| それは遥かな神話の時代… オリンポス十二神の一角である処女神アテナと同じく処女神のアルテミスは、両手に菓子やら地上で流行りのアクセサリーなどをいっぱい抱えて冥府を訪ねていた。 春の女神ベルセフォネーが冥王ハーデスの妻となって以降、冥妃の親友である処女神達の冥府来訪はもはや見慣れた光景である。 冥妃ベルセフォネーは臣下のタナトスから借りた魔犬ケルベロスに乗って冥府の入口で友人を待っていた。 「アテナ、アルテミス!こっちこっち!」 「わざわざお迎えありがとう、ベルセフォネー」 「ケルベロスもね!」 賢いケルベロスはアテナもアルテミスもきちんと覚えているらしく、威嚇の唸り声を上げるどころかパタパタと尻尾を振った。 …女神三柱と山のようなお土産を背にのせると、魔犬はゆったりと飛び立った。 乙女達を乗せているという自覚があるのか、双子神やハーデスを背にのせている時よりずっと『安全運転』で冥府を飛んだケルベロスは、ゆっくり慎重にエルシオンの花畑に着地してペタリと伏せた。 「ありがと、ケルベロス。これはご褒美ね。あ、あとタナトスとヒュプノスにアテナとアルテミスが来た事伝えておいて。後で遊びに行くかもしれないから」 冥妃てづから差し出された菓子を一口で飲み込むと、魔犬はパタパタと尻尾を振ってタナトス神殿に向かってとことこと歩きだした。 その後ろ姿にアルテミスが感心したように呟いた。 「本当にお利口な犬ね。ひょっとしたら私の弟より賢いんじゃないかしら」 「アルテミス、いくらなんでもそれは…可哀想じゃない?」 「お子ちゃまアポロンと比べられたケルベロスが?」 「ちょ、べルセフォネー!逆、逆!」 「あれっ?」 お約束のやり取りに明るい笑い声を上げて、女神達はエリシオンの花園を歩きだした。 彼女達の父ゼウスがまた女性問題を起こしたとか、ポセイドンが派手に夫婦喧嘩をしたとか(こちらも原因はポセイドンの浮気らしい)、自他共に認める男嫌 いのアルテミスが近頃は狩人オリオンと懇意にしているとか…そんな話をしながら、女神達は冥府の王に挨拶をするためハーデス神殿に向かった。 乙女達を出迎えたのは、(暇さえあれば女性絡みの問題を起こすゼウスやポセイドンとは正反対の)人畜無害を地で行くようなハーデス。冥王の秘書ポジショ ンのヘカーテと一緒に机に向かって山のような書類を相手に格闘中だったが、愛妻とその親友の来訪に気付いて仕事の手を止めた。 「御無沙汰してました、伯父上」 「アテナにアルテミス。遠いところをようこそ。元気そうで何よりだ」 「こんにちわ!…って、そう言う伯父様はちょっとお疲れのようね?」 「ああ…。先日、地上を大災害が襲っただろう?そのせいで普段とは比べ物にならない数の死者が冥界に来ているのだよ」 「…ポセイドン伯父上の仕業ね…」 「確かに仕事は大事だけどちゃんと休まないと駄目よ、ハーデス」 「勿論それはわかっているぞ、ベルセフォネー。しかしタナトスとヒュプノスもほとんど休みなく働いていた故な、主君である余だけがのんびり休む訳にもいくまい」 そう言いながらハーデスは書類の山を卓の端に寄せて、ヘカーテが処理していた書類の束を受け取った。 怪訝そうな顔をする女神に冥王はにっこりと笑った。 「ヘカーテ。せっかくアテナとアルテミスが遊びに来てくれたのだ。今日の仕事は終わりにして、女性同士楽しんでくると良い」 「良いのかハーデス?仕事はまだ残っているが」 「一定の目処はついた故な、今日のところは余ひとりで何とかなる。明日からまた手伝ってもらえば大丈夫だろう」 要するに妻の友人が訪ねてきたのにもてなす気がない…と言うか、女性達の輪に自分を入れないでくれと言う事だ。 