伏兵
Side 月

 月が教室の前まで来た時には、授業開始のベルが鳴ってから既に5分ほどたっていた。廊下に人影は全く無く、自分の足音が聞こえるほど静かだった。

「おいライト、もうキョウジュがシュッセキを取ってるぞ。チコクじゃないのか」
「昨日は第二のキラのこととか捜査本部のこととか考えてたせいでなかなか寝つけなかったからな…。寝過ごして授業に遅れるなんて何年ぶりかな」
「ちょっとは急いだ方がいいんじゃないか?チコクも重なるとタンイに響くんだろ?」
「…リュークもかなり大学というものが分かってきたみたいだけど、まだ甘いな。名前を呼ばれる前に席についていれば遅刻じゃないのさ」
「へぇ?」

 人間の大学で単位や遅刻のことを心配する死神がいるなんて、誰も想像できないだろうな。
 静かに後側の扉を開けて教室に入った月は、目立たずに座れる席が空いていないか教室を見回して意外な人物を見つけた。その口元に思わず笑みが浮かぶ。

「見ろよリューク。遅刻もそんなに悪いものじゃないみたいだ」
「お?あいつじゃないか。学校来てるのか」

 一番後ろの席の窓際で、窓の外をぼんやりと見ている後ろ姿。抱え込んだ両足や緩く曲がった背中、好き勝手な方向に流れた黒い髪。あいも変わらず独特のオーラを出しているせいか、周囲には誰も座っていない。
 好都合だ。
 月は足音を忍ばせて素早く竜崎に近付いた。

「大学来てたんだな」
「…………」

 声をかけられるまで気付かなかったらしい。竜崎は目を丸くして月を見返した。

「夜神君、今来たんですか?」
「うっかり寝過ごしちゃってさ。隣、いいだろ?」
「…はい」

 一瞬返事が遅れた。どうやら月と会いたくなかったらしい。あまり感情が見えない横顔が『困ったなぁ』と言っている。
 月は思わず笑みが浮かぶのを隠せなかった。
 遅刻上等、怪我の功名。Lの不都合は自分の好都合だ。
 竜崎は『月をキラと疑っている』とはっきり告げている。だから、月が先に教室にいれば竜崎が、竜崎が先に教室にいれば月が、積極的に近くに座るようにし ていた。その竜崎が今日に限って距離を置きたがっているというのは、何か理由があるに違いない。その理由が分かればLの弱点をつかめるかも知れない。
 教室が広いせいで雑談している学生も多い。ついでに二人の回りには人がいない。話を聞かれる心配はほとんど無かったが、月は声を潜めて竜崎に囁いた。

「竜崎。今日、本部に行っていいか?」
「今日…ですか?」
「あいつからの返事が来てるかも知れないじゃないか」
「メッセージを出したのは昨日ですから、今日はまだだと思いますが…」

 嫌がっている。今日は月に捜査本部に来てほしくないらしい。
 来てほしくないならなおさら行かなくては。
 普段なら鬱陶しいほど視線を合わせてくる竜崎が、今日は妙に目を逸らしている。月は強引に竜崎の顔を覗き込むようにして続けた。

「父への届け物も預かってるしさ。それとも、今日は僕に来られると困る事情でもあるのか?」
「それは…」
「彼女でも遊びに来るとか?」

 その言葉は冗談だったのだが、竜崎がギクリとしたように親指の爪を噛むのをやめたので逆に月が驚いた。

「え…当たり?」
「彼女ではありません。…が、親しい女性が来る予定があるので」
「二人きりでその人と会うのか?」
「夜神月君」
「いえ、夜神君のお父さんたちも御一緒です」
「じゃあ僕がいてもいいじゃないか。なんで困るんだよ」
「夜神月君!」

 月がさらに身を乗り出して竜崎が身を引いた時、出席を取っていた教授が大声を出した。

「夜神月君!いないのかね、夜神月君!!」
「あ、ほら呼ばれてますよ」
「はーい、います!!」

 月は大声で返事をすると、さっきよりも声を潜めて続けた。

「…彼女なら彼女だと言えば言いじゃないか、別に馴れ初めを聞かせろとか僕にも紹介しろとか、そういうことは言わないからさ」
「ですから彼女ではありませんってば」
「じゃあどうして行っちゃいけないんだよ」
「流河旱樹君」
「別に来る理由はないでしょう」
「父に着替えを持っていかないと」
「流河旱樹君!」
「じゃあ私が預かります」
「流河旱樹君!!君もいないのかね!」
「はいはーい、います、います!!」

 竜崎が慌てて返事をしたが、教授は怒り心頭と言う顔で出席簿を教壇に叩き付けた。

「そこの首席コンビ、今日は二人とも遅刻扱いだ!これ以上私語を続けるようなら欠席扱いにするぞ!出席を取り始めてから入ってきたんだから、文句はないな!?」
「「…はい」」

