| 西暦2012年2月14日、冥界。 マニゴルドとシラーの蟹座コンビが神々の極楽浄土エリシオンを訪ねていた。二人は両手いっぱいに紙袋を持ち、マニゴルドはパンドラボックスのような箱を 背負い、シラーも箱を幾つか重ねて抱えている。二人の持っている荷物の大半は、タナトスのファンがブランドモデル事務所宛てに送ってきたバレンタインの チョコである。普段なら嘆きの壁までタナトスが出向いて三巨頭立会いの下で荷物の受け渡しや仕事の話をするのだが、今回は荷物の量が量だった。膨大な量の バレンタインチョコが事務所宛てに届いている、と報告を受けたタナトスは、『膨大な量のチョコ』の写真を一目見るなり『蟹座共のエリシオン訪問を許可す る。俺の神殿まで届けさせろ』と命じたのだった。 …タナトス付きのニンフに案内されてタナトス神殿の一室に入ると、死の神タナトスとその『彼女』である月と氷の女神ヘカーテ、そして冥界三巨頭が席についていた。蟹座二人が抱えている大量の荷物を見て、流石のタナトスも目を丸くした。 「思っていたより大量の荷物だな。先日送られてきた写真を見た時はここまでとは思わなかったが」 「あったりめーだろ。昨日今日でどれだけチョコが届いたと思ってんだよ。キリがないから出発前に届いた分は持って来たけど、まだ届いてると思うぜ」 「エルミタージュ洋菓子店の秋乃…店長から皆様へのチョコも預かってきました。先にこちらをお渡しします」 シラーは抱えていた箱を慎重にテーブルに置き、腕に提げていた紙袋は椅子に仮置きしてテーブルに置いた箱を開けた。中には綺麗にラッピングされた箱がきちんと並んでいる。シラーは一番上に乗っていた大きな箱をタナトスに差し出した。 「まずこれが、ハーデス様へのチョコです」 「おお、冥妃様からハーデス様へか。早速届けに行かねばなるまいな、きっとお喜びになろう」 「これがタナトス様、これがヒュプノス様、これがオネイロス様達で、これがオルフェウス君。これが三巨頭の皆用で…はい、これは先輩用の『義理チョコかっこ気持ちはプライスレス』だよ」 「何だよその、有難みもセンスの欠片もねぇネーミングは。ついでに野郎経由で義理チョコ貰うなんて冗談にしても笑えねーだろ」 「野郎経由の義理チョコでも貰えないよりはマシだと思うけど。バレンタインに女性からの義理チョコひとつ貰えなかったら、それこそジョークにもならないんじゃないの?女運ゼロのマニゴルド先輩」 「………………」 シラーの毒舌にマニゴルドはぐっと詰まった。 ここはひとつカッコよく『野郎経由の義理チョコなんぞいらねーや』と突き返してやりたいところだが、腹立たしい事にシラーの指摘は痛いところを鋭く的確 に突いていた。仮にも元黄金だというのにマニゴルドは本命はおろか義理チョコのひとつもまだ貰っておらず、これを拒否したら本当に『バレンタインに義理 チョコのひとつも貰えなかった』という結末になりかねない。 誰も受け取らないとは言ってねーだろ…とマニゴルドがモゴモゴ言いながらチョコを受け取ると、シラーは何も突っ込まずにフフッと笑った。彼の余裕綽綽の 笑顔はムカつくが(きっと彼は大量のチョコを貰ったのだろう)、口でシラーをやり込めようとしたところで手痛い反撃を食らうのは目に見えている。 仏頂面で黙り込むマニゴルドとドヤ顔で微笑むシラーを交互に見ながら、ヘカーテが不思議そうに首を傾げた。 「しかしその義理チョコ、青い蟹の言う通りセンスの無いネーミングだな。ベルセフォネーが考えたとは到底思えんひどさだ」 「無理も無いですよヘカーテ様。この義理チョコの名前を考えたのは、『聖域一ネーミングセンスの無い聖闘士』水瓶座の時貞ですから」 「あー、あの『時間拳』野郎か」 「そう、彼。バレンタインチョコの試食を頼んだ時のレポートに『義理チョコかっこ気持ちはプライスレス』って名前が書いてあったらしくてね、秋乃が面白がってそのまま採用しちゃったんだ」 「フフッ、冥妃様らしいな。