双子神・神話時代 …冥妃…
EPISODE 12

 送別会の席には双子神と夢の四神、エリスとネメシス、そして冥王ハーデスが同席していた。
 ハーデスの左右に双子神、ベルセフォネーの隣にエリスとネメシスが座っているので、ハーデスとベルセフォネーは隣り合うでもなく向かい合うでもなく、間にふたり挟まると言う微妙な距離感だった。
 頼りの『兄上達』に励まされたおかげなのか、ハーデスは多少無理をしている様子は有るものの、微かに笑顔も見せながら皆と会話を交わしていた。
 メインの料理を皆が食べ終わった頃合いを見計らって、エリスが艶やかな柘榴の実を乗せた籠を運んで来た。

「じゃーん!見て見て、美味しそうでしょ?今日ハーデス様に献上されたんだけど、今年イチオシの柘榴なんだって!例年になく良い出来らしいよ〜」
「ほう…否応にも期待が高まるな」

 鮮血のように赤い果実を冥界の神々にひとつずつ配って歩いていたエリスが、その流れでベルセフォネーにも柘榴を差し出しかけて、おっといけないいけない…と慌てて引っ込めた。釣られて柘榴を受け取りかけたベルセフォネーの手に、地上の葡萄を一房乗せた。
 瑞々しくつやつやと輝き、いかにも美味しそうな冥界の柘榴と比べると明らかに見劣りする。地母神デメテルのストの為に地上は荒廃しまともに植物は育っていないから、今ひとつ成熟しきっていない葡萄でも相当な貴重品なのだろうが…。
 冥界の神々は鮮やかに熟した柘榴を割ってその実を口に運んだ。

「わ、おいしーい!」
「ほう…言うだけあって流石に美味だな」
「地上が荒廃している時に冥界で収穫された柘榴が最高の出来とは…皮肉なものですね」
「いいじゃんいいじゃん、ベルセフォネー様が戻ればデメテル様だって地上を元通りにしてくれるよ」
「そうだな。そなたは地上に戻ってから存分に美味な果物を食べると良い」

 ハーデスの言葉に曖昧に頷きながら、ベルセフォネーは出された葡萄を一粒口に入れてみた。
 …酸っぱい。彼らがわざわざ地上に出向いて調達してきてくれたものに文句は言えないけれど、お世辞にも美味しいとは言えず、二粒目を食べたいとは思えなかった。
 冥界の神々が口にするルビーレッドに輝く果実が余計に美味しそうに見える。
 ちょっとだけ、あの柘榴を食べてみたいな…。
 そんな気持ちが視線に出ていたのか、ハーデスが二つに割った柘榴の半分をベルセフォネーに差し出した。

「食べてみるか?」
「え?」
「ちょ、何をおっしゃるのですかハーデス様!冥界の食べ物を口にしたら冥界の住人にならねばいけないと言う掟があると何度も申しあげたでしょう!もうお忘れですか!」
「いや、忘れてなどおらぬぞ。しかし冥界の物を食べられぬベルセフォネーの前で美味い美味いと柘榴を食べるのは気の毒ではないか。一粒か二粒くらいなら大目に見ても…」
「よくありません!一粒だろうが一口だろうが掟は掟!今までの我々の苦労を何だと思っているのですか!」
「あ…う…」

 少々大袈裟なくらいタナトスに叱責されて、ハーデスはしょぼんとして差し出しかけた柘榴を引っ込めた。
 冥王らしくもない子供のような姿にベルセフォネーが思わずクスリと笑うと、ヒュプノスがわざとらしく溜息をついて皆を見回した。

「まぁ確かに、ベルセフォネー様の前で冥界の果物をこれ見よがしに食べるのは行儀が悪いな。飲み物とデザートを用意しようか」
「ああ、そうだな」
「じゃあさっさと片づけようか」