 二人はジト目でお互いを見て、そそくさと授業の準備を始めた。ふて腐れて鉛筆をクルクル回している月に、リュークが話し掛けてきた。

「なーライト。こいつの客が彼女じゃないって言うの、本当だと思うぞ」
「?」
「人間の恋愛がどんなものか知らないが、デートするんだったらわざわざライトの親父や刑事がいるホテルに呼ばなくてもいいじゃないか。大学に来られるんならサボってどっか出かけた方が有意義だろ?」
「…………」

 鋭いじゃないか、リューク。
 月は目だけで合図を送って、ふと考えた。

(待てよ…あのホテルはキラ事件の極秘捜査本部のはず…そこに呼ばれる女って一体何者なんだ?)

 そっと隣を見ると、竜崎は気のない様子で教授の話を聞いている。月はノートの端にさっきの疑問を書いて竜崎に見せた。

『ホテルが捜査本部になってるってことは関係者以外には極秘なんだろ?その女性も捜査員なのか?』
『違います』

 板書を取る振りをしながら竜崎はそ知らぬ顔で返事を返してきた。月も何食わぬ顔でまたノートの端にメモを書く。まさか大学生になってこんなことをするとは思わなかったな、と思いながら。

『竜崎の恋人でもないし捜査関係者でもない 部外者を本部に入れていいのか?』
『彼女はあの場所がキラ事件の捜査本部になっていることを知りませんし、そんなことを言いふらすような人ではありません』
『じゃあその人は竜崎の一体何なんだ?』

 竜崎は月のメモをちらりと見ただけで返事を書こうとしない。月は竜崎に詰め寄り、できるだけ小声で話し掛けた。

「彼女でなければ何なんだよ。気になるじゃないか」
「夜神君には関係の無いことですから気にしないで下さい」
「隠すところが逆に怪しい」
「…どうぞ好きなだけ疑って下さい」
「じゃあ父に直接聞くよ?『竜崎の彼女ってどんな人?』って」
「ですから彼女ではないと言っているでしょう」
「だったら何なんだよ、教えろよ」
「夜神月!流河旱樹!」

 気が付かないうちに声が大きくなっていたらしい。真っ赤な顔の教授に怒鳴られて、二人ははっと口を噤んだ。…が、教授は完全に堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。

「私の授業よりおしゃべりが大事なら、今すぐ出ていきたまえ!東大に全教科満点で入る君達だ、私の授業の単位など取れなくても卒業に支障はないだろう!さぁ出ていけ!!」
「すいません、もうしゃべりません。静かにしてます」
「…教授のおっしゃる通りですね。私は出て行くとしましょう」

 月は慌てて謝ったが、竜崎はさっさと勉強道具を片付け始めた。そしてガタンと音を立てて椅子を片付けると、『失礼します』と頭を下げて教室を出ていった。
 マジかよ…。
 月と教授と学生達は、ただ唖然として竜崎が出ていったドアを見つめていた。
 どうする?
 竜崎の後を追うか、おとなしく授業を受けるか。今追いかけないと竜崎は捕まらないだろうが、必修科目の教授に悪印象を植え付けるのもまずい。月は迷ったが、教授がまだ唖然としているのを見て席から立ち上がった。

「教授。僕、流河を探して連れ戻してきます」
「あ…ああ、そうだな、頼むよ」

 あっさりと授業を放棄されて面目が潰れた形になっていた教授は、月の申し出にほっとした顔になった。月は手早くノートやペンを鞄に放り込み、急ぎ足で教室を出た。
 ガランとした廊下には既に竜崎の姿はなかった。月は階段を駆け降りて外に向かった。このまま竜崎に捜査本部に向かわれてしまったら、もう捕まえられない。

 


 …竜崎は、正門近くのベンチに腰を降ろしてぼんやりしていた。迎えが来るのを待っているらしい。月は大股に竜崎に近付いて声をかけた。

「竜崎!」
「夜神君?授業はどうしたんです?」
「『流河を探してくる』と言って抜けてきた」

 呆れたように僅かに目を眇めた竜崎は、月の視線をはぐらかそうとはしなかった。月は竜崎の隣に腰を降ろして長い足を組んだ。聞きたいことを聞くまでは動かないぞという意思表示だった。

「…そんなに『彼女』のことが気になりますか」
「父や他の刑事達に教えられるけど僕には教えられない…なんて言われたら気になるさ。僕だって捜査本部への出入りを許可されているのに」
「私は夜神君がキラかも知れないと言う疑いをまだ解いてはいません。そんな人物に、少なからず私と関わりのある人を安易に紹介できるわけがないでしょう」
「それはそうだけど…」

