世界の中心でLを叫ぶ・If
EPISODE 1:11月5日

  病院に搬送された竜崎が医師や看護士に付き添われて集中治療室に入るのを見て、夜神は肩の力を抜いた。竜崎が突然意識を失って倒れた原因がキラにあるのか 死神にあるのか、それ以外の理由によるものなのかは分からない。が、病院に搬送された時点ではまだ息があった。しかも今は脳と心臓外科の若きホープと言わ れる院長自らが竜崎の治療にあたっていると言う。
 余計な心配は無用だろう。集中治療室の前に座り込んでいては逆に迷惑になりかねない。
 夜神は集中治療室の前を離れ待ち合い室に向かった。
 …自動販売機で缶コーヒーでも買おうかとポケットの中の財布を探った時、偽名の警察手帳がばさりと床に落ちた。はずみで手帳が開き、夜神の写真と『朝日四十郎』の偽名が見える。夜神は慌てて手帳を拾ってふぅっと息を吐いた。

(この手帳がこんなところで役に立つとはな…)

 身元不明の人間が救急車で搬送されれば警察に連絡が行くのが普通だが、夜神が偽名の警察手帳を見せて『その竜崎と言う男は刑事で、とある凶悪事件の極秘捜査中だった。捜査に支障をきたすのでこのことは内密に』と頼むと、医師も看護士もすんなり納得してくれた。
 缶コーヒーを買ってソファに腰を降ろす。気持ちは焦るが、今はとにかく待つことしか出来ない。

 

 

 集中治療室では、まだ歳若い院長がカルテを睨んで眉間に皺を寄せていた。傍らのベッドには意識不明の竜崎が横たわり、少し離れたところには院長の助手がいた。助手が指示を待っていることは分かっていたが、それよりも今はカルテに記された検査結果の方が重要だった。

(…彼に付き添って来た『刑事』は『突然意識を失って倒れた、心臓発作を起こしたのではないか』と言っていた…しかし心臓に疾患らしい疾患は見られない…。意識を失うような発作を起こす病気もない…それに…)

 医師はカルテを置き、竜崎に近付いて手をとった。
 脈は弱いがきちんとある。自発呼吸もある。ただ意識がないだけだ。まるで、全身麻酔をかけられたかのように。

(…引っ掛かるのはこの血液検査の結果…)

 院長がもう一度瞳孔を確認しようと手を伸ばしかけた時、竜崎が薄く目を開けた。何度もまばたきし、ゆるゆると顔を院長に向けた。

「ここは、どこ、ですか…?」
「K病院です。あなたは意識を失って倒れ、救急車でここに運ばれて来たんですよ。覚えていますか?」
「……。救急車…で……。……誰か、私に、付き添っていましたか…?」
「朝日四十郎という警部さんが御一緒でしたよ」
「朝日………」

 姑くの沈黙の後、思うように舌や唇が動かないのか竜崎はのろのろと言葉を押し出した。

「先生…申し訳ありませんが、その人には、私は死んだと、伝えてもらえません、か」
「死んだ?何故です?あの人はあなたを心配しているのに」
「私は、殺されかけた…、私が、生きていると分かれば、今度こそ、確実に、殺される…私を、殺そうとしたのは、その朝日という人の仲間、だから…です…」
「………。あの人は『私は警察官だ』と言っていましたが…。あなたは警察官に殺されると言うのですか?」
「朝日という、刑事は、実在しま…せん…、警視庁に、問い合わせて下さい…それに、朝日さんは、仲間の裏切りを…知りません…。裏切りを知れば、あの人も…」
「殺される可能性があると?」
「そうです……後ほど、きちんと…お話…しますから……どうか…私は、死んだと………お願いします…、私には、まだ、やらなければ…ならないことが……」
「…わかりました。そのように朝日さんには伝えます」

 院長が頷くと、竜崎はほっとしたように口元を綻ばせた。また意識が遠のき始めたのか、半ば目を閉じながら必死に彼は続けた。

「…もし、ウエディ、…アイバー、あるいはコイルと名乗る…外国人が、または…アキノという女性が…尋ねて来たら、今、私がした話を…伝えて、ください……」
「ウエディ、アイバー、コイル、もしくはアキノ…ですね。お任せ下さい」

