物件・ この好条件でこの価格!おしゃれなカフェやお菓子屋さんに最適』という売り文句が踊っている。場所は都心の一等地。店舗の見取り図と外観の写真をみると確 かにおしゃれな店に相応しい物件のようだった。が、肝心の価格の部分が切り取られている。 (どういうつもりなのかしら) 男の真意を計りかねて秋乃は首を捻った。まさかこの店を買い取って自分で経営しろと言うわけではないだろう。いくら条件のわりに低価格だといっても、今の秋乃には到底手の届かない金額なのは間違いない。第一価格の部分を切り取ってあったら意味がない。 訳が分からない。 興味がなければ捨ててくれと言っていたが…。秋乃は迷ったが、何故か捨てる気にはなれずに丁寧に畳んで封筒に戻した。 |
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