二人の記念日
前編

 自分の意志とは無関係に腕が動く。最初は違和感があった感覚にも今ではすっかり慣れてしまった。
 僅かに息を吸っていつもの言葉を口にする。

「犯人は…お前だっ!」

 指が一人の人物を指し示す。
 名指しされた人物は狼狽し、それは誤解だ、何を根拠にとお決まりの反応を返す。ここまで来れば後はネウロの独壇場だ。一部の隙も僅かな無駄もなくグイグイと犯人を追い詰める。
 もう逃げられないと悟った犯人が負けを認めて崩れ落ちると同時にネウロの食事も終了し、事件の幕は降りた。
 警官に両脇を固められた犯人がパトカーで護送されるのを見送って弥子はそっと時計に目をやった。
 時刻は6時半を回り7時になりかけている。

(ああ、今日もダメだったか…)

 上機嫌のネウロに気付かれないよう、弥子はそっとため息をついた。もうデパートでは螢の光が流れているだろう。
 もう、明日しかない。

 

 事務所に戻るとあかねがくるりと揺れた。
 ただいま、という弥子の言葉に彼女はパソコンのキーボードを叩き始めた。

『おかえりなさい。望月調査会社から迷宮入り事件の捜査依頼有りとの連絡がありました』

 げ、と弥子は顔をしかめた。
 桂木弥子魔界探偵事務所と『業務提携』している望月信用調査会社は日本中の謎を全力で探している。おかげで弥子は、毎日のように学校が終わるなり夜まで探偵役で引きずり回されるハメになっていた。
 それでもここ数日はめぼしい依頼がなかったので今日の事件が片付けば明日こそは時間がとれると思っていたのに。というか、もう明日しかないのに。
 ネウロが送られて来た捜査資料のファイルを開いて依頼の内容をチェックしている。
 何の謎もない事件でありますように…と願いながら弥子はネウロを見遣った。

「どう?『謎』の気配は…ある?」
「ふむ…望月はなかなか使えるな。大したサイズではないが確かに謎の気配がある。アカネ、明日の予定はまだ入ってなかったな?…では明日の夕方から調査に向かうと先方に連絡を…」
「ネウロ、ちょっと待って。物は相談なんだけど」
「何だ?」
「次の週末は朝から晩まであんたの食事に付き合うから、明日は休みにしてくれない?あかねちゃんとどうしても行きたいところがあるの」

 ネウロは怪訝そうな顔で首を傾げた。

「何故だ?緊急の事件でもない限り貴様には週末2日の休みをくれているだろう。週末にゆっくり行けばいいではないか」
「週末じゃダメなの、間に合わないの。明日しかないの、ね、お願い!この通り!」

 弥子は両手を合わせて頼んだ。
 ネウロは不思議そうな顔をしていたが、カレンダーに目をやった途端にニヤリと笑った。

「なるほど…そう言えば明日はバレンタインデーか」
「え…ネウロ、知ってるの?」
「これだけTVや雑誌で特集を組んでいれば嫌でも覚える。『日頃の感謝を込めて』とか『愛を告白する』とかもっともらしい理由を付けて女が男にチョコを贈り、1ヶ月後に3倍以上の価値のあるもので返礼するよう強要する儀式だろう?」
「ん…まぁ…ミもフタもロマンもない言い方すれば、そうかな…」

 弥子は引きつった笑顔で答えた。
 愛と夢に溢れた恋人達の記念日も、この魔人にかかれば欺瞞と下心の記念日になってしまう。彼の食事の源が人間の心に巣食う悪意にあるのだから妥当な解釈と言えばそうなのだが。

「…で、もう明日しかないの」
「それはさっき聞いた」
「だから明日は休ませて。ちゃんと事務所には来るから!」
「何の用があってどこに行くのだ」
「…………それは秘密」

 弥子はあかねと目を合わせて(あかねには目がないが、何となく雰囲気だ)ぽそっと言った。
 その言葉を聞いた途端、ネウロの底意地の悪い笑顔はますます濃くなった。

「ほほぅ…秘密」
「そう。あかねちゃんと私の、女同士の秘密。だから男のあんたには話せないの、今日はまだ」
「…………」

 慌てて付け足した『今日はまだ』の言葉に、物騒な形に変型していたネウロの手が弥子に触れる直前で止まった。
 とりあえず危険な色が消えた翠緑の目は、弥子の頼みを受け入れるかどうか迷うように揺れている。
 弥子は背中に冷や汗をかきながら口を開いた。

「ね、ネウロは魔界の謎を全部解いたんでしょ?だったら私とあかねちゃんが何を計画してるかなんて簡単に分かるんじゃない?ちょっと当ててみてよ。最近は順調に謎を食べれてるわけだし、たまにはこんなお遊びもいいんじゃない?」
「…ふむ」