 はっきりと答えると、竜崎はありがとうございます、と呟いて目を閉じた。
 院長は顎に手を当ててしばらく考えた後、部屋の片隅で呆然としている助手を振り返った。

「佐藤君。悪いが警視庁捜査第一課に問い合わせて、『朝日四十郎』という警部がいるかどうか問い合わせてくれ。何なら私の名前を出してもいい」
「えっ?院長、まさかあの人の言ったこと信じてるんですか?朝日って刑事は実在しなくて、あの竜崎って人は殺されかけたなんて話を?」
「ああ、結構本気で信じてるよ」
「えっ…じゃあ、あの朝日って人には『竜崎さんは死んだ』って伝えるんですか?」
「朝日という人が実在しなかったらね。十中八九、実在しないと思うけど、念のために調べてくれ」
「…先生、どうしてそう思うのか理由を教えてもらえませんか?朝日さんが本当に刑事だったら大変ですよ、患者が死んだなんて嘘つくなんて」
「理由か…まず、竜崎さんがこの状況下であんな悪質な…それもすぐバレるような嘘をつく必要がない。それと、このカルテに書かれた検査結果。見るかい?」

 助手はカルテを受け取ってしげしげと眺め、首を傾げた。

「特にこれと言って何もないですね。しいて言えば血液中の糖の数値がちょっと高いかなってくらいで」
「だろう?彼は健康な身体だったと言っていい。それなのに突然意識を失って倒れた。それだけでもおかしいのに、あの『刑事』は最初にこう言った。『心臓発 作を起こしたのでは』と。この竜崎という人が心臓の持病があったのならその言葉も分かるが、心臓どころか他の持病もなかったのに、だ」
「…言われてみれば変ですね」
「それにその血液検査の結果の欄をよく見てみろ」
「………。これは…」
「速効性の麻酔薬と同じ成分が検出されている。病院ならともかく警察にはあるはずのない薬だ。どうだね佐藤君、それでも彼の言葉は疑わしいか?」
「いえ。今すぐ問い合わせて来ます」

 助手は一礼して集中治療室を飛び出した。
 院長は再び意識を失った竜崎の顔をじっと見た。真っ黒な髪、青白い顔、くっきりと隈の浮いた目元、しかし端正に整った顔立ち。

(竜崎…心臓発作…刑事…そしてアキノ…。僕の考えが正しければ、この人は……)

 

 しばらくして集中治療室に戻って来た助手は興奮気味に口を開いた。

「あ、院長!問い合わせましたよ、あの朝日警部。先生の言った通りです、朝日四十郎なんて名前の警部は存在しないそうです!」
「やっぱりね。竜崎さんの言ったことは間違いなさそうだな」
「あの朝日って人、何者なんでしょう…」
「いずれ分かるかも知れないし、分からない方が幸せかも知れないな。とりあえず『朝日警部』も心配しているだろうし、『結果』を報告しに行こうか」
「御一緒します」

 

 

 白衣を着た医師が助手を連れてやってくるのを見て、夜神は待ち切れず立ち上がった。
 若い院長とは聞いていたが、想像していたよりずっと若かった。恐らく30そこそこくらいだろう。院長は夜神の姿を認めて軽く会釈した。胸元に留められた『院長』の肩書きがついた名札が揺れる。

「先生、竜崎は…!?」
「最善を尽くしましたが………」
「……………」
「先ほど、息を引き取られました」

 夜神は耳を疑った。
 竜崎が死んだ?最善を尽くしたが助からなかったと?
 それなのにどうしてこの男はこんなにも淡々としているのだ。医者だから人の死など日常茶飯事、いちいち感傷的にはなっていられないと言うことか。それとも………。
 夜神は眉間に皺を寄せた。

「………。竜崎は、息を引き取る前に何か言っていましたか」
「いえ。亡くなるまでずっと意識が戻りませんでしたので」
「そうですか…。………」
「心中、お察しします」
「申し訳ありませんが、私はこのことを上に報告しなくてはなりません。しばらく竜崎を預かって頂けますか」
「構いませんよ、こちらでも色々と手続きがありますし」
「よろしくお願いします。後ほど、必ず人を寄越しますので」

 夜神は深々と頭を下げて踵を返した。その姿が廊下の角に消えるのを待って助手が口を開いた。

「先生が死んだって言ってるのをあんなに疑うなんて…やっぱり変ですね」
「そうだな、色々と裏がありそうだ。じゃあ佐藤君、君は竜崎さんを特別病棟に移してくれ。私はするべきことを片付けたらすぐにに向かう。それから、ウエディ、アイバー、コイル、アキノと名乗る人が現れたらすぐに私に連絡してくれ」
「分かりました」

 助手が半ば走るように去っていく。
 院長は監視カメラの映像からプリントアウトした『朝日警部』の写真を取り出して眺めた。

(夜神総一郎…キラ事件捜査本部の長…)

 素通しの眼鏡の奥で、理知的な瞳がすっと細められた。



 竜崎は死んだ。
 病院から戻った夜神は沈痛な表情で告げた。
 愕然とする刑事達に上辺だけ態度を合わせつつ、月は内心で快哉を叫んでいた。
 僕は勝った。いや、正義が勝った。神に逆らう悪は消えたのだ。最大の敵は消えた!