 月が唇を尖らせると、竜崎は浅いため息をついて肩をすくめてみせた。

「ですが、お父さんからあることないこと教えて貰って変に誤解されても困りますので、きちんと話をします。夜神君の都合がよければ今日紹介しましょう。ただし、いくつか条件をつけさせて頂きますが」
「どんな?」
「先ほども言いましたが、彼女は、ホテルが捜査本部になっていることも、私がLだということも知りません。薄々勘付いているかもしれませんが…とにかく彼 女は捜査本部ともキラ事件とも一切関係のない一般人です。ですから彼女のプライベートなことに関しては詮索しないで下さい」
「そんな非常識なことはしないよ」
「それから、彼女と会ったことはなるべく他人には話さないで下さい」
「どうして?」
「誰がどこでどう繋がっているか分かりませんから」
「……?」
「彼女は私が所有する洋菓子店の店長パティシエです。私が都内のデパートの洋菓子店で働いている彼女の腕に惚れ込んで、店をプレゼントするという条件でヘッドハンティングしたのが1年ほど前なのですが…その時多少ゴタゴタがありまして」
「同僚に妬まれたとか、店が手放したがらなかったとか?」
「まぁ…そんな感じです。元の店の上司が彼女にご執心でしてね、辞表を出した時にそれはもう、聞くに堪えない低レベルな暴言を吐いてくれたのです。それを 聞いていた同僚も何のフォローもせずただ見ているだけで…表面上は仲良くしていても内心は嫉妬で荒れ狂っていたようですね」
「ありがちだけど怖い話だね」
「新しい店は口コミだけで大繁盛しているのですが、彼女は以前の職場の人間に自分の情報が伝わらないよう、なるべく目立たないように気を使っています。逆恨みする人間はどこにでもいますからね」
「なるほどね。僕がその『彼女』のことを話した相手が以前の職場の関係者だったりしたら、間接的に迷惑をかけてしまうわけだ」
「そうです。…それから、あらかじめはっきり言っておきたいのですが」

 竜崎が急に真剣な…というか、ムキになったような顔で不意に月を見つめてきたので、さすがの月も少したじろいで身を引いた。

「な…何?そんな真剣な顔して…」
「会ってもらえれば分かりますが、彼女はとても魅力的な女性です。ですが」
「が?」
「彼女は私の恋人ではありませんし、私は彼女に好意は持っていますがそれは決して恋愛感情ではありません。絶対に、誤解しないで下さい」
「…………………。分かった…………」

 詰め寄られた姿勢のまま月が答えると、竜崎は納得したようにうなずいた。
 …気付かずに汗をかいていた手のひらをそっとシャツに擦り付けて、月は竜崎の横顔に声をかけた。

「わざわざそんなこと念を押すなんて…父とか捜査本部の刑事達には誤解されたわけ?」
「誤解『された』ではありません」
「?」
「『されたまま』です。現在進行形です」

 竜崎は月から視線をそらしたまま、拗ねた様に呟いた。僅かに頬を赤くして、しきりに親指の爪を噛んでいる。月の唇が無意識に微笑んだ。

「いいんじゃないのか、誤解されたままで」
「…困ります」
「竜崎が彼氏だと思わせておけば、余計な男が寄ってこないだろ?魅力的な女性がフリーだって分かったら、言い寄る男が多すぎて大変だろうしさ」
「それはそうですけど、別に彼氏役は私じゃなくてもいいじゃないですか。彼女が来るたびに冷やかされて困るんです」
「受け流せばいいじゃないか」
「………………」

 竜崎は何か言いたそうに口を開いたが、言っても無駄だと判断したのか、口を噤んだ。そしてひと呼吸おいて、全く違う問いを口にした。

「夜神君はケーキは何が好きですか?」
「そうだなぁ…苺ショートとか、シュークリームとか、モンブランとか…チーズケーキも好きだな。それから、妹と母へのお土産の分も頼んでいいかな?あ、お金はちゃんと払うから」
「そこまで気を使ってくれなくてもいいですよ。お土産には何がいいですか?」
「フルーツたっぷりのケーキとか…アップルパイがいいな」
「分かりました。伝えておきます」

 タイミングよく迎えの車が来たので、竜崎はまたあとで連絡します、と言い残して行ってしまった。本当に授業に戻る気はないらしい。
 僕もこのままサボるかな。
 月がベンチから立ち上がって背筋を伸ばしていると、リュークが待ち切れないように話し掛けてきた。

「なぁライト、アップルパイって俺用か?俺用か?」
「ちゃんと数があったらな。お土産用が2個しかなかったら粧裕と母さんにあげないと」
「そりゃないぜ!ちゃんと3個くれるように頼んでくれよう!」
「連絡貰った時に間に合えば、な」

 竜崎があそこまでこだわる女とはどんな人かと考えながら、月はのんびりと図書館に向かった。しきりにアップルパイアップルパイと連呼するリュークはわざと無視して。


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