双子神・神話時代 …黎明…
EPISODE 3

 …周囲が騒がしい。
 広間の片隅でぼんやりと膝を抱えていた彼は、姉達と弟が何やら話す声に顔を上げた。
 彼らが見ているのは布に包まれた赤子ほどの大きさの石だ。
 …何だろう…
 少しばかり好奇心を刺激された彼はゆっくりと立ちあがって皆に近づいた。

「どうした?」
「おわっ!びっくりした、いきなり後ろから話しかけんなよ、ハーデス!」
「すまない、ポセイドン。…で、それは?」
「おむつにくるまった何かが落ちて来て、開けてみたら石ころが入ってたの」

 利発そうな眼を瞬かせて答えたのは二番目の姉、デメテルだ。
 一番上の姉ヘスティアと三番目の姉ヘラが怪訝そうな顔を見合わせた。

「おむつが落ちてきたから、ああ、また産まれた子供が呑みこまれてきたのね…って思ったんだけど」
「開けてみれば石ころって…どういうことかしら?」
「母様が、生まれた子供の代わりに石を包んで父様に呑ませたのかな。ちょうど赤ちゃんくらいの大きさだし」
「中身が石だったら気付くだろ、普通」
「おむつでくるんであったら分からないかも」
「今まで五人呑みこんだんだ、きちんと確認なんてしなかったのかもしれないな」
「ま、だからって俺達の何がどーなるってわけじゃないけどな」

 ポセイドンがため息交じりに吐き捨てた言葉に皆の表情が曇った。
 初代の世界の王ウラノスから王座を奪い取ったクロノスが、我が子に地位を脅かされる事を恐れて産まれた子供を片っ端から呑みこんでいる…腹の中にいてもうっすらと聞こえる外の世界の会話から、神々は自分達の境遇を把握していた。
 かつて奈落タルタロスに堕とされた伯父のヘカトンケイルやキュクロプスと同じように、自分達もまたこの『牢獄』から抜けだす事は出来ないのだと。




 おむつにくるまれた石が落ちてくると言う奇妙で些細な『事件』が起きた数年後。
 クロノスとレアの子供達が暮らしていた世界…クロノスの腹の中…で異変が起きた。地面が揺れ、ひっくりかえらんばかりに波打ち、たわみ、歪んだ。姉達は悲鳴を上げ、ハーデスとポセイドンは手近なものに掴まって振り飛ばされないようにするだけで精一杯、というその時。
 ひときわ大きな揺れが襲い、神々は為すすべもなく振り回され、硬い床の上に放り出された。
 …固い床?
 何が起きたのか理解できないハーデスが顔を上げると、姉と弟、そして、産まれた時に一度だけ顔を見た父クロノスまでもが、訳が分からないと言う顔をしているのが見えた。
 王の間にいた全員が状況を把握するより早く、フードで顔を隠した若い男が疾風のように部屋に駆け込んでくるなり、床に転がっていたクロノスの子供達の手を片っ端から引っ掴んだ。
 
「兄上、姉上!早くこちらに!」

 何が何だか分からないまま、若い男の迷いなく力強い手に手を引かれ、クロノスの子供達は無我夢中で走り続けた…。





 クロノスに吐き出された神々をオリンポス山に連れてきた若い男は、フードを取ると爽やかで人当たりの良い笑みを浮かべた。

「皆、無事でよかった!あ、申し遅れましたが僕の名前はゼウス。あなた達の弟です」
「弟?」
「えっと、ひょっとして、おむつにくるまってた石は…」
「はい。母が機転を利かせて僕を守るためにやったことです」

 ゼウスが振り向いた目線の先には、彼らの祖母ガイアと母レアがいた。
 若き弟神はその顔に固い決意を浮かべて言った。

「父神クロノスの横暴にお祖母様も母上も大層ご立腹です。もはやあの男を玉座に座らせておくわけにはいきません」
「…要するにクーデター起こそうって訳か?」
「え…お父様相手に戦うの?」
「戦うなんてそんなの嫌よ!」
「クロノスは既に兄弟神を集めてクーデター鎮圧の準備を進めています。戦わねばまたあの男の腹の中に逆戻りですよ?それでいいのですか、姉上?」