その話もハーデス様にご報告しておこう」 「えっと、それから…」 シラーは冥妃からのチョコが入っていた箱を畳むと二つ目の箱を開けて、綺麗にラッピングされた箱をおずおずとタナトスに差し出した。 「これは、僕からタナトス様に…です。昨日、エルミタージュ洋菓子店で秋乃と一緒に作ったチョコブラウニーです。お口に合えばいいのですが…」 「ん…?…そうか、要するに俺への貢物だな。良かろう、受け取っておこう」 「ありがとうございます!これはハーデス様とヒュプノス様とオネイロス様の分、そしてこれはヘカーテ様に」 「え?私にもくれるのか?」 「はい。日本のバレンタインとは、お世話になっている身近な人にチョコを渡す文化だと聞いたもので」 それ違う。違うというか、『女性から男性に』という一番重要な部分が抜けている。…と、そこそこ日本の文化に詳しいタナトスとマニゴルドは思ったが、 せっかくの好意を無下にする事もあるまいと口を噤んでいた。恐らく秋乃は(何か面白いことが起きることを期待して)重要な部分を意図的に省略して『日本 のバレンタインと言う文化』をシラーに教えたのだろう。 タナトスとヘカーテがチョコを受け取ってくれたことに安心したのか、シラーは笑顔で爽やかな笑顔で三巨頭にもチョコの箱を差し出した。 「はい、君達にも」 「俺にもくれんの?そっか、いわゆる『友チョコ』って奴か、サンキュー!」 「しまったな、我々は何も用意して来なかったぞ」 「有難く頂きます。日本の文化に則って、お返しは来月のホワイトデーにさせてもらいますよ」 「楽しみにしてるよ。さ、先輩もおひとつどうぞ。何だかんだでお世話になってるからね」 「あ?お、おう」 屈託のない笑顔で箱を差し出されて、マニゴルドは戸惑いつつ箱を受け取った。 普段はクソ生意気でこれっぽっちも可愛くないムカつく野郎だが、こうして不意打ち的に可愛気のある事をされると『何だかんだ言っても後輩だし、困ってたら助けてやるか』という気分になってしまう。 …ったく。タイミングといい手腕といい、人に取り入る事にかけては本当に天才的だよな、コイツ。 渡されたチョコを眺めながらマニゴルドがそんな事を考えていると、タナトスがファンから送られて来たチョコを片っ端から開け始めた。どうやら彼のお目当 ては中身ではなくチョコに添えられた手紙やメッセージカードらしく、封を開けて手紙を見つけるとニッコリし、チョコしか入っていないとあからさまにガッカ リした顔になっている。剥がしたラッピングは無造作に床に落とされてチョコはテーブルに山積みになって崩れんばかりになって来たが、心得たオルフェウスと ニンフ達がてきぱきとゴミを片付けチョコを紙袋や箱に戻し、皆の為に飲み物も運んで来た。 …蟹座達がタナトスを訪ねたメインの目的は仕事の打ち合わせで、チョコのお届けはついでだったのだが、この様子では全てのメッセージカードや手紙をタナ トスがチェックし終わるまで仕事の話は出来そうになかった。が、死神様のご機嫌が麗しくなってから仕事の話に入った方が何かと都合がいいのは確かなので、 タナトスの作業が終わるのを待つことに人間達は何の不満もなかったのだが、タナトスの『彼女』ヘカーテは違ったらしい。当然と言えば当然である。自分の彼 氏が他の女からの『ラブレター』を嬉しそうに読んでいる姿に不満を感じない女性はそうそういないだろう。 不機嫌そうな顔で紅茶を飲みながらチョコを摘まんで十分ほど辛抱したらしいヘカーテは、タナトスが二つ目の紙袋に手を伸ばしたところで我慢の限界が来た らしい。サッと紙袋を掴んでタナトスの手が届かない椅子の上に置くと、きょとんとするタナトスにこれ見よがしにプーッと頬を膨らませて見せた。 この程度なら微笑ましいヤキモチだ…と人間達は思ったのだが、死神はそうではなかったらしい。フーッと大きく息を吐くと、不意に真顔になって美貌の女神の頬を両手で挟んでアッチョンブリケの要領で押し潰した。 