ハーデスにとってのアテナとアルテミスは姪と言うより妻の友人と言う印象が強い。色々な偶然で奇跡的にベルセフォネーと結婚はしたものの、女性との付き 合いに不慣れなのは相変わらずで、双子神の同席無しで女性と世間話をするというのは未だに苦手なのだ(双子神が同席していてもハーデスはにこにこしながら 皆の話を聞いているだけの事が多いのだが)。 そんなハーデスの内心を察したヘカーテは、完璧なラインを描く肢体を強調するような姿勢で椅子から立ち上がった。 「…ならお言葉に甘えて、ガールズトークに花を咲かせてくるとしよう」 美貌の女神の返答にハーデスはどこかほっとしたような笑顔を見せて、どうぞごゆっくり、と部下と妻と姪達を送り出した。 …普段はベルセフォネーの神殿に集まるのだが、今日は趣向を変えようということで女神達はヘカーテの神殿でお喋りに花を咲かせていた。 アテナやアルテミスは自分の『武勇伝』を語り、ベルセフォネーはハーデスや双子神の惚気話をし、実は聞き上手のヘカーテは皆の話にタイミング良く相槌を うちながら絶妙なツッコミを入れ、最近地上で流行りのファッションやアルテミスの恋(?)の話題を追及したり、和やかな雰囲気でお喋りが盛り上がり、飲み 物のお代りを用意しようとトレイを持って立ち上がったアテナが珍しいものを見つけた。 部屋の一角に設えられた棚の上に飾られた、淡く美しい色彩の巻貝。 とても綺麗だったので近づいてしげしげと眺めると、作りものではなく本物らしいと分かった。 「ああ、そう言えばヘカーテは昔は海の神々と付き合ってたんだっけ。元彼からの贈り物?」 アテナの質問にヘカーテはぷっと吹き出した。 「まさか。私は冥界に来る時に昔のオトコに貢がれたものは全部処分して来たぞ」 「じゃあポセイドン伯父様のところに遊びに行ったの?」 「タナトスがな」 「??……ああ、ポセイドン伯父様のところに行ったタナトスさんが、ヘカーテへのお土産にこの貝をくれたってことね」 「いや。奴が海界で貰って部屋に飾っていたのを、頼み込んで貰って来た」 「有無を言わさず横取って来た、の間違いでしょ」 「人聞きの悪い事を言うな、ベルセフォネー。ちゃんと奴の了解は取ったぞ」 要するに事実上強奪したわけだ。 乙女達の無言の突っ込みに美貌の女神は少女のように頬を膨らませて見せた。 「お前達、非難の眼差しで私を見るけどな、私にだって言い分はあるんだぞ」 「伺いましょ」 「ハーデスの浮気にベルセフォネーが怒り狂ってた頃、タナトスとヒュプノスとオネイロイは『緊急避難』と称して、私を置いてポセイドンの神殿に遊びに行ってたんだ。私だけを置いて、だぞ!許せるか?」 「ん…それは、まぁ、ちょっとムッとしちゃうかなぁ」 「そうだろう?あいつら、海底神殿でタイやヒラメや人魚の舞い踊りを見て、うまい魚をたらふく食って、イルカのショーを見物して、挙句、 タナトスはアンフィトリテからイルカを何頭か分けてもらってホクホクで帰って来たんだぞ。綺麗な巻貝の一個くらい貰っても良いだろう?」 「…イルカ?」 「え、ひょっとして今の冥界にイルカがいるの!?」 「お前達、食いつくのはそこか…」 ひとり置いてけぼりを食った愚痴を聞いて欲しかったらしいヘカーテはあからさまにがっかりして見せたが、すぐ気を取り直したように頷いた。 「ああ、タナトスが自分の神殿の敷地内にイルカを飼う設備を作ってな、そこに何頭かいる」 「へぇ…冥界でイルカって飼えるんだ」 「設備も水槽も兄貴分特権でキュクロプスに作らせた特別製だからな。そのおかげもあるんじゃないか?」 「そう言えば、タナトスって動物を飼うのが妙にうまいのよね。