双子神2012・ 融合
EPISODE 19


  浴槽の中に椅子を置かなくても沈まない事が嬉しくて、異世界の双子神が浴槽の中でうたた寝をしたり風呂場に置いてあった玩具で一通り遊んだりする頃にはゆ うに小一時間が経過していた。風呂を満喫したふたりがハーデス神殿に戻ると、この世界の神々は一足も二足も先に戻っていたらしく、卓には既に酒やジュース やつまみが用意されていた。
 ふたりがリビングに入ってくるなりタナトス(銀)が眉間に皺を寄せて怒鳴った。

「遅いぞ、チビ共!」
「だから私達はチビではないと…言っても無駄であろうな」
「だろうな。『ブタ』と呼ばれるよりはチビの方がまだマシだ」

 内緒になっていない内緒話をしながらふたりが席に着くと、タナトス(銀)はふたりの前にグラスを置いて、サイドテーブルに並んだビールやワインや焼酎を指した。

「元の姿に戻ったのだから酒もイケるであろう?何が良い?ちょっとしたカクテルやサワーなら作ってやるが」
「あ…せっかくだが俺達は酒はダメだ」
「うむ。下手をしたら匂いだけで酔っぱらってしまう故、ハーデス様からきつく飲酒を禁止されている」
「そちらの世界の余が禁止するほどそなたらは酒に弱いのか?」
「はい。弱いうえにタチの悪い酔い方をしてしかも記憶が無くなるもので…」

 怪訝そうなハーデスの問いにタナトス(黒)は恥ずかしそうに苦笑した。

「…以前、酔った勢いでハーデス神殿を半壊させてしまって…それはもう厳しく叱られて」
「この神殿を壊しても構わないなら頂きますが」
「……………」

 どこまで本気か分からない真顔でヒュプノス(赤)が応えると、ヒュプノス(青)は無言で烏龍茶やジュースを差し出した。
 氷の入ったアイスペールをヒュプノス(赤)に差し出しつつ、ヘカーテがタナトス(黒)に尋ねた。

「お前も烏龍茶か?ジュースやハーブティーもあるぞ」
「酒が飲めぬガキならミルクで良いでしょう。ちょうどミルクも苺もある故、苺ミルクを作ってやろう」

 タナトス(銀)が皿に盛ってあった苺を潰して苺ミルクを作り始めると、タナトス(黒)は一度ムッとした顔を作ってからにこりと笑った。

「ガキ扱いするなと何度も言っているであろう。…だが、それはそれとして苺ミルクは貰う。何だか美味そうだからな」
「フフン」

 何だか妙に嬉しそうに笑いながらタナトス(銀)がタナトス(黒)のグラスに苺ミルクを注ぐと、タナトス(黒)は楽しげに笑いながら片手で狐の形を作ってタナトス(銀)の頬をつついた。

「ガジガジガジ」
「ぷっ…。そんなつまらぬ事をして喜ぶとは。身体が大きくなっても、所詮お前はガキと言う事だな」
「ふっ…。こんなつまらぬ事をされて喜ぶとは。身体が大きくても、所詮お前もガキと言う事だな」
「…………」
「何だ何だ、またタナトス達だけでそんな楽しそうな事をして!私も混ぜろ!」

 わざと怒った顔をしたヘカーテが椅子から立ち上がってタナトス達の間に割り込むと、ふたりのタナトスは顔を見合わせ、ニヤリと笑って、ふたり一緒に片手を狐の形にしてヘカーテの頬を両側からつついた。

「「ガジガジガジガジ」」
「…………。んふ。んふふふふふふふ」

 ヘカーテは小さな少女のように頬を染めて嬉しそうに笑うと、椅子を引っ張ってきてそのままタナトス(銀)とタナトス(黒)の間に座った。
 美貌の女神は上機嫌でワインの瓶を取るとタナトス(銀)に渡して、さぁ酌をしろと言わんばかりの仕草でグラスを差し出した。
 タナトス(銀)は渡された瓶を流れるような仕草で隣のヒュプノス(青)に渡して、澄ました顔でピッチャーに残っていた苺ミルクをヘカーテに差し出しだ。
 たちまちヘカーテは不満そうに眉根を寄せた。