「…こんな時に言うのもあれかもしれないが…」

 重苦しい空気の中、相沢が口を開いた。疲れ切った視線が集まる。

「アイバーとウエディには連絡しましたが、秋乃さんへの連絡は…どうする?」
「うむ……」
「しておいた方がいいんじゃないかな」
「でも、彼女『竜崎さんが死んだら私も後を追います』とか言ってたような…。伝えて大丈夫でしょうか」
「黙っていてもいずれ分かることだ、早めに伝えた方がいいだろう。竜崎の身元が分かるとは思えんが、ひょっとしたら彼女なら何か聞いているかもしれん。松田、ちょっと連絡をとってみてくれ」
「……分かりました」

 気が進まないどころのレベルではなかったが、松田は携帯を取り出して秋乃の番号に電話をかけた。いっそ繋がらないでほしいという思いとは裏腹に、数回のコールの後彼女が出た。

「あ…秋乃さん、こんにちわ、松田です。あの…実は……………え…あ…はい……何かあったというか…その…………」

 いきなり核心を突く質問をされたらしい。松田はうろたえながら夜神に助けを求めるような目を向けた。その視線に夜神は、深刻な顔で頷いた。

「松田。正直に話せ。変に隠しても不安を煽るだけだ」
「えーと…あの…竜崎が、ですね、夕べ…」

 松田はからからに乾いた喉からやっと言葉を押し出した。

「夕べ、亡くなったんです」

 電話口の秋乃は黙っている。その沈黙が怖い。
 竜崎が行く世界ならどこにでもついていくと言っていた彼女がどう言う行動に出るかが怖い。
 夜神は重々しい顔で口を開いた。

「ここの住所を教えて、とにかく来てもらえ。相談したいこともあるしな」
「あの…と、とりあえず今から言う場所に来てもらえますか?相談したいこともあるので…」

 捜査本部のビルがある場所を伝えて電話を切った時には、松田の手は汗でぐっしょりと濡れていた。

 

 

 ほどなくして本部を訪れた秋乃は、元々白い顔を更に蒼白にしていた。色を失った肌にうっすらと青みがかかった瞳が映えて、人形のようにきれいだなと、松田は不謹慎にも思った。
 彼女は震える唇で言葉を押し出した。

「竜崎さんが亡くなったって…本当ですか」
「………」

 誰も答えなかったが、彼らの表情が全てを語っていた。
 松田が竜崎が最後に座っていた椅子を指した。

「竜崎は、ここに座って事件のことを話そうとしていました。ワタリに指示を出した途端、ワタリが倒れて…竜崎は何か言いかけた途中で、倒れて…」
「ワタリさんは?」
「別室で、遺体で……」
「…………」
「竜崎は、月君が受け止めて呼び掛けたんだけど、返事がなくて…そのまま、目を閉じて…。凄く、穏やかな顔だった」
「………」

 秋乃は無言のまま竜崎が座っていた椅子に腰を降ろした。そこに置かれたパソコンや、マウスや、キーボードや、散らばったビスケットや、竜崎が触れただろう全てのものを慈しむように触れて。

「竜崎さん…辛かったでしょうね、悔しかったでしょうね…。仲間からも信じて貰えなくて、たった一人で、孤立して、やりたいこともやらせて貰えないまま、こんな形で命を落とすことになるなんて…無念だったでしょうね……」

 秋乃はかすかな声で呟いて、肩を震わせて泣き出した。
 彼女の言葉は刑事達の心に突き刺さった。
 あなたを信じて命を賭ける、そういってLと共に捜査をして来たはずなのに。彼への不信感を隠すこともなく、ただ竜崎のやり方に反対して、最悪の形で彼を失って。
 言葉もなく黙り込む刑事達に倣って俯きながら、月は秋乃の背中をじっと見ていた。

(あの女…一体どこまで知っている…?竜崎は『彼女は一般人だから何も知らない』とは言っていたが、それが本当だと言う証拠もない…しかもあの女は以前の 捜査本部にも出入りしていた…。僕にフルネームを名乗らなかったことから見ても何かを聞いているか、知っている可能性はある…早く名前を探り出して消さな くては…。この状況であの女が竜崎を追って自殺するのは何もおかしくない…)

