THE DARKNESS
EPISODE 19:西暦2012年11月4日 サイキッカー部隊研究棟所長室


 レジーナは腕を組んで盤面をじーっと睨み、次の手を真剣に考えた。状況は若干不利、ここで判断を誤れば一気に敗北ムードが漂って来る。
 あっちにするか、それともこっちか。それとも別の手で行くか。

「…遅い」
「うっさいわね」
「一手に30秒以上かけるな」
「話し掛けないでよ気が散るから」

 レジーナはさんざん迷って白石を置いた、その途端。
 今置いたばかりの駒の隣に黒石を置かれて、一気に3つ白石をひっくり返された。

「あーっ!」
「フ…貴様が長考したところでこの程度」
「じゃあこっちに行くわ。…はーい4枚頂きっ」
「なっ!」

 オセロの盤面を前に今度は刹那が眉間に皺を寄せて考え込んだ。
 レジーナはゆったりと腕を組んでニヤリと笑った。

「遅いわね。一手に30秒以上かけないでよ」
「……脇が甘いな」

 パチ。
 刹那が黒石を置いた。パチパチパチ、パチパチパチパチ。
 ヨコとナナメの石が一気にひっくり返った。盤面を見る限りレジーナの逆転はもはや不可能だった。悔しがるレジーナの姿に刹那は勝ち誇った笑みを浮かべた。

「フハハハハ、クズが」
「オセロくらいで威張るんじゃないわよ!別の手段で白黒つけてやるからちょっと体育館の裏まで来なさい」
「俺は女を殴る趣味はないのでな、慎んで遠慮しておこう」
「はーぁ?私がここに来た時、手加減無しで顔を殴って下さったのはどこのどなただったかしら?」
「さぁな」
「あんた、脳味噌の記憶容量何メガよ?ゲームのメモリーカード以下なんじゃないの?」
「何だと貴様!」

 レジーナの言葉に、オセロのゲーム板をひっくり返しそうな勢いで刹那が立ち上がった時、所長室のインターフォンが鳴った。
 ぴん、ぽーん。
 インターフォンのボタンをゆっくり押すとこうなる気の抜けた音に、何だか出鼻を挫かれた刹那が微妙な顔で扉を開けた。
 音の主は押して知るべしである。

「やっぱり刹那、ここにいたんだ」
「暇な時はレジーナの相手をして洗脳活動に励めと言ったのはお前だろうが」
「うん、お勤め御苦労様。活動は順調?」
「どうだかな」
「レジーナ、ちゃんと洗脳されてる?」
「あはは、バッチリよ。だからさー、そろそろブラドさん達の真の目的教えてよ」
「うーん…僕一人じゃ決められないなぁ」

 彼らが物騒な会話を冗談まじりにしているのには訳がある。
 軍の上層部には『レジーナを軍の思想に洗脳してからノアに戻し、内部を混乱させた後に軍事力で潰す作戦で行きたい』と報告してあった。
 それは半分本当で半分嘘だった。『洗脳』という単語に語弊はあるが、まずはレジーナを自分達の仲間に引きずり込んで、レジーナからカルロやキースやノア のサイキッカー達を芋蔓式に取り込んでウヤムヤとサイキッカー部隊に入れてしまえたら、それが最高の解決方法…と、ブラドは考えているらしい。
 そんなにうまく行くか?と刹那を含めたサイキッカー部隊メンバーは思ったが、うまく行けばラッキーで駄目なら当初の予定通り軍事力で叩き潰せば問題は無いし、ブラドがやりたいなら好きにしたらいいだろうと結論が出た。
 ただ、本業との兼ね合いもあってブラド本人はレジーナと接する時間を思うように取れないので、ふと気がつけば比較的研究棟を訪れる機会の多い刹那が『レジーナ丸め込み担当』にされていた。
 レジーナが反抗的で聞く耳を持たない態度を続けていれば早々にその役目を投げ出すつもりだったが、軍に乗り込んで来た初日に刹那、ブラド、栞に食らった 説教が相当こたえたらしく彼女の態度は驚くほど柔軟だった。様々な人間やサイキッカーの話に素直に耳を傾け、謙虚に今までの自分を考え直すレジーナの姿 に、サイキッカー部隊の面子が彼女を見る眼も徐々に変わりつつあった。
 どうのこうの言っても元々は仲間同士、お互いを嫌っていたから敵味方に別れた訳では無い。袂を分けた理由に得心が行けば必要以上にいがみ合う理由もな かった。つまり彼らは昔のような友情を取り戻しつつあったのだ。その事実にこの時点で懸念を感じている者は少なかったが…。
 …レジーナの質問をさらりとはぐらかして、ブラドは手にしていた封筒を見せた。