タルタロスの実家ではケルベロスの他にも色々飼ってたし、この間なんてイルカに芸させてたし」 「芸!?」 「うん。水面にジャンプさせたり、後ろ向きに泳がせたり、キャッチボールしたり、そういう芸。私も見せてもらったけど、可愛くて可愛くて感激しちゃったわ」 「へぇぇ〜〜〜」 目を輝かせる処女神達の反応に、ヘカーテは楽しそうにクスクスと笑った。 「私はイルカよりタナトスのドヤ顔が印象的だったがな。『どうです、凄いでしょう?凄いですよね!』って…おもちゃを自慢する子供かっつーの」 「あはは、タナトスって変なとこで子供っぽいもんねー。そこが可愛いとは思うけど」 「タナトスさんが子供っぽい…」 「ベルセフォネーは良くそんな事を言ってるけど全然信じられないなぁ」 「私達が会う時はオトナな態度を崩さないもんね」 オリンポスの処女神達は顔を見合わせて頷きあった。 アテナやアルテミスががオリンポスで会う時の双子神はたいてい真剣な顔をしているし(ベルセフォネーとヘカーテが言うには『短慮でお子様のタナトスが真顔に なるような事件があった時くらいしか双子神はオリンポスに行かない』らしい)、彼女達が冥界に遊びに来た時の茶会に双子神が同席しても、彼らは紳士的でソ ツのない対応をしつつ早々に退席してしまうのだ。アテナとアルテミスには、オリンポス十二神、ゼウスの愛娘、主君の妃の親友、ついでに処女神と気を使う肩 書きが四つも揃っているから息が詰まるのだろうと言われればそれまでなのだが…。 そんなわけでアテナとアルテミスの双子神に対する印象は未だ『オトナでステキな、親友のお義兄さん』のままなので、ベルセフォネーやヘカーテに『ヒュプノスはともかくタナトスは子供っぽくて可愛いとこもある』と言われてもいまいちピンとこないのだ。 そしてベルセフォネーは『アテナとアルテミスがピンとこない』事が不満らしく、焦れったそうに唇を尖らせた。 「ん、もう!ふたりともどうして信じてくれないかなぁ。タナトスもヒュプノスも変なところで子供っぽいところがいい味出してるのに」 「『どうして信じてくれないかなぁ』と言われても、信じる根拠になる場面を全然見た事無いもの」 「うー…」 「子供っぽいところか…。タナトス限定でも良いなら見に行くか?」 「え?」 「イルカの芸が凄いと聞いたのでぜひ見せて欲しいと言えば、あいつは子供のように喜んで見せてくれると思うぞ。イルカに仕込んだ芸を誰かにお披露目したくてしたくてたまらないようだからな」 ヘカーテの言葉にアテナとアルテミスは顔を見合わせた。 冥界に来たのだから『親友のステキなお義兄さん』にも挨拶くらいするのが礼儀だろうし、ベルセフォネーが可愛さに感激したと言うイルカの芸にも興味を 引かれた。特にアテナはポセイドンとあまり仲が良くないので、こんな機会でもなければイルカの芸など見れないと思うと余計に見たくてたまらなくなった。 「うん、見たい見たい!」 「私も!」 ヘカーテの提案に処女神達が満面の笑みを浮かべて頷いた時、侍女らしきニンフが遠慮がちに部屋に入ってきた。 何かあったのかと目顔で尋ねるヘカーテに、ニンフは意外な人物の名を口にした。 「あの、オルフェウスがヘカーテ様にお目通りを願っております」 「オルフェウス?これはまた意外な客だな。…まぁいい、通してやれ」 「かしこまりました」 一礼してニンフが下がると、アルテミスが目をぱちぱちさせた。 「オルフェウスって、アポロンの弟子だったオルフェウス?」 「奥さんのエウリュディケが毒蛇にかまれて死んじゃって、彼女を蘇らせようと冥界まで来たけど失敗して、エウリュディケの後を追って自殺したとか言う天才詩人だっけ」 「ああ、そうだ。