 ハーデス以外の冥界の神々がサッと立ち上がり、普段ならニンフを呼んでさせる食事の後片付けを自分達で始め、食器や柘榴の載った籠を持ってぞろぞろと部屋を出て行った。
 …手に半割の柘榴を持ったままのハーデスと、ベルセフォネーのふたりだけを部屋に残して。
 奇妙な沈黙が落ちて、ハーデスとベルセフォネーは顔を見合わせ、夜の神々が出て行った扉を見て、ハーデスの手に残った半割の柘榴を見た。
 冥界の食べ物を口にしたら冥界の住人にならねばいけない、と言う掟は機会があるごとに双子神やエリスやネメシスが言っていた。故に彼らがベルセフォネー の前に冥界の食べ物を出す事はなく、食事を共にする時も、間違っても彼女の口に冥界の食べ物が入らないようにさりげなく気を使っていた。
 なのに今、彼らは…ベルセフォネーに柘榴を差し出したハーデスの手に柘榴を残したまま…ニンフにさせればいい食器の片付けと言う名目で、全員が不自然に席を外した。
 …しばしの逡巡の後、ハーデスは手に残っていた柘榴をそっとベルセフォネーの前に押しやって、不自然に視線を逸らした。

「臣下が言うには、余は忘れっぽくてそそっかしいらしい。まぁ、否定できぬのが辛いところなのだが。それで、その、今の余の頭の中は、明日デメテル姉上に会ったら何と話をしようか考えるのでいっぱいいっぱいだ」
「………?…はい」
「だから、うっかりそなたの前に置いてしまった柘榴が何粒か減っていたところで、余は気付かぬだろうな」
「………」
「ああ、心配だ、心配だ。ベルセフォネーを地上に返したは良いが、会いに行って門前払いされたらどうしようと考えると、心配で目の前が真っ暗になる」

 これは独り言だぞ、と大袈裟にアピールしながらハーデスは腕を組んで目を閉じた。
 目の前に置かれた柘榴。
 不自然に席を外した夜の神々、目を閉じたハーデス。
 ベルセフォネーは思う。
 これは、ハーデスの行動を予想した夜の神々が自分に与えてくれた選択肢だ。

(ハーデス様に『愛してる』って言われて、嬉しかった?)
(あなたは、ハーデス様を好きですか?)

 自分の心を掴みかねているベルセフォネーに、夜の神々が与えてくれた解決の糸口。

(私は…)

 ベルセフォネーは鮮やかに紅い果実に手を伸ばした。
 数粒、小さな実を摘まんでそっと口に入れると、甘美な味が広がった。
 それは予想以上に美味で、思わずもう一口…と手を伸ばした時、絶妙のタイミングで扉がノックされた。
 ベルセフォネーはビクリとして手を引っ込め、口の中に残っていた柘榴の種を慌てて葡萄の房の下に押し込みつつ柘榴の実をハーデスの前に押し戻した。
 扉が開いて飲み物と茶菓子を用意して来た神々が部屋に入ると、(ベルセフォネーが実を摘まんだのを気づかれないようにだろう)ハーデスは慌てて柘榴に齧りついた。
 飲み物のカップを乗せたワゴンを押してきたエリスがジト目でハーデスを見た。
 
「ちょっとハーデス様。ベルセフォネー様の前で何を堂々と柘榴食べてんの?」
「い…いや、食べてはならぬと言いながら目の前に置きっぱなしでは申し訳ないから、さっさと食べてしまおうと…」
「そんなに急がずとも、一度下げてから後ほどゆっくりと召し上がればよろしいでしょう」
「あ、うん、それもそうだな」
「じゃーいったん下げるよ。ベルセフォネー様、この葡萄も下げちゃっていい?」
「ええ、どうぞ」

 エリスは葡萄の皿を取ると、ちらりと見てヒュプノスに渡した。
 受け取ったヒュプノスもさりげなく皿を一瞥してタナトスに差し出し、普段なら文句の一つも言いそうな死の神は何故か何も言わず皿を受け取ってワゴンに乗せた。
 その奇妙な行動に違和感を覚えた直後、ベルセフォネーはハッとした。
 自分は葡萄を一粒しか食べなかった。なのに、葡萄の下には種が数粒ある。
 それの意味するところに気付かないわけではないだろうに、神々は何かを指摘する事も無く、何もなかったかのように飲み物とデザートをベルセフォネーの前に置いた。





 翌日。
 約束通りヘルメスはベルセフォネーを迎えに冥府を訪れた。
 ハーデスは昨日よりも落ち着いた様子で静かに頷き、ゼウスやデメテルにきちんと話がしたいからとオリンポスへの同行を申し出た。
 …ヘルメスと共にオリンポスの馬車に乗ったベルセフォネーは、後ろをついてくる冥界の黒い馬車を見遣って、ハーデスと双子神は何を話しているのだろうと考えていた。