「ちょ、タナトス!どうして私まで子供扱いなんだ!」
「畏れながら申し上げますが、ヘカーテ様の酒癖の悪さもそこのチビ共と良い勝負。異世界からの賓客が来ているこの状況でお酒を差し上げるわけには参りません」
「いいじゃないか、一本くらい」
「ダメです」
「じゃあ半分」
「ダメです」
「…………」

 ぷぅ。
 お兄ちゃんにダメだしされたヘカーテが子供のように頬を膨らませると、タナトス(銀)はアッチョンブリケの要領でヘカーテの頬を押し潰した。

「んみゅふ!?」
「…ぷっ」

 ヘカーテの奇妙な悲鳴(?)にタナトス(銀)が思わず噴き出すと、つられた様に他の皆も噴き出した。
 ブーブー。
 アッチョンブリケされたままヘカーテが不満そうに唇を尖らせると、タナトス(銀)が苦笑しながら彼女の頬から手を離してヒュプノス(青)が持っていたワインの瓶を受け取った。

「分かりました、笑ってしまった以上は俺の負けです。お望み通り差し上げましょう」
「やった!」
「ただし、一杯だけですよ。二杯目からはソフトドリンクをお飲み下さい」

 ブーブー。
 ヘカーテが二度目の膨れっ面を作ると、タナトス達が狐の形の指で彼女の頬をつついた。

「「ガジガジガジガジ」」
「…ぷっ」
「あ、笑いましたね?ヘカーテ様」
「笑った以上はあなたの負けです。潔く諦めて下さい」
「くっ…仕方ない、今日のところは引き下がってやるが、次は覚えていろよ」

 どこかで聞いたような捨て台詞を言ってヘカーテがグラスを差し出すと、タナトス(銀)は笑顔でワインを注いだ。
 …全員のグラスに飲み物が注がれると、ハーデスが軽くグラスを掲げて乾杯の音頭を取った。

「この素晴らしい出会いを祝して…乾杯!」

 かんぱーい!
 皆はグラスを掲げてカチンと触れ合わせ、『風呂上がりの一杯』を楽しみ始めた。





 ささやかな酒宴が終わった頃にはすっかり良い時間になっていた。
 心地よく酔いが回ったタナトス(銀)はピッチャーに残った苺ミルクを飲みほして異世界の双子神に目をやった。

「さて、そろそろ寝所を用意せねばならないな。お前達、誰の神殿に泊まりたい?そちらのヒュプノスが方向音痴な事を考えると、間取りが同じなヒュプノス神殿が無難なような気もするが」
「それはつまり、どこかの部屋を借りて俺とヒュプノスふたりだけで寝ると言う事だよな」
「気が進まぬのか?」
「う…ん」

 タナトス(黒)とヒュプノス(赤)は顔を見合わせ、複雑に口籠り、言いにくそうにぽそっと口を開いた。

「八雲紫もエリシオンまで入りこむ事は出来ないと頭では分かっているのだが、その、皆と離れてふたりだけと言うのは…」
「何と言うのか、落ち着かないと言うか、気が休まらないと言うか…」
「フッ…要するにふたりだけで寝るのは怖いから皆と一緒に寝たい、と言う事か」
「え…あ…まぁ…そうなる、かな」