話せば長いが色々あってな、タナトスにすっかり懐いてしまって…苔の一念なんとやらで奴に弟子入りしてしまったんだ」 「人間が、死の神の弟子に?」 「弟子って言うよりタナトスの子分かパシリって言った方が正しい気がするけどね。イルカの芸をお披露目する時アシスタントとかしてたし」 「ま、双方納得の上で楽しくやってるんだから全く問題は無いだろう」 ヒュプノスやハーデスと違って配下らしい配下や従属神がいないタナトスは、自分専用の『部下』ができたことに御満悦らしく、なんだかんだ言いながらもオルフェウスには目をかけて可愛がっている…と話していると、噂の天才詩人がニンフに連れられてやってきた。 まさか女神が四神も集合していると思っていなかったらしいオルフェウスは、部屋の入り口で驚いて足を止めてしゃちほこばった会釈をした。眩しそうな眼で女神達をそっと見まわした彼は、部屋の中に一歩も入らずにまたぎこちない会釈をして辞そうとした。 「…し、失礼しました」 「ちょっと待てオルフェウス」 「はいぃ!?」 「来るなり失礼しましたとは何だ?来訪の用件くらい言ったらどうなのだ」 「あ…失礼しました。僕、タナトス様をお探し申し上げていたのです。探せる場所は探したのですがお姿が見えないので、ハーデス様にお尋ねしたところ、冥妃様かヘカーテ様の神殿に招かれてはいないだろうか、と教えて頂いたので」 「タナトス?」 これから訪ねようと思っていた者を探していると言われてヘカーテは目を瞬いた。 半ば死神様のオプションと化したオルフェウスが探していると言う事は、タナトスは一体どこに行ったのだろう?イルカを見せてもらいに彼を訪ねて不在だったら無駄足になってしまうし、アテナやアルテミスもがっかりだろう。 そう思ったヘカーテは質問を重ねた。 「地上に出かけたのではないのか?」 「いえ、エリシオンを離れる時は僕にお声をかけて行かれますので、それは無いかと思います」 「じゃあそこらで昼寝しているとか」 「エウリュディケと手分けして探しましたが見つかりませんでした。ニンフ達に聞いても誰もお姿を見ていないと」 「ヒュプノスの神殿は?」 「ヒュプノス様付きのニンフに聞いたら、ヒュプノス様がタナトス様の神殿にお出かけになったきりだと言われました」 「ならタナトスの神殿のどこかにいるのではないのか?例えばイルカの部屋とか」 「そのイルカに餌をやる時間なので部屋に入る鍵を借りようと思ってタナトス様を探していたんです。…えっと、あの、ここにもいらっしゃらないなら、それでいいんです。お騒がせしました」 何かを納得したような顔でオルフェウスがぺこんと頭を下げて今度こそ部屋を辞そうとしたが、ヘカーテは意味深な笑みを浮かべて彼を引きとめた。 「お前は良くても私達は良くない。イルカの曲芸を見せてもらいにタナトスを訪ねるつもりでいた故な、奴がどこにいないのか分からぬでは困るのだが…お前は奴の居場所を察しているようだな?」 「えっと…タナトス様はご自身の神殿においでだと思います。…多分、お許しが無ければ僕が立ち入れない場所に」 主思いのオルフェウスはとても言いにくそうにヘカーテの質問に答えた。 半ばタナトスの付属品と化しているオルフェウスが立ち入れないタナトス神殿の部屋などかなり限定される。それこそ弟ヒュプノスか恋仲の誰かしか入れぬようなプライベートな部屋くらいしかない。 ヘカーテの『プライベートな部屋へのアポ無し訪問』はタナトスにとって迷惑を通り越して災難になる可能性が高いと言う事を、オルフェウスは今までの経験 から分かっているのだろう。ヘカーテ神殿を訪ねた事を後悔するような顔をしている。それでも正直に答えるあたり、変なところでタナトスに似て素直と言うか 馬鹿と言うか…。 