双子神2012・ 融合
EPISODE 15


 最早どこからどう突っ込めばヘカーテの暴走を阻止できるのか見当もつかない双子神達が『ちょ、おま』な顔で絶句していると、ハーデスが至って真剣な顔で口を開いた。

「ヘカーテよ。『二兎を追う者一兎をも得ず』という諺もあるぞ。相手が手強いなればこそ、同時並行で口説き落とすのは無理があろう。欲張らずどちらか片方に目標を絞った方が良いと余は思うが」
「む。鋭い指摘だなハーデス」
「ハーデス様のお言葉、私も同感です。どうぞ、初志貫徹でこの世界のタナトス攻略をお続け下さい。左手の薬指に填める指輪を贈られたのなら攻略まであと一歩ではありませぬか」
「………。むー」

 まだ迷っているヘカーテの様子にヒュプノス(赤)はじれったくなってきた。
 ヘカーテがタナトス(黒)にターゲットを絞ると決めれば、それはつまり彼女がこの世界を去ると言うことで、有能な秘書役女神がいなくなったらこの世界の 冥界の神々も困るし寂しいだろうに、どうして誰も彼女を説得しようとしないのか。タナトス(銀)だって、顔にはっきりと『不愉快』と書いてダンマリを決め 込むくらいなら、嘘でもいいから『あなたがいなくなるのは寂しいからこの世界に留まって下さい』とでも言えばいいのだ。そうすればヘカーテは大喜びでタナ トス(黒)を諦めるだろうに。
 …こうなったら仕方がない。ヘカーテに双子神をいじるネタを与えてしまいそうで正直嫌なのだが、背に腹は代えられない。
 ヒュプノス(赤)は意を決して口を開いた。

「ヘカーテ様。このタナトスは私のものです。あなたに渡すつもりはありません。どうか諦めて下さい」
「…お前のもの?」
「そうです、私のものです」

 きょとんと眼を瞬くヘカーテにヒュプノス(赤)は大きく頷いて同じ言葉を繰り返した。
 ヘカーテは指を唇にあてたままヒュプノス(赤)の言葉の意味を考えている。直接的な言葉ではないが、タナトス(黒)とヒュプノス(青)は恋人同士だから他の誰かが割り込む隙はないのだ…と言う事は分かってくれたはず…。
 …ヘカーテはポンと手を打って輝くような笑みを浮かべると、ヒュプノス(赤)の期待を木っ端微塵にする言葉を口にした。

「つまり、鬼畜眼鏡を落とせば、『お前のものは俺のもの』理論で自動的に黒髪タナトスも私のものになると言う事だな!これぞまさしく『一石二鳥』という奴だ!」
「「ええええええええーーーーーーーーーーーっ?!」」

 何故そうなる。何故そうなる!!!
 余りの奇想天外な論理展開に双子神達だけでなくハーデスも口をあんぐり開けて絶句したが、ヘカーテはニコニコと笑いながら長椅子を降りてヒュプノス (赤)に歩み寄った。思わずヒュプノス(赤)は後ずさったが、兄神を壁際まで引っ張って来たせいですぐに壁に背中がぶつかってあっという間にヘカーテに追 い詰められる形になった。ヘカーテの暴走についていけないタナトス(黒)はオロオロと美貌の女神と弟を交互に見るばかり。
 冷や汗を流しながらヒュプノスは引き攣った笑みを浮かべた。

「あの、ヘカーテ様。先ほども申しあげましたが、好意を持っていない相手を口説くのはいかがなものかと…」
「安心しろ、私はお前のことも好きだ!」

 あっさり。
 そしてバッサリ。
 ますます冷や汗を流すヒュプノス(赤)に、ヘカーテは曇りない笑みを浮かべて見せた。

「元はと言えば、私はお前達ふたりに惚れて冥界に降りて来たのだ。そして最初はタナトスもヒュプノスも口説き落とそうとしていたんだ。でも、『アプローチ が消極的で拍子抜けだ』とタナトスが言ったから、奴を口説き落とすことに専念することにしたのだが、どうにも奴は手強くてな…。苦戦している間にこの世界 のヒュプノスは結婚してしまって、流石に既婚者を口説く訳にもいかないから結果的にタナトス一筋になったわけだが…。ああ、話が逸れたが、私はお前のこと もちゃんと好きだし、お前は結婚していないし、私がお前を口説くことに問題はないだろう?」
「え?いえ、あの、でも、あれ?」

