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…奈落タルタロス、ニュクスの館に淡い光が満ちた。昼の女神ヘーメラーが帰って来たのだ。 普段なら娘と入れ替わりに地上に赴くはずのニュクスは、息子と娘を呼び集め、自分と一緒に地上に行くように告げた。 「皆一緒に…ということは、帰って来たばかりのヘーメラーもですか?」 兄弟姉妹を代表して尋ねたのは、すっかり大人びた姿に成長した夜の一族実質の長兄、死を司る神タナトスだ。 母は息子の問いに有無を言わさぬ威厳を湛えて答えた。 「ええ、そうです。ヘーメラーもヘカトンケイルもキュクロプスもです」 「…一応、理由を伺っても良いですか」 「ヘカトンケイルとキュクロプス達がここに来た時にネメシスが蒔いた種が、漸く実を結ぶのです」 「………!」 母の短い言葉ひとつで、夜の一族は地上でこれから起こるであろうことを察した。 ネメシスが司るのは因果応報と復讐。 異形の巨人がタルタロスに堕とされた時のネメシスはまだ幼く、王神ウラノスに影響を及ぼす程の力は持っていなかった。しかしあの時彼女が蒔いた因果応報の種は長き時をかけてゆっくりと確実に成長していたのだ。 ネメシスの力が実を結ぶと言う事はつまり、我が子を蔑ろにした天空神ウラノスの失脚を意味する。 「…面白いものが見れそうだな」 タナトスは形の良い整った唇に淡い笑みを浮かべて呟いた。 それは集まった皆が口に出さずとも思っていた本心だった。 地上が夜の帳に包まれると光り輝く天空の星が見えた。 その美しい輝きは天空神ウラノスそのもの。それは、神々の永久の住まいになるようにと願って大地母神ガイアが与えた光だったはずなのに。 天空から舞い降りたウラノスは、ガイアを抱こうとその体に覆いかぶさった。 ……… 闇に抱かれて姿を隠していた若い男神が、アダマスの大鎌を持ってウラノスの背後からそっと近づいた。 …夜の一族は母の傍らで息を潜め、これから起こる一部始終を見届けるべく『その瞬間』を待った。 大鎌を持った神…ガイアとウラノスの末息子クロノスは、無防備な体勢の父の男根を掴むなり、躊躇うことなく大鎌で男性の象徴であるそれを斬り落とした。 「ぎゃあああああああああ!!!」 夜の静寂を打ち破り凄まじい絶叫が響き、同時にウラノスの下半身から膨大な量の血液が迸り、大地に飛び散った液体はガイアやクロノスや夜の一族にも降り注いだ。 夜闇の中はっきりと、会心の笑みを浮かべるガイアとクロノスが見えた。そして激痛と屈辱に醜く顔を歪めるウラノスの姿も。 鮮血で全身を真っ赤に濡らしながら、地母神ガイアは嬉しそうに息子を称えた。 「良くやったわクロノス!今日からお前が世界の王、大神を名乗るが良い!」 「仰せの通りに、母上」 勝ち誇った笑みを浮かべたクロノスは、慇懃に母に向かって一礼した。 妻と息子に嵌められ失脚したと気付いたウラノスは、凄まじい恨みのこもった眼で喚き立てた。 「おのれ…おのれ、半人前の出来そこないの小僧ごときが、父を罠にはめて王座を奪おうなどと舐めた真似をしてくれた…!この屈辱、我は決して忘れぬぞクロノス!よぉぉぉく覚えておけ、お前もまた我が子によって王座を奪われ追放されるのだ!必ず、必ずな!!」 「負け犬の遠吠えは見苦しいですよ、父上?」 「忘れるなクロノスよ…因果応報の女神ネメシスは世界の王たる俺をも動かすほどに成長した…次はお前の番だ、愚かな息子よ…お前の玉座は決して温まる事は無い…決してな!」 「………!」 息子の顔がピクリと引き攣るのを見届けると、ウラノスは天の星空にその身を溶かすように姿を消した。 クロノスは、先ほど切り取った父の男根を持ったままだった事に気付き、汚らわしいものでも捨てるような手つきでそれを海に放り投げると、母と従兄弟たちがいる地上に降り立った。 満面の笑みを浮かべたガイアが息子に駆け寄った。 「良くやった、良くやったわクロノス。優しくて賢いお前が王になってくれればこの世界も安泰よ」 「…母上、あの男は最後に『次はお前の番だ』と」 「あんな屑みたいな男の負け惜しみなんて気にする必要はないわ。お前は正しい事を為しただけだもの」 「………」 納得しかねる様子で黙り込むクロノスを半ば無視して、ガイアは息子達を連れて事の次第を見に来ていた夜の一族を見遣った。 「ニュクス、タナトス、ヒュプノス、それにネメシスも…長い間ありがとうね。ヘカトンケイル、キュクロプス。長い間待たせてしまってごめんね、これからは私やクロノスと一緒に暮らそう。ね?」 「………」 夜の兄弟達の後ろに隠れていた異形の巨人達はもじもじと返事を躊躇い、夜の一族とガイアを交互に見た。 