THE DARKNESS
EPISODE 26:西暦2012年11月14日 新生ノア本部


 …医務室の簡素なベッドにレジーナを寝かせた刹那は、棚や引き出しを漁って苛々と舌打ちした。

「碌な道具がないな」
「世間知らずのサイキッカーの集団がマトモな医療技術を持ってる訳ねーだろ。怪我した奴の治療は治癒能力者にほとんど任せ切りなんだよ」
「しかしこれは…。露営地の衛生班でももう少しマシな品揃えだぞ」

 文句を言ってもどうしようもない。
 消毒液と包帯を見つけて来ると、いつの間にかファースト人格に入れ代わっていたブラドがタオルを持って来た。
 意外そうな顔をしていたのだろうか、ブラドは少しだけ目もとを和ませて微笑んだ。

「今はセカンドより僕の方が役に立ちそうだから」
「ド素人の俺よりはいくらかマシだな」

 一瞬だけ眼を合わせて微かに笑って、二人はレジーナの応急処置を始めた。
 とは言え、ド素人とド素人に毛が生えた程度の彼らでは大した事は出来なかった。血を流し続ける傷口を消毒して気休め程度の止血をするのが精一杯で、折れた骨やイカレてしまった内臓などどうしようもない。
 ぐるぐる巻きにした包帯にもすぐに血が滲み始める。レジーナの呼吸は弱々しい。
 彼女に残された時間はどんどん少なくなって行くのに、その姿をただ見つめてカルロを待つ事しか出来ない。
 所在なげにベッドの傍らの椅子に腰を降ろした刹那はきつく唇を噛んだ。ブラドはとても落ち着いていられる気分ではないらしく、部屋の中を歩き回っては何度も医務室の扉を開けて廊下を見回してはため息をついていた。
 カルロはまだ、来ない。
 …壁に背中を預けて黙り込んでいたガデスが医務室の内線電話を取って、『放送』ボタンを押した。
 レジーナの生死も新生ノアの運命も、ガデスにはどうでもいい事だった。
 だが。
 敵であり味方の仇であるレジーナを友人と呼び、何とか助けようと必死になっている刹那やブラドの気持ちを尊重も理解もしようとしないカルロにははっきりと嫌悪と憤りを感じていた。

「ぴんぽんぱんぽーん!カルロ様、カルロ様、妹君がGブロックの医務室でお兄様をお待ちでーす!早くしねぇと手後れどころか死に目に会えなくなるぞ!とっとと来やがれこの馬鹿野郎!」

 電話を戻そうとすると、ブラドが横からその手を掴んだ。
 受話器を受け取ったブラドはそれを包み込むように持って静かに呼び掛けた。

「カルロ君、聞こえているよね。ガデスが言ってる事は本当だよ、レジーナは本当に危ない状態なんだ。彼女を助けるまでは僕達は一時休戦する。君達に一切の 危害は加えない事をサイキッカー部隊大尉として約束する。だから、お願いだから僕達を信じてGブロックの医務室まで来て。待ってるから」

 ブラドが受話器を戻した後は、誰も口を開かなかった。

 

 …包帯を取り替えるのは何度目か、そんな事はどうでもいい。
 まだカルロは来ない、その事実にはっきりと苛立ちを覚えながら、刹那はブラドの手を借りて血に染まりぐっしょりと重くなった布をゴミ箱に捨てた。
 ゴミ箱に放り込んだ布に染み込んだ血液の量など知りたくもない。
 無造作に包帯を巻いているとレジーナがふと眼を開けた。

「…刹那」
「兄貴が来るまで無駄話はするな、体力を消耗するだけだぞ」
「今のうちに言っておきたい事があるんだ」
「喋るなと言っただろう」
「刹公よ」
「次に俺をそう呼んだら殺すぞ、ガデス」
「今のレジーナにはもう何も聞こえねぇよ、伝えたい事があるならテレパシー使え」
「…………!」

 ブラドが眼を見開き、唇を震わせ、首を振り、後ずさって壁にぶつかり、両手で顔を覆い…忌々しい舌打ちをして冷たい紅に染まった眼を上げた。
 包帯を握っていた刹那の手は凍り付いたように動かなかった。
 レジーナの眼を見て気付く、焦点が合っていない。刹那を見ていても視えていない。
 全身の血液がゆっくりと降りて行く。
 …もう、間に合わない。
 否応無しに悟らざるを得なかった事実に愕然とする刹那に、レジーナは穏やかな笑みを見せた。

「サイキッカーが平和に暮らせる世界、作ってね。私、ちゃんと見てるから、手抜きしないでよ」
(…貴様に言われるまでもない)
「ねぇ刹那」
(何だ)
「あんたに貰ったこのピアス、持って行ってくれない?」
(俺がせっかく贈ったものを突っ返すのか?)
「私の形見ってことで大目に見てよ。…ほんと言うと、あんた達に私を忘れて欲しくないからなんだけどさ」
(忘れられるか、貴様のようなインパクトのある女)

 ああそうだ、忘れられるはずがない。
 強大な力を掴み取ったこの手の、指の隙間から零れ落ちて行った友人のことを、一体どうやったら忘れられると言うのだろう。
 込み上げる想いを、刹那は唇を噛んで堪えた。
 辛うじて聞き取れる程の微かな声でレジーナは言った。

