| それは、いつものお茶の風景だった。 秋乃さんがケーキを持って捜査本部を訪れ、和やかな雰囲気で紅茶を飲み、松田があれこれと面白い話をする。今日は街頭でティッシュ配りの人を避けて通ろ うとして、ティッシュの入った箱を蹴り飛ばしたついでに中身を散乱させてこっぴどく叱られたのだそうだ。毎日捜査本部と警察庁を往復しているだけのはずな のに、毎日のようにトラブルを起こすと言うのも一種の才能かも知れない…と、私は妙なところで感心していた。 …まさか直後に自分が巻き込まれるとは考えもせず。 きっかけは何気ない松田の一言だった。 「そう言えば秋乃さん知ってます?竜崎って東大生なんですよ」 「ええ?それは初耳です」 「首席で入学して新入生挨拶までしたそうですよー」 「竜崎さん、本当ですか?」 「ええ、そうですよ」 別に隠すことではないので正直に答えると、秋乃さんは目を丸くした。そしてすぐに好奇心一杯の顔になって私の方に身を乗り出してきた。年齢的には立派な大人のはずなのに、彼女にはこういう子供っぽいところがある。 「すごいじゃないですか。東大って毎日どんなことしてるんですか?」 「どうって…他の大学と同じだと思いますよ。最近は全然行ってないので良く分かりませんが」 「…行ってない?」 秋乃さんが笑顔を引っ込めて眉を潜めた。 何かまずいことを言っただろうか。私は反射的に身体を固くした。 「東大に首席で合格して、新入生挨拶までしたのに行ってないんですか」 「ええ、まぁ…」 「…………」 彼女は怖い顔で私を見ている。 一1年前、彼女に店を持たないかと言う話を持ちかけた時、真正面から叱られたことを思い出す。あの時の彼女もこんな顔をしていた。 …これは叱られるな。 私はそろそろと椅子の上に抱えていた両足を床に降ろした。いつものポーズでいると、『真面目に私の話を聞く気があるんですか!』と一つ余計に怒られるからだ。秋乃さんが私を叱る理由はいつも至極もっともなのだが、叱られるまで私にはその理由が分からないので余計に怖い。 彼女は紅茶のカップを音を立ててソーサーに戻した。やはり怒っている。 「どうして行ってないんですか」 「どうしてと言われましても…」 私は口籠った。夜神月と接触し、キラ事件に関する探りを入れ、捜査本部合流への打診ができた時点で東大に入った目的は達した。偽キラが出現した今、迂闊に人が集まるところに行くのは危険なのだが、正直に話すわけにはいかない。 はっきり理由を言わないせいで、秋乃さんはますます怖い顔になっている。 「竜崎さんがどんな理由で東大に入ったのかは分かりませんが、一ヶ月もたたないうちに行くのをやめてしまうなんてダメだと思います。東大に入りたくて一生懸命頑張ったのに、竜崎さんのような人がいたせいで不合格になってしまった人に対して失礼じゃないですか」 「…合格後に辞退する人がいることも考慮して定員より多く合格者を出しているわけですし、別に問題ないのでは…」 「そういう問題じゃありません!第一、東大を滑り止めにする人がいますか!!」 私はビクッとして背筋を伸ばした。 最初に話を振った松田も、夜神さんも相沢もあっけに取られて秋乃さんを見ている。『L』である私を叱り飛ばす人間がいるなんて信じられないのだろう。…私だって信じられない。 怒鳴った後、秋乃さんはとても悲しそうな顔になった。 「常に人より高い位置からものを見る…無意識なんでしょうけど、竜崎さんの悪い癖です。それじゃ友達からも嫌われちゃいますよ。大学で友達がいないと大変ですよ?」 「……はぁ」 人より高い位置を基準にしてものを見るのは確かに悪い癖だろうが、大学で友達が出来なくても私は一向に構わない。 が、秋乃さんは本気で私を心配している。 …ずるい、と私は思った。 そんな顔で頼まれたら嫌とは言えないではないか。最初から最後まで怒鳴ってくれれば、あるいはこの顔が演技なら遠慮なく反発するのだが。せめてもの抵抗でしばらく沈黙を挟んでから、私は渋々うなずいた。 「わかりました、気をつけます」 「良かった。じゃあ、明日から大学もちゃんと通ってくれますね」 「え?」 「明日もまた来ますから、大学の話を聞かせて下さいね。私、専門学校しか行ったことないから大学ってとても憧れてたんです。