 シュルル…とネウロの手が元の形に戻った。

「当てろと言われても明日がバレンタインという情報だけでは推理のしようがないな」
「あ、バレンタインはあんまり関係なんだ。2月14日って日付けが大事なの」
「……?」
「さぁ当ててみて。明日は何の記念日?」
「それは我が輩に何か関係があるのか」
「大有りだよ」
「…よかろう、望み通り明日は休ませてやる。この我が輩が貴様ごとき奴隷人形の策が読めないなどと思われてはたまらんからな。明日、貴様が来るまでに答えを出しておくとしよう」
「やった!良かったね、あかねちゃん」

 それまでハラハラして様子を見ていたあかねは嬉しそうにクルリと回った。
 …捜査依頼の返事とスケジュール管理作業が終わるのを待ってネウロはあかねを弥子の携帯にくっつけた。携帯ストラップ状態にしておけば、電話で話してい る振りをしながら自然にあかねと会話ができるので何かと便利なのだ。(そのかわり携帯のデータがどんどん無くなって行くので、弥子は電話帳の『あ行』の名 前と電話番号を暇さえあれば打ち込んでいる)
 じゃあまた明日、とドアを開けようとして弥子はネウロを振り返った。

「あのさぁ、ネウロ。明日なんだけど」
「何だ?」
「謎の依頼が来なかったら、ちょっと私の話に付き合ってもらえる?」
「下らん話だったら聞く耳持たんぞ。…だがそうだな、万が一、我が輩が貴様の計画がなんなのか正確に当てることが出来なかったら取るに足らない話でも聞いてやろう」
「じゃあニアピンの正解でよろしく!」

 完璧に正解するより難しいことを、と言い返す間もなく弥子は出て行った。閉じられた扉の向こうに軽い足音が遠ざかって行く。その足音が普段より楽しそうなのは気のせいだろうか。
 ネウロは緩く首を傾げてパソコンに向かった。
 インターネットに接続して『名探偵桂木弥子』のファンサイト(そう、弥子のファンサイトなどと言うものが存在するのだ)にアクセスする。
 ネットの世界に関しては個人も法人も扱う情報の豊富さに大きな差はない。個人が運営するファンサイト内で大手のマスコミすら嗅ぎ付けていない情報が公開 されていることなど決して珍しくない。熱心なファンが運営するサイトでは、ネウロすら知らない情報が見られることもある。…たいていは弥子の大食いの記録 なのだが。

(余計な情報が流れていないか手っ取り早く調べるのに便利だと思って登録しておいたが…さて、何か手がかりが見つかるか)

 複数のファンサイトを巡ってみたが、もっぱらの話題はバレンタインに弥子が誰かにチョコを贈るのか自分で食べるだけなのか、誰かに贈るとしたら相手は誰なのかに集中していて、弥子の言う『2月14日の記念日』に関する情報はなかなか見つからなかった。
 ファンサイトに弥子の個人的な記念日が公開されているはずもないか、と半ば諦め気分で幾つ目かのファンサイトの掲示板を覗いたネウロの手がふと止まった。

『いよいよ明日は聖バレンタインデーだけど、我らが弥子ちゃんは誰かにチョコあげるのかなぁ。それとも高級チョコを買いまくって自分で全部食べるのかな』
『事務所のスタッフに義理チョコくらいあげるんじゃない?あとは家族にあげるかも。父親とか、兄弟とか』
『↑桂木先生ファン歴浅い人?先生は一人っ子だし、お父さんも去年亡くなってるよ』
『え、そうなの?何で?病気?』
『いや、あんまり知られてないけど殺されたらしい。で、その事件を弥子ちゃん自身が解決したのが探偵デビューって説が有力だね』
『そーいえば桂木先生の探偵デビュー記念日って明日じゃなかった?』

 なかなかどうして、ファンサイトも侮れない。大きなヒントを見付けたネウロは魔界777ッ道具の一つ、異次元の侵略者(イビルスクリプト)を出して警察のデータに『アクセス』した。
 …目的のデータはすぐに見つかった。弥子の父、桂木誠一が殺害された事件の犯人である竹田敬太郎が逮捕された日は2月14日。正確には直前に解決した喫 茶店での毒殺事件が彼女の『探偵デビュー』なのだが、同じ日に父親の事件も解決したのだから2月14日が弥子の『デビュー記念日』には間違いない。

(なるほど、ヤコが『探偵』になった日か。確かに我が輩にも大いに関係があるな)