「んみゅふ!?な、何をするのだタナトス」 「ヘカーテ様、つかぬ事をお伺いしますが」 「ん?」 銀の神はヘカーテの頬を押し潰したまま不気味なほど抑揚の無い声で言った。 「去年のバレンタインを覚えておいでですか」 「……………………」 そのセリフを聞いた途端、ヘカーテは明らかにギクッとしてタナトスから顔を背けようとした。が、タナトスは渾身の力でヘカーテの頬を押さえつけ、じーっと彼女の眼を覗きこんで再度尋ねた。 「お答え下さい、ヘカーテ様。去年のバレンタインを覚えておいでですか」 「……………………」 ヘカーテの眼が泳いでいる。思いっきり泳いでいる上に、冷や汗までかいている。 …去年のバレンタインって何があったの? …知らねーよ、その頃は俺もまだこの世にいなかったし。 シラーとマニゴルドが小声で囁き合ってちらりと三巨頭を見ると、三巨頭もまた何とも言えない微妙な顔で口を噤んでいる。 ヘカーテが視線を逸らしたまま黙っているので、タナトスは無表情のまま淡々と口を開いた。 「俺はよーーーーーく覚えております。ヘカーテ様は、バレンタインの手伝いをさせる為と一発ギャグの為に、冥闘士のバレンタインをご自身の神殿にお呼びになりましたね。わざわざ俺に、『冥闘士のバレンタインを呼んでくれ』とお申し付けになって」 「……………………」 すひゅー、すひゅー。 タナトスに頬を挟まれたまま、眼を明後日の方に泳がせて、冷や汗をだらだら流しながら、ヘカーテは尖らせた唇から妙な音を出し始めた。 …何あれ。 シラーが目顔でミーノスに尋ねると。 …口笛のつもりなのですよ。ヘカーテ様は口笛が吹けないのです。 こそりと囁き返された。 タナトスはそんな人間達を無視したまま、ヘカーテの頬をぎゅむぎゅむと押した。 「あの時俺は、本気でバレンタインデーが楽しみだったのですよ。なにしろ俺とヘカーテ様が『恋仲』になって初めてのバレンタインですからね。一体どんな本 命チョコを貰えるかと、それはもう子供のように期待していたのです。ヘカーテ様に嘆きの壁に呼ばれた時は、わざわざ冥闘士の前で渡してくれるとは、一体ど んな力作を下さるのかと思ってウキウキしながら出向いたのですよ。…なのに」 「……………………」 「まさか、冥闘士にくれてやったのとまったく同じ、バレンタインがラッピングした義理チョコを、しかも袋の底に残っていた物を渡されるとは思ってもいませんでした」 「「え」」 シラーとマニゴルドが思わず声を出すと、三巨頭はますます微妙な顔になり、ヘカーテはますます冷や汗をダラダラ流し始めた。 すひゅー、すひゅー。 ヘンテコな口笛を吹き続けるヘカーテの頬を押し潰したまま、タナトスはチクチクと続けた。 「その時は驚きました。心底驚きました。ですが、洒落の利いた悪戯をなさるヘカーテ様の事、これはいわゆるドッキリで、エリシオンに帰ればきっと本命チョ コを下さるのだろうと思って有難く義理チョコを頂きました。…まさか本当に、ギャグでも冗談でもなく、義理チョコ一個でバレンタインが終わるなど思っても いませんでした。翌日、顔を合わせたハーデス様やヒュプノスやオネイロイに『ヘカーテ様からは一体どんな力作を貰ったのだ?』と聞かれて、『冥闘士と同じ 義理チョコだけだった』と答えた時の、あの気まずい微妙な空気、お分かりになりますか?俺の返事を聞いて、引き攣った笑顔で『そ、そうか…。ところで…』 と不自然に話題を変えられた時の、俺のいたたまれない心境がお分かりになりますか、ヘカーテ様?」 「……………………」 うわぁ。 もう何も言えず、蟹座コンビは俯いたまま無言でカップを口に運んだ。 スパッと竹を割ったような性格だと思っていたが、この慇懃でネチネチした恨み節…やっぱりこの死神様はあの眠り神様の双子の兄なんだな、と妙に感心する人間達の前で、今度はヘカーテの頬をむにーっと引っ張ってタナトスは続けた。 