「その件については日を改めてウォンと相談するとして、今日は外に遊びに行こうよ」
「外?」
「ああ、そういえば外出許可の申請をしていたな」

 たまには研究棟の外に出たいとレジーナが騒いだので、ブラドは捕虜の外出の許可申請をしていたのだ。その許可が降りたという事なのだろう。
 ブラドは封筒から書類と名札を出してレジーナに見せた。

「外出できるのは今日だけ、外と言っても基地の敷地内には出ちゃ駄目、この名札を付けてサイキッカー部隊の幹部が二人以上見張りに付くって条件付きなんだけどね」
「構わないわよ、贅沢は言わないわ。研究施設の外に出られるだけで御の字だもん」
「それならよかった。じゃあクリスと栞ちゃんも誘って行こうか」
「ちょっと待てブラド、捕虜二人を連れて行くなら見張りが4人いるんじゃないのか?」
「ああ大丈夫、ガデスとエミリオも一緒に来るから」
「………」

 規則的には大丈夫でも別の意味で問題のような気がするが…。
 と、刹那は思ったが。
 外出できると喜んでいる気持ちに水を差す事もないかと口を噤んで、何故自分がレジーナを気遣ってやらねばならんのだと思い直した時には、文句を言うタイミングを完全に逃していた。

 

 

 かくして。
 刹那、ブラド、エミリオ、ガデス、レジーナ、クリス、栞と言う統一感の欠片もない珍妙なグループは基地の外れに建っているショッピングセンターに遊びにやってきた。
 クリスはともかく、栞やレジーナは見るもの聞くもの珍しいらしくあっちで立ち止まりこっちで立ち止まりしている。クリスとのデート気分を味わえるブラド はともかく、他の3人は退屈極まりない顔をしていた。買い物中の女を急かしたり文句を言ったりしようものならメンドクサイ事になるのは分かり切っているの で、『捕虜の見張りと言う任務を遂行している』と自分に言い聞かせ我慢して付き合っていた…のだが。

「あのさー、いつまでフラフラしてるつもりなの?」

 とうとうエミリオが不満を口にした。これと言った目的のない買い物に付き合って約1時間、気の長くない彼らにしてはよく我慢したと言えるだろう。刹那とガデスは内心で『良く言ってくれたエミリオ!』と思っていた。
 クリスが時計を見た。

「いつまでって…まだ1時間しかたってないじゃない」
「『まだ』じゃないよ、『もう』だよ!お前達のつまんない買い物に付き合わされてる僕らの事も少しは考えろよな!」
「女の子の買い物1時間で文句言うようじゃまだまだガキだねエミリオ。そんなんじゃウエンディーとデートもできないよ?」
「えっ……」

 レジーナの言葉に明らかにエミリオは動揺した。
 数秒固まって、後ろにいた大人二人を振り返った。

「1時間で文句言っちゃいけないの?」
「…………」

 刹那とガデスは複雑な沈黙で顔を見合わせ、無言のままエミリオに視線を戻した。退屈で苦痛な時間をエミリオが終わらせてくれると思ったのに期待外れに終わったせいで何か言う気力が失せていた。
 その二人の態度を正確に理解したブラドがやんわりと言った。

「好きな女の子の買い物に付き合ってるなら1時間で音を上げちゃダメかなぁ」
「じゃあ好きでもない女の買い物に付き合ってる時は?」
「おいおい違うぞエミリオ。俺らが今やってるのは『捕虜の外出の監視任務』だ。デートじゃねーんだぜ」