すっごく個性的な教授もいるっていうし…」 悪い癖が出ないように気をつける、という意味で『分かりました』と言ったのだが…秋乃さんの心底ほっとした笑顔と嬉しそうに話すのを見ていると、それも言い出せなくなってしまった。 明日を楽しみにしています、と言い残して秋乃さんが帰ると、松田がおずおずと口を開いた。 「あのぉ…竜崎」 「なんですか」 「まずかったでしょうか、秋乃さんに『竜崎は東大生なんですよ』って言ったこと」 「まずかったですね。偽キラが顔だけで殺人を行える可能性がある以上、捜査本部以外の場所に出るのは危険です」 「…すいませんっ!!」 松田は身体を二つに折るようにして謝った。 つくづく素直な男だ。『そこできちんと説明して断らなかった竜崎が悪いでしょう』などというセリフは考えもしないのだろう。大人気ないことを言っている自覚はあったし、一応鬱憤も晴れたので私は松田への八つ当たりは終わりにすることにした。 「まぁ、パッと行ってパッと帰ってくれば大丈夫でしょう。松田さんも私が偽キラに見つからないよう祈ってて下さい」 「もちろんです!」 「万が一私が死んだら秋乃さんも私の後を追ってきますから、松田さんは失恋してしまいます」 「それは困ります!明日は世界中の神様にお祈りします!!」 「…何もそこまで」 この男のことだ、本当に世界中の神に祈るかも知れない。このホテルの部屋でイスラム式のお祈りをされたらさすがに困る。 が、松田は真剣な顔で続けた。 「いえ、秋乃さんにもしものことがあったら僕も彼女の後を追うと決めていました。この若さでは死にたくありませんので、明日は一生懸命祈ります!!」 「…とりあえず私が無事に帰ってきたらお祈りはやめて下さいね」 「分かりました!」 明日の大学では夜神月には会いたくないな。うっかり会ってしまったら、こんな危険な状況でなぜ大学に来てるんだと余計な勘ぐりをされるだろう…。 面倒なことになってしまったと思いながら、私は深々と息を吐き出した。 私は始業時間ギリギリに大学に到着すると、授業開始のベルの音を聞きながら1限目の講議がある教室に向かった。教授が教室に入る後ろ姿を確認してからそっと後ろのドアから中に入る。階段式の教室の一番後ろを歩きながら私は学生達の中に夜神の姿を探した。 …教室内にそれらしい後ろ姿はない。夜神はたいていベルが鳴る前に教室に入っているので、今日は何かの理由でこの授業には出てこないのだろう。まぁもし いたとしても、『やがみ』は『りゅうが』より先に呼ばれるわけだから、いるのが分かった時点で教室を出てしまえばいい。…秋乃さんが知ったら怒りそうだ が…。 面倒臭そうに出席を取る教授の声が私の耳を素通りする。そんなに嫌ならやめてしまえばいいものを。教授を辞める事が出来なくても出席を取るのをやめるく らいは簡単だろうに。それとも出席数を単位に直結させないと学生が出てこないほど退屈な授業しかできないと言う事か。なら、口コミにも制限をかけてもあれ だけ店を繁盛させている秋乃さんを見習うべきだな。 窓の外を眺めながらぼんやりと考えていたせいで、隣に人が来るのに気づけなかった。 「大学来てたんだな」 不意に声をかけられてぎょっとした。 …夜神月がいつも通りの優等生風の笑みを浮かべて私を見下ろしていた。 教室の扉を後ろ手で閉めて、私はほっと息をついた。 まさか『あの』優等生夜神が寝過ごした挙げ句に遅刻して来るなんて…全く予想外だった。しかも秋乃さんのことまで勘付いて突っ込んで来るとは思いもしな かった。とりあえず夜神から逃れる口実を与えてくれた教授には感謝しなくては。次は真面目に授業を受けよう。…次があれば、だが。 まぁここへの長居は無用だ。気が変わった教授に呼び戻されたりしたらいい迷惑だ。私は足早に階段を降りて外に向かった。 …さて、次の授業まではまだ1時間以上あるが、どうするか。 正門に面した中庭のベンチに腰を降ろして私は考えた。 とりあえずさっきはうやむやにしてきたものの、夜神があれで諦めるとは思えない。極秘捜査本部に一般人が出入りしていると聞けば、その人物は誰なのかと 不思議に思って当たり前だ。私と個人的に親しくしている女性がいるなら恋人かと疑うのも無理はない。