 兄弟の中で最も若いはずのゼウスの言葉は重く説得力に溢れていた。
 助け出された皆は勢いに押されるように父と戦う覚悟を決めたが、ハーデスが遠慮がちに口を開いた。

「しかし敵の戦力は圧倒的、いくらガイア様と母上が味方についてくれたとはいえ、こちらでまともに戦が出来そうなのは私とお前とポセイドンくらいだろう。余程の策を立てねば捻り潰されて終わりだぞ」
「だからまずは味方を増やさなくては。幸いこのオリンポス山はガイア様と母上が結界を張って守ってくださっている。いかなクロノスと言えどもいきなり攻め込んでくる事は出来ないはず」
「クロノスに敵対してでも俺達の味方になってくれそうな神…か…」

 …ガイアとレアとその子供達は輪になって座り、誰なら味方になってくれそうか相談を始めたが、なかなかこれはという名前が浮かばない。

「私達を助けるために知恵の女神メティスが協力してくれたんでしょう?その血縁者はどう?」
「両親のオケアノスとテティスは中立を宣言しているな…」
「確か我々の伯父にあたる巨人達がタルタロスにいるんですよね?クロノスに疎まれてタルタロスに堕とされたと言う彼らなら協力してくれるのでは」
「無理だ」

 ゼウスの提案にガイアは力なく首を横に振った。
 
「ゼウスが決起すると聞いた私は、夜の一族に協力を打診しに行ったのだが、『クロノスが巨人達を拒絶して王位についた時にネメシスが蒔いた種は既に芽吹いている。夜の一族があなた達にそれ以上の協力をする理由や義理があるとは思えない』と断られた」
「我々が勝利した暁には相応の地位や報酬を用意する、と言えば…」
「彼らは地位や権力に興味はない。それに…『そのゼウスとやらが仮に王位についたとして、彼がウラノスやクロノスのように巨人達を拒否したら、あなたはどのように責任を取るおつもりなのですか』と問われて、私は答えられなかった…彼らの協力は望めない…」
「夜の一族…仲裁の女神ニュクスとその子供達…死の運命の女神ケール、死の神タナトス、眠りの神ヒュプノス、復讐の女神ネメシス、運命を紡ぐ女神達モイライ、争いの女神エリス…くそっ、力を借りたい神々ばかりじゃないか!何とかならないのか!」
「ガイア様が頼んで駄目だったのなら他の誰がいっても駄目だろう。協力を無理強いして話がこじれて、クロノスだけでなく夜の一族も敵に回すことになったら大変だ。一旦彼らの事は忘れよう」

 ハーデスの言葉は尤もで、神々は渋々納得せざるを得なかった。
 かと言って妙案が浮かぶはずもなく、じりじりと時が過ぎていたある日、思わぬ援軍がやってきた。
 …オリンポス山に数人の子供を連れてやってきたのは、中立を宣言したオケアノス・テティス夫妻の娘、スティクスだった。

「あなた方に味方せよと、父オケアノスから内密に指示が出されまして…お力になれればと馳せ参じました。私自身に戦う力は無いけれど、子供達はきっとお役にたてるはずです」

 そう言って彼女が紹介したのは、権力の神クラトス、腕力の女神ビア、競争心の神ゼロス、そして勝利の女神ニケだった。
 戦に直接的に関わる神々の実質的な裏切りで、クロノス陣営とオリンポス陣営の戦力差は一気に縮まった。そして、一変した状況を素早く的確に判断した女神テミスが天才的な頭脳を持つふたりの息子を連れてオリンポス側に寝返ったことで、状況は激変した。
 オリンポス側が叩き潰されるのも時間の問題と思われたのが、どちらが勝っても負けてもおかしくない互角の状況になったのだ。
 …そして。
 一進一退の攻防が続き、どちらも決定打に欠けたまま、終わりの見えない戦いが十年の長きに亘って続き、神々の苛立ちも限界を迎えかけていた、そんなある日。
 オリンポス陣営の神々は何度目になるか分からない作戦会議を開いていた。

「…とにかくこの硬直状態を打ち破らねば」
「とは言え、戦力バランスを崩す要素など今更あるまい?こちらも向こうも不死の神々、頭数を減らす事など出来ぬのだし…」
「いや、むしろ逆だ。敵を減らすのではなく味方を増やすのだ」
「一体誰を?クロノス陣営に残った神が今更裏切るとも思えぬが…」
「いや、どちらにも属さずに様子を見ている神を味方にするのだ。クロノスを嫌っている者ならなお良い」
「だから一体誰がいる?」
「そ…それは……」
「…夜の一族」

 ハーデスがポツリと呟くと、皆がハッと虚を突かれた顔になった。
 ガイアが交渉に言って断られたと聞いていたから最初から除外していたが、確かに彼らの司る力は魅力的だった。
 ハーデスの提案にポセイドンは眉間に皺を寄せた。