 オリンポスの大神謁見の間には、ゼウス夫妻とデメテルだけでなく、アテナとアルテミス、更にアレスとヘカーテまで集まってベルセフォネーの帰還を待っていた。
 そわそわと落ち着かない様子だったデメテルは、最愛の娘の姿を見るなり駆け寄ってきた。

「ベルセフォネー!」
「…お母様!」

 デメテルは愛娘を抱きしめて安堵の涙を流し、その姿をハーデスは寂しげな微笑みを浮かべて見つめ、双子神は無表情のまま、ゼウスはさりげなくハーデスと双子神に目を向け、それ以外の神々は事の次第を興味津々と言う顔で見守っていた。
 デメテル母子が落ち着くのを待ってハーデスはそっと口を開いた。

「姉上、ベルセフォネー。此度の一件、本当に済まなかった。…ゼウスにも迷惑をかけてしまって、申し訳無かったな」
「全く、あなたというひとは…。次からは行動を起こす前にきちんと相談して頂戴。ああそれから、今回の一件で一番悪いのはゼウスだから。あなたがゼウスに謝る必要は無いわ。ね?」
 
 デメテルがオリンポスの神々に尋ねると、皆がうんうんと頷いた。
 皆の刺さるような視線を一身に浴びたゼウスが、ごほんと咳払いしてハーデスに向き直った。

「あー…兄上、此度は、その、儂が軽い気持ちで言った言葉が原因でとんでもないことになってしまって、しかも一度嫁に出した娘を返せなどと言ったりして、本当に済まなかった。今後、協力できる事があれば何でもするから遠慮なく言ってくれ」
「…ああ、ありがとう」
「………」
「………」

 沈黙が落ちた。
 …え、話はこれで終わり?ベルセフォネーがデメテルの元に帰って、ハーデスは彼女をすんなり諦めて、それで終わっちゃうの?
 そう言いたげな雰囲気がオリンポスの神々の間に流れた。
 ベルセフォネーは母に半分抱きついたまま冥界の神々を振り返った。
 ハーデスの恋を成就させようと尽力していたはずの双子神は表情を動かさず口も閉じたままだ。
 このままでは終わってしまう、このままではハーデスと離れてしまう。
 それは嫌だ。
 そう思った時、彼女の中で答えが出た。

(そうか…私、あの方が好きなんだ。そして、嬉しかった。ハーデス伯父様に『愛してる』って言われた時、嬉しかった…)

 ベルセフォネーは母から身体を離して、ハーデスに一歩近づいた。
 …きっと、あの双子神なら私の気持ちを察してうまく立ち回ってくれるはず、そう信じて口を開く。

「…ハーデス伯父様」
「?」
「地上に来る機会があったら、私にもお顔を見せにいらして下さいね。タナトスさんも、ヒュプノスさんも」
「………」

 驚きと感激で言葉が出ないらしいハーデスに代わり、銀と金の神がにこやかに頷いた。

「ベルセフォネー様にお招きいただくとは光栄です。是非、お伺いさせて頂きます」
「エリスとネメシスと…ケルベロスも連れて行きましょうか」
「わぁ、ありがとう。私、ケルベロスにはまた乗りたいと思ってたの」
「畏まりました。他に何かご希望は有りますか?冥界から連れて来て欲しいものとか、あるいは持ってきて欲しいものとか…」

 タナトスはベルセフォネーの眼をじっと見ながら、正に彼女が望んだ言葉を口にした。
 夜の神々が最後に与えてくれた選択肢、冥界の柘榴。
 ベルセフォネーはにこりと笑った。

「柘榴が欲しいわ。あれ、とても美味しかったから」
「………え?」

 タナトスが妙にわざとらしく怪訝そうな顔をして、場が静まった。
 ひとりだけベルセフォネーの『失言』に気付いていないらしいハーデスを見て、ヘカーテが大袈裟な仕草で眉根を寄せて見せた。

「『美味しかった』?その言い方だとまるで、姫君は冥界の柘榴を食べたように聞こえるが…」
「まさか、そんなはずないでしょ。冥界の食べ物に関する掟はタナトスさんとヒュプノスさんがベルセフォネーに教えてるはずだし、そのために地上からわざわざ食べ物を運んでたんだもの。…ですよね?」