私のような変わり者と好き好んで付き合っているのはど んな人かと気になるだろう。18歳の大学生なら恋愛に興味があるのが普通だし…。 夜神は食えない人間だが、性格がねじくれているわけではない。事情をきちんと説明すれば秋乃さんにあわせるのに特に問題はないはずだ。その方が妙な勘ぐりをされずにすむだろう。 それでも私は、どうしても秋乃さんを夜神に紹介する気になれなかった。 夜神はキラの可能性がある。 もしも夜神がキラだった場合、彼に秋乃さんの顔と名前を知られるのは得策ではない。彼女を人質にとられたら私は動きが取り辛くなる。そうでなくても敵に有効なカードを渡すのは面白くない。夜神が秋乃さんのことを追求しなくなるような方法はないか…。 いや、逆だ。夜神に秋乃さんを紹介する事が私に有利に働くようにすればいい。 …彼女の『秋乃』という名前は紛らわしい。耳で聞いただけでは『秋野』という名字だと思うだろう。彼女の名前が『秋野ナントカ』だと思い込ませておけば彼女の名前を探るのは難しくなるはずだ。 極秘捜査本部にそうとは知らず出入りしている一般人という立場を逆手に取れば、夜神がキラだとしても抑止力になる…。 そうと決まれば準備をしなくては。 今日はもうサボって帰る事にして、私はワタリに電話して迎えの車を用意させた。 …迎えを待っていると、夜神が大股に近付いてくるのが見えた。 「竜崎!」 「夜神君?授業はどうしたんです?」 「『流河を探してくる』と言って抜けてきた」 なかなかうまい言い訳だが、優等生夜神が授業を抜けて来るとは…そこまで秋乃さんのことが気になるということか。 夜神は私の隣に腰を降ろして足を組んだ。どうあっても聞きたい事を聞くまで諦めないつもりらしい。 私はわざとらしくため息をついてみせた。 「…そんなに『彼女』のことが気になりますか」 「父や他の刑事達に教えられるけど僕には教えられない…なんて言われたら気になるさ。僕だって捜査本部への出入りを許可されているのに」 「私は夜神君がキラかも知れないと言う疑いをまだ解いてはいません。そんな人物に、少なからず私と関わりのある人を安易に紹介できるわけがないでしょう」 「それはそうだけど…」 夜神は唇を尖らせた。 明らかに不満そうだ。これなら計画通りに話を持って行けそうだ。私はいかにも渋々なんですよ、という態度で口を開いた。 「ですが、お父さんからあることないこと教えて貰って変に誤解されても困りますので、きちんと話をします。夜神君の都合がよければ今日紹介しましょう。ただし、いくつか条件をつけさせて頂きますが」 「どんな?」 「先ほども言いましたが、彼女は、ホテルが捜査本部になっていることも、私がLだということも知りません。薄々勘付いているかもしれませんが…とにかく彼 女は捜査本部ともキラ事件とも一切関係のない一般人です。ですから彼女のプライベートなことに関しては詮索しないで下さい」 「そんな非常識なことはしないよ」 「それから、彼女と会ったことはなるべく他人には話さないで下さい」 「どうして?」 「誰がどこでどう繋がっているか分かりませんから」 「…………?」 夜神は怪訝そうな顔になった。どうしても、経緯は説明しなくてはならないようだ。 「彼女は私が所有する洋菓子店の店長パティシエです。私が都内のデパートの洋菓子店で働いている彼女の腕に惚れ込んで、店をプレゼントするという条件でヘッドハンティングしたのが1年ほど前なのですが…その時多少ゴタゴタがありまして」 「同僚に妬まれたとか、店が手放したがらなかったとか?」 「まぁ…そんな感じです。元の店の上司が彼女にご執心でしてね、辞表を出した時にそれはもう、聞くに堪えない低レベルな暴言を吐いてくれたのです。それを 聞いていた同僚も何のフォローもせずただ見ているだけで…表面上は仲良くしていても内心は嫉妬で荒れ狂っていたようですね」 「ありがちだけど怖い話だね」 「新しい店は口コミだけで大繁盛しているのですが、彼女は以前の職場の人間に自分の情報が伝わらないよう、なるべく目立たないように気を使っています。逆恨みする人間はどこにでもいますからね」 「なるほどね。