「刹那、最後に我が侭言っていい?」
(言うだけなら好きにしろ。聞いてやるかどうかは別だがな)
「私が死ぬまで抱いてて欲しいんだ。やっぱり、死ぬのは恐いからさ…」
(………。憶病者が)

 精一杯の憎まれ口を利いて、刹那はレジーナの体をそっとベッドから抱き上げた。
 さっき会った時よりも軽く感じるのは気のせいだろうか。
 手が震えるのは抑えられなかった。
 抱き締めた腕の中でレジーナは穏やかに目もとを和ませた。

「私がαに不覚を取ったのは、あんた達に会って今まで知らなかった事を知って迷ったせいかも知れない。…でも、会わなきゃ良かったなんて思わないよ」
(そう、か…)
「だから刹那、泣かないで」

 泣いている?
 誰が。
 誰が、貴様などのために。
 そう思って瞬きした時、刹那の頬を雫が伝い流れてレジーナの頬に落ちた。
 レジーナがゆっくりと両手を伸ばして刹那の頬に触れた。
 その手は暖かかった。…昨日彼の手を握った彼女の手はもっと熱かったのに…。
 嗚咽を堪えて歯を食いしばり、刹那はレジーナを抱き締めた。
 そうすれば、旅立って行く魂を引き止められるとでも言うように。
 肩を震わせる刹那の背中を見遣って、ガデスはそれまで自粛していた葉巻を銜えた。

(…だから俺は忠告してやったじゃねーか、深入りしたら情が移って別れの時に辛いぞって)

 ちらりとセカンドを見遣ると、無表情で突っ立っている。恐らく彼の中で泣きじゃくるファースト人格をなだめたり慰めたりしているのだろうと察しはついた。
 ガデスの心の中には、レジーナへの哀悼も刹那に対する同情もなかった。あるのはただ、馬鹿なあの男への不快感だけだ。
 …レジーナは、刹那の頬に触れてその涙に両手を濡らして優しく微笑んだ。

「ありがと、刹那。私の為に泣いてくれて。私、絶対にあんたのこと忘れないよ」
「…………っ」
「あんたに会えて良かったと、思うよ…」

 両手が滑り落ちて、青灰色の眼が閉じられた。
 ゆっくり、ゆっくりと、鼓動が弱くなって行くのを感じる。
 涙が止まらない。
 …頭の中に何かが見えた。
 一瞬遅れて、レジーナの記憶が流れ込んでいるのだと察した。
 藍紫の髪をすっきりとまとめて眼鏡を掛けた生真面目そうな男。
 カルロだ。

『私達はずっと一緒だよね?兄さん』
『ああ、勿論だよ』

 優しい笑顔。愛情と慈しみに満ちた穏やかな笑顔。
 レジーナの記憶の中で、カルロはいつも優しく微笑んでいた。妹の為に一生懸命だった。
 いつも唐突に走り出す彼女を困った顔で見ながらそっと手を差し伸べて、いつでも妹の味方だった。
 ノアが崩壊した時。新生ノアを結成した時。ガデスが裏切った時。超能力研究所に掴まった時。そこから助け出された時。いつでも兄は妹の隣にいて、常に庇ってくれて、いつも守ってくれた。
 ああそうか、これはレジーナの思い出話、『素敵な兄さん』の自慢話だ。
 女の長話など欠片ほどの興味もなかったが、刹那は黙ってレジーナの『話』に耳を傾けてやった。
 レジーナの話を聞くのはこれが最後なのだから。
 もう二度と彼女の兄貴自慢は聞けないのだから。
 せめて最後くらいは。

 

 

 白い帽子を被った幼いレジーナがミモザの花畑の中を走っている。
 すごいすごい、どこまで行っても見渡す限りのミモザの花!
 ほら見て!
 振り返ったその顔が不安に曇る。両親の姿も、兄の姿も見えない。
 はしゃいで走り回ったせいではぐれてしまったらしい。
 半べそをかきながら必死で家族を探していると、ミモザの花を掻き分けて兄が姿を見せた。
 ああレジーナ、やっと見つけたよ。駄目じゃないか、一人で遠くに行っちゃ。
 ごめんね兄さん、心配かけて。次からはちゃんと兄さんと一緒に行くね。
 約束だよ、レジーナ。
 うん、約束!
 兄が伸ばした手をレジーナが握った。
 兄妹は手を繋いで歩き始めた。
 一緒に行こう。
 どこまでも、いつまでも、二人で。
 ずっと…一緒に。


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サイキ部屋
総合目次


 ここのエピソードは、言いたい事が色々あるようなでも何も言えないような、そんな話です。αの暴走で重傷を追ったレジーナが、刹那に看取られて(カルロに は会えずに)逝ってしまう…って展開は10年前と同じです。もうこれほんと救いがないな…とは思っていて、今回のリメイク版では死に目にカルロに会える展 開にしようかとも思ったんですが、いや、やっぱり会えないままって展開の方が良いと思い直して10年前と同じになりました。
 レジーナの台詞は結構変えました。10年前の小説ではカルロへの想いを口にしながら、死にたくないと言いながら逝ったのですが、今回は刹那への想いを最 期に言わせてみました。このエピソードの為に16話くらいから刹那とレジーナの絆みたいのを意識して書いて来たのですが、うまくいったでしょうか…。