 涙が流れなくなった後も半ば魂が抜けてしまったような顔で秋乃はそこに座っていたが、しばらくしてゆるゆると顔を上げた。

「あの…このお菓子、もらって行っていいですか…?」
「え…ええ、もちろん。どうぞ!」
「ありがとうございます」

 秋乃は頭を下げて、ハンカチにビスケットを包み始めた。僅かな竜崎の片鱗でも失いたくないと言うように。彼女がハンカチをバッグに入れるのを待って夜神は声をかけた。

「秋乃さん、一つお尋ねしたいのだが…」
「はい?」
「竜崎の身内のことを何か御存知ないだろうか」
「いいえ…。竜崎さんは、御自分のことは何も話してくれませんでしたから」
「やはりそうか…」

 夜神は一度言葉を切り、逡巡し、慎重に言葉を選びながら話を続けた。

「竜崎はここのすぐ近くにあるK病院に運ばれ、そこで息を引き取ったそうだ。今は、竜崎の最後を看取った院長に頼んで病院の方で預かって貰っている」
「K病院…の、院長ですか…」
「私達は竜崎を信じると誓って仲間になった。しかしこういう結果になった今、私達に引き取られることは竜崎は望んでいないかもしれん。だから、あなたさえ良ければ、だが…竜崎の今後をお任せしたいと思う。その方が竜崎も喜ぶのではないかと思うのだ」
「…分かりました、竜崎さんのことは私が責任持ってお引き受けします」
「ありがとう」

 夜神は深く頭を下げ、手帳に竜崎が搬送された病院の住所と電話番号を書いてちぎり、秋乃に渡した。彼女はメモをバッグにしまい、わざわざお知らせ下さってありがとうございましたと一礼してドアに向かった。
 松田はいたたまれなくなって彼女に駆け寄った。

「あの…秋乃さん!」
「はい?」
「僕達、必ず竜崎の仇を取りますから!必ず犯人を捕まえてみせますから!」
「…………」

 秋乃はポツリと呟いて部屋を出て言った。
 彼女の声は小さすぎて聞き取れなかったが、唇の動きで何を言ったかはみんな分かっていた。
 あなた達では無理です、と。
 纏わりつくような重たい空気の中、月だけが鋭い目で秋乃が出て行ったドアを睨んでいた。

 

 

 秋乃は車に乗ってからゆっくりと深呼吸した。
 夜神や松田が嘘をつく理由はないが、竜崎が死んだと言うのがどうしても信じられない。いや、違和感を感じると言った方が近いかもしれない。

(7月頃、竜崎さんは『秋乃さんのお兄さんが勤める病院の近くに秘密基地を建設中です』って言っていた…あの時は兄さんの病院の近くにみんなが集まれる部屋を借りたんだろうと思っていたけど、『秘密基地』は本当だった…夜神さんの態度もどこか変だった…もしかしたら…)

 秋乃は電話をかけようと携帯を取り出したが、思い直してやめた。この時間は出られないかもしれないし、盗聴されているかもしれない。どうせK病院は目と鼻の先だ、さっさと行った方が早い。
 秋乃はきゅっと唇を結んで車のエンジンをかけた。

 

 

 K病院の受付で名前を告げて、院長に会いたい旨を伝えて待つこと5分。
 現れた院長は彼女の姿をみてニヤリと笑い、秋乃はそれでだいたいの事情を察することができた。
 院長…すなわち秋乃の兄、龍神冬彦は久々に会う妹の姿に目を細めた。

「久しぶり。遅かったな、秋乃。お前が最後だぞ」
「最後?」
「そう。もう二人、竜崎さんを尋ねて来た人がいる。まぁ詳しい話は移動中にするよ。彼は今、特別病棟にいるから」
「特別病棟…」
「何と言っても大事な人だからね」
「…うん」

 秋乃はにっこりと微笑んで兄の後を追った。
 冬彦は妹が走らずについてこられるギリギリの早さで歩きながら小声で尋ねた。

「秋乃、尾行はついてないな?」
「大丈夫だと思う。今のあの人達に私に尾行をつけるほど人手はないはずだし、大義名分もない」
「お前と話す時は無駄な説明がいらないから嬉しいよ」

 冬彦は微笑んで病院の裏口に続く通路に足を向けた。

 

 龍神兄妹を乗せた車は郊外に向かい高速道路を走っていた。
 運転席との間はきちんと仕切られていたが、冬彦は更に会話のじゃまになるほどのボリュームでCDをかけていた。
 竜崎が何者なのかは薄々察していたが、知ってしまうことは危険と責任を負うことだと知っている二人は敢えて今まで触れずに来た。
 その話題に、冬彦は慎重に踏み込んで来た。