 問題だらけのような気がするのだが、どこがと言われると返答に詰まる。
 論理思考派の性格が裏目に出て戸惑うばかりのヒュプノス(赤)に、ヘカーテは完璧な曲線を描く身体を悩ましげに密着させてその頬に触れた。

「安心しろ、私はタナトスの事も好きだからお前とタナトスの間に割って入るような真似はしない。適度に私を構ってくれれば好きなだけ睦まじくして良いぞ。悪い話ではなかろう?」
「え?え…?」
「ああ、別に逆でも構わんぞ。私がお前かタナトスのものになってやっても良い…私を口説き落とせたら、の話だが」
「いえ、あの」
「それが無理なら私のものになれ…ヒュプノス」

 ヘカーテは妖艶に微笑むと、ついと身体を伸ばしてヒュプノス(赤)の唇に甘く口付けた。
 その途端、オロオロしていたタナトス(黒)が眉間に皺を寄せてふたりを引き離そうとした。
 …が、彼の手が届くより僅かに早く、大股に近づいて来たタナトス(銀)がヘカーテをヒュプノス(赤)から引き剥がすなりヒュプノス(赤)の足を蹴飛ばした。

「いっ、たぁ…っ」

 ヒュプノス(赤)は痛みに顔をしかめ、タナトス(黒)は一瞬ぽかんとし、薄く涙をにじませた眠りの神(赤)が眉を吊り上げた。

「ちょ…いきなり何だ?!」
「何だはこっちの台詞だ!何をボサッと突っ立ってされるがままになっているのだ!言葉で説得できぬなら女性相手でも多少の実力行使は必要だろう!押し返す くらいなら出来るであろうが!ミスドの店内で恥知らずな言葉を叫ぶ度胸がある癖に、何故ヘカーテ様の誘いを断る程度の事が出来ぬのだ!そんな腰抜けだから 大神に女にされた揚句アレスに辱めを受けるのだぞ!!」
「なっ………」

 まだその話題を引っ張るか。
 ヒュプノス(赤)が抗議しようと口を開くと同時に、タナトス(銀)はヘカーテに噛みついた(黒髪のタナトスは文句を言うタイミングを逃して再びオロオロし始めた)。

「ヘカーテ様もヘカーテ様です!お戯れも程々にして頂きたい!冗談にも限度と言うものがあります!!」
「ん?私は本気だったが」
「なお悪いです!!」
「何故?」
「何故って、………」

 ヘカーテがきょとんとして言った言葉に、タナトス(銀)は詰まった。
 …そう言えば、何故だろう?
 ヘカーテがヒュプノス(赤)に口付けた時、積もり積もった苛々が限界を超えて思わず割り込んでしまったが…本気で惚れた相手を口説くことの、一体何が悪い?いや、そもそも、ヘカーテが異世界の双子神を口説いたことが、何故こんなにも不愉快だった?
 自分の感情も行動も理由が分からず、戸惑って黙り込むタナトス(銀)の姿に、ヒュプノス(赤)は微かに目を眇めた。
 理不尽に足を蹴られたことへの仕返しと、自分達に対するヘカーテの感情を逸らすことが出来る『一石二鳥』の反論を思いついたのだ。いや、ゼウスに女にされた話題すら霞むから『一石三鳥』か。
 …眠りの神(赤)はわざとらしく眼鏡をかけ直して殊更に冷静に言葉を紡いだ。

「何だ…要するにお前は、私達に妬いていたのか」
「は!!??」

 ヒュプノス(赤)の冷ややかな言葉にタナトス(銀)が素っ頓狂な声を出して目を丸くした。
 え、と驚いた皆の視線が銀の死神に集まって、彼はますます目を丸くしてヒュプノスを凝視した。

「ちょっと待て。お前の言っている言葉の意味が分からぬ」
「愛しのヘカーテ様が『他の男に惚れた宣言』をして絡み始めたから嫉妬したのだな、と言っているのだ。これで分かったか?」
「待て。ちょっと待て。誰がいつ嫉妬した?」
「お前の今の理不尽な行動と言動が嫉妬でなければ何なのだ?違うと言うなら説明してみるがいい。特定の恋人がいない女性が好意を持った相手を口説くことの何が悪いのか。さぁ、説明して頂きましょうか、『兄上』?」
「………、………」