ヘカーテはしゃなりと音がしそうな仕草で立ち上がった。 「つまり奴は自分の神殿にいるのだな。そう言う事なら当初の予定通りイルカを見に行こうではないか」 「え、いいの?タナトスがいるのは、多分だけど、オルフェウスでも許可がないと入れない部屋なんでしょ?そんなとこに無断で入ったら流石にまずいんじゃ」 「誰が無断で入ると言った?大体、奴がいるのは私達なら無断で入れる部屋かもしれんぞ。…それに」 ベルセフォネーのご尤もな質問に、美貌の女神は妖艶な唇に悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「奴の許可が無いと入れぬ場所に無断で入るのが面白いのではないか。洒落にならん事態になりそうなら部屋の前で引き返せば良いだけの話だ」 「…ったくもー。悔しいけど確かに面白そうだわ」 「え?え?ヘカーテもベルセフォネーも本気で無許可で侵入するつもりなの?」 「大丈夫、冗談にならないラインは踏み越えないから。…多分ね」 「冗談にならなかったらどうするの?」 「その時は『ごめんなさい』と言えば大丈夫だ。タナトスもヒュプノスも、謝罪した女を赦さぬような小さい男ではないからな。さぁ行くぞ!」 ヘカーテとベルセフォネーはほらほら早くとオルフェウスをせっつきつつ行ってしまった。 本当に大丈夫なんだろうか…とは思ったが、やっぱりイルカの曲芸は見たかったし、『許可が無いと入れぬ場所に無断で入るのが面白い』というヘカーテの言葉に思わず内心で頷いてしまったアテナとアルテミスは、急いで冥界の女神の後を追いかけた。 いいのかしら大丈夫かしらとしきりに呟きながら。 タナトス神殿の入口には三つ頭の魔獣ケルベロスが寝そべっていた。 訪ねて来たのが良く知るメンバーばかりの為か、花畑に腹をペタリとつけたまま会釈程度にハタハタと尻尾を振るばかりで唸り声一つ上げない。 オルフェウスは魔犬に駆け寄って六つある耳に文句を囁いた。 「ケルベロスってば、タナトス様に危機が迫ってるかもしれないのに何を呑気に尻尾振ってるんだよぉ…吠えて危険を知らせるのがお前の役目だろ?」 餌係の言葉にケルベロスは女神達を見遣り、オルフェウスをぺろりと舐めてまた昼寝の体勢に戻ってしまった。 彼女達は危険じゃない、と判断したらしい。 情けない顔になるオルフェウスの背中に美貌の女神の声が飛んできた。 「こーらオルフェウス!お前も男ならレディ達をエスコートしたらどうなんだ?お前の師匠のタナトスは言われんでもそうするぞ!」 「は、はーい、只今!」 タナトス様に何かあったら連帯責任でお前も一緒に怒られるんだぞ。 ケルベロスにそう言い残してオルフェウスは女神達の元に戻って行った。 …タナトス神殿に無許可侵入したヘカーテが最初にしたのは、応接間に相当する部屋にタナトス付きのニンフを呼び集めることだった。彼女達の立ち入れる部 屋にタナトスがいたら連れてくるようにと指示を出したが、大して待つ事も無く『お姿が見えませんでした』という報告だけが届いた。 「念のために調べさせたが…まぁ予想通りだな。では第二段階に侵入と行くか」 「あーうー…」 ますます心配そうな顔になるオルフェウスに先導させ、女神達はタナトス神殿の更に奥へと足を進めた。 エリシオンに住む大半の者に寛大に解放されているタナトス神殿だが、渡り廊下で繋がれた神殿の深部、離宮のようになった敷地に入れる者は一気に限られて くる。冥王夫妻とヒュプノス、夢の四神、ヘカーテら冥界の神々、あとはタナトスの付属品と化したオルフェウスくらいだろう。 …離宮の扉は閉まっていた。ヘカーテが軽く扉を叩いて来客を告げたが反応は無い。 