「しかもバレンタインの後に地上に行ったら、天馬星座達まで尋ねて来るのです。『ヘカーテさんにはどんなスゲーチョコ貰ったんだ?』と。正直に答えたら、 連中はどんな反応をしたと思います?『タナトスサマ、ヘカーテさんにちゃんとバレンタインの説明したのか?なんか勘違いされてないか?』と心底心配そうに 言われたのですよ」 「……………………」 「しかしそれは去年の話、過ぎた事です。過ぎた事をアレコレ言っても不毛ですから、去年のことでヘカーテ様を責めるつもりはありません」 散々去年の事をアレコレ言ってヘカーテを責めたタナトスは爽やか過ぎて逆に不気味になる笑みを浮かべて見せた。 「…と言う訳でヘカーテ様。今年は一体どのようなチョコを頂けるのでしょうか?」 「えっ…と…」 滝のように冷や汗を流してウロウロと眼を泳がせたヘカーテは、何かを思いついた顔で漸くタナトスと視線を合わせた。 「そ、それは秘密だ。渡す前にネタばらししてしまっては、サプライズの意味がなくて面白くないだろう?」 「…なるほど」 タナトスの銀色の眼が意外そうに見開かれ、スッと細くなった。形の良い唇には素直な感情を孕んだ笑みが浮かんでいる。 「では、今年はヘカーテ様渾身の本命チョコを頂けると期待してよろしいのですね?」 「よろしいぞ。よろしいから少しばかり席を外してくれないか。少々当初の予定が狂ってしまったが、せっかくだから三巨頭と蟹座達に手伝わせて仕込みをしたいのだ」 「畏まりました。では、ハーデス様やヒュプノス達にチョコを配って参りましょう。二時間ほどで戻りますが構いませんか?」 「うむ、構わぬぞ」 「フフ…楽しみにしていますよ、ヘカーテ様」 チョコの箱を抱えたタナトスが上機嫌で部屋を出て行くと、さて…とヘカーテは真剣な顔で人間達を見回してテーブルに身を乗り出した。 「良いアイデアがある者は挙手!」 「うぉい!ひょっとしてとは思ってたけど、何も考えてねーのかよアンタ!!」 マニゴルドが思わず大声で突っ込むと、ヘカーテはうぐっと詰まってぼそっと答えた。 「考えてないからアイデアを募集しているのではないか。何か良い案はないか?二時間で準備ができる、バレンタインのサプライズイベント」 「…だとよ。なんかいい案ねーのか、女心を知り尽くしたシラーちゃん?」 「無茶言わないでよ、先輩。二日ならともかく二時間しかないんじゃ…。そもそも僕の得意分野は『男性が女性のご機嫌を取るにはどうしたらいいか』なんだか ら、女性が男性のご機嫌を取るのは専門外だしねぇ…。冥闘士の誰かをエルミタージュ洋菓子店に使いに出して、本命用のチョコでも買って来させるくらいしか 浮かばないなぁ。今すぐ秋乃に連絡を入れても、二時間じゃケーキも作れないだろうし」 「それではサプライズにならんな。何もないよりはマシだが…とにかく俺の部下のシルフィードを地上に派遣しよう」 「あとは、そうだなぁ…『ハッピーバレンタイン!』ってクラッカーでも鳴らすか?」 「それも『無いよりはマシ』の枠を出ませんねぇ…」 三巨頭と蟹座達は困惑顔を見合わせた。 タナトスが『サプライズバレンタイン』を楽しみにしているから落胆はさせたくないのだが、『でも、どうのこうの言って結局はヘカーテ様の自業自得だよね』という感覚があって今ひとつ真剣にアイデアを出そうという気になれないのだ。 そんな人間達の感情を感じ取ったヘカーテは、ううむと唸ってから何かを決意した顔で口を開いた。 「よし分かった」 「何がだよ」 「私のフォローをさせるのだからタダでアイデアを出せと言うのは虫が良すぎるな。この窮地を脱するナイスアイデアを出した者には、この月と氷の女神ヘカー テが褒美を取らせよう。私の権限と力の及ぶ範囲で出来る事なら何でも良いぞ。私は顔が広いからな、私の力で出来ない事を望むなら各界の神にかけあってやろう」 女神の言葉に人間達は目を丸くした。 ヘカーテの現在の肩書きこそ冥王ハーデスの臣下だが、冥界における地位はハーデス夫妻に次 ぎ、天・海・冥の各界に強い影響力を持ち、大神ゼウスも彼女を重んじている。