THE DARKNESS
EPISODE 31:西暦2012年11月21日 サイキッカー部隊基地内刹那の私室


 …新生ノアが崩壊して一週間が経った。
 TVをつければ飽きもせずに司会者やレポーターが興奮気味にノアや軍部の『独占情報』とやらを紹介している。ノア結成の理由やその目的は公開できないか らか、軍に対する国民の印象を良くするためか、ノアに属さないサイキッカーに対する印象を良くしたいのか…サイキッカー部隊が話のネタに取り上げられる事 が多かった。
 十数年前、過熱したバッシングと共に世の中から追放した政治家を今更になって取り上げ褒めちぎる番組を、刹那は冷め切った眼で眺めていた。
 テーブルを挟んで刹那の反対側のソファに腰を降ろしてTVを見ていた栞が不思議そうに首を傾げた。

「刹那殿は軍の秘密兵器と伺っておりましたが、お父様の顔やお名前まで紹介してよろしいのでしょうか?」
「国や軍には一般市民に知られたくない秘密が山ほどあるからな。国家機密を守るためなら『秘密兵器』の秘密など幾らでも公開して構わないんだろう」
「だからと言って刹那殿やブラド殿のプライベートを無神経に紹介しなくても…」
「そう嫌な顔をするな、栞。ちゃんとマスコミには圧力をかけているから知られて困るような情報は世の中には流れていない。世間のサイキッカー部隊への好感度を上げるのも、軍のお偉方に恩を売るのも計画の内だしな」
「計画…。あの、軍を乗っ取ってサイキッカーへの迫害を止めさせると言う計画ですか」

 刹那の私室なので会話が盗聴されている可能性はまずなかったが、栞は声を潜めた。
 …少将の『解放宣言』で自由の身になった栞は、一人で生活するのが難しい事もあって普段はクリスの部屋に居候している。そして、口が固く聡明な彼女は刹那が気負いなく本音を話せる貴重な存在でもあったので、話し相手として彼の部屋を訪れる機会が多くなっていた。
 少女の言葉に軽く刹那は頷いて、テーブルの上に無造作に置かれた階級章を手にとった。
 少佐の階級章。

「栞。これが何を意味するか分かるか?」
「……?刹那殿が軍の中で偉くなって、権力も大きくなったと言うことでは?」
「表向きはな」

 刹那は皮肉に笑って階級章を栞に放り投げた。
 慌てて手を伸ばしてそれを受け止めた彼女が怪訝そうな顔をする。

「新生ノアは壊滅したが幹部達の生死は不明のままだ。しかしウォン司令官は少佐から中佐に、ブラドは大尉から少佐に、そして俺は大尉を飛ばして少佐に二階級特進した」
「………。軍上層部には何か思惑があると言う事ですか?」
「司令官は中佐になって、戦力としてのサイキッカー部隊と研究部門の両方を統括する立場になった。ブラドは空席になっていた研究所の方の少佐に就いた。そして戦力部分の名目上トップに据えられたのが、少し前まで一兵卒だった、佐官としての経験も実力もないこの俺…」
「つまりウォン殿とブラド殿は、サイキッカーの戦力部分と直接関わる地位から体よく外された。そして戦力部分のトップには『軍上層部が大きな期待を寄せている』刹那殿…」
「色々と勘ぐりたくなるな。ウォンとブラドを追い払って、軍上層部は俺を操り人形にサイキッカー部隊の実質指導権を握るつもりか?」

 刹那は皮肉な笑みを浮かべた。
 少佐への昇格辞令を出す時、少将はしきりに『特別』『特例』『異例』を連発していた。さぁ国軍に感謝しろ、忠誠を誓え、これからも人間の味方であれと言わんばかりに。
 栞はかわいらしい眉をそっと寄せた。

「軍の偉い方々はウォン殿やブラド殿が邪魔なのでしょうか」
「目障りには違いないだろう。あの二人はこの国の人間ではないしな…しかしあいつらの後ろにはこの国の軍でも迂闊に手出しできない、無視できない巨大な組 織と資金がある。ウォンズ・コーポレーションとキルステン財閥、その後ろにはチャイナとEUの影…。機嫌を損ねないよう繋がりは維持したいが強大な軍事力 を握らせるのは危険、諸々の折り合いをつけた結果が…」
「お二人と強い絆と信頼関係のある刹那殿を少佐にして間接的に御機嫌を取ること、ですか」
「名ばかりでお飾りの…な」
「…………」
「しかし、名ばかりだろうがお飾りだろうが少佐は少佐。肩書きに見合っただけの発言力と権力が今の俺にはある」

 唇から笑みを消して刹那は拳を握った。
 国軍と敵対するのではなく、内部からじわじわと世界を変える…それがウォンとブラドの計画だ。
 頭を垂れ、忠誠を誓い、尻尾を振ってでもこの組織の中で伸し上がれば夢に手が届く。刹那の少佐の地位はその第一歩だ。
 多大な犠牲と引き換えに得た地位…。
 刹那は辞令が出てからずっと心に引っ掛かっていた事をポツリと口にした。