彼女は軽く首を傾げ、笑おうか困ろうか迷っているような顔で皆を振り返った。 「ちょっと私ひとりで様子を見てくるからお前達はここで待っててくれ。ヒュプノスが来ているようだからまず無いと思うが、万が一タナトスが女を連れ込んでいたら色々とマズイいからな」 「その万が一だったとしても文句言っちゃだめよ、ヘカーテ」 「文句など言わぬぞ。無言でその場にいる全員を凍らせるだけだ」 どこまで本気か分からない真顔で答えて、美貌の氷の女神は扉をそっと開けて身体を中に滑り込ませた。 …手持無沙汰になったアテナは、間を持たせるために少しばかり気になっていた事を冥妃に尋ねた。 「ねぇねぇベルセフォネー。タナトスさんとヘカーテって恋人同士なの?」 「それは私が聞きたいわ」 「………」 「本当に分かんないのよね。お互い好意を持ってるのは間違いないと思うんだけど、恋人付き合いしてるのかって言うとそこまででもないような…」 「直接ズバリ本人に聞けばいいじゃない」 「聞いたわよ」 「聞いたの!?」 アルテミスの突っ込みにベルセフォネーは可愛らしい唇を尖らせた。 「だって気になるもの。でもはっきりしないの。ヘカーテは『お前にはどう見えるんだ?』って逆に聞いてくるしタナトスは『何故そのようなことをお尋ねにな るのです』ってムッとするしハーデスに聞いたら『あれはあれで仲が良いのだしどっちでもよかろう』って言うしヒュプノスなんて『タナトスとヘカーテ様が恋 仲か否かという個人的な事情に冥妃様がお心を砕く必要はありません』って厭味言うし、ほんっとヒュプノスはブラコンなんだから…」 「ブラコン…」 「『タナトスさんが可愛い』の次に主張するのは『ヒュプノスさんはブラコン』か。忙しいな、ベルセフォネー」 「ヒュプノスはブラコンなところが可愛いのよ。やっぱりお母さんのお腹にいた時から一緒だったからなのかなぁ、あーだこーだ言いながらお兄ちゃんにべったりなの」 「ふーん?」 でもやっぱりピンとこないなぁ、と処女神達が口に出さねど思っていると、離宮の扉が静かに開いた。 乙女達が無理をせず通れるだけの隙間を開けたヘカーテが、悪戯っぽく人差し指を唇に当てて片目を瞑って見せた。 …静かに入って来い、と言う意味らしい。 ベルセフォネーが真っ先にいそいそと中に入り、アテナとアルテミスは顔を見合わせ『本当にいいのかしら』と目顔で相談しつつ、好奇心に負けてそっと中に入った。 ヘカーテの合図など見えなかったと無言で主張して離宮の扉の前に残ったオルフェウスは、トラブルメーカーの女神から『師匠』を守るために何が出来るか必死で考えて、何かを決意した顔でその場を離れた。 離宮の最初の部屋…ヘカーテ曰くタナトスの私室は、意外にこじんまりとシンプルにまとまっていた。 男神の部屋と言えば、おもちゃ箱とゴミ箱をひっくり返したようなアレスやアポロンの私室か、事務所のようにそっけないゼウスやヘルメスの私室しか見た事 のないアテナやアルテミスは、すっきり片づきながら無機質すぎないタナトスの部屋を好奇心いっぱいかつ遠慮がちに見まわした。 壁際の棚の上にはグリフォンとワイバーンとガルーダを模した人形が並んでいて(タルタロスにいた頃タナトスとヒュプノスが飼っていたペットなのだが、彼 らはエリシオンには馴染めないので実家に残さざるを得なくて、仕方なく羽や鱗の一部から人形を作って持ってきたらしい、とベルセフォネーは説明した)、そ の隣には箱の中に白い砂が蒔かれていくつか貝が飾ってあり(明らかに不自然なスペースが空いているところを見ると、ヘカーテが強奪した巻貝はここに飾って あったものなのだろう)、更にその隣にはイルカの玩具が吊るされてふわふわと揺れている。 