 すかさずアテナが調子を合わせて双子神に尋ねると、タナトスとヒュプノスは神妙な顔で頷いた。

「アテナ様のおっしゃる通りです。掟については何度も念押ししましたし、間違って冥界の食べ物が姫君の口に入らぬよう細心の注意を払って参りました。なぁタナトス」
「ええ、ヒュプノスの言う通り…いや、ちょっと待て。確か、昨日の送別会で冥界の柘榴が供されましたが…。念のためお尋ねしますがハーデス様、我々の眼を盗んで姫君に柘榴を差し上げたりなど、なさっていないでしょうね?」
「ななななななな、何を言うのだタナトスよ。余が少しだけなら…とベルセフォネーに柘榴を分けようとしたら、一粒たりとも口に入れてはならぬと制止したの は他ならぬそなたではないか。そ、そ、そんな、そなたの進言を無視してまで掟を破る理由が、どこにある?何故、何故そんなことをわざわざ尋ねるのだ??」

 思わぬ臣下の言葉にハーデスは気の毒なほどうろたえていたが、皆の関心はハーデスの狼狽よりも『何故ハーデスを動揺させるような質問をタナトスはわざわざしたのか』に向いていた。
 仮に、ハーデスがこっそりベルセフォネーに柘榴を分けていたところで、双子神が『掟を破るような真似はしていません』とだけ主張すれば、ベルセフォネーの疑わしい発言は有っても話はそこで終わったはずなのに…。
 ベルセフォネーのあからさまな失言とタナトスの不自然な追及の意図を察したゼウスは、厳かな顔で娘に尋ねた。

「ベルセフォネーよ。ヒュプノス殿と兄上はああ言っているが、本当のところはどうなのだ?彼らの眼を盗んで冥界の食べ物を口にした事は無いと、この神々の前で誓えるかね?」
「………」
「ベルセフォネー…あなた、まさか」
「………。ごめんなさい、お母様」

 ベルセフォネーは悪戯を見つかった子供のような顔で母を見上げた。

「昨日の送別会で、皆が食べてた『今年最高の出来の柘榴』が凄く美味しそうで…。皆が食事の片付けで席を外した時、少しだけなら分からないだろうと思って三つか四つ、食べちゃったの」
「え…あなたの前に柘榴を置いて皆が部屋を出たの?」
「ううん、伯父様は部屋に残ってたし、柘榴も伯父様の前に置いてあったわ。でも、何か考え事をなさってたみたいで、私が柘榴の実をこっそり取っても気付いていなかったの」
「なんて事…」

 デメテルは蒼白になって絶句して、ハーデスはますますオロオロし、ゼウスは腕を組んで考え込み、他の神々はこの事実をどう采配するかゼウスの言葉を待った。
 しばしの沈黙の後、ゼウスは重々しく口を開いた。

「ベルセフォネーが冥界の柘榴を口にしたという事実、これは無視できぬ。掟を知らなかったとか、兄上が意図的に娘に食べさせたと言うのなら酌量の余地があ るが、食べてはならぬと何度も言われながら、彼らの目を盗んで己の意思で口にした以上、何らかの形で掟には従わねばならぬ。…が」
「………」
「ベルセフォネーが帰らぬと言ってこれ以上デメテル姉上にストを続けられては皆が困る。そこで、だ。こういう折衷案はどうであろう?口にした柘榴の数の月 だけ…つまり三カ月か四カ月じゃな、ベルセフォネーは冥界で暮らす、というのは。念のため言うが、兄上と結婚しろと言っているわけではない。聞けばベルセ フォネーは冥界のエリス殿ネメシス殿とも仲良くなったそうではないか。友人に会いに旅行に行くとか、冥界に行く名目は何でも構わん」
「冗談じゃありませんわ!そんなことが認められるものですか!」

 ゼウスの提案した妥協案に皆がなるほどと感心した時、デメテルが叫んだ。
 直後、場がしんと静まった。
 おいおい空気読めよ…とアレスがボソリと呟いたが、誰もその発言を咎めなかった。概ね同感だったからである。
 ゼウスも絶句する中、デメテルは更に言葉を続けた。