 タナトス(黒)が恥ずかしそうに頷くと、ヒュプノス(青)が至って真面目な顔でハーデスを見遣った。

「幻想郷の神は『八雲紫は神の領域を侵す程の力はない』と言っていましたが、万が一という事も有り得ます。万が一の可能性に気を揉むくらいなら、いっそ皆一緒に同じ部屋で休んだ方が良いかもしれません」
「ふむ、いわゆる雑魚寝か。それも良いのではないか?ティタノマキアが終わって余が冥界に降りて来たその夜に、余と兄上達と伯父上達がひとつの部屋に寝所を仮ごしらえして皆一緒に眠ったのも良い思い出だしな」
「ではハーデス神殿の客間に寝所を用意させましょうか。お前達、皆で雑魚寝で構わぬな?」
「俺とヒュプノスは有難いくらいだが…」
「?」

 タナトス(黒)の歯切れの悪さに怪訝そうな顔をしたタナトス(銀)は、彼の視線の先を見て、拗ねた顔で唇を尖らせるヘカーテの姿に微妙な顔になった。
 女神の自分が男神達と一緒に雑魚寝したいと言っても却下されるのがオチだろう、つまらない、また自分だけ仲間はずれか…子供のように頬を膨らませた顔にはっきりとそう書いてある。タナトス(銀)は何とも困った顔で主君と弟と異世界の双子神を見遣った。
 ハーデスとタナトス(黒)は苦笑し、ヒュプノス達は何かを諦めた顔で目を伏せた。
 …タナトス(銀)は盛大に溜息をついてヘカーテに声をかけた。

「ヘカーテ様。壁と俺の間と言うポジションで、就寝中に誰も襲わない、場所も移動しないと確約して下さるなら、雑魚寝仲間に参加させて差し上げますが…如何なさいますか?」
「え、本当に?いいのか?」

 思わぬタナトス(銀)からの提案にヘカーテは目を丸くして皆を見回し、ニコニコしているハーデスと苦笑しているタナトス(黒)、全てを諦めた顔で明後日の方を見ているヒュプノス達を見て、パッと顔を輝かせてうんうんと頷いた。

「するする、約束する!お前の隣から動かないし、誰も襲わないと約束する!」
「…では、寝所を六人分用意させましょう」
「皆で雑魚寝…うふふ、合宿みたいでわくわくするな!」

 楽しげに目をキラキラさせるヘカーテを見て、タナトス(黒)はそっと隣にいた神々に囁いた。

「ヘカーテ様、女性の自分が『襲う側』にされてることに何の疑問も持たぬのだな」
「…我々がヘカーテ様を襲う理由が無いからな。ヘカーテ様が我々を襲う理由はあるが」
「確かにあの方は悪戯で我々を襲いそうではある…さっきこの世界のタナトスも押し倒されていたしな」
「そう言ってやるな。ヘカーテとて洒落にならぬ悪戯はごくたまにしかやらぬ故、安心して良いぞ」

 ハーデスが穏やかに笑って言った『たまにしか』という単語に異世界の双子神は微妙な顔になったが、ヘカーテのキャラにだいぶ慣れてきたのか、特に何かを言う事もなくタナトス(銀)とヘカーテを手伝って酒宴の片付けを始めた。






 窓にかけられた緞帳の隙間から月の光が差し込んでいる。
 銀髪のタナトスは隣に寝ているヘカーテとヒュプノスを起こさないように、そっと寝返りを打った。
 …仮ごしらえの寝室はとても静かで、静かすぎて余計な事を考えているうちに目が冴えて眠れなくなってしまったらしい。
 眠りの神ヒュプノスの力も双子の兄である自分にはあまり効果が無いから、わざわざ起こして力を行使してもらうのも悪い気がする。
 ごろりと身体の向きを変えると、横向きで眠っているヘカーテと向き合う形になった。
 タナトスはそっとヘカーテに手を伸ばして、どこか微笑むように微かに開いた唇を指で撫でた。

(ヘカーテ様が『他の男に惚れた宣言』をして絡み始めたから嫉妬したのだな)
(他の誰かにヘカーテ様を取られてしまったらどうする?信念を貫いた結果だから後悔しない、と思えるのか?)