 エミリオの発言をガデスが訂正した。
 つまりは仕事を口実に退屈な時間を切り上げる方向で話を進めたいのである。ガデスの言葉を刹那が引き取った。

「真面目な話、捕虜がこんなところを1時間も買い物して歩いてるなんて聞いた事が無いぞ。上に苦情が行ったら後々まずくないか?」
「じゃあ最後に僕のお店を見に来てよ。その後にご飯食べて戻るってことでどうかな」

 楽しい時間が早々に終わるのかと多少不満げだったレジーナと栞がきょとんとした。

「ブラドさんのお店?」
「そう言えば以前伺った事があります。ブラド殿は宝石のデザインをされていて、直営の支店がこのショッピングモールの中にあるとか」
「へー」
「俺も見た事あるけどよ、いかにも敷居が高そうな店構えで入り口からちらっと覗いた事しかねーや」
「じゃあブラドの店を見学しに行くとするか」

 すぐに意見が一致した彼らはぞろぞろとブラドの宝石店へと向かった。

 

 

 キルステンブランドの直営店は、ガデスの言う通り『いかにも敷居が高そうな店構え』だったが、ブラドとクリス、そして刹那は街角のラーメン屋に入るような気軽さで足を踏み入れた。他の面子はおずおずと顔を緊張させて後に続く。
 デザイナー本人とその恋人、イメージキャラ兼モデルとその他大勢の姿に店員が恭しく一礼した。
 時間帯のせいなのか立地条件のせいなのか扱っている商品の価格のせいなのか、原因は不明だが店内に客の姿はなかった。
 ずらりと並んだアクセサリーに眼を輝かせる栞とレジーナにクリスは満足げに微笑み、ガデスとエミリオはそーっと値札を見てはぎょっとなり、ブラドと刹那は店の隅の椅子に腰掛けて仲間の姿を見るともなく見ながら仕事の打ち合わせを始めた。
 うっとりとショーケースを見つめていた栞がクリスを見上げた。

「有名なデザイナーとは伺っておりましたが、ブラド殿は本当に素敵な作品を生み出していらっしゃるのですね」
「それはそうよ。何十もデザインを描いてその中から厳選した物だけを商品にしてるから」
「そうだ栞、気に入った物があったら刹那に買ってもらいなよ」

 レジーナの無責任な爆弾発言が聞こえて刹那は驚いて顔を上げ、次の瞬間刹那を見遣った栞と目が合った。
 ブラドもクリスもガデスもエミリオも、更に店員まで注目しているのに気付いて、栞が慌てて言った。

「いえ、そんな。このような高価な品を買って頂くなど、とんでもないです。見ているだけで十分…」
「遠慮しなくていいのよ、栞。刹那はすっごい稼いでるんだからこの店のアクセサリーのひとつやふたつ痛くも痒くもないわ。ね?」

 レジーナの爆弾投下から真っ先に復帰したクリスがさらにとんでもない事を言った。
 どうやら本気で言っているらしい。
 いやまぁ確かに下級兵時代とは比較にならない収入は特に使い道もなく無駄に残高の数字だけが増えているが、どこをどうしたらそういう言葉が出て来るんだ。大体何で俺なんだ、クリスだって相当なもんだしブラドだっていいだろうが。
 …と、内心で文句を一通り吐き出して刹那は軽く拳で額を押さえた。今の頭痛と、クリス・レジーナコンビの提案を拒否した後に訪れるであろう頭痛、どちらが重いか答えは明白だった。
 ふー………。
 長く息を吐いて栞に眼を戻した。

「…1個だけだぞ」
「ええっ!よろしいのですか!?」
「そうこなくっちゃねー」
「さっすが秘密兵器様、太っ腹!ねぇねぇ、ついでに私にも何か買ってよ」
「死ね」
「何よ、ケチ」

 レジーナの言葉を一言で切り捨てて盛大なため息を付いた刹那にはもう目もくれず、3人は真剣にアクセサリーを吟味し始めた。店員の説明の熱のこもり方も明らかに違う。
 おっかなびっくり値札を見ていたガデスとエミリオが眼を丸くして近付いて来た。