 ネウロは椅子に寄り掛かり考えを巡らせた。
 魔界の謎を喰い尽くし、空腹を満たすために訪れた地上。香ばしい謎の匂いに惹かれて降り立った場所に偶然居合わせた弥子を探偵に仕立ててもうすぐ1年。最初は嫌々探偵役をしていた彼女が、あの日を『記念日』だと思っているらしい。
 なかなか可愛げがあるではないか。その殊勝な心掛けの褒美として、謎を孕んだ依頼があったとしても弥子を休ませて下らない話にも付き合ってやるとしよう。
 随分と気を良くしている自分に気付き、ネウロはそんな己を浅く嗤った。
 …気付かぬ間に随分と人間達に毒されたものだ。
 そんなことを思いながら、ネウロは決して人が持ち得ない複雑な翠が混じりあった色の眼を閉じた。




 翌日、2月14日。
 普段の倍も長く感じられる授業がやっと終わり、さぁ行くぞと弥子は立ち上がった。念のため携帯をチェックしたがネウロからの呼び出しのメールは入っていなかった。今日は探偵役は休み、という約束は反古にされずに済みそうだ。

「相手があのネウロじゃ約束なんてあってないようなもんだからね。いつ何があるか分からないから、さっさと買い物済ませて事務所に行こっか」

 携帯ストラップのあかねが控えめに揺れた。多分『賛成』と言ったのだろう。弥子は携帯を握ったまま鞄を掴んで教室を出た。

 

 …デパートのバレンタインコーナーはまっすぐ歩くこともできないほどの大混雑だった。手ごろな値段で見栄えのいいチョコは大半が売り切れてしまい、残っている物も片っ端からなくなっていく。
 弥子は右から押され左から蹴飛ばされしながら携帯ストラップのあかねに話し掛けた。

「あ…あかねちゃん、ネウロのチョコは後回しにして先に他の人の分から買うね。もたもたしてたらいいのがなくなっちゃう」
『誰の分を買うの?』
「えーと…吾代さんと笹塚さん、石垣さんと…あとはお父さんに御供えする分」
『了解。この状態だったら、先にめぼしいものをカゴに入れてからゆっくり選んだ方がいいかも』
「あ、その手があったか!」

 …何とか無難なチョコを選んで支払いを済ませた弥子は、ネウロ用のチョコを探しに高級チョココーナーに向かった。イベントコーナーの「一箱いくら」のチョコと違い、こちらは「一粒いくら」の世界だ。
 ショーケースに並ぶ超高級チョコの値札に一瞬青ざめ、記念日記念日と呪文のように呟きながら弥子は品定めを始めた。

「あかねちゃん、どれがいいと思う?あいつはチョコ食べないから好みも何もあったもんじゃないし…」
『ここは変に奇を衒わないで定番のチョコがいいんじゃないかな。ひょっとしたら口には入れてくれるかも知れないし』
「口に入れた途端に吐き出しそうな気もするけどねー」

 あはは、と笑って弥子は慌てて周囲を見回した。
 あの魔人様のことだ、何かの道具を使って監視しててもおかしくない。とりあえずそれっぽいものは見つからなかったが、弥子は口にチャックをする真似をしてぐるりと売り場を一周した。

「やっぱりトリュフチョコが無難かな」
『そうだね、中に何も入ってないのが一番いいんじゃない?』
「…となると、後は値段だね」

 弥子は真剣な顔でチョコの値札を睨んだ。
 高級チョコも値段はピンキリだ。一粒数百円の物から、一体何をどうしたらその値段になるのかと思うほどお高いものまである。
 弥子は財布を握りしめてあかねに尋ねた。

「いくらのに、しようか?」
『それは気持ちだから…。あんまり安いのはどうかなって思うけど、私はお金出せないし、任せるよ』
「その言葉が一番困るよぉ」
『刑事さんや他のスタッフの人より安いチョコだったら、馬鹿にしてるのかって言われそうな気がする、かな…』
「…だよね」

 感謝の気持ちを込めて贈るチョコをケチるのは確かに嫌だな、と弥子は思った。いや、状況を考えればむしろ逆にこっちが感謝されたいくらいなのだが、今回ばかりは特別だ。
 特別な記念日に安物を贈ったという後ろめたさは持ちたくない。弥子は決意の表情で顔をあげた。

「よし、決めた!」
『高いのいっちゃう?』
「自分用のチョコの予算、つぎ込むよ!渡した後に嫌な顔されて『もっと高いの買えばよかった』って後悔するのは嫌だしね!…だからあかねちゃん、一緒に選んで」
『了解♪』

 …自分用のチョコに避けてあった予算を投入して買った一粒の超高級チョコには、値段に不釣り合いなほどちゃちな造花がおまけでついて来た。こんなものつけるくらいならその分100円でも安くしてよね、と文句を言いながら、弥子は急ぎ足に事務所に向かった。


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