 慇懃無礼なヒュプノス(赤)の問いに、タナトス(銀)は何か言おうと口を開き、何も言えずに口を噤んだ。
 嫉妬?この俺が?まさか!有り得ぬ!
 …いや、しかし、だったら…ヘカーテ様がチビ共に絡み始めた時の不愉快な苛立ちは、どんな言葉なら説明できる?
 自分自身の感情を把握できずにタナトス(銀)が戸惑っていると、ヒュプノス(青)が大きく溜息をついた。

「本当にお前は子供だな、タナトス」
「ん?」
「例えが失礼なのは承知で言わせてもらうが、お前の今の行動は『誰のものでもないのに勝手に自分専用だと思っていた玩具で他の誰かが遊び始めた』と言って腹を立てる子供そのものだぞ」
「……………」

 タナトス(銀)は凄まじい仏頂面になったが、『ヘカーテの事を好きで嫉妬した』と思われるよりは子供扱いされた方がマシだと思ったのか、何も言い返さず口を噤んだ。
 兄神が黙ったのを見て、ヒュプノス(青)はまだきょとんとしているヘカーテに目を向けた。

「ヘカーテ様。あなたが好意を持った相手を口説く行為そのものに文句を言うつもりはありません。ですが、彼らに惚れたからと言ってあなたが異世界に行かれ てしまっては冥界の皆が困ります。ヘカーテ様がいなくなっては我々も寂しくなりますし、いずれ冥界に帰還するベルセフォネー様も酷く悲しまれるでしょう。 それに冥界の運営そのものにも多大な悪影響が出る事は間違いありません。我々にとってあなたはもはや、なくてはならない存在なのです。その事実をお忘れな きようお願いいたします」

 一気に言い切ったヒュプノス(青)は、タナトス(銀)にちらりと視線を向けてどこか不機嫌そうな顔で口を噤んだ。
 …タナトス(黒)は、不機嫌そうな仏頂面の双子神を見て、まだ少し不完全燃焼気味の弟神(赤)を見て、ホッとしたような顔をしているハーデスを見て、ま だ状況を把握しきれていないらしいヘカーテを見て、今までの話をもう一度頭の中で整理して、至ってシンプルな結論にたどり着いてにっこりと笑った。

「ヒュプノス達は妙に回りくどく煩雑な言葉を並べていたが、要するにタナトスは『俺はヘカーテ様が好きだから、どこにも行かずにずっと俺と一緒にいて欲しい』と思っているわけだな!」
「なっ…」

 何故そうなる、と言いかけてタナトス(銀)は言葉を飲み込んだ。
 嫉妬したなどとは絶対に認めたくはないが、ヘカーテを玩具扱いするのは抵抗があるし、冥界の運営云々とビジネスライクに割り切れる話ではない。
 …自分と、自分達とヘカーテの絆はそんなありふれた言葉で表現できるものではない。
 癪に障る事この上ないが、タナトス(黒)が口にした言葉が一番彼の心情に近く、プライド的に容認できるギリギリの落とし所だった。
 …浅く呼吸して、タナトス(銀)は傍らで目をぱちぱちしている美貌の女神をちらりと見て、渋々口を開いた。

「…なるほどな」
「?」
「お前の片割れに突拍子もない事を言われて混乱していたが、お前の発言が一番的確であろうな」

 たちまち目を輝かせ、頬を染めて見上げてくるヘカーテに目を向けて、タナトスは精一杯感情を押さえて言葉を押しだした。

「ヘカーテ様。『俺達』はあなたが好きです。あなたは『俺達』の仲間で、友人で、かけがえのない家族です。ですから、どこにも行かず、これからも『俺達』と一緒にいて下さい。お願いします」
「うん…うん!タナトス、お前がそう言うなら私はここにいる!どこにも行かずにここにいる!」
「では、異世界の我々を口説き落とす事は諦めて頂けますね?」
「分かった、あいつらの事は諦める!」
「ありがとうございま…あぁっ!?」

 最後まで言い終わる前に、ヘカーテは勢いよくタナトス(銀)に抱きついた。
 …不意をつかれたタナトス(銀)が彼女を受け止められるはずもなく、ヘカーテがタナトス(銀)を床に押し倒す姿勢でひっくり返った。椅子やテーブルに頭をぶつけなかったことだけが不幸中の幸いだった。
 押し倒されたタナトス(銀)はとにかく起き上がろうと必死にもがいたが、ヘカーテに抱きつかれ、しかも彼女がはしゃいで足をばたつかせている状況では無 理な相談である。無論と言うべきかハーデスもヒュプノス(青)も異世界の双子神も助けてくれる気はないらしくふたりを眺めている。。
 ヒュプノス(青)は感情の見えない無表情で、ハーデスは穏やかに微笑みながら、異世界の双子神は楽しそうに笑いながら言葉を交わした。