ヘカーテの権力は冥府の神の一柱には収まらないほど絶大だと聞く。その彼女が 己の震える力を最大限に発揮したら…。 一気に真剣な眼差しになったマニゴルドが口を開いた。 「え…じゃあ、もしも、もしもだけどよ。俺が『女運ゼロ人生を変えてくれ』って言ったら変えてくれんのか?」 「私に運命を変える権限はないからな、事情を説明してモイライに頼んでやろう。一族の長兄タナトスが未だ妻を娶らぬ事をモイライも気にしているから、私と タナトスの仲を取り持ったお前に褒美をやってくれと頼めば聞き入れてくれるかもしれん。その場合、モイライはスティクスに誓った約束を破ることになるが、 罰を免除するか私が肩代わりする事を認めるようゼウスに交渉しよう」 「マジでか!?うお、俄然やる気が出て来たぜ!二時間でできるサプライズイベントだな…二時間か…」 大真面目に考え始めたマニゴルドを横目で見やり、シラーが真剣な顔でヘカーテに尋ねた。 「では、ヘカーテ様。僕が良いアイデアを出したらどのような褒美をくださいますか?」 「お前か。お前は…そうだな、死後はコキュートスではなくエリシオンに行けるようにしてやるというのはどうだ。勿論、お前が望めば…だが」 「ええっ!本当ですか!?アテナの聖闘士の僕がエリシオンに行けるのですか!?!?」 「フ…私を誰だと思っている。冥界の第三の権力者にして双子神の上司、月と氷の女神ヘカーテだぞ?聖戦も終わったのだし、人間一人のエリシオン行きくらい私の一存で決められる さ。お前が良いアイデアを出せば、この場でミーノスに命じてやろう。『この男が死んだ時は私の命に従ってエリシオンに送れ』とな」 「…………!!」 ヘカーテの言葉にシラーの眼の色が変わった。 …目の前に特大のニンジンをぶら下げられた蟹座達の脳味噌は火事場のなんとやらの勢いで回り出したらしい。数分腕を組んで何かを考えていた二人は、真剣な顔でアイデアを出し合い意見を交換し、怒涛の勢いで電話をかけ始めた。 …そして二時間後。 ハーデスと弟達を連れて戻ってくれ、と連絡を受けたタナトスは、待ち合わせ場所に指定された中庭に入るなり眼を丸くした。 以前、仲間を集めて手作りピザを振る舞う為に用意した石窯に火が入れられ、ずらり並んだテーブルの上には小麦粉や卵やバターや砂糖、そして製菓 用のチョコレートや果物やクリームが所狭しと並んでいる。更にヘカーテはメイド服を、三巨頭と蟹座コンビは白いシャツに黒いスラックス、更に丈の長い黒い エプロンをつけてギャルソンのような格好だ。 驚いて目を瞬くタナトスを面白そうに見遣って、ヘカーテはドヤ顔で胸を張った。 「待たせたな、タナトス。これが私からお前への『本命チョコ』だ!」 「…………。…と、言いますと?」 「普通にプロパティシエのチョコや作り置きした手作りチョコを渡しても面白くあるまい?お前の目の前で、皆でワイワイとチョコを作るのも楽しかろうと思っ てな。さぁタナトス、どんなチョコが食べたい?ケーキ、ブラウニー、クッキー、ホットケーキ、クレープ…望みの物を作ってやろう。なんならお前達も菓子作成に 参加して構わんぞ。ああ安心しろ、盛大に失敗した時の為にベルセフォネーの店の本命チョコも口直し用に用意してある!」 「ほう…これは面白い趣向ですね」 「まだあるぞ」 皆で楽しく盛り上がれるイベントが大好きなタナトスが目を輝かせる姿にヘカーテはにっこりと笑い、製菓材料を並べたテーブルから少し離れたところに置いたパソコンを指差した。 「私達で菓子を作った後、皆で試食してそれぞれの菓子に点数を入れる。一番高い点数を取った者が優勝となり、『TheWorld』のバレンタインイベント籤を100本引く権利をゲットできるのだ!あ、ちなみに私が優勝したらその権利はタナトス、お前にプレゼントするぞ!」 「え?