 異世界の『自分達』に言われた言葉が心に澱のようにわだかまり、どうにも落ち着かない。

(……………)

 もどかしさに浅く息を吐いた時、軽く髪を引っ張られた。
 ヒュプノスを起こしてしまったかと視線を動かしたタナトスは、『犯人』がハーデスだと気付いて目を丸くした。
 敷布の上に身体を起こしたハーデスは、穏やかな笑みを浮かべて無言のまま部屋の入口を指差した。部屋の外で話をしよう、ということだろう。
 タナトスが静かに身体を起こすとハーデスもそっと立ちあがり、二神は足音をたてないように寝室を出た。





 …丁寧に手入れされたハーデス神殿の庭園をゆっくりと歩きながら、タナトスは話を聞くタイミングを探していた。
 色とりどりの花で飾られた噴水の前に設えられた、ベンチと言うには豪華すぎる椅子を主君に勧め、自身もその隣に腰を降ろしてタナトスは口を開いた。

「眠れませんでしたか」
「少しばかり微睡んだのだが、ふと目が覚めてな。…そなたは眠れなかったのか?」
「はい。考え事をしていたら、目が冴えてしまって」
「それは異世界のそなたらが、兄上とヘカーテとの仲に関して言った言葉が原因か?」
「…………正直、戸惑っています」

 タナトスが噴水に映る月を見詰めたままポツリと言うと、ハーデスが首を傾げる気配があった。
 微かな逡巡を挟んでタナトスは独りごとのように続けた。

「忌み嫌われる死の神である俺の中に、『嫉妬心』や『独占欲』などとありふれた感情があったのか…と」
「自分で思っているほど自身が『特殊』ではないということ、ようやく気付いたか?兄上」
「…………」

 タナトスが銀色の睫毛を瞬いてハーデスを見ると、『弟』はふふ…と笑った。

「そなたは昔から、自分を『特殊』だと思い込んでいる節がある。いや、『異端』と言った方が適切か…要するに『悪い意味で自分は普通ではない』という認識を持っている気がしてならぬ」
「……………」
「人間がそなたを誤解するのは無理はない。しかし人間の言葉や感情に縛られて神々にまで心を閉ざして、親交を持った神にも真の意味では心を開かぬそなたを見るのは、少なからず悲しかった。天界の神も海界の神もそなたを『異端』などと認識してはいないのに、と」
「……………」
「しかし時代は変わった。人間も変わり、そなたの心も少しずつだが変わりつつある」

 柔らかな光を孕む翠の眼を噴水に向けて、ハーデスは静かに言葉を紡ぐ。

「余は満足に動く事は出来ぬが、冥闘士達の言葉は聞こえてくるし、地上の人間の発言も様々な手段で知る事が出来る。彼らは概ねそなたをこう評しておる… 『タナトス様って、仕事に私情を挟まないだけでプライベートでは普通のオニーサンなんだな』」
「…………。普通…」
「そう、『フツー』だ」

 絶望してばかりの教師が受け持つ生徒を指す様な口調で言って、冥王はタナトスに優しい目を向けた。

「そなたは決して『異端』ではない。少々特殊な仕事に就いていて、好意を持っている女性が他の誰かに取られそうになったら不快に感じる、至って『普通の』男だ」
「…………」
「…タナトス」

 ヘカーテの話題に触れた途端に唇を曲げた銀の神には気付かぬ振りをして、ハーデスは続けた。

「余はそなたやヒュプノスやヘカーテの事を家族だと思っている。だからそなたらが幸せになる事を願い、ずっとそばにいてくれる事を望んでいる。…しかし、その願望は必ずしも両立しないということを…薄々分かってはいたが、今日はっきりと突き付けられてしまったな」
「!…………」
「ヘカーテが冥界ではない世界の誰かに恋をして、その誰かを追いかけて冥界を去ることになっても、余は引き留める事は出来ぬ。己の幸せを諦めてここに留まってくれとは言えぬ。余に出来るのは、『幸せになってくれ』と笑顔で見送る事だけなのだ、とな」
「…………」