「何だ、私達は当て馬にされただけか」
「結局ふたりはラブラブと言う訳だな」
「お前達、この状況の何をどう見たらそういう解釈になるのだ!…と言うか、見ていないで助けぬか!!」

 顔を真っ赤にしたタナトス(銀)が喚いた言葉に異世界の双子神は顔を見合わせて、同時にクスッと笑いあい、そして。

「お前は、私達がヘカーテ様に抱き潰されていた時に助けを求めても助けてくれなかったからな」
「うむ。ヘカーテ様の腕の中から玩具を取り上げてはタダでは済まないのだろう?まぁアレだ」
「ドレだっ!!」
「「我々の平和の為に尊い犠牲になってくれ」」

 なーむー。
 異世界の双子神はわざとらしく無表情になって拝む真似をした。

「ちょ…何が『なーむー』だっ!!そもそもその決め台詞は俺達が先に…んんっ!!」

 辛うじて上体を起こしたタナトス(銀)が抗議しかけたが、ヘカーテに口付けされ唇を塞がれて再度床に押し倒されて床をベシベシ叩く羽目になった。
 そんな死神の姿にヒュプノス(赤)は口元を柔らかく綻ばせた。

「これにて一件落着、という奴か」
「…ヒュプノス」
「何だ、タナトス?……」

 …問いかけは兄神の口付けで遮られた。
 微かに驚くヒュプノス(赤)にタナトス(銀)はにこりと笑ってみせる。

「俺はお前のものだ。そしてお前も俺のものだろう?この世界のヘカーテ様は確かに素敵な方だが、お前を差し上げるわけにはいかないな」
「………ん」

 ヒュプノス(赤)は軽く顎を引いてタナトス(銀)に口付け、異世界の双子神は額をくっつけ合って嬉しそうに笑いながら互いの指を絡めて手を握った。
 そんなふたりの様子にハーデスはきょとんとした顔でヒュプノス(青)を見遣った。

「ん?あちらのタナトスとヒュプノスはそういう関係なのか?」
「ええ、そういう関係ですよ」
「そうなのか。…ヘカーテよ、浮気は思い留まって正解だったようだぞ」
「そうだな。無駄な努力に骨を折るところだった」

 漸くタナトス(銀)を寝技から解放したヘカーテは屈託なく笑って、ムスッとしているタナトス(銀)の頬にそっと触れて優しく撫でた。

「やっぱり私はこの世界のタナトスが好きだ。…お前が、好きだ」
「………」
「私は今後もお前一筋だぞ」
「………。ありがたきしあわせにぞんじます、ヘカーテさま」
「何だその棒読み発言は。少しは喜んだらどうなのだ」
「大いに喜んでおりますが」

 相変わらず仏頂面のまま抑揚のない声で言いながらタナトス(銀)は立ち上がり、部屋の扉に向かった。
 どこに行くのか、と言いたげな皆の視線を感じたのか、彼は半分だけ振り返った。

「イルカが気になるので様子を見てきます。…それに、少し外の空気を吸って頭を冷やしたいので」

 その言葉を『しばらくひとりにしてくれ』と言う意味だと理解した馴染みの神々とヒュプノス(赤)は何も言わず頷いたが、タナトス(黒)はイルカと聞いて顔を輝かせた。

「イルカを見に行くのか?なら俺も行く!」
「……………」

 タナトス(銀)は了解も拒否もせずに無言で部屋を出て、タナトス(黒)は『ダメと言われなかったから良いのだろう』と後を追おうとした時、彼の腕をヒュプノス(赤)が掴んで引き留めた。

「何だ?」
「タナトス、背中に糸くずがついているぞ。取ってやるから少し待て」
「ああ、すまんなヒュプノス」

 片割れの言葉を何も疑わず立ち止まった死神の背中を、ヒュプノス(赤)は人差し指でツー…となぞった。

「っひゃぁう?!」

 何も警戒していない時に予想外の行動をとられたタナトス(黒)は素っ頓狂な叫び声を出し、皆の注目を集めたことに気付いて頬を赤くすると、ニヤニヤしている弟神をわざとらしく睨んで見せた。