「でもさ、連中はガイア様の協力要請を拒否したんだろう?交渉なんてするだけ無駄じゃないか?」
「それは十年前の話だ。新たな味方が増えればオリンポス側が勝利を掴める今ならば、交渉次第で彼らも協力してくれるかもしれない」
「夜の一族は仲裁の女神の子供達だろう?戦に加わってくれるだろうか」
「彼らが協力してくれれば戦を終わらせる事が出来ると口説いてみてはどうだ?」
「夜の一族はクロノスを嫌っている。…我々に対しても好印象は持っていないだろうが…でも、我々の協力要請を蹴る事はあっても、クロノスに協力することはあり得ないと考えていい」
「協力を取り付けられればラッキー、交渉してダメそうならこじれる前に引けば現状維持だ。やってみる価値はある!」
 
 ノーリスクハイリターンの作戦ならやるべきだ。
 ゼウスの言葉にオリンポス陣営の神々が頷いた。



 ゼウス、ポセイドン、ハーデスのオリンポス三兄弟は、タルタロスの奈落をおっかなびっくり進んでいた。
 祖母ガイアからニュクスの館の位置は聞いて来たものの、タルタロスは闇を孕んだ霧で覆われているせいで方向感覚はすぐに狂ってしまう。しかも魔物や亡 者や幽鬼や亡霊がひっきりなしに襲ってくる。彼らの力なら撃退するのは造作は無いが、万が一、倒した相手が『異形の姿の伯父上』だったりした日には協力要 請どころではない。
 いちいち相手もしていられないので逃げの一手で奈落の底へ底へと彼らは足を速めた。
 …タルタロスに足を踏み入れて何日経ったろう。
 漂う闇の霧はますます濃くなり、襲ってくる魔物も徐々に手強くなってきていた。本当に正しい道を進んできたのだろうか…そんな不安が胸を過ぎり始めた頃。
 グォォォォォオォォォォォォ!!!
 奈落の闇を震わせて魔獣の咆哮が響いた。

「ななななななんだぁぁぁ!?」
「あれは、ワイバーン?」

 三兄弟の頭上で巨大な翼竜が背中の羽を大きく羽ばたかせていた。明らかに彼らを警戒し、威嚇している。
 巻き起こった風が神々を切り裂かんばかりに荒れ狂う。猛嵐の中でポセイドンが精いっぱい声を張り上げた。

「あのさぁ、あれに言葉、通じると思うか!?」
「分からぬ。翼竜に見えるがニュクス様一族の神かもしれない」
「いくらなんでもそれは無いだろ!」
「神ではなくても知能は高そうだし言葉は分かるかも知れん」
「んじゃー呼びかけてみるか?」
「す、い、ま、せー、ん!俺達、怪しいモンじゃないんですけどー!!」

 グアァァァァ!!
 試しに話しかけてみたポセイドンは何とも微妙な顔で兄弟を見た。

「…話し合う気、無いみたい」
「…そのようだな」
「じゃあ逃げるしかないか…」
「逃げるのはいいけど、ニュクス様の館まであれが追いかけてきたら怒られない?」
「う、うーん…かといってやっつけたらまずいかもしれないし…」

 思わぬ足止めに神々が戸惑い、顔を突き合わせコソコソ相談していると、不意に翼竜が威嚇の羽ばたきを止めておとなしくなった。
 何があったと見上げると、三つ頭の巨大な魔犬が魔竜の隣に出現していた。
 トカゲの次は犬かよ、と内心で思っている神々の前に魔犬ケルベロスはふわりと降り立った。

「タルタロスに客人とは珍しい」

 頭上から降ってきた声に、一瞬犬が喋ったのかと驚き良く見ると、ファーのクッションのようになった魔獣の背中の上に銀色の若い男が座っていた。
 奈落の闇の中に銀色の光を放つ絹糸の髪、不可思議な風合いの銀色の瞳とそれを縁取る銀色の睫毛、額に戴く五芒星の徴、完璧なほど端正に整った白い貌。ケルベロスにゆったりと預けた肢体もしなやかに美しい。
 小宇宙こそオリンポス三兄弟には及ばないが、貫録や威圧感は若造の彼らとは比べ物にならない。纏う気配から察するに恐らく彼は神…ニュクスの息子のひとりだろうと察しはついた。
 そして魔犬に乗ったまま降りてくる様子もなく見下ろしてくる態度からして、銀の神は三兄弟のタルタロス訪問を決して歓迎していない。
 先行き大いに不安ではあったが、ゼウスは礼を失しないよう丁寧に会釈して口を開いた。