「…栞」
「はい?」
「俺は…仲間の命と引き換えに少佐の地位を手に入れたのか?」

 何度も心を過った想い。
 エミリオやガデスやウエンディーを切り捨てて、彼らを踏み台にして自分は少佐の地位に昇ったのか…?
 …眼を伏せた刹那に栞ははっきりと言った。

「そんな事はありません」
「………」
「少佐の地位を得たのは刹那殿の実力です。エミリオ殿やガデス殿は関係ありません」
「随分きっぱりと言い切ったな」
「あのお二人ならきっとこうおっしゃいます。『俺達の命と引き換えにしたのが少佐の地位なんて冗談じゃない。最低でも総大将になってもらわないと困る』って」
「…確かにそう言いそうだな」

 差し出された階級章を受け取る。
 刹那はそっと眼を閉じた。
 …ウエンディーがノアから戻らなかった事を、クリスは悲しんだ。しかし『周りが止めたのに行くと言い張ったのはあの子自身だから』と、ノア内部に残った仲間を切る判断をした刹那やブラドを咎めるような事は一切しなかった。
 その事実が溶けない棘のように刹那の心に刺さっている。
 あの時。
 一刻の猶予も無いと仲間を切り捨てる判断をしたが。
 考えずにはいられない、周囲の人間を守りつつノア内部に残った彼らが無事に帰れる手段は他に無かったのか…?
 …TVは彼の父を紹介している。
 お人好しで、馬鹿正直で、愚直なほど真直ぐだった父。

「…俺は親父のようにはなりたくないと思っていた」
「……?」
「十何年前だったか。この国で大規模なテロが起きて…首謀者と思しき男が逮捕された。そいつは無罪を主張したが、誰も信じなかった。…俺の父親以外は」
「………」
「正確に言えば、親父は無罪を信じた訳ではなく『無罪を主張しているなら徹底的に調査をすべきだ』と主張したんだが…ろくに調査もしないままその男は有罪判決が下り、そして俺の親父は『テロリストを擁護した国の裏切り者』と烙印を押されて世界の表舞台から追放された…」

 独り言のような刹那の話。
 脳裏に浮かぶ、父の顔。父の口癖。

「親父はいつも言っていた。『己の良心と信念に恥じない生き方をしろ』と。子供の頃は立派な言葉だと思っていたし、その言葉通りに生きている親父を尊敬も していた。しかしあの一件を境に俺は親父を軽蔑するようになった…己の良心と信念に恥じない生き方をした結果がこれか。自分の信念を貫いて全てを失ってそ れで満足か?本当に後悔していないのか?父は失脚した後も言っていた、『私は自分の決断を自分の良心に誇れる。もし明日殺されるとしても、天国にいる父と 母に、自分の最期を胸を張って報告できる』と…」
「………」
「強がりだと、ずっと思っていたんだが」

 全てを失った後も決して誇りを失わなかった父。後悔する言葉など一度も口にしなかった父。そして、そんな父を一度も悪く言わなかった母。
 …自分の良心と誇りに胸を張れる生き方。
 刹那は思う。

「もし俺が明日死んだとしたら、ノアが崩壊した時の自分の行動を後悔していないと言えるだろうか。内部に残った仲間達を助ける方法を考えもせず切り捨てた判断をした事を、自分の良心に誇れると…胸を張ってあの世にいる親父に言えるだろうか…?」

 自分が下した判断は『正しかった』と思う。正しかったからこそ少佐の地位を得たのだ。
 しかしその『正しい判断』は己の良心に恥じないものだろうか。胸を張って誇れるものだろうか。
 こんなことを己に問いかけている時点で答えは出ているとも言えるのだが…。
 栞は真摯な顔で口を噤んでいる。刹那の言葉に想うところはあるが、意見を求められていないから黙っている…そんな表情だ。
 刹那は微かに唇の端を持ち上げた。

「何かお言葉を頂けませんか、神妃様」
「えっ!?」

 冗談まじりの台詞に栞は眼を丸くして素頓狂な声を出した。
 かわいらしい反応に刹那はクスリと笑った。

「あの判断は正しかったと思いながら、未だにウダウダ悩んでいる俺をスカッとさせるようなお説教でも聞かせてくれないか?」
「お説教、と言われましても…」

 栞は少し困ったような顔をして何か想いを巡らせると、背筋を伸ばして真剣な眼になった。

「…では刹那殿、お尋ねします」
「ん」
「あの時どのような判断をしていれば、刹那殿は『己の良心と誇りに恥じない決断をした、だから自分は後悔していない』と思えるのですか」
「…………」