「ハーデスが娘を攫った理由を忘れたの?この子に惚れこんで妻に娶ろうとしたからでしょう。そんな男のいる場所に嫁入り前の娘を入り浸らせるなどとんでも ない!何かあっても無くても、口さがない者がある事無い事噂して娘の名誉を汚すでしょう。そんな屈辱、到底受け入れられるものですか!」

 言いたい事は分かるが、この状況でその主張は無理があるだろう。
 皆が口には出さねど同じ事を思い、どう話を纏めたものかゼウスが考えるのもお構いなしに、デメテルはハーデスに指を突き付けた。
 
「ハーデス!!」
「!?」
「話は聞いていたでしょう。あなたの妻でも婚約者でもないベルセフォネーを、いくらお行儀の良い方とは言え、男神のいる場所にひとりで滞在させるなど許せません!それでも掟の為に娘を冥界に滞在させると言うのなら、正式に娘と結婚しなさい!」
「………。え?」

 デメテルの言葉にハーデスだけでなくその場にいた全員が耳を疑い目を丸くした。
 あのデメテルが、娘を溺愛するあまり地上を滅亡の危機に追い込んだ女神が、『正式に娘と結婚しなさい』?
 余りにも予想外の言葉にハーデスがぽかーんとしていると、デメテルは苛々と弟神を怒鳴りつけた。

「聞いているのですか、冥王ハーデス!ベルセフォネーを妻として娶るのか娶らないのか、あなたも男なら証人のいる前で正々堂々と宣言しなさいと言っているのです!」
「………」
「そう言えばハーデス様。俺は今、重要な事に気付いたのですが」

 思考停止状態から真っ先に復活したタナトスが耳打ちにしては大きな声でハーデスに声をかけた。
 頼りの臣下から話しかけられたハーデスは、ほっとしたようにデメテルから目を逸らしてタナトスを見遣った。

「な…何だ?」
「ハーデス様はベルセフォネー様に『愛している』とはおっしゃいましたが、『結婚してくれ』とか、プロポーズに属するお言葉はおっしゃっておりません。ならばデメテル様がこの場ではっきり宣言してけじめを付けろとおっしゃるのも御尤もです」
「なるほど確かに。結婚を申し込みもしないうちから自分の近くにいてくれなどと言う要求は失礼以外の何物でもありませんね」
「お…おお、言われてみればそうだな」

 すかさず調子を合わせたヒュプノスの言葉に納得して大きく頷いたハーデスは、愛する乙女に一歩、近づいた。
 ベルセフォネーもきちんとハーデスに向き合って背筋を伸ばした。

「…ベルセフォネー」
「はい」
「余はそなたを愛している。心から…心から、愛している。きっとそなたを幸せにする!…ために精一杯努力すると約束するゆえ、余の妃となってはくれまいか」
「………」
「結婚して欲しい、ベルセフォネー」
「…はい」

 ベルセフォネーは春の花が綻ぶような笑顔を浮かべて、はっきりと頷いた。
 その答えに。
 ハーデスは感激で目を潤ませ、双子神は喜びのあまり拳をぶつけ合い、デメテルは優しく微笑み、アテナとアルテミスとヘカーテは歓声を上げ、アレスはヘルメスとハイタッチをし、ゼウスとヘラはほっと安堵の笑顔を浮かべた。
 感極まって唇を捻じ曲げて小刻みに震える可愛い弟の背を、銀と金の兄がそっと押した。
 …ハーデスはおずおずと最愛の乙女に歩み寄り、遠慮がちに手を差し伸べた。
 ベルセフォネーが迷わず手を伸ばしてその手を取ると、ハーデスは自分より一回り小さな手を強く強く握り締めた。
 今の彼に出来る精一杯の愛情表現を、神々は暖かな眼差しで見つめていた。


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星矢部屋
総合目次
SS・2012時代
SS・神話時代
SS・蟹座達