 それはタナトスも同じだ…と暗にハーデスは言っている。
 ヘカーテと正式な恋仲ではないタナトスもまた、ヘカーテの恋や幸せを縛る事は出来ないのだと。
 …短くない沈黙の後、タナトスは複雑な顔で口を開いた。

「『態度をはっきりさせずにいても、ヘカーテ様はいつまでも俺を想ってくれるに違いない』などと自惚れてはいないつもりです。ですが、ヘカーテ様の心を動かし射止められる男など誰がいる?と思うと…」
「今ひとつ危機感を感じぬ、か」
「海界の皇子や大神ゼウスの子息ですらヘカーテ様の心を掴み切る事は出来なかったのに、他の誰に出来るのか、と」
「…………。エリスを介した又聞き故、一言一句正確ではないかもしれぬが、ヘカーテの事をベルセフォネーはこう言っていたそうだ」

 ハーデスの前置きにタナトスは目を瞬いた。
 言葉の内容から察するに、ヘカーテについて何かしらコメントした『ベルセフォネー』とは、神話の時代の記憶を無くして地上にいる龍神秋乃の事だろう。
 一体彼女は何を言ったのか…タナトスが無言で促すと、ハーデスは穏やかな顔で口を開いた。

「遅かれ早かれ、冥王ハーデスの元には私が戻って、ヒュプノスさんの元にはパシテアさんが戻る。私もパシテアさんも愛する夫と幸せに暮らしているのに、ヘ カーテさんは、タナトスさんとは『恋仲のふり』で宙ぶらりんのまま。そんな状況になったら、ヘカーテさんがタナトスさんを想う気持ちがぐらつくんじゃない かしら。『私も、私を愛してくれる彼か夫が欲しい』って」
「……………」
「そんな心の隙が出来てる時に、ヘカーテさんはタナトスさんと付き合ってないって知った誰かから『いくら愛しても応えてくれないタナトスの事は諦めて自分と結婚してくれ!』って熱烈に求愛されたら、ヘカーテさんの心は揺れるんじゃないかな…と、妃は話していたそうだ」
「……………」
「事実、トリトンは結婚を前提にヘカーテに復縁を迫っていたな。余りにもタイミングがマズ過ぎた故、玉砕して終わってしまったが…」
「……………」

 状況が変わったらどうなるか分からぬな。
 濁された言葉尻に続く台詞を察したのだろう。ヘカーテが異世界の双子神に絡み始めた時のような不機嫌顔になったタナトスを見て、ハーデスはどこか楽しそうに続けた。

「そうそう、この話には続きがあるのだ」
「続き?」
「ベルセフォネーは面白そうに笑ってこう付け足したそうだ。『でも、誰かの猛アプローチに心が揺れてるヘカーテさんを見たら、展開が面白くないタナトスさ んが不機嫌を爆発させてヘカーテさんに交際か結婚を申し込んじゃいそうな気がするな。子供って、自分の近くに置いてあるだけで他の子が遠慮して手を出さな い玩具にはわざと興味無い振りするけど、他の子が『遊んでないならそのおもちゃ貸して』って言ったら『ダメ!これはボクの!』って言って慌てて抱え込んで 遊び始める事があるでしょう?タナトスさんもそんな感じじゃないかなーって。皆の前で言っちゃったからもう後に引けなくなって外堀を埋められてあれよあれ よとなし崩し。ありそうじゃない?』」
「……………」
「ちなみにエリスは『超ありそうだよねー。アレスとかアポロンに挑発されたらスティクスに誓っちゃいそうじゃん、あの馬鹿兄貴』と言っておった」
「……………」