ベルセフォネーの主張する『双子神の可愛い部分』とはこういうことか…と、玩具スペースを眺めて処女神達が納得しかけていると、ヘカーテに肩を叩かれた。 「メインは、こっち」 いかにも悪戯を企んでます、と言いたげな笑みを浮かべてヘカーテは私室のさらに奥に入って行った。 …私室の更に奥の間の入口に幾重にも張り巡らされた薄絹を開けながら、美貌の女神はもう一度唇に人差し指を当てて手招きした。 ベルセフォネーとアテナとアルテミスはもう一度顔を見合わせて、よろしくない行動をしていると自覚しながら好奇心に負けて薄絹を潜った。 香炉から上品な香りが漂っている。 私室よりは明るさが落とされた部屋の中に銀と金の翼が淡く光を放つ。 乙女達は目の前の光景に思わず溜息をついた。 …豪奢な寝台に並べた羽根枕に背を預けて、死と眠りの神が穏やかな表情で眠っていた。 傍らの卓にチェス盤と竪琴と横笛が置いてあるのを見ると、どちらかが楽器の演奏か手入れをしつつ、もう片方がふたり分の駒を動かしていたのだろうか。 ヒュプノスは芥子の花を緩く左手に握って兄の肩に頭をもたれ、タナトスは寝台から落ちかけた弟を支えるように右手をヒュプノスの腰に回している。ふたりの背にある翼は半ば透き通り、銀と金の光がやわらかに混じり合い、幻想的に美しい光景だった。 「どうだ?子供みたいに可愛い寝顔だろう?」 「………」 アテナとアルテミスが無言で頷いた。 ふたりの睫毛はふわりと伏せられて、口付けを乞うように微かに開いた形の整った唇からは微かな寝息が聞こえる。 無防備に眠っているからか、大人びて秀麗に整っていると思っていたその貌も随分と幼く見えた。 まるで小さな子供の兄弟を見るような感覚で双子神の寝顔を見つめていたアテナは、ベルセフォネーを振り返ってそっと言った。 「タナトスさんが子供っぽいとかヒュプノスさんがブラコンだとか…今まで散々言われても全然ピンとこなかったベルセフォネーの主張なんだけど、今やっと、実感伴ってピンと来たわ」 「うふふふふふふ、ようやく分かってくれたのね〜。でしょでしょ、ふたりとも可愛いでしょー?」 「うん、確かに可愛い」 「お義兄さん達って翼があったのね、すっごい綺麗」 「だよねー。でも頼んでも滅多に出してくれないの。綺麗綺麗って言われるのが照れ臭いみたい」 「それにしても本当に良く眠っているな。アテナやアルテミスが入ってきたら気配で目覚めるかと思っていたが」 ヘカーテが意外そうに呟いてタナトスの頬から淡く開いた唇をそっと撫でた。 銀色の睫毛が微かに震えたが目覚める様子はない。 「…曲者が寝首を掻きに来たらどうするつもりなのかな」 「ここは善人しか入れない極楽浄土でしょう?そもそも曲者がいないんじゃない?」 「ヒュプノスさんの力で眠ってるからちょっとの物音じゃ目が覚めないのかも」 「それはない。ヒュプノスの力が一番効きにくいのが片割れのタナトスだからな」 「じゃあ普通に疲れてるのかも。災害でたくさん人間が死んだせいでタナトスもヒュプノスも忙しかったって、さっきハーデスが言ってたから」 そう言いながらベルセフォネーは軽くヒュプノスの頬を突つき、蜂蜜色の髪に指を絡ませた。金紗のように冥妃の指に絡んだ髪はするりと解けて輝く絹糸のように宙に舞った。 無遠慮に双子神の肌や髪に触れるヘカーテやベルセフォネーを見ていた処女神達は、悪いかなぁと思いつつも誘惑に負けて、そっと遠慮がちに手を伸ばして彼らの頬に触れた。 「わ、すべすべ。本当に子供みたい」 「いつも陽の当らないところにいるからなのかな。…ああもう、妬けちゃうほど肌も髪も綺麗だわ」 「私達大地の一族とこいつら夜の一族は身体の構成からして根本的に違うんだろう。