  ベルセフォネーが自分の意思で柘榴を口にするという一連の展開は、書き始める前から決めていました。ただ、当初は送別会の場にハーデスはいなくて、夜の神 々が「うっかり」果物籠の陰に柘榴を置き忘れる…という流れを考えていました。それではハーデス様が余りにも蚊帳の外過ぎるのできちんとご登場いただきま した。
 んで、解説ですが。
 夜の神々がベルセフォネーと一緒に食事をとる時は、デザートまで同じメニューになるように配慮しています。地上の食材で作った料理と冥界の食材で作った 料理があからさまに違ったらいかにも差別してます感が出ちゃうし、「あっちの料理の方がおいしそう、一口だけなら食べてもいいんじゃ?」と思わせて拒否す るのもベルセフォネーが気の毒というか、そんな感じです。

 なので、夜の神々が送別会で自分達用に「今年一番美味しい冥界の柘榴」、ベルセフォネー用に「酸っぱくて美味しくない地上の葡萄」を出したのはわざとで す。ベルセフォネーが柘榴を食べたがったり、ハーデスが「少しだけなら大目に見ても…」と柘榴をあげようとするのも、お目付け役がいなくなればハーデスが ベルセフォネーにこっそり柘榴を上げるのも、全て見越した上での行動です。理由は…ベルセフォネーも察した通り、「選択肢を与えるため」です。選択肢とい う言葉が適切かどうかは分からないのですが、ひとつの可能性というか、道を提示したという事です。
 ベルセフォネー自身がハーデスとの結婚を望んだ時は、「冥界の食べ物を口にした」という事実は結婚を成立させるための武器に成り得る。仮にデメテルが結 婚に猛反対したとしても、掟を盾にすれば反対も押し切りやすい…とベルセフォネーは考えたわけです(彼女自身が望めばハーデスとの結婚を認める旨の発言を デメテルはしていますが、その事実をベルセフォネーは知りません)。

 また、双子神達にも思うところは有りまして。
 ベルセフォネーがハーデスとの結婚に前向きでも、デメテルは自分の発言を翻すかもしれない(結婚を認める発言を聞いていたのは双子神しかいないので立証 のしようもない)。なので、柘榴は「デメテルの裏切り」に備えて双子神がかけた保険でもあるわけです。ベルセフォネーがハーデスとの結婚を望んでもデメテ ルが反対したその時は、ベルセフォネーが冥界の柘榴を食べた事実を盾に交渉しようと考えていた訳ですね。
 タナトスが大袈裟にハーデスを制止したのも「我々はハーデスとベルセフォネーに対して念押ししましたよ」というパフォーマンスです。
 ううむ、頭の中の漠然としたイメージを言葉にするのは難しい…。まぁ何だ、諸々の仕込みは次で繋がりますよということで…。
  まだ続きは有るのですが、ハーデスの結婚エピソードはとりあえずここで『ハッピーエンド』となります。ベルセフォネーが自分の意思でハーデスとの結婚を決 意した経緯に説得力が出たかどうかちょい心配ではあるのですが。最後、皆が拍手して『おめでとう!』というシーンにしようかと思ったのですが、どうしても エヴァの最終回が浮かんでしまって没にしました(笑)。
 前回の柘榴に絡んだ神々の思惑も、ほぼ双子神やベルセフォネーの予想通りの展開になった、という感じです。
 双子神がベルセフォネーの『失言』を誘導し、ベルセフォネーの失言に誰かが突っ込み(勘の鋭いヘカーテが察して突っ込んでくれましたが、誰も突っ込んで くれなかったら双子神自身が突っ込む予定だった)、冥界の神は『掟があるから冥界の食べ物は口にしてはいけない』と再三ベルセフォネーに伝えていた事をア ピールしつつ、彼女は冥界の食べ物を自分の意思で(←ここ重要)口にした事を『自白』してゼウスの判断を仰ぐと。ゼウスも『娘を嫁にやる発言』は出来るこ となら翻したくないので、ベルセフォネーをハーデスの元に置いておく口実が出来るのは大歓迎のはず、きっとうまい落とし所を提案してくるだろう…と。神々 の性格を読み切った双子神の賭けだったわけです。
 それから、娘の結婚に反対しているような物言いをしながらOKを出すデメテルの行動は、小説版DQ5のルドマンをモデルにしました。
 次回、次々回はハーデスの結婚式場での双子神+ヘカーテ+αの、神々のだべりがメインになります。思いっきり趣味に走っています。この2話はすっ飛ばしてエピローグに言ってもいいくらい本編とは関係の薄い話です。でも、書いてて凄く楽しかったです(笑)。