あの、一等を引けば幻の武器のいずれか一つが貰えるというバレンタイン籤をですか?しかも100本も?」 「籤を一本引くためのアイテムを揃えるだけでも大変なのに、よく100本分も用意できましたね」 「ふふふ…よくぞ聞いてくれたヒュプノス。この日の為にあちこちに協力を頼んでおいたのだ。さぁご希望をどうぞ、タナトス…じゃない、ご主人様!」 人生(神生?)最大のピンチを乗り切ったことを確信した美貌の女神は、輝くような笑顔でふんぞり返った。 ………… お祭り騒ぎとなれば真っ先に飛び込んで行くタナトスが、今日は珍しいことに椅子に腰を降ろして皆が楽しげに菓子を作る姿を眺めていた。 トレイにティーセットを乗せたシラーが死神の傍らにやって来ると恭しく一礼して、丁寧に紅茶を淹れ始めた。 「タナトス様は参加されないのですか?」 「ん。たまには『食べる側』に徹するのも悪くなかろうと思ってな」 「そうですか」 「…シラー」 「はい」 「ヘカーテ様は一体、お前にどんな褒美を約束したのだ?」 「…………。何のお話でしょう」 無色透明の淡い笑みを浮かべて首を傾げるシラーに銀色の眼差しを投げて、タナトスはわざとらしい真顔で優雅にティーカップを口に運んだ。 「…俺は今までお前の事を忠犬だと思っていたのだがな」 「?」 「今日からは赤い狐に認識を変えるとしよう」 「ええっ?お許し下さいタナトス様、それじゃまるでカップ麺です。ただでさえ今の聖域には緑の狸がいるんですよ?タナトス様にそんな仇名をつけられたら、僕とフドウで『赤い狐と緑の狸』コンビが成立してしまいます」 「ぷっ」 シラーの秀逸な返答にタナトスは思わず噴き出した。 ククク…と肩を震わせて笑いながら、銀の神は今度は穏やかな笑顔をシラーに向けた。 「良かろう。今の小粋な返答に免じて、追及はしないでおいてやろう」 「ありがとうございます」 芝居がかった仕草で一礼したシラーに、タナトスはふと思い出したように声をかけた。 「時にシラーよ。少々気が早いが、お前の寿命が尽きた後のことだ」 「…はい?」 「俺に恭順を誓うと宣言したからには…仮に、あくまでも仮に、だが…お前がエリシオンに来る事になったその時は、俺に仕えるのであろうな?まさかとは思うが、俺以外の神に仕えたりなど、せぬであろうな?」 「勿論です、タナトス様」 ぱぁっと顔を輝かせて恭しく頭を垂れるシラーの姿に、ならば良い、とタナトスは鷹揚に頷いた。 他人の物を欲しがる趣味は持ち合わせていないタナトスだったが、アテナ子飼いのあの赤毛の犬には珍しく所有欲を刺激された。毛並みは美しく、血統も申し 分なく、頭も良く、何よりもタナトスに良く懐いているのが好ましい。しかし、『あれが冥界に来た時には俺が貰いたい』とアテナに頼むのは、親戚の小娘のお 下がりを欲しがる行為のように思えて癪だった。変なところで無駄に高いプライドが邪魔をして気にいりの犬を手元に置く方法を探しあぐねていたのだが、まさ かこんな形で手に入ることになろうとは。 (ヘカーテ様の『大失敗』に感謝しなくてはならないな) 足取りも軽く作業スペースに戻っていく長い赤毛を見送る死神の口元には、誕生日のプレゼントを約束された子供のような満足げな笑みが浮かんでいた。 …恋人達の記念日にヘカーテから贈られたのは、タナトス気に入りの犬、一匹。 |
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一昨年書いた短編SS「乙女ノ心」の続編的なSSです(ピクシブを閲覧できない方はWEB拍手を5回ほど押して下さい…)。当サイト独自設定がほぼ説明なく出てきますのでご注意ください。一
応、を読めば問題ないとは思います。本当は2012年のバレンタインに公開しようかなと思いつつズルズルと一年も熟成させた結果こんな感じになりました
(笑)。久々に趣味に走ってタナトスとヘカーテのネタを…と思ったのですが、出来上がってみればタナトスとシラーさんの話になったような…??そして相変