「…秋乃が竜崎さんにスカウトされて店を開いてからそろそろ2年たつのかな」
「そのくらい、だと思う」
「最初に話を聞いた時はびっくりしたよ。『竜崎』という名字以外何も分からない人間が店をプレゼントしてくれるから、その人のお抱えパティシエになるなんて…。職業は教えてもらったとは言っても『正義の味方』なんて漠然としたものだ」
「だから、兄さんにしか本当のこと言わなかった」

 秋乃は目を伏せたまま答えた。兄も妹と視線を合わせないまま会話を続ける。

「いくら秋乃のパティシエの腕に惚れ込んだとは言え、どこの誰かも分からない人間の店で働くというのは不安だった。だから僕は自分の使えるコネを全て使っ て竜崎という人物を調べた。しかしどんなに調べても手がかりすらつかめず、お義父さんにも頼んで調べた。それでも彼のことは何も分からなかった。そんな状 況が1年ほど続いた頃だったかな…キラ事件が表ざたになり、Lという世界的名探偵の名前が公になったのは」
「………」
「秋乃と竜崎さんはトラブルもなくうまくやっているようだし、いくら調べても何も分からないから僕は竜崎さんの正体を探ることは諦めた。それよりもキラ事 件の方が面白い、と思ったからだ。僕は警察幹部とのコネを使って世間には流れない情報を教えてもらいつつ、Lが何者なのか教えてくれと頼んだ」
「…返事は?」
「知らない、だった。日本だけじゃない、世界中のどの警察もLの名前と凄腕の名探偵だということは知っているが、どこの誰なのかは全く知らないんだ。彼ら が知っていることは3つだけ…Lの正体は誰も知らないこと。警察が匙を投げた難事件をことごとく解決していること。そして彼にコンタクトを取りたい時はワ タリという人物を通さなくてはならないこと」
「ワタリ…?」

 秋乃は顔を上げて兄の横顔を見た。兄は視線を窓の外に向けたまま静かに続けた。

「それを知った時、僕はあれっと思った。確か秋乃は、『ワタリという人がいつも竜崎さんと一緒にいて、まるで執事みたい』といっていたな、と。しかしワタ リなんてそんなに珍しい名前じゃないし、その時はただの偶然だろうと思って大して気にしていなかった。今年の始めまでは、ね」
「………」
「外国留学…パティシエの修行と言った方が正しいかな…から秋乃が日本に帰って来たのは12月の始め。その頃から竜崎さんがお前に顔を見せることがなくな り、12月の半ばにLがキラに対して宣戦布告、12月の終わりにFBIがキラに殺された。そしてこれは世間には知られていない情報だが、去年の年末にキラ 事件捜査本部は大幅に縮小された。キラに殺されることを恐れて辞表を出す刑事が続出したからだ。Lを信じて命がけでキラ事件を捜査するために残った刑事は 捜査本部長を入れて5人。そして、年明けにお前を呼び出した竜崎さんの新たな仕事仲間も5人。しかも残った刑事と新たな仕事仲間の名前は全て同じだった。 ここまで来るととても偶然とは思えない」
「兄さん…そんなに早くに気付いてたの?竜崎さんがLだって気付いていて、黙っていたの?どうして?」

 尋ねる秋乃に兄はおどけた風に眉を寄せてみせた。

「自分なりにイメージしていた『L』と秋乃から聞いていた竜崎さんにギャップがあり過ぎて実感が沸かなかったし…竜崎さんが黙っていることを僕がわざわざ 言う必要もないだろうし、言ったところで何もならないと思ったからね。それにまさかLがキラに負けるなんて夢にも思ってなかったし」
「まだ負けたわけじゃない!だって竜崎さんは生きているんだもの、まだ負けてなんかいない…!」

 あの人は約束してくれた。正義は必ず勝つと。そして生きて帰ると、絡めた指に約束してくれた。だから、あの人が負けるなんてあり得ない、絶対に。
 冬彦は涙ぐむ妹の髪を優しく撫でて柔らかく微笑んだ。

「分かってる。分かってるよ、秋乃。必ず最後に正義が勝つ。…でも、数少ない仲間の中にキラがいると言う今の状況では竜崎さんが不利なのは間違いない。だろう?」
「…うん」
「だからお前が見たこと、聞いたこと、知っていることを全部僕に教えてくれ。僕も知っていることを全部話す。その上で、今の僕達が竜崎さんの為にできることは何か相談しよう。な?」

 兄の言葉に、秋乃は零れそうになった涙をぬぐい、精一杯微笑んでみせた。


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