「刹那、熱でもあるのか?」
「どう言う風の吹き回しさ?」
「僕が言うのもなんだけど、ほんとに良かったの?一応、従業員割引価格にするけど」
「じゃあ聞くがな、お前ら」

 刹那は激しい頭痛に頭を押さえながら仲間をじろりと睨んだ。

「クリスとレジーナ向こうに回してギャーギャー文句言われるのとアクセサリー1個買うのと、どっちがマシだ?」
「う」
「悩むなそれは」
「…理由、それだけ?」
「…………」

 ブラドの静かな問いに刹那の表情が僅かに動いた。
 数瞬の沈黙を挟んでポツリと呟いた。

「クリスの見立てでは、栞の命は長く見ても後1年もたないらしい」
「!」
「マジか」
「俺が思いつきでこんなところに連れて来なければ死なずに済んだはずだと思うと、多少後ろめたくてな。どうせ長くないなら楽しい思い出の一つくらい作ってやってもいいだろう」
「……刹那、優しいじゃん」
「クリスの見立てが外れたらどうするつもりだよ?」
「そうか良かったな、で問題ない」
「そうだね。僕もクリスの事は信頼してるけど、僕も今回だけはクリスの見立てが外れてて欲しいと思うよ」

 クリスとレジーナに挟まれた栞は嬉しそうにアクセサリーを試着している。
 すっかりテンションが上がった彼女達の声は否応にも大きくなっていた。

「どれも素敵で迷ってしまいますぅ」
「やっぱりここは定番で指輪かしら。自分のサイズに合わせるから愛着も湧くしね」
「クリス殿がそうおっしゃるなら指輪にします」
「じゃあ指輪で決まりね。どの指に填める?」
「栞ってアクセサリー買ってもらうの、初めて?」
「はい」
「なら左手の薬指で決まりね!」

 きっぱりと断言して、レジーナは自分の指輪を栞に見せた。台座は金メッキだし、嵌まっている石もガラス玉という安物だ。

「女の子が好きな人から最初に貰うアクセサリーは左手の薬指に填める指輪って決まってるのよ。私のこれも、兄さんに買ってもらった物なの」
「わぁ…素敵ですね!」
「そう言えば私もブラドから最初に貰った指輪は左手の薬指に填めたわ」
「あらっ…。これはこれは御馳走様」

 栞の余命は幾許もないと知った彼らは、聞こえて来る会話に愚痴も言わず大人しく待っていた。
 …ようやく欲しいものが決まったらしい栞が刹那を呼んで、ブラドとガデスとエミリオも一緒にショーケースに向かった。
 ケースの上には、ロゴの間に小粒のサファイアが埋め込まれたシンプルなデザインの、価格にすれば安い方に入る指輪が鎮座していた。
 覚悟していた金額より遥かに小さい値札の数字に刹那は首を傾げた。

「これでいいのか?他に欲しいものがあるなら遠慮しなくてもいいんだぞ。一応限度はあるが…」
「お店の指輪を全部見せて頂きましたが、一番これが好きです」
「何でサファイア?栞の誕生石なの?」
「刹那の眼と同じ色なのがいいんだってさ。ね、栞」
「……ごっそーさん」

 ボリボリと頭を掻くガデスを睨み付ける刹那などお構い無しに、ブラドがふと思い付いたように言った。

「そうだ。この指輪は女性用のデザインだけど、男性用もあるんだよ」
「は?」
「何を突然?」
「つまり、刹那と栞ちゃんでお揃いでつけられるんだ」
「あのな、ブラド」

 刹那が凄まじく微妙な顔になった。
 嫌な顔をしなかったのは彼なりの精一杯の栞への思いやりだ。できるだけ言葉を選んで抗議した。

「それは悪ふざけが過ぎるだろう」
「そんなことないよ。今の栞ちゃんの指に合わせて買った指輪なんて、何年か後にはサイズが合わなくなって填められなくなるんだし」
「…………」