「お初にお目にかかります。僕…あ、私は、ガイアの孫のゼウスと申します。こちらは兄のハーデス、こちらは同じく兄のポセイドン」
「ガイア伯母上の孫は大勢おられると記憶しているが…父はどなたか?」
「血筋的と言う意味であればクロノスです」
「………。クロノスの子息がタルタロスに何用であろうか」
「女神ニュクス様にお会いしたいのです。祖母ガイアより書状も預かって参りました」

 ゼウスが懐から封筒を取り出して差し出したが、銀の神は小山のような犬の上に乗っているせいで(しかも降りてこないので)渡そうにも渡せない。仕方なく ガイアの署名が見えるように掲げて見せると、銀の神は三兄弟から視線を逸らして滞空飛行をしていた翼竜に何か合図を送り、魔犬の首筋を軽く叩いた。
 …と、さっきはあれほど咆哮し荒れ狂っていたワイバーンは地面に静かに下りて翼をタラップのように降ろし、ケルベロスも地面にペタリと伏せた。
 意味が分からずきょとんとする三兄弟に、銀の神は無愛想に言った。

「ワイバーンにふたり、こちらにひとり乗るが良い。ニュクスの館までお連れしよう」
「あ…ありがとうございます」

 一応礼を言って、三兄弟はそっと目配せしあった。
 喧嘩腰とは言わないがあからさまに不機嫌そうな銀の神と一緒に魔犬に乗るのは正直あまり気が進まない。
 …そんな弟の気持ちを察した長兄ハーデスは、おじゃまします、と断ってケルベロスの背によじ登った。それを見たゼウスとポセイドンは慌ててワイバーンの背に乗った。

「…振り落とされぬよう注意されよ」

 銀の神が短く告げると、魔犬と魔竜は神々を乗せて軽やかに飛び立った。
 …風が空気を切る音は相変わらずだったが、魔犬の背中の居心地は予想以上に快適だった。歩くのとは段違いに早いし、鬱陶しい魔物も全く寄り付かない。まぁ、さっきの咆哮を聞けば命が惜しい雑魚は近づいてなど来ないだろうが…。
 ずっと黙っているのも落ち着かなくて、ハーデスは思い切って銀の神に話しかけてみる事にした。

「あの、あなたのなま、えっ!」
「余計な事を言うと舌を噛むぞ」
「………」

 取り付く島もないとはこの事か。
 重要な交渉を前に舌を噛む訳にも行かず、ハーデスはおとなしく口を噤んで魔犬の背中に掴まっていた。


NEXT


星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


 この3話目からしばらく(最後まで?)双子神達ではなくオリンポスの 神々視点で話が進みます。優秀で狡猾なゼウス、楽天家で人懐こいポセイドン、おっとり慎重派のハーデスという役割分担を漠然と考えたところ、ポセイドンの 動かしやすさにびっくりです。今後の展開などは「双子神2012・後編」やらギリシア神話のティタノマキアの話で既にバレバレなんですが、隙間を埋めるよ うな話を書いていけたらなと思ってます。
 5話目の三兄弟の冥界珍道中は書いてて楽しかったです(笑)。
 作中で自然に説明できなかったので端折った部分を解説しますと、レアの機転で難を逃れたゼウスはガイアによって育てられ、父へのクーデターを開始しま す。まずは知恵の女神メティス(後のアテナの母ですね)に頼んで強力な嘔吐薬を作ってもらい、クロノスに呑みこまれていた兄と姉を救出したと言う訳です。 ちなみに三女のヘラは助け出された直後に『中立宣言をした』オケアノス・テティス夫妻に預けられています(つまり中立を宣言しながらオケアノス夫妻は事実 上オリンポス側についていた訳です)。
三兄弟の冥界珍道中です。書いていてポセイドンの動かしやすさにびっくり。慎重派で狡猾なゼウスや、天然のんびりやのハーデスと違ってぐいぐい話を引っ張ってくれます。
さて、タナトスとハーデス初対面ですがタナトス超偉そうです。つか『大地の一族嫌いオーラ』を隠す気が無いのでダダ漏れてます。超年上タナトスに初めて 会ったワカゾー三神は「この銀神なんかこえぇ」と内心で思ってます。ポセとハーは後にその印象を改めますが、ゼウスだけはずーっと第一印象を引きずってる みたいです。
 この時、何でタナトスだけが(ヒュプノスも連れずに)ケルベロスとワイバーン連れてタルタロスを「散歩」してたのかは少し後に明かします。