わらずマニさんとシラーさんの青蟹赤蟹コンビのかけあいは楽しいです。 そして解説など。 蟹座コンビと三巨頭は、SS「祭典」で貰った自分専用の神の道通行証を使ってエリシオンに行っています。 シラーさんが龍神秋乃(冥妃の転生体)を呼び捨てにしていますが、それなりに友達づきあいをしていてすっかり仲良くなっているためです。 前編で貴鬼が「バレンタインは女性が男性にチョコをあげるイベント」と話して、「それで合ってる」と答えたシラーさん自身のバレンタインに対する認識が 間違っていますが(女性から男性に、と言う部分が抜けている)、これは、貴鬼が言った「女性から男性に」の部分は特に気にせず聞き流していたためです。 タナトスは、去年のバレンタインにヘカーテから本命チョコを貰えなかった事を未だに根に持って…いえいえ、気にしています(笑)。 皆でバレンタインのお菓子を作る+優勝賞品はネットゲーム『TheWorld』の籤、というのは蟹座コンビが出したアイデアです。マニさんと三巨頭はタ ナトスに呼ばれて(ギャルソンのコスプレをして)ピザを作った事があるので(このネタはSS「感嘆」の続きで書きます)、同じ事をバレンタインのお菓子で やろうと。で、蟹座コンビがエルミタージュ洋菓子店の秋乃に頼んで製菓材料を用意してもらい、冥闘士がそれを受け取りに行ったのではないかと。シルフィー ドくらいの上級冥闘士なら、二時間で嘆きの壁と日本の往復くらいできるでしょう(笑)。 そしてネトゲの籤引きですが、私の遊んだネトゲでは結構面倒な物でした。一本籤を引くために、雑魚モンスターを倒すとランダムに落とすアイテムを決まっ た種類・決まった数集めなければいけないのです。例えるなら、敵がランダムに落とすトランプを、1から13まで集めると一回籤が引けると言う感じでしょう か。逆に言うと、1から13のうち数字がひとつでも抜けていると籤が引けません(涙)。このSS内では、主にシラーさんが、『TheWorld』で遊んで いる友人知人に頼みこんで、籤を引くためのトランプ的なアイテムをかき集めたのではないかなと思っています(私が知っているネトゲでは、籤を引くためのア イテムも結構な高値で取引されていました)。 そしてタナトスは、ヘカーテが何もバレンタインの準備をしてなかった事に気付いています。でも、自分を喜ばせるために一生懸命になってくれた事が嬉しい ので特に突っ込みも追及もしていません。たったの二時間で完璧なイベントの準備ができたのは、蟹座達(主にシラーさん)がアイデアを出したのだろう、そし て蟹座達にアイデアを出させるためにヘカーテは相応の褒美を提示したのだろう…と察してシラーさんにカマをかけたら、概ね予想通りだった、と言う感じで す。 ちなみにタナトスはシラーさんを「犬」と言っていますが、勿論これはシラーさんを気に入っている故の表現です。シラーさんを大いに気にいったので、シ ラーさんが冥界に来た後は自分の元に呼び寄せたいけど、アテナの聖闘士を冥界の神が欲しがるのは何だか格好がつかない気がする。『シラーを手元に置きた い』と言えばアテナは快く了解するだろうが、夜の一族の長兄が(立場的には格上でも)主君の姪の『所有物』を欲しがった、と思われるのはプライドが許さな い。が、プライドにこだわっているうちにシラーさんの魂が新たな命に転生してしまったら、『タナトスが気にいったワンコのシラー』とは別の存在になってし まうので、それも嫌だ(買おうかどうか迷っているうちに玩具が売り切れてしまってもう二度と手に入らなくなる感覚)。なんかこう、冥界の神の誰がシラーさ んのエリシオン行きを決めてくれないかなぁ、冥妃様がシラーを気に入って『エリシオンに招き入れておいてくれ』とか命じてくれないかなぁ、とか都合のいい 事を考えていたら、自分の関わらないところで望み通りの展開になってヤッター!という感覚です(笑)。 |