母の元には帰りたい。しかし、産まれたときから今までずっと、兄弟のように一緒に暮らしてきた皆とここでさよならと言うのも寂しい。 そんな迷いや躊躇いを察した夜の兄弟達は、気にするなと言うように笑って見せた。 「何を躊躇っているのだ?お前達はガイア伯母上の子供なのだから、母上の元に帰るのは当り前であろう」 「帰ってもいいけどたまには遊びに来てよね」 「たまにと言わず毎日でもいいぞ!」 「来る時にはお土産よろしくねっ」 「皆…ありがとう」 感謝の言葉を呟いてヘカトンケイルとキュクロプスは母の元に歩み出た。 …天空の月と星の明かりに照らされた『兄達』の姿を見た途端、クロノスの顔がはっきりと歪んだ。たった今、王座を追われた父ウラノスと同じ顔で。 「何だこの化け物どもは」 「え……」 「な…何を言うのクロノス!?この子たちは私の息子、お前の兄さん達だよ!」 「兄ですと?この醜い巨人どもが?冗談じゃない!母上!あなたはこんな危険な連中を新たな王である俺の傍に置けとおっしゃるのですか!?」 「クロノス…!?」 絶句する母ガイアを、クロノスは完全に猜疑の色に染まった眼で睨みつけた。 「そう言えばさっき、ウラノスが言っていましたね。『お前もまた我が子によって王座を奪われ追放される』と。奴の言う『我が子』とは、これから生まれてくるであろう俺の子供ではなく、ウラノスから見た我が子、つまりこいつらなのではありませんか?」 「なっ…」 「そうだ母上、そもそもあなたが自分の息子であり夫であるウラノスを討てと命じたのはその化け物どもを手元に戻すため。ほとぼりが冷めた頃にそいつらを唆して俺から王座を奪おうと言うおつもりなのでは?」 「一体、何を言い出すの、クロノス…」 呆然自失のガイアは漸く言葉を絞り出した。 夜の一族とクロノスの間に険悪な空気が流れ、双方が露骨に嫌な顔をしたまま互いに沈黙していると。 「…帰ろう、皆」 ヘカトンケイルが静かな声で言った。 何かをふっ切った、無理やり割り切った表情で。 「我々を酷い目に遭わせたあの男の末路をこの目で見れて良かったよ。もう十分だ。タルタロスに、帰ろう」 「…いいのか?」 「良いも何も、我々は最初から夜の一族だったんだ。兄や姉はいても弟なんていなかった。…なぁ、そうだろう?タナトス」 「ああ、そうだ」 銀色の神は躊躇うことなく、力強く、はっきりと頷いた。 「お前達は産まれた時から夜の一族で、俺の大事な子分だ。こんな奴に引き渡すなどもっての他だ」 「兄貴の子分じゃないっつーの。私達の弟だっつーの」 「見るべきものは見たのだ、もうここに用はなかろう。帰ってゆっくり休むとしよう」 「ああ、帰ろう。…帰ろう…」 呟いたヘカトンケイルとキュクロプス達の眼から涙が溢れて大地に落ちた。 夜の兄弟姉妹達は『弟達』を労わるように寄り添いながら帰路についた。また息子を守り切れずに泣き崩れるガイアや、新たな王となったクロノスになど、もう見向きもせずに。 ニュクスが優しく姉の肩を抱いてから子供達の後を追うと、最後に残ったネメシスがゆっくりとクロノスを指差した。 「因果は巡る。私は今、種を蒔いた。その種が芽吹く時まで、精々短い王様生活を楽しむのね」 「………!」 悪鬼のような形相で睨みつけるクロノスに復讐の女神は微かに笑い、すっと踵を返した。 …そしてクロノスはウラノスに次ぐ二代目の支配者となった。姉の地母神レアを妃に娶り、人間達が黄金の時代と称える世界を造り出した。しかしその心は、常に玉座を追われる恐怖と猜疑心に苛まれていた。 ヘカトンケイルとキュクロプスを拒否したために、早々に彼を見限ってしまった大地母神ガイア。 ウラノスを討ったあの時以来、姿すら見せない夜の一族。 因果応報の種を蒔いたと言うネメシス。 お前もまた我が子によって玉座を追われるのだと予言したウラノス。 限界を超えた疑心暗鬼は、レアの必死の懇願を振り切って産まれたわが子を呑みこむと言う暴挙に彼を駆り立てた。 妻ガイアの懇願を無視して我が子を追放した事が、父ウラノスの失脚の原因になった事実を忘れた訳ではなかったのに…。 |
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| ウラノスの失脚からクロノス即位まで。途中経過を色々端折ってますが、
暴君ウラノスに辟易したガイアとガイアの子供達(ティタン神族)がクーデターを起こす話です。アダマスの大鎌とは、世界で一番硬い金属(アダマンタイ
ト?)を使ってガイアがクロノスの為に作った武器です。タナトスの死神の鎌と違って、多分、農耕用の鎌のような形かと。ちなみに海に捨てられたウラノスの
性器からは美の女神アフロディーテが産まれたそうです。 |