「な…何をするのだヒュプノス。ゴミを取るのではなかったのか!」
「ああ、そうだったそうだった。お前が背中を見せるとどうしてもな…」

 ツー。

「どゎっひゃぁ!!」

 一度ならず二度も素っ頓狂な悲鳴を上げたタナトス(黒)は、掴まれていた腕を振り払うと『もう背中は見せぬぞ』と言いたげにヒュプノス(赤)と向き合った。

「ゴミはもう良い、取ってくれなくて良い。俺はイルカを見にいくぅわぁ?!」

 …ヒュプノス(赤)を警戒しすぎたタナトス(黒)は自分の後ろがお留守になっていて、背後をとったヘカーテに背中をツー…とされて三度叫ぶ羽目になった。
 タナトス(黒)を絶叫させたヘカーテは悪戯好きな子供そのものの笑みを浮かべて目をキラキラさせると、背後からタナトス(黒)を抱き締めると…いや、押さえつけると言った方が正確か…何度も背中にツー…と指を走らせた。

「うひゃ、ちょ、やめて下さいヘカーテ様、あは、あはははははっ、くすぐったい、くすぐったいですぅぅぅぅ!!!!」
「んー?やめろと言われたらますますやりたくなってしまうなぁ、ウフフフフフフフフ。そぉーれ、ツー♪」
「どひゃひゃひゃひゃひゃ!!ああっ、そうだヘカーテ様、うゎっひゃ、耳より情報を教えて差し上げますから、もう勘弁して下さ…あはははははは!!」
「ふむ、耳より情報か…。それは一体どんなものだ?」
「ヒュプノスの弱点です」
「ほう…」

 ヘカーテは一度眼を見開いて目眩がするほど甘い小悪魔的な笑みを浮かべ、クスクスと声を出した。
 高みの見物を決め込んでいたヒュプノス(赤)がぎょっとなるのを視界の端で捕らえつつ、ヘカーテはお約束の台詞を口にした。

「実の弟を生贄に差し出すとは…越後屋、おぬしも悪よのう」
「いえいえお代官様ほどでは」
「して、ヒュプノスの弱点とは?」
「腰です」
「ふむ、腰か。では…」
「あ…ああ、タナトス、イルカを見に行くのだったな。ならば私も一緒に…」

 がし。
 イルカを口実にヘカーテから逃げようとしたヒュプノス(赤)の腰帯をヘカーテが捕まえた。冷や汗を流しながら引き攣った顔で振り返れば、満面の笑みを浮かべた美貌の女神と眼が合った。

「………………」
「ムッフフフフ。………こちょこちょこちょ☆」
「!!!!」

 腰をくすぐられたヒュプノス(赤)は、兄神のように素っ頓狂な悲鳴などあげてなるものかと歯を食いしばって耐えた。
 笑いを堪えるあまり痙攣しながらヒュプノス(赤)がソファに突っ伏すと、ヘカーテはますます楽しそうに彼の腰をくすぐりながら不意にわざとらしく真顔になってタナトス(黒)を見遣った。

「ここは私に任せて先に行け!」
「え?」
「今のタナトスと話が出来るのはお前だけだ!今追えば間に合う、だから早く!」
「ぷっ。…こほん、分かりましたヘカーテ様。必ずタナトスを連れて帰って来ますっ!」

 少年漫画のお約束のような会話を交わして、タナトス(黒)はタナトス(銀)を追って部屋を出て行った。
 …タナトス(黒)の足音が聞こえなくなるまでヒュプノス(赤)の腰をくすぐって、ヘカーテは漸く彼をくすぐり攻撃から解放した。
 素っ頓狂な悲鳴はあげずにくすぐり攻撃を耐え抜いたヒュプノス(赤)は、どさりとソファに身体を投げ出してタナトス達が出て行ったドアに目を向けた。ふたりはタナトス神殿に向かったのだろうが、方向音痴の自分ひとりで彼らを追うのはもう無理だ。
 ヒュプノス(赤)は浅く嘆息してこの世界の神々を見回した。

「何故、私がふたりを追う事を止めたのです?」
「私がお前のタナトスに言った通りだ、『今のタナトスと話が出来るのはお前だけだ』」
「…タナトスが部屋を出る時に言った『外の空気を吸って頭を冷やしたい』と言う言葉は、『しばらく放っておいてくれ』と言う意味だと分かっているだろう?お前まで追いかけてはタナトスは頭を冷やすどころか混乱するばかりだ」
「ならば私の兄も止めるべきではなかったのか」
「そなたの兄はタナトスの言葉の裏を考えたりせず、ありのまま受け取った。そんな素直な彼が相手なら、思わぬ事を言われて頭が混乱しているタナトスも話をできるであろう。だから今は、タナトスを追わずにいてくれぬか」
「………。ハーデス様がそうおっしゃるのなら」

 …少しだけ、私のタナトスを貸してやろう。
 ヒュプノス(赤)は淡く微笑んで金色のそっと睫毛を伏せた。

蝶様に描き下ろして頂いた素敵挿絵 はピクシブで閲覧できます!