 次に会った時には適当な口実で拳骨をお見舞いしてやるぞ、エリスめ。
 タナトスは仏頂面で眉間に皺を刻みつつ、冥妃と妹神のコメントについては何も言わず黙り込んでいる。
 …もう心配は必要ないようだな。
 彼の沈黙の意味を正しく解釈したハーデスは、話を切り上げる為に口を開いた。

「実はな、タナトス。さっき余が言った、『ヘカーテが冥界ではない世界の誰かに恋をしてここを去ると言ったら、余が出来るのは見送るだけ』…というアレはタテマエだ。兄のそなたが相手故、ホンネを話そう。…ここだけの話として聞くのだぞ」
「…は」
「ヘカーテは最早我々の家族だ。冥界以外に送り出すなど、冥界以外の男の嫁にやるなどとんでもない話だ。故に、もしヘカーテが冥界以外の男に恋をしたら、 相手の粗を全力で探して、嘘をついて罠に嵌めてでも、ヘカーテが相手の男に幻滅して別れるように仕向ける。無論、我々が仕組んだとは分からないように、穏 便かつ自然な方法でやらねばならぬ。万一その時が来たら、そなたとヒュプノスも全力で協力するのだぞ」
「……………」

 タナトスは銀色の眼を見開いてハーデスをまじまじと見て、肩を小刻みに震わせながら声を押し殺して笑いだした。

「ククククククッ…畏まりました、我が主。万一その時が来たならば、俺は即座にオリンポスに出向いて『恋愛成就の疫病神』アポロンに協力を要請いたしましょう。ヒュプノスとオネイロイにも知恵を出させて計画を練りましょう」
「うむ。何と言ってもそなたらはあのデメテル姉上の愛娘を余の妃にした実績があるからな。その逆もお手のものであろう。期待しておるぞ、兄上」
「必ずやご期待に応えて御覧に入れましょう。そのような時が来たら、ですが」

 タナトスは屈託のない笑みを浮かべて椅子から立ち上がり、冥王に手を差し出した。

「では、そろそろ寝所に戻りましょうか」
「そうだな、余も程良く眠気が戻って来たぞ」

 ハーデスはタナトスの手に頼って立ちあがり、二神はハーデス神殿の寝室に戻って行った。





 音を出さないように寝室の扉を開けて、床に横になったハーデスに薄絹をかけたタナトスが弟の隣に体を横たえると、眠っていたとばかり思っていたヒュプノスに袖を引かれた。
 起きていたのか、と目顔で尋ねると金の神は微かに顎を引いた。

「……………」

 タナトスが無言で手を差し出すと、ヒュプノスは差し出された手のひらに指で文字を書き始めた。言葉を発せず、文字でのやり取りも出来ない状況で双子神が使う意思疎通の手段のひとつだ。

『何かあったのか』
『別に。俺もハーデス様も目が冴えて眠れなかった故、庭を散歩をして来ただけだ』
『それだけか?』
『少しばかり話もして来た』
『それはヘカーテ様に関する事か?』

 タナトスは深刻極まりない貌をしているヒュプノスを見遣り、口元を綻ばせて弟の手のひらに指を走らせた。

『ヘカーテは我々の家族ゆえ、冥界以外の誰かの嫁にやるなど有り得ぬ。万が一の事があった時はあらゆる策を弄して結婚話を破談にするのだぞ。ハーデス様が このように命令された故、その時が来たら必ず御期待に応えて御覧に入れます、と答えておいた。無論その時はお前も知恵を出すのだぞ?』
『そうか。ハーデス様の命令ならば仕方ないな』

 ハーデスとタナトスの話の内容が兄神とヘカーテの仲そのものに関する事ではなかった…と分かって安心したのか、ヒュプノスは金色の眼差しを柔らかく和ませた。
 タナトスは開いた方の手で弟神の髪を一度くしゃりと撫でて目を閉じた。
 …繋いだ手から弟神の小宇宙が流れ込んで来たのか、眠りはほどなく訪れた。

蝶様に描き下ろして頂いた素敵挿絵 はピクシブで閲覧できます!