 ブラドの返答は質問に答えたにしてはズレているような気もした。が、彼が言わんとする事はあまり頭の回転のよろしくない刹那にも理解できた。
 クリスの見立て通りに栞の命が後1年持たないのなら、せめて今だけでも彼女を喜ばせてあげてもいいだろう。仮にクリスの予想が外れても、指輪のサイズが合わなくなる頃には夢から醒めているだろうし…さしずめそんなところだろう。
 言いたい事がきちんと伝わったと判断したブラドはあくまで邪気のない笑みを見せた。

「あ、刹那の分は僕がプレゼントするよ」
「………。こんな事言ってるが、いいのか?栞」
「もももも勿論です!お揃いなんて…むしろ私が刹那殿によろしいのですかとお尋ねしたいくらいです!」
「決まりだね。じゃあ刹那用の指輪を出してくれる?」

 刹那はキルステンブランドのモデルなので、彼の指輪のサイズなど店員は全て把握しているからいちいち捜しまわる事もない。刹那用の指輪はすぐに用意された。
 ショーケースの上に並べられた揃いの指輪に栞は目を輝かせた。
 刹那が無造作に自分用の指輪を填めたのを見て、栞も指輪に手を伸ばしかけ、その手をレジーナに掴まれた。

「ちょーっと待った!自分で填めちゃ駄目でしょ!?」
「…え?」
「ほら刹那っ」

 ニコニコしながら背中を押したブラドの額を軽く小突いて抗議の姿勢を見せてから、刹那は目を閉じて浅く息を吐いた。
 どうせ栞は長くないのだからせめて楽しい思い出を、そう言ったのは自分なのだから。
 数回自分に言い聞かせて栞用の指輪を手に取り、恭しく一礼した。

「それでは姫様、お手をどうぞ」
「は…はい」

 栞が頬を紅潮させておずおずと左手を差し出した。
 小さなその手を取り、薬指に指輪を填めてやる。
 パチパチパチ。
 周囲の皆が拍手をして、感激に目を潤ませて左手の薬指に嵌まった指輪を見ている栞の姿に、刹那は微笑ましさと同時に微かな心の痛みを感じた。

(栞の命が終わる時、俺はどんな顔をして…どんな想いで見送ればいいのだろう)

 頭を過った考えを即座に握り潰した。
 そんな甘ったるい感情は、大嫌いだった父のそれだ。父のようにはなりたくないと人であることを捨てたのは他ならぬ自分自身ではないか。小娘相手の茶番劇に付き合っただけ。ただそれだけ、それだけだ。
 誰に対するでもなく言い訳している自分に気付いて刹那は苛々と唇を歪めた。
 …指輪の箱を包んでいる店員に支払い用のカードを渡して手続きが終わるのを待っていると、ブラドにそっと肩を突つかれた。

「?」
「刹那…」

 小声で囁いたブラドがそっと指差す方を見ると、レジーナがピアスの棚の前で指を銜えていた。
 彼女が眺めている商品はキルステンブランドの中では例外的に安い、学生の小遣いでも手が届く程度の物だ。しかし敵陣に単身乗り込んで来たレジーナが金を持っているはずもない。
 …それは分かるがだから何だ。
 目顔で尋ねると、ブラドが両手の人さし指を体の前で突き合わせて、『糸巻き巻き』の童謡のようにくるくる回してみせた。
 安物なんだからプレゼントしてやって御機嫌を取って丸め込め、と言いたいらしい…と理解できた自分が少しだけ嫌になった。
 顔をしかめて拒否の意思表示をしたが、ブラドは今度は顔の前で両手を合わせて拝む真似をしながら片目を瞑ってみせた。

「……………」

 刹那はため息をついた。
 親友にそこまでされては断れない。仕方なく、レジーナの後ろ姿に言葉を投げた。

「欲しい物が決まってるなら早く持って来い」
「え?」

 刹那の言葉が一瞬理解できなかったらしいレジーナが振り向いて目を丸くして、支払い手続きをしようとカードを機械に通そうとした店員が手を止めた。

「私にも買ってくれるの?」
「5秒前。4、3、…」
「決まってる、決まってるよ!これこれこれっ!」

 レジーナは細い鎖のようなピアスを取って差し出した。
 …丁寧に包まれたピアスを、生まれたばかりの子猫を抱くような手付きで受け取って、レジーナは嬉しくてたまらないという顔で刹那を振り返った。