NEXT


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


  ヘカーテ様、絶好調で大暴走中の15話目です。「当サイトヘカーテが蝶様双子神に絡み始めて、当サイトタナトスがヤキモチから割り込んで、その嫉妬心に 蝶様双子神が突っ込む」というネタは、蝶様とツイッターでお話しする間にそりゃーもう大量に出てきました。話の流れで泣く泣く没にしたネタもあります…。 ヘカーテに「二兎を追うもの一兎をも得ずと言うぞ」と言うハーデスと、その言葉を聞いて「眼鏡ヒュプを落とせば『お前のものは俺のもの』理論で黒髪タナト スもゲットできる!」と意気込むヘカーテ、というネタは絶対入れる!と思っていました。ツイッターのネタでは、ジャイアニズム全開ヘカーテに対して当サイ トタナトスが「それは節操なしと言うものですよヘカーテ様」と突っ込む予定でした。しかしいつまでもボケ突っ込みしてても話が進まないので、「ヘカーテ様 が蝶様ヒュプを口説いてキス→当サイトタナトスが見てられずに割り込む」という流れにしました。
 で、ヘカーテの「浮気」ですが、大好きな双子神が倍に増えてテンションがダダ上がりし、タナトスから「可愛い乙女」と言われて舞い上がった結果、脳味噌 のヒューズが飛んじゃって盛大に暴走して羽目を外した…と考えています。言い方は悪いですが「一時の気の迷い」で、結局彼女が本当に(恋愛感情的な意味 で)好きなのは当サイトタナトスです。
 そして当サイトタナトスの感情を、蝶様ヒュプは(理不尽に蹴られたので仕返しの意味も込めて)『嫉妬心』と指摘しましたが、『独占欲』と言った方が適切 かなと思っています。当サイトヒュプが言う『誰のものでもないのに勝手に自分専用だと思っていた玩具で他の誰かが遊び始めたと言って怒っている』が一番的 確な指摘です。もう少し違う言い方をすれば、「『あなたが自分の一番の親友だ』と言ってとても仲良くしている友達が、他の誰かと仲良く遊んでいるのを知っ た時の面白くない感情」みたいなものでしょうか。
 ヘカーテを引き留める当サイトタナトスが『俺』ではなく『俺達』という言葉を強調してるのは、「ヘカーテを好きで、一緒にいたいと思ってるのは『皆』で あって『自分(だけ)』じゃないんですよ」とアピールしたいからです。色々と面倒くさい男子のプライド。
 何にせよ当サイトタナトスは、今回の一件で「嫉妬や独占欲と言う感情が自分の中にある事」と「ヘカーテが自分以外の誰かに恋をする可能性があるという当 たり前の事」を知ったわけです。この辺については次の16話と18〜19話、そして「蝶様双子神滞在二日目」のエピで、タナトス・ヒュプノス・ハーデスの 視点から話をしようと思っています。
 んで。
 ハーデスとヒュプノスは、「蝶様双子神を追いかけてヘカーテが異世界に行っては困る」と思っています。理由はヒュプが言っている事の他、、「ヘカーテが いなくなったらタナトスの精神状態に少なからず悪影響がある」と懸念しているからでもあります。ハーデスは臣下のプライベートには余り積極的に口を出さな い主義なのでかなり曖昧な引き留め方ですが、その曖昧な制止ではヘカーテの暴走を止められなかったので、ヒュプが割とはっきりと引き留めに出ています。何 でヒュプが不機嫌かと言うと、「自分から兄を奪う可能性のある最大の脅威を、兄の為に引き留める」という矛盾した行為に苛立ちを感じているからです。ヒュ プに取ってヘカーテはある意味「最大の恋のライバル」であると同時に、「弟の自分では不可能な立場・方法で兄を支えられる存在」であるのです(この辺の事 は当サイトヒュプ+蝶様ヒュプの会話でいずれ触れたいと思っています)。