NEXT


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 タナトス神殿の お風呂には子供向けの玩具が色々置いてあると思います。面白いものに目が無いタナトスが買って来たアヒルとか、船とか。蝶様タナ様は大人になってもそう言 うおもちゃで遊びたがり、蝶様ヒュプはお風呂でもうたた寝するそうなので…さらっと入れてみました。
 前々からの打ち合わせで合ったネタは、『お酒が飲めない蝶様双子神に苺ミルクを出す当サイトタナトス』と『苺ミルクを貰いつつ手を狐の形にしてガジガジ する蝶様タナ様』でした。酒を飲もうと言ってる場に苺やミルクがあるかな?と思ったのですが、『プリティ・ウーマン』の映画で主人公達がシャンパンのつま みに苺を食べてたし、カルーアミルクと言うカクテルもあるし、さほど変ではないかなと。
 そして『タナトスがヘカーテをアッチョンブリケ』はいつかどこかでやりたいと思っていたネタなのでここで入れました。アッチョンブリケとは、ブラック ジャックの助手ピノコが両手で頬を押し潰して唇を尖らせるアレです。きっとヘカーテ様のほっぺはプニプニしててアッチョンブリケのし甲斐があるに違いな い。
 神々の雑魚寝も打ち合わせ段階からネタがあって、蝶様双子神が大人なのに女性のヘカーテも一緒というのはどうだろうとかなり悩んだのですが。21話をス ムーズに運ぶことも考え、この場に集まった神々の中で一番強いのがヘカーテなので(仮に何かが間違って襲われても余裕で返り討ちですし)まぁいいかな、と 決行しました。ちなみに皆の並び順ですが、 壁 蝶様タナ様・蝶様ヒュプ・ハーデス・当サイトヒュプ・当サイトタナ・ヘカーテ 壁 です。
 んで後半。
 ハーデスは臣下のプライベートに滅多に口を出さないのですが、今回はちょっと一歩踏み込んで話をして頂きました。今まで散々言ってきましたが、当サイト タナトスは『自分は忌み嫌われる死神。神々だって心の底では自分を嫌っているんだろう。俺が本気で懐に入ろうとしたらきっと逃げるんだろう』と無意識に 思っています。そんな勘違いをハーデスがやんわりと諭した感じを出したくて頑張りました。
 この辺は書いては消し書いては消し…。そして秋乃(ベルセフォネー)の予想した展開は、『本当にそんな事があったら確かにやってしまいそうだ』とタナト スは思ったから不機嫌になり、ハーデスは『ヘカーテが他の誰かに取られそうになったらタナトスは(交際や結婚を申し込んででも)阻止する』と確信したから 安心して、とぼけた方向に話を持って行って終わらせたわけです。
 そして『手のひらに文字を書いて意思をやり取り』ネタは22話以降への伏線も兼ねています。
 次の20話はまた蝶様世界の話です。マニさんと、マニさんの前に現れた八雲紫の漫才…いえいえ、打ち合わせの回です。書いてて楽しかった!


↓は、上手くいかなくて没にした部分です。
 
「エリスから聞いた話なのだがな。天馬星座はそなたを『業界屈指のでかい葬儀会社のお偉いさんみたいなもんだろ』と解釈し、それに対してアンドロメダは 『役所の死亡届受理担当の窓口にいるお兄さんじゃない?』と返し、フェニックスは『そして、仕事には一切の私情を挟まないプロ意識の持ち主だな』と発言し たそうだ。なかなか的確な表現ではないか」
「葬儀会社に、役所の窓口ですか…」
「そして彼らは『当たり前だけど、仕事の肩書きと本人のキャラ、仕事とプライベートは無関係なんだよな』と付け足したそうだ」
「……………」