 言葉に詰まった。
 何か言おうと唇を開くが言葉は出て来ない。
 レジーナの意向を無視して連れ帰る?
 ノアを脱出する前にエミリオを止める努力をする?
 脱出した後に中に残った連中を助ける手段を考える?
 …そんな事をしていたら、自分は…いや、ウォンやブラドも、どんな状況に立たされていただろう。軍の中で昇格するどころか地位や命があったかどうかも疑わしい。
 それは己の良心に恥じない判断かもしれない、しかし全てを失う可能性がある道だ。
 栞は厳かな表情で続けた。

「刹那殿は『全てのサイキッカーが自由に暮らせる平和な未来』の為に戦っているのでしょう。御自身の良心と誇りは、その素晴らしい目的よりも重いものです か。サイキッカーの未来を左右する重要な局面で自己満足の道を選択し、挙げ句に今まで築いて来たものを無になどされたら、『全てのサイキッカーが自由に暮 らせる平和な未来』の為に命を落とした者達は死んでも死に切れませぬ」
「………」
「…刹那殿は、個人的な感情よりも全てのサイキッカーの未来を優先した。良心よりも信念を選んだ。良心ではなく信念に誇れる判断をした…そう考えては如何です?」
「良心ではなく、信念…」

 小さな少女の言葉が確かな重みを持って心に響く。
 刹那は膝を掴んだ手に力を込めた。

「迷うのも、傷付くのも、後悔するのも、悪い事ではありませぬ。人はそうやって己を振り返り、反省し、悪い箇所を修正し、折れた心を繋ぎ直して、より良くあろうと成長するのです」
「………」
「大切なのは後悔しない事ではありません。後悔を糧により高みを目指す事、そして何よりも、強い決意と信念を持って前を見て進み続ける事ではありませぬか?刹那殿のお父様がおっしゃったことも、つまりはそういう事なのではないでしょうか」
「………親父は折れたまま終わった。失脚して、世界の表舞台から追放されて二度とそこに戻る事はなかった!」

 刹那は拳でテーブルを叩き、苦く口を閉じた。
 …父の背中。いつも見ていた父の背中。
 いつの頃だったろう、あの背を追うのをやめたのは。
 一度折れても尚、諦めず信じる道を進む父から眼を逸らしたのは。

「目に見える、形に残る結果が出なくとも、未来への礎になるのならそれはとても偉大な事でしょう」

 栞の静かな声。
 刹那は拳に視線を落としたままその声を聞いていた。

「人ひとりの力は弱く、命は短いもの。たった一人で成し得る事には限界がある。だからこそ人は手を取り合い、子を為し、希望を未来へ繋いでゆくのです」

 初陣で訪れた超能力研究所の所長が脳裏に浮かんだ。
 後に続く者の道標になれたらと、そう思って…。
 後に続く者の道標。
 迷わぬように、間違わぬように、躊躇わず進めるように、父が拓いてくれた道。
 父が遺した心の道標。

(…あんな親父のようにはなりたくないと思いながら、結局は親父の背中を追い掛けていたのか、俺は…)

 今なら分かる、自分は逃げたのだと。
 父のようには『ならない』ではなく、父のようには『なれない』と思ったから。だから、真正面から向かい合うこともせずにあれこれ御託を並べて逃げ出したのだ。
 今なら素直に認める事ができる。
 刹那は眼を上げて栞を見た。

「栞、俺は親父のようにはならない」
「…はい」
「親父は親父、俺は俺だ。俺は俺の信じる道を行く。後悔する事もあるだろう。反省する事もあるだろう。迷う事もあるだろう。…だが」

 今、ここで誓おう。
 異国の神の妃の前に。

「俺はもう、逃げない。絶対に、何があろうともだ」
「…刹那殿の生き様…この命が尽きようとも、神妃の名に賭けて見届けさせて頂きましょう」

 栞は神秘的な眼で確かに頷いた。
 この命が尽きようとも。
 さらりと言われた言葉が刹那の心を締め付けた。
 ノアが崩壊しても、研究材料として使い潰される事はなくなっても、すり減らされた栞の命は残り僅かだ。
 刹那は努力して微笑みを浮かべた。

「約束しよう」
「では、指切りですね」

 栞の左手に左手の小指を絡める。
 約束を交わして刹那は小さな手をそっと握った。
 栞の薬指には永遠の未来を誓った徴が嵌まっているのに、遠くない未来に手の届かないところに行ってしまう。
 その動かぬ事実がどうしようもなく悲しかった。


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サイキ部屋
総合目次


 ノア崩壊後日談その2です。前回チラと触れましたが刹那は中尉→少佐に昇格、偉くなりました。実際の軍隊の昇格制度は全く分からないのですが、まぁフィク ション世界の話なので色々理由を付けてこれでいいかなーと。今回の昇格ネタにはあまり深い意味は無いので…。刹那の父親に対する精神的なこだわりとか栞 ちゃんとの心の絆みたいのを紹介しつつ状況説明の回です。刹那の精神的成長が見えて来たなと思っていただければ幸いです。