「新しいアクセサリーなんて何年ぶりだろ。ほんとありがとっ!さすが軍の秘密兵器様、器がでかいね!」
「感謝してるならしっかり軍の思想に染まれよ」
「おっけおっけー、任せといて!」
「レジーナ…その程度で信念が変わるのかよ?安い女だな、お前」
「うっさいよ!女にピアス一つ贈る甲斐性もない男のくせに!」
「刹那には神妃が先約入れてるけど」
「あのなエミリオ」
「全然構わないよ、私にはカルロ兄さんがいるもんね」
「出たぞー自慢のお兄様」
「ちょっとみんなー、彼氏自慢は戻ってから、女の子達だけでよろしくねー?」
「はぁーい」

 ブラドの言葉に女性3人は素直に頷いて店を出た。
 ひたすらお供の任務を終えた男性陣はぐったり疲れた顔でその後をついて行く。特に刹那の精神的疲労は他3人より大きくて。
 だから、気付かなかった。
 普段なら茶化したりからかったりするガデスが何も言わず黙って刹那を見ていた事を。

 

 

 その夜。
 軽く飲みたいとと思ったが私室にアルコールの買い置きがなかったので、適当に買って来るかと自動販売機コーナーに足を向けた刹那は、先客の姿にあからさまに顔をしかめた。

「お?お前がこんなとこに来るなんて珍しいな」
「…どうしてお前がいるんだ」
「御挨拶だな。俺が缶ビール買い飲みしてちゃー悪いかよ」

 長椅子に腰を降ろして缶ビールを啜っていたガデスは大仰に眉をそびやかした。
 こいつを相手に口論しても疲れるだけだからさっさと何か買って帰ろうと自動販売機に小銭を入れると、ガデスが独り言のように呟いた。

「わざとじゃねーのにこんな場所で都合よくお前と二人って事は、忠告はしておけっていう神様のご指示なのかねぇ」
「忠告?」
「今日、帰った時に言っておこうかと思ったんだけどよ。わざわざお前だけ捕まえて言う事でもねーかと一度は思ったんだがな。ここで会ったのも何かの縁だ、せっかくだし言っておくか」

 刹那は適当なビールのボタンを押した。
 出て来たビールの缶を開けて口を付けた。…話があるなら聞くぞ、という意思表示だった。
 ガデスは壁に寄り掛かりいつもの調子で軽く口を開いた。

「実はな、俺はお前を結構評価してるんだぜ」
「何を突然」
「黙ってても女が寄って来るのに、ガキと兄貴にベタ惚れな奴に優しくしてやるなんて、お前は偉いと思うよ。男たるものかくあるべしってな。だがなぁ、心優しい俺様は逆にそれが心配なんだよ」
「何が言いたい」
「…刹那。お前だって薄々気付いてるんだろう?お姫さんだけじゃねぇ、レジーナだって長くねぇって事をよ」
「…………」

 ピクリと刹那の指が震えた。口に含みかけたビールが唇の端を伝い落ちる。
 ガデスの眼にふざけた色はない。

「ブラドがどこまで本気か俺には分からん。だがな、ノアの幹部を軍の思想に染め上げてウヤムヤと仲間に入れちまって誤魔化そうなんて無理な話だ。万に一つ もないだろうが、百歩譲って、何かがトチ狂って、カルロやキースも軍に投降したとしても、連中がお咎め無しで無罪放免なんて天地がひっくり返っても有り得 ねぇ。だろ?」
「…だろうな」