僕がその『彼女』のことを話した相手が以前の職場の関係者だったりしたら、間接的に迷惑をかけてしまうわけだ」 「そうです」 夜神はそれで納得したらしくそれ以上の追求はしてこなかった。 とりあえずほっとしたが、もう一つ言っておかなければならない事がある。私はしっかりと夜神の顔を見た。 「…それから、あらかじめはっきり言っておきたいのですが」 「な…何?そんな真剣な顔して…」 「会ってもらえれば分かりますが、彼女はとても魅力的な女性です。ですが」 「が?」 「彼女は私の恋人ではありませんし、私は彼女に好意は持っていますがそれは決して恋愛感情ではありません。絶対に、誤解しないで下さい」 「…………………。分かった…………」 たじたじとしながら夜神はうなずいた。 知らず身を乗り出していた事に気付いて私が姿勢を戻すと、夜神は不思議そうに尋ねて来た。 「わざわざそんなこと念を押すなんて…父とか捜査本部の刑事達には誤解されたわけ?」 「誤解『された』ではありません」 「?」 「『されたまま』です。現在進行形です」 「いいんじゃないのか、誤解されたままで」 「…困ります」 「竜崎が彼氏だと思わせておけば、余計な男が寄ってこないだろ?魅力的な女性がフリーだって分かったら、言い寄る男が多すぎて大変だろうしさ」 「それはそうですけど、別に彼氏役は私じゃなくてもいいじゃないですか。彼女が来るたびに冷やかされて困るんです」 「受け流せばいいじゃないか」 受け流したらそれは肯定したと思われるんです、と言いかけた言葉を飲み込んだ。これ以上何か言ったらもっと詳しく聞かせろと言われそうだ。それは困る。 秋乃さんが恋人だと誤解されなかっただけでもよしとしなくては。私はもうこの話は終わりにする事にした。 「夜神君はケーキは何が好きですか?」 「そうだなぁ…苺ショートとか、シュークリームとか、モンブランとか…チーズケーキも好きだな。それから、妹と母へのお土産の分も頼んでいいかな?あ、お金はちゃんと払うから」 「そこまで気を使ってくれなくてもいいですよ。お土産には何がいいですか?」 「フルーツたっぷりのケーキとか…アップルパイがいいな」 「分かりました。伝えておきます」 その時、ちょうどいいタイミングで迎えが来た。またあとで連絡します、と夜神に言って私は車に乗った。 夜神が来ることは秋乃さんにも伝えておかなくてはならない。本部に戻る前に彼女の店に寄るよう指示を出した。 …店はまだ準備中だったが、私は構わずドアを開けた。カランカラン…来客を告げる鈴が涼しげな音で鳴った。その音に顔を上げた一人の店員が、あら、と呟く。 秋乃さんの店のスタッフは『店のオーナー』として私の顔を知っているので、とがめる様子もなく微笑んだ。 「いらっしゃいませ、オーナー」 「こんにちわ。すいませんね、開店前に」 「構いませんよ。店長、オーナーがお見えですぅー」 店員が店の奥に声をかけた。 適当な椅子に腰を降ろすと、真っ白な服に身を包んだ秋乃さんが顔を出した。普段は腰まで伸ばしている長い髪をまとめているせいで違う人のように見える。 「竜崎さん!どうしたんですか?珍しいですね、お店に来るなんて」 「ええ…急に秋乃さんの顔が見たくなって」 「えっ?」 秋乃さんの驚いた顔を見て、自分がかなり恥ずかしいセリフを言ったことに気が付いた。開店作業をしながら聞き耳を立てている店員達から笑いが漏れた。 私は多分無駄だろうなと思いつつ言い訳を付け足した。 「いえ、何と言うか…お店での秋乃さんの様子を見ておきたくて」 「それって…オーナー自ら抜き打ち視察ってことですか」 「そんなものでしょうか。そろそろボーナスの査定を始めませんと」 「あら。それじゃあ一生懸命働いてるところを見てもらわないと」 秋乃さんの言葉に私達の様子をちらちらと窺っていたいたスタッフが慌てて仕事を始めた。ショーケースの中に色とりどりのケーキが並べられていくのは見ているだけでも楽しかった。 秋乃さんが少しおどけた風にお辞儀をした。 「ではお客さま、御注文をお伺い致します」 「そうですね…パンケーキかクレープか、何か軽めのものと飲み物を下さい」 「かしこまりました」 秋乃さんはにっこり笑って厨房に戻った。