双 子神・神話時代…琴座…
EPISODE 1

 ――豊かな自然に溢れたテンペの谷。
 ペネイオスの清流が流れる草原の一角に形ばかりの柵があり、牛や羊がゆったりと草を食んでいる。その近く には家畜の世話を焼く男の姿があった。
 彼は牧夫の神アリスタイオス。オリンポス十二神アポロンの息子であり、厳つい体躯と強面の外見とは裏腹に、純朴な心を持った少々不器用な養蜂神である。


 

 家畜の様子を見ていた彼は、風に乗って聞こえてきた若い娘の笑い声に顔を上げて声のした方を見遣った。
 …それはそれは美しい娘だった。
 綺麗な長い髪を風になびかせ、友人らしい乙女達と談笑しながらゆったりと川岸を散歩している一人のニンフ。彼女の笑顔は素晴らしく魅力的で、その声は可 憐で可愛らしく、心地よくアリスタイオスの耳に響いた。
 アポロンの息子として、相応の良家の子女と結婚し子宝に恵まれた彼だったが、その息子を不幸な事件で亡くしてからは妻とも離れこのテンペの谷に腰を落ち 付けていた。半ば隠居状態でひとり暮らしていた彼の目に、その美しいニンフは眩しいほど魅力的に映った。

(ああ、なんて美しい人だろう。あんな美しい人と共に暮らすことができたら、きっと僕の毎日は幸せに満ちたものになるに違いない…!)

 美しいニンフに一瞬で心を奪われてしまったアリスタイオスの目には、彼女の薬指に嵌まった指輪は入らなかった。
 一目惚れの相手が既婚者かもしれないなどと考えもせず、自分が強面で厳つい外見だと言うこともすっかり忘れ、アリスタイオスはそのニンフ達に駆け寄らん 勢いで近づいた。

「ねぇ、そこの綺麗なお嬢さん達。よければ僕の牧場でおいしいミルクを飲みながらおしゃべりしない?」

 野太い声で呼びかけた途端。
 振り向いたニンフ達はアリスタイオスの姿を見るなり驚いて悲鳴を上げ、恐怖に顔を引き攣らせて逃げだした。
 お茶に誘っただけでどうしてこんなに驚かれ、更に逃げられるのか。全く理解できない彼は一目惚れしたニンフの後を追いながら叫んだ。

「ああ、待って、ちょっと待ってよ!僕は君達とお茶を飲みながら話をしたいだけなんだ!そうだ、僕はアポロンの息子の養蜂神アリスタイオス、怪しい奴じゃ 決してないから、ちょっと話を…」

 しかしニンフは後ろを振り返ることもなく一目散に森の中へと逃げてしまった。
 もともと俊敏ではない上に、常日頃からのんびりと暮らしていたアリスタイオスが身軽なニンフに追いつけるはずもなく、早々に息切れしてその場に座り込ん でしまった。
 やっぱり僕の外見がイマイチだから逃げられちゃったのかなぁ。
 諦めと未練の混じった溜息をつきながらも潔く諦めて牧場に戻ろうと立ち上がると、どこかで見たことのある男がやってくるのが見えた。
 銀色の長い髪、銀色の眼、額の五芒星の徴、しなやかに細い肢体に纏った漆黒のローブ。乙女でなくとも目を奪われるほどの端正な容姿の彼は…。

(彼は確か、死神の…タナトス、だったっけ。それにしてもカッコいいな、僕とは大違いだ。僕もあんな風にカッコいい外見だったら、さっきの彼女も声をかけ た途端に逃げ出したりしなかったかもなぁ…)

 そんなことを考えていたアリスタイオスは、無意識にタナトスをじーっと見つめていたらしい。
 死の神は座り込んでいる彼の横で足を止めた。

「何か用か?」
「えっ?」
「さっきから俺をじっと見ていただろう」
「え、見てた?ご…ごめん」
「用もないのに死神にガンを飛ばすとはいい度胸だな」
「ええっ!?違うよ、そんな、ガンなんて飛ばして…るように、見えた?やっぱり僕のごつい顔のせい?あああ、やっぱり顔かぁ…。どうして僕、顔じゃなくて ドン臭い性格が父上に似ちゃったかなぁ。顔が父上似だったらあの子達だって逃げずに話を聞いてくれたかもしれないのに…」

 ひとり勝手に驚いたり落ち込んだり嘆いたりする養蜂神の姿に死神は怪訝そうな顔になった。
 何かあったのかと聞かれて、アリスタイオスは先ほどの出来事を涙ながらに訴えた。外見が怖いと言うだけでナンパに失敗し挙句逃げられたと聞いて、流石の タナトスも気の毒そうな顔になった。

「それは災難だったな」
「だよね、災難だよね。ちょっとお茶してお喋りしたかっただけなのに、いきなり逃げなくたってさぁ…」
「ニンフは臆病だからな。どうしてもお近づきになりたいのなら、ニンフに縁のある友人にでも仲を取り持ってくれるよう頼んでみてはどうだ?友人の友人とし て紹介すればいきなり逃げられることはないだろう」
「そうか。機会があったらそうするよ、ありがとう」

 死神は少し笑って森の方へと歩いて行った。
 銀色の後ろ姿を見送ってアリスタイオスはふと思った。

(死神の彼がいるってことは、この辺で誰かが死んだのかな?僕の知ってる人が死んだのなら葬式に行かなくちゃな…)

 何も知らない養蜂神は家畜の世話に戻ろうと立ち上がった。
 風が、悲しげに啼きながら草原を吹き抜けた…。


 

 森に足を踏み入れたタナトスは目的の人物を見つけて近付いた。
 長い髪を扇のように乱して倒れている可憐な娘。美しい顔には恐怖が張り付き、細い足首には小さな穴のような傷跡が残っていた。

(ニンフか…アリスタイオスに驚いて森に逃げ込んだ時に毒蛇に噛まれたか)

 それだけを考えながらタナトスは娘の髪を一房切り取った。
 左手の薬指に嵌まった指輪を見ても、死神の心は些かも動かなかった。娘の命が今日で終わるのは予め定められていたこと。その終わりがたまたま毒蛇に噛ま れるという形になった、それだけのことなのだから。


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有名な琴座の伝説ですが、エウリュディケがニンフだったとかアリスタイオスがアポロンの息子だったとか、星矢にハマって初めて知りました。
太陽神とか言われて(厳密には違うそうですが)人気者のイメージのあるアポロンですが、恋心が成就せず失恋することも多々あったようです。ちなみにアリス タイオスの妻はアレスの娘か孫娘。一人息子は猟師でしたが、処女神アルテミス(アポロンの双子の姉)が水浴びしている現場に鉢合わせしてしまったことが原 因で殺されたとか。なんだか色々ツイてない神様ですね、アリスタイオス…。