 刹那は飲みかけのビールに視線を落とした。
 元は人間だったからこそ、普通の人間の気持ちは良く分かる。ノアの連中に家族や友人を殺された下級兵や一般市民が、キースやカルロが『元ノアの幹部です が心を入れ替えましたごめんなさい』と言ったところで『はいそうですか』と納得するはずがない。逆にふざけるなと怒り狂うだろう。
 解決策があるとするなら軍の上層部が情報操作に協力してくれる事だが、それもあり得ないだろう。ノアの幹部を見逃したなどという情報が漏れたら大問題に なるし、そもそも人間達はサイキッカー部隊が強力になり過ぎる事を面白く思っていない。Sランク能力者…しかも元新生ノアの幹部の加入を認めるなど考えら れなかった。
 ガデスは刹那から眼を逸らしたまま話を続けた。

「ノアとの『戦争』が終わった時にノアの幹部連中が生きて軍に掴まれば、形ばかりの裁判にかけられて、良くても死刑、悪けりゃ公開処刑だ。最悪、連中を処 刑する役目はお前に回って来るぜ?ノア連中の死刑執行は人間出身のお前が『サイキッカー側』か『人間側』か試すちょうどいい踏み絵になるからな」

 ひんやりと沈黙が落ちた。自動販売機のモーター音だけが響いている。
 思い出したように口に含んだビールはひどく苦い。

(ウォンとブラドが国軍を裏切ったら君はどちらの味方に付くかね?)

 栞の一件で少将に言われた言葉が脳裏をよぎった。
 少将も含めた軍の上層部はウォンやブラドを信用していない。新生ノアと裏で繋がっている可能性すら疑っているらしく、刹那に探りを入れて来た事もある。
 刹那自身は『国軍を裏切るつもりはない』というブラドの言葉を信じているから、多少の確執はあってもサイキッカー部隊も人間部隊も関係ないと思っていた。…思いたかった。
 しかし今のガデスの言葉で、自分の考えの甘さを確認する羽目になった。以前から薄々感じていたことではあるが、国軍の上層部は、あくまでも刹那を『人間 側』にしておきたいらしい。もしも上層部が刹那を『サイキッカー側』と判断したその時は…僅かな失態が彼を処分する口実になるであろう事は察しが付く。
 ガデスの低い声は続ける。

「レジーナを処刑しろと言われた時、お前は迷わずその役目を引き受けてあいつを殺せるか?レジーナがあくまでノアと共に生きると言って敵に戻ったその時 は、容赦なく息の根を止めに行けるか?命令が下ったその時は、お前は躊躇う事すら許されねぇ。躊躇った瞬間、軍の中でのお前の立場が大きく揺らぐ。…俺が わざわざ言わなくても分かってる事だと思うがな」
「……………」
「女に優しくしてやるのは良い事だが、良い事すれば良い結果に繋がる訳じゃねーだろ?情が移っちまったら別れの時に辛いだけじゃねぇ、自分や仲間にも危険 が及ぶ。近い内に永遠にサヨナラすることが決まってる奴にあんまり深入りし過ぎんなよ。オジサンからのありがてーぇ忠告だ」
「確かに有り難い忠告だ」

 刹那は一気に残りのビールを飲み干して缶をゴミ箱に放り込んだ。
 踵を返し、ガデスに背中を向けてポツリと呟いた。

「…少しばかり遅過ぎたようだがな」

 一人その場に残されたガデスは、中身のなくなったビールの缶を無言で握り潰した。

 

 西暦2012年11月14日まであと10日。


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サイキ部屋
総合目次


 ノア崩壊まであと10日まで迫ってきました。レジーナの考え方が変化した事に説得力を持たせる事が出来たかどうか…。完全アンチノアな私はこれで良かろう と思ったのですが、中立派、ノア派の方には御都合主義だと思われるかも知れませんorz。話の都合と言う事で御容赦下さい。
 刹那が栞ちゃんにプレゼントした指輪のデザインは、私が付けているブルガリのをイメージしました。あ、刹那がお揃いで買ったメンズの指輪の方は石はつい てないロゴだけのデザインです。この、お揃いで指輪を買ったエピソードは入れるかどうしようか悩んだんですが、後々のエピソードで小道具として使おうかな と思って入れました。
 そして最後の方のガデスと刹那の会話ですが、「ん?なんか不穏な空気が漂って来たな」って感じを出したかったんですが…うまくいったかな。