言っちゃ悪いが夜の一族はもやしっ子揃い、直接的な戦闘が出来ると言う意味ではタナトスやヒュプノスは兄弟の中でも比較的逞しい方だ。…普通に力で私に負けるがな」 「………」 「それはそうとして」 処女神達が微妙な視線をヘカーテに向けているのは綺麗にスルーして冥妃は首を傾げた。 「アテナやアルテミスが私の主張を分かってくれたのは良いんだけど、タナトスが起きてくれないとイルカの芸が見れないわね」 「それもそうだな。いつまでもお前達にお触りさせてやるのも勿体ないし、そろそろ起こすとするか」 相変わらず突っ込みどころ満載のセリフを呟きつつ、ヘカーテはやおらタナトスの鼻を摘まんで当たり前のように唇を重ねた。 ヘカーテの事だから寝台から落とすくらいするかもしれないと思っていた乙女達は、意外に『優しい』起こし方に別の意味で絶句していたが。 「………。ん…。……ぷはっ!」 げほっ、げほごほっ!! 呼吸が出来ずに苦しくなったらしいタナトスが目を覚まし、激しく咳き込んだ。その拍子に兄の肩に頭を載せていたヒュプノスが寝台から落ちそうになり、危 ういところでタナトスが咄嗟に襟首を捕まえて床への激突を防いだ。流石の眠りの神もその衝撃で目を覚まし、襟を掴まれた時に首が絞まったのか、うう…とう めき声を上げて微かに頭を振った。 せっかくの午睡を思わぬ形で邪魔された双子神にヘカーテはにっこりと笑って見せた。 「せっかく気持ち良く眠っていたのに起こして済まなかったな、タナトス、ヒュプノス」 「ヘカーテ様?……」 「…………」 「おはよう、でいいのかな?」 「こ…こんにちわ」 「あの、お邪魔してます」 「…………」 銀色と金色の神々はその端正な顔に似つかわしくない間の抜けた顔で女神達を見て、顔を見合わせ、自分達の居場所を確認するように周囲を見回し、もう一度 顔を見合わせ、寝台の傍らで実に楽しそうに含み笑っている美貌の女神を見て、大体の経緯を察したのか同時に額を押さえて深々と溜息をついた。 |
| 星矢部屋 | 総合目次 | SS・2012時代 | SS・神話時代 | SS・蟹座達 |
| 前々から書きたかったトラブルメーカー女神達と双子神のコメディです。当サイトにおけるキャラ同士の関係を紹介するのを兼ねた趣味に突っ走った話です。双子神+夢の四神のポセイドン神殿に遊びに行く話はまた改めてSSに出来たらいいなぁと思います。 処女神の差別化として、アテナは割と柔らかく礼儀正しいサーシャ風、アルテミスはざっくばらんにボーイッシュ、を意識して書きました。 アテナとアルテミスがお菓子持参なのは、「冥界の食べ物を口にしたら冥界の住人にならなくてはいけない」掟があるためです。 ちなみにアンフィトリテとはポセイドンの正妻です。彼女に一目ぼれしたポセイドンの猛アプローチに辟易して身を隠していたところを、イルカが探し出して海王との仲を取り持ったそうです。 そして話が進まずうんうん言ってる時に思い出したのが「双子神・神話時代…琴座…」でタナトスに弟子入りしたオルフェウスでした。彼のタナトスへの弟子入りは完全に予定外で、他の話で彼が登場する予定は全くなかったのですが…思わぬところで助けられました。 死神に弟子入りしたオルフェウスは、多分、タナトスのパシリ兼雑用係で意外に重宝されてそうです。でも肝心な琴の演奏は全然教えてもらってない気がします(笑)。 トラブルメーカー女神達の突撃訪問。話の元ネタはこちらの西洋絵画です。双子神の服装はLCでチェスしてた時の黒いローブです。 ワイバーンの人形はゴジラのフィギュアみたいな感じだと思います(笑)。 |