スタッフに紅茶を入れるよう指示を出して、卵を割り、ミルクを注ぎ、手際よく何かを作っている。忙しく動き回ってはいたが秋乃さんは楽しそうだった。 しばらくして、緊張した面持ちでスタッフが紅茶を運んで来た。カップを乗せたソーサーがカタカタと音を立てている。ミルクと砂糖が並べられるのを待って私は口を開いた。 「ちょっとお尋ねしたいのですが」 「は…はい!?」 「ああ、そんなに緊張しないで。秋乃さんのことですが…彼女はいつも、あんな風に楽しそうに仕事をしているんですか?」 「はい、そうです。お店で店長が不機嫌にしているのは見たことありません」 「そうですか。ありがとうございます」 私の言葉に店員はぺこりと頭を下げて奥に戻った。 とりあえず私はその言葉を信じることにした。過去は過去として彼女の中で整理がついたのなら、それでいい。 しばらくして、おかわりの紅茶と焼き立てのパンケーキを乗せたトレイを持って秋乃さんが戻って来た。私の前にきちんと並べると向かいに腰を降ろした。 「…ところで、こんな時間にお店にきていていいんですか?大学の授業があるんじゃ?」 「………」 私はふかふかのパンケーキにバターとシロップをたっぷり含ませて口に入れた。これを飲み込むまで返事は待って下さいね、と仕種で伝えながら言い訳を考える。 「…張り切って登校したら1限目は休講でした。昨日から掲示はされてたそうなんですが」 「あらら…それは残念でしたね。毎日真面目に通っていたら今日は寝坊できたのに」 「寝坊した友達にもそう言われました。寝過ごしたせいで1限目が休講だってことを忘れて走ってきた人には言われたくないですけどね」 「えぇ?竜崎さんにそんなおっちょこちょいなお友達がいるんですか?」 「普段はしっかりしてるんですよ。あの夜神さんの息子さんですから」 「夜神さんって…いつも竜崎さんとか松田さんとかと一緒にいる、あの夜神さん?」 「ええ、そうです。それで…彼とちょっと雑談している時に秋乃さんの話題が出まして。一度紹介しろとうるさいので今日連れてこようかと思うんですが、構いませんか?」 「私は全然構いませんよ。逆に楽しみです」 「じゃあ、彼の為にいくつかケーキを増やしておいてもらえますか」 私は夜神の好みを秋乃さんに伝えた。私の『友達』に会えるのがよほど楽しみなのか、秋乃さんはパイを生の状態で持っていってホテルで焼き上げると張り切っていた。 …パンケーキの最後の一切れで皿に残ったシロップをきれいに拭って口に入れて私はフォークを置いた。 「ごちそうさま。おいしかったです」 「ありがとうございます」 「じゃあ…そろそろ戻ります」 「はい。竜崎さん、次の授業には遅刻しちゃダメですよ」 「ええ、大丈夫ですよ」 内心ギクリとしたが私は何食わぬ顔で頷いた。 夜神に会いたくないから大学に引き返すつもりはないが、結局サボったことがばれたら秋乃さんはまた怒るだろう。後で夜神に口裏を合わせてくれるように頼んでおかなくては。ついでに午後の授業の様子も聞いておこう。 誰かに叱られると言う機会が極端に少ないせいか、秋乃さんに怒られるのは結構怖かったりする…などとは間違っても夜神には気付かれてはならないが。 そうだ、気付かれてはならない。秋乃さんの名前を夜神に知られてはならない。知られれば奪われる。 私は秋乃さんに向き直った。 「秋乃さん。ちょっと、変なお願いをしますが」 「はい?」 「私の友達に対してはフルネームは名乗らないで下さい。『アキノ』がファーストネームだということも教えないで下さい。いいですね?」 「…分かりました」 「それと、友達がいる間は皆さん偽名を使っていますが気にしないで下さい。夜神さんは朝日、相沢さんは相原、松田さんは松井と名乗っています」 「はい」 秋乃さんは何も聞かずに頷いた。 私はその白い頬にそっと手を伸ばした。秋乃さんは柔らかく微笑んで私の手を両手で包み込んだ。その温もりは私の心を鎮め、癒してくれる。 …大切な、松田が『天使』と讃えた、透き通った心の…私の、私だけのパティシエ。 彼女は誰にも渡さない。誰にも